月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

祇園祭 AGAIN!

2013-07-24 20:59:34 | どこかへ行きたい(日本)


ここしばらく、「編む」という仕事をしていた。何を「編む」のかって、小誌(某流通関係の情報誌)のリニューアル版である。
コンセプトにはじまって、どんな雰囲気のイメージにし、どんな企画をいれて、どう読んでもらうのか…。
誰に取材して、カメラやイラストはどうするか?いくらだってイメージは膨らむし、
未ぬものを自在に「編む」こと自体、とても愉しい。
ただ問題は、編んだ後のコト…。面白い企画であればあるほど、 実作業がめちゃ大変~!
微力なわたしはフリーランスなので基本は一人で。そろそろ、書き手×書き手でコラボレーションするというコトも、試みていかなければなぁと最近ハタと、 思うようになった。

さてさて、滞ってたブログの続き…。

前々回、「祇園祭」の宵山のことは、チラリとふれたが、
いよいよ宵山(山鉾巡行の前日)へは、夜6時をまわってから1時間半もかけて繰り出していったのである。
祇園祭AGAIN!は、写真を中心に、サラリと記録しておこう!

今晩の仕事をほったらかして、
ついに千年の古都にタイムスリップ。
悪霊退散を祈る祇園五霊会が祇園祭の起源だ。天を破るほどの鉾の高い矛先は、その名残なのである。




コンコンチキチン。コンコンチキチン。
鉦(カネ)と笛、太鼓。和音の生演奏がしびれるねぇ。






最初は、孟宗山、橋弁慶山、鯉山をのぞいて、竜門の滝を登り切った鯉に手をあわせ、
16世紀ベルギー製のタペストリーをみる。





次いで、浄妙山へ。



墨黒に浮かび上がる鉾は、平家物語の合戦の一場面、一来法師が筒井浄妙に先んじようとした一瞬。
絨毯のうえに置かれた調度品はさすがに美しい。勝運の粽を買った。



夜店ではビールを…。

ここで気をよくしたわたしは、骨董の豆皿を売る店を新町通に発見。

これ、東寺の弘法市より安いじゃない。3つゲット!これで調子にのってきた。





黒主山をみて、界わいの屏風祭の美を堪能した後には、






京のじゅばん&町家の美術館
「紫織庵」をみつけた。

ここは、江戸後期(寛政・享和の時代)から、典薬まで昇進した名医・荻野元凱の佇まいが、かいま見られる町家で、
近代建築の父と呼ばれる武田五一が、茶室や和室部分を数奇屋の名工 の上坂浅次郎が設計。

1階のモダンな洋間は雰囲気あるねぇ。



長四畳の小間にある茶室。
まさに陰翳礼讃の世界である。





天井や床の間の粋と、坪庭に面した心地よい空間。
「浪打ちガラス」のはまった広縁。





15畳と12畳半の客間などなど、それはそれは素晴らしものだった。







特に、写真禁止とあったので撮影はできなかったが
円山応挙、長澤芦雪など近世を代表する日本画家による屏風絵には
江戸の自然や京のよき暮らしが再現されていて、
時空をさかのぼったような錯覚に落ちて、ほろっとくる。幸せだった。



わたしは、麗しい洋館や作家・文化人の旧家(家屋)などを
たずねるのがともかく大好き(時には墓参りも)。
旅の醍醐味であったりするのだ。

ほっ~。庭から吹く風がまた、たまらないほど気持ちよい。

ここを出ると、またまた、平成の祇園祭である。
北観音山、南観音山、放下鉾、船鉾をみて、郭巨山へ。






途中、町家の勝手口や玄関が開放されているので、
町内会の会合や飲み会がチラリとのぞけたり…。
これが京の常かしらんねぇ。
あらぁ、おっとりしていて愉しそうなこと。






これは、蟷螂山(とうろうやま)。
からくり仕掛けで動く愛嬌たっぷりのカマキリさん。




沢山の屏風をみたところで、細い路地から路地へ。 風がわたる。わたしも歩く。

10時もまわったというのに、
商店の灯りはまだまだ、宵であるのでしょうか。
さぁさ、おみやげは何にしようかな。









ことしもラストは月鉾でした。
にぎわいはまださめやらぬまま…。

前田のベビーカステラは、40分は並ぶだろうし、今年はもう止めておこう…と。

コンコンチキチン。コンコンチキチン。ありがとう、ごくろうさま。
悪霊退散いたしまして、後半も
よき年となりますように!



祇園が終わり、いよいよ夏本番~だ。




夏の午後、芝刈りの素晴らしさを知る

2013-07-20 10:33:25 | 春夏秋冬の風


「夏だった。それもほれぼれするような見事な夏だ。空にはキリッとした白い雲が浮かんでいた。
太陽はじりじりと肌を焼いた。
僕の背中はきれいに3回むけ、もう真っ黒になっていた。
耳のうしろまで真っ黒だった。

…(中略)

僕は車の窓を全部開けて運転した。
都会を離れるにつれて風が涼しくなり、緑が鮮やかになっていった。
草いきれと乾いた土の匂いが強くなり空と雲のさかいがくっきりとした一本の線になった。素晴らしい天気だった」


きょう7月19日という日は、本当にこんな一場面(上記は、村上春樹の短編、「午後の最後の芝生」の一節)を頭に浮かべるほどに、
きれいな夏の空。素晴らしい天気だった。

セミは午前中1時間だけ鳴いた。
目の前の山々は、絵の具を流したようなゴツゴツっとした鮮明な緑。
空はどこまでも、どこまでも、どこまでも続き、果てもない水の色に、
薄い雲を浮かべている。



もちろん「午後の最後の芝生」を本棚から取り出したのは、空の色がきれい、という理由だけではない。
今朝から、わが家のある敷地一帯では、芝刈り(草刈り、正確には植栽の剪定)作業が進められていたのである。
それはものすごい騒音だった。
芝刈り機が3・4台は働きっぱなしだったと思う。



最初は耳障りだなあ、全然、集中できない。原稿が進まない…、とばかりに、立ったり座ったりしてイライラ。

そして、仕事部屋とリビングのガラス扉を全部締めてまわったりした。
けれど、しばらくして、どうしても閉鎖された空間に窮屈さを覚えて、
再び、窓を開放する…。


そうすると、ふわっーと。
芝刈りの激しい機械音のなかに、

香ばしいといおうか、生々しいといおうか、草のにおいが一筋、流れ込んできたのだ。




わあー、いい匂い。なに?
天然の緑のアロマだ!
それから、全ての部屋を開放し、写真まで撮ったりして草の香りを愉しんだ。
そして、例の村上春樹の短編を突然、本棚から取り出し、ページをめくる…。

そうやっていると、
人って本当にいい加減なもので、芝刈りの音もなかなか、いい。
ナンテ気持になり、窓を開けたままで午後の仕事を進めた。
なんて贅沢な、と少しだけ特別な気持ちになりながら。
緑のにおいに包まれて…。





ふと、こんなことも頭をよぎる。
(全く先ほどの受けとは関係ないが…)


誰だったか文化人の方(コピーライターの糸井重里さん?)が
コラムで書いていらした。

「自分の年齢÷3」。それが今のあなたの時間です」と。

例えば、あなたが21歳なら、朝の7時となる。
33歳なら、午前中の11時。
じゃあ、60歳なら夜の8時…。


昨今、いよいよ自分の持ち時間を考える年齢になってきてしまった。
そして、午後の時間の美しさを、
しみじみと感じるこの頃であった。









ことり会さんと祇園祭 宵々々々山へ行く

2013-07-16 14:29:46 | どこかへ行きたい(日本)


毎年7月がくると、ちょっとだけそわそわ。仕事が立てこんでくると、スケジュール帖とにらめっこ。
なぜって、祇園さんへ行けなくなると大変なのである。

昨年の粽と交換にいくゾと、強い意志で、この月の仕事に臨まねばならない。

そして、どうにか先週に仕事を終え、
今年も元気よく13日(土)宵々々々山へ行ってきた。

朝7時過ぎの電車に乗って、四条烏丸駅へ。今年は例年の祇園祭とはちょっとだけ趣が違うのだ。

「ことり会」の方々が主催する「祇園祭 ご朱印集めの会」に参加するという目的があった。



http://www.fieldcorp.jp/otome/



集団のイベントは、よほど好奇心に引かれないと参加しない方だが、
わたしはWEB上で「ことり会」という方々の活動を知ってからひそかに注目していて、
京都のかいらしいもの(カワイイ)を愛でる会、というコンセプトも京都好きのわたしには、
たまらんものばっかりなのだった。



ことり会とは、高校教師兼ライターの椿屋さん、ライターの小春さん、イラストレーターの辻ヒロミさんという
フリーランス3人娘が結成した 「もっと京都を知ろう」という集いだ。
3人娘は京都に住まい、京都に仕事場を持ちながら、さらに深く京都(奈良も)のよきものを求めて、
歴史を学び、美味を極め、かいらしいものを愛でる会を定期的に行い、
その記録を「ことり会だより」(小誌)にまとめられている。


http://kotorikai.com/top.html



フリーランスたちの何かを面白がるパワーというのは見る側だって面白いし、刺激を受ける。

(それに今朝の朝刊ニュースによると、
今年の朝日広告賞を射止めたのはフリーランスの4人組。大日本除虫菊のシリーズだった)。

「ことり会」メンバーのお一人とは、WEB(ブログ)を通して知り合い…、

ようするに、彼女らのエネルギーと仕事ぶりを称賛するわたしは、
ささやかなるファン、ということなのである。

ご近所ママと参加した私は、会場を訪れ、さっそく山鉾巡りを挙行する。
片手には、ご朱印帖。ペッタンコ、とご朱印をしながらの山鉾巡りもなんだか新鮮!






まずは、長刀鉾へ昨年の粽を返却し、それから函谷鉾、山伏山、鯉山、黒主山、
北観音山、南観音山、菊水鉾、月鉾、鶏鉾、綾傘鉾、舩鉾、月鉾…。
をぐるりとみてまわった。







鉾は今まさに建てようとしている最中。提灯に灯は入らず、「コンコンチキチ」の、
お囃子は聴けなかったけれど、その分、想像力が膨らんだかも。


祇園(宵山)の醍醐味って、
駒形提灯が揺れ、生演奏の祇園囃子の響くなか、鉾先のあまりの高さにほっ~と見惚れ、
山鉾町の旧家にて表間に飾られた秘蔵のお宝(工芸品や軸)を愛で、
京町家の雰囲気や暮らしを「屏風祭」で味わえること。

疫病除けを、運気上昇を願う、人々の「祈り」が夏の熱気のなかに
拡充していくのが素晴らしい!のだといつも思う。

13日(土)は、まさに祇園祭プロローグだ!

祇園祭を盛り立てようとする男衆の汗と働きぶりを目にすることで、
いつもとは違う角度から祇園祭がみつめられ、新たなパワーをもらった。
元気が出た。



鉾から見おろす四条通りの京の町は、祭りの文化のようなものが
鳥の目から見れるのがいいね。

すでに、お披露目されていた「山伏山」では、お宝が陳列され、恒例の「大茅の輪くぐり」が。
人々は、行列をつくって無病息災を祈願する。

私たちも、輪をくぐって神聖な心になり、東北復興支援のてるてるぼうず(御守り)を買う。





そして、鯉山だ。今年も準備は着々と進む。




早く夜にならないかなぁ。
鯉山の屏風を堪能し、浴衣を着た子どもたちが唄う「ローソク売りの唄」を聞くと、
いつもジーンとくる。

「鯉山のお守りはこれより出ます。
ご信心のおん方様は受けてお帰りなられましょう。
ローソク1丁献じられましょうか。ローソク1本どうですか」

「鯉山のお守りはこれより出ます。
ご信心のおん方様は受けてお帰りなられましょう。
ローソク1丁献じられましょうか。ローソク1本どうですか」

この数え唄を、何度でもリピートされるのだ。もちろん生唄。宵々々山、宵々山と唄が違うらしい。
ニッポンの美しい古里、かいらしさがギュッとつまっている。

そういえば「蟷螂山(とうろうやま)」も、
蟷螂のおみくじが売るのは浴衣を着た子どもたちだった。

この日はまだなかったが、大蟷螂の頭や鎌はすごいし、
御所車も見どころ十分。

黒主山の大友黒主が大きくかえって志賀の山桜を仰ぐ姿に
毎年ながら圧倒されたもの。







ああ、祇園祭!この熱さだ!歩くにつれて、祭気分が高まっていくなあ。

南観音山のペルシャ絨毯の前懸や、
鶏鉾、綾傘鉾も準備中の様を今年はのぞくことができた。

熊野の化粧筆も少し安く買えたし、
京都は商売うまいなあなどと思いながら、店々ものぞく。








2時間近く歩いたのだろうか。12時になったところで「うめぞのCAFE&GALLERY」でほっと一服。

小さな坪庭を眺めながら、みたらし団子を食べたいところをぐっと抑えて、
「わらび餅とお抹茶」を注文。
黒糖のわらび餅が、とてもおいしかった。お友達もほっこり。
黒糖感ときな粉のコラボレーションがすごく合っていたね。
本店の河原町の宇治金時やあんみつを思いながら、食べた。




それから、「ことり会」の方々ともに、昼食をいただいて談笑タイム。

皆さん、30代のフリーランスだ。それぞれの浴衣をお召しになっていらしてとても、よくお似合い。
よけいな色がつかない爽やかな「ことり会」の方々。
さりげない上品というか、控えめなとこに好感がもてた。
ありがとうございました。またぜひお会いしましょう♩


このあと、イベントで紹介されていた「なつのたより展2013」を観て、
大好きな「ぎおん小森」と八坂界隈を歩くつもりが、
なんと祇園祭恒例の、激しいスコールである。
せっかく烏丸から河原町まであるいたのに。ザンネン。日傘しかなかったので、この日は解散だ。

まだまだ浄妙山や岩戸山、郭巨山など、観たい山や鉾もあるし、
祇園宵山のリベンジをしたいけれど、
果たして再び京都へ乗り込むことができるのか!
今週の締め切りも2個あって、ちょっと難しい状況になってきたゾ。

2013宵山は今日限りである。





































滋賀県民と、お仕事を!

2013-07-11 20:12:42 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


日中は仕事にならないほど暑い!
わが家は、山を切り開いた丘の上に建つテラスハウスなので
地上よりもはるかに涼しいはずだが、昼間に打ち合わせなどで外出の予定が入ると
(恐ろしや~)と気合いをいれて、
日傘をさし、UVクリームを手や首にぬりたくって出掛けなければならない。

喜んでいるのは、家の観葉植物たちだ。
今年はまだクーラーを入れていないので昼間は亜熱帯のような状態!
植物の成長が著しい。夫が株分けした植物も、ニョキニョキと子株ができて、
アッという間に花が咲いた。すごい樹液だ!



パキラも、
樹液がとろ~りといい感じに沁みて出している。おそるべし植物の力!
鉢植えのバジルも、おいしそうな色になった。
(ジュノベーゼのパスタを早く食べたい)



三つ葉も、ミニトマトも元気もりもり!
成長中である。



夏になると、フルーツやみずみずしい野菜をいっそう食べたくなる。
朝からサラダ!そしてフルーツだ!
昨日は「あら川の桃」を。
今日は、台湾産のアップルマンゴー(宮崎産は高いので)を食べた。
体がビタミンを欲しがっているのだ。足りない分は、
KIRINの「48種類の濃い野菜と果物(飲みやすいバージョン)」を飲む。

さて、最近の仕事はちょこちょこの、小さな定期モノのほかに
滋賀のクライアント&デザイナーさんと一緒に、
滋賀の小冊子の企画編集と某社(大手流通企業)の
販促ツールづくりをお手伝いしている。


打ち合わせは、JRに乗ってそれからデザイナーさんの車に乗り換え、
片道1時間半。
ちょっとした小旅行気分である。
私は新幹線や飛行機だけでなく、乗り物が好きなので、一興に構わない。
本がいくらでも読めるし、車窓から流れる風景をみるのも大好きだから。

そして打ち合わせ。
全員、勿論だが滋賀のスタッフ人に囲まれている。


私はいつも思うのだが、滋賀人たちは滋賀をこよなく愛しておられる。
これは誰に聞いてもそう!これまで仕事で知り合った人(数名)も、
滋賀より良いところはないと必ず絶賛される。

そして、滋賀人たちは、滋賀の町内会のイベントや祭り事にめらめらと燃える!
生き甲斐といってもいいくらいだ。
琵琶湖の湖畔を愛し、滋賀でとれたお米を愛し、ふなずしを愛し、
滋賀の産物をこよなく愛する。
滋賀の画家や陶芸家の方々もお話を聞くと、近江の自然の雄大さを切々と
感慨深くお話になるのである。


高島の棚田といい、朽木村の街道沿いといい、
確かに近江の自然は自慢して当然だ。
それに台風も影響が少なく気候風土がよいらしい。
日本の原風景がしっかりと生命をもち輝いているのだという。


比叡山の麓の坂本という小さな町に幼年から暮らしていた友人(今はご近所)、
草津に、彦根に、大津に、雄琴に、
滋賀人の知り合いがなぜか昨今増える一方である。

滋賀のジモピーたちは仕事の打ち合わせ中でも、
県内の話題で一日一回は盛り上がる。
そして、そして仕事の後で、地元の観光地を案内してくれるのだ。

そして、「滋賀はいいところですね~」というと、ものすごく目をキラキラさせ、
あったかい人柄がさらに、あったかくなる。
(滋賀県民(近江商人)は仕事も生活もとても大事にされている)。
今度、河内の風穴という洞窟も、案内してくれるのだという。


先日も、仕事の後で立ち寄ったのは、
日牟禮八幡宮の杜近くにある、日牟禮ヴィレッジ たねやとクラブハリエ。







出来たてのバームクーヘンはおいしいし、
夕方には雨が斜めの細い糸のように降り注ぎ、
リゾート感満点といった風であった。

京都、奈良、神戸よりも。
私は本当をいえば、滋賀をまだよく知らない。
ただひとつだけ気付いたのは、な~んにもない田舎道や平凡な風景のなかに、突如として現れる大都会を凌ぐハイカラなカフェや雑貨店、商売の家だ。
あの驚きといったらない。和菓子でいえばクラブハリエも叶 匠壽庵も、大阪や東京にだって負けてない。一流だ。
滋賀には本物がひそんでいるのか!

今年はますます滋賀にはまりそうな、そんな予感がするこの頃…。




白ワイン、赤ワイン、赤ワイン…、そして赤ワイン

2013-07-10 01:14:17 | 大阪ごはん


好きなお酒はなに?と聞かれたら一番はワインをあげるだろうか。
飲み口がくっきりして、体にスッーと浸み入るような…例えばフルーティーな味わいのものが好きだ。
育った土壌や作り手を感じられる質のものが、特に素晴らしいと思う。

夏場には、太陽を感じながら(夜でも)、
シャンパンを飲むのも、ものすごく贅沢な気持ちになって、
たまらなく好き(めったに飲まないけれどね)。

いつだったか、真夏の奈良ホテルで蝉しぐれを聞きながら「ローラン ペリエ」社のシャンパンを3杯飲んで、
その晩は夢にまでシャンパンの香りが忍び込んで…、鹿と仏像とシャンパンの残像に圧倒されるすごいパワフルな
ものを見た。以来シャンパンのすごさも理解する。

おいしい冷えた純米酒と和食という取り合わせもまた、年齢を経るにつれて好きになった。


さて先日、といっても少し前のことになるが、ライター友達のかおりさんと
「おいしいワインのお店をハシゴ」という、愉しい試みを企画した。

夕方6時に待ち合わせて、まずはかおりさん馴染みのフレンチ居酒屋「ブラッスリー・ランコン」ヘ。
お初天神にあるこの店は、私は全くのお初だったのだが、
その雰囲気のよさに、すでにいい気分🎶



黒板に書いてあるオススメのワインを見て、さらにワクワク。
シニアソムリエの方がワインの好みを聞いて、的確にアドバイスをくれた。
1杯目、かおりさんは、ドイツのビール「エルディンガー」を。
私はイタリア産の白ワインからスタートする。
好みのとおり、くっきりした飲み口で、香りがよく、爽やかな夏らしい白だ。
食欲がムクムク花ひらく。

お料理メニューを開くと南フランス風の家庭料理というラインナップになっていて、おいしそうな予感。

まずは「海老とアボガドのサラダ」、そして「キッシュ」、
「ルーム貝の香草焼き」…と出来上がっていくお料理を愉しみながら、
赤ワインを2杯飲んだ。








キッシュはふわふわの生地で卵とチーズの風味がよく調和していた。
ヨーロッパのワインに合わせるなら、やはりルーム貝かエスカルゴを食べたい。なので、
この日はルーム貝を選ぶ。
パセリやバジルの香草がよく効き、新鮮な味わいに、またまたワインが進んだ。


最初は少し軽い、みずみずしいものを選び、
土っぽい果実味の深い赤ワインへと移っていく。



チリ産、南フランス産の赤へと。
お酒が変化するにつれて、舌がどんどん柔軟になって、
迎える料理のレベルや懐を、広く深くしていくようで、
ちょっと素敵な気持ちになっていく…。

赤ワインのおいしさに誘われて「枝付きレーズン」もオーダー。



かおりさんは、非常によく飲める人で(ワインなら2本は友人とあけるらしい)。
お酒の謂われについても深い。一緒に飲んでいて、安心する。お酒について
いつも教えてもらうことが多いし、愉しい。
この日新しい仕事が飛び込んできたらしく、
(ずっと長くやりたかったこと)そんな朗報も聞くことができてよかった。


二軒目は、わたしのオススメの店ということで、
堂島までぷらりぷらりと歩いて「グロリエット」へ。


ここはかつて「キュニエット」を取材した時の印象があまりに鮮明だったので、
いつか訪れたいと思っていた店である。



「キュニエット」とは堂島メリーセンタービル4階にある。
稀少なビオワインを150種扱う大人のビストロ。
オーナーソムリエは今城賢さんという人である。

「ウソ偽りのない本物のビオワイン
(酸化防止剤、農薬・化学肥料なしでブドウを育成し貯蔵するワイン)、
フランスの土壌の匂いを感じられるワインを供するのが自分の使命」と語る彼の話は熱く…。

当時、おそらく真夏の昼下がりだったと思う。
ガラス越しに照りつける太陽を感じながら、
ズッキーニ・ナス・ゴボウ・モロッコインゲンなどでグリエされた「野菜のテリーヌ」を食べ、
黒豆枝豆とトマト仕立てのコンフィを食べ、
素晴らしくみずみずしい口当たりの、酸味・果実味が鮮やかな白ワイン。
野いちごをかじったようなやさしい味の赤ワインをいただいた。

料理のレベルも高く、ワインの味もキリッとしていて本当にびっくりした。

そして味わいだけではなく、オーナーの今城さんの語りに感動し、
私は聞きながら涙が頬に落ちたのを慌ててぬぐったのを覚えている。


彼はフランスのプロヴァンスで自然派ワインづくりを2年以上経験し、
食事もワインも共にし、早朝から夕方まで農園に出て、ぶどうの生命を尊び、
子どもを慈しむように愛情をもってワインづくりに尽くす農夫の生き方に心底から敬愛を抱いていらっしゃった。
そして、その情熱の冷めままに、
きちんと日本に持ち帰って、
生産者を応援するために、フランス産ビオワインを地道に
コツコツと伝道し続けている方であった。

「グロリエット」は、1号店に比べてカジュアルライン。

店の造りはいたってナチュラルで、若い人でも躊躇なく入れそう、
いわゆるカフェ風というバーである。

ボードに書かれたメニューから、私たちはまず「水ナスとトマトのサラダ」。
そして水牛だったか羊だったかの「自家製ソーセージとポテト添え」をオーダーした。

ワインは、赤を。
かおりさんは白からはじめた。




フレッシュ感があって、
体に深く自然にしみ入る素敵なワインだった。
あまりに好みのものだったので、オーナーに質問してみると、
やはり風貌は違ってみえていたのだが今城さんその人だった。

私の隣にいたかおりさんは、数年前、日本酒の利き酒師の資格を持つほど日本酒を、
そしてお酒を心から愛する人だ。当然のことながら、彼女は本当によくオーナーと話しがあったようで、添加物を加えず一切天然酵母でつくる考え方や、
農家や造り手の姿勢のようなものを共感しあい、いくらでも話は続いた。

おいしいワインを傍らでぐいぐい飲みながら、そんな酒談義に耳を傾けているのも、とても心地よいものである。

思いのほかワインが進み、2軒目でありながら4杯は軽く飲む。かなり、ご機嫌な時のピッチである。(普段はもうそんなに飲まない)




彼女のワインは、土っぽいスパイシーな味わいでセクシーなものを。

私はぶどうの香りが柔らかい、すっきりとしたナチュラル感があって
ごくごく飲める赤。雨の街灯とシャンソンを連想させるような酒場っぽさが隠れているようなワインを次々に用意してくれた。



帰り際には、お腹が空いてきて「チーズ盛り合わせ」まで食べた。

(2軒目にしては高いお代だったのだ)

この次、訪れたなら絶対に好みのワインをあまり語るまいと思う。
オーナーの勧めるこの日のおすすめを、先入観を持たずに飲んでみたい。
そのほうが未知の扉を叩けるだろうから。


わたしが聞いたのは「なぜ2号店を立ち上げようと思ったか」、ということ。近すぎる距離で、どういった違いをどんな意図で作られたのか知りたかった。

「1号店は、本格的なビストロ。おいしいお料理にあわせてワインを飲むという方がやはり多いです。
だから、もっと普通の人たちが、フラッと来てビオワインを飲んでほしい。
ワインって、本来はもっと気軽なもの。フランスでは日常の飲みものです。単純に、酸化防止剤が入って翌日頭が痛くなるようなワインでなく、
フランスの土壌に根付いた、作り手の真心が入ったいいワインがあるんだよと。そん風にビオワインの良さを知ってほしいとを思って立ち上げたんです」
そんな風におっしゃっていたと思う。

記憶しておきたいと思ったので、ちょっと詳しく書きすぎたのかもしれない。
(コマーシャル的になってしまったことは勘弁である)

ともかく今後の私たちの仕事のこと、好きなものを伝え人の役にたつ仕事をする人の生き方に、
ハッとするものがあったし、すこぶる心地よい熱い、夜。
おいしいワインのハシゴだった。




一通のハガキと、夏の風

2013-07-06 22:40:53 | ご機嫌な人たち



一昨晩も昨晩も、風が強い。
わたしの家は風が吹くと家の周囲を取り囲む植栽がものすごく激しくざわわ、ざわわと
音をたてるので、それが波音のように聞こえる。
寄せては返す、波音。夏に風が吹くと、波音(葉音)が激しくなるのが気持ちいい。

昨晩の雨風とうってかわって、今日の昼間は少しだけ蝉が鳴いた。
蝉はほんの1時間くらいだが、「ジー」と弱い声で夏を告げていた。
もう夏だ。風が新しい季節を連れてきた、と私は一昨晩あたりから折にふれて気付いていた。

そう考えたら、思考を切り替える意味でお風呂に入ろう!と思い立つ。
とりあえずお風呂だ!
そう、なんやかんやと理由をつけては、私はよくお風呂に入る。
特に、朝と夕方のお風呂、真夜中のお風呂は格別である。
外の窓を少しだけあけて、お風呂に入る。

今日はよい香りの石けんが欲しかったので、ついに開封したのは、これ。





イスラエルのガリラヤ地方の山岳部・ピキインという小さな村で、
それもドルーズ族という部族の一人の女性・ガミラさんという方の(誰よ、それ!)
秘密のレシピでつくられたという、美しい石けんをおろしてみた。
イタリアのアレッポの石けんに少し似ている色だが、もっともっと手触りも色もやわらかい。
「ガミラシークレット」というちょっと怪しい名前の石けんは、何種類もの厳選されたハーブと
ピュアオリーブオイル、シアバターなどをベースに、数日間釜焚きして、
何カ月も熟成させて仕込む上質なものみたい。
工程はともあれ、私は控えめでやわらかい(ほのかな)ゼラニウムの香りにやられて
衝動買いしてしまったのである。
専用の泡たてネットで、たっぷりあわあわ状態にして、
すこぶる気分よくいい香りに包まれてお風呂の時間を愉しむことができた。

お風呂からあがったら、その大切なものはちゃんとまだ存在していた。
当たり前のコトなんだけど、カタリとも動かず、
ダイニングテーブルの上できちんと自分の居場所を確保していた。

「何?」って…。
そう、大学時代の友達からの便りだ。中には絵ハガキが2通納められていた。
内容は書くのも勿体ないような大切なメッセージなので控えるが、
ものすごくうれしかった。

一通の絵ハガキは、ハワイかどこかのプールの中から顔をのぞかせて笑っているイルカと水のしじまを描き、
もう1通は8月の空と灼熱の砂地。カラフルなTシャツ(14枚)が風にピラピラとはためいている
構図のものだ。
夏らしいフォトをみるだけでリゾートな気分がいっぺんに降ってきた。

彼女は、わたしのこの拙いブログを愛読してくれているという(忙しいのにありがとう♪)

じぇじぇじぇ!びっくりした。
思ってもみなかったので
うれしかった。

一昨年夏から、子宮筋腫全摘出を経験し、その悩みの質やプロセスを
少しでも情報として共有してもらえたらいいなぁと
その思いだけで始めたブログであったが。
それも不定期で、全くプロの綴るものとは思えないような
超・個人的な行き当たりばったりの内容ばかりだが。

それでも、普段会えない少数派の大切な友達が、どうしているのかしら、などと気にして
覗いてくれていると思えば、それだけでものすご~く書く意味がある。

私は本当をいえば、実は自分の実験の一つとしてこのブログを始めた。
日々自分が何を感じ、どう思っているのか。
一瞬のかけがえのないものを、
かけがえのない存在を忘れないようにこの手(フィルター)で蘇らせたらいいな、と。
それらを少しずつだが、書きためられるというこのシステムが面白いなあとも思って始めた。

それはそれは、自身の人間力なんて微塵の自信もないけれど、飾らない「素」に近い自分というものを
他人にさらけだしてみるということもモノ書きとしてそろそろ必要なんじゃないかな、とも
思ってみたりして始めたのだ(そう、当初はね)。

その便りの人は、ここで宣言するのも変だけど
私のこれまで知り合った友達のなかで、
1・2を占めるほど面白く、愉しい人だ。
ユーモアのセンスが誰よりも自然でいてピカイチなので、(存在そのものがユーモアの結晶。
ネタ上手とか、笑いのセンスがあるという意味では決してない)
その特技をいかして高校時代からショートマンガや長編マンガを描いて仕事にしている。
(時々は随筆のようなものも書いているらしい)。


久しぶりに本棚から、彼女の作品を取り出しもういっぺん味わってみた。

やっぱり、どこまでも、おもしろいなあ。
作品をちょこっとずつ輪切りにして眺めたとしても、どこの切り口もみずみずしいし、彼女らしい。
それに登場人物を書く
(愛する)まなざしが日だまりみたいに、あったかい。
愛すべき作品のなかの人物がイキイキと生活しているのがいい。平和だね。
絶対にこの世に存在していると信じたくなるような信憑性というか信頼性が作品にはあふれている。
病気をせずに、どうぞ元気でいてほしいなあと節に願う。

ハガキひとつにしても思う。
プロの書き手(世の中で成功している人)の文章は短くても、
絶対に忘れない一文とか、光、みたいなものがちゃんとあるからすごいなあと。
とうてい近づけないけれど、
でも、いつ会ってもただの大学生の頃の、
よく飲み歩き、よく遊んでくれていた時の顔のままで、対面してくれるから、それもうれしい。
笑って、笑って。お腹の底から信じられないほど笑いあえる友達だ。

私は一人っ子なのできょうだいの存在というものに猛烈に憧れて生きてきたけれど。

その分、回りにいてくれる友達や仕事仲間、クライアントはユニークな人が多くて、
そう人に恵まれてこれまで生きてこられたのが、一番の財産なのかもしれない。
結構わがままな願いだが、誰一人として死なないで(変わっていくのはよい)
その人らしく生きていてほしい。
そして時に会いましょう!


(これは後日談。加筆である。マンガ世界に疎い私は便りの友の最新作品をみようとAmazonをクリックして、驚いた。
☆☆☆☆☆がほとんどではないか。さすが!
投稿者のコメントを読み、胸が熱くなった。よいファンを、がしっとつかんでいるなあと。
全く例えはよくないが、私が取材してきたほんとうに旨い、いい店には、
いい顧客が涼しい顔で、さりげなく店を愉しまれている。
ファンの存在は力であるだろう。私も、最新作品を迷わずクリック!!なのであった)

ガンバレ!友よ
















車でシネマへ行きましょう

2013-07-03 23:28:11 |  本とシネマと音楽と


日々の営みのなかで、溺れそうになったらどこに脱出しますか?

時々だが、ほんとうに時々なのだが。日々の営みのなかに、自分を見失いそうになることがある。
目の前の、生きるために、やらねばならないコトに向き合ってばかりいると、
時々、どこかに行ってしまいたくなる。
でも、だからといってすぐ旅の準備をできるほど、身軽な身の上でもないのだ。

そんな時、どこに行く?
(私の場合には、ウインドーショッピングをして気が晴れるタイプの人間でははい)。

電車に揺られて、美術館へも時々でかけた。一人美術館は、愉しい。
ひとりの画家が生きた見知らぬ国、生活、その人の見た風景、視点をゆっくりと
追いかけるうちに、心が洗われた。
でも、わたしは今、なら「シネマ」に出掛けるだろう。
友達と誘い合っていくシネマもいいけど、衝動的に出掛ける「シネマ」というのも、
とても贅沢なものがある。

先日、近所のミニシアター系の映画館で「マリーゴールドホテルで会いましょう」という映画をみた。





決めてから20分で準備して出掛けたので、普段着に近いスタイルで「車」に乗って出掛けた。
チケット売り場で、本当ならビールとポップコーン(塩味)を買うところを、この日はコーヒーで辛抱する。
映画はインドを舞台に紡がれた、イギリス人男女7人の物語だ。
男女といっても若い男女ではない。50代後半から70代の、人生の終末期を前にした男女。
熟年世代へのエールといってもいいかもしれない。

車とバイク、オートリキシャ(日本のオート三輪に似たようなもの)、自転車などの乗り物の洪水。騒音。
大勢の人の波。泥色の河。砂ぼこりの舞い上がる中の雄大な自然。最もエキサイティングな熱帯都市・
インドという舞台設定がおもしろかった。

7人は夫を亡くして初めての一人暮らしを決意したイヴリンを筆頭に、
皆それぞれの日常の混乱を抱えていた。
(イヴリンは40年間連れ添った夫に頼りきっていたため、多額の負債があることも知らず、
返済のために家を売り、一緒に暮らそうという息子の誘いを断り、インドへやってきた。
長年連れ添ったある夫婦の心はすでに別々の心でインドへ。持病の治療のために訪れたキャリアの老婆も)

そんな彼らを迎えてくれたのはインドの高級リゾートホテルとは名ばかりの、衝撃的な異文化の洗礼である。
カルチャーショックに襲われながらも、パワーに満ち溢れた国インドの風に背中を押され、
新しい世界に踏み込み、人生が 変わり始める7人の姿が描かれる。

「インドは、人の感覚、それまで当然だと思ってきたことのすべてを常に攻撃してくる」
「あらゆるコントラストを提示し、あなたを変えてしまう国です。時にスリリング、
時に魅惑的、そしてショッキング。 溢れる生命に満ちています」

という言葉に、インドという国の魅力がすべて込められている。
画面から溢れだしてくる熱い風のパワー、生きる人の笑顔、笑顔、笑顔。滴る花の色。
大きすぎる自然の姿に圧倒される。

この映画の根底に流れていたのは、自分の人生を変え、新しい何かと出会うのに、
遅すぎるということはないというメッセージである。
最後のセリフが衝撃だった。

「もう年だと諦めてしまうことがある。本当の失敗とはやらないないでおくこと」。
「朝起きたら毎日を懸命に生きる。それでいい」。

シネマというのは、一冊の本を読みおえたほどの爽快感と疲れと、満ち足りた気持ちを運んできてくれる。
帰宅したら自分の骨格がまっすぐになったような気がした。
せっかく近所のミニシアター系の会員になっているのだし、もっとせっせと足を運ばなきゃね。

そういえば、ゴールデンウィークは毎日連ちゃんで5本のシネマをおうちで観た。
おうちシネマも、積極的に続けたい…。





山の緑と紫陽花と

2013-07-02 19:26:49 | どこかへ行きたい(日本)

7月になった途端、夏の気温・夏の陽気になった。
山の緑も鶯色からすっかり濃くなっていく。

6月はわたしにとっては特別な月だ。
なんといっても昨年の婦人科系の大手術の末、あらたに自分が再生した記念すべき月なのである。
そういう経緯があるのか、ないのか。本当に6月は自分がもうすぐ不治の病にでもなるのではないかと思うほど、
沢山の友人から連絡があり再会することができたのだ。
それは、ひとつの仕事が「呼び水」となって、次々と新しい仕事が入る時のように、お友達との連絡も次々!という感じであった。
せっかくなので出来るだけ断らずに仕事と両立させながら再会を果たすことができて大変にうれしい。

6月中旬頃には、高校の時の友人から誘われて、宇治に出掛ける。
紫陽花を愛でるためである。

紫陽花は初夏の花だ。神戸森林植物園や兵庫県川西(能勢電鉄「畦野駅」)の「頼光寺」にはこれまで出掛けたことがあったが、
今回の友人のリクエストは「三室戸寺」。

前日は幸運にも雨だった。やはり紫陽花を見るには雨後が一番である。
最寄り「JR三室戸駅」には、10時半に到着した。
国道沿いに歩いて10分。赤い山門が見えてきた。




その隣には、5千坪の森(大庭園)紫陽花の園が鎮座していて、
それらを横目で眺めながら、まずは本堂へ。
山へ向かっててくてくと歩き、ふうふういいながら本堂までのぼった。



ハスの池と山の景色が望める小さな庵で一服。
吹く風がやや湿気をおびていたが、爽やかな夏のにおいをはらんでいた。

さて、紫陽花もいいが、蓮もとても美しかった。





ピンと張った黄色や白の花弁がなんとも清楚でかっこいい。
蓮という花は、背筋を正して愛でる花だ。中をのぞかせてもらうと、さらに心洗われる。
特に白の蓮が一段と素晴らしかった。



本堂から向かって左手には、阿弥陀堂と三重塔、鐘楼があった。





この寺は1200年前、光仁天皇の願により岩渕より出現された千手観音菩薩を五ご本尊として創建。
暗くてよくみえなかったが、厳かないい仏様で、ありがたい気持ちで手をあわせる。
可愛いウサギや、蛇の像も。






帰りは紫陽花の森(大庭園)をゆっくり愛でながら、
沢山おしゃべりをして、写真もいっぱい撮って降りていく。











紫陽花の、魅力とはやはり自然の森との調和ではないだろうか。

街路樹などでみかける紫陽花よりも絶対にイキイキしているし、
森の緑と、紫陽花はなんともよく映える。
グリーンの海に、パッ、パッと湧き出たように咲くさまが、美しい。
花弁の色もそれぞれ色合いが微妙に違って、水を混ぜて溶いた水彩画のブルーや紫の透明感を思い出す。




お昼はどこでたべましょうか。

帰り道で赤い紫蘇ジュースを売っていらしたおばさんに、オススメのお昼処を聞く。そして、
日傘をさしても全くよけようもないほど熱い陽気のなかを再びてくてく歩いて、京阪電車で宇治駅まで行き、「宇治平等院」の表参道まで。
(途中宇治の橋に川面から虫の大群に襲われたのが不思議な体験)。



電話で予約をいれた甲斐があって、店主が店先まで出てお出迎えしてくれた。
みると本日売り切れ終了の看板が。
にもかかわらず、地元で人気と評判の蕎麦処「ながの」でお昼をいただくことができた。





おいしい茶そばというのを、生まれてはじめて食べたのかも。

茶の味がすっきりしていて、いいにおいのお蕎麦であった。
昔、萩で食べた瓦蕎麦(茶蕎麦)よりも断然おいしかった。
このあと、せっかくなので宇治の平等院へ。改修工事中で鳳凰のすばらしい平等院はお目にかかれなかったがそのかわりに「鳳翔館」をのぞく。







ひんやりとした冷たいコンクリート造りの建物で、平安時代の梵鐘、仏像を拝観することができた。
なかでも心に響いたのは、なんといっても雲中供養菩薩像52体(国宝)だ。
右方になびく雲の上に正面を向いて坐り、笙(しょう)を奏する姿や、
蓮華座の上に膝をついて座り、両手に拍板(はくばん)を持っている姿。
持ち物を抱いている姿、音楽にあわせて踊る姿など、そのいでたちがあまりに優美で極楽浄土を描く平等院ならではの菩薩像という感じでよかった。
心が高揚してしまった。



表参道のお茶屋さんをひやかしながら、やはりここは
「上林春松本店」でお茶を買って、かの有名な「中村藤吉」本店へ。




川面からわたる風が初夏という感じが気持ちよかった。


超人気店のために約40分くらい並んだ。
ここはかつては由緒あるお茶屋さんだったのだろうが、今はアルバイト君がほとんど甘味をつくっていると思う。

それでもせっかくなので、長い行列に並んで「生茶ゼリーのパフェ」をいただく。友人としばしの一服だ。



このあとイラストレーターのHさんと用事があったので最寄りの高槻で会い、
京都のおいしい珈琲店で再会。冷たいカフェモカを飲んでから帰る。