月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

クシシュトフ・キェシロフスキ監督のデカローグ鑑賞

2021-11-30 21:52:50 | コロナ禍日記 2021

7月8日(水曜日)雨

 

 



 

 

大雨の中、デカローグを観に映画館へいく。電車を乗り継いで、約1時間と少し。このスケジュールで、よく行けるな。とすごい根性。おまけに悪天候だ。大雨。電車の中、誰かの傘のしずくがスカートを濡らす。

 

けれど、結果としてよかった。あの、ポーランドの曇った空と、スローな会話。ハイソな生活。住宅街で繰り広げる人間模様の時間の中に身をおくことができただけでも、幸せなひとときだった。

ポーラインドの巨匠、クシシュトフ・キェシロフスキ監督。聖書に記されたモーゼの十戒をモチーフに、ある団地に住む人々の琴線にふれる人間模様を10編にわたって描いた連作。1編一時間弱。だが濃厚だ。短編小説を書いている人なんかはすごく参考になると思う。

 

 

切なくいとおしい。ナチスによる破壊から蘇った美しい都市、ワルシャワに生まれた十篇の物語は、ガラス窓と光の冷やかな感触とともに暖かく育ってゆく。樹木や風、人の表情まで結晶に変える映像に。ふたりのベロニカの予告もはしる。

巖谷國士(写真家・評論家)

 


 

電車に揺られて梅田。エルメスの時計の電池交換。大丸の「つるや」で、鰻のランチ。

人のいないデパートの気楽さったらない。まるでプールの水の中で泳いでるみたい、トレンドの服や雑貨をみることができて気持ちよかった。

 

帰宅は、昼1時半着の予定を大幅に越えて、3時前。すぐ、クライアントから電話。結局、就寝の1時まで、夕ご飯もそこそこに仕事漬け。あの、ポーランドの空気はいずこに……。絶対にDVDを買ってやろうと誓う。

(後日談 買いました。20,694円しました)

 

 

 

 

 


スイスと滋賀で暮らす陶芸家レギーナ・アルテールさんのこと

2021-11-25 23:15:49 | 随筆(エッセイ)
 
 
 
ことしを振り返り、こんなことを書いてみました。
陶芸家レギーナ・アルテールさんのお話です。今年9月に作品展があり、ワクチン2回目接種から2日目でしたが、気合いをいれて駆けつけました。前日は、28度5分の副作用で宙を舞うようにふらふらだったのですが。一気に、喜びの瞬間に……。
 
 
ご興味ある方は、下記をクリック!
 

27. レギーナ・アルテール(Regina Altherr)さんのこと|みつながかずみ|writer 
 
 
 

それでも今日やることがあることは幸せなのだ

2021-11-22 14:39:29 | コロナ禍日記 2021

 

 

 

7月5日(月曜日)晴れ

 

週末から、ずっと仕事ばかりしている。

いま、4つの課題を抱えていて、そのうち2つは、本1冊まるごとのものだし、あとの2つも簡単にできると思うと、意外にむずかしくて時間がかかる、コピー案件と。個人的に書きためようとしているものだ。

 

コピーで大切なことは、どういうか(表現)ではなく、なにをいうかだ。

なのに、わたしはどういうか、に固執しすぎるから、時間がかかるのだ。この年齢になっても、これだけ経験をつんでも、初期のようなことをやっている。ちゃんちゃら、おかしくて腹立たしい。

こういう時に、無駄なTwitterのつぶやきをいれてしまい、片付かないものが迷宮入り。

 

クールダウンしたくて、散歩にでてみたり、川端康成氏の小説やだれそれのエッセイなどを手にしている。ますます時間がなくなり、ますます頭に血がのぼる。という事態だ。

なにをイライラしているのだろうか。

 

わたしも、誰かにあやかって。したいこと、したくないこと、必要なこと、必要ではないこと、のマトリックスをつくってみた。

 

いらいらしていた案件は、必要なこと、したくないことだった。

この潜在意識が邪魔しているのか!! いや、こういった案件を間にいれているから。物事スムーズになるのだ。もし、やりたくて面白い仕事ばかりだと、いつかは、これらの案件が、必要なこと、したくないこと、の順位にいく日が近くなるに違いない。これでいい。これが人生のなりゆき、である。

物事は、自然に、いくほうに流れていって正解なのである。

 

明日は、4つの課題を出さねばならない。ほんの少しずつでも手をつけてみようと思う。そうしないと前進しない。

 

 


凡才のなかに天才が一欠片!

2021-11-14 01:21:00 | コロナ禍日記 2021






写真は京セラ美術館 フランソワポンポン展より


 

7月3日(木曜日)晴れ 

今朝は、とても心地よい、優しい気持ちになる夢をみた。

35歳くらいのお嬢さまが登場し、彼女とたくさん話し、信頼を深め合った。ああ、この人とお友達でよかった、とうれしい気持ちになる。小さな女の子も登場し、誰だろう、と思いながら、その彼女といろんな面白い遊びをして、これまた気持ちよくって。私ってこんなに子供が好きなんだなと思ったところで、目が覚めた。

目覚めて、いま、自分が求めているのが、心かよわせる友人であるのかもしれませんね。と思えた。同時に、夢のこまかなところはすでに忘れたけれど、夢の穏やかさに安堵し、わたし自身の凡人性をも、理解する。

夢には、その人の知能があらわれるのでは、と考えるから。

 

 

寝るとき。

8月末には書き上げていかねばならない案件のお尻のことをずっと考えていた。それが200ページほどのブックライティングの原稿なのだが、昨日、かかり始めた時にはあまりに内容が薄すぎて、悶絶したところだったのだ。インタビューは12回した。この本、誰をターゲットにして書くか、一般大衆読者とするなら、ディテールもなく、思想が浅い。どうやって面白くしていけばいいのだろうと、昨晩、

深夜11時半頃に、ひやっとした風のなかで散歩をしている最中、考えていたら怖くなったのだった。で、脳の心配とは反する夢物語だ。

 

2時に眠って目覚めたのが朝5時。

1時間ほど机に座って仕事をし、もう一度、布団に潜り込んでみたのが、冒頭の夢の話しである。

 

この頃、仕事をしているなかで、自分の中に凡人と一欠片の天才が同居しているな、と思わずにいられないことが勃発している。

 

まず、手相。右手が百にぎりで、左手がくそ、だそうだ。

視力に関しては、右は年々視力が落ちて、0.01。左目が1.5だ。(昔は2.0だった)

 

天才的にスピーディーに原稿が書けてしまというときもあれば。信じられないほど要点のつかめない、わかりくにい表現で着飾る時だけの原稿もある。

 

そういえば、占い師の友人に、生年月日から人生と伴侶のことを占ってもらった。

あなたの中には天才と凡才が同居している、と確かにいわれた。

また京都の大原の母には、あなたの人生は山あり谷あり、常に波風がたっている。うねりのなかにある といわれた。

ま、しかし。誰しもそうではないだろうか。どんな人でも、閃きはあるのだ。絶対に、わたし天才かもと思うほどにできてしまえる瞬間は持っている。それをどう、平常運転にするか、である。

 

ま、案じるより、諦めて、進んでいきましょう!

これから、少し散歩をして、仕事をはじめましょう!こうしか生きられないのだから、自分の力を過信せず、信じて、進むまでのことである。

 

 

 

 

 

 

 


実家から私たちの家へ

2021-11-10 23:48:00 | コロナ禍日記 2021









 

7月1日(木曜日) 晴れのち雨 豊岡から西宮

 

 

豊岡の光はつよい。周囲を山に囲まれた盆地に、一級河川の円山川が日本海へと長いせせらぎをうねらせている蒸し暑い大気がいやおうなく、照りつける夏の時間よ。

 

1週間、実家で過ごす予定を、5泊6日で切り上げて、西宮へ帰る。

昨日、某クライアントのディレクターから資料をおくるから7月10日までにあげてくれないか、と連絡があったためだ。

 

電車の中では、4泊5日の東京遊覧の日々を、忘れないうちに綴っていた。

兵庫豊岡から丹波路の路線はまがりくねった山道が多いうえ、トンネルが多い。山をのぼったりくだったりの高低差があって、よく揺れる。ごとごと、ごとごと、お尻やおなかを左右にゆらせながら書くので、途中で気持ち悪くなって汽車に酔ってしまった。

 

JRから宝塚で下りてスーツケースを引き、阪急電車に乗り換える。

今回早い時間に家を出たのは、きょうまでの映画「水を抱く女」を見るためだった。クリスティアン・ベッツォルト監督。水の妖精、ウンデーネを、下敷きにした映画。




 

春から何度も見過ごしているので、どうしてもみたかったのだ。

ウンデーネは、ベルリンの都市開発を研究し、博物館でガイドをする。解説シーンも颯爽としてかっこよかったし、潜水作業員のクリストフと愛に落ちていくシーンもよかった。

 

ドキドキと胸がつまる魅惑的な映像、パッパのピアノの旋律が、わたしの鼓動に寄り添ってくる。映画にしろ、小説にしろ、よい作品には一切の無駄がない。すべてに完璧で美しく、迫りくるシーンの連続である。

 

深淵の水、プール、音楽、愛、別れと復讐と。そして赦し、悟り、怒り、再び哀しみに還ってくウンデーネ。人魚姫に例えられる。見られてよかった。


映像に助けられてはいるが、ミステリー小説に仕立てても魅力的な作品になるだろうと思いながら。再びスーツケースをひいて、宝塚の駅前で鯖寿司を買って、家にかえる。

 

自分の家を拠点にして、東京のNの家と母の家。ふりこのように、あっちからこっちへと行く日々が、これからさらに、こんな日々が増えるのだろう。

夫、娘、母。父の先祖。わたしは、その中央にたちすくんでいる。

 

だから、せめて家のいる時には、家の時間を大事にしていこうと誓う。

実家にいると、ここに暮らしていた様々な時代の家人の記憶が宿っている。と思う。

記憶に、守られているのだ。そして、どこにいても、眼がある。

実家を往復する日々(2ヶ月)で、改めて知った。母という女のことも、家のことも。さてと、仕事の日々に戻ろう。

 




後追い日記(6月の実家)

2021-11-09 13:50:00 | コロナ禍日記 2021







6月29日(月曜日)曇りのち晴れ  豊岡にて

 

実家にきて3日目の晩になった。

 

日曜日の夕方。実家のそばのコープデイズまで一緒に行って買物をし、駐車場のところで、家族連れがあふれるところで家人に手を振って「気を付けて帰ってちょうだいね」と行ったときに、一体いつうちにかえられるのだろうか、と思った。実家にはWi-Fiがないので、携帯電話の会社にて、テザリングを取り付け、最低限のデジタル環境を整える。

 

朝早い時間に近所を散歩し、瞑想をし、それ以外は2階の12畳の和室にいて、たいてい仕事をしている。床の間を背にし、東向きに大きな座卓を置き、文人のようにモノを書いて、縁側の揺り椅子でポメラをたたいたり、本を読んだりしている。

 

わたしの幼い頃の書棚に、結構な本がそろっているのに驚く。

フランスワーズサガン、処女作の「悲しみよこんにちは」から晩年のものまで。シェイクピア、トルストイ、ヴォーヴォワール「第二の性」まで。

詩集が意外にあり、ヴェルレーヌ詩集、ゲーテ、リルケ、高村光太郎の詩集があった。ちなみに、「エースをねらえ」の全巻なども。

 

その中から集英社の川端康成のジュニア版をとりだし、「雪国」「伊豆の踊り子」「16歳の日記」「掌の小説」などを、いま拾い読みしている。

 

本を読んだり、書いたりしている以外は、母と買い物へ行き、食事をつくる。洗い物や片づけ、掃除機をかけて掃除をする。あとは母の話し相手になり、たっぷりと。そんな暮らしである。

 

先週の土曜日(6月20日)から、小説の講評を聞くために東京へ行き、Nの部屋を拠点にして、連日、10キロ東京都内をよく歩いた。「かえらないで、もう一日いいでしょう?」と毎朝引き止められ、定期モノの原稿を出したところだからと、4泊5日、東京にいた。

 

そして今度は、母のコロナウイルスワクチンを接種するサポート役として、母のところへ土曜日にやってきて、きょうで4泊目だ。そろそろ家が恋しくなってきた。88歳の母と過ごせる時間も貴重だろうと自分に言い聞かせ、こうしてふりこのように、あっちへこっちへ。

「人に求められているうちが花だから。まあ、せいぜいおったりよ」とパパさんは、ゆったり言う。ありがたいことだ。

 

わたしは、食事をつくることが苦にならない性格なので、もれなく、わたしがいくところには、家庭料理付きというのが、具合がいいようである。

 

今晩の夕ごはんは、アジの南蛮漬け、うのはな、じゃがいもとたまねぎ、長豆、胸肉の煮付け、酢の物。とりたて、ごちそうではないが。こういう家庭の味が誰しも恋しいようである。

 

 

 

 


少女時代の読書について

2021-11-09 13:48:00 | 随筆(エッセイ)








26.「愛と同じくらい孤独」フランソワーズ・サガン(少女時代の読書)|みつながかずみ|writer 
 
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書きたいことと書いてしまうことの距離はどれくらいですか

2021-11-09 13:47:00 | 随筆(エッセイ)






25. 書きたいことと書いてしまうことの距離はどれくらいですか|みつながかずみ|writer 
 
 
 






映画「TOVE/トーベ」を鑑賞。

2021-11-09 13:46:00 | 随筆(エッセイ)






24. 自由への扉を自分の力で開いていく人。映画「TOVE/トーベ」を鑑賞。|みつながかずみ|writer 
 
 
 

 ドライブ・マイ・カーを観た感想

2021-11-09 13:35:00 | 随筆(エッセイ)





母のワクチン接種

2021-11-04 10:19:00 | コロナ禍日記 2021

 

 



(書き溜めていた日記が懐かしかったので、アップしました)

 

6月28日(土曜日)晴れ

 

母がいて、夫がいて、実家で過ごす時間はなぜ、こんなに安息の心地でいられるのだろうか。無意識の中で、わたしは家に一人暮らしをさせている、89歳の母のことが、相当、気になっているらしい。

 

だから、姿かたちが以前と変わらないところを探したりして。

几帳面に台所仕事やゴミの始末など、後かたづけをしている姿をみて、こう安息できるのだと思う。

 

きょうは、母のワクチン接種の日だった。

12時半に到着し、1時半には家を出た。家人(夫)のまわす車でワクチンにつれていき、ほぼ隣に立っているだけであったが母に付き添えて、よかった。

市内の保健所のそばの公民館のようなところで行われたのだが、受付の待機(50人)に始まり、受付、問診、接種前の待機、接種、5分の経過観察、30分の経過観察と。どこも長蛇の行列ばかり、待たされてばかりの接種。肩をだす65歳以上の高齢者たち。そこへ、回転イスにすわり、リズミカルに接種していく医師たち。注射器の針をさすのは、ほんの5秒たらず。あっという間のワクチン接種だった。受ける患者は高齢者ばかりだが、その人たちの表情の中に、子供の時の彼ら彼女らの面影を、わたしは探していた。(これはわたしの最近の楽しみ)

 

副作用が心配されたが、母は痛みも発熱もなく、全く平常と変わらないらしい。偶然にもNの職場接種も祖母と同じくきょうの2時に接種していた。メール(LINE)で知るところNのほうが、腕のほうが筋肉痛で手があがらないしい。微熱もあるとか。

 

 

夜。実家でテレビをみていたら、デルタ株(プラス)が市中感染。日本で37例出ている、という恐ろしいニュース。匂いや味覚異常に加えて、手足の末端が壊死し、切り落とさないといけない症例もあるとか。感染力は2〜5倍、外出先ですれ違っただけで感染することもあると報告されている。

 

 

 

今晩の夕ご飯は、ひらまさのお造り、あまだいの塩焼き、かぼちゃの煮付け、おぐらのぽんず酢、じゃがいもとしいたけの味噌汁、こんにゃくのいり煮。純米吟醸。