月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

日本の宝物の限りを抱く、素朴な空気の町へ

2013-03-12 23:43:39 | 今日もいい一日




後期試験の朝はよく晴れていた。

自宅からは少し遠い大学だったので(約2時間)、
お弁当をこしらえた後で、心配になって「JR鶴橋駅」まで送り届けるつもりだった。
ノーメイクに、ジーンズとセーター。そして厚手のコート。
着の身着のままの恰好だったので、大ぶりなマスクを目のすぐ下まで引きのばし、
娘と一緒に電車に揺られた。


そして、結局のところ試験会場まで同行することになったのだった。

倍率は8倍、と新聞の報道である。

前期もぜひこちらを受けるようにと私は推薦したのだが、
「1年間も勉強してきたのだから」、という理由だけで予定どおりの第一志望をうけて、



やはりというか、こうして後期をうける運びになったのである。


センター試験のあとで、思いっきり方向転換して私立の勉強にも励み、
対策を講じていたが
それでもセンターからすぐ10日後の難関私立受験には、
学力的にも精神的にも伸び悩んで
本人としては大いに苦い薬を飲まされての、3月を迎えていた。



だらだらとしていた時期もあった。
がむしゃらの時期もあった。
不合格のハガキも。

しかし、その長いトンネルをくぐりぬけた甲斐あってか後期のこの時期になると、
様々な私立の過去問では、ほぼ3教科8割に達していて、私としてはだいぶ安堵して日々を過ごしていた。
それでも本人は、全くもって不安がぬぐいきれないまま心細くも、
淡々と勉強に励んでいたようであった。


さて、会場に近づくにつれて生徒の姿がどこからともなく増えていって、

入門検査は10人ほどで

格式のある古い校舎のなかに吸い込まれていった。






このあと私もことの成り行きから大学側の説明会とやらに出席して、
お昼をひとりでとったあとで
訪ねたかった「元興寺」へと向かった。




6世紀末、蘇我馬子が飛鳥に建立したこの寺は「ならまち」の名刹で1998年、
世界遺産に登録。極楽堂の西側には日本最古の瓦がのっている。
春霞の空に照り輝いて、神秘的で美しい形状である。明度も、鈍さも
気高くあった。




厳かに、本尊の智光曼荼羅を拝察し、
宝物殿では奈良時代の五重塔や、阿弥陀如来像、南無仏太子像…
ほおずえをつく美しいお姿の如意輪観音を何度もふりかえってみては、ため息をついて、
後半は、茶室にて梅を眺めながら抹茶と干菓子で一服。








このあと須田剋太と棟方志功の版画展をこの寺で眺める機会を得た。




やっぱり奈良はええねえ。全然気張らないし素の自分に戻れる、日本人の古里だ。
ものすごい本物がなにくわぬ顔で、
すぐ近くにいらっしゃって居るのがすごい。
人も時間も、動物たちもゆっくりの歩調で生きているのが自分に合う。






心ここにあらずの奈良旅であったが、
あとに振り返ればきっと、
この日々を回想せずにはいられないだろうな。



いよいよ3時、受験生からメールである。
文学部の国語は、太宰治の小説「盗賊」であったという。
英語は自信あるらしいが、さて
ジェットコースターのように上がり下がりのある現代文は?いかに。
彼女の受験のなかで一番思考力をフル回転させた、
印象に残る試験内容だったようだ。全問記述式でマークは一題もなかったとか。
英語の600字英作文は満点だと胸を張る。
そんな話を聞きながら、興福寺と奈良まちを歩く。



カフェで珈琲を飲み、今西清兵衛で利き酒に付き合ってもらい、



夜は天ぷらを食べて、長い素朴な空気のこの町をあとにした。







梅と京都

2013-03-10 18:42:16 | 今日もいい一日


翌日の朝は、ホテルのモーニングコールで起きてシャワーを浴びたら、レストランへ。

店の前は沢山の人が待っていて大盛況。朝食はおばんざい中心のブッフェ形式だった。



八条口から見渡せる京都の曇り空や行き交う人と車をみながら、京豆腐や白和え、きんぴら、菜の花のからしあえ、
人参のサラダ、トマトサラダなどをたっぷりお皿に盛って食べる。
味付けが濃くないのがほんとうに助かった。
(野菜は、大原産の採れたて野菜だと案内のパンフレットに情報提供されていた)



野菜ジュース2杯に、ごはんは、ちりめん山椒と高菜ごはんとおかゆをお代わり。
デザートには、これまたパインやグレープフルーツ、トロピカルフルーツ、わらび餅や白玉ぜんざいなどを2皿もとって、
お腹いっぱいの大満足であった。
おまけに紙コップに珈琲を入れて部屋まで持って帰り、朝の用意をしながら頂いた。



今日は、あいにくの曇り空で花粉やPM2,5も散布しているのだろう。
山々に囲まれている京の街だが、視線のはてにも山の緑は隠れたままだ。

それからしばらく、私は部屋のガラス越しのサンに腰をかけて、
ロータリーにどんどん溢れる車をずっとみていた。
「あ、コンタクトの替えを忘れた。眼鏡もない、やばいなあ~」という声が部屋のはしから聞こえる。



8時20分になったので、娘は真っ赤なロンドンバスのようなスクールバスに乗って試験会場にむかったが、
私は学校まではついて行かずに部屋のバスで身支度をして、「梅観」にいそいそと出掛けていったのである。



さて、この日の梅はひとしおに気高く美しく見えた。




「梅観」は毎年友達を誘って出掛けるのだが、今年は一人で満喫であった。今にも降りだしそうな曇り空だ。

時々激しい風も吹き荒れるなか、

黒々としてまるいふしが沢山ついた細い幹をくねらせて、白や赤の花を咲かせる梅はやはり凛々しい早春の花だ。



いちばん、目をひくのは赤い梅だが、





そばにおいてずっとみていたいのは白梅。





わたしはこの花をみる時、土から延びる幹や枝の激しい生きざまのようなものをどうしても、目で追いかけてみる。そして、すごいなあと声をあげる。

寒空と梅の木の荒々しさと美意識、これが見事に合致するからである。

梅は、老女のようなしたたかさと強さをもった木である。

小倉遊亀が晩年描いた日本画の梅の老木が脳裏に合わさった状態で梅を観てしまう。











たっぷりの「梅観」は1時間半も。

帰りには、梅観の恒例である澤屋で「粟餅」を買った。







そして、試験疲れの娘には、グランヴィア京都にて春のランチをごちそうした。

「試験会場を出たら、お母さん方が『お疲れ!』ってすごくいっぱい待っていてびっくりしたよ」と弾丸のごとくしゃべり続けたまま止まらない…。






さあ、翌々日にはフィナーレの後期試験が待っている。






3月、後期試験の3日前だというのに

2013-03-09 23:55:01 | 今日もいい一日




3月はビュンビュンと、勢いよく過ぎていく。仕事もそれなりにまあぼちぼち忙しいけれど、平凡な日というのが、一日たりもない。

この日も夕方4時まで仕事をして、入稿の原稿を仕上げるとシャワーを浴びて、大阪駅へ向かった。
娘と待ち合わせをして、京都へいく予定だ。

この日は黄砂の風がひどく吹き荒れて電車からみるビル群も、淀川・河川敷きの風景も薄黄色っぽく、生温かい風ぼこりとともにゆらゆら揺れた市内が窓ガラスに映っていた。

娘はこの日も、私立受験を1本終えて、まずまずの出来という感じであった。


ただ、後日談を聞いたところ、

やたらと鼻水が出て(軽い花粉症)それが気になってティッシュで鼻水をおさえながら片手で鉛筆を動かしていたら、
解き終わった時に、マークシートがずれていた事が発覚!

あと10分だ。

それから急いで消しゴムで全部消して、書き直したのだが、

鼻水がこぼれてくるのを数枚のティッシュだけではせき止められず、
訂正するのに集中できない。
ああ、ようやく終わった!と腕時計をみたところで終了の鐘がなり、危機一髪!

ああよかった、と胸をなでおろしながら

後ろから解答を集めてくる人の答案用紙をチラ見したら、なんか、胸がざわつく。
なにげに問題をみたら、

なんと1枚問題をはぐり忘れていて、5問解答していなかった
という話であった。
ここは国立の滑り止めとして慌てて後期にうけた女子大であったのだ。


私は、そんなこととはいざ知らず。顔の3分の2をマスクで覆って、JR京都線の車窓から、行き過ぎる春の景色をみていた。


7時前。
京都駅八条口すぐの「ホテルビスタ京都」(大学側にとってもらったホテル)にチェックイン。

翌日も1校私立入試がある。


夜は、胃にもたれない和食がいいと「和久傳」(京都駅)の懐石料理でもごちそうしようと試みたが、
待合には長蛇の列。
あと1時間半しないと席が空かないという。外国人と観光客でうかれた日本人夫婦が、愉しそうに英語でぺらぺらと会話していた
(娘はほぼ90%わかったらしいが)
しばらくはそれを聞いて旅行気分に浸っていたのだが、やはり今日はやめておこう。




それで、伊勢丹の食堂街「ハマムラ」で中華を食べる。
海鮮のあんかけや、酢豚、チャーハン、小籠包、春巻き、スープなどをオーダー。

正直、少々残念な気持ちで席についたのだか、それでもカウンターからみる夜景はきれいだし、
ちっとも油もたれしない大衆中華で十分においしかった。

特筆すべきは、胡麻だんごである。外皮も胡麻がたっぷり付いてサックサクの生地。



胡麻餡のペーストがたっぷり入っていて、〆には十分の甘味であった。


9時にはホテルへ帰り、バスタブにお湯をはって
のんびりと足をのばして泡風呂で入浴をする。
今日はいつもよりもっと長風呂にしよう。

おそらく、娘はまだ少しくらい勉強するのだろうし…とばかりに

お風呂のなかに飲み物を持ち込み、
中島京子の「小さいおうち」を読む。
確かフリーライターから作家に転身し、直木賞をとった作家だった。

お手伝いのタキさんの視点で、昭和モダンな東京の暮らしが描写されていて、実に丁寧で、うまくできた小説である。



風呂からあがったあとは、

備え付けのワッフル地のパジャマに着替えて、ほんとうならビールを飲みたいところを我慢して、
ベッドの背に頭をつけて、再びの読書にこうじる。


翌日も、娘は入試だ。おつかれ!

予想どおり、ホテルの机で英語を勉強していた。問1・2は全問正解した!とうれしそうだ。

まあ、慌てないで普通にやればそう失敗することもないだろう。

私はのんびりとつかのまの非日常を満喫させてもらっていた。

カツオの本枯れ節で削ったおだし

2013-03-08 19:16:25 | あぁ美味礼讃


皆さんは、おだしはご自身で取っていますか?それとも粉末のパック?

わたしは、料理の手間は省いてもおだしだけは出来るだけ自力でとる。
特に和食の場合、おだしを普通にとって調味料がまあまあの品質のものなら、
料理の味は、たいがい悪くはならないからだ。
市販のおだしの、舌のうえに残る化学調味料独特の痛い味が苦手なのである。


昨日、主人が会社の友人にもらったという枕崎産の「カツオ本枯れ節」。




白い粉(黴)を落として、流水に流した後で、「鰹節削り器」の上に置いて
なめらかに滑らせて削る。
料亭などでは板さんがシャカシャカとカンナで木を削るようにして
軽快にやっているが、これがなかなか素人ではうまくいかない。
すぐにつっかえ、止まってしまう。それでも、10分もしないうちに慣れてきた。
要するに削ろうと思わずに、カツオの表面をまっすぐに滑らせることに集中すると、
意外にできるようになってきた。




せっかく取ったカツオで何をつくろうかと考えて、
やっぱり最初はお吸い物に。
今日は昆布の力は借りずにいこう。
お湯をわかして、自分で削ったカツオを勢いよくいれて、あとは約2分とろ火で。
カツオが下に沈んだらおだしが冷めるのを待って調理にとりかかる。
お揚げと春ゴボウ、椎茸を入れただけの簡単な具材だけでこしらえた。
ほんまに黄金色のおだしの色だ。
清んでいるし、濃い。すごいなあ。


ほかのメニューも和風料理で。ひじきのたいたんや一口カツを天ぷらにした。あと苦みのある菜の花も。

さあ、いよいよ試食の時間である。
やさしい温かい味かな、と思ったらこれが違う。
ほとばしるような旨み満点のお吸い物だった。
白身魚など何も入れていないのに、強いだしの味だった。
うわあ、なんとも、ビックリである。

揚げも春ごぼうも椎茸も、みんないきいきと素材が際立って
超いいもの(まるで高島屋で買った野菜みたいに)を使っているという風である。

ふと思い出したのが、北新地の「びりけん」で飲む椀物の味だ。
カツオの力かあ。でも全く臭みもないし、いかにも和風料理のおだしだなあと、感嘆した。
こんなのを飲んだら市販の花かつを
が買えないではないか、
それも困るなあ、と思いながら。
はて、今夜は何をつくろうかしら。




卒業式に想うこと

2013-03-02 00:01:13 | 春夏秋冬の風


今日は、娘の卒業式であった。

開場に向かう途中、ずっと入学当初の感情や期待感を思い返しながら、
電車にゆられ、阪急バスに揺られて開場にむかった。
保護者会や、文化祭で何度も通ったいつもの景色。見慣れたバス停のおじさんや、学生たち。
もうこの道を、息を弾ませながら大急ぎで通うこともないのだ、と思うと
寂しい気がした。懐かしい面持ちで「かぶと山」を仰いだ。


毎日笑顔で、希望に満ちあふれて挑戦し続けた3年間。
レベルの高い公立高校であっても、
入学当初よりも成績は格段にあがったから、
結構努力したに違いない。

どんな状況に立たされても、環境のなかであっても、
そこで愉しさを見出し、決してくさらないところがあの子のスゴイとこだ。
人生とは、とても素晴らしいワクワクするものだと信じて疑わない純粋さ。
それが、あの子の長所でもあり、危なっかしさでもあるのだ。
そして、神様が自分をいつも見守り絶対に救ってくれると信じている。

小さい頃から童話だけは沢山読み聞かせしてきたから、
きっとその影響だろう。

これから、時に挫折や壁に当たることもある。それも大いに結構でしょう。
強く生きるためには決して避けては通れない道なのだ。
だだ、どうぞ、あの子らしい希望に満ちた明るい性格を失わないで生きていってほしい。

今までのように、沢山のいい友人に囲まれて笑顔で生きられたら…、そしてずっと健康でいてくれたら、それを節に願う。

ふと最近思うのだ。
あれほどの迫る演技をする大女優の三田佳子が、
息子さんの事件になると、我を忘れて、手も足もでない放心状態に陥られてしまった姿を。
お母さんなんて、子供のことになると、めちゃくちゃちっぽけなものである。無抵抗だ。
手足をもぎとられたように、何もできなくなるのだから。