月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

金木犀が香る秋は、ウォーキングに絶好の季節!

2014-09-30 23:41:38 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)



昨日、ある人とメールのやりとりをしていて、「わたしは弱い人間です」(これは一部、その他の内容に感激したのかもしれないが)と、
あまりにストレートな物言いと内容に、逆に感服してしまった。
そこで、ハタと気付く。そういう私だって
じぶんは弱いなぁ~。忘れたころに、よくそこにぶち当たるのだと。

これまでも時々、弱さを乗り越えるため「壁」にぶち当たったし、これからも、何歳になろうと壁は全く消えてはくれないのだろうと思う。
人間とは、誰しも強くあろうとはするけれど、本質的にな習性として強くは生きにくい、ものなのかもしれない(と最近思ったりする)。

じゃあ、じぶんを少しでも強くするためにどうするか。(そこが肝心)
自分に衝撃を与える良いものを読み、
自分が美しい!と感じられる良いものたちと暮らし生活に刺激を与える。

あえて立ち向かう「好奇心と勇気」をもつ。
(精神が強くないと、いい原稿など決して生まれないと書くたびに思う)
そして今。私がひそかに挑戦しているのは、しなやかな強い肢体をつくろうとすることである。時折のヨガと日課とするウォーキング。
9月初旬。健康ウォーキングの取材で、とある先生と出会った。そこで正しいフォームとともに、なぜウォーキングが健康にいいのか、ということを
ていねいに教わった。取材というのはすばらしいね!



まず、ウォーキングのフォーム。
肘は軽く曲げ、背筋はまっすぐ。その際に、できるだけ足を遠くに出すようにすると、自然に膝が伸びるそうだ。膝が伸びると歩幅が広がる。
着地は、かかとから。つま先に重心を移して踏み込んで、反動で地面を力強く蹴る。
腕の降りは、後ろ肘を注意して、勢いよく振り切る。すると、けんこう骨が刺激される。

また下半身の筋肉を鍛えておくということは、総じて疲れにくくなり、脳が元気になるのだという。
(歩くことで、大脳神経に直結している足の筋肉の緊張線繊維をつかって、脳細胞を刺激するから。足裏からの振動は脳に酸素が行きわたり、良い閃きも生み出す。

老化は足から。この原理も、人間の筋肉の3分の2は下半身に集中。足を動かすことはすなわち、下半身と連動している上半身の筋肉も動かすことに繋がるのだ。

9月初旬から、できるだけ大股で歩いて街を闊歩!
歩けば風景がよく見える。
夏から秋、そして冬へと。季節も折り返し(というか、あと3カ月)。
この時間をどう組み立てるのか、歩くことで(耳からは音楽を聴き)物事もよく考えるのかもしれない。







恋バナ三昧の日々。

2014-09-25 12:41:19 | 今日もいい一日





(写真は、9月の京都で。小中学時代の友人に激写されたもの)




最近のわたしは「恋」にうつつを抜かして困ってしまっている。
え!あらまぁ。「恋」ですか。
そうですよ「恋」なんです。もう愉しくって、ハラハラして、夢中なのです。
白昼夢、彼の言葉を想い返せば、うふふと胸がときめき。
彼のなさった行動が心に沁む…。想像を超えて妄想の世界へ。遠い所へいっちゃってます完全に。




と、いっても娘のNの恋バナのことだ。

もうアホすぎて。これは病気だ(私のことです)なんとかしなければ…。理性を保たなければ。
これ以上、はまれば私自身、支障が出るわ。


8月後半から9月は仕事も立てこんでいるというのに
昨日も深夜遅くまで、カチャカチャとパソコンを叩いていたら。
デートから帰ってきたNが上機嫌で私の腕をつかみ
寝室へと誘い込むのである。そう私の寝室へ。


寝室は、リベコ(LIBECO-LAGAE)ホワイトのリネン1色。
赤のランプと鏡台しかないガランとした空間である。
そこへ、ダウンライトの照明だけにして、聴かされるのである。一部始終を(といっても、健全すぎる間柄です)。

Nは今日1日あったこと、ささいな会話の断片を全部きれいにおさらいしてくれて、
スマホで撮影した写真をこれまた全公開してくれる。
家を出てから帰ってくるまでの時間を延々と、延々と細かく聴かせてくれて、90分……!!
今日なんゾ、「そんなに受けるのなら、今度会話を録音してきてあげようか」と言っていた。

そして、Nが自分の部屋へ消えるや、(ハッ!)と我にかえった私は深夜2時半から、1人机に戻って40分くらい原稿を書いて寝た。(もう、明日にまわしちゃえ!て)
いや、正確にはベッドに入った。
しかし…、興奮して眠れないのである。気持ちが高ぶってしまっているのだ。



一体どんなお話?
いや、まあ、限定の人と交際しているわけではなく、
ある殿方と3回デートをしただけ。毎日ラインでお話されているだけ。
(だって、英語でお互いを褒めあったりするんだもの)
(写真を送る時も、物語的にお話を展開しながら写真を貼るんだものなーー)
そうなんだけど、その一部始終が実に興味深く、奥深く…。

しかも、20歳の大学生事情。サークル事情。
どういう人がいて、こんなワケで、こんなこと言って。
この人とこの人がこんな風につき合っていて…と。写真付き、解説付きなわけなんです。
私とて、文を書いたり読んだりする人。自分でいうのもナンですが、
人一倍の「物語体質」なので、想像の翼が膨らんで、はっきり言って、小説を読んでいるより、リアルでワクワクするのは当然…。
ましてや、自分の娘のことですから。その後、どうなったのか、どう展開しているのかが気になって仕方ない。

しかし、問題はNったらです。
なぜ、そんなに親切ていねいに母にぶちまけるのかと、不思議な気持ちもあったりするのです…。 はて?なんででしょうね。
そういえば、先日、おデートをされた殿方が言われたそうです。

「僕は、こんなに純真で素直な子とこれまで会ったことがなかった。
どうしたら、こんないい子に育つのか。こんなに可愛らしいのか。
お母さんに会って、どうやってこんないい子に育てたのですか、と聴いてみたい。
お母さんってどんな人?お父さんってどんな紳士?」

と、言われたそうなのである。
あら、お恥ずかしい。でも、その質問をはたと胸に手をあてて考えてみました。

思い返せば。お腹にいた頃から、●●ちゃんとすでに名前は決めていて
妊娠3カ月頃からずっと、ずっーとお腹の赤ちゃんに話しかけておりました。
そして、いっつも。お腹の赤ちゃんに自分が見た世界を聴かせ、音楽を聴かせ、物語を聴かせ…10月10日。その幸せだったこと。
お腹に赤ちゃんが宿った途端に、私の人生は魔法のエンジェルがお腹に入ったみたいにワケもなく幸せで、不思議でした。

そうやって晴れて誕生したら、それはそれは目の中に入れてもいいほど可愛くて。
いっつも笑いかけて、お話して。本当に「可愛いね。可愛いね。いい子だね」といいながら。
今だにです、お恥ずかしながら。長年勤めた会社まで退職しましたわ。

学校に通うようになると、何があったか、どんな風だったか。
仕事が忙しくてもお話を聞き、
まあそれが愉しくて、おかしくて私としては実に貴重なひとときであったのですよ。

だから、小さい頃から、いつ誰それと誰がね、と私にていねいに話しをしてくれるようになりまして。
そのたびに私がすごくうれしそうに聴くものだから(新鮮すぎて。おかしすぎて)、
中学 高校時代も、男子の誰それがこんな面白いことをした。
あんな愉しいことを言った、
そして、みんなを笑わせたのよーーと。
ティーンエイジャー達との「今」の事情、「今」の話題、
普段聴きたくても聴けないものだから。ごはんのたびに、よく聴かせてもらいました。

そうやって、のびのびと。幾とせ、なのであります。
そんなこんなでありますから、娘のNはごく普通の20歳の女性としては、ちょっと欠陥もあるのかもしれませんね。
母と父に叱られた経験が、ほんの一握りですから。
すくすく、のびのびと自由に成長していくと、あの子のような怖いものしらずの、ちょっぴりわがままな。めちゃくちゃポジティブ思考の、ハッピーの塊のような子になったのです。

はっきり言って、自分が感動したものは見せ、
美味しいと思ったものは味わせ、
大人な場所へも連れていき、本物を見せて。


よく言いますよね、「可愛い可愛い」
「あんたは凄い」とかいえば、本当に「可愛く」なっていくのですよーーと。それを実践していたんですねーー。

まぁ、これは余談ですが、私の母という人は、非常に厳しい人だったもので、「あなたはダメだ、あんたは愚図だ」といわれて大きくなり、いつ叱られるかびくびくしてばかり。
(その分、父が母の分まで甘やかしてはくれましたが)
私はいつか親になった日には、そんな風に自分の娘の重箱のスミをつつくようなことだけはしまい、と誓って生きてきたのであります。


ま、そんなことで。多いに脱線してしまった、恋バナの話でした。
今、Nは大学に入って、相当にもてまくっていらして、いい気になっていらっしゃいます。なにせ、明るくポジティブなものだから、いいことばかっかりの連鎖です。

で。ある男の子は彼女を、まるで「クラッシャーだ」(男性を虜にしては破壊していく女の子のこと)というようです。
Nを取りまいている男性は、かのK大学の優秀な男子ばかり。
ある殿方とは最近親しくなって、おデートなさりながら、
それでも、本音で語り明かすボーイフレンドから先輩まで、映画の話しをする人もいらっしゃるみたい。
20歳前半の男女の機微、心の揺れ、人との接し方、かけ引き。「すごくピュアなのであります」特に男子が。
こちらまで心が高揚状態!です。

パソコンを叩いていながら、フッと心がそっちに向かうと
妄想状態が加速して、1人で赤くなって笑っております。

ま、今のところ楽しみつつ、ちょっぴり心配しつつ見守るしかない(嫁に行ってしまえばガクッと寂しくなるだろうなぁ)。


ほんまに、時々、誰かにぶちまけたくなる話、満載なのであります。
そして、最近の若い草食系男子、なかなか骨ありますよ。

すごく紳士な奴、見込みある奴、ユニークな奴。

薄汚れたおやじのように、毒舌もはかないし、打算もすくない。

意外と昭和な古風な子が多いですね。
皆さん、勉強ばっかりしてきた方々で。ある意味世間を知らないし、そういう意味では、すれていないです。
男子ばかりでつるんで、どんな研究をし、どんなものに興味をもって、下宿生活をしているか、というのも。
自分の時と比べると、懐かしくって仕方ないです。

ま、そんな心の広い、ぬくもりいっぱい、恥じらいの男子に比べて、女性は…怖い。
Nでさえも、キラキラの笑顔をみせながら、しっかりと観察していることしきり。
今日も言っていましたよ。
「だから、いい人すぎて、ひねりがないのよ」って!(ああ、、、申し訳ない。叱ってやりましたが)

ま、深入りしない程度に。これ以上はいりこむと原稿も進まないので。
ほどほどにはしておきますが…(笑)
あまり火をつけて、やけどさせてもよくないですから。

しかし、子どもを授かるということは、人生が2度楽しめまする。
幼児期から思春期まで。その子の心の目になってやることで、
こちらまで、ときめかせていただいている毎日なのですから。
春夏秋冬の行事から、受験期から、大学生生活、イギリス留学と。疑似体験させてもらって、ありがたいことです。はい。


当の本人は平成女子なので、意外と淡々として、
しれっと、してはいるんですがね。はい。困ったものなんです。
ま、いろいろを隠し始めた頃から本当の恋がはじまるのかもしれませんわね。







秋のドライブ。「福井県小浜市」へ行ってきました。

2014-09-19 20:46:54 | どこかへ行きたい(日本)



少し前の話になるけれど、直近の3連休のことを。
9月。この連休も仕事漬けにする予定だったが、そのうち1日は若狭までドライブした。

「若狭へ行こう」!そういわれても最初はピンとこなかった。若狭って何県?そんな塩梅だ。

たずねたのは、福井県小浜市。
「秋の海はきれいに見えるし、それに今の時期は「ぐじ」が旨いよ」、という言葉を聞いて、ちょっぴり行って見たくなり、家族3人で出掛けた。
1本仕事を途中でほったらかして。


若狭おばまお魚センターへ。
ここは、水揚げされた新鮮な魚介類がトロ箱に沢山積まれていた。
前には道の駅的な物産店が建ち並ぶ、お買い物スポット。
この日は、「ししゃもの玉子ときくらげを合わせた常備菜(昆布)」「おぼろこんぶ」などを買った。

昼は、市場のなかにあるお造り類がおいしい店で。
魚介類のお造り定食や海鮮丼が市場価格でいただけるという。
写真は、1400円。お造りがナンと6・7種盛られていた。





隣のウニ丼を美味しそうに食べているおじさんを、さりげにのぞくと、これまた羨ましくなる。
淡路島で食べたウニを箱詰めにした寿司屋を思い出す。



そこから、「福井県立若狭歴史博物館」に。





ここはパパが展示設計などを統括し、最近オープンした施設らしい。
普段は自分が担当した案件など、あまり連れていく人でないのに
(仕事の話は一切しない人)不思議だなーーと思いながら付き添うと、館内に入ってみて、なるほど、と思った。




「若狭のみほとけ」の常設展示には、木造阿弥陀如来、千手観音菩薩など、主に平安時代の仏像がていねいに展示されていて、なかなかの見応えである。
仏像の美しさを引き出す照明など、奈良の興福寺国宝館の展示を少し参考にしたのだという。





そのほか若狭の祭と芸能。王の舞と村々の神事。
室町時代や江戸の舞面が厳粛なまま、ユーモラスさも交えながら展示されていて、じっくりと見入ってしまう。





奈良時代に若狭が塩の大生産地であったこと、
サバ街道の起点としての道筋や
遺跡や木簡、書、絵など…。
古いモノたちから漂う圧倒的な力にただただ感心しながら、吸い寄せられ、アッという間に1時間半。
自分が歴史をくだってしばしのタイムスリップしたような心地に。
想像以上に愉しめた歴史博物館であった。








そういえば、奄美大島の自然史系やら徳島の人形浄瑠璃やら、坂の上の雲ミュージアム、滋賀の琵琶湖博物館…
ほんの15年ほど前はパパが展示設計を担当した博物館をちょっとだけ訪ねて、その界隈を旅行したもの。
幼稚園くらいの娘のNのそばには、祖母が傍らにいた。
昨今は、新神戸の「竹中大工道具館」がオープンしたとか。



夕日の沈む前には、「エンゼルハイウエイ」へ。

せっかくなので、最上の展望台まで上がる。
車をどんどん上に走らせていると、街が遠のいていって、
ちょっとだけ飛行機に乗っている気分に。
若狭の9月は紺碧の海。陸の形状が緑できれいに縁どられている。
肌をさす風が冷たい。海は寂しかった。








夜は小浜の放生祭を見物。生き物の命をいただいて生きてる私たちが、その命に感謝し、おまつり(捧げ奉る)するものらしい。










地方のお祭りって、懐かしくって、ほわっと生ぬるくって。
雑誌「太陽」の1頁1頁を眺めているよう。
そんな不思議な感じがある。
目につくのは、浴衣姿のティーンエイジャーたち。

無垢な顔をして男女で連んで、少し照れながら、ちょっと突っ張って。祭を歩いている光景をみるのが非常に愉しい。
地方の子どもたちは都会の子と違う。
映画のセリフでも吐いてくれそう。
無邪気で危なっかしくて、均整がとれていなくて。
じっと目をこらして見てしまう。会話を聴いてみたくなる。
なぜかな、小さな希望や情熱みたいなものが、まだまだ開いていなくて。どこかに何かを隠し持っているような、そんな佇まいに見とれてしまう。

小浜のお祭りでは、回転焼きと日本酒を購入した。
奧越前 名水仕込み、純米酒・米しずくと書かれたあった。
花垣有限会社のお酒だった。


ステンドグラス製ペン立て&ランプの贈りもの。

2014-09-15 10:29:13 | 今日もいい一日



先日、取材に行って人物インタビューを終え、帰ろうとしていたところ、
「これ。私がステンドグラスにはまっている、という話をしたら、欲しいな、とかおっしゃっていたので作ってみました」
と、お世話になっている会社(メーカさん)の専務取締役から、手渡されたものがあった。
それがこちらの、ステンドグラスのペン立て&ステンドグラスのミニランプ。






私、厚かましく欲しい!なんて言ったんだわ、と赤面し、頭を何度も下げ…下げ…。受け取った。
ありがたくも、手作りしてくださったのだという。

この贈りものの主は、ダンディーで素敵なおじさま(取引先の方なので、こういういい方も失礼ね)
70代半だと、確かおっしゃっていて、もう椅子から転げ落ちそうなくらいビックリした。
失礼ながらその年齢で、よくそんなにアクティブにお仕事ができるな~といつも頭が下がる思いでみている、尊敬している方だ。

会社の調整事からお客様の対応、クレームなどを一手に引き受けて、販売促進などツール一式の窓口まで担当していただいている。
柔和でおだやか。仕事は丁寧だし、誰に対しても何に対しても、自然で、(わざとらしいところが全くなく)、温かい対応をしてくだっている方だ。
こういった性格の役員というだけでも奇特だと思うが、
(それでも会社に1人や2人は、いらっしゃるかしら)。

驚くのは、その方の変わらない好奇心というか、
子どもみたいな「挑戦力・冒険心」のようなところに、私はすごいなー!!といつも惹きつけられてしまう。
仕事面ばかりでなく、趣味のほうも多彩なのである。

心理カウンセラーの勉強もされているし、
写真を趣味とし、あちこちの山々や花々を撮影し、
それらを1つのツールに落とし込み、「みてください。こんなところへ行ってきたんですよ」とデーターで送ってくださるのだが、
映像ツールで独自に編集されていて、(タイトルや音楽をつけて、映像の本のようにしている)出来映えが素晴らしい。
以前にいただいたのは、「京都のサクラ」というシリーズだった。

自身のブログは公開されているし、
新しいゲームなんかも、空き時間に次々クリアされているようだ。
それに、何よりも。愛妻家。
冬はおせち料理をつくり、家族にふるまったりされている。

昨年の出張の時だった。
この時は東京の出張でご一緒したのであるが、
今回の取材対象者である、社団法人○○協会の総務部長とも信頼関係を築いていらして、冗談をまじえて会話し、完璧にエスコート。
おまけに東京の名所やお店へも案内。
取材が終われば、私達、製作チームにビールやおつまみやらを買ってくださって「どうぞ、どうぞ。お疲れ様でした」とねぎらってくれたあとで、
自身は新幹線の後部座席へと移動し、
パソコンを手に、
数百件ものメールの返信をちゃかちゃかと済ましておられたのである。そして30分後、なにげなく製作チームに加わって
一緒にビールを飲みながら新大阪まで、談笑しながら帰ったことがある。誠にスマートな人なのだ。

まあ、書けばきりがないので、ここらへんで止めておくが、
その物腰の柔らかさに感服している。



その専務取締役から、
「最近、ステンドグラスを習いはじめましてねーー。遅い時間まで作っているんですよ。この前は、ささやかな展覧会にも出品しました」という話しを直接聞いた私は
おそらく、「素敵ですねーー」と目を輝かせてステンドグラスの話しを興味深く伺ったように記憶する。

何といっても神戸でステンドグラス作家、森本康代さんをインタビューした記憶を懐かしく想い返しながら
あれこれ質問したりして、話しは少しばかり弾んだはず。

でも、そのひとときをキチンと覚えてくださって。私用に自作のプレゼントをしてくださるとは。いたく感激した。
「有言実行の人」なのだな、と。
改めて、その方の人なつっこい。子どもみたいな笑い顔を思い出した。

思えばこの会社とは、すでに9年になるお付き合い。
会員向けの会報誌やら、ポスター、パンフなど販促関連一式を発注してくださっている、メーカーさんなのだから。(代理店が1件はいっている)お客様。こちらが気を遣わないといけないのに。
いつも食事はごちそうしてくださるし…。大人。
自分も、そんな気持ちのよい年齢の重ね方をしたいものである。

さて、小さなランプ。先日、夜のひととき。
読書の時やワイン&日本酒などを飲む時に点けてみた。
いただいた時には分からなかったのだが、ピンク、紫、ブルー、オレンジ、緑とランプの色が次々に変化するのだ。
小さくて、頼りなげな、神秘的な光。とりどりに変化する光をみていると、なんだか安心する。
ロマンチック。

それに赤いペン立て。
情熱の色「レッド」をメインカラーに選んでくださって、うれしかった。
光があたると、またレトロでいい赤に輝いてくれる。
対面は「グリーン」。これがまたいい色。このペン立てをものすごく気に入ってしまった。
人の手で作ったものというのは、たまんない。その方の人柄を知っていたら、なおさらである。

赤い色をみていて、ふとこんなことを思い出した。

「あなたの、この小さな体のどこにこんなパワーが秘められているのですか。めちゃくちゃ情熱を感じる文章ですねーーー」

小さな広告プロダクションの女性オーナーに言われたもの。
いつも自分ではよくわからないのだけど、確かに一生懸命書いたら、結果、そうなったんだ。それは良かった!と淡々と思ったのを覚えている。
今も、お元気にされているのだろうか…。
そして。今の私の仕事にも、同じようにそういった言葉を、かけていただけるのだろうか。
私はあの時から。ちゃんと、1歩1歩、高みを目指して歩いているかしら。と、ふとそんなことを考えた。

「群れず、頼らず、侮らず」。これは受け売り。でも心に響く。


赤いペン立て。 いい色だな。緑が効いている、と今日もぼんやりと眺めながらそんなことを、思う。
ありがとうございます!

突然のうれしいプレゼントのお話でした。

嵯峨野への小旅。シメは、うなぎ廣川で。

2014-09-11 18:06:59 | 京都ごはん


(前の続き)





うなぎ「廣川」は想像どおりの良い店だった。
天保年間(江戸の後期)、埼玉県熊谷市で創業したうなぎ屋「廣川」ゆかりの店という。

数寄屋造りの1軒家。
元は京都市内にあった評判の店が、嵐山に移転。
江戸前のうなぎを昇華させて、紀州備長炭をつかった技法と秘伝のタレで、
注文をうけてから職人が1尾1尾、じっくりと焼き上げるのだという。

この日、嵐山の夏みどりを満喫するために、
嵯峨野路を大覚寺から、祇王寺、あだし野あたりまで歩きまわってお腹はぺこぺこ。日焼けしたかな、と心配するほどにカンカン照りで、心地よい疲れを感じながら、
満席の待合席で座ったり、近場のお土産物屋をひやかしたりして、待つこと2時間(名前を名乗れば、席をはずしてOK)。



本来ならこれほどは待たないのだが、
次々に店に吸い込まれていく人達を横目でみるや、
観光客はほとんどいなくて常連風の京都人ばかりのよう。ベンツで乗り付ける人もちらほら。
そして家族連れか、大人な女性を連れた2人連れ…。
これは相当に旨いな、というアンテナがびびっと来たのであった。

5時~店がオープンして、すでにこの満席ぶりである。
6時になるまでに「当日の予約はもう受け付けられません」と次々来る客に向かって、断りを入れているのをみて、本当に商売する気あるの?
と思ったりもしたが、8時頃になってようやく客人も数えるほどになった。


ようやく、私達の名前が呼ばれた。
落ち着いた木の香り漂う店内。坪庭が、みわたせる。



ほっと席について、まずは生ビールが喉をとおった。
「あーー、美味しい」。
思わず声が出た。
グラスをしっかりと冷やした格別の泡味だ。

私達は「うな重定食」をオーダーした。
ほかの客人は定食というより単品志向の方が多いようで
柳川(1500円)や、きも焼きを単品で食べてから、
うな重(2900円)、きも入り吸い物(400円)、へと進んでいるようだ。

前の男性。ふらりと1人で訪れては、席にすわるや竹の筒にいれた純米酒を飲み干して、
次は柳川を美味しそうに食べているのを、
ビールを飲みながらしばし観察。次に、うな重…。(凄いな~)。
時折ゆれる肩。くっくっと笑っているかのように見える。
背後のオーラをみるだけでその人の旨そうな感動が伝わってくるようである。



さあ、私達のお料理がきた。
まずは、うざく。






キュウリを加えて酢でしめた、細切りのうなぎ。
口にいれると、サッパリとしているがお酢の具合がほどよい。

さてうなぎ。しっかりと肉厚の身で、歯をたてるとホロッと崩れるが、
白身魚特有の味を、
舌の裏でころがしながら、よく味わう。

つづいて
鯉の洗いを、自家製タレで。こちらは、まあ普通。(臭みはなく上品だが)。


そして、いよいよ、うな重の登場だ。



待っている間、サライや婦人画報をみながら
本日のうなぎ静岡産○○と宮崎産○○と、うなぎの銘柄が黒板で書かれていたのを何度も読んでいただけに、よけいに期待感がつのる。

たっぷり厚みのある身は、口にいれた途端に淡泊な味ながら
ほどよい自家製タレの香ばしさが香った。ただ、うなぎの味を引き出し、脇役に徹するタレの味だ。
身は内側は柔らかいが、余計な脂は一切ない。
上品でいて端正な味。
美味しい! なにこれ!と思わず目を見開く。

疲れていたし、お腹も減っていて、体調的にうなぎを受け入れる準備万全で臨んだこともおおいに関係していたはずだが、
それにつけても、柔らかいのに身がしっかり。

これぞ、本物のうなぎ!という味だった。

川魚の臭みが微塵もないのは、
自家製の井戸水で、何日か泥を吐かせている、からだろう。
また脂は、何度も何度も丁寧に焼きながら湯をかけて、
洗い落としながら、タレをくぐらせて焼いているはずだ。

今回は取材ではないので詳細はわからないが、
それにしても、嵐山でこんなに格別のうなぎに出会えるとは…。ここでも京都の粋にふれた。




帰り際にはもうすっかり日は落ちて9時頃だった。

真っ暗な墨のような夜に、山の稜線が影を落としている。寺院前と何度か過ぎると、昼間の雑踏はどこへやら。
静かで、闇に吸い込まれていくように、ただ寡黙でいて、風格をたたえている。

ほてった肌に風が冷たい。駅前の草の陰には
蝉ではなく、鈴虫がたくさん、たくさん鳴いていた。

川の流るる音も、来る時と同じように、どーどーとしていて勇ましく。
それもまた、心地よいのだった。

京都・嵯峨野の夏緑を追いかけて。

2014-09-07 00:21:39 | どこかへ行きたい(日本)
夏の想い出(その1)


またまた雨が降る週末となった。
先ほど、宝塚の図書館へ車で行って、TSUTAYAでビデオを借り、
カフェで珈琲を飲みながら、借りてきた本を読む。
それにしても、9月は、人恋しい季節だ。

車に乗って走っている最中も、
ヘッドホンをしてウォーキングしている最中も、
人恋しい感情が湧いてきて、離れてくれない。
机にいたらいたで、夏の旅のことなどをふつふつ思いだし、
原稿がちっとも進まない。しまいに大焦り、大慌てで仕上げる始末…。

それにしても涼しいなぁ~。あまりの過ごし良さにぼんやりとしてしまう。
さあ、少しづつシリーズで夏の想い出を書いてみることにいたします。

集中豪雨が続いた夏の後半。
ゆく夏を惜しんで、京都嵯峨野の夏みどりを愉しんできました。
夏の太陽の下で輝く夏の楓を随分前から見たかったのですが、
いよいよ決行である。

渡月橋からみる黄土色の河は、タイでみたチャオプラヤー川を思わせる、どーどーと大量の川の水。
もう少しで橋を乗り越えそうな勢い。生き物みたいに。
こんな力強い川の流れを始めてみた気がした。
ここはアジア!と改めて思う。


阪急の嵐山駅から、渡月橋をわたって、周囲をみながらテクテク歩いて、
まず向かったのは和菓子の老舗「老松」。


カンカンの暑さだったので、しばし休憩して計画をたてる。

小さいながら品のいい店で、散策前の立ち寄りには絶好の場所だ。
ここの「夏柑糖」(夏みかんと本葛でつくる涼味)が好きで
梅雨が終わると毎年のように食べたくなるのだが…。この日は、夫婦連れの客、それか中年のグループが多い。
ほとんどの人が名物の「わらび餅」か、夏柑糖」のグレープフルーツバージョンの「晩柑」をオーダーしている。

私は、「みつ豆」。連れは名物の「わらび餅」。






コリコリッとした固めの寒天。
求肥はもっちもち。
蜜は甘くはなく爽やか。お豆も歯ごたえを残して固めに仕上げた、実に和菓子屋さんらしい、上品なみつ豆だった。



それから一気に大覚寺まで行く。




ここは嵯峨御所といわれるだけあって、
静かで趣のある寺院。
なにが好きかって、寺を支えている躯体の存在感。それに村雨の廊下から見える寺院の小さな庭がきれい。
黒光りするほどに磨かれた廊下、黒くうねった華奢な柱、深い庇。
何度ここを訪れただろうか。









歩くたびに廊下の床は「キィキィッ!」鳴いて
そして、舞台装置さながらに美しいみどりを沢山、見せてくれる。松の緑、明るい苔の緑、桜の葉…遠くには夏の山々。
掃き揃えられた玉砂利の広縁。

寝殿、御影堂、正寝殿を見て歩き、襖絵を丁寧に見て、
うぐいす張りの廊下を、1歩1歩、味わうようにして渡っていくうちに汗がひいて、静かな心情になっていく。







夏の寺院はやっぱり壮大だ。
趣のある古木と眩しい太陽、そして鮮やかな明度の高い緑。
とても、とても上等なものを間近でみるような緊張感がある。

この日は、大沢池が見渡せる舞台で、「茅の輪くぐり」をしていた。
京都ほか近隣の方ならご存じのとおり、茅の輪をくぐるこによって、半年間の汚れを祓い清めて無病息災等を祈願するもの。

池のほとりにいるだけで、なめらかな風が頬をなでる。気持ちいい!
京都の夏なのだな、、、としみじみ思う。全身で木々の色を感じる。








それから、歩いて25分という祇王寺へ…。
この日は、タクシーを使った。

祇王寺は、竹林に囲まれた参道と、苔庭、草庵、吉野窓など。
こぢんまりとしたなかに見どころの多い寺だ。

いつも思うのだが、まず迎え入れてくれる寺門までのアプローチがとても好き。








一面ふっかふかの苔の庭には、まだ新芽のものもある。
小さな葉を擦り合わせてサラサラと揺らす楓、楓、楓…。夏はもみじではなく楓と呼びたい。
この青々とした楓が覆い被さってくるように自分の存在を包んでくれている。
まるで小宇宙だ。
しかし、こんなにめまいがしそうな美しい光景のなかにいるのに、
孤独、、、寂しさの空気が充満していて、胸が締め付けられて痛くなってくる。そんな不思議な草庵である。

祇王の哀しみが、この地と草の1本1本に沁みているようだ。

このゆかりの寺。
『平家物語』にも登場し、平清盛の寵愛を受けた祇王が清盛の心変わりにより都を追われるように去り、母と妹とともに出家、入寺した悲恋の尼寺。

嵯峨野全体が、こういった伝説を残す地なのであるが。ここをキャッキャッといいながら歩く気には私はなれない…。

どうしても明るい気持ちになれない時、
ただ無心に1人静かに
自然の風景を対峙したい時には、
野趣あふれる田舎っぽい空気が漂う嵯峨野(平日、閑散期)が良いのかもしれないと思う。









それからテクテクと、
祇王寺から、あだし野の念仏寺まで歩く。
ますます寂しい小道が続く。山が近くなる。濃い森の緑が近くなる。
山と野の、素朴な匂いに癒される。

帰り際に瀬戸内寂聴さんがいらっしゃる寂庵も少しのぞかせていただいた。瀬戸内と大きな文字で書かれていた表札が印象的だった。
もちろん、中には入れなかったが帰り畑の庭や茅葺き屋根の農家をみながら小道を歩いている時、






風に流れて、とても美しいクラシック音楽が聞こえてきた。
オペラ?
なんだか、寂聴さんが聴いていらっしゃるのではないかしら、と1人勝手に想像をめぐらせる。



それから。本当はお土産など買うつもりはなかったのに、
小さな窯元があったので、日本酒をつぐ杯をひとつ買った。
外側は金色にも似た土の色、内が瑠璃の杯になっている。

夜は、念願の廣川でうなぎ料理。
これまで3度も予約したのに、いずれも席を確保できなかった店だ。
この日も5時50分頃~8時近くまで待ってようやく入店できた。





(京都ごはん、へ続く)



神戸は海辺の風が時折、ふっと吹くのが好き。

2014-09-02 00:53:14 | 今日もいい一日





9月が始まったら、途端に涼しくなった。
今日も夕方6時からウォーキングに出たが、昨日までとは違う爽やかな風だ。雨上がりで風が透きとおっていて、心地よかった。
この時期は、蝉の声より鈴虫のようが優勢か。

秋が始まったら、仕事もぼちぼちと新しいものが入ってきて、いよいよビジネスモードである。



その前に、先日の城をテーマにした数十ページの冊子のコンペは、「負けた」という連絡が今朝入った。
残念。図書館や書店から沢山の資料を集めすぎて、小難しくなっただろう。
「読み物としての冊子になりすぎている。丁寧に説明しすぎる、子どもには理解できないのでないか…」というのが理由らしい。

ターゲットは30代の男女ではなかったかしら。でも「読ませる」のではなく「魅せる」、そして「一目みたら分かる」ことが今は大切。
もちろん、「愉しい」「新しい」、「オリジナルな発想力がある」が、今後ますます求められるキーワードなのだろうと改めて思う。ここ数年読ませるものが、雑誌にも少ない。

私は、主人が出張先から持ち帰ってくるJALの機内誌「SKYWARD」、「翼の王国」
時々図書館から借りてくる「暮らしの手帖」くらいしか読まないから…。




1つ負けたら、1つ勝つではないが。
先日から続けざまに、このブログを読んだ方から、うれしいメッセージがあった。
1つは、婦人科の医師の方と、今度、子宮全摘出手術をする方からの問い合わせと相談である。
(子宮筋腫の方で腹腔鏡手術を受ける方はこうして時々メッセージをいただき、悩みを共有する)

また別の1本は、このブログをみていただいた方からメッセージを頂戴し、ぜひ会ってみたい、という趣旨のものだった。
更新の乏しいブログであり、趣味的で(きままで、書きたい時に書くという衝動的)仕事の話しは割愛気味のブログにしているので、少しびっくり!
しかし、メッセージを頂戴した方の「本名」を恐れながら検索させていただくと、あるメーカーの代表の方で、
とても意識の高いセンスのある方だとお見受けしたので、連絡を取り合い、お会いしてきたのだった。

打ち合わせを終えた後、新しいプロジェクトのお話を聞いて、心臓がバクバクするようなちょっとした興奮を抑えきれないまま、会社を後にした。

新しい何かがスタートするのだ。


その後は打ち合わせも原稿もないので
先ほどの高揚感を平静に整えたくて、久しぶりにゆっくりと三宮を歩く。

1人ランチは、洋食の「十字屋」で。












オリエンタルホテル仕込みの、肉厚のあるやさしい酸味のポークチャップの定食をきれいに平らげて
ビールを飲みたいのを我慢し、アイス珈琲を。

そのあと、ブティックを訪ねて、雑貨をみて
香港スイーツの「甜蜜蜜」へ。




女性2人で経営している岡本店の怪しい密やかな雰囲気がとても好きで何度か通ったのだが、
今はクローズして「三宮店」のみだという。

亀ゼリーとココナッツ団子。
そして、台湾の梨山高山茶をいただく。




梨山のものは香りがよくて、清々しくも高貴な甘さが隠し味にあって、茶葉も高級。いつもおいしい!と言葉にしてしまう。


久しぶりの神戸だったので、欲張ってたっぷり歩いた。
ここは大阪や京都とは違って異国っぽい雰囲気が
古いビルや街灯、
ファッションに、食料品雑貨、
土埃のなかにも、見え隠れしているところが、なんだか好きだ。

帰りに居留地をぷらりぷらりと歩いていたら、微かな海辺の匂いが運ばれてきた。