月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

博物館、巡礼。徳島へ

2022-10-12 23:39:00 | コロナ禍日記 2022







 

 

 

ある日の小さな旅。徳島へ博物館巡礼

 

このところ、家人が自分の関わった仕事の博物館の建築巡礼をしませんか、と誘う。ああ、この家にわたしひとりになったら、あなたがつくった建築の展示でもみてまわるようになるのかしら、と言ったのが気になったのだろうか。(うちの家人は、全国の博物館やテーマパーク、美術館の展示設計デザインやプランニングなどをする仕事をしている)。

 

9時半から11時までは田辺聖子さん原作のNHKBS放送の「芋蛸なんきん」をみている。終わってすぐに出発した。

神戸の北を抜けて、明石海峡大橋から淡路島へ、さらに鳴門大橋を渡ると、徳島だった。

 

ランチには、眉山のふもと、「文化の森」の近くにある「手打ちそば 遊山(ゆさん)」に連れていってもらった。









 

十割せいろは、広島産の比和産のそばの実を目立てのよい石臼で挽いて、手打ちした香のよい蕎麦。表面が鶯色にひかって、まさに初夏の蕎麦の味。

「こんな綺麗な蕎麦の色、初めてみました」と感想をのべたら、店主がそばの実をくださった。ビールのつまみに合いますよ、と。蕎麦の原石をもらった。みるからに、やわらかく、浅い緑が美しい。ナッツみたいな香ばしさである。

 

「徳島県立博物館」へ。

藍の絨毯に沿って、全てのゾーンをみる。先史、古代の徳島、中世の徳島、近世の徳島、自然と暮らし、まつり、歴史、生物の多様性まで。徳島恐竜コレクションでは、AR(拡張現実)を駆使し、タブレットを恐竜の骨(歯)に合わせると、目の前で恐竜が暴れ出す。夫の説明によると、なんでも徳島には、1億3000万年前から1億年前の白亜紀前期の地層があり、動植物の化石や恐竜の化石が発見されているという。アンモナイトの展示が特に美しかった。時間が作り出す自然の造形、化石というのは、落ちついて静かに視ればなんて神秘的なのだろう。もっとゆっくり、こういうものばかりをみていたかった。VRから、古墳の横穴式石室(よこあなしきせきしつ)に入ってみると、実際の古墳の石室現場にいるような最新の設備もあった。最後の自然コーナーでは、恐竜の復元よりもわたしには蝶の標本が美しい。十分に満足した。

  


















 

博物館を出てから、Twitterで知り合った、なかむらあゆみさんという方が、同人誌「巣」をつくられたというので、現地の本屋を探して購入した。

 

Twitterという小さな窓から覗いていた本がこれか、と思いながら同人雑誌の手ざわりや活字の流れなどをみており、徳島市内に入る。

 

駐車場についたところで車のドアを開けたら、杭のようなでっぱりがあり、そこでドンと、ぶつけた。降りてみると、車止めのセメントがサイドにもあり、確かに少々でっぱっていたようである。車の傷は2ミリ程度であった。ゴンと言おうとした瞬間、運転席にいた家人に叱られた。「君はいつも思慮がたりない。粗忽者」というような言葉を一気に浴びせかけられる。鈍くさいことは認めるが、いつもそうではないし、確かに思慮が足りないときもあるが……、よほど気をつけて考えている時もある。

 人の失敗をここぞとばかりに攻めるのは、どうだろう。わたしは自分がそうだからかもしれないかれど、誰かがミスをした時は絶対に騒ぎ立てたりはしない、のようなことを返し、憮然としてむくれている(わたしのこと)。馬鹿らしいことで15分くらいも言い争う。

 

ただ旅に、こういうことはつきものである。

 

駅前の徳島クレメントプラザを、互いに無言でみてまわる。

オーガニックコットンを用いた藍染めのショールが気になるが、買わない。まだむくれているのだ。その店の女主人から教わった、寿司屋「一鐵」へ。






シャリが茶色、ネタと一体の旨味。おまけに気軽に味わえるお値段だった。鳴門の潮で洗われた、いい海の幸だった。だんだん気分がほぐれてきた。店を出てエスカレーターに乗りかけて、やっぱりUターンして、ショールを買った。

 


祇園祭と、老松の夏柑糖

2022-07-28 08:56:00 | コロナ禍日記 2022











東京から、Nが帰省した。

「ことしは祇園祭が3年ぶりにあるというので、祭気分を味わいに帰った」という。仕事の都合で、3日しかいられない。そこで後祭の宵山には一日早いが、炎天の京都へ繰り出した。

出町柳界隈を歩き、糺の森、下鴨神社を参拝。氷室の氷が自慢の「さるや」のかき氷を食べて、イラストレーターの知人が催している「草と本」のイベントへ。








夕方。風がふわりふわりと吹く。駒形提灯に赤い灯が入る四条烏丸の烏丸通りや堺町へ入る。

3年ぶりとあって、人出も多く、地元の保存会の衆も気合いが入り、いつにもまして、人の姿に活気がある。

北観音山・南観音山の山鉾をみる。浴衣姿の男や女が、わらわらと山鉾のまわりで歓談中。きょうは、山鉾の曳き始め。せいぜい鉾がみられたら、と思ったら、白地の浴衣姿の男たちが次々に鉾へ乗り込む。祇園囃子の演奏がはじまった。能や狂言を演じたことの名残ともいわれる、太鼓(締め太鼓)・笛(能菅)・鉦(摺り鉦)の生演奏。古から聴こえる和の音色。青い水色の町に、火のようにゆれる提灯。


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ソーレー♪ モヒトーツ♪ヨイヤなどの合いの手も、いい雰囲気。

「やっぱりええなあ」この祇園囃子、鉾の絢爛豪華の雰囲気は。空をつく矛先が鉾からあがる、潔さよ。京都の夏は、これでなければ。

路地裏に入り、屏風祭の家々をのぞく。だんだん、薄暗くなってきた。

鯉山、浄妙山、黒主山、八幡山へ。そして大船鉾についた。てぬぐいや、ちまきを販売していたので、さっそく購入した。

 

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45. 祇園祭と、老松の夏柑糖。|みつながかずみ|writer 
 
 
 

どうにかこうにか提出

2022-06-23 23:29:00 | コロナ禍日記 2022








1月25日(火曜日)
家人がリモートで自宅にいるので、朝昼夜の食事とコーヒータイムに追われながら、仕事をする。昼の3時までに1年の銀行の預金をするため、銀行へ行く。二件はしご。長い時間のロスをしたのだが、諦めかけた頃に一気にすすむ。短編1本を読む。
昼ごはん、かにみそ味のスパゲティ、
夕ご飯は、しゃぶしゃぶ。




1月29日(土曜日)
朝起きてすぐテーブルのうえで、ひとり推敲。一本目の小説が完成。提出する。もう一本、ほぼ1日で組み直して書き上げたもの(原稿用紙66枚)は、かたちが定まらない。仕方ないのでそのままにして置く。

 


2月5日(土曜日)

1月22日〜2月4日までに、学校の課題のための短編を2本書き上げた。この、書き上げることが大事なような気がしている。
本当は1月28日までに1本だけ提出するのつもりが、書いている途中から、同じテーマにおいて、もう1本、別の人たち(主人公)のことを書いてみたくなった。最終的に、2本平行して進めながら、2作目を何度も書き直して、昨日、提出する。1本目は48枚、2本めは60枚になった。


熱に浮かされていたような2週間だった。熱っぽいフィルターが自分に張り付いて、食事をしていても、お風呂に入っていても、離れなかったし、睡眠中も、そうだった。

書きながら、それを客観的にとらえ、これまでの年月を経て、書くに対するコンプレックスと闘っていたのかもしれない。下腹が疼くように、痛かったから。他人の作品を8作読み、それについて採点する下読みのようなものも引き受けた。商業的な仕事や家事、家族との日常を優先し、書くことから遠ざかっていたから、集中してやれてよかったと思う。
ただ書きなぐって、スッとしたというのでは。あまりに切ない。
きちんとあるべきかたちにして、整えてやりたいとも、思う。
一稿、二稿を送られた人々には、申し訳ない気持ちでいっぱい。

節分には、家中に豆を撒いて、丸かぶり巻き寿司を食べ、臭いけむりの中に鰯をすいすい泳がせるようにして焼いた。夫は、オミクロン感染拡大のためにここ2週間ほどリモートワーク。

 


2022年の桜行脚、記録!

2022-04-21 09:57:00 | コロナ禍日記 2022














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38. 桜日記)戦争の哀しみをもちながら今年の桜を仰ぐとき|みつながかずみ|writer @k_anderu #note 




濃厚な睦月(短編のようなものを組み立てる)

2022-03-13 23:46:00 | コロナ禍日記 2022

 

 

 

 





 


1月25日(火曜日)
家人がリモートで自宅にいるので、朝昼夜の食事とコーヒータイムに
追われながら、仕事をする。昼の3時までに1年の銀行の預金をするため、銀行へ行く。二件はしごをした。時間のロスをしたのだが、諦めかけた頃、一気にすすむ。夜、お風呂で短編1本を読む。
昼ごはん、かにみそ味のスパゲティ、
夕ご飯は、しゃぶしゃぶ。

 

1月29日(土曜日)

朝起きてすぐテーブルのうえで、ひとり推敲。
一本目のもの(短編のようなもの)が完成。提出する。もう一本、ほぼ1日で組み直して書き上げたものは、かたちが定まらないままなので置いておく。きょうは打ち止め。

 

 

 


2022年1月の日記

2022-02-15 12:49:00 | コロナ禍日記 2022

2022年の日記

 

 



 

 

 

1月22日(土曜日)
眠れなくて5時に目を覚ます。まだ宵。薄いカーテンのむこうから、白い月がみていた。消え入りそうな小ささ。そこはかとなく、こちらをみつめておいでのような。月はいつどこにいても、気がつくとそこにいる。視られている。初めてそう思ったのはバンコクの猥雑な街のなかだった。来週金曜日からの、課題がまだぜんぜんできていなくて、不安でやるせなく、ぐるぐる考えてから起きる。6時半。ペニンシュラのダージリンをいれて、外の山をみながら、飲む。結局、午後1時から7時までの「できたらはいってください」といわれていたズームにはいらず、ほぼ一日中、それを考えて、ようやく書き始めた。(短編50枚)。言葉が乏しい。アイデアが乏しい。平坦な、面白味にかけるものになりそうな予感。わたしのパソコンには、そうやって書き始めて、千字くらいで止まっているものが、ある。そこそこ。

お風呂に入るまえに、家人にいま書いているお話のあらましを話し、面白いのかどうかを、聞いてもらった。面白くないと思いながら話ている。
「それはローカルとグローバルの話ですね。ローカルのおもしろさを説いてみたら」とか。「最近、テレビで男性が洗濯機のぐるぐる回るのをみていて、いやなもの、ネガティブなものを全部、洗いながせるような気がして、いるらしいですよ」とか、アイデアのタネになるような意見をもらう。
自分にはないものが、混じる。かちっと、かたまってしまわないこと。そうすれば、文はもっと自由に伸びて、いきいきしてくるのかもしれない。

 


朝ごはんは、焼餅とりんご、コーヒー。ヨーグルト。
昼、豚キムチ。お味噌汁。
夜、ぶり大根、ちゃわん蒸し。

 

 



(写真は、1月10日のどんと)

 

1月23日(日曜日)

ぐっすり寝たせいか、朝は爽快だった。そのせいで、たくさんしゃべってしまう。勢いが止まらない。考えていたことを、次から次ぎへ口から出していってしまう。吐き捨ててしまう。それにも関わらず、気づかず、陽気に語り続けている。ばかばかしく、のんきに。止められない。

 

午後1時から4時まで仕事。なんだか急にあたまの右側の骨のようなところが、どく、どく、うずく気がした。それで、大事をとって水素浴をする(仕事でお世話になっている会社から購入した水素ガス吸入機があります)。痛みは遠のいていく。
しかし、どんどん、脳とからだに水素と酸素がはいるようになって、しまいには、すわっていられないようになり、横になった。悪寒がする。吐き気もする。
食事をとらないで、9時には寝る。

 



 

 


1月24日(月曜日)

昨晩は、早く寝たので夜中3時に目が覚める。机の前に座り、蛍光灯をつけて、3時半から書き始めた。すらすら、かける。この勢いがよいのか、よくないのか。7時半に、日がのぼりはじめたので、うずうずして散歩。気持ちよい朝もやの中を歩くのは、久しぶりだったし、気持ちがよかった。少し遠回りをして、普段の散歩より長く歩いた。途中、道ばたに、ほころびかけた薄い朱色の梅があった。紅色の梅と、ならんで咲こうとしていた。コロナ渦であつても、閉ざされたなかであっても、植物はびくともしていないのだな、と感じる。

うちに戻って、オムレツをつくった。
家人が、うれしそうに、わたしに珍しく声をかけようとしていた。
フランスの、エシレバターを結構な量をいれて、ゲランドの塩でオムレツをつくる。数年前に、パリの町中で食べたものに、近づいた気がした。

昼から夜8時までぶっつづけで仕事。途中、夕方の5時にお風呂。
さつぱり、いいものになっていない。言葉が滑って、滑って、どこまでも横道にそれ、軽薄さが増している。これ以上の軽薄を書いても仕方ないので、諦めて10時に就寝。ただ、この日はなにをたべても、口にいれるものがおいしい。健康なこと、と思える。


昼ごはんは、野菜にコーンビーフをいれたカレーライス。
夜ごはんは、カブと、人参、白菜の蒸し野菜。あじの開きのフライ。おとうふのみそ汁。

 

(つづく)

 

 


あけましておめでとうございます

2022-01-04 19:46:00 | コロナ禍日記 2022








新年あけましておめでとうございます。

ことしもよろしくお願いいたします。

 

年末に宣言していたとおり、大晦日はゆく年くる年をみて、近くの氏神様へ除夜の鐘をついて、御神酒を頂戴し、新しい年が明けました。元旦はわが家で、自分のつくったお節料理とお雑煮で。白ワインや日本酒を飲んで、テレビをだらだらみて、夜にほんの少し机の前に座ったくらい。家族だんらんというやつです。

2日の朝は、カーテンをあけたら、昨日までの寒さとうって変わっての光の強さにハッと我にかえるとともに、厳かな気持ちを覚え、実家の母のところへいそいそと。家の障子を張り替え、お仏壇に手をあわせて先祖にご挨拶し、母の顔をみて、日常茶飯事の話などを……。そうして昨晩、わが家へ戻ってきました。

 

は〜、帰宅した。と一息。

台所の引き出しをあければ、好みの紅茶の銘柄たちに、コーヒー豆に、調味料、嗜好品。使い慣れた調理器具、座り慣れたソファに、リビングから見渡せる山の稜線など。いつもの場所に、いつものモノ。こういった嬉しさ(豊かさ)を味わうために、出かけるのではないかと思うくらい。

 

リビングの奥の部屋には、机があって、いましがたまで書いていたかのような、緊張感のある仕事部屋や、お風呂の湯気のにおいや。積ん読本たち。

女とはつくづく、家が好き。いまの暮らしが愛おしい。そうやって自分のスキなものたちに、ある種、縛られることが女の幸せ、性(さが)なのでしょうか。

 

2022年の抱負は、一日をおしまいまでちゃんと生ききる、ということを捧げたいと思います。やらなければいけないことに翻弄されない。現実にちゃんと軸足をもちましょうということ。


わたしの理想の一日は、こんな風です。

 

朝起きたら、リビングのすべてのカーテンを全開して窓をあける。台所へ行って鉄瓶に湯をわかす。少し読みかけの本を読み、軽く体を動かすためのヨガ、瞑想を10分から20分。そして白湯をスーと啜ったら、朝の散歩へ出掛けるのです。

8時・9時くらいから昼1時くらいまで仕事。できるだけアイデアを膨らませるものだったり、かたちにするものを。

 

昼食をとり、午後2時半までは、SNSや読書や。


午後4時くらいから6時・7時までは午後の仕事。軽く散歩。一日のできなかったことをして、夕食準備へ。

 

夕食のあとは、好きなDVD(映画)をみる。家族とおしゃべり。ワインを飲んで、チーズなど好きなおつまみをつまんで、本が読めたら。そして日記を書けたら、なんて素敵なんでしょう。

寝る前にはお風呂で読書。遅くとも深夜12時から1時くらいまでには就寝とします。

 

仕事に追われる日も、さして追われていない日も。淡々と当たり前みたいに心をこの場所において、やる。(大袈裟に、周りに翻弄されない)それを2022年の目標といたしましょう。書く時は、魂を奪われるくらいに。狂ってもいいのです。そんな一日一日を重ねていきたい。一歩遠くへ、一歩退歩し、また遠くへ。心とからだを健やかに、遅々として歩いてゆこうと思います。

マイペースながら、どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。