月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

普段どおりの一日が、実は特別なこと

2017-12-31 02:23:55 | 今日もいい一日

パリへの旅行のブログを3日分ほど、書き溜めて予約送信したあと、
20〜23日まで東京へ行っていた。
仕事の人と打ち合わせした後には、蒲田の羽根つき餃子のお店で中華を食べて、翌日は築地で寿司。
暮れの銀座を味わうために、デパートを2件はしごして、銀座シックスで
食料品を買い、ピエールマルコリーニで休憩のパフェ。


そのまま表参道へ流れて、ちょっとアンティークの店や雑貨をみた後でピッツァリア サバチィーニ青山でイタリアン。
翌日は横浜の海沿いを散策して、横浜中華街から赤煉瓦倉庫の
クリスマスマーケットなどをみてまわり、ご機嫌で関西に戻ってきて。(笑)

クリスマスの24日には、意気揚々と買い物へ行って、
おいしそうなごちそうをこしらえている最中に寒気と吐き気、頭痛がマックスになり、そのまま26日まで寝込んでしまった。
クリスマスイブに寝込むのは二年目だ。

おそらく、仕事が一段落したのでそろそろ体が内へ内へと閉ざしたくて、
「陰の気」に満ちてしまったのかもしれない。

ようやく、今日くらいから回復してきて、
昨日は友人と予定していたので、リーガロイヤルホテル大阪で友人4人と食事会。今日、なんとか年賀状の投函へと持ち込んだ。

病に伏すと、いつものように思うのは、なにげない普段の毎日を過ごせることの幸福だ。
本を読んだり、DVDで映画をみたり、夕方お風呂に入った後に食事をこしらえて、それをビールやワインとともに味わう至福。
特別にどこへ行くでも、驚くようなハプニングなんかなくとも
「人生は普通が楽しい」。

もちろん、ちょっぴり特別な日も楽しいけれど、自然のゆるやかな恩恵の一部の中に自分がいて、
普段どおりの毎日が始まっていく、というだけで実はそれはとても特別なことなのだと思う。
突然。降ってわいたような戦争や被災や、体調不良や不慮の…アクシデントにもしあったなら、
こうはならないのだから。何もない一日というだけで実はとても恵まれていることなのだと思う。
体調ガ思わしくないと、しみじみと健康のありがたさが身にしみる。

だけど、私のようなすぐに「いい気になって楽観的に生きてしまうやつには、
時々はこうして立ち止まる一日というのも必要なのだ、きっと…。
あぁ世の中は一番良いように最善の状態で流れていくと信じて、今日も眠りにつこう。
朝がくれば大晦日だ。

高橋久美子さんのインタビュー記事を書かせていただきました

2017-12-26 23:50:58 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)







宣伝会議2018年1月号の私の広告論
高橋久美子さんのインタビュー記事を書かせていただきました。

高橋久美子さんは、チャットモンチーの元・ドラマーでエッセイスト。
熱狂的なファンも多いので、その方々の気持ちを裏切ることのないようにと、心に念じながら記事を書いたのは、
11月のことです。
ちょうど私のMacBook pro(マックブックプロ)に紅茶をこぼして水没させ、
逝ってしまったその後2作目の仕事でした。


仕事の発注が降り積もっていくのに、Macを自然乾燥で蘇生したいと祈り
3日間。
いつもの環境で制作できないジレンマに陥りながら(別マシンのポメラでメモる)、
文章を書くことを、こうまで欲求する体になったのかということにも
我ながら驚き、その他いろいろな発見や後悔も、錯綜した時間でした。


制作をはじめる時は、さあ書くぞという気合いとともに
チャットモンチーの代表作「ハナノユメ」をYouTubeで流し、そのたびに
彼女が紡ぐ言葉たちの、けなげさに打たれて、涙が出ることもしばしば。

久美子さんの大地に根をはったようなたくましい生き方も繊細な詩の余韻も、
ふわっとして柔らかいのに確信のついた言葉の世界感、その切なさに。
何度もやられました。

「今の時代は他の人の視線を気にしすぎる。
共感やシェアしすぎだではないか」と。
「誰とも共感しない自分だけの好きな物や、人にはわかりえないものを見つけること」

孤独な時間を大事にして自分だけにしかできない発見をしてほしい。
他人と違うこと、
そういう感受性をもったことはむしろラッキー!と誇るべきだ」
というような事を語っていらしたのが印象的。

本当にたくさんの発見や勇気をもらったお仕事となりなりました。
クライアントの担当者をはじめ、関係者の皆様方には
とても感謝しております。






同雑誌には、メルカリやクラウドファンディングなどに代表される「所有したくない」消費意識。シェアリングビジネスについての特集企画のほか、
パナソニック宣伝100年の軌跡などが掲載されています。







モンサンミッシェル修道院の中を順路に沿って歩く 後半(8)

2017-12-22 15:40:14 | 海外の旅 パリ編








モンサンミッシェルの内部は、外気より完全に冷たく、地下牢のような湿気があり、
暗くて濃密な廃墟のような石の搭だった。

ゴツゴツとした厚い石の階段を上る時、また下りる時。
ここが千年以上の歳月を経てなお、生き続けている修道院だということを、
踏みしめる石の階段の堅さと冷たさから、
わきあがってくるようだった。




英国との百年戦争の時も不落の強固さをみせたそうだが、
軍事建設物として英国の攻撃に持ちこたえた防壁、要塞にも。
やはり悲しみが宿っているように感じた。
ここは、フランス革命時に修道会が散会してからは、
長いこと監獄としても使用されていたという。



身廊の天井は、板張りヴォールトになっていて、
優雅にアールに曲げられた部屋の天井部や修道院付属教会の天窓も胸のすくような完成された設計だ。
彫刻に刻まれた装飾やマリア像。



そして、あたりからたちこめる、過去からの時間軸から流れる気配…。


そして突然と「回廊」へ出る。











ここは修道院の最上階部で、僧たちの祈りと瞑想の場だった。
モンサンミッシェルの見学コースで、唯一といっていいほど
開放感にあふれた中世の宮廷風の中庭と上部に掘られたレリーフのデザイン。

芝生は生えたばかりの優しい緑で、
空に近い光を浴びて、とても綺麗だ。
暗い歴史の迷路から、現実世界へ抜け出たような温かさを覚えた
美しい「回廊」なのだった。


続いて修道院の食堂があった。
正面には十字架。
両側には円柱の小窓があり、穏やかな光がそそがれる構造になっていた。

ロマネスク建築とゴシック様式の混在する建築美というもの。
それは美しく、質素で厳かな空間を飾っていた。


中階へ降りると、貴賓室、サントマドレーヌ礼拝堂。
アールを描いた巨柱の間。



聖マルタン礼拝堂は、修道院付属教会の交差廊より、後に建築された
比較的新しい設計で、10メートルほどの石組の天井。壁層はかなり厚いものだとか。



次には、19世紀の牢獄時代に納骨堂があった貨物昇降機(大軍輪)。
崩壊した医務室と修道僧の納骨堂の間にある死者のチャペル
(聖エティエンヌのチャペル)。
階段を通り、修道僧の遊歩場(散策の間)へとコースは進む。








そして。騎士の間(修道僧たちの仕事場)。




司祭の間を見て、
ラ・メルヴェイユの建物を後にする。


外気にふれると、ほっとした。
先ほど入場前と同じように観光客の群衆であふれている。写真撮影をするグループや、
同じバスに乗車していた初々しい男女のカップルたちも揃って
写真撮影をしていて、すっかり寛いだ様子だった。

モンサンミッシェルの栄華と悲哀を、一瞬にして見たような気もするのだが、

この広大な塩の干潟と日常の人の姿を目にしたら、

なんだか全て幻だったようにも思えるのだった。


モンサンミッシェル修道院の中を順路に沿って歩く(7)

2017-12-21 20:34:22 | 海外の旅 パリ編





モンサンミッシェル修道院は海の上に浮かぶ、灰色の搭というイメージがある。

旅をしたのが3月で寒かったし、
空に重い雲がたちこめる季節だったせいもあるのだろう。

土産物ショップやカフェなどが続く観光の通りからはずれて、
修道院の入り口に近づくにつれ、
その気配は重く、深い悲しみに包まれているのが感触として伝わってくる。

同時に、厳かな祈りが聞こえてくるようだ。
708年、アヴランシュの司教オペールが、大天使のミカエルから
「このモン(岩山)に聖堂を建てよ」
というお告げをうけ、(最初は聞き入れなかったが3度も現れた)
礼拝堂を建てたことがモンサンミッシェルの始まりであると言われている。

史実を読むと、966年にノルマンディー公のリシャール一世が修道院を島に建て、
増改築を重ね、13世紀頃にほぼ現在のかたちになったのだそうだ。

中世ロマネスク様式とその後のゴシック建築が混在する簡素だが
独特の雰囲気をもつ様式美。

古いレンガと厚い石の壁。

途中、焼けて劣化した焦げ茶色の石(壁)が、数カ所あったが
これも英国との100年戦争の悲哀を物語っていると知ると、また味方が変わってくる。

随所に、建造された彫刻などは、やはり見応えがあった。

このように大胆で意志の強い彫刻物の深い堀りは、日本には少ない。
ヨーロッパならではのもの。美しい芸術である。
鉄柵脇の入り口へ進み、長い階段を90段ものぼり終えると、
聖堂前の西のテラスへ出た。





海抜80メートルのこの場所は、西にブルターニュ地方のカルカンの岩山から
東はノルマンディー、北にトンブレーヌ孤島までみわたせる、吹き抜けのテラス。

引き潮の時間帯なので広大な泥色をした干潟。こんな大自然もあるのだとこれまでみたこともない
塩の壮大さに、胸をうたれた。
そして、島内の湿気と不思議な暗い靄も、この塩の紗によって
生まれていたのだろうかと思いながら、ぼんやり泥色の干潟をみた。


なんだか修道院をめざして登ってくる観光客の群が蟻の行列のようにみえて
滑稽だった。











対岸に現れたモンサンミッシェル(6)

2017-12-20 01:13:20 | 海外の旅 パリ編






モンサンミッシェルは、青々としたサラダのような柔らかい草原のかなたに忽然と現れた。
なんだか幻のような光景だ。
 
荒野のむこうにも見えた。

原っぱには黒い羊が放牧されていて、その向こうにもモンサンミッシェルは同じように存在していた。













視覚の端に、モンサンミッシェルを認めてからは、バスがどんな景色の中を移動しようと、
モンサンミッシェルは決して裏切らずに堂々と現れ続けていた。

ピラミッドのように、その地に根を下ろす威厳がある修道院。

日本の富士山を思い出した。






我々は車窓から、どんどん大きくなっていくモンサンミッシェルを見続けていた。

バスを降りると、真冬のような寒さだった。

灰色の空に、まっすぐに突き抜けて建つ灰色の修道院。
周囲には観光客もいて騒がしいはずなのに、驚くほど静かに建っていいる。

ここ対岸から島内は、徒歩で30分は軽くかかるということだったが、
私たちはシャトルバスを選ばず、自分たちの足でモンサンミッシェルに近づいていくルートを選んだ。

その日はものすごい風だった。
寒くて震えそうだったし、時折、突風にあおられながら
干潟の脇の歩道に沿ってひたすらに歩いた。
鼻も頬も赤くなって、ぶるぶる震えながら、ようやく、対岸から島へ着く。

島内出入口にはアヴァンセ門。
今は夕方の3時50分で。夜の8時15分までは自由行動である。





門をくぐり進むと、観光ルートだ。

島の入り口の門を通ると「グランド・リュ」(大通りの意味)と呼ばれる、修道院まで続く参道があった。
狭い道の両端には、ふわふわオムレツで有名な「レストラン・ラ・メール・プーラール」や
おみやげ物店や絵はがきを売る店、レストランが続き、ホテルがあり、ものすごい人と食べ物と、雑居ビルのような商店群に
圧倒されながら、モンサンミッシェル修道院の入り口へと進んでいった。





ブブロン・オン・オージュ村でガレットを(5)

2017-12-18 20:39:16 | 海外の旅 パリ編


ブブロン・オン・オージュ村は、フランスの美しい村にも数えらられる美しい花々が
あちらこちらに咲く、可愛い村だ。

さてリネンの店を出ると、もう時間がわずかしかない。
けれど、どうしても飲食店に入ってみたくて(それも日本人が少ない店)
クレープとガレットを食べさせてくれる店へ急いで入った。

看板には「CREPERIE」と書かれていて、その上に
"LA COLOMB'GE"とある。

店内には日本人観光は少なく、フランス人が普通に食事している光景に、ほっと胸をなでおろす。




さてと、何を頂こうかとメニューのリストを開くと、あら、全てフランス語で書かれていた。
昨晩のカフェもそうだった。
この地はフランス語を愛し、尊ぶゆえにか英語メニューを置いている店が意外に少ない。

私たちは、気を取り直して慎重に、りんごの軽いお酒・シードルを。
そして、食事メニューの中からガレット・クレープを選び、一番安いスタンダードなバターのガレットと
りんごやアイスクリームの入ったデザートクレープをオーダーした。

地元のおじさんやグループ客が、真っ昼間からシードルやワインを飲みながら、鼻を赤くして
クレープをナイフとフォークで口に運んでいる食事風景を、微笑ましく、チラチラと盗み見しながら、
オーダーの品が運ばれてくるのをひたすら待った。

10分待ったけれど、まだ来そうにない。これは時間がないな。
焦る気持ちはあるが、今の心中を全く怒っている風でなく、集合時間がある上でここの食事を全力で楽しみたいというところを、情報として正確に伝える現地のフランス語を、Nも私も、当然のように持っていないのが悔しかった。
(Nはフランス語は中級クラス以上はあるのに…自信がなかったのだ)
それで、じりじりとした気持ちのまま、クレープの焼けるのを待った。

そんなこんなはいざ知らず。

店員は、にっこりと笑顔とともにシードルの瓶とグラス、そしてクレープをゆっくりと運んできてくれた。
(パリのキビキビしたウエイターとは違って、ノルマンディーのメルヘンチックな小さな村。時間の使い方も悠長である)




私たちはバターだけで焼いたシンプルなガレットと、
りんご、アイスクリームをのせたデザート・クレープを、ほんの5分ほどでお腹の中におさめた。




どちらも、想像以上!の味だった。

外皮は薄くカリッとして、中は濃厚なもっちりとしたガレット&クレープ。
小麦の質がいいのに加えて、ゲランドの塩が良い役目をしているのだろう。
それらは一瞬のうちに、おなかの中にするするっと溶けていった。とてもおいしかった。

もう少し、せめてあと10分。居座って、シードルのりんごの香りまでゆっくりと味わって、
この場の雰囲気を記憶におさめておきたかったなと
すこし心残りを残したまま店を退出。

さあ出発だ。私たちは再びバスに乗り込んだ。
次の到着地はモンサンミッシェルである。




フランスの美しい村 ブブロン・オン・オージュ村で (4)

2017-12-17 23:52:27 | 海外の旅 パリ編

バスは、パリの街中を走っていた。
あ!凱旋門。と思い、立派な彫刻に見とれているうちに門の下をくぐる。
そして、しばらく走ると、今度はオアシスのように濃い緑が繁っている公園があり、
どうやらブローニューの森のようだった。

運河や湖もあるという。
あぁ、ここがいつか行ってみたかったブローニューの森なのか。
車窓から、絵はがきのようなパリのあちらこちらを、こうしてスポットでみせてもらい、
そこを空想しながらドライブするというのも素敵だ。

もう少し走ると、ハイソなアパートメントが続き、高級住宅街へと進む。
変化のない車窓風景をみながら、写真のチェックなどを。

3月のパリの空はうす曇っている。

しばらく走ると、今度は牛や羊を放牧している農村風景があった。緑が濃い。



3月というのに、濡れたような緑だ。
この国の、赤のきれいさにも驚かされたけれど、緑の、生きている緑色の明るさにもまた驚かされる。
これがヨーロッパの緑なのだ、と静かに瞼に刻み込む。

しばらく、目をとじて眠ろうかな。などと、うとうととしている間にもぐんぐんとバスは進み、
もう一度、牧歌的な風景がまた現れた。

パリの中年ガイドさんによると、ノルマンディの小さな村へさしかかり、そこで1時間半ほど休憩するのだという。
フランスの美しい村に指定されている「ブブロン・オン・オージュ村」(ブブロン村)である。
街中に入る前に、石造りの小さな家と馬小屋をみた。








ライラック並木が近くにみえる村役場のようなところに車を停めて、私たちはバスから降りた。
ひさしぶりの地面を踏む感触。足がお酒によっぱらったように、不安定な歩き方に。
「ブブロン・オン・オージュ村」。
ほんの30分ほどで歩けてしまう小さな、小さな観光の店が集う村だった。

Nは、ウインドウにきれいに飾られたマカロンに目が吸い寄せられて、
そのまま2個かって食べながら歩いていた。





小物を置く店やアクセラリーショップ。
少し行くと、リネン類を売る店があった。

薄い麻布に刺繍がさしてあるテーブルセンターや布小物がたくさん並んでいる。
最初は観光客相手のおみやげもの屋さんのたぐいかと思ったら、
そうでもなく、生活に根ざしたリネン類や小物をおいている、感じのいい店だった。
やはり人の手でつくられたものは美しい。アンティークの布に惹きつけられたが、高かったのでやめた。

それで家のダイニングテーブルの中央に敷く、長い長方形のセンターテーブルクロスを沢山の中から選んで購入した。

いろいろ欲しいものがあったが)ここは一番にだけ絞った。
買い物を終えると、一仕事終えたようなちょっとした疲労と爽快感が、一気に押し寄せてきた。





パリの2日目の朝 (3)

2017-12-16 11:06:43 | 海外の旅 パリ編

(日本は師走です。クリスマスまで数日。
今年中の原稿もメドがたってきたので、ここで書いておきたかったパリの旅の記録について書き留めておきたいと思います。
しばらく毎日の連載とする予定なので、フランスへのご予定のある方やお時間あるかたはご一読ください)

パリ(1)
パリ(2)
からの続き

パリの2日目の朝は、霧に包まれていた。

背の高いアパートメントの下を歩くのは、働く労働者たち。観光客は少ない。
トラックから牛乳瓶の入った木箱を積みおろす人。ショップの開店準備でウインドウを縦にふく化粧っ化のない女性。
ホテルの斜め前は香水やリネン類を置くデュランで、朝の日差しが入る店の空間を白い電球が照らし、
美しいパリの朝には間のぬけた光景にみえた。

この日は、モンサンミッシェルに行く予定にしていた。
パリ市内9区のガデ駅から地下鉄にのり、パリロワイヤル駅へ。
途中、通勤途中の女性や男性や、子供たち。行き交う人にみとれながら、この街の人はグレーや紺色のウエアに、
エレガンスな赤い服を差し色につかうのがなぜこんなにうまいのだろうなどと、ぼんやり思いながら、歩く。
パリの赤はとてもエレガントだ。

ほんの2・3日前の日本の朝、それもわが家の近くの光景や、北浜や淀屋橋界隈の通勤の朝と比較しながら、
私たちはだまって歩いていた。
 
パリロワイヤルから徒歩5分のところに、モンサンミッシェル行きの現地ツアー集合場所があった。
周囲には中年の母とお嬢さんの母子グループや20代前半くらいのカップルや、女性のおばさんグループや…。
15分ほどゆっくりした後で、バスに乗り込み、パリを離れて郊外にむかって
私たち一団はフランスのもうひとつの旅へと向かった。

出町柳の小さなイタリアン 「カンティーナロッシ」

2017-12-13 14:24:14 | 京都ごはん






 今日は京都で好きな、イタリアンの店を紹介したい。

「カンティーナロッシ」は、京都・出街柳にある一軒家一部をリストランテに改装した、こぢんまりとした店だ。
 扉をあけた入り口から、不思議だがすでに居心地がいい。
 飾られえた絵や小さな調度品にもイタリア現地のものがさりげなく置かれているせいか、異国にすむ近親者の家に遊びにきたような、そんなワクワクする気分で迎えられる。


ダンディなオーナーシェフのご主人と、おっとりとしたマダムの二人で店を切り盛りされ、
つかず離れずのいい距離感で調理・給仕の一切をされるのも、気に入っている理由の1つだ。


この日は、前菜の盛り合わせから。
赤と黄色パプリカを、軽く焼いてソテーし、モッツアレラチーズと合わせた一品や、
野菜を香ばしく焼いてオリーブオイルを合わせたもの。
ひよこ豆のトマト煮。
じゃがいもとタコのサラダリグーリア風には、オリーブオイルとレモンがほどよく利いている。
どれも素材以上の力を感じられるおいしい前菜だ。




 ここのトマトとモッツァレラのカプレーゼ(前菜も)も私の好きな一品。
野菜の甘みとチーズのまろやかさが、すっきりとした味にマジアージュされている。
ともかく、オリーブオイル使いはもちろん、素材の下ごしらえの仕方がうまいのだろう。とても爽やかな前菜である。



 

 次は、パスタ2種。
 カラスミのパスタと、
 お気に入りのゴルゴンゾーラパスタ。










カラスミもゴルゴンゾーラも上質な素材なのか、麺の弾力とほどよく絡み合い、文句なしに「ヴォノ!」家庭的で温かいパスタだ。

ゴルゴンゾーラと生クリームの調度は濃厚で、まさにチーズを堪能できる1品。


メーンは、子羊の炭火焼き
おそらく冷凍の子羊だろうが、臭みはなく骨の随までしゃぶりたい!とはこのこと。
スパイシーなちょっぴり重めのワインでもスイスイと軽やかに喉に吸い込まれて。
いつ頂いても、おいしい。







小さなデザートとエスプレッソで締めた。




 
お料理がすべて済むまで話しかけてこられたないご夫婦なのだが、お勘定の頃になると、
いつも2・3こと言葉を交わして、ご挨拶をして退散する。

気をてらった感が全くなく、王道の調理法をさりげなく客人に供してくださる京都のイタリアン。
京都大学の学舎に近いことから、大学教授が奥様や娘さんをつれて、
ご家族で利用されるところも時々伺う。こういった客筋がいいのも、落ちつく理由。

今年はこの店に、今回で3回通うことができた。
来年もどうぞご夫婦ご健在でよろしくお願いします。


 


「自由さの中、積極的に生きる暮らし」

2017-12-08 20:56:40 | 今日もいい一日


今日は曇天だと思ったら、午後から木枯らしになった。いよいよ師走だ。
そこで、この一年を振り返って少し書いてみようと思う。

5月に一人娘のNが全日空の客室乗務員として東京へ行ってしまってから、最初は肩の荷が降り、
精神的に寂しくなるだろうなと予想していた。
もしかしたら、いきる活力みたいなものさえ、乏しくなって、老け込んでしまうのじゃないだろうかと思っていたほどだ。

それが、意外や楽しい日々なのである。
まず、不思議なことに、定期案件が切れめなく舞い込むようになって寂しいなどと俯いている暇はなくなった。

ひとつの特集で「ウエルネス瞑想術」を取り上げたのをきっかけに、
10分ヨガと瞑想を習慣化するようになり、少しだが物事を客観的にとらえられるようになったのか、
自分の中に空間(ゆとり)のようなものができた気がする。

いつ誰と出会っても、たとえ物事が思わぬ方向で降りかかってきても、ガチガチに大慌てすることはなくなったのかもしれない。

毎日仕事に追われているのが、当たり前のような状況。
だけど、その案件によって沢山のことを学ぶし、うまく書けなければ書けないで、書くことができたらできたで。
草木が日一日、空を向いてのびのびと育っていくような楽しさと明るさを覚え、書く仕事をさせていただいてありがたいなと(宗教的な意味じゃなくて)そう、心から思えるのである。

 またこの1年は、仕事と仕事のちょっとの隙間時間に、遠出をした。
たとえば、6月、7月には東京へ。出張取材をかねて娘のNのところに泊まり、久しぶりの学生時代の友達とも再会。
 表参道や青山界隈へ、神楽坂へ、根岸や谷中や二子玉川へと友人たちと食べ歩き、街を探訪すること数日。
もうこんなの初めてと思うくらい、珍しいものや楽しいことに遭遇して、気持ちが軽快だ。
自分のワークフィールドが広がった。

9月にはご近所のお友達と台湾へ。
10月には松山の道後温泉へも行った。
今月などはNが週5度も大阪にステーするので、そのたびに夜は天ぷらや熟成牛のおいしい店や、
懐かしい京都のイタリアンへの出掛けていく(そのたびに仕事のやりくりが大変なのだが)。
週に一度会うというのも、なかなか新鮮なのだ。

また一人暮らしの85歳の母を実家に残しているので、月に1度は実家へ帰るし、毎日のように母へ電話を入れる。
Nにはまたの仕事への不安や楽しい出来事などを聞くためにラインも。
母とNと、その中間地点にたちながら、私は友人たちともいい距離を置きながら、コツコツと仕事をして過ごしている。
「自由さの中、積極的に生きる暮らし」。悪くない、むしろ昨年とまた違った新しさのなかに自分がいる。

今日はつらつらと、というような日記になったのでここまで。また明日!

冬の日、瞑想のとき。

2017-12-04 22:24:14 | 今日もいい一日





秋の夜は深くて黒い。飲み込まれそうになる日も。だけど朝が白み、日だまりが始まる頃。

鉄瓶にお白湯をわかし、そのまま火をつけたままの状態で、5分から10分ヨガをし、瞑想に入る。

まず窓をあけよう!私は南をむいて座り、瞳には上瞼でふたをした状態。ゆっくりと息を吐く。

一度、呼吸をとめてさらにお腹の中にたまっている陰の気も陽の気もすべてを絞り出すようにして、

またさらに息を吐く。すると。

1つの仕事に終止符が打たれたように心が一瞬ほどける、この瞬間がたまらなくいい。

心が少しざわつくのを感じ、それらが静まるのを少し待つ。

先ほどと同じように息を吐く。ゆっくりと。また今度も同じように全部吐き切る。

5往復ほどこうやって瞑想を続けると、口の中にほの甘いつばが私の体の中からわきあがってくるのだ。


特に今朝の瞑想タイムは、初めてというくらいに希望に満ちた。ほんの時々だけど満足する瞑想時間というのに出くわす。

あれこれ考えにとらわれる日は、腑に落ちないまま、まぁ仕方なしとそれでも潔く切り上げる。



台所に行って鉄瓶のお湯を茶色のお気に入りの紅茶茶碗に注ぎ、さっき頭に浮かんだ黒川本家の葛を水溶きし、

勢いよく熱湯を注ぎ、中華用のレンゲでかき回す、そして一口。

太陽が燦々と照りつける冬の日の瞑想は、特にすばらしい。


さて葛入りの白湯。おいしい。きれいな白湯の味だ。

私の血管や関節、体のすみずみまで、白湯のぬくもりで、じわじわと満ちていくのがわかる。

今日は12月1日。瞑想ってなんだ!!