月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

うまい日本酒で清められ

2018-11-07 19:14:20 | 大阪ごはん

(先週末。ノマドではじめて書いた日記)

お酒の話をしてみようと思う。
先日。といっても10月の終わり頃。同業種の友達kさんと久しぶりに食事にいく機会があった。

午後からの打ち合わせを3本終えて、待ち合わせの場所に。
途中、メールを入れると「大急ぎで向かっている最中」とあったので、それならとゆっくりとトイレにも行って服装のチェックも済ませ、のんびりと歩いていくと、谷町線の東梅田駅からほど近い派出所の扉の前で、すでに待ってくれていて、変わらない笑顔で迎えてくれた。



「リール食堂」という名の隠れ家バーへ。
まずは生ビールで乾杯。アテには脂のりのよい鯖サンドと生白肝など。
ここは全国の日本酒とともに、稀少なワインを備えているという。










隣のKさんは、実に旨そうに「にいだしぜんしゅ」(仁井田本家)を飲んでいる。



近況の仕事を報告し合うが、プロローグから第1章のところまで。とりたて理由はないが互いに深いところまでは語らない。
仕事というのは日々、変化し、やり方も状況も対峙の仕方さえ、常に動いていくものだ。

彼女も、主軸とする日本酒での媒体やこだわって書きたい内容の原稿をしっかりと書けているよう、とても平和な良い顔で、日本酒をくいくいと飲んでいた。
さすがに気持ちのいい飲みっぷり。


タクシーを捕まえて、福島の「日本酒弘大」という店にむかった。
こちらもKさんのお勧めの一軒。
玄関からの佇まいからして、好きなタイプの店だとわかる。





カギ型のカウンターに、男女揃っての飲兵衛たち、外国人の姿もあった。

最初に彼女に選んでもらったのが秋田の「ラピス」(瑠璃、新政酒造)という日本酒。


なんといったらよいのか。みずみずしくありながら芳醇な酸味があり、果実味(果実ではない米なんだけど)を含んだ白ワインのような味。おいしい!
最初は微弱の酸がたち、飲みすすむにつれて深みが広がる。とてもエレガントで、綺麗な日本酒だった。










こちらは、仁井田本家「穏」。純米吟醸酒。キレのある静かで、おいしい日本酒だ。








Kさん(利き酒師の免許をもっている)曰く、「ここの蔵は無農薬で栽培した米を使うなど、ケミカルなものを一切排除した自然な酒づくりをしている。だから界隈で見かけたら必ず飲む。それが蔵の応援になる」。


酒肴には、ほうれん草ルッコラお浸し。
お造り3種盛り、生ゆばウニ乗せ。

どの料理も店の雰囲気に合う、日本酒と料理が違いを引き立て合う。














帰って原稿を書くことを自分に課していた私は、もう1杯、違う日本酒を飲みたい!という熱い気持ちを飲み込み
ここは、ぐっとこらえて白ワインを注文。(白ワインなら基本は酔わない)
「和牛カツ」と合わせた。これがとても良かった!追加で、おでんも注文した。





今回の再会で一番、笑ってしまったのはこんな1シーン。

私はいつものごとく。一口、もう一口と酒を体いれるたびに、話にだんだん熱がおびてくる癖がある。
今の仕事観の思うところを切々と述べている時、「ほんとうにごめん!もう限界。本当にいい話しの途中で…申しわけない。
でも我慢できない」とヒョーッとトイレに駆け込んでいった彼女。
へ!とキットンとしたが。今思い出しても吹き出したくなる。なんて可愛い人なんだろ、と改めて思った。

こういう飾り気のない、面白い人が好きだ。


満足のいく酒で心満たされ、流暢に会話も弾むので、仕事の話から家族談義へ、テレビの話題、最近読んだマンガの話と、いくらでも続くが。こと、テレビとマンガに関しての情報量は、私のほうが圧倒的に希薄である。

しかし、うまいもの、美しいものを感じる好奇心は共通して持ち合わせている、というところに免じて許してもらい、
また会ってもらおう。

後日談)
この日は結局、夜はできたところの原稿を読んだだけで寝てしまったが、翌日はすこぶる快調で仕事もはかどる。いつもより早くに雑誌社に送信する。

旨い酒に「体が洗われた」のだろうと勝手に解釈している。


変わらないために、変わらなきゃあ。という危機感

2018-11-01 23:28:16 | writer希望を胸に執筆日記







先月は、月の半分は急ぎの案件もなく夏以来のんびりしていた(10月初旬)。

こういった時こそ、日頃書いてみたかった長いものに腰を落ち着けて取り組んだり、今後の長期展望を前につくっておかねばならない資料をつくったりと、やることは沢山あるのに(今こそどう時間を使うかが大事!)
普段つい忙しくて不義理をしていた友達と親睦を深めてしまい、今日はこちらへ、この日はこちらへと、昼間は出歩いてばかりいた(仕事は夜中心)。

そうこうしていると、仕事の依頼が、1つ2つ入り、アッという間に2ケタほどたまり12月までのスケジュールが埋まっていく。

最近ふと思う。
できること、面白そうなこと、ちっと無理かなとも思うけれど背伸びしてやらせてもらうこと。時間さえあれば必ずできるが、とりたて私でなくとも良いのではと思う案件。
依頼が重なれば、時間がなくて良い仕事にならない、というのも先方に申し訳ないのでお断りすることも…。

けれど、その「ものさし」って自分の場合は何だろうか。
「早いもの順」ではなかったか?

フリーランスになる前の会社勤め時代が長かったせいもあり、仕事をふるいにかけることがどうも苦手だ。

広告会社でのコピーライターの頃は、上司にわたされた案件はイヤだろうが安かろうが、悩みまくるほど難しいものだろうが、面倒くさくあろうが絶対に受ける義務があった。自分のネームなどこだわることもなく、匿名案件があたり前。会社のため、チームのため、自分の居場所をこしらえるためにいつも必死で働くのがあたり前だったから。

一見は都合のいいように使われているようで、実は都合のいいようにクライアントさんのお仕事をさせてもらう、のがフリーランスになってからのスタンスだったけれど。
そろそろ年齢も年齢だし、この先どんなものを書いて人生を全うするつもりなのかを先読みしながら仕事をしていかないと、とも思う。(あなた何歳のつもりだ)

いつも思っていたのだ。空の上のお方が采配してくれているから、私がそんなこと心配することもない。いただくものをその時々の都合で取捨選択してしかり、だと。なぜなら、今月はもうこれで十分!と思ったらピタッと止まり、そろそろ新規案件が来る頃だな、と予感すると同時に仕事が舞い込むことも、「思ったらそのとおりになる」ことが非常に多くあるからだ。
なに、自然でいれば良いのだよ、と腹をくくっていた。

けれど、いよいよ「直感」と「長尺」で采配していく必要があるのかもしれない。





先日書かせていただいた記事のなかで、クリエイティブディレクターの方の仕事現場と企業ブランディングについてご紹介させていただくものがあった。

その方は、企業のCMから、商品開発、広告、パッケージデザイン、webデザイン、イベントに至るまでトータルデザインを得意とされる方である。その方はこんな風に話されていた。


昨今。ネットが経済の中心を担うことで、消費者の購買行動も多様化している。そうした背景の中で選ばれる価値とは、個々の個性を競い合う仕事ではなく、「同じ思考に基づいてつくられた一人格(One personality)のデザインを、金太郎アメみたいに、多層に生み出すことが大切」。

一気通貫してデザインを整えていないと、お客さんは価値ある魅力として記憶に留めておくのが難しい」のようなことをいわれていた。

彼は、そのOne personalityの仕事を生み出す時には「その商品がどういうことを願って生まれた商品なのか、世の中に対してどんな立ち位置で、どんな役割があり、どこが他と違うのか」と自分にインタビューしていきながら1つの人格をつくりデザインに込めるのだそうだ。


「世の中はどんどん大陸のプレートみたいに動いていて、今この瞬間から古くなっていくのが現状です。みんなの意識の中に深く浸透し、魅力を打ち打していくには、変わらないために変わらなきゃあいけない」


書きながら、ものすごく附におちた。

私は有名クリエーターさんや起業家の方や企業の広告宣伝の方の記事を定期的に書かせてもらい、人生の種まきから咲かせ方、みたいなものを教えてもらい、ハッと開眼して、それらを記事にさせていただくのだが。一度、大海に放ったなら、すぐに次事に、心がうつる。

そうやって沢山忘れ、沢山かいてきた。

でも、今、自分に残しておかなければならない。そんな言葉と出会った。

「クライアントのお金をつかって、自分の作品づくりをしてはいけない」
「ひとりの人格をつくるように、モノをつくる」
「変わらないために、変わらなきゃあいけない」


なにもデザインだけではない。言葉とて、そうだ。
「文体」。
文字にする言葉。書かない言葉も、同じくらい大事。
時に、気まぐれに、気分で、ものを書いてはいけない。
自分を、いつものあるべき環境(空気の中)で書けるように準備すること。
いろいろ、頭では理解しながら、それでも。

ずーっと同じ調子で「変わらずに」この道で生きてきた気がする、それも随分と長く。

いろいろ思う、新しい暦の月に。