月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

雑感いろいろ

2012-09-27 23:57:29 | 今日もいい一日


秋の朝。窓をあけて光を取り入れると、木々が少しだけ黄色くなっていた。
秋の昼。太陽の光が夏の時と比べて輝きが遠くまで届く気がして、
輝き方にもいろいろあると知る。
秋の夜。コオロギや鈴虫の鳴く声が自分の「呼吸」と近いと気付き、ちょっと嬉しい。
春・夏・秋の愉しさは、生き物の気配のなかで暮らせることだ。
家で仕事をしていると、自然のそういった小さな変化が安らぎになる。

さて、今朝はイライラすることがあったので
急いで紅茶をいれて飲み、それから窓をしめて大音量で
「ビヨンセ」をずっと聞いていた。

そして、ここのところ、また、朝ヨガをするようになった(まだ2・3日)。
DVDに合わせて、吐く呼吸を意識しながら全身の筋肉を伸ばしたり、
ねじりを加えたり、折り曲げたり、するくらいだが
木曜日に教室でヨガするより、疲れるので達成感がある。
最近、本で読んだこと。
「何かちょっとした衝撃があると、すぐ不安定に動揺してしまう人は筋力が足りない」。
なるほど、筋力かあ。思いあたる節ありである。

今日はそして教室ヨガの日。
ヨガの行き帰り、友達とあれこれ話すのだが、
自分の話を反すうしては、反省である。
私はいつだって自分のことをしゃべりすぎる。それもくだらないこと。
もっと愉しい話題を思いつけないものかしら。

午後はシャワーをして、それから仕事。
最近、長く机に座っていると、子宮界わいの筋肉がぷるぷると震動する。
不思議だが子宮筋腫があった頃よりも
そのあたりの筋力が震えて、存在感を強くアピール!
ここに何かあります、もしくはありました、忘れないでくださいと言っている。
「まだ膣の奥らへんとか、糸が残っている状態ですから。
もう3カ月もしたら全身のなかで溶けてなくなりますからね」
という佐伯先生の話。
なにか、私の体深くで訴えたいことがあるみたいで耳を澄ます。
そして、大丈夫?と問いかける。

ああ、手持ちの案件が片付いたら、もっとモノを減らして
シンプルな何もない空間のなかで、仕事して
音楽と本と好きな人とのふれあいに集約した生活したいなあ。
人は時空をほんのちょっと飛び越えて
もっとミニマムな宇宙のなかで生活したくて、
旅に出るのだろうか。

いろいろ思っては消える秋の雑感であった。




あたりまえの、秋のある日に

2012-09-26 00:38:47 | 今日もいい一日

朝、あまりにも明るい陽射しだったので、陽気に誘われてウォーキング。
30分も歩いたら、日焼けが心配になり、帰ったらすぐ肌の手入れをした。

そのあと、机に向かう気にならない。
仕方ないので、お風呂に入って
本を読んだ。

上がってから、紅茶とプルーンを食べ、ホッとくつろぐ。

窓からは陽射しが斜めに入ってくるようになった。南向きの、リビング。
夏場はベランダにも届かなかった太陽が(冬には、リビングの奥深くまで日差しが差し込んで暖かい)
あっという間に、季節は変わったのだと、こんなところでも発見!

まったりしすぎて、気付いたら1時間半も爆睡していた。

午後からは仕事。
それから、4時になる前に郵便局で
振り込みをいくつかして、
スーパーでフルーツと赤ピーマンだけ買って帰り、8時まで高速で
原稿を書いていた。

夕食を作る前に、今度は、もやもやがおさまらず虫の声に誘われて、
15分ほど外周の散歩道を歩く。

月は白く、
風はひんやりしていた。


夜は、手羽先の照り焼きと
ピーマンいろいろの炒め煮、サラダ、
小松菜とエリンギの胡麻和え、
さつまいものお味噌汁をつくる。

9時半からBS朝日で日本風景遺産、
続いてNHKにて、つるかめ助産院をみていたらなっちゃんが戻ってきた。

そこで、明日のテスト勉強をしている彼女のそばで息をつめるように
こうしてiPhoneでブログを綴っている次第なのだ。

なんて、
ニュース性のない平安な一日だ。日本は尖閣問題で激震が走り、解決の糸口を模索しているというのに。

だめなやつだなぁ。

庄野潤三や武田百合子のような、もっとクローズアップした日常を
書けたら素晴らしいのだけど
技量も、題材も平凡すぎるね。

明日は、もっとご機嫌で
ハッとするような発見に出会えますように。





マイア・ヒラサワの音楽はハッピー!

2012-09-24 23:15:02 |  本とシネマと音楽と

秋の散歩は愉しい。
あたりからは、薫りのよい風が吹くし、
太陽の日差しだって
草木や自然の虫たちのために注いでいるような気がするから。

ウォーキングがご機嫌の理由の一つには、このところ音楽と一緒だから、
というのもあるのかもしれない。

マイア・ヒラサワの「ウィ・ガット・イット」というアルバムは、
アンデルの最近の、お気に入り。

九州新幹線開通のCM でお馴染みの「ブーン!」は、ご存じの人も多いのではないかしら。

「South Again」は、希望とか、インスピレーションを感じる一曲。
「I Woke up」もスキップして一緒に唱い出したくなる。

アルバム全体は、30分で全10曲と短めなのだけど、
なんといっても、ハッピーな気分満載!なのだ。

先日あるテレビを観ていたら、憂鬱な気分を吹き飛ばす手段として「上(空)をみながら歩く」というのが紹介されていたが、まさしくそれ!

人間の心理として下を向くより、上を向いたほうが、俄然気分は上向きになるようだ。

上をみたら、きれいな雲や高い空が
広がっているもの。
小さなこだわりも、解き放たれる。

今日はご近所さんから、「日曜日にバッテリーが上がった車を、ケーブルで繋いでもらって大変助かった」という理由で、お菓子まで頂戴した。
ショータニの姉妹ブランド・菓響から「和の香」シリーズ。

深煎りきなこや和三盆がまぶしてある、和風クッキーで、紅茶とよく合う。

「ガトーフェスタハラダ」のラスク
も、
ここのところお気に入りのおやつで、よく仕事の合間によく食べる。

サクッとした軽さと、甘さがスーと消える感じが素敵である。

哀しい記憶にさようなら

2012-09-23 16:33:06 | 今日もいい一日


秋の日曜日。わが家はとてもいい静けさのなかで、
時間が過ぎていっている。

私がリビングのソファーに深く腰をおろして、ミルク入りのコーヒーを愉しみながら沈黙し、庄野潤三を愛読していると
ダイニングテーブルからは、
コンコン、コンコン
と鉛筆を走らせる音。
(なっちゃんが数学のクリア問題集を解き直している)

パパも、国内線から持ち帰った機内誌「翼の王国」を、
時々低い咳払いをしながら、静かにめくっていた。

網戸越しに、ひやっとする秋の風がゆっくりと入り込んでくる。

昆虫たちが羽をこすらせる音色が聞こえる。
静謐。気持ちよく満ちたりた午後の光景である。

先週末、なっちゃんは「研伸館」の内部選抜試験でようやく
1つ上昇することができた。
正確には2年の時の認定クラスに返り咲くことができたわけだが、
ここにくるまで本人にしてみれば、長く暗い道のりだったと思う。


5月のGW。

同級生のKちゃんのお葬式がしめやかに行われて以来、
なにかの、たがが、ほんのちょっと外れた。

ここでKちゃんことを公表することが、正しい選択なのかどうか、
実のところは私自身もわからない。
哀しみにふたをするどころか
再び、掘り起こすことになることのないように、心から願いたい。


だけど、Kちゃんの生きていた証を
お彼岸のこの時期に、ほんの断片でも綴らせてもらうことで、
その心根が、すくわれてほしい。
そんな願いを込めてみよう。

Kちゃんは、私の知る限り

何事にも熱心に取り組み、よく笑う、心のやさしい女の子だった。
毎年頂く年賀状も直筆の絵と心のこもったメッセージが添えられた
素敵なもので、
とても沢山のお友達に出されていたように拝見する。

実際に出会ったのは、
大学のオープンキャンパスで1度と、
「研伸館」の帰りの2度だけ。

明るい表情で、なっちゃんに笑いかけてくれ、
一度は別れ際に
手を振ってくれたように記憶する。

また、Kちゃんは英語の成績が素晴らしく、
「研伸館」の到達判定テストでも、ほかの生徒よりずば抜けていて、
高3の4月の時点で
すでに192点という信じられないような点数を叩き出す、
ほんとうに頭のいい子だった。

完璧主義の頑張り屋さん。

なっちゃんとは志望校の選択が近いこともあって、
よく塾で催されるイベントでは一緒に参加していた。
高校は違うのに、時々待ち合わせて塾に一緒に行っていたこともあった。

そして、Kちゃんには確かな夢があった。
夢の実現のために絶対に行きたい大学があり、
早くから高い志をもって、大学の受験勉強をしていらっしゃった。
一日に、2時間の睡眠しかとらず、
猛勉強に励んでいたそうである。

よく聞いていたのは平原綾香。

私の知るのはこれくらいのことだけだ。

あとは哀しい事実へと続いてしまう…ことになる。

ある日の夜のことだ。

Kちゃんは、
お母さんの代わりに、
黒いゴミ袋を持って
玄関を出た。
お母さん曰く、「普段となにひとつ、変わらない表情でただ普通に家のお手伝いをしてくれた」そうである。
そして、その日以来、何の前触れもなくただ忽然と
たった一人で新しい世界へと旅立ってしまったのである。

GW。そのニュースは
近所に住む女の子や学校を同じにする子供たちの間に、一気に
雷に打たれたような衝撃となって
ひろがった。

「河沿いに建つ、見晴らしのいいマンションの屋上付近に、
きれいに並べられたKちゃんの靴が二つ、残っていた」。
と新聞のゴシック記事では報道された。
それ以来、きれいなお花がそのマンションにはたむけられている。

遺書もなく、真意は誰も知る術すらない。
事実は、それだけ。本当にそれだけ。

だけど、
残された子供たちの胸には
決して消えない深い哀しみとなって
kちゃんのことが、
蓄積されていったのだ。


なっちゃんはお葬式の席で、
信じられないくらい大きな嗚咽をあげて、わあわあと泣いたようである。
お葬式の会場に行きながら
子どもたちだけは別室で。
モニターによって映し出された映像をみて、
両手をあわせたそうである。

私は、同じ子どもをもつ親として、
(どうしても母親の立場にたつことになるのだが)
その無念さを思うと、
(決してわかり得ないが)
悲痛で、ただ悲痛で
言葉にならない…。

一番かわいそうなのは、
それでもkちゃんだ。

目標も夢も楽しみも、笑いも、希望も、受験勉強も、日常のあれこれも、
全部振り切って
新しい世界に旅立つことを選ぶほかなかった、
kちゃん自身の無念を思うと、
いまだに時々涙がこみ上げる。

なっちゃんはそれから、
kちゃんのことを自分のなかに受け入れて
それでも先に進むのに、どれだけの時間を要しただろうか。

彼女の成績は、まっさかさまだった。
国語、数学は全国平均値以下になるほど
どこか体が悪いのじゃあ、と疑うほどに、
すさまじい落ち方だった。

私はそんな心配をよそに、「大丈夫よ、安心してね」という言葉を残して、
子宮筋腫の手術をして子宮を失った。

ここまで書くと、なんて悲惨!

そして、私たち親子は弱すぎる、と中傷されそうだが
なっちゃんはGW以降、一度もそのことには触れずに
持ち前の陽気さで
全く普段どおりに、明るく愛らしく
笑いながら毎日を送っている。

文化祭の舞台劇では「主役」を熱演。
同じクラスの男の子にも愛の告白をされたりして、
全力で高校生活を謳歌している。
本当にくったくなく明るすぎるから
心の闇が彼女のなかにあるのかどうかも正直わからない。



だから、ごめんなさい。
Kちゃん、ごめんなさいね。

この世に残った全ての人たちは
生きる選択をしている以上、前に進んでいかねばならないの。

本当にごめんなさいね。
そしてお友達でいてくれて、ありがとうね。

さようなら。

さようならは言うけれど
一生忘れない。
ありがとう。

明日から始まる、定期テスト。
なっちゃんは、いつも以上に集中して取り組んでいるようだ。
それを見守りながら
私は原稿を書く。

kちゃんの魂は癒されたかしら、
なっちゃんは、これからちゃんと前へ力強く進むことができるのかしら、
と同じ歳の子どもたちに、ただハラハラするだけの、
アンデルなのであった。

9月、すっかり夏は過ぎ去り
月のきれいな季節を迎えた!




術後3カ月検診 卵巣は良好なり!

2012-09-21 17:52:54 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


19日(水曜日)は腹腔鏡下子宮全摘出手術から3カ月後の、定期検診となった。

西梅田の大阪中央病院へ。
3階の受付へ診察券を出した後で、いつものように婦人科へまわる。

横に椅子を並べた待合室では、20人ほど。
顔見知りは一人もいなかったが、それでもここは手術適応の人以外は基本的に診察してもらえない仕組みになっているので、「同士!」という親近感をもって、周囲を見渡す。

この日は1診が佐伯愛先生、2診が大野木先生の担当であった。

「◎◎さん1診にお入り下さい!」とその医師自らが担当患者の名前を呼ぶシステムだ。
声の調子や咳払いなど、それぞれの医師の人柄が感じられて、実に好ましい。

1診に呼ばれて、部屋に入る。
「さあ、診察して何も異常がなければ、今日で最後ですね」と佐伯先生。

まず機械を膣からいれて、内部をゆっくりと広げて軽く診察した後で、もう一度超音波をいれて一つ一つ丁寧に診察してくださる。
前回は加えて、腎臓の働きまで診てくださった。

「傷口はきれいになっていますね。それからあとは、はい、全体にきれいですね。
はい、問題ないでしょう」。

「ありがとうございます」とカーテン越しに返事。

「ああ、こちらのモニターで見えますか?こちらが卵巣です。
ちゃんと働いてくれているみたいですよ!
子宮がなくて更年期症状が出てくると収縮して小さくなってくるのですが、
ごく普通の大きさですね。よかったですね。はい。いいでしょう」。

「本当ですか?」と思わず聞いた私は、
この時どこからともなくエネルギーを注入されたように、
頬がパッとバラ色になったと思う。それくらいビックリして、嬉しかった!

モニターには、小さな玉子のような卵巣が映し出されていて、
子宮もないのに毎月排卵し、ほんの微量でも女性ホルモンを分泌しているのかと思うと、
いじらしいやら。申し訳ないやらである。

診察を終えると、佐伯先生自身もうれしそうに、
「もうどこも悪くない方は診察することができませんので、
あとは1年後に検診なさってください」。
そして、子宮ガンのリスクは少ないが、卵巣の病気は、知らぬ間に進行する恐れがあるので、
1年ごとに検診するように薦められる。

「もし、更年期症状のようなほてりとかが出てきた場合には、
女性ホルモンを注入することができますので、試しにされても、もう問題はないですよ。
子宮筋腫がある方は成長をうながしてしまうのでオススメできないのですが、もう大丈夫よ。まあ、あなたの場合には問題ないと思われますが、
もし気になる症状がある場合には、試しに補ってみられてもいいですし、
おそらく10年くらい元気に頑張ってお仕事できまるでしょう」と先生。

素晴らしい励ましの言葉と丁寧な対応。佐伯先生は心もこもった診察をしてくださる。

そのあと、いくつかの質問をして、
大阪中央病院の外来を後にする。



今日は大阪中央病院前とダイワハウスのポケットパークで、記念撮影。




隣のスターバックスコーヒーで、バナナパンケーキとラテをオーダーして、
この晴れやかな空気感と、健やかな秋の風を愉しみながら、ランチタイム。



ビジネスマンやOLの憩いのポケットパーク。
ここならコーヒーを買って文庫本を読むのも気持ちいいだろうな。

それから大丸で買い物して、
大阪駅から1泊の「取材旅行」へ出掛けた!
張り切って、満ち足りた心地の中で!


断捨離の果てに

2012-09-18 17:04:41 | 今日もいい一日

9月の3連休。パパは3連チャンのコンペが控えていて、会社へ出勤。
受験生のなっちゃんも模試と塾で、心に余裕がないほどの超ハード。

だからといって私は「ほな、気分転換に京都へでも出掛けてきますから」、という訳にもいかず(昨年まではこんな感じだったのに…!)

家事と原稿書きと、はたまた片付けられない症候群に陥っている受験生の部屋を掃除したりして、縁の下から家族の日常を支えている。

地味な生活、と正直思う。
でも、これも役割があってのこと、今年は仕方ない。
善しとしよう!

「断捨離」はハッキリいって得意ではない。

しかし、どんどん参考書や資料集、問題演習のプリントが増え、そこにキャラクター好き、マスコット好き、子どもの頃のおもちゃに、今だに思い入れたっぷりの彼女の部屋は、息をつくスペースもないほど高密な空気だ。

せめて、小学校・中学校の諸々やがらくたの類は「断捨離」して、風を入れてやらないと。

この週末、アンデルは「断捨離」に燃えた!

自分の原稿が一息つくと、彼女の部屋へ直行して、捨てる、捨てる、捨てる。

不用とするモノ達を次から次へと黒いビニールに押し込めて、
一体、袋の中はどんなだろうか。
小さな子どもでも入っているのじゃあ、と思ってしまうほどズッシリと重い。

汗が流れ、息が出来ない。腰痛がおそってくる。

モノたちの執念なのだろうか。吐きだしたモノ達の中にいると、苦しくて、こちらの精神がやられてしまうかと思うほど。10分おきにリビングへ行って休憩し、新たに戦闘開始といかねばならない。

くたくたの我が身…。時に叫びたいほど。苦しさが襲ってくる。

そういえば、自分の部屋で整理整頓をするときにも、
ものすごく疲労困憊する。
ただ、もう片付けられないよう、という局地にありながら、
それでも黙々と体を動かしていると、
ある瞬間、ビックリするほどきれいに片付くから(経験として知っている)
、ただ寡黙に、その時のくるまで、ひたすら「断捨離」する。

そんなこんなの毎日。

だからライターとしての仕事がある、という一面が私にとっては大いに励みであり、自分自身の骨格を、まっすぐに保っていられる術なのだ。

今、「明治の人」というテーマで、あるプロジェクトに
ほんの少し関わらせてもらえるかもしれないチャンスが巡ってきた。

このブログの小さな旅のブロックにて「明治の人はやわらかい」「郷里のお盆は、線香とスイカの香り」にも登場する、11月で102歳になるおばあちゃんの人生を、
綴らせてもらえるかもしれない。

おばあちゃんは100歳までは、毎日畑仕事に精を出し、新聞を読み、手紙を読み、料理をつくって、モノづくりの記録を詳細にノートに記録し、ほんとうに実に自分らしい人生を生きていた。

昨年7月、転んで強烈にアタマを打ち、床に伏してしまうまでは…。
あんなによく話し、人情に厚い人だったのに。今は表情も乏しく、会話もほとんどできない。なぜもっと早く、おばあちゃんのところへ行って、大切な言葉を
すくいとる作業をしてこなかったのだろう。とほんとうに悔やまれる。

子宮筋腫と貧血の体調のせい、重なる仕事と雑務のせい、家族のせい、にして。
もし、この仕事が間に合わなければ、どれほど愕然として涙と後悔に明け暮れねばならなかったのか。

だからこそ、誠実にこの仕事はやらせてもらおう。
今私にできることを精一杯させてもらおう!

今日は激しい雨が降っている。
秋の雨は、濡れてもいいという気にさせる冷静さと情熱をもちあわせて降り続く、
いつまでも止まない雨である。





なつかしい、あの人たち

2012-09-14 14:37:22 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


今週は、仕事が忙しい。

原稿に集中し、入稿前のドタバタに神経を集中していると、
雑事があまり耳にはいらなくなるので(時としてだけど)、それで少し救われる。

以前、心理学を勉強されている方を取材したときに、こんな興味深いことを、おっしゃっていたことがある。

「人間の思考というのは、ある程度クセのようなものがあるのです。
よく落ち込まれたり、悩まれる方というのは、その方の脳がそういうクセを持っているからで、
意識して自分を客観的にみるようにして、ああ自分はまた悪いクセが出ているだけだ、と思うこと。
あるいはこうすればうまくいく、というように積極的思考で物事を考えることが大事です」

自分の日々を振りかえると、
納得するところが大いにあるなあ、と思う。

先週は、大阪中央病院のときに知り合ったメンバーと、
3カ月ぶりにランチ会があった。

友達が予約してくれたのはハービスプラザエント5階の「華中華」。
「ランチコース」2800円をオーダーする。ラインナップはこんな感じ。

華中華焼物入り前菜 三種盛り合わせ、
薄切りサーモンと柿のサラダ仕立て 山芋ドレッシング
海鮮と花びら茸入りフカヒレとろみスープ
牛ロース肉の煎り焼きとアオリイカ、きのこの揚げもの 青葱・山椒ソースかけ
“華中華名物料理”大海老の衣揚げ マヨネーズソース 杏露酒の甘い香り
椎茸の肉詰めと豆腐の香り上湯あんかけ
栗入り五目チャーハン
美肌デザート



大皿料理を取り分けるスタイルだが、個室であったし、グループではおトク。
店が唱っているような「ヌーベルシノワ」(先進的中華)とは思わなかったがどの料理も誰にでも食べやすいように工夫して調理されていた。

おいしかったのは、さっぱりと味わえた、「華中華焼物入り前菜 三種盛り合わせ」の豚の角煮と、むし鶏のアボガドソース。

「海鮮と花びら茸入りフカヒレとろみスープ」も、

金色のスープで、見た目がきれいで、
ほっとさせる味わい。


「椎茸の肉詰めと豆腐の香り上湯あんかけ」は、肉、豆腐とタンパク質三昧のわりに、肉厚の椎茸の薫りがしっかり生かされていたところは気に入った。

入院の時は、同じ傷みを抱えたもの同士。話題にことかかなくて、
昔からの親友のようにすぐ打ち解けたはずなのだが、

あれから3カ月。それぞれの暮らしがあって、抱えている問題に直面していると、しっている顔よりは、
知らない部分のほうが、当たり前だけど沢山あって。
一瞬、始めてみる人を
前にした錯覚を覚えた。

ある人は、義理の父が痴呆になってしまい、毎週のように新幹線に揺られて介護にいっていらっしゃるし、

ある方は、
お父様を亡くしたばかりのお母様が気弱になられて哀しみのあまり、精神疾患を患い。先日入院されることになってしまったのだという。

職をなくし、アトピー疾患で悩むなか姪の世話にあけくれている女の子に、

毎日の仕事に追われている銀行員の女の子も。

みな一様にそれぞれの暮らしのなかで、それぞれの闘うべき問題を抱えていた。

あの時、入院していた頃には、病院を退院したら雨上がりの空のように

それぞれ一番の悩みだった病気を克服してすっきりした心と体を手にいれ、そして、誰もが幸福列車に乗れると安堵していたのではないだろうか。

「愉しかったよね、入院生活。休息したわよね」なんて、
あの日を懐かしむことは、想像しただろうか。


帰り際に、私からの提案で
ヒルトン ハービスプラザエントの4階「パレ・ド・オール」で、

ティータイム。
私は、酸味と甘味がほどよくマッチングした、チョコレートケーキ

友達はピスタチオがふんだんに使用されたシンプルなケーキで、
たわいのない話しをして、
三カ月の時間を埋める。


そして、

12月に再び合う約束をして、西梅田の病院の方向とは反対側の
家路にバラバラに戻っていった。

わたしはそれから堂島のジュンク堂へ行き、1時間半本を読み、
自分の軸足をリセットしてから、平松洋子の「なつかしいひと」(新潮社)と、受験の自己啓発本を購入して帰った。



種子島からやって来たドラゴンフルーツ

2012-09-08 11:33:52 | あぁ美味礼讃


いつものように一人で朝食を食べていると、テーブルの上に毒々しい赤むらさきの物体が、ドンと置かれた。


最初、一瞬何かわからないほどの強烈な彩、勢いのあるかたち!

表面にサボテン科果実特有の葉のような緑色の突起物。

どう考えたってまだ生きている。
今にも動き出しそうなそれは、
種子島から相方が連れて帰ってきたおみやげ、「ドラゴンフルーツ」なのだった。

さっそくスプーンですくって食べると、

熟れた紫芋とマンゴーをかけあわせたような、不思議な味。
黒々とした胡麻粒のような種子を一面にたたえた、濃い赤むらさきの果実。
体が染まっていくみたい。

「薔薇を食べているみたい」となっちゃん。

味も薔薇だ。と。なるほど、
その感覚は気づかなかった。
亜熱帯特有の濃厚さはあるのだが、甘ったるくもなく、酸味もそれほどない。
しかしこのジューシーさは、紛れもなく太陽のパワーだ!

栄養的には、アルプミン、アントシアン、ブドウ糖、リン酸、ポリフェノール、食物繊維、カロチン、カルシウム、鉄、ビタミンB1・B2・B3、ビタミンCも豊富とか。さすが!

確か、タイに旅行した時に、ヒルトンのウエルカムフルーツとして一度だけ食べたことがあったはずだが、すっかり忘れていて…。まるで初体験なのだった。

それから、仕事の休憩タイムにまたまたフルーツを食べたくなったので、
今度はプルーンを食べた。

長野県でとれたプルーン。


もものようなやさしい果肉のなかに鉄分のパンチ!が感じられ、
私の大好きなフルーツ。


ドラゴンフルーツよりもう少し穏やかで、ごく自然に体に栄養が吸収されていくのがわかる。
秋は、旬の食べ物がおいしい。毎日、一皿季節のおいしさを体にいれる、という計画(昨年秋に立てた)ちゃんと実行しよう!









夜明けの迎えかた

2012-09-06 08:49:23 | 今日もいい一日
人の心配って、心身ともにじわじわと
むしばんでいくものだ。

安心生活がいいな。

自分のことなら、とことん落ち込んで反省し、立ち直る術を学べば
なんとか乗り切れる。

しかし、こと人のこととなるど、
いくら考えて提案しても、そのとおりには当たり前だが動いてくれない。

びったり一緒にいて、背中を押し続け
コントロールする、コーチのようになるか、

あとはその人自身が意識を変革しやすいように、精神的なところと最善の環境をサポートするしかないのだ。

朝、夜明け前の4時半ごろ、
とてつもなく不安にかられ、
昨日一日の
様々な落ち度を回想し、はっと、する。
ひらめく!

ああ、あの答はこうだったのだ、と。
どう考えても、こうにしかならないと。

朝、希望的観測ではないほうに、脳がうごくと、それからはまんじりともできない。

いつも、もう何日も、
そうやって朝を迎える。




受験はお祭

2012-09-05 21:37:33 | 今日もいい一日
今日も一日残暑が厳しかった。
午後から、一本人物インタビューがあり、そのあと先日の原稿チェックをうけて打ち合わせ。

週末、なっちゃんの受験に関するいろいろで頭がふらふらのなか、仕上げた原稿なので、大丈夫かな、と心配だったが
「さすがでございます。ありがとう。やっぱアタマいいね~」と、
OKを頂き、ホッと安堵。

やはり家にばかりいて、視界が狭いと精神的に追い詰められていたのだと、改めて思う。

だって、食堂のテーブルの上、
部屋に整理できない参考書や問題集で半分以上は埋まってしまっているもの。

仕事場の亡き父の写真あたりには模試の結果の山。

これは、全く精神的によろしくないわけである。

仕事帰り、塾の進学アドバイザーと三者面談。9月期からの事業数は、
VODも入れて週8講座。
それだけに授業料は、心臓が、バクバクいうほどの金額だ。

まぁ半年、受験という人生におけるお祭りに、悔いなく参加させてもらおう、と応援団はそう納得しよう。

明日は朝からヨガ教室。
そのあと、追い込みの原稿が待っている。

仕事はじぶんを作る

2012-09-02 23:07:31 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


なぜ私の家では風が吹けば打ち寄せる「波」を連想してしまうのだろうか。
今日、その答えがみつかった。
それは仕事場の西側に面して立っている大きな1本の木。

3階を飛び越えて、空まで届きそうに枝葉を延ばして、
窓の光景を飾ってくれているのだが、風がふくたびに、
さわさわと激しく音をたてることに気がついた。

小さな葉っぱが細かく揺れて、木々の心肝までつたわる。
揺れは、規則正しく、凪のようだ。
さわさわさわ、と思っていたら、
ザザーッーと波の音。
自然って、気持ちいいなあと改めて思う。

さて、金曜日に、ブルームーンをみて心を浄化できたのか、
週末は仕事が順調に進んでいる。

仕事は、私をいちばん成長させるのかもしれない。
精神が強くなる、ね。

弱い心、迷いのある心、
自信がないと、どんな言葉も紡ぎだすことはできない。

心の芯をシャンともって、
何が正しいのか、何を伝えることが自分の役割なのか、
どこをポイントにして述べることが自分らしい視点なのかと考えてから
それらを言葉にしていく。

モノを書く仕事。
日常の暮らしだけでは得られないものを、いつも学ばせてもらう。

たとえば、今日の対談も。
元松下電器産業(株)人材開発センター営業研究所所長(現パナソニック)
をインタビューした対談記事だか、
松下幸之助氏の商いのこころをいろいろ教えていただいた。

「成功とは成功するまでやり続けることや、途中で止めたら失敗や」。

松下幸之助は夜寝るのを毎日1時間遅らせて、今日一日失敗したことを反省し、
その原因を1,2、3と書き…。
同じように今日を振り返って成功したこと、上手くいったことも
1、2、3,とつけ、何十年も毎日反省を続け、即、軌道修正したそうである。

そして、商いの原点はお役立ちのこころ。社会への貢献。

朝考えて、昼行動して、夜反省する。
わかったことも、行動しなければ、何もならない。
「まずやってみなはれ」。

わかったこと、発見もみなじきに忘れてしまう。
「忘れないようにするなら行動して体で覚えるほかはない」と話されていたという。
さすが深い。先人のことばである。

彼は、素直な心を死ぬまで追求した人。
素直さとは、何から何までハイハイと逆らわないのではなく
何が正しいのかを考え、相手が間違っていたら
「間違っていると違いますかというのも素直な心。こだわらない、
とらわれない、こだわらない。これが素直な心。

・相手の身になり考える。
・美しいものを美しいと感じる
・朝起きると自分の志がある
・わかりあえる人がいる。
・相応に、ほどほどにお金がある。
・自分が足りていると、しあわせを感じられる。
・感謝、ありがとうでいきることが素直さの実践であるという。

仕事をすることで、視界はほんの少しだけ広がるのがうれしい!
仕事は大事。仕事はじぶんをつくる。