月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

初夏の野菜、リュバーブのタルト

2020-06-04 23:15:00 | 今日もいい一日

 

 夏らしいスイーツを食べてみた。その名も「タルト・オ・リュバーブ」。

  「美の壷」日本の避暑地スペシャルの中盤。軽井沢「キャボットコーヴ」というレストランで異国の朝食のひとつとしてリュバーブのジャムを紹介されていて、気になって一度食べてみたくて仕方なかったのだ。

 思わぬところに、それはあった。自宅から歩いて15分ほどのケーキショップに。「島田農園さんの無農薬、化学肥料不使用で育てられているものを取り寄せて、たっぷりと生地に詰め込んである」という。

  手で持って大きな口で。クリーミィーなまろやかさに始まり、サクサクッとしたタルト生地にガーネットのような宝石の赤色。青リンゴやベリーのように爽やかな酸味というが、本当に新鮮で甘酸っぱい。あぁ、これがリュバーブ。

 ある日には、ヌワラエリアの紅茶と。次の日にはコーヒーとも。相性バツグン。心は爽やかな避暑地。

 リュバーブはシベリア南部が原産地でヨーロッパではポピュラーな食材、(野菜、ハーブ)。日本のフキみたいな存在だと調べてわかった。

 

 
 
 


 
(※下の野菜がリュバーブです。購入した近所のケーキショップから拝借)


 

 

 


ウイルスがもたらす足跡とは

2020-06-02 15:32:31 | 今日もいい一日
 
 5月の最終週、5月28日(木曜日)。AM11時の関西国際空港。テロにでも遭った直後のように、あらゆる人が抜き取られた空港の「いま」。
 
 緊急事態宣言の解除から、いったい何日したら人が、日常が、旅が戻ってくるのだろう。この廃墟の空間に。
 
 花火業者の有志で作る「Cheer up!花火プロジェクト」。きょう6月1日は、全国で一斉にPM8時から花火を打ち上げ、新型コロナの収束を祈願した、とニュースで報道されていた。
  
 中国・武漢での収束イベントを思い出した。
 新型コロナウイルスは、人類に何らかのメッセージを伝えるために、もたらされたのではないか、と時々考える。いや、そうではなくて。私たちがここから必ず学ばなくてはいけないということか。とても重要な警鐘を……。
 
 人はこれまでチーム(集団)となり、移動することで進化してきた。
 
 の中に巣ごもることは、急ぐのではなく歩みを止めることで。未来ではなく過去にむかってベクトル(思考)を促し、あなたが本当なら何を求めていたのかを、知ることでもないかしら。個を強くし、あるいは弱くもし、新たな進化を生み出していくためにも。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

いつも心にイエローを 

2019-10-08 17:15:36 | 今日もいい一日






 あると安心なものというのがある。私の場合には、みえないものや消えてなくなるものが多い。

 たとえば、バスルームの中ではジャスミンの香りの石鹸やコットンリネンのバスソルト。好きな作家の書く物語も本を閉じれば消えてしまう。お香、紅茶(お茶全般)コーヒーなど嗜好品のかもす馥郁たる余韻。目をとじて、あぁおいしいと思うや、消えてなくなる。

 この季節は秋の木の実がはじける匂いも大好き。今も外出して、外へでた瞬間に、空気が香っている。

 鈴虫やコオロギが羽をふるわせる音、野鳥の声、蝉しぐれも。お湯や水の感触もいい。

(最近ではオーガニックコットンやリネン類、冬はカシミアのものしか体がよろこんでうけつけなくなっていく。それも年々。若い頃はそこまでで、なかったのに)
 言葉をかえるならば、なんでもオッケーという若い頃の柔軟性が消えて、許容範囲がせまく頑固になってきたのかいもしれない。


 消えてしまうものというには、少し違うけれど。視覚においても影響力が変わってきた。若い頃はともかくビビッドな青やオレンジに惹かれた。いまは黄色!圧倒的にレモンイエローだ。(暮らしの中のさし色としての黄色という意味)


そばにあると幸せだと思う。
よろこばしい、すごく。

 上の写真のレモンは実はイギリス製の軽い紙粘土のようなものでつくられていて、神戸のマンドレイク、という店で買った。家族は「なんだこれ、こんな作り物をどうして使うのよ」と聞くが、レモンの固形をみるだけで、口の中が酸っぱさで唾がたまってきて、爽やかになる。視覚から力をもらうのだ。
 
 たとえば外出の時にはイエローのショールを首にまいているか、大事な仕事の時には、家でもこれを肩にかけて原稿を書くようになった。実は秋用の黄色いシャツや少しからし色っぽいセーター、冬のカシミアショールにも「黄色」をもってくるほど凝る、女になってしまった。

 なぜ黄色? と考えていて。最近わかったことには、黄色いものは月の光にとても近い明度をもっているのではと思う。そばにあると安心で明るさに守られている気がする。



 これはわたしが本で読んだネタなのだが、作家の江國香織氏は、
「音楽にいつも助けられてきたと書いていた。幼い頃からお父さんはジャズを。お母さんはシャンソンをきいていたので、わが家には音楽がいつも溢れていた」といったいた。
 江國氏本人は、執筆中には無音か、あるいは「バッハのバロック音楽」を聞くという。
 なぜなら「心がゆさぶられるものはこまる。書く時は、安心できるものでなければ」と話されていた。


 いつも自分らしく心の安寧と均整をとるため、なにかをそばに持ちたい。決して不変ではない、けれどいまは大事なもの。そういう拠り所が少しでも多くあれば幸せじゃないかと感じる。




毎日鉄瓶をのぞく、ほんの些細な時間の中で

2018-02-02 00:56:55 | 今日もいい一日




<釜定 サイトからお借りしました。15年間、1号、2号とも愛用品>



かれこれ15年くらい前から鉄瓶を使うようになっており、
チンチンの熱い鉄瓶から白湯やら岩茶やら紅茶、珈琲、時々抹茶を煎れるなど、
信じられないくらい原稿の句読点的なティータイムをしているため、
喉や口元あたりを頻繁にやけどする。

おそらく、鉄瓶の湯というのは普通の薬缶より数℃は高いと信じている。

朝の白湯は、とろみのある綿菓子に糖分をぬいたようないい具合に仕上がるし、
アッサムやダージリンは、鉄がもつ情熱的な熱さと芳香が加わって、
上品ではないが熱い国の飲みものとなる。英国ではなくて、インドやスリランカの紅茶の味に。

それが、今年になって15年使ってきた釜定の鉄瓶に穴が空いてしまった。
(実はその10年ほど前にも釜定の鉄瓶に同じ穴を空けていた)。

一体が2万5千円くらいするので、(現在は3万以上)ショックで泣きそうになった。
おそらく、火をかけたままにして原稿に集中しているので空だきし、また数カ月後に空だきしと、数回繰り返すうちに鋼鉄の耐久性も損なわれて、鉄が裂けるのであるらしい。
そう正確には穴ではなく裂けているのだ。

昨年暮れから、この状態で2週間くらい使い続けた。
私は思う。鉄瓶は自然の産物であるから、生き物が自力で蘇生したり快復(修復)したりするうちに、いつのまにか湯垢で裂けた穴が自然に蓋がされないのかと、ずっと見守りながら使い続けたのだ。それくらい微かな裂け目。30秒に1滴2滴しか漏れないほどの穴なのである。

しかし、鉄瓶が自力で快復するより早くガスレンジがいかれてきた。
今度はガスレンジが一回で着かなくなってきた。
鉄瓶からこぼれる湯がガスの点火部分に注がれているらしい。
火がしゅるしゅる!!と音をたてて沈黙する(消える)事が頻繁になった。

こりゃあ、無理だ。共倒れ。
そう思って、釜定さんに修理を依頼し、盛岡までわが愛する鉄瓶を送りつけたが「小さな穴なら塞げますが、裂けているのは無理なんです」と15年前と同じ理由で丁重にお断りされた。

やっぱりと落胆しながらも、「では新品をお送りいただけませんか」と即お願いした。だが
「すみませんね、お待ちいただいているお客さんが大勢いらっしゃいまして1年半待って頂いてもよろしいですか?」と電話口の上品なおばさまはお話しになった。
1年半…!そんな、無理でしょ。

1年半の間、ホーローの薬缶でも買おうかしら、柳宗理の薬缶もシンプルでいいわね。などと思ってみる。が、結局、一番近いかたちの鉄瓶をアマゾンサイトから購入した。


しかれど、である。
使い続けて10日目。
鉄の味が激しすぎて、湯がまろやかにならない。紅茶がびつくりする尖った味。飲めたものではない。
小鍋で沸かしたほうがいくらかおいしい。

それで毎日、毎日3回・4回鉄瓶の状態を眺めては辛抱づよくお茶を煎れ続けている。
先日、辛抱しかねてミネラルウォーターを1リットル投入した。
ミネラル分が鉄瓶につくとサイトの情報で知ったのである。
そして数日。湯垢どころか、鉄瓶の中は真っ赤に腫れ上がってくるばかりだ。
化膿してるみたいな内部の色合いである。

信じられない。と嘆きつつ原稿に今日も追われる日々。

そして、2月1日。今朝のこと。
乳白した空から雪まじりの小雨が降る無声映画のような静かな朝に、ようやくちょっとはましな白湯を頂戴できたのある。
ほんま、急に上手にならはったのかしらん。
明日の朝が来るのが待ち遠しいようなちょっぴり怖いような。



1月は熱におかされたような混線の渦の中で

2018-01-18 23:38:38 | 今日もいい一日




1月というのは、不思議な出来事が交錯する時です

人は、「お正月」という1年の区切りを迎えることによって、ゆとり・自分にスペースが生まれるのかもしれません。
また年賀状で遠くにいる友人・知人、親戚らと短い手紙を交わしあうからなのでしょうか。
思わぬ人からひょっこりと連絡をもらったり、連絡をとりたくなったり…が劇場をみるように続いています。

大学時代の古い友人(男性)から、近況を知られるメールを3日におよんでもらいました。
同じく大学時代のとても親しかった友人と、毎夜のように長い往復書簡のラインを重ねる日々が続き(25年ぶり)それが支えになっていたり…。

昨晩は、学生時代の友人(あまり親交は深くなかったないけれど)の突然の死を知らせるために、愛媛・松山の友人と電話で話しました。木訥とした話し方、30年の時は一気に埋めることができなくて彼女は少し戸惑っているように思えました。

また約1ヶ月おきに慌ただしいスケジュールの中で顔をみせあっている実家の母が、2週間近く滞在してくれ、生活を共にしました。
(可愛い人に思えた母)

仕事は、1日何本もにギューギューつめてやっきて、その提出日がよりによって全て同じ日とか、あり得ないような状況も。

そして明日は20年来の友達と1年ぶりの再会。
なんだか誰かに操られているようなほど時間軸がこんがらがって不思議さのまっただ中に暮らしているのです。

あまりにめまぐるしいのに、最近は学ぶことや気づくことが多すぎて、そのたびに、心が冬の早朝の空気のように研ぎ澄まされていくのです。

古い友人と連絡をとりあっていると、瞼に映るのは、やはりセピア色のむかしむかしのその人の姿で現れ、
1つの言葉の欠片がスイッチとなって、あの日から今日までのあれこれが一気に駆け抜け、
今こうしてここに居るその意味が本当に合点がつく。

そうして、忘れてしまっていた私の原点(若い無垢な心)を、ふわりと捕まえられて、
対面できるなどという「不思議な現象」もここ1週間あまり起こっていました。

そしてまた。時というのは暴力的なまでにいろいろな出来事をひきおこし、
純粋で素直だったあの子も真剣な目をしたガラス細工のように傷つきやすかったあの子の心も、
折り畳んで現実の日々の時間の渦に閉じこめて、翻弄したりもするのですね。
メールの文面から、電話の声やその息づかいから、とても苦しそうな友人たちが見えた…。

先日。仕事の音声が送られるのを待っていた深夜。
カズオイシグロが、NHKの深夜番組でこんなことを言っているのを耳にし、
テレビの前で立ち止まってしまいました。

「国は、前進するために、結束を守るために、コミュニティが分裂して内戦に陥ったり派閥に分かれたりするのを防ぐために、過去を忘れなければならない時があります」
ノグチイシグロ氏は、自分は過去を忘れるべきか、忘れてはいけないのかを常に迷い、そんな人々を書きたいと思ったというようなことを言っていた。


自分はどこにいるか、どんな人から生まれどんな風に大きくなって、いろいろな出来事や人々や環境のおかげで、
ここにこうして立っていられるのだということを、ふと思い出すのが1月という清々しい神様に近い暦の月なのかもしれません。

もっと前に進むには、走り続けるばかりではなく、時に立ち止まってそして確認することが大事だと今の私にはそう思えています。





普段どおりの一日が、実は特別なこと

2017-12-31 02:23:55 | 今日もいい一日

パリへの旅行のブログを3日分ほど、書き溜めて予約送信したあと、
20〜23日まで東京へ行っていた。
仕事の人と打ち合わせした後には、蒲田の羽根つき餃子のお店で中華を食べて、翌日は築地で寿司。
暮れの銀座を味わうために、デパートを2件はしごして、銀座シックスで
食料品を買い、ピエールマルコリーニで休憩のパフェ。


そのまま表参道へ流れて、ちょっとアンティークの店や雑貨をみた後でピッツァリア サバチィーニ青山でイタリアン。
翌日は横浜の海沿いを散策して、横浜中華街から赤煉瓦倉庫の
クリスマスマーケットなどをみてまわり、ご機嫌で関西に戻ってきて。(笑)

クリスマスの24日には、意気揚々と買い物へ行って、
おいしそうなごちそうをこしらえている最中に寒気と吐き気、頭痛がマックスになり、そのまま26日まで寝込んでしまった。
クリスマスイブに寝込むのは二年目だ。

おそらく、仕事が一段落したのでそろそろ体が内へ内へと閉ざしたくて、
「陰の気」に満ちてしまったのかもしれない。

ようやく、今日くらいから回復してきて、
昨日は友人と予定していたので、リーガロイヤルホテル大阪で友人4人と食事会。今日、なんとか年賀状の投函へと持ち込んだ。

病に伏すと、いつものように思うのは、なにげない普段の毎日を過ごせることの幸福だ。
本を読んだり、DVDで映画をみたり、夕方お風呂に入った後に食事をこしらえて、それをビールやワインとともに味わう至福。
特別にどこへ行くでも、驚くようなハプニングなんかなくとも
「人生は普通が楽しい」。

もちろん、ちょっぴり特別な日も楽しいけれど、自然のゆるやかな恩恵の一部の中に自分がいて、
普段どおりの毎日が始まっていく、というだけで実はそれはとても特別なことなのだと思う。
突然。降ってわいたような戦争や被災や、体調不良や不慮の…アクシデントにもしあったなら、
こうはならないのだから。何もない一日というだけで実はとても恵まれていることなのだと思う。
体調ガ思わしくないと、しみじみと健康のありがたさが身にしみる。

だけど、私のようなすぐに「いい気になって楽観的に生きてしまうやつには、
時々はこうして立ち止まる一日というのも必要なのだ、きっと…。
あぁ世の中は一番良いように最善の状態で流れていくと信じて、今日も眠りにつこう。
朝がくれば大晦日だ。

「自由さの中、積極的に生きる暮らし」

2017-12-08 20:56:40 | 今日もいい一日


今日は曇天だと思ったら、午後から木枯らしになった。いよいよ師走だ。
そこで、この一年を振り返って少し書いてみようと思う。

5月に一人娘のNが全日空の客室乗務員として東京へ行ってしまってから、最初は肩の荷が降り、
精神的に寂しくなるだろうなと予想していた。
もしかしたら、いきる活力みたいなものさえ、乏しくなって、老け込んでしまうのじゃないだろうかと思っていたほどだ。

それが、意外や楽しい日々なのである。
まず、不思議なことに、定期案件が切れめなく舞い込むようになって寂しいなどと俯いている暇はなくなった。

ひとつの特集で「ウエルネス瞑想術」を取り上げたのをきっかけに、
10分ヨガと瞑想を習慣化するようになり、少しだが物事を客観的にとらえられるようになったのか、
自分の中に空間(ゆとり)のようなものができた気がする。

いつ誰と出会っても、たとえ物事が思わぬ方向で降りかかってきても、ガチガチに大慌てすることはなくなったのかもしれない。

毎日仕事に追われているのが、当たり前のような状況。
だけど、その案件によって沢山のことを学ぶし、うまく書けなければ書けないで、書くことができたらできたで。
草木が日一日、空を向いてのびのびと育っていくような楽しさと明るさを覚え、書く仕事をさせていただいてありがたいなと(宗教的な意味じゃなくて)そう、心から思えるのである。

 またこの1年は、仕事と仕事のちょっとの隙間時間に、遠出をした。
たとえば、6月、7月には東京へ。出張取材をかねて娘のNのところに泊まり、久しぶりの学生時代の友達とも再会。
 表参道や青山界隈へ、神楽坂へ、根岸や谷中や二子玉川へと友人たちと食べ歩き、街を探訪すること数日。
もうこんなの初めてと思うくらい、珍しいものや楽しいことに遭遇して、気持ちが軽快だ。
自分のワークフィールドが広がった。

9月にはご近所のお友達と台湾へ。
10月には松山の道後温泉へも行った。
今月などはNが週5度も大阪にステーするので、そのたびに夜は天ぷらや熟成牛のおいしい店や、
懐かしい京都のイタリアンへの出掛けていく(そのたびに仕事のやりくりが大変なのだが)。
週に一度会うというのも、なかなか新鮮なのだ。

また一人暮らしの85歳の母を実家に残しているので、月に1度は実家へ帰るし、毎日のように母へ電話を入れる。
Nにはまたの仕事への不安や楽しい出来事などを聞くためにラインも。
母とNと、その中間地点にたちながら、私は友人たちともいい距離を置きながら、コツコツと仕事をして過ごしている。
「自由さの中、積極的に生きる暮らし」。悪くない、むしろ昨年とまた違った新しさのなかに自分がいる。

今日はつらつらと、というような日記になったのでここまで。また明日!

冬の日、瞑想のとき。

2017-12-04 22:24:14 | 今日もいい一日





秋の夜は深くて黒い。飲み込まれそうになる日も。だけど朝が白み、日だまりが始まる頃。

鉄瓶にお白湯をわかし、そのまま火をつけたままの状態で、5分から10分ヨガをし、瞑想に入る。

まず窓をあけよう!私は南をむいて座り、瞳には上瞼でふたをした状態。ゆっくりと息を吐く。

一度、呼吸をとめてさらにお腹の中にたまっている陰の気も陽の気もすべてを絞り出すようにして、

またさらに息を吐く。すると。

1つの仕事に終止符が打たれたように心が一瞬ほどける、この瞬間がたまらなくいい。

心が少しざわつくのを感じ、それらが静まるのを少し待つ。

先ほどと同じように息を吐く。ゆっくりと。また今度も同じように全部吐き切る。

5往復ほどこうやって瞑想を続けると、口の中にほの甘いつばが私の体の中からわきあがってくるのだ。


特に今朝の瞑想タイムは、初めてというくらいに希望に満ちた。ほんの時々だけど満足する瞑想時間というのに出くわす。

あれこれ考えにとらわれる日は、腑に落ちないまま、まぁ仕方なしとそれでも潔く切り上げる。



台所に行って鉄瓶のお湯を茶色のお気に入りの紅茶茶碗に注ぎ、さっき頭に浮かんだ黒川本家の葛を水溶きし、

勢いよく熱湯を注ぎ、中華用のレンゲでかき回す、そして一口。

太陽が燦々と照りつける冬の日の瞑想は、特にすばらしい。


さて葛入りの白湯。おいしい。きれいな白湯の味だ。

私の血管や関節、体のすみずみまで、白湯のぬくもりで、じわじわと満ちていくのがわかる。

今日は12月1日。瞑想ってなんだ!!




SNSとどう向きあう!?

2017-10-30 23:04:04 | 今日もいい一日

SNSとどう向きあう!?

コピーライターやフリーライターなど、クリエイティブ職に就いている人は、ほとんどが「SNS」(Twitter、Facebook、Instagram)と、
個人名のBLOGを有効活用して、自分発信(自己PR)を積極的に行っている。

これまで私自身は、仕事が忙しいのを理由に、これらをスルーしていたのだったが、
どんどん過熱するIT時代の今、(書籍よりも、圧倒的にIT的な媒体から情報を入手する人が多い)、
ソーシャルネットワーキングサービスの「完全スルー」という状況は、今後は通用しなくなってきたのでは、と感じている。

というのは、
私の通常業務においても、企業の広報や広告部を取材する場合や
また個人をインタビューする場合にも、
「あなたはSNS発信をどう活用しているか」、「あなたはSNSをどう思うのか」、という焦点で必ず、聞くようにクライアントにも指示されるのだし、
むしろ、取材の(企業や個人の)焦点として、この問題を取り上げる場合があまりに多いからだ。
不特定多数の人と、「つながる」は、潮流のキーワードでもある。


はっきり、言おう。
私は個人的には、このSNSというのがどうもしっくりこない、苦手です。
(※SNSをうまく活用する人が苦手という意味ではない、むしろ尊敬している。ただ自分はうまく出来ないという意味です)

そもそも、読者想定をしない相手に対して一石を投じる、というのは
大宇宙に向かって何かを吐き出すようで、なんだか怖いな、というもある。

また「このお仕事やりました」「こちらに掲載されましたから、ご一読ください」等のPRも、
胸のあたりがむずがゆくて、創作側の意図やこの仕事に掛ける想い、
社会への必要性などをサッパリと潔く、発信するのが実に下手なのである。
自身の個人的なニュースさえも、旬の時季を逃し、発信できないのが関の山なのだ。

とくにTwitterなどに限っては、私も最近アカウントだけはとってみたが
(遠方の友人がTwitterだけをやっているので彼女の近況を入手するため)、
秒速でTwitterを発信したり、リツイートしている同業者をみるにつけ、凄い!いつ仕事をしているのだろう、と思うとともに
世間の動向やニュースを、自分もフィルターに通過させてこれだけ書けるのだから、やっぱり凄い!きっとそういう人の頭脳には、
メモとペンが常にスタンバイして、(ということは、ボンヤリ生きていないこと)常に緊張感をもって考えている!のだろうな、と
憧れ的な気持ちで傍観している時が多いわけだ(…)。

では!一体どんなSNSが人の心にヒットするのだろうか、と自分の頭をひねってみると、
不特定多数の人が今、欲しい情報(もしくは考え方)を、欲しい時に、提案してくれるSNSが一番求められているのじゃあ、ないかなと思うに至った。
それもその人目線の記事を…!
これは、広告コピー表現のあり方と少し近い。

だけど、そこに固執する(こだわる)と、結局は自分が誰かに告げたい想いではなく、あくまで人様目線の情報を自分の中に探そうとして
相手に媚びすぎる情報になるのではないか、と考えてみたり。
そこを狙いすぎると、逆に臭くなるという節も。
総じて、じゃあ人に役にたつSNSの情報=自分が発信したいこと(伝えたいこと)が (=で結ばれており)
ストレスなく端的(一言)に伝えられたものがベターだと思うわけだ。

せめて、自己自慢にならないSNSにしたいなと、思う。(個人的には)
読んだ人が良い気持ちになるものや、ハッピーな気持ちなれるものを、自分は書こうと思う。

そう思うと、仕事的な意識でもって頭をひねってみなくてはならないのだ。
(本心をいうと、SNSはプライベートの発信源。だからあくまで遊び的要素で楽しく行きたいけど…!)

そこで、ある日先輩のコピーライターの方にSNSについての見解を聞いてみた。
彼女は、さも関心なさそうにポツリとこういった。
「やっぱりBLOGって。編集したら1冊の本になるくらいのレベルの高さで書かなきゃ、書く意味ないんじゃないの?
そうでない限りは、むしろやらないほうが綺麗だよ」。
そうか、、、またハードルがカタンと一段上がった。
確かに私の周りにいる同世代の同僚や先輩は、SNSは見るもの、
(人のモノを見るもは好きだけど発信はしない)とばかりに全くNOサンキューという友人が圧倒的なのである。

そんなある日、たまたまが重なって偶然的に出かけたある講座で壇上に立った
講師の女性(フリーライター・編集者)の話が、私の心をとらえた!!
彼女の話は実にユニークで、伝わる文章とは何か、について論じていらっしゃるのを、私は熱心に拝聴させて頂いた。
また、自分の略歴の流れや、これまでの人生観などを語った上で、最後にこう言われた。
「起承転結、でキチッと治まる文章ほど、つまらない退屈な記事はありません」
「それに見たまま、感じたままを書きっぱなしにする文章は絶対に伝わらない。
なぜ?これを伝えたい、伝えようと思ったのか。その想い、そこを肝として編集する。
自問自答している文しか、結局は伝わらないと私は感じています」。

ヒー!! 鋭い。そして自分の中に、サーッと光が駆け抜けた気がした。
衝撃が走った。

そして、その人のSNS(BLOG)をみたら、さらに私はパソコンの画面から、目が釘づけになり、そこから目を離せなくなってしまったのだ。
自分の今携わっている仕事が一瞬、真っ白になるくらいに。

そこで私は、最近作ったばかりのTwitterアカウントから、彼女のアカウントに(講義内容について呟かれていたので)メッセージを送信した。
すると即、「いいね!」をその講師の女性はクリックレスポンスで返してくれたのだ。
そして、返信メッセージがポンと送られてきた。それも瞬時に。
ほぅー!これが、ソーシャルネットワークビジネスで“つながる”ということだ、と私は瞬時に理解したのだ。

私のFaceBookには、110名ほどの友人がいて、
時々(数カ月に1度くらい)コミュニケーションを交わすが(いや発信しているが)、
でも、ほかのSNSでもつながりましょう!とは実のところ、ほとんど呼びかけていない。
自分が、SNSで何を伝えたいのか!それらの意味と発信すべきコンセプトみたいなものが、もっと鮮明になってからでいい。
それまで実験的に、というか試行錯誤…というか、探ってみようと考えている。(本当にできるかどうかは別にして…)
本当は、目先の仕事優先で、早く早く原稿を!とお尻を叩かれている今の現状としては、
全くもって進展はしていないのだけれど。。。。

どこからか、もうまどろっこしいな。「楽しくやろうぜ、楽しく!」という声が聞こえた。



ある恋のはじまりと終わりをみていた私のせつなさ

2015-07-25 17:10:33 | 今日もいい一日







私は人に対しての想い入れが強すぎる。

その人の人柄を、その個性や人間性を、こんなにも強く想い入れてしまう癖が私にはある。
だから、失った後に、愕然とする。落胆する。
まるで自分が失恋でもしたかのように。

その人は娘の彼。娘が生まれてはじめてお付き合いした彼氏だった人です。

その話を聞いてしまった後では、砂を飲み込んだような重い気分になり、今はどうしていらっしゃるだろうか、と考えると、仕事も手につかず。
ごはんの味さえも不曖昧になり、こうしてやり切れない想いで何日も、何日も過ごしているのだ。

自分で、バカじゃないかと想う。自分の人格を、その薄っぺらさを疑う。

だけど、昨年9月からずっーと、デートから帰るたびに、彼氏とのエピソードを物語のようにして聞かせてもらうのが微笑ましく、ホッとするひとときなのだった。
10カ月間、ずっーと恋人たちの奇蹟を同じように側で辿ってきたと、思う。

娘とのパリでの一時も、片時も忘れずにその話は続いた。

最初は、今の若者ってこんな考え方をして、こんな人風に人を愛するのか、と傍観者のような心地で客観していた。

いや、それは嘘。正直に言おう。
娘が留学を決めた時に自身のイギリス留学の経験を元にカードの使い方など実質的なことを教えて頂いた時から、この人は普通の大学生とは違うな、
とある直感が走ったのだ。

まず娘を通して聞く、飾らない素朴な人柄と、
一度決めた事はがむしゃらに突っ走る所も、好感が持てた。
ひたむき、に。ただ一途に。子どものように無心に、
娘のことを24時間、考えてくれている所に、親として安堵したし、感謝した。



(おそらくライターである私は、彼の放つ光る言葉の中に、信頼を寄せていたのだと想う)。

何度かメールで往復書簡をしたし、
サークルのコンパで遅くなった時、
「私が付いていながら申し訳ございませんでした」と、私に電話もしてきた。

出掛けた時は、娘とともに家へのお土産も絶対に忘れなかった。

彼女がバイトの際には「いってらっしゃい」「お帰り」と声をかけてくれ、
早朝の時には同じように起きて、「いってらっしゃい」といい
レポートがあると深夜まで一緒に起きて励ましていただいたことも。
そして、娘と会った日には、私の車に乗るまでは、自分の責任範疇だと心配してLINEでずっと見守ってくれていた。

「帰るまでは何があるか分からないから、絶対に電車のシートで寝ないで。
寝そうになったら吊革につかまっていて。僕がLINEで相手しとくから。だから寝ちゃダメだよ」と言ったそうである。


その優しさ、その持って生まれた行儀の良さ、愛情表現の豊かさに、最近の若者も捨てたモノではないな、と。
私にとって、あまりに新鮮な事柄や心に残る一言を「○○語録」として記録してあるほどで。
何のために、とビックリする人もいるだろうが、記録せずにはいられなかったのだ。

言葉がきれいで、絶対にええかっこしない人だった。

人が人を想う、ということがこんなにも純潔なのか。改めて人生は素晴らしく、人は貴いものであると、まざまざと知ったのだ。
だからこそ、娘の交際を見守ることで、私達夫婦の関係も、もう一度、純粋に見直していきたいと、心から思ったほどである。

だから、今、娘がその人を
「こんなに子どもっぽすぎる所があったのよ。ほんまに私以外のことはいい加減で」
と話しても、びくとも心は揺れない。
だからこそ、あんなにも、娘にのめり込む事が出来たのか、と理解し、それも含めて
親以外に、娘のことを心から心配してくれた人を失ったことを嘆く私がいる。

「今度こそ、本当に好きな人と付き合ってみたいの。あなたの事は、まるで身内の1人みたいに好きだったけど、それ以上にはどうしてもなれなかった」

そういって、娘は
1人の男を紙屑のように、(いやそうじゃないかもしれないが)縁をよく断ち切れたものだと感心する。

それも、まだ2度しかデートしたことのない人の一言で。(41回の逢瀬の人より信頼をおいたのだ)

勿論、頭では分かっている。
相手の想いが強ければ強すぎるほど。そのバランスがとれていない関係だと
他者にとっては重くのしかかって、しまうことも。
自分の心に素直に生きてみたくなることも。よく理解している。
だけど、あまりに切なすぎる。


じゃあ、彼はなんのために。なんのために1年近く娘のために情熱をそそぎ、
もっと今より愛してもらうために、純情を尽くしてきたのかと。
心を開放し、自身を解放し、自分の弱さや愚かささえも娘の前に全て伝え、さらけ出すことが、それが「男の誠実」だと思っていた
人の気持ちはどこへ向かえばいいのかと。
どうしても感情移入しすぎてしまうのである。

「ほんまは、僕がどしっと構えていられたらいいんだけどね(笑)。
でも、大した人間じゃないから、かっこわるくても心狭いって思われても、せめて君だけは守りたいんよ」
あの日、あの時の言葉が、風に吹かれて舞い上がる。 

彼女はなぜこんなに母である私に全てをぶちまけてくれたのだろうか。
どうしてくれよう。

切ない。人が人を想う気持ちというのは、胸が締め付けられるようで切ないのだ。







きれいな鳥が遊びにくる家

2015-06-30 23:49:37 | 今日もいい一日





神棚にお供えするお米を、雀さん用のお皿に入れてやるようになってから、いろんな鳥がわが家にやって来るようになった。

朝に、昼に、夕刻に。
お決まりの雀たちに混じって、瑠璃色の鳥やモノトーンの鳥やツグミやオレンジの胸毛がきれいな鳥も
やってくる。


ベランダの手すりを、チョンチョンチョン!両脚で飛び歩きする姿が、なんともカワイイ。
あ!来た来た。
手を止めて鳥の胸毛あたりや足の形などを見入ってしまう。
時々、しっぽの具合もじっとみる。

鳥はすぐ近くに来ると、くちばしが尖っていたり濡れた目が真っ黒だから「怖い!」と思うくせに、
ちょっと離れて見ている分には、心を安泰にしてくれる、幸せな生きものだ。

かつて、オーストラリアのリゾートホテルに泊まった時、
「ギャー、ギャー!!」と凄まじい声でなく鳥たちによって目覚めた事があるが、それは素敵な心地だった。

アマゾンの森なら、それはもっとドラマチックな鳥の合唱によって、目覚めることができるんだろう。
鳥の声は素敵だ。

風貌もすばらしい。
人が焦がれるものをちゃんと備えている。
羽が生えているのだもの、当然か。


さて、今日は雨。

明るい緑の山々や草の波に、空からの水が、ぎゅんぎゅんと吸い込まれていく。
梅雨になると、地球は水の惑星なんだな、としみじみ想う。

雨の音はいつだって、水の世界に閉じ込められたような安らぎのある余韻を残し、まっすぐに規則正しく降り続く。

こんな日は、落ち着いて原稿が書ける。

風と雨で木々がしなっている音。
しとしと。
ぴちゃ、ぴちゃ。

時々、虫の音色やカエルの鳴き声も混じる。そんな2015年、6月最後の日。

初夏の雨は、大好きです。

朝も、昼も、夜も、夜中も。
お風呂の中でも車の運転中でも。
初夏の雨は、淡い恋とも似て、とても
とてもミステリアスなのであります。


金網つじで、餅を焼いた昼下がり。

2014-10-17 23:05:06 | 今日もいい一日







食欲の秋。
きょうは朝から弾丸で原稿作業を進めておりまして、2時を過ぎたら
もう我慢の限界(朝食は7時半)。

あーーお腹が減ったと、お彼岸に帰った折に実家からもらって冷凍しておいた
「よもぎの大福餅」を、高台寺金網つじの焼き網で焼き上げました。

これ、京都のライターの友人が2年前くらいにブログで紹介していて、
ちょっと高めなのだけど思い切って購入。(撮影の折に自分用のも購入してみた)

パンドミーやネギ、満願寺とうがらしなどを炙ったりするときに
時々使うのだけど、これがまぁ、ぷっくらと程よく焼けまして。
外側はカリッと。内側はやわらかく。
そのぽわっぽわっ感は赤ちゃんのほっぺみたい。いや耳たぶくらい(笑)。

セラミック板を焼き網の下に入れることで、火を遠火に変え、炭火で焼いたように(遠赤効果)食材を美味しくするんだとか。 
こんなにお餅を美味しくするんなら、お正月の焼き餅が今から愉しみだ。

そういえば、「食はにっぽんの道具から」という特集を今春に企画した時、




うちの伊賀の土鍋や盛岡の南部鉄瓶、かつお節削り器、シュロのたわし、など自宅から持ち出して、
おなじみのデザイナー女子と記事(4頁)を組み立てました。

昔の道具は、ほんま賢いし、上品だし、使えるやつでありますね~。

毎日のようにお世話になっているのは、「有次のおろし金」。
表は粗め、裏は細め。また目は2列ごとに反対方向。
だから用途が広い。熟練の職人が丁寧に目たてをした手づくりだけに、
繊維と水の分離が少なくて、素材のうまみをちゃんと残してくれます。
ショウガ、山芋、大根おろしなどなど、なんでもこい!ってなもんです。

三条の内藤商店の「シュロのたわし」、細めのほうき状のは鍋用。
イガイガこげ茶の天然繊維も。

伊賀の土鍋は、白米を炊いて水加減をしたら、沸騰するまでそのままで
細い湯気がでたら、そこから火をとめて蒸らし10分。
二重蓋が圧力窯の役割をしてくれるから、これがお米がふっくら立ってすごくおいしい!
もう炊飯器の米の味は、とうに忘れてしまいました。

さすがに馬毛の網の裏ごし器はもってなかったけれど、
これはうちの優秀なデザイナー女子が持っていましたよ。
しっかりと焼き締められた丈夫な「すり鉢」も、「すりこぎ」も。
めちゃくちゃ、年季のはいった「おひつ」も。(全て私の持っていたものより、格段に味がありました)

南部鉄瓶は、盛岡の「釜定」さんのを私が持っておりまして、
朝一番に飲む甘くやわらかな鉄瓶の白湯なしでは、朝はもう、始められませぬ。
やかんも捨てました。そのうち電子レンジも捨てちゃいそうな勢い。
なんたって、電子レンジはカリウムやらビタミンBとか、大切な栄養素をたくさん破壊しますからね~。
小さな原子力・電子波で。(取材で料理研究家に教わりました)

さてさて、昔の古い道具。使えますね~。デザインも斬新だし。
使い続けるうちに愛着がわいて、もう今となっては手放せない。
そうとう年季が入っているので、そりゃあ美しいままではないのですけれど、うちのかわいい道具であり手足です。

にっぽんの道具やにっぽんの土の器。
手で洗って、拭いたり、火にかけたり。そしてまた眺めたり。
あーーー、この國のおなごでよかったと、しみじみ思ったお昼さがりでありました。

ま、粋に使いこなしちゃあいませんが、ただただ、普通に使っているだけなのですが。ごく一般的なライフスタイルのなかでの道具です。

それにしても、あんこの餅はうまかった!(笑)また焼こ!
パパが安納芋を、バッグいっぱい出張先から持って帰ってきたから、これもまた焼いてみよ~っと。



(それからの、ある日)

特大サイズのステーキを焼いたので、大量のポテトと一緒に、
夏に農家のおじさんにもらったコーンが2本冷凍してあったのを思い出して、
網の上にのせてみた。
1本丸ごとクルクル回すこと15分。これが、コーンの甘い汁が垂れ下がって最高の味!
蒸すもいいけど、焼くは、はんぱなく旨し!
アメリカで食べたコーンの味を彷彿。この日はオーストラリアビーフにして正解でした)



恋バナ三昧の日々。

2014-09-25 12:41:19 | 今日もいい一日





(写真は、9月の京都で。小中学時代の友人に激写されたもの)




最近のわたしは「恋」にうつつを抜かして困ってしまっている。
え!あらまぁ。「恋」ですか。
そうですよ「恋」なんです。もう愉しくって、ハラハラして、夢中なのです。
白昼夢、彼の言葉を想い返せば、うふふと胸がときめき。
彼のなさった行動が心に沁む…。想像を超えて妄想の世界へ。遠い所へいっちゃってます完全に。




と、いっても娘のNの恋バナのことだ。

もうアホすぎて。これは病気だ(私のことです)なんとかしなければ…。理性を保たなければ。
これ以上、はまれば私自身、支障が出るわ。


8月後半から9月は仕事も立てこんでいるというのに
昨日も深夜遅くまで、カチャカチャとパソコンを叩いていたら。
デートから帰ってきたNが上機嫌で私の腕をつかみ
寝室へと誘い込むのである。そう私の寝室へ。


寝室は、リベコ(LIBECO-LAGAE)ホワイトのリネン1色。
赤のランプと鏡台しかないガランとした空間である。
そこへ、ダウンライトの照明だけにして、聴かされるのである。一部始終を(といっても、健全すぎる間柄です)。

Nは今日1日あったこと、ささいな会話の断片を全部きれいにおさらいしてくれて、
スマホで撮影した写真をこれまた全公開してくれる。
家を出てから帰ってくるまでの時間を延々と、延々と細かく聴かせてくれて、90分……!!
今日なんゾ、「そんなに受けるのなら、今度会話を録音してきてあげようか」と言っていた。

そして、Nが自分の部屋へ消えるや、(ハッ!)と我にかえった私は深夜2時半から、1人机に戻って40分くらい原稿を書いて寝た。(もう、明日にまわしちゃえ!て)
いや、正確にはベッドに入った。
しかし…、興奮して眠れないのである。気持ちが高ぶってしまっているのだ。



一体どんなお話?
いや、まあ、限定の人と交際しているわけではなく、
ある殿方と3回デートをしただけ。毎日ラインでお話されているだけ。
(だって、英語でお互いを褒めあったりするんだもの)
(写真を送る時も、物語的にお話を展開しながら写真を貼るんだものなーー)
そうなんだけど、その一部始終が実に興味深く、奥深く…。

しかも、20歳の大学生事情。サークル事情。
どういう人がいて、こんなワケで、こんなこと言って。
この人とこの人がこんな風につき合っていて…と。写真付き、解説付きなわけなんです。
私とて、文を書いたり読んだりする人。自分でいうのもナンですが、
人一倍の「物語体質」なので、想像の翼が膨らんで、はっきり言って、小説を読んでいるより、リアルでワクワクするのは当然…。
ましてや、自分の娘のことですから。その後、どうなったのか、どう展開しているのかが気になって仕方ない。

しかし、問題はNったらです。
なぜ、そんなに親切ていねいに母にぶちまけるのかと、不思議な気持ちもあったりするのです…。 はて?なんででしょうね。
そういえば、先日、おデートをされた殿方が言われたそうです。

「僕は、こんなに純真で素直な子とこれまで会ったことがなかった。
どうしたら、こんないい子に育つのか。こんなに可愛らしいのか。
お母さんに会って、どうやってこんないい子に育てたのですか、と聴いてみたい。
お母さんってどんな人?お父さんってどんな紳士?」

と、言われたそうなのである。
あら、お恥ずかしい。でも、その質問をはたと胸に手をあてて考えてみました。

思い返せば。お腹にいた頃から、●●ちゃんとすでに名前は決めていて
妊娠3カ月頃からずっと、ずっーとお腹の赤ちゃんに話しかけておりました。
そして、いっつも。お腹の赤ちゃんに自分が見た世界を聴かせ、音楽を聴かせ、物語を聴かせ…10月10日。その幸せだったこと。
お腹に赤ちゃんが宿った途端に、私の人生は魔法のエンジェルがお腹に入ったみたいにワケもなく幸せで、不思議でした。

そうやって晴れて誕生したら、それはそれは目の中に入れてもいいほど可愛くて。
いっつも笑いかけて、お話して。本当に「可愛いね。可愛いね。いい子だね」といいながら。
今だにです、お恥ずかしながら。長年勤めた会社まで退職しましたわ。

学校に通うようになると、何があったか、どんな風だったか。
仕事が忙しくてもお話を聞き、
まあそれが愉しくて、おかしくて私としては実に貴重なひとときであったのですよ。

だから、小さい頃から、いつ誰それと誰がね、と私にていねいに話しをしてくれるようになりまして。
そのたびに私がすごくうれしそうに聴くものだから(新鮮すぎて。おかしすぎて)、
中学 高校時代も、男子の誰それがこんな面白いことをした。
あんな愉しいことを言った、
そして、みんなを笑わせたのよーーと。
ティーンエイジャー達との「今」の事情、「今」の話題、
普段聴きたくても聴けないものだから。ごはんのたびに、よく聴かせてもらいました。

そうやって、のびのびと。幾とせ、なのであります。
そんなこんなでありますから、娘のNはごく普通の20歳の女性としては、ちょっと欠陥もあるのかもしれませんね。
母と父に叱られた経験が、ほんの一握りですから。
すくすく、のびのびと自由に成長していくと、あの子のような怖いものしらずの、ちょっぴりわがままな。めちゃくちゃポジティブ思考の、ハッピーの塊のような子になったのです。

はっきり言って、自分が感動したものは見せ、
美味しいと思ったものは味わせ、
大人な場所へも連れていき、本物を見せて。


よく言いますよね、「可愛い可愛い」
「あんたは凄い」とかいえば、本当に「可愛く」なっていくのですよーーと。それを実践していたんですねーー。

まぁ、これは余談ですが、私の母という人は、非常に厳しい人だったもので、「あなたはダメだ、あんたは愚図だ」といわれて大きくなり、いつ叱られるかびくびくしてばかり。
(その分、父が母の分まで甘やかしてはくれましたが)
私はいつか親になった日には、そんな風に自分の娘の重箱のスミをつつくようなことだけはしまい、と誓って生きてきたのであります。


ま、そんなことで。多いに脱線してしまった、恋バナの話でした。
今、Nは大学に入って、相当にもてまくっていらして、いい気になっていらっしゃいます。なにせ、明るくポジティブなものだから、いいことばかっかりの連鎖です。

で。ある男の子は彼女を、まるで「クラッシャーだ」(男性を虜にしては破壊していく女の子のこと)というようです。
Nを取りまいている男性は、かのK大学の優秀な男子ばかり。
ある殿方とは最近親しくなって、おデートなさりながら、
それでも、本音で語り明かすボーイフレンドから先輩まで、映画の話しをする人もいらっしゃるみたい。
20歳前半の男女の機微、心の揺れ、人との接し方、かけ引き。「すごくピュアなのであります」特に男子が。
こちらまで心が高揚状態!です。

パソコンを叩いていながら、フッと心がそっちに向かうと
妄想状態が加速して、1人で赤くなって笑っております。

ま、今のところ楽しみつつ、ちょっぴり心配しつつ見守るしかない(嫁に行ってしまえばガクッと寂しくなるだろうなぁ)。


ほんまに、時々、誰かにぶちまけたくなる話、満載なのであります。
そして、最近の若い草食系男子、なかなか骨ありますよ。

すごく紳士な奴、見込みある奴、ユニークな奴。

薄汚れたおやじのように、毒舌もはかないし、打算もすくない。

意外と昭和な古風な子が多いですね。
皆さん、勉強ばっかりしてきた方々で。ある意味世間を知らないし、そういう意味では、すれていないです。
男子ばかりでつるんで、どんな研究をし、どんなものに興味をもって、下宿生活をしているか、というのも。
自分の時と比べると、懐かしくって仕方ないです。

ま、そんな心の広い、ぬくもりいっぱい、恥じらいの男子に比べて、女性は…怖い。
Nでさえも、キラキラの笑顔をみせながら、しっかりと観察していることしきり。
今日も言っていましたよ。
「だから、いい人すぎて、ひねりがないのよ」って!(ああ、、、申し訳ない。叱ってやりましたが)

ま、深入りしない程度に。これ以上はいりこむと原稿も進まないので。
ほどほどにはしておきますが…(笑)
あまり火をつけて、やけどさせてもよくないですから。

しかし、子どもを授かるということは、人生が2度楽しめまする。
幼児期から思春期まで。その子の心の目になってやることで、
こちらまで、ときめかせていただいている毎日なのですから。
春夏秋冬の行事から、受験期から、大学生生活、イギリス留学と。疑似体験させてもらって、ありがたいことです。はい。


当の本人は平成女子なので、意外と淡々として、
しれっと、してはいるんですがね。はい。困ったものなんです。
ま、いろいろを隠し始めた頃から本当の恋がはじまるのかもしれませんわね。







ステンドグラス製ペン立て&ランプの贈りもの。

2014-09-15 10:29:13 | 今日もいい一日



先日、取材に行って人物インタビューを終え、帰ろうとしていたところ、
「これ。私がステンドグラスにはまっている、という話をしたら、欲しいな、とかおっしゃっていたので作ってみました」
と、お世話になっている会社(メーカさん)の専務取締役から、手渡されたものがあった。
それがこちらの、ステンドグラスのペン立て&ステンドグラスのミニランプ。






私、厚かましく欲しい!なんて言ったんだわ、と赤面し、頭を何度も下げ…下げ…。受け取った。
ありがたくも、手作りしてくださったのだという。

この贈りものの主は、ダンディーで素敵なおじさま(取引先の方なので、こういういい方も失礼ね)
70代半だと、確かおっしゃっていて、もう椅子から転げ落ちそうなくらいビックリした。
失礼ながらその年齢で、よくそんなにアクティブにお仕事ができるな~といつも頭が下がる思いでみている、尊敬している方だ。

会社の調整事からお客様の対応、クレームなどを一手に引き受けて、販売促進などツール一式の窓口まで担当していただいている。
柔和でおだやか。仕事は丁寧だし、誰に対しても何に対しても、自然で、(わざとらしいところが全くなく)、温かい対応をしてくだっている方だ。
こういった性格の役員というだけでも奇特だと思うが、
(それでも会社に1人や2人は、いらっしゃるかしら)。

驚くのは、その方の変わらない好奇心というか、
子どもみたいな「挑戦力・冒険心」のようなところに、私はすごいなー!!といつも惹きつけられてしまう。
仕事面ばかりでなく、趣味のほうも多彩なのである。

心理カウンセラーの勉強もされているし、
写真を趣味とし、あちこちの山々や花々を撮影し、
それらを1つのツールに落とし込み、「みてください。こんなところへ行ってきたんですよ」とデーターで送ってくださるのだが、
映像ツールで独自に編集されていて、(タイトルや音楽をつけて、映像の本のようにしている)出来映えが素晴らしい。
以前にいただいたのは、「京都のサクラ」というシリーズだった。

自身のブログは公開されているし、
新しいゲームなんかも、空き時間に次々クリアされているようだ。
それに、何よりも。愛妻家。
冬はおせち料理をつくり、家族にふるまったりされている。

昨年の出張の時だった。
この時は東京の出張でご一緒したのであるが、
今回の取材対象者である、社団法人○○協会の総務部長とも信頼関係を築いていらして、冗談をまじえて会話し、完璧にエスコート。
おまけに東京の名所やお店へも案内。
取材が終われば、私達、製作チームにビールやおつまみやらを買ってくださって「どうぞ、どうぞ。お疲れ様でした」とねぎらってくれたあとで、
自身は新幹線の後部座席へと移動し、
パソコンを手に、
数百件ものメールの返信をちゃかちゃかと済ましておられたのである。そして30分後、なにげなく製作チームに加わって
一緒にビールを飲みながら新大阪まで、談笑しながら帰ったことがある。誠にスマートな人なのだ。

まあ、書けばきりがないので、ここらへんで止めておくが、
その物腰の柔らかさに感服している。



その専務取締役から、
「最近、ステンドグラスを習いはじめましてねーー。遅い時間まで作っているんですよ。この前は、ささやかな展覧会にも出品しました」という話しを直接聞いた私は
おそらく、「素敵ですねーー」と目を輝かせてステンドグラスの話しを興味深く伺ったように記憶する。

何といっても神戸でステンドグラス作家、森本康代さんをインタビューした記憶を懐かしく想い返しながら
あれこれ質問したりして、話しは少しばかり弾んだはず。

でも、そのひとときをキチンと覚えてくださって。私用に自作のプレゼントをしてくださるとは。いたく感激した。
「有言実行の人」なのだな、と。
改めて、その方の人なつっこい。子どもみたいな笑い顔を思い出した。

思えばこの会社とは、すでに9年になるお付き合い。
会員向けの会報誌やら、ポスター、パンフなど販促関連一式を発注してくださっている、メーカーさんなのだから。(代理店が1件はいっている)お客様。こちらが気を遣わないといけないのに。
いつも食事はごちそうしてくださるし…。大人。
自分も、そんな気持ちのよい年齢の重ね方をしたいものである。

さて、小さなランプ。先日、夜のひととき。
読書の時やワイン&日本酒などを飲む時に点けてみた。
いただいた時には分からなかったのだが、ピンク、紫、ブルー、オレンジ、緑とランプの色が次々に変化するのだ。
小さくて、頼りなげな、神秘的な光。とりどりに変化する光をみていると、なんだか安心する。
ロマンチック。

それに赤いペン立て。
情熱の色「レッド」をメインカラーに選んでくださって、うれしかった。
光があたると、またレトロでいい赤に輝いてくれる。
対面は「グリーン」。これがまたいい色。このペン立てをものすごく気に入ってしまった。
人の手で作ったものというのは、たまんない。その方の人柄を知っていたら、なおさらである。

赤い色をみていて、ふとこんなことを思い出した。

「あなたの、この小さな体のどこにこんなパワーが秘められているのですか。めちゃくちゃ情熱を感じる文章ですねーーー」

小さな広告プロダクションの女性オーナーに言われたもの。
いつも自分ではよくわからないのだけど、確かに一生懸命書いたら、結果、そうなったんだ。それは良かった!と淡々と思ったのを覚えている。
今も、お元気にされているのだろうか…。
そして。今の私の仕事にも、同じようにそういった言葉を、かけていただけるのだろうか。
私はあの時から。ちゃんと、1歩1歩、高みを目指して歩いているかしら。と、ふとそんなことを考えた。

「群れず、頼らず、侮らず」。これは受け売り。でも心に響く。


赤いペン立て。 いい色だな。緑が効いている、と今日もぼんやりと眺めながらそんなことを、思う。
ありがとうございます!

突然のうれしいプレゼントのお話でした。

神戸は海辺の風が時折、ふっと吹くのが好き。

2014-09-02 00:53:14 | 今日もいい一日





9月が始まったら、途端に涼しくなった。
今日も夕方6時からウォーキングに出たが、昨日までとは違う爽やかな風だ。雨上がりで風が透きとおっていて、心地よかった。
この時期は、蝉の声より鈴虫のようが優勢か。

秋が始まったら、仕事もぼちぼちと新しいものが入ってきて、いよいよビジネスモードである。



その前に、先日の城をテーマにした数十ページの冊子のコンペは、「負けた」という連絡が今朝入った。
残念。図書館や書店から沢山の資料を集めすぎて、小難しくなっただろう。
「読み物としての冊子になりすぎている。丁寧に説明しすぎる、子どもには理解できないのでないか…」というのが理由らしい。

ターゲットは30代の男女ではなかったかしら。でも「読ませる」のではなく「魅せる」、そして「一目みたら分かる」ことが今は大切。
もちろん、「愉しい」「新しい」、「オリジナルな発想力がある」が、今後ますます求められるキーワードなのだろうと改めて思う。ここ数年読ませるものが、雑誌にも少ない。

私は、主人が出張先から持ち帰ってくるJALの機内誌「SKYWARD」、「翼の王国」
時々図書館から借りてくる「暮らしの手帖」くらいしか読まないから…。




1つ負けたら、1つ勝つではないが。
先日から続けざまに、このブログを読んだ方から、うれしいメッセージがあった。
1つは、婦人科の医師の方と、今度、子宮全摘出手術をする方からの問い合わせと相談である。
(子宮筋腫の方で腹腔鏡手術を受ける方はこうして時々メッセージをいただき、悩みを共有する)

また別の1本は、このブログをみていただいた方からメッセージを頂戴し、ぜひ会ってみたい、という趣旨のものだった。
更新の乏しいブログであり、趣味的で(きままで、書きたい時に書くという衝動的)仕事の話しは割愛気味のブログにしているので、少しびっくり!
しかし、メッセージを頂戴した方の「本名」を恐れながら検索させていただくと、あるメーカーの代表の方で、
とても意識の高いセンスのある方だとお見受けしたので、連絡を取り合い、お会いしてきたのだった。

打ち合わせを終えた後、新しいプロジェクトのお話を聞いて、心臓がバクバクするようなちょっとした興奮を抑えきれないまま、会社を後にした。

新しい何かがスタートするのだ。


その後は打ち合わせも原稿もないので
先ほどの高揚感を平静に整えたくて、久しぶりにゆっくりと三宮を歩く。

1人ランチは、洋食の「十字屋」で。












オリエンタルホテル仕込みの、肉厚のあるやさしい酸味のポークチャップの定食をきれいに平らげて
ビールを飲みたいのを我慢し、アイス珈琲を。

そのあと、ブティックを訪ねて、雑貨をみて
香港スイーツの「甜蜜蜜」へ。




女性2人で経営している岡本店の怪しい密やかな雰囲気がとても好きで何度か通ったのだが、
今はクローズして「三宮店」のみだという。

亀ゼリーとココナッツ団子。
そして、台湾の梨山高山茶をいただく。




梨山のものは香りがよくて、清々しくも高貴な甘さが隠し味にあって、茶葉も高級。いつもおいしい!と言葉にしてしまう。


久しぶりの神戸だったので、欲張ってたっぷり歩いた。
ここは大阪や京都とは違って異国っぽい雰囲気が
古いビルや街灯、
ファッションに、食料品雑貨、
土埃のなかにも、見え隠れしているところが、なんだか好きだ。

帰りに居留地をぷらりぷらりと歩いていたら、微かな海辺の匂いが運ばれてきた。