月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

「戸惑いの89歳 スマホデビュー!

2021-02-24 10:45:52 | 随筆(エッセイ)
 
 
 


 

 

「ただいま」

 

声をかけてみたが返事がない。玄関で靴をぬいで廊下を歩いて台所へ行き、居間、奥の仏間に入っても気配はなかった。あれ、どこへ? と思った瞬間に、レンガ色のセーターの背中がぬっとみえた。

 

縁側で、その人は、橙だいだいの木をみていた。冬の終わりの弱々しい日だまりの中にいた。

 

こんなに、小さな人だったっけ。

 

背中の小さなその人は、わたしの幼い頃と、とてもよく似た微笑み方で縁側からわたしのことを見上げていた。母のことだ。

続きはこちら。↓

 

戸惑いの89歳、スマホデビュー!|みつながかずみ|writer|note

「ただいま」  声をかけてみたが返事がない。玄関で靴をぬいで廊下を歩いて台所へ行き、居間、奥の仏間に入っても気配はなかった。あれ、ど...

note(ノート)

 

 

noteで、エッセイを、書くようにしています。「こと葉の蔵」と「こと葉の舟」に乗せていきます。

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コロナ禍日記 AGAIN 

2021-02-22 23:56:06 | コロナ禍日記 2020
 
 
 


 
 
 

2020年 8月30日(日曜日)晴

 

きょうから、papaさんが9日間の出張で不在だ。

ほっておいたら、おそらく締め切りの仕事ばかりしてしまうのが惜しい。せっかくの機会なのだ。短編1本くらい十分書ける時間があるのに。まず。遅くとも11時までには寝て、朝は早く起きて規則正しく、うつくしい家に暮らすことを目標にしたい。

 

この日は、昼の3時くらいまで書きかけにしたままの原稿を書き、4時半から夜中の12時半まで特集の記事を書く。その間、安部首相の情報や退陣後の次期総理のゆくえが気になり、Twitterをみたり報道関係の記事を探ってしまう。おそらくネット記事を読まなければ、1時間半は早く寝られたのではないか。

 

いつも、ヨガや瞑想、朝のお風呂や短い文章を読む時間、書く時間のほか。依頼原稿に入り出したら、全くなにをしていたのか気がつくまで心が現実にいなくて、あっという間に時が過ぎてしまうので、それまでの細切れの時間も大事にしていきたい。

夜ごはんは、鮎の塩焼き、島とうふとタマネギや豚肉、粘っこい糸をひく葉でチャンプル。レタスとトマトのサラダ。焼酎の水割り。

 

1時前に就寝。

 

 

 


白一色の田園にポツンと。「出西窯」のギャラリー工房

2021-02-10 19:52:00 | どこかへ行きたい(日本)

 

 

1月8日(金曜日)

 

車窓からの雪は、極寒の風に吹きあおられて増え、舞いながらさらに生命が生まれていくよう。やがて一面が雪だらけになった。

 

出雲から松江方面にむかって車を走らせ、斐伊川を越えたら、のどかな田園風景が続いていた。

お目当ての出西窯は、日本家屋風の思いのほか小さな工房だった。「スタッドレスタイヤを履いてはいるが高速道路が立ち往生になるといけないから、早めに切り上げてね」

と、パパさんに念押しをされて、ギャラリーの戸をガラガラーッと横にあける。

 

「用の美」。日常の暮らしの中で育て、惜しみなく使って生かす手仕事の美しさをいう。こういった民芸が好きで、河井寛次郎記念館や大山崎山荘美術館や、東京の日本民芸館など、機会があるたびに訪ねてきた。

 

だから「出西窯」を訪れるのが楽しみでたまらなかった。

(平松洋子さんの出西窯を書いたエッセイをどこかで読んでいたのも影響していると思う)

 

 

 

 

ある書物によると、出西窯の作家たちは安来市出身の河井寛次郎に指導を受け、その繋がりから柳宗悦や濱田庄司、吉田璋也、イギリスの陶芸家バーナード・リーチらと交流し、大いに影響を受け、用の美とはなにかを教わったとされていた。

 

そんなことに思いを馳せて、一階を一周まわり、二階もぐるっとまわって、眼を慣らしてから再び一品一品を丁寧にみた。なるほど想像していたものよりもシンプルな品が多い。作家のネームは書かれていない。それで、出雲の土や色に注目してみた。

手に持って馴染むかどうか、口を付けたときに柔らかい入り方をしているか。色は、かたちは、佇まいは。何をどう料理に使おう。テーブルに盛った時のイメージや料理のことに思いめぐらせるうちに、だんだんと楽しくなってくる。

器とは、ある意味、着物のようだという人がいる。人を、料理を、ひきたたせるという意味なのだろう。絢爛すぎる色は、素材を選ぶ。そういった意味で、最初にまわった時には鮮やかすぎる瑠璃色の器は敬遠しようとしていた。むしろ、白磁や黒に振ったほうがいいと。

 

ただ、家に帰ったらやはりこの「出西ブルー」が恋しくなるのではと思い、灰の色を器の縁のところにめぐらせていた「縁鉄砂呉須釉皿」の7寸とスープボウル、それにブラウンの砂糖壷を購入した。

白の塩壷はもともとBsshopから購入して持っていたので、これでペアが揃ったわけだ。

Nは渋めの黒のモーニングカップを買っていた。






この流れで出西窯と同じ敷地にある、ベーカリー&カフェの「ル・コションドール」へ行く。ここが、とても良かった。コーヒータイムとするには、あまりにも居心地がよく、コーヒーがおいしく、パンを数種購入したほか、ランチやケーキまで頂いた。料理もレベルが高い。大満足!

 

 

 

カウンターからむかって正面(山側)には、大きな窓を借景として、木々や屋根に白雪がふわりふわりと降り積もるさまが存分に臨め、美しい。おまけに、この後Bsshopで黄色とピンクのセーターなどもみた。

 

松江にも立ち寄りたかったし、出雲蕎麦にも惹かれたが今回はこれにて退散。

 

 

いつのまにか、周囲が見えないほどの猛吹雪に。みるみる田園や山が真っ白で、長靴一杯分はゆうに溜まった。

 

大山連山や蒜山高原では、休憩途中に雪投げをする。町のどんな屋根も、花片のような薄雪が軽やかに舞い降りて、やがて重く一面を覆い尽くし、空気ごと白にたちこめていく。

 







 

 


’2021年「出雲大社」吹雪の中のスピリチャルな参拝

2021-02-03 10:10:45 | どこかへ行きたい(日本)
 
 


 

  

1月7日(木曜日)暴風、風雪のち粉雪

 

奥の部屋のエアコンが付きっぱなしになっていたので夜中の3時に起きて消した。それからトイレに行ったり外を見たりとしたせいで寝付かれず、うつらうつらしたところで外が白んできた。

 

あいかわらず風は強い。6時半。

カーテンをあけたら、薄っすらと屋根や電柱に雪が積もり、ゴーゴーと風が吹き荒れ、細い雪が斜めに降っていた。まだまだ強くなりそうだった。参拝ができるのか。だんだん心配になってくる。

 

朝食前にお風呂に立ち寄る。熱い湯に浸かりながらも窓ガラスのむこう、舞う雪ばかりをみていた。竹はあいかわらず揺れまくっていた。

 
 

昨日のダイニングで朝食。白酒の食前酒のあと、おせち風のお膳が並ぶ。だし巻きがおいしかった。

丁寧につくられた食事をゆっくりと時間をかけていただいた。

 

 

9時。外へ出るのを躊躇する大風だったが、勇気を出して「竹野屋旅館」の玄関を出る。

 

 





 

 

正面門まで2分ほどだが、まっすぐ歩けないほどの強風。大丈夫? といいながら皆で身を寄せ合って進む。

 

 



 

鳥居をくぐると、なんと!立ち入り禁止の札にロープがしっかり掛かっている。先に行くな!といわれているよう。

大ショック!

 

せっかく、参拝のために宿を予約したのに。残念で諦めきれない。Nがしきりにネットを検索している。

出雲大社の隣「古代出雲歴史博物」(展示ディスプレイ)の案件を担当したパパさんが、「出雲大社の裏門を知っている」というので、Nと一緒に腕をからませて付いて歩く。が、そこも閉鎖。無理か。諦めかけていたところ、Nが出雲大社の社務所へ電話がつながった「裏の○○からなら入れるそうよ」と。どうやら正面門は松が倒れてきたら危険なので、閉鎖したらしい。

 

ほっと安心して裏へまわる。猛吹雪の中、出雲大社の境内へ。

するとこれが不思議だけれど、風がやんだ。後ろに控える八雲山が盾になってくれているのだろう。そればかりか雲間から光が差し込んでくる。信じられない現象だった。

 

手を洗い、御仮殿(拝殿)に。総檜造りで屋根には銅板を拭く、質素で古式ゆかしき拝殿(昭和34年に建築)。御本社をのぞむ。大社造りとよばれる日本最古の神社建築である。

 

 







 

ただ、そこでおしまい。真後ろの素鵞社(そがのやしろ)まではお目にかかれない。ロープが張られもう先には行けなかった。それで、遠くから、柏手を4つ叩いて参拝。最後に神楽殿までいく。また再び本殿を仰ぎ、出雲大社を後にする。

 




 

出雲大社を司る大国主大神様は、目に見えない世界、そこに働くむすびの御霊力によって人々を導いて下さる神さまだ。

 

小さい頃に父母と参拝した思い出も深いが、私にとってはもうひとつ。2017年の宣伝会議「わたしの広告論」という連載ページで、銅版画家の小松美羽さんのインタビュー原稿を書かせてもらって以来、特別な神社として自分の中に深く刻まれていた。(3年越し)

 

小松さんは、神様の使いとされる神獣の自由闊達な姿ほか、「生死観」をテーマにした独特の画風が特徴の現代アーティストだ。2013年には出雲大社に絵画「新・風土記」を奉納されている。一カ月以上も出雲に滞在されて絵を描き、いろいろな神社をまわるうちに「死生観」が変わったとおっしゃっていた。

「出雲大社の神在祭に正式参拝(2013年)して、お庭まわり(神社参拝)をしていたのですが、突然にパーンと光が差し込んで本殿に当たったのです。それが光の加減なのか何種類もの彩を重ねたような鮮明な彩が私の目に飛び込んできました」。

 

小松さんはそれまで前世や魂が肉体に入るイメージを、ピュアな光を連想させる白で表現されていた。

黒は人間の業を清算する意味合いによって地獄を表す色だと思い、筆を握ってきたそうだが、出雲大社で見た色と光の織りなす不思議な世界にふれた瞬間から、「生きている人の魂や生き方には必ず彩がある。それを表現することがあの世とも繋がるのではないかと考え、ダイナミックな彩を幾重も重ねる着色技術に踏み出すきっかけになった。宇宙とつながった」と仰っていた。

 

 毎日、本殿近くの社に参拝するうちに、とてもスピリチャルな世界を目でみた、とも言われ、わたしは彼女の声を耳で聞いて文字の中に織りながら、真夜中にぞくぞくっとしたことを覚えている。冷蔵庫やダイニングテーブルや背後で、暗闇からみられている気配を感じた。そして、出雲に行ってみたい(子どもの頃はよく覚えていないので)とずっと焦がれてきたのだ。

 小松さんは、それからインドやイスラエルなどの聖地を旅しては宗教を学び、瞑想されたという。

 

出雲大社の門を出ると、再び、激しい雪が舞い始めた。白いきれいな雪だった。青い松が音をたてる。寒さと風を背に受け、押されるようにして参道に行く。土産物屋へ逃げ込む。そこで「立ち往生にならないうちに早く帰りんさったほうがよいですよ」と店のおばちゃん。

お世話になった竹野屋旅館を後に、出西窯まで車を走らせた。