月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

山代温泉で茶器をこうた日。

2013-09-26 23:16:38 | どこかへ行きたい(日本)


山代温泉の旅。最終章へとサッーとつっぱしります。
朝は、6時半に目をさます。お風呂へ入って朝ごはん。
昨日と同じく部屋までちゃんと仲居さんが届けてくださった。

メニューは地元の野菜と同じく地元でとれた魚介類が中心だ。お漬け物は3種。
ノリの佃煮と、湯豆腐がおいしかった。
デザートは自家製のケフィアヨーグルト。
とてもヘルシーなメニュー構成である。









食事のあと、喫茶室までコーヒーを飲みに行かなくても、ちゃんとデザートとコーヒーを用意してくれるあたり流石だ!
陽のあたる縁に座って、談笑しながらコーヒーを飲めるし、サービスの届いた旅館というのはいいものだ、とつくづく想った。


宿を出て向かったのは、宿併設の「うつわ蔵」へ。
ここで、昨日の夕食の折に登場した
椿のお醤油差しを買う。
ほか、山中塗や九谷焼、魯山人の写しなども揃っていて愉しい。



それから、「魯山人の寓居跡いろは草庵」へ。
ここは吉野家旅館の元別荘で、木造瓦葺2階建ての母屋は、明治初期に建てられている。



入ったところに囲炉裏があり、とても素朴な佇まい。






魯山人が刻字看板を彫った仕事部屋、書や絵を描いた書斎、
山代の旦那衆達と語り合った囲炉裏の間、茶室・展示室(土蔵)。
茫々と雑木林のような庭があって、緑を囲むように縁側と創作の部屋が設けられている。
えび色の座布団と文机。そこから見渡せる春の苔や木々。
この、一番気持ちいい部屋が、やはり書画や看板彫刻をする「仕事の間」としてしつらえているというのが
ああ、やっぱりと納得。そこがよかった。

「暮らしが仕事、仕事が暮らし。」

という言葉を残した京都の河井寛次郎を想う。彼も陶芸、書画、彫刻、文筆業を兼業するいわゆるアーティストだ。
魯山人の「いろは草庵」は小規模で、殺風景であるけれど、
「河井寛次郎記念館」に共通するものがある。感慨の想い。








ひととおり見終わったので
庭の見渡せるコーナーに座って、お茶のサービスと御菓子をいただいた。
茶菓工房「たろう」(金沢)の「地の香」という、
きな粉を水あめで練り上げ、和三盆糖をまぶしたお干菓子である。
砕いたマカダミアナッツが入っていて、あまりに美味しいのでお土産に5つも買った。




このあと、母と娘のNがお土産を買いたいというので、
「総湯・湯の曲輪(ゆのがわ)」から
九谷広場(旧山代東口)へ続く市道に位置する、小さな温泉通りをぷらりぷらりと散策。
昼食は、地元の野菜カレーを。
温泉パンや卵のまんじゅうも食べる。


そして、魯山人の彫った濡額(看板)が軒先に掛かる「須田菁華窯」へ。




家屋は、靴をぬいで座敷にあがり、玄関から続く二間いっぱいに陶芸の数々が。
さすがに写真は控えたわけだが、緑、藍、青、黄、紅を中心に花が咲いたよう。
展示しているというよりは、生活と一体になって多くの器がしつらえられている、といった風情である。
値段はおよそ、9千円~数万円(数十万のものは奥にあるのだろう)。
最初は華美すぎて目が慣れないのだが、それでも町のそれとはあきらかに違うものというのが、だんだんわかるようになってくる。
端正でいて、品のあるものが多かった。九谷の器はハレの日にふさわしい。慶びの器である。

私は梅を描いた茶器を2つ購入する。




このあと、
本来は金沢の市場をめぐり、片町の料亭「銭屋」で夕食を食べて帰る都合だったのだが、
母が疲れた様子だったので、それに窯元で長く滞在しすぎて、待ちあぐねたとあって
もう帰る、といってきかない。それで、おみやげものをいくつか買い求め、中心街で一服したら、山代温泉を後にする。
送迎はなし、バスで帰る。そして、
4時頃のサンダーバードにのって、琵琶湖を対岸に眺めつつ帰路へ。
ああ、温泉。街の温泉にせめて浸かりたかった。
また、来る機会あるかしら。



(1話はこちらへ)

(2話はこちらへ)



さぁ、明日から台北です。






幻想的な山代温泉の夜。夕食のあとは「有栖川山荘」へ

2013-09-23 23:08:27 | どこかへ行きたい(日本)



昨日のお彼岸は、恒例のお墓参りにいってきた。

落ち葉が掃いても掃いても一掃できない。見上げたら隣の敷地にある桜の大木(古木)が、天高く、大きな傘を広げていた。そうだった。
桜なら風情あるし、そのままでいい…。
ヒマラヤ杉にはまだセミがいるようだ。
山からの風。照りつける陽射しは強いけれど、(秋の体育祭の時の暑さだ)時折ヒヤリと秋の空気。
八鹿の「高照寺」は萩が満開だった。




「よいお彼岸になりましたね~。ほんまにねぇ」地元の人に声をかけあい、寺を後にする。
実家でおはぎも頂きました。



さて、先日の続き。山代温泉に時を戻そう!
お風呂の後の夕食は7時から。
仲居さんが、部屋まで1品1品丁重に食事を届けてくれる。
ありがたや。

食前酒は地元の銘酒をにごり酒で。乾杯だ!



一品目は、野菜や海鮮の珍味。3種。



甘海老や鯛、イカなどの造り盛り合わせ。塩とお醤油、好きなほうでいただく。



海老芋のすり流しと、タケノコの吸い物。




おかしら付きの鯛の蒸し物。






野菜と海藻の煮物。(料理写真なし)
八寸と、和牛ミニステーキ(料理写真なし)
天ぷらの盛り合わせ、(料理写真なし)
焼カニ(炭火焼)







タコの天ぷらに、ごはんと汁もの。お漬物。





寒ぶりのお茶漬け



アイスクリームとカボチャのプリン、フルーツのデザート。




濃い味付けはなく、おだしのひき方も加減よし。
決して華美すぎず、素材本位のお料理でたいへん美味しかった。
大型ホテルにありがちな既成の品はなく、熱きものは熱きうちに、
仲居さんがしつらえてくれた心遣いがうれしい。
あの人は結局、何往復されたのだろうか。
調理場からリフトで運ばれてきた料理を、「すいませんね~。お待たせしてしまって」と笑顔を添えて、届けてくれた。

「各階3室。少ないですか?これがうちで接待する限界です」と、
おっしゃった意味が後になってよくわかる。
母は気前よくチップを弾ませていた。(接客の女中さんと話せたことが、よほど懐かしかったのだろう)

特筆すべくは、やはり器である。
九谷焼は、彩がきれい。かたちも愛らしいものが多かった。
それに、魯山人の写しが何品か登場。
お料理が登場するたびに器を愛で、
それから口に運べることに無上の喜びを得た。
山中塗も素晴らしかった。今回気になったのが黒の塗りだ。柔らかい表情をした黒、に感動する。
結局、地元の純米酒ばかり3種、いただいた。
満足、満腹である。

それで、「源泉閣」というお風呂に、10分だけ浸かりに行って、




衣を着替えて、気分を入れ直し、
「有栖川山荘」(バー)へと、娘のNと母を伴って出掛けることに。

山庭への渡り廊下をどんどん、どんどん。浴衣とスリッパで歩くこと10分近く。
どこまで行くんだろうと思っていると、
ようやく木造造りの一軒家に。
幻想的な提灯だけの、雰囲気は格別!幽玄なる陰の世界~。




良いなぁ。好きだな、こういうの。
バーといっても、樹齢数百年の木々に囲まれた古い日本家屋だった。
玄関のたたきにチョコンと腰掛け、スリッパを揃えて上がると、2間の部屋へと続く。
奥は団体専用。縁側もあった。



手前は、ほりごたつのように足を放り出して座る、コの字型の小さなバー。8人も座ればいっぱいで。

私は赤ワインを2杯(少し高いやつ)Nと母はグレープジュースを飲んでいた。

ちょっぴり驚いたのは、バーテンダーのおにいさん。
黒光りするほど脂をぬって、キメているのに、ナント加賀温泉駅から送迎してくれた番頭さんではないか(最初はわからなかった)。
どうりでな番頭さんにしては、明るさのない笑い方で無口だなぁと思っていたのだ。ものすごく照れくさそうだった。





11時半には、部屋に戻る。さて、もう一度だけお湯に浸かり、就寝としよう。
真夜中からの湯浴みも幻想的、
「烏湯」は誰もいないので、少し怖くなって源泉閣に入り直す。




この宿は闇の淵が黒々として深いように思う。瞳を閉じればなんだか吸い込まれそうな春の闇。春の風。
小動物でも降りてきそうな山の崖がある。

風呂から上がったら、母と娘のNはすでに寝ていた。
それで、窓下に備えられたミニ書斎にあった魯山人の著書(写真集等)を2冊、終わりまで目を通して寝た。
2時前だった。


(つづく)

(1に戻って読む)


温泉へ行きたい。「あらや滔々庵」

2013-09-22 01:39:40 | どこかへ行きたい(日本)
思い出したように、セミが鳴く時がある。

ミーン、ミーン。セミだ。ガンバレ!と応援したいのだが、10分も鳴くとフェードアウト。
昼の太陽は容赦なく照りつけているのに、その甲斐もなく、
こうやって夏のセミはいつのまにか姿を消すのだね。

替わって鈴虫やコオロギやらが秋の気配をいっそうかきたてる。
先日、植栽の害虫駆除の消毒があったのだか、いくらか、残ってくれてホントに良かった。

昨今、旅。旅と書いているので
春に旅した時のことを思い出しながら記録しておこうという気になった。

娘のNと母とわたしの、三世代で山代温泉へ出掛けたのは桜の咲く前(いつの話よ・笑)。
通年ならウールのコートが必須であるはずなのに、温暖化の影響か
今年は腕を抱いてさするような肌寒さもなく、薄手のセーターにスプリングコートという服装で、
温かな陽気のなかを出掛けていったように記憶している。

特急サンダーバードで、大阪から加賀温泉までは約2時間30分。

小さな駅。北陸の風は冷たい。
ロータリーには旅館の専用バスが次から次にきて、番頭さんが歓迎の旗をもち、客を乗せては温泉街まで送迎していた。

私たちは、昼過ぎに到着したので、何かお腹にいれておこうと駅の案内で「ここらで、軽食をおいしく食べさせてくれる店はないですか」と聞く。
案内されたのが、寂れたショッピングセンター(平和堂)の一番奥にあった「澤屋」。
そば処なので、とろろ蕎麦を注文。
チェックインの時間までショッピングセンターでお土産ものをみて時間を潰し、宿に電話して迎えにきてもらった。

山代温泉街は、少し寂しそうな小さな街だ。
15分も歩けば端から端まで歩けそう。
大きな旅館がポツリポツリと目立つなかで、私たちが選んだのは
「あらや滔々庵(とうとうあん)」。湯量が山代随一だそうである。





中心街に位置し、真向かいには共同浴場の、「総湯」。



そして、みやげもの屋が10軒ほど軒を連ねていた。

あらや滔々庵は、
小さな趣のある宿で、歴史は古く藩政時代より18代続く老舗宿。源泉発祥の地である。
魯山人は、この宿の15代目、源右衛門と親しく交わったそうで、数々の書画や看板、赤皿などを注文されていたとか。
館内には「いろは屏風」や「暁烏のついたて」をはじめ、陶芸作品がロビーや玄関口に飾られていて、魯山人ゆかりの宿とされている。





ロビーでお茶の接待をうけ、5階へ。小さな宿なのでエレベーターも4人も乗ればいっぱいだ。
狭い畳敷きの廊下は、決してまっすぐではなく所々曲がりくねっていて面白い。
各階に3室ほどしつらえられていた。

部屋は、2間続きであって、古いがよく掃除が行き届き、12畳ほどの間は広縁。
ホワイトのレザーソファーにどっかりと腰掛ければ、迫りくる小さな山がそこ。
季節の木々や竹林は
さわさわと葉音をたて、それが心地よくて、緑のにおいがした。






中年の女中さんは、いい感じの人で、話好きだ。
母は長年旅館業を手伝ってきたので、もう懐かしくてたまらないようで、ものすごく饒舌に。
女中さんと数分で打ち解けあって、愉しそうだった。
ここでも、抹茶と金沢の菓子の接待を受ける。



これから、近くの陶器市でもひやかそうかと思っていたが、
娘のNが「加賀伝統工芸村 ゆのくにの森」で絵付けがしたいと切望するので、
20分も車に揺られて、目的地へ。
茅葺の古民家を移築した伝統工芸村は、森を切り開いてつくられた13万坪の敷地。いわゆるテーマパークのようなところ。

各工房では、友禅染・ろくろ回し・上絵付・金箔貼りなど50種類以上の伝統工芸の体験ができるというが、金箔貼りの塗りの皿に挑戦!
みやげもの屋やらを幾つかみて、
2時間ほどで後にした。


あらや滔々庵に戻ると、さっそくに「瑠璃光」という浴場へ。



ゆかたの上には丹前を羽織って、ゆらりゆらりと廊下を歩いて、1階へ降りる。





ガラリと木のドアをあけると、硫黄の湯煙。硫黄の湿気。
檜の湯淵に、ヒバの壁板。
古くて趣があり、それは洞窟のようでもあり、広すぎず狭すぎず、
まあ落ちつくこと。
露天風呂は眺めよし。浸かってよし。
木々と緑と小さな滝から、山の気配がたちおりてきて、それが湯の香と相まって、ほっーと。気持ちいい。
もちろん、サウナも併設である。

泉質は、ナトリウムとカルシウムの混じった硫酸塩・塩化物泉。
やわらかくて、軽い湯だったように記憶している。
九州の黒川温泉のようなどっしりと重たい薬師の湯ではなく、1日に何度でも入りたくなる軽い泉質。美人湯だという。

浴場から上がれば、さすが老舗宿。
出たところで、シャンパンやえびすビール、コーヒー、お茶が無料サービス。
湯浴みの後の休憩場も広く、椅子にかけてあたりを眺めるしつらいが随所に用意されていた。
「食事もあるので、やめなさい」と
母にいわれたが、ついシャンパンを1杯だけくっーと飲んで、あー、たまらない!と声を上げて
部屋に上がった。

つづく)

ひとまず入稿の山は越えたか

2013-09-19 00:41:37 | 今日もいい一日
今晩は中秋の名月。

ニュースによると、中秋に、満月になることは珍しいことなのだという。次は東京オリンピックの年とか。はぁ~貴重だ!

夜8時、三ノ宮のそごうの上空で見つけて。




同じく、10時、自宅近くの住宅街の上で見つけた。

遮るものの少ない、自宅付近のほうが、月を近くに見たのはどうしてだろうか…。星が見あたらない。それくらい眩しい白。
まるい明るい月。

さて、終わってしまったら、なんてことはない。
怒濤の入稿、下版の行程がどうにか今日で終わった。

先週の3連休も結局、一日中雨の中に閉じ込められて原稿書きだった(空気も空色も鼠の世界の中で)…。

月曜日の祝日には、大どんでん返しの打ち合わせ。それも、滞りなく終了して、(台風で電車が20分も遅れたりしたが)、

夜には娘のNと、焼肉屋さんへ繰り出したりして(笑)うっぷんを晴らし、






こうして最終の工程を終えたらホッとした。

先に書いていた台湾旅行は9月17日(火曜日)を、18日(水曜日)に延期して。

それも、連休前と諸々で行程が大幅に狂い、

結局は、両日ともキャンセルせざる得ない状況なのだった。

キャンセルを決めたのは15日の日曜日1時半。1本の電話から…。これは、痛かった。

(この日の朝、わたしは肩のあたりがチクリとしたのでビックリしたら、、小さなクモに肩をさされていたのだ!よからぬ心情…)

でも、今日こうやって今日までの工程をちゃんと見届けることができ、

どこがどう変わったのか、
デザイン的に洗練され、コピーも簡潔でよいものになった、とか。 フィニッシュをみたら納得だ!


「旅行ごめんね~。ほんま…」と数人から言われたりしたけど、

要するに。
自分のために、そう、未来の自分を守るため、自分が選んだ結論だったのである。

まあ、本当のところ、私も小さい人間だから3連休には、誰とも口を聞きたくないくらいメゲていたのだけど。

ひとまず、途中で他人にゲタを預けることなく、完了できてホッとした。

それに、日本にいたおかげで大切だろうと思う1本の電話もとることができたのだから。

(台湾予定で、新規の仕事を流したりしたけれど、仕方ないね)


昨日は、島根県産のハマチのお造りとブロッコリーとトマトのサラダ、唐揚げやらで赤ワインを飲んで、

借りてきた「ツーリスト」のDVDを観ながら、パリからイタリアの街へ舞台が移ったところで退散。もう耐えられないほど眠くなって寝てしまったのである。

朝4時前に目が覚めて、真夜中みたいな寒い街を40分ほどウォーキングする。
帰ってシャワーを浴びて、少しだけ本を読んでから、また寝た。

今日は、夕方から三ノ宮で友達と少しだけ会う。

元町の「甜蜜蜜(ティムマッマッ)」は、香港スイーツの店へ。





足繁く通った岡本本店同様、「亀ゼリー」(滋養強壮バツグン)や「ふるふる杏仁豆腐」&大根餅に、中国茶がセットになったスイーツをオーダー。






あまりに美味しくて、「蒸したて ココナッツ団子」も追加!

ありふれてはいるが、秋の爽やかな空みたいに、ピース極まりない中秋の日となった。

最近、痛烈に学んだこと。待っていても誰も自分の欲しいものを、お膳立てなんかしてくれない。自分の理想とする現実、欲しかったら取りにいくことだ!

台湾は近日リベンジしますよ!もちろん!












愛するキャラクターは、あなた似じゃない?

2013-09-13 23:23:23 | 今日もいい一日

少し前に流行った脳内メーカー。
名前をいれたらあなたの脳内を診断するという。
おそるおそる、自分の名前を投入してみると、
脳内が全て「休」「休」「休」で囲まれて、その中身が全て「働」「働」「働」だった。私ったら「休息」と「労働」しかないのか!と超ショックをうける。
娯楽とか遊びとか、愉とかないのかしら、と思う。

そういえば、仕事をした後にのびのびと存分に遊ぶのが大好きな性格なのであった。
逆に、ちっとも仕事していなくて、遊んでも、どこか後ろめたいところがある人なのだ。


いろいろ、お友達の名前を入れてみたら、ふ~んと唸ることしきりであった。
それもあって仕事のネームをひらがなに改名した。あほらしいけど(笑)。
絶対にネームは大事である。

それでこないだ、あなたに欠けているピースという脳内メーカーを偶然に発見したので
再度トライしてみたら、自分にはなんと「クール」というピースが欠けていた。
やばい!
お遊びなんだということは、百も承知だが、なんだか言い当てられているなぁとビックリであった。

WEB上でみつけたのが「はずき理映の365日誕生日占い」。
さっそく、8月8日と、私の誕生日を入れてみると、
キャッチフレーズに出てきたのが、「あらゆる人の情熱に火を点ける熱きモチベーター」!
人の情熱に火をつけるのかぁ。架け橋なのだな!

読み進めてみれば、
「あなたは常に明るく前向きな、「熱きモチベーター(やる気に火を点ける人)」タイプ。
どんな困難に対してもひるむことなく向かっていくパワーと強い意志を持っています。
生まれた月日の「8 」は、「無限大(∞)」を象徴し、「情熱、豊かさ」「繁栄、栄光」を表す数字。
また、「拡大・増幅」の要素もあるので、8 月8 日生まれの人は、どこにいても、何をやっていても、
目立つことは避けられないでしょう。実行力に優れ、周りを巻き込みながら、現実的に行動していくパワーは抜群です。
あなたの前世は、中国元の時代、皇帝に仕えた貴族…。
とあった。これをある友人に話したら、当たっていると言っていた。

確かにガンバレ、ガンバレ!とものすごく応援してくれるし、私と会ったあと、頑張らなきゃあと、やる気になるそうだ。

自分では、さしてガンバレない。反省の多い人生なのだが。その分、人の可能性を見つけては、火をつけるのは得意かもしれない。
おせっかい、ということか…。

もうひとつ。
これは占いではないのだが、
自分の愛して愛してやまないもの、を思い巡らせてみよう。
主にキャラクターだ。ぬいぐるみでもいいし、動物でもいい!「カワイイ」と抱きつくようなキャラを紐解くと、人は明らかに自分に似たものを愛おしいと思うようである。
熊さん大好き、な人は、熊さんのように、ずんぐりむっくりで人が良かったり、
カエルのキャラクター好きな人は、両性っぽくひょうきんな人だ。
パンダ好きな奴は、どこかパンダっぽい、愛くるしいコロンコロンした女になりたいようである。
これは長年、いろいろな友人をみていて、私が気付いたことである。

私もそうなんだと思う節ありで…。

皆、自分を愛し、どこまでも、いつまでも自分探しをしているのかもしれない。
ほら、昔から愛してやまないもの達って、どこかあなたに似ていない?

別にこんな類のことをつらつらと書いているからって、ヒマなわけじゃあないのだ。
近頃、気温差が激しいのかな。仕事が混沌としているからかな。今日はちょっぴり疲れている。

明日は頑張ろう!昨日大丸梅田店の夜市で買った高級フルーツ




(黄金桃2コ、信州巨峰、グレープフルーツで千円!デパ地下のフルーツは時に安い!)をたっぷり食べて、
朝からスイッチ入れなきゃあ。






つれづれなるままに、今の心境を。

2013-09-08 23:58:03 | 今日もいい一日

今週はほぼママ業を離れて、勝手きままな女業をやらしてもらった。
娘のNが月曜から週末まで、大学のテニスサークルで長野に合宿中で、
しばしママ業休暇がとれたのだった。

寂しいだろうなと予想したが、実際にはその思いに反して、自由で愉しいひとときなのだった。
ほとんどの時間が仕事で埋まり、机にむかっているか取材や打ち合わせで人と会っているか、あとはすこぶる自由に過ごした。

まあ、といっても寝る前と朝に大音量でベートーベンの「ピアノ協奏曲第3番ハ短調」やラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18」(最近友人に教わった)を
リピートし続けても全然文句が出ないので存分に聴いたくらいかな。

これって普段だって、結構好き勝手さしてもらっている、ということなのだろうね。

今週は、新規の仕事依頼というか
「ひょっとすると声をかけさせてもらっていいですか」的なオファーも含めると4件もあった。
レギュラー中心で構成する私からしたら異例。
ありがたいお話なのである。

そして金曜日。一件簡単な取材をして、そのあと打ち合わせがあり、気分がハイテンションだったのでそのノリで、
おいしいワインを飲みたくなって、ふらりと立ち寄った。
6月、かおりさんと行った堂島のワイン&ビストロ「グロリエット」だ。

ここは2階に4卓のテーブル席があるらしいが、1階はカウンターのみ。女性ひとりでも入りやすい、カジュアルな小さな造りの空間だ。
この日は、黒板メニューから賀茂ナスと原木しいたけをチョイスし、軽く、ソテーにしてもらった。



さっぱりした食感だったので、野性味あふれるいい材料に違いない。
大葉とカシューナッツ、それにオリーブオイルをあわせた緑のソースが非常によくあっていた。
ワインは最初が南フランス産の赤ワイン(カベルネソーヴィニヨン&メルロー)。

ミネラル豊富でごくごく飲めるフレッシュな味わい。



紀州岩清豚のソーセージとポテト。



そして、シェフがフランスパンをパン切り包丁で気って入らしたのをカウンター越しに見たので、
わたしもマネしてバゲット&バターをオーダーする。
続いて、ボルドーの赤ワイン(ジャンクロードベリウー・カイロル2011)を。
始めのよりはタンニンがしっかりあって、土の匂いがする華やさのあるものだった。




一人で飲んで食べるなんて、何年ぶりだろ。
おそらくNがいたら、そのままデパ地下で惣菜でも買って家飲みしていたのだろうから、
ま、ちょっぴり特別で、新展開のある時間を愉しみたかったのだ(笑)。

ああ、今も「八重の桜」をみて仕事をしているのだが、
本当は9月17日(火)から台湾旅行を予定していて、すでに手付け金を入れていたのである。この一件がどうも気になって仕方ない。
ずっと時間を調整してきて、自分の仕事(ライティング)は問題なく進むはずだが、
印刷入稿(印刷工程に入るまえの最終クライアントチェック)がやはり連休のせいで17日になりそう。

それに、前後にどう繰り上げたり繰り下げたりしても、どうしても別の案件でも校正や打ち合わせ、もしくは確認するべく仕事がその週に入ってくる。
そうなんだろうな、やっぱり…ね。

以前、会社勤めをしていた頃、
ハワイへ1週間行くために随分と人の予定を動かして、メンバーの皆さんに迷惑をかけ、
それでも家族や計画を優先して自分の旅をしたことがあった。

帰ったら「大丈夫、愉しかった?」といわれたけれど、
残されたチームメンバーはコピーライター不在のために、デザイナーやディレクターがコピーを差し替えたりして、
大変な負担をかけたようだった。
それでも企業人ならフォローしてくれるメンバーがいて。
クライアント(取引企業)に迷惑さえかけなければなんとかその場は取り繕える。
でもその後味の悪さは、1カ月くらいじゃあ、ぬぐえなかった。

しかも、今はフリーランス。
1本の、いや1カ所のやりとり次第で、これまでの労力を瞬時に無責任な仕事に塗り替えてしまうのは簡単なことなのだ。(小さな案件だが1冊まるまるライターは私だけだし…)

そう思うと、皆フリーはどうやって旅をしているのだろうなと。
台湾、10月になる前に行きたかったな。旅をして、強くなりたかった。それにはフォン・カーウァイのシネマで観るようなエキサイティングな街だ。


ふと、いま、こんな言葉がアタマを横切る。
「あなたが、いま、どんな立派なコトを考えたか、どんなコトを話したか、そんなことはたいして関係ない。
関係あるのは、あなたが何をやったか。それだけが重要だ」




初心に立ち返った、8月最終金曜日。

2013-09-02 21:58:13 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


きょう(2013年8月30日)は、企画書やら原稿書きやらに追われて、午前中に半分提出し、
急いで銀行へ行って、焦って帰って「あまちゃん」みて、
それからまたまた原稿を書きながらも、「あまちゃん」の映像と天野春子の言葉にならない切なさが、喉の奥らへんにこみあげてきて涙がとめどなく出て、
テッシュで拭きながら、しまいにわぁわぁ泣き泣き原稿を書いて。

あれ?なんでこんなに泣いているんだろう。(そこまで激しく泣くのは変だよ)と思い、
きっと私はなぜだかとても泣きたかった心境だったのだと気付いてしまって。
気をとり直してリビングだけちゃっちゃっと掃除機をかけてお茶を飲み、それから企画書を1本出して、コピーの修正をし、
3時半にお風呂に入って、
4時すぎになったので大急ぎで準備して大阪編集教室のOBOG会に出掛けたのだった。

目的地に着く前に、友人のかおりさんと待ち合わせし、ヒルトンプラザウエストの2階でお茶をする。




ここは雑誌が豊富でソファーの座り心地がよく、大きな紙もザッと広げられるスペースもあるので(おまけに空いている)、
よく打ち合わせに使う、お気に入りのカフェだ。

互いの仕事の近況を語り合い、たった今しがたまで奈良で打ち合わせしていらしたかおりさんの仕事の話なども伺いながら、
なんだかとても良い気のオーラに包まれたまま、会場である谷町4丁目の居酒屋へと向かったのである。

大阪編集教室は、私が3社の広告代理店や広告制作会社でコピーライターとして勤務(11年)した後、フリーランスになる前に扉を叩いた教室だ。
大学の3~4回生の時に秋山晶や仲畑貴志に憧れてコピーライター養成講座「宣伝会議」に1年通い、
そこでの学びも面白かったが。
しかし、「大阪編集教室」は実際に経験を積んだ後の学びとあって、講師の先生がおっしゃることが噛んで飲むようによくわかって、実に実り深いものになった。
今現在もお付き合いのある友人も沢山出来たし、なにより週1回(土or日)の授業は毎回ワクワクした。

取材の仕方、取材記事の書き方、コラム構成のポイントや作成、
ルポルタージュの事実と考察、描写と言葉、
コピーの視点、発想、語り口。企画の立て方…。

第一線の講師による講義(前編)にとどまらず、毎回課題が出て、翌週に提出。
それらをまず提出者自らが企画意図などを話し(要するにプレゼンの練習だ)、
次にクラスの受講者たちが1人1人の、1点1点の課題について批評してくれるのだ。
シメは、講師が丁寧に批評と添削をして皆の前で指導いていただく。

ほんとうに何気なく仕事をしていた10数年よりも、課題発表の時には緊張した。

私の作品は、多少経験もあったので講師の先生がよく取り上げてくださって、
褒めてももらった。

「こうすればさらによくなるゾ」
「いや、ここは常識を破り、こうおめてみるのも妙案ですね」
「文は、人なり。だから心で書きなさい」
「点や丸を使いすぎない。ひと息でよませなさい」
「書き直し、何度も推敲するほどにコピーは、必ず進化する」

心の温かい講師陣が多かった。
それで卒業作品「花ぎれ」では調子に乗って1人だけ2作品も提出し、
それもトップで掲載してくださった(仕事現場では劣等感を抱くこともあったので、自分の作品に少しは誇りがもてた)。
毎日新聞記者だった小林先生の涙をこぼして共感してくださった一言。
そして、松岡先生の辛辣な語り口など、今も宝物のように大切に胸にしまい、
時に取り出して浮かれた心持ちの戒めに使わせて頂いたりする。

さて、OBOG会。
先生方、在校生、卒業生と総勢40名が集まり、居酒屋で飲んで食べて、仕事の情報交換や談笑で3時間。
わたしは友達のかおりさんと隣同士だったので大船に乗った気持ちで、主に講師の先生方と同席で。それでもそうおじけず打ち解けあい、愉しい時間となった。
特に、かおりさんをはじめ日本酒好きのメンバーがたまたま集い。あとで利き酒会となり、これがめちゃ、その場を盛り上げた。

「宝剣」「東一」「東洋美人」「久保田」をまわし飲み。
日本酒は深い。舌にのせると米の旨みともに、甘味や余韻がそれぞれに違う。
飲む時の温度でも違うし、そして舌と喉を過ぎて溶けてなくなってからの深みがまた違う!旨いお酒だなぁと。
素人で、よくはわからないなりに、それでも日本酒が旨いものだというのは、わかるようになった。
ま、利き酒師のかおりさんのおかげだ。
彼女のうんちくがまた、鼻につかず嫌みなく、重要な情報を的確に教えてくれて面白い。講師も満足して談義してらっしゃった。

このあと、同期の男の子とかおりさんと私とで2軒目へ。そして再びの乾杯!

私にとっては何もかも懐かしくて愉しくて!スッキリほろ苦のライムトニックのような時代。
あれから約12年か…。まさに古里のような学校。母校だ。

もう一度角度を変えていろいろなところを軌道修正し、書くことを再びはじめた第二のスタート地点だ。
3回目の会社を退職した時に、
「ここを本当に辞めるのなら仕事人生は捨て、家庭の主婦になるんだという、それくらいの気持ちがあるなら、辞めなさい。
そうじゃないと辞めさせない! あなたには仲間がいるんだから。あなたには責任もあるんだから」と上司の女性に言われた。
それでも家庭の事情から推しきって辞めさせていただき、そして書くことも最終的には手放さない選択をした自分。

フリーランスになってからのほうが仕事は俄然面白くなった。
1本のコピーにも、広告代理店で100本ノックをしていた時代(20代)より、
朝から昼から晩まで、何日も考えに考え、ことばに生命(いのち)の息を吹き込み、
愉しんで苦しんで、商品の価値を探せるようになった。
媒体や企業情報誌の編集では特集記事を主に担当させていただけるようになり、パンフも含めて1冊(ツール一式)まるごとのオーダーが増えた  (今はどうだろう。挑戦が減ったか…)

それもこれも、あの教室で出会った大きな懐をもった講師陣や事務局の方々、
仲間たちとふれあった時間や悩んだ数々が礎になっているからこそ。
忘れてはならないと思う。

初心、に立ち返った8月の最終金曜日。
そして今、あの時とは違う角度から、焦り始めている最終金曜日でもある。