月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

子宮哀歌   

2019-10-27 12:36:33 | 腹腔鏡下 子宮全摘術









 秋の長雨は冷たい。春より悲しく冷えている。
 春の雨音は大地がもくもくっと刺激されて、萌える喜びがかくされているが、
 秋の雨は、しんしん大地に深くしみ入る。

 冷たいのは子宮だ。
 私は、2012年6月18日に子宮全摘出手術をしたが、7年めにしてまだわたしの子宮は存在を主張し、きりきり微かに痛む。
 
 何度、手をやっても、昔のようにごつっとした塊は手の皮膚を通して感じられないのに。不思議なことに子宮のあった場所がもっこりとした硬質な盛り上がりが腹の下部にちゃんと感じるのだ。

 忘れている時ももちろんあるけれど、ほとんどの時間を共にいきている。

 たとえば「あぁ困った!」「辛っ」「えーー!どうしょう」とか、いう時。
私の場合は、 脳がダメージをうけるより先に、そこがちゃーんと先にダメージをうけています。

 じくじくと知らせてくれる。体で感じたことを頭で、あぁと遅れて理解するというほうが正しいのだと思う。
 おとなしくしている時は、まあ少ない。


 あるはずのないものと一緒に生きている。

 体をななめによじってウエストを少しまげれば、鮮明に異物で腰が張る。

 「それって。義手をしている人とかが、ないはずの手が痛い! 熱い! ふれあっている と五感で感じるのと同じじゃないの?」
 と。友人がいった。

 子宮の存在で、ものごとを判断する、というほどではないけれど。
 あぁ、いま、ストレスを感じているのだなとわかる。(子宮の場所で、感じるというのは自分にとっての癖。たぶんそういうものです)



 私の場合には腹腔鏡手術で子宮とともに40個くらいの大小の筋腫を摘出したので、もしかしたら、全部は取り切れていないのかもしれない。
 子宮と(たぶん子宮頸管)は切除しても
 周囲にもだんごのような筋腫があったのかも、と自分の皮膚の奥まったところに想像をめぐらせる。

 私とそこは、常に一心同体だ。 
 泣くも、よろこぶも、ともに感じ、いきている。


 わたしの寿命が終わりをつげて骨とかある種の色素になった時、私の骨盤がどうであったのかを誰がが見て確認すればそれでよい。どんな骨で子宮のあとはどんな状態であるのか、普通の人となんらかわらないのか、その時わかるのだろう。
 もしかしたら2個の卵巣が主張しているのかもしれない。だとすれば、けなげだなと思う。女の臓器とはいうのは。

 せいぜい、呼応しあって。
 人生を2倍、3倍と共鳴しあえるのもよいとおもってみるのだけれど。

 






いつも心にイエローを 

2019-10-08 17:15:36 | 今日もいい一日






 あると安心なものというのがある。私の場合には、みえないものや消えてなくなるものが多い。

 たとえば、バスルームの中ではジャスミンの香りの石鹸やコットンリネンのバスソルト。好きな作家の書く物語も本を閉じれば消えてしまう。お香、紅茶(お茶全般)コーヒーなど嗜好品のかもす馥郁たる余韻。目をとじて、あぁおいしいと思うや、消えてなくなる。

 この季節は秋の木の実がはじける匂いも大好き。今も外出して、外へでた瞬間に、空気が香っている。

 鈴虫やコオロギが羽をふるわせる音、野鳥の声、蝉しぐれも。お湯や水の感触もいい。

(最近ではオーガニックコットンやリネン類、冬はカシミアのものしか体がよろこんでうけつけなくなっていく。それも年々。若い頃はそこまでで、なかったのに)
 言葉をかえるならば、なんでもオッケーという若い頃の柔軟性が消えて、許容範囲がせまく頑固になってきたのかいもしれない。


 消えてしまうものというには、少し違うけれど。視覚においても影響力が変わってきた。若い頃はともかくビビッドな青やオレンジに惹かれた。いまは黄色!圧倒的にレモンイエローだ。(暮らしの中のさし色としての黄色という意味)


そばにあると幸せだと思う。
よろこばしい、すごく。

 上の写真のレモンは実はイギリス製の軽い紙粘土のようなものでつくられていて、神戸のマンドレイク、という店で買った。家族は「なんだこれ、こんな作り物をどうして使うのよ」と聞くが、レモンの固形をみるだけで、口の中が酸っぱさで唾がたまってきて、爽やかになる。視覚から力をもらうのだ。
 
 たとえば外出の時にはイエローのショールを首にまいているか、大事な仕事の時には、家でもこれを肩にかけて原稿を書くようになった。実は秋用の黄色いシャツや少しからし色っぽいセーター、冬のカシミアショールにも「黄色」をもってくるほど凝る、女になってしまった。

 なぜ黄色? と考えていて。最近わかったことには、黄色いものは月の光にとても近い明度をもっているのではと思う。そばにあると安心で明るさに守られている気がする。



 これはわたしが本で読んだネタなのだが、作家の江國香織氏は、
「音楽にいつも助けられてきたと書いていた。幼い頃からお父さんはジャズを。お母さんはシャンソンをきいていたので、わが家には音楽がいつも溢れていた」といったいた。
 江國氏本人は、執筆中には無音か、あるいは「バッハのバロック音楽」を聞くという。
 なぜなら「心がゆさぶられるものはこまる。書く時は、安心できるものでなければ」と話されていた。


 いつも自分らしく心の安寧と均整をとるため、なにかをそばに持ちたい。決して不変ではない、けれどいまは大事なもの。そういう拠り所が少しでも多くあれば幸せじゃないかと感じる。




美しい野生のキツネをみたという話。

2019-10-02 22:17:04 | writer希望を胸に執筆日記




2019年10月2日(水曜日)



 ふと、2017年の覚え書きのようなメモ帖をみつけた。
文庫本サイズで、美しい紙の手触りに惹かれて買ったのを思い出し、ぺらぺらとめくってみる。冒頭のページは2017年の「良いこと」、右側には「よくないこと」というタイトルが書かれている。気付いたのは、「良いこと」はそれなりにうれしそうだが、短くて内容が薄い。
 対して、「よくないこと」は、ひそう感漂う文章なうえ、こと細かく、よくなさ加減が綴られており、文章を目で追ううちに、当時の腹立たしさや切なさがこみあげてきた。反省の意もこめてよく熟考している。


 例えば、1月16日には、「お風呂に浸かって、全身に蕁麻疹が出ていると発見した。翌日になっても全くひかない。皮膚科でステロイドを処方してもらうが、ステロイドはよくないということを取材で知っているため、使う気になれない。全身がかゆい。そこで「石垣の塩」で塩浴してみることにする。塩水をシュッシュッとスプレーし、体の内から殺菌作用をするため「塩水」も飲む。塩の湯にも浸かる…」
 と徹底的に試していて、1月20日には「完治」とある。


 ほか、交通違反で罰金をとられたり、Nに作家もののティーポットの持ち手を割られたり。新年会の席で日本酒をくいくい飲み、大先輩のデザイナーさんの家でぶっ倒れて1時間ばかり気を失ったことも綴られていた。最近こそ、平々凡々で、そんな大失敗はないのでは…と頭をかしげながら読んでいたが。とんでもなかった。


 そう昨日は、iPhoneのバージョンアップをする際に、ソフトが壊れて恐怖の「リンゴループ」(モノトーンの画面にグレーのアップルマークが出たまま進まない状態)からどうしても抜け出せず。地元の図書館で資料を調達にいき、戻ってきてもまだ「リンゴループ」状態。
アップルサポートセンターの方に9時半までお世話になってサポートしていただくも、全く恢復の余地なし。結果的に初期化をすることになってしまった。

 夫が遅いので食事もつくらず、食べもせず。結局。夜11時半。無事、初期化に成功してiPhoneは復活した。
が、ほんのさっきまでcloud上の写真が2017年で止まったままで1日半も戻らなくて、不安な状態で過ごしていた。…全て、恢復したときの喜びといったらない。安心の力をまざまざと知る。などと、ここまで書いて。やはり不安な状況については胸の中にしまって人には喋らないかわりに切々と綴る癖があるようだ。




 しかし、そのメモを見渡してみて、思ったことには手書きの手帖は面白いなーということ。字が汚いなぁーとか、寝ながら書いたんだろうなぁーとかパラパラとめくるだけで、色々面白いことに気づいた。
それで、気をよくし、この日は三省堂の国語辞書を本棚から取り出してきて、ことあるごとに、わからない漢字はスマートフォンではなく、辞書をくった。そして小さなことをメモしてみる。


 と、前置きばかりが長くなったが、きょうは面白いものをみてしまった。
郵便局に行く途中、野生のキツネが道路の脇の草陰からちょこんとこちらをみていた。








 最初は、犬かと思ったが顔が尖っているし、目がキラッと金色に光っていたのですぐにキツネ!とわかる。
へー!初めてかもしれない。動物園以外で野生のキツネに出会ったことは。じーっとみる私とばっちり目があったが、相手は逃げもせず目をそらさないので、遠慮がちにごそごそと鞄からスマートフォンをとりだしてすばやく撮影。動くと逃げると思ったが全く逃げる様子はなし。あまり見合っても仕方ないので、2歩、3本と歩き出したら、草陰の深みにすすっとーと隠れて。ふたたび
こちらをみていた。(誰だ、おまえと観察する感じで)





 金色の目と、尖った顔。美しい毛並みが印象的。ディズニー映画『ズートピア』のキツネの詐欺師ニックを思い出した。それから、ごんぎつねの絵本も。

(キツネって、やっぱ!カッコイイ)



 無事に郵便局での用事を終わらせて、ドキドキしながらそこを歩いていると、そのキツネ。
家のそばの車道(車の少ない道路)をうれしそうに、ぴょんぴょんと飛び跳ねていた。わーっ!跳んでる!私が止まると、キツネのほうでもピクンと止まり、そのままこちらにやってきて、目前で止まり、じっとこちらをみている。えっ?

  (あ!もしかして、食料を要求してはる…?)







 再びパチリと撮影。歩き出すと、草むらに入ってしまった。不思議なざわざわとした、むこうから物語が近づいてきた。高揚感、、。
 耳が三角型にピンとたち上がり、鼻から首まわり、しっぽの先だけが、ふっさふさの真っ白の毛。光る金色の目をした美しいキツネだった。