月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

謹賀新年(大晦日の夜から年始1月4日までのまとめ)

2019-01-09 00:16:27 | 春夏秋冬の風








あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。




★年末年始のまとめ

大晦日の夜から、2019年1月1日(火曜日)晴


年末にベトナムのハノイ、ダナン、ホイアンに1週間ほど旅行したので、通例なら年末年始は特別な案件しかお引き受けしないが、
今年は3日・4日に提出をいれた。

日中は家の用事をして、夜12時近くなってようやく、仕事にかかる。

年賀状をつくりながら、お正月の買物をして、大晦日の日は紅白歌合戦をつけながら、リビングや、仕事部屋を中心に掃除する。

パパが先回りして、水まわりや寝室、お風呂場ほか手間なところをスピーディに手伝ってくれた、寡黙に。文句一ついわずに。


10時半になったので蕎麦を作り始める。

(紅白歌合戦は、椎名林檎と宮本浩次「獣ゆく細道」、ユーミンの「ひこうき雲」、「やさしさに包まれたなら」。桑田佳祐さんとユーミンがからむシーンで蕎麦をつくる手もやすめ、しばし画面に釘付け)

海老と揚げ入りの蕎麦を食べ、
今年も残り10分というところで、近所の氏神様へ除夜の鐘をつきにいく。






参拝のあと、新春を祝う灯をみながら一人暮らしの母にお年賀の電話をかける。

帰宅して、仕事。4時前にお風呂に入り本(カズオ・イシグロ氏の「日の名残り」)を読む。

空気が寒くて文が脳の深部に吸収されない。
言葉が上滑りするようだ。
布団に入っても今年はどんな風に過ごそうかと考えるにつけ、なかなか眠れない。朝方に就寝。


2019年の初朝。新春を寿ぐ1年がはじまった。
昨晩きれいにした神棚に、米と水、塩。そして白味噌の雑煮。
私たちも白味噌のお雑煮、お屠蘇(昨年のいただきもの「獺祭」)をいただいた。

午後から母の家へ行く予定が、お腹の調子が悪くて寝正月だという。
辛いところは見られたくないから、もう少し回復してから皆と会いたいと切々と訴えられる。
しんどい時こそ行くよと押し問答を続けた果てに負けて4日から帰省することに。

お正月・2日と西宮の家にいるのはおそらく初めてではないだろうか。
もしかしたら作るかも、と年のために買いおきしていた材料で、おせちとつくることにした。
まずは「お煮しめ」。

煮物をしながら、年賀状のデザイン差し替えをして、仕事のテープおこし。
「田づくり」、「昆布巻き」、「かまぼこ」など。(もう少し材料がほしい)

パパは一日中、テレビをみている。それらを私もチラリチラリとみながら、料理をこしらえて、ちょこちょこ原稿。
ごはんづくりをしながら、こうして仕事ができる幸せを噛みしめる。
いいものだ。これでよし。
通年なら、夫婦の実家を往復で、車の中で過ごす時間が大半の正月なので、なおさらこんな平和な正月をありがたいと思う。

夜は日本酒「獺祭」(頂き物)を飲みながら、自分でつくったおせちに舌鼓。
家の和食がうまいのは、たぶんお出汁の摂り方(カツオと昆布だし)が昔流なのと、よい調味料を使うことなんだと自分で納得しながら。
3時半まで仕事。それからお風呂に入って就寝。



1月2日(水曜日)晴

昨晩は、少し遅くまで仕事していたので、朝はすごく遅くおきてしまい、友人に「おそよう」などといわれてしまう。

今朝も雑煮は白味噌、具は海老芋と金時人参、大根で。
今日は娘が帰省するというので、パパは空港にお迎えにいく。

数日ぶりにわが家のリビングに、テレビの音が聞こえない。
窓を開け放つ。あぁなんて清々しい。開放感が漲ってきて、気持ちのよい気で満たされる。
カラヤンのアダージョ(クラシック)をかけながらおせち料理の続きにかかる。
昨日から漬けておいた「黒豆煮」、「紅白なます」、「たたきごぼう」、「鴨の黒こしょう煮」、など。

外は快晴。陽がリビングの奥まで長く明るく注いでおり、ミナミ向きの家はだから素晴らしいと冬の太陽を独り占めしたよう。
そして。カラヤンはいい 。そう思いながら家でひとり赤々した金時人参の千切り、(台所のボールの中が真紅になり)大根の千切りを約半本。同じように水に放つと今度は純白の美しさ。ボールの中が紅白に。
まめまめしく「黒豆」はアクをすくいながら砂糖をたし、しょうゆを少々。6時半ほど、コトコト弱火で。
「たたきごぼう」は、確か「地中にまっすぐと根をおろす」という意味だ。などと思い、
おせちを整えていたら、すごく愉快な気持ちになって。

「縁起ものって、食べ手より作り手の新しい心意気を紡ぐものじゃないか」と思ったり。
陽の光が黄色い帯を長くのばして、台所まで届きそうである。

娘が帰宅したら、丹波ことりさんの武夷岩茶とミックスナッツで、ひとやすみ。あれこれと娘の仕事の話しを聞く。

夜はこしらえた昨日より豪華晩のおせち料理と娘用のお雑煮ともに、最初「獺祭」。
おせちが進んだとこらで第2部「あなごの巻き寿司」。

ここでスペイン産の赤ワインを開けた。年末のお楽しみ袋からの1本だ。年末にみつけた運試しの特設売り場で買い求めたもので、堂々2等が当たったのだ。
おいしいものを食べ、おいしいワイン(日本酒)、そして好きな人たちに囲まれている。
究極の贅沢だなぁなどと思いながら最後までひとりワインを飲んでいたのは私である。


夜は娘と一緒に2時間もお風呂に入り、2時半頃に就寝。



1月3日(木曜日)晴

朝はすましの雑煮。(具は人参と大根)
昨日のおせちの残りを皿に盛り付け直す。

午後からは、初詣。
西宮の「越木岩神社」と「西宮神社」(えべっさんの総本社)。



越木岩神社はご本殿と、甑岩が鎮座。
ここはパワースポットらしく、甑岩(こしきいわ)という巨大な岩のご神体を、ぐるりと一周するとご利益があるとか。
御祭神は一寸島比売命。女性守護、安産、子授けの神様で音楽や芸能の才能をのばし、知恵の神や縁結び七福神の一として御神徳の高い神様として信仰を集めていらっしゃるそうだ。



「西宮神社」では今年一年のえびす顔と商売繁盛を願い、5円玉の金色のお守りを買った。















初詣のあとは三宮の「良友酒家」で広東料理の夕食。
今度で来訪3度目だ。
空心菜の炒め物、エビチリ、牡蠣の汁そば、チャーハン、レタス包み、杏仁豆腐
など。お腹が空いていたので皆モノもいわず次から次へとバクバク食べる。
















「空腹の時に、料理を食べ続ける姿ってその人の野生が出るね。そんな時も理性でジョークをいえる人っているのな」
「よく食べる人って性欲も強いそうよ」
「なんの話しだい。それはよけいだよ」などの変なことを喋りながらの、会食はひたすら楽しい。

くる客、帰る客のご挨拶を聞いているだけでも、ほっこりとして。うれしくなる。



帰宅して、アンリシャルンパンティエのケーキ、コーヒーで一服。

この日も娘のNと風呂に一緒に入る。裸の付き合いは本音がでるのだ。

彼女はあがった後で、りんご飴をきれいに10等分ほどして、家族に配っている。
りんごの飴状のところとシャリシャリの果肉を一口大にカットしていて、ポンと口の中にいれると懐かしい昭和のデザートといった風。
彼女の小さい頃からの好物だ。Nはケーキのあとでりんご飴も全部平らげていた。

仕事部屋に入りそうになると、名前を呼ばれて「ストップ!」がかかるので、正月はほとんど仕事はしていない。
まぁ、呼ばれるうちが「花」。「今」この時を笑って過ごそう。

この日は1時間だけ仕事をして、4時前に就寝。


1月4日(金)すごく晴

朝6時、昨日の神戸桔梗屋さんのベビーカステラとコーヒーで朝食。



パパはNを駅まで送った後、二度寝すると寝室にひきあげた。

元旦におせちを作りながら仕事をしたくらいで、まとまった時間がとれなかったたので正午まで仕事をする。
テレビの音はないし、光は燦々と照りつけてくれるし、思いのほかはかどる。
年始の提出用の案件も無事に完成した。

午後からは実家にむかって車を走らせる。
途中の和田山や朝来のあたりで、山の頂が雪化粧されていた。空気はキーンとして寒そう。
日本海側の冬はいつもこうして、薄薄くもっている。その分だけ空気は透明だ。

母はおもったほどでもなく、お腹の具合も回復していた。
昨年、大雪の時。隣の家の庇から雪がどどっと滑り落ちてきて、母の家の大阪ガスが止まったとことがあったとか。

年末年始、豊岡界隈は大雪の情報により心配で夜も眠れず、昨年に引き続き、隣の家にそのことを相談に行かねばならないが、「お宅の家の雪が落ちてガスが止まると困るんです」などというと、隣家で気を悪くされないか心配でたまらず、それを考えたら睡眠がとれなくて、胃腸を壊したということだ。

母は気丈で芯は強い女だが、心配事があるとたちまち、自身の体を蝕むほどに気を病む癖がある。それはよくない。
せっかく帰省したのだから、できるだけ明るく努め、楽天的に物事を考えるように話しの行く先をもっていく。
良い言葉を使って会話し、明るさをお裾分けできるように。
(沢山、沢山しゃべったせいで、途中で顔がほてってきたほど)。

夜は、母のお煮しめをメーンに、私がこしらえたおせち料理(サブ)で。
ぶりの刺身など。1缶だけキリン一番しぼりを飲む。
懐かしい顔とごちそう、そしておいしいお酒。

家での仕事は済ませたし、2時間半のドライブ、そうして囲む食卓。今日もお正月らしい、いい一日だった。

母と娘の間にいる自分という存在が、両者の舵をとり、強く、やさしくあらねば。
そんな覚悟のような自覚が漲ってきた。
「いかされている自分」を、ふと思う。

いつのまに日本は、こんな風に核家族化してしまったのだろう。社会のしくみ、組織がこう導いた結果、家族がバラバラの日常。誰もが寂しいという気持ちを胸の奥に秘めて生きている。
大勢で暮らすことは、めんどくさいこともある。けれど、その分、学びも大いに笑い合うことも、多い。

私は孤独も愛するが、家族がいて今の自分がある、ということも骨身に沁みて分かっている。
自立なんて、一生しないと時々、娘はいうが、無理に「自立」などしなくても、人は社会の波にもまれて、必ずや成長していくのだ。

だから、側にいる家族は、その人になにがあって。いつどんな時も応援者でいたい。
うちの人達は最高だと思っていきたい。

今年もちゃんと周囲の人を愛して、感謝し、笑って生きていけますように。




大学を卒業してから、書く仕事を今日まで続けてきた。細く、長く、約30年。おかげで仕事は切れ目なくある、状況は確保し、それだけでも自分にしては上々だが。「何を書くか」が、今年のテーマだ。仕事なのだから無論自分のためではなく、人に役立つことが当たり前。どう書くかは、その次で。

まずは、お年賀でのご挨拶です。
本年もよろしくお願いいたします。