月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

わたしが視るただ一つの豊満な景色は心を魅了する

2021-07-31 00:32:00 | 随筆(エッセイ)

 



 

 

すこぉし、ぼんやりとしたところがあると思う。

ここにいるのに、どこか違うものをみている。そんな時が、あなたはないだろうか。

 

「あなたは浮世ばなれしているところのある人だから」

家人は、わたしのことを、こう比喩する。そういえば、付き合いはじめた頃から、隣のシートに体を預けてドライブしながら、別の時間と空間のなかに身を置いているようなことが、なかったとはいえない(笑)。

 

ただ。ここで書こうとしているのは、わたしの浮世ばなれの話しではない。

ここにいながら、いつか読んだ物語と、現実に起こっているいまを、行ったり来たりすることが「最高の快楽」というおかしな癖について書いてみようと思う。

 

              

初めて、タイを訪れたのは娘のNが幼稚園のとき。だから、20年以上前にさかのぼる。たぶん、片言の日本語で「まあま、お腹すいた」と言えたのか、言えなかったのかくらい。タイ航空で飛び、ヒルトンスクンビットバンコクに4泊した。

 

船上マーケットやエメラルド寺院、アユタヤの遺跡、ローズガーデンで伝統舞踊もみて、象の背中にも乗った。象の背中は、とげとげの固い毛で覆われていることを知ったショックは、いっそう衝撃的だった。

「次はどこへ行こうか」 

「だから、チャオプラヤー川のほとりにある、ザ・オリエンタル・バンコク(旧名)で、運河(クローン)をみたいの」

わたしの決意は、出発前のそれと全く変わらない。同じ言葉を飛行機の中でも繰りかえし、ファミリー連れの旅であっても一歩も譲らなかった。「行ってどうするの?」おそらく、何度言われたか知れなかったが、相手も根負けして、町のタクシーを拾ってホテルへたどり着いたのは、もう夕方近かったはずだ。

 

広くはない、シンプルなロビー。西からさすギラつく太陽を微塵も感じさせない清閑とした空間だった。調度品のライトの当たり具合が、ホテルの風格を物語っていた。向かったのはプールサイドに近いテラスだ。

 

白いテーブルと椅子を片付けていたレストランのチーフが、真っ白な歯で笑う。親しみを込めた挨拶。ああ、ここは「微笑みの国だった」ことを知った。

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(続きは、こちらの↓noteで)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 


SNSは晒すことで新しいアンテナを手に入れる井戸の入り口

2021-07-19 11:46:23 | 随筆(エッセイ)
 


 
 
おはようございます。
 
時々、考えるんです。この頃のこれ、SNSのこと。朝、思いたって、さらーーっと書いて、閉じて寝かせ、思い切って投稿してみました。できたて、ほやほやです。お時間許せば。。。!どうぞ。長文です。
 
 
 
 

こんな自己顕示欲が隠れていたとは

SNSってなんだろう? 
仕事の折、散歩の途中で、お風呂の中で、よく考えます。
ここに生きてるよ、笑っているよ。日々切磋琢磨しているよ、と。デジタルの波間に、自分の分身を泳がせてみることかな? 

画像1

先日、東京の鶴川にある「武相荘」へ行きました。
敷地に足を踏み入れた途端に、正子と次郎の「鶴川日記」の日々がわーっとわたしの頭の中にこぼれてきて、(その記憶はまた後日書きます)胸がいっぱいになる。

玄関入ってすぐの場所に、一人一人の略年譜が貼られていた。じっとそれを眺めているうち、誰に頼まれもしなくていい。記憶がしっかりしているうちに書いておきたいな、そういう気持ちが湧いてきたのでした。

数日後に年代順に追って、仕事歴をざーっと書いてみました。
当時のいろいろな思いがよぎってきます。大変だったことは浮かばない。仕事で関わった人の顔ばかりがぽっ、ぽっと浮かんできました。
当時の自分。海外旅行などの記憶も思い出されてきます。

出来上がった時には、こんなものかしらと、いう感じでしたが、一日おいてみると、地味だなーと思う。会社時代は名前のある企業とコラボするような、華やかな仕事もさせていただきましたが、フリーランスになってからは、10年、20年と、同じ企業からの、同じコンテンツの依頼が多い。とはいっても、毎号、中味は変わるので刺激的だし、面白味はあるんですよね。
ま、こんなものか、と。プロフィールに添えて記事投稿(note)をしました。

しかしです。「スキ」の報告がつき始めると、いろいろ気になるんです。ここもちゃんと書いておこうとか、写真を差し込んだほうがわかりやすいなとか。webの記事で追えるなら飛べるようにしたほうが親切なのかな、とか。中途半端はよくない……とも。
仕事がたてこんでいるというのに、自分はなにをやっているんだろう……? 
「好印象にみられたい」。「せめて誤解されたくない」そんなモヤモヤがあることに気づき、地味だった投稿がギラギラとする気がして。慌てて閉じて、仕事に戻る。
ああ、SNSって、やはり苦手。しんどい……かも。ちょっと臆病になる自分がいました。



著名な人ほどSNSを肯定しない

わたしがTwitterを始めたきっかけは、関東出身の仲のいい友人と唯一繫がれる手段が、Twitterであったことからです。売れっ子の漫画家であるため、近況を知れて、レスやダイレクトメールでコミュニケーションできる機会は、Twitterが一番という理由がありました。

また、「宣伝会議」のインタビュー記事を執筆する機会が多くあって、「あなたにとって、SNSとは?」と必ず取材対象者にむけてパターンとして聞く設問があり、ああ、もうSNSをスルーすることは時代の流れとしてできないな、と思い始めていました。


ただ。わたしが取材で出会う文化人や自分の名前で仕事をする人は、実のところSNSをあまり肯定はしていませんでした。

「SNSに依存すると自分のあたまで考えることをしなくなる。だから、わたしはどこか新しい場所を旅するときでも決してSNSはみないようにしています。自分の発見や直感力を大事にしたいから」

ある人は、力をこめてこう言いました。

「検索エンジンに頼るあまり、カンタン、即、情報がはいってくるので人間は想像力を失っていきます。自分の目と足でさがす、それが大切です。自分の目とペンの力こそ大切なんです」


情報過多のある種の怖さ、「負の遺産」を、改めて知る思いでした。

 

 

 

 ▼ここからの続きはnoteで ◇(時間限定で貼ります)

 
 
 
長文を読んで下さってありがとうございます。
 

 家をまもるヤモリさんとの暮らしから

2021-07-13 11:26:00 | コロナ禍日記 2021

 

 

6月2日(水曜日)晴れ

 

きょうは、旅立ちの日。記念すべき、自立の日である。誰の? 家に棲みついた爬虫類やもりさんの、だ。

 

 あれは5月5日(水曜日)のこと。

 夜、シャワーを浴びていたら、なんだか熱ーーい視線を浴びて後ろを振り返る。浴室のタイルの角下に、シールのような薄っぺらいもの。誰がこんなところに……?と膝を折ってしゃがんみこみ、のぞきこんでみたら、本当のやもりさんだった。

それから、約1ヶ月。うちの家でやもりさんは過ごしたことになる。

 

 (ここでいう、ヤモリとはニホンヤモリのこと。詳しくはこんな生育や知識が示されている)

 

 最初は、そばにいくのも少し怖くて、大好きな風呂読書もおあずけにし、浴室をやもりさんに譲ったこと幾日だろう。

 そのうち、姿をみせなくなるに違いない、とほったらかしておいたら、確かに2日ほどは姿はみせなくなったが、すぐに現れた。昼間は洗い場の排水溝の中か、浴室乾燥機の上あたりに張り付いていた。

 

 夜。風呂を炊いて風呂場に湿気がこもり居心地がよくなると、す、すーーっ。と姿をみせて。首をかしげていた。不思議そうな顔にみえる。五本指が、小さな枝のようにたよりなく、それなのに吸盤はしっかりついて、きれいな指をぱーっといつも開いてみせてくれていた。

 

 彼(やもり)、へんなくせがある。左脚だけをくの字に内側にまげて、白いのどの上皮を、どきんどきんと鳴らし、そこで呼吸を調整しているようだ。

 

この時期、マンションは大規模修繕工事中だから、周囲はシンナー臭いし外に出すのもかわいそう、と。わたし、そして家人は、夕方から夜にかけて、蜘蛛や我や蠅をさがしてきては生き餌を、やもりさまに捧げるようになった。毎日頑張って捕獲した。

 

 娘のNが小さい頃には、カエルの餌探しに苦心した記憶が残っている。

 

 やもりさんは臆病なのかシャイなのか、カエルは誰がみていようとバクッとやったのに、やもりさんは人がいると絶対といっていいほど、獲物をとらなかったのだ。蜘蛛や小ハエ、羽ありなど聞くところ、やもりは自分の頭より大きなものを口にいれないらしい。家人は虫の羽を切ったり、脚を半分はさみで切ってから、口元らへんあたりに、獲物をおとしてやっていた。

 

 とはいうものの。やはり裸で風呂に入る時には、生唾をのみこんで、勇気をふりしぼって、眼をつむって裸になり、やもりさんとの混浴風呂を覚悟しなければならない。

 

 

 そして、あの大惨事である。わたしが、顔面と眉間、頭を強打して、夜中の救急病院の扉を叩く日になったという例の事件だ(5月9日)。

 家を守ってくれるやもりさんのこと。なぜか、まだ力を発揮していないと思われる。

 わたしは、病院から帰えるや、やもりさんがどうしているのかが気になって仕方なく、すぐに風呂場をのぞきこんだ。

 

 この日は、浴室の壁下にはりつき、「おなかすいたーー」もしくは「どうしたら出られるの」と、なにか訴えるような表情をこちらをむき、すぐに逆さまになって、長いしっぽをぶらーんと垂れ、端っぽをくるりとまきあげて、じっと耐えているようだった。

 

 それから、自身にも小さな問題がいくつか勃発した。週に1度、病院に通い、診察をうけてその後の検査を進める。

 そんな矢先。メーンのマシンであるMacがいきなり、落ちた。この日は提出があったので大慌て。一本のハードでは足らぬと、予備と二本準備して、さらにヨドバシカメラに走る。調子の悪いMacBookAirをなだめすかし、iMacのデスクトップタイプを整える。

 バージョンがあまりに新しく、ソフトが引き継げないジレンマ。結局、ソフトを買い足して、スムーズに機能させるまでに、労力と時間を要した。

 そして、仕事のパートナーと行き違い、人間関係にも悩まされた。これからの仕事のことも、考えるきっかけになった。母のワクチン接種もあった。

 (つづく)

 

 

 

 

 


長い眠りと再生のとき。

2021-07-07 21:26:07 | コロナ禍日記 2021

 

 

 

 


それは、不意の事故だった。あまりに不意をつかれた感じだ。

 ある5月の夕方。母の家からの帰り、憑きものがとれたほどに、わたしの心は清らかな水のようで自由な心持ちだった。西宮の自宅へ帰ってきながら、途中で買い物を2軒もはしごし、五分づき米にフルーツや野菜や山菜や、百日鶏やらを買い、夕ご飯は9時までに準備して、ゆっくり純米吟醸の「香住鶴」を飲み、食事をする。

 確か、メニューは、宇和島のタイの刺身、タケノコのおかか煮、百日鶏のレバー煮込み、クレソンと芹のサラダなど。だったはずだ。

 

 家人との団らんもたっぷりして、さあ、お楽しみの風呂読書といきましょうと、意気揚々と一冊の本をもって向かう。あ、父の三十三回忌の記録を書いておくのもいいわね、などと手探りで真っ暗な寝室へ行き、鏡台の上にのっている黒い顔のポメラを取ろうした時、事件勃発!

 

 暗がりの中、(機嫌のいい時に)眼をらんらんと輝かせて歩くのはわたしの悪い癖だが、足元にスーツケースをまだ広げたままにしているとは、すっかり失念していた。

 

 走り込んだわたしの脚は、スーツケースにつまずき、そのまま自分の体重のかかるもの凄い力で、顔面から対物に突進して、さらに突き飛ばされた。

「う、うっ」

 ベッドに頭とも、眼ともわからず、押さえて倒れこむ。ううっ。なにが起こったのか、一瞬、時間が宙に浮いた。そんなはずないわ……と思いながら、痛くて、うずくまり、無音の声をあげた。

 

 しばらく倒れ込んでいた。がここで、死んではならぬと這うようにリビングへ行く。と、家人は、台所で洗い物をしてくれていて、声にならない声で呼ぶ。

「お、お前。なんや血だらけやんか。おい大丈夫か」

 と駆け寄る家人の声が、震えて泣いているかと思うほど掠れていたので、焦りの声からわたしは、緊急事態だと完全に察知しないわけにはいかなかった。

「氷、はやく。水素吸入、はやくして」と家人に指示を出し、ソファに仰向けになる。

 30分くらいそうしてじっと動かなかった。じんじんと目が熱い。真っ黒な太陽が燃えているみたいだ。か、顔……なのだ。頭と顔がこんなに痛いなんて普通じゃあない。目の上にのせた氷が冷たくて、わけがわからない。半ば、しばらく呆然としたあと、がっくりし、もう早く寝よ、寝たい。寝て、朝になって落ち着きたいなどと思う。

 

 救急箱をひっくり返して、血で赤く染まった絨毯や服や、ベッド周辺を拭いてまわる。どうやら、わたしの歩いた足跡には、点、点、点と滲んだ赤黒い血痕ができていたらしい。家人の心が動揺し、慌てふためているのがわかった。そっと横顔をのぞいてみると、涙が光っているのがみえた。彼の膿んだ表情に、わたしも動揺した。

 

 これは想像よりも悪い展開のような気がする。なぜーー。一昨日は父の三十三回忌で上機嫌のうちに、身内と親睦を交わし、さあこれからと腕まくりをしたはずではなかったか。惜しいなぁ。いつも惜しいんだなぁ。上機嫌の時の自分は。などと胸のなかでつぶやく。

 

 「あかん、割れとる。救急で病院いくぞ」という、家人のその声で、覚悟した。

 コロナ患者で闘病する市立病院である。あらかじめ、家人が電話で状態を話していたので、救急に外科医がつめてくれていた。

 

 10分後。はるか7年前の手術室を思わせる大きなまるい電気が煌々と光る中に、わたしは仰向けに寝かされる。眉間よりやや右側、どちらかというと眉あたりの位置に。稲妻のような縦方向の裂傷が。傷口は3〜4センチ。ぱっかりと皮膚が割れていたらしい(ちょうどこの位置に薄いほくろがある)。眼の上のまぶたが変色しているという。

「これは深いですな。縫うのが妥当ですが、顔の中央だからかなり難しいです。医療用テープでつくかどうか。血も完全には止まっていないし……」

 当直でつめていた医師は、この4月から赴任してきたばかりで、長野健太郎医師という外科医だとあとで分かった。痛みをこらえ、若い医師を盗みみると、患者に同情をよせるような、おどおどとする自信なげな様子が、彼の目の動きからわかった。それでも、あまりに少年みたいな澄んだ瞳でのぞきこまれて、ドキッとした。それからすっかり信頼を寄せる。

 

 

 結局は消毒と、医療用テープと包帯とでぐるぐるに顔を包まれ、この日の処置は深夜3時にようやく終える。

 

 気がつけば、車の後部座席だった。湿気のある車のフロントガラス越しに、見慣れた長治郎の看板やTSUTAYAのあかりがみえた。いつもの、よく知っている道路の景色に、とても心がやすらぐ。よかった。これで日常に戻れる。そう思った。

 

 帰宅し、ベッドで寝ようと上をむいても横をむいても、痛みのなかで、体がほてって眠れない。おそらくまだ興奮しているのだろう。処置室で、診察前に測ったわたしの体温はいつもより6度ほど高く、しかも血圧は上150、下110と、普段の平均からかなり高めの数字だったのだ。起きて洗面所に何度かうがいをしにいくが(病院でのコロナ感染が心配だった)、わたしはまさにカーッと頭に血がのぼっていた状態だったのだ。

 

 朝方になって、ようやく、少し眠れた。7時。家人がこしらてくれたお粥をたべて、ほっと落ち着くと、ナントそれから延々翌日の、夕方5時半まで眠り続けた。

「行くよ。お大事に」そう、うつつの中で聞こえた気がしたが、家人は予定通りに徳島の県博まで出張へ行ったのだろう。

 

 月曜、火曜、水曜日の午前まで、朝に夕に、コンコンと眠り続けた。

 途中、職場のクライアントから、「取材取り消しするの? 大丈夫?」という電話をもらったのと、1本、火曜日朝に提出する案件があったので、机に張り付いて、朦朧とテープ起こしをしたものの、原稿までは無理で。メール2本と休日前に仕上げていた原稿をまわしたほかは、ほとんど寝っていた。

 

 そして今日、5月12日(水曜日)。ようやく昼間、起きていられるまでになった。午後。今月も定期の刊行物でタッグを組むデザイナー女子が

「寝た方がいいのよ。外傷や内蔵や、体の具合がわるいとなんぼでも眠れるの。人間だって動物だからね、そういう風にして再生しようと体が求めているのよ。まだいいから寝て」と受話器のむこうから声が聞こえた。

 

 考えてみると、3月末くらいから調子があまりよくなかった。わがマンションは大規模修繕工事のため、リビングも仕事部屋も、暗幕のような網で家全体が覆われているうえ、それがお葬式みたいで。リビングはもちろん、仕事部屋も、風呂場もすべて窓は開かず、この頃は乳白色のぺらぺらの脂紙で目隠しをされていた。まるでわたし自身が眼を潰されているようで、せつない。なんといっても初夏の浮き立つような採光も眩しい緑光もとれないのだから。がっかりである。おまけにこの塩梅だ。

 

 もそもそと起き出して昼3時。久しぶりに台所に立って、じゃがいもとたまねぎ、にんじんと鶏肉と炊いて、サラダと、ちりめんじゃこと海苔で、つつましく一人っきりの食事をした。食べられるわ。それだけで猛烈にうれしかった。

 

 あいにく、外は雨のようだ。玄関側のガラス窓を小さくそーっとあけると(唯一、窓が開く部屋だ)、ケヤキの葉がゆっさゆっさ揺れて、雨に濡れた土と植物と生き物の匂いが、だんだん部屋へ流れ込んでくるのがわかる。

 

 わたしは、思わず普段は脚をおろすベッドの方側に、ごろんとそのまま倒れ込み、頭を窓のほうへ落として、存分に、自然の風のにおいをかぎ、雨の音を感じとった。そのまま5分ほど過ごす、外の世界だ。わたしはシーン自然のなかに同化したように、思った。

 

 タタタ、急に勢いよく走るや冷蔵庫を思いっきり開けて、明るい黄色のタイ産ゴールデンマンゴーを手に取ると、薄い皮を全てきれいにむいてボート型にして皿の上にのせた。寝室に戻ると、ちょこんと少しだけベッドの上に尻をのせて、スプーンで豪快に果実をつきさし、べとべとの果汁を、手の外面にたら〜り、たらーり、たらしながら、滴るようなマンゴーを味わった。甘い黄金の果汁が、全身に深くしみわたる。弾けるような気分だった。頭、大丈夫か。原稿、書けるのだろうか……。でも、ちゃんと感じられた、自然を。

 わたしは、もうはじめて、眼を覚ました動物の子供のように、無邪気に、エネルギッシュに、うまいマンゴーを存分に腹におさめた。しっとり雨の匂いを感じながら。