月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

「ピッツェリア エ トラットリア ダ マサニエッロ」で地域の懇親会。

2014-01-31 19:52:09 | 兵庫・神戸ごはん



一年越しで企画して、ご近所の8人グループで訪れたイタリアン。
それが、宝塚の逆瀬川にある、「ピッツェリア エ トラットリア ダ マサニエッロ」。幹事役は私でした。



なんとも舌を噛みそうな店名なのですが、地元ではちょっとした有名店です。
なんでも、2012年7月ナポリのチッタデッラシェンツァ会場で開催されたナポリピッツァオリンピックで、
この店の小松正和氏(オーナーピッツァイヨーロ)がArtistica部門で優勝、金メダルを獲得されたとか。


そういえば、一昨年、5月にここを訪れた時にも、
夜の小さな豆電球が灯るバル的雰囲気が好きで。
(平日の夜にも、関わらず来店時には満席でした)



この時は、カウンターに陣取り

前菜盛り合わせ、水牛のモッツァレラのマルゲリータ、デザートで。

ワインを2杯のんで。イタリアの「メッシーナ」というビールを2杯。













「メッシーナ」とピザ。これが最高によくあい、後味軽く、スイスイ飲めて、
ピザのチーズをほどよく流して、次なる一口のしずる感を高めてくれました。


それに、思い出こせば、
この時、
隣に居合わせた60歳くらいのサラリーマンが紳士的な方で。
一人で白ワインをキューッと飲んでは前菜、ピザ、パスタ2種をアッという間に平らげて、
そして赤ワインを3~4杯飲んで、爽やかに店を後にされたのが、とてもいい感じで。
本当に気持ちよいほど美味しそうに、いただかれていたのを思い起こします。

おそらく、地元の方が会社帰りにふらりと立ち寄られたといった風。
帰ったら、奥様のお茶漬けとおつまみを、それも簡単にスィーとお腹にいれられるといった感じで。
こんな大人ステキ男子(紳士?)が、さりげなく来訪される店なんていいな~と思ったものでした。



さて、今年のパーティです。
まずは、スパークリングを1本あけて乾杯。
それから、驚いたのは、全員にひと皿づつ用意された前菜が、ものすごくボリューミーで最高においしかった。大皿料理でなくて、これが正解。
なかでも、イカスミのリゾットと季節野菜のラタトゥイユがよいお味でした。 







次には、店自慢のマルゲリータ(この店には20種くらいのマルゲリータがスタンバイ)、
水牛のモッツアレラのピザ、ポルチーニ茸のピザ、
4種のチーズのピザと4種が次々と。












石窯ならではで外はパリッと、中は濃厚でしっとり。
これは当たり前なんだけど、
トマトやチーズ、そのほか素材の味とその鮮度がキープされている状態で焼かれているのが、おいしかったかも。
生地は塩加減がよくあっさりした味でした。

そして、モッチモチのパスタ(生麺)。
キノコのソースと相性がよく、
〆にふさわしくどっしりと重い味なのに、
麺がサッパリしているので、食欲がストップしないように仕上がっています。





そして、チーズのデザートと珈琲。
皆さん、お腹いっぱい。



この日は、8人でスパークリングのほかに、ワイン3杯をいただきました。

お値段は1人4500のコース料理。

気の置けない友人と、気軽にカウンターで、というのとも好きなパターンですが、グループもまたよし。
バルらしく賑やかに、盛り上がって。地域の交流会としては、まあ、まあ
成功ではなかったかな。

ピザといえば昨年食べた、篠山のドーノもオススメ。またそのネタは次の機会に。



(こちらは、ドーノです)






大地を耕し、生きた祖母。明治の人。

2014-01-26 19:12:59 | ご機嫌な人たち



103歳の祖母が、あまりよくないとは聞いていたけれど「1月7日から食事をとらず、いよいよ点滴も入らなくなった」と母から電話で聞き、
気になって仕方なくて。

何回スケジュールノートを閉じたり開けたりしても、やはり気になるので。
そんなに気になるんだったら、行っちゃえ!!と思い、
祖母の自宅のある兵庫県中ノ郷にある自宅に駆けつけた。(今週金曜日)

朝9時に出たら、昼前にはつくだろう。

朝の天気予報で「3月中旬の陽気です」と告げられているとおり、春のような陽気。それさえも奇跡のような一日だった。

特急電車に乗り、江原駅についたらタクシーで行こうとしたが、
駅前にも関わらずタクシー0台。

10分待ったが来る気配がない。
やっと来た!と思ったら後から来た5人組を名前で呼び、その方々を乗せていってしまった。それでやっと!
タクシー乗り場に書いてある予約電話が目に入り、ダイヤルをまわしてみた。

すると、「20分ほど待ってもらえますか?」とごく普通の調子で返されたので、それにビックリ。

結局、市内バスを30分待って自宅に向かうことにした。
バスは私ひとりの乗車である。





バスを降りたら、小学校の頃に見た記憶のある(私が)大きな石碑のある停留所で。
目前にそれは大きな畑の平野が広がっていた。






なぜだか約8年前に(取材)で、ロサンゼルスからメンフィスに向かう途中の、車(レンタカー)からみた
雄大なカリフォルニアの大平原を思い起こす。

乾いたアメリカ大地と、湿度の多い日本海側の畑なのだから全く違うのだけど。

堤防の上にあがったら、山のむこうまでずっーと畑が続いているからそう思ったんだろうか。
春のような大地を呼吸する。祖母が小さい頃から親しんだ大地と空気。




祖母は、100歳まで毎日丹精こめてここで田畑を耕して、朝に夕に草取りをして、
大地に、ペタンとはいつくばって背中をまるめて
キャベツやブロッコリー、そのほかいろいろな虫とりや手入れをして、野菜を育てていた
その後ろ姿を衝撃的なほどに、思い出した。
もんぺをはいていた腰から下の小さく曲がった脚のかたちまで思い出した。
小さな苺が沢山できたといって、娘のNに摘ませるのだといつまでも摘まないで残してくれていたっけ。

あの時、祖母の小さな背中が大地を崇拝しているように(その時)思えたのだけど、
あれは祖母の「無心」をみたのだと、そんなことも気付く。

それから、田んぼと山をみながら家まで歩いた。

何度も車で通った道であるのに、はじめてみるような気分。

シーンとして、静かで。
夜になったら山からキツネか熊でも出るだろうなーと。
大地と動物と人が共存している日本の田舎の、のんびりとした時間の流れに感心しながら、歩いた。




祖母の体を流れている土地の空気を肺の中まで吸い込み、
しっかりと歩いて祖母の家へ行けたことは私にとっては、ありがたいことなのだった。





奥にある部屋で祖母は荒い息をして、しっかりと生きていた。





1日1回の点滴だけで、暮れから命を繋いで、今度は食べないから血管が細くなって、それさえもう入らなくなったというのに、顔は穏やかだった。
ただ息だけはしんどそうだった。
しっかりと祖母の顔をみよう。絶対忘れちゃあいけないと誓う。

強い人だ。

人間の強さを祖母は教えるために、生きていてくれている。(そう思うほど)



目は細くしか開かなくて、頷くくらいしか出来ないけれど、
頭には毛糸の帽子を被らされ、そこにまた白いマフラーでアタマの周囲をくるんと巻かれて(花のように)。
小さなお人形さんのように、祖母はいた。

それでも、そんななかにあっても。
私達に強い信号をビシビシと送り続けてくれているような気がした。

もうダメだと、心臓発作で倒れて寝たきりになって親戚中が集まってから、もう2年。

今年1月から食事をしなくなってお茶も飲まなくて、水も飲む気力がなくて、点滴さえも入らないのに。

祖母はまだ戦っていられるのだ。こんな穏やかな顔で。



私の顔(輪郭)をぼんやりとしか見えないのだろう。
私がいるのか、どうかを何度も確かめるように手をのばしてきた。

のばした手を私が握ると、しばらくして振り払って自分の布団の中に入れ、また手をのばしてきた。
何度も目をみて頷いて。

目を閉じそうになっては
また開いて、輪郭を探してくれた。

ありがとう。強いねー。ホントにやさしいね。としか言葉は出なかったが、ホントに行ってよかった。祖母のためというよりは自分のために行ってよかったのだと思った。
じっと側にいると、

側にいる義理のおばさんが、変なことをいった。
「2週間くらい前ね。おばあちゃんがまだ話しよんなった時に喉の奥から振り絞るようにいいんなった言葉がね」

「藤原くん、藤原くんに会いたい」だったのよーと。

年をとっても男友達を家に呼ぶようなお母さんだったから、やはり違うわ!
そんなおしゃべりもまた心を慰めてくれた。

祖母は、大塚のウイダーインエネルギーを口を濡らすために時々もらうそうだが、
実の息子さん(叔父さん)じゃないと口を細くして受け付けないそうだ。

「彼氏じぁないとあかんのよ…。やけちゃうわーほんまに」(叔母)

おばあちゃん…。おばあちゃんったら…。

祖母はまだ生きている。
その悦びをかみしめながら。

祖母の前に、私はいた。







大寒。雪ノ舞うセンター翌日。あれから1年です。

2014-01-21 20:00:39 | 今日もいい一日






昨日は大寒。一年で一番、寒い日だ。

机の下に忍ばせてある、足入れタイプの温熱マットをはいても、昨年買った膝掛けをかけても。寒い、寒い、寒い!!
後ろには、デロンギの暖房まで控えているというのに、ちっとも温まらない。
風邪でもひくんかしらん。それでもずっーと机の前に座っていたが、どうも集中できない。
それで、お風呂に。

うわっー、ここに住まう。住まう。おっしゃー!などと安堵したけれど、
30分もしないうちに上がってしまったのだ。
いつものように本を読んでいたら、肩や腕のあたりが冷えて寒い。
ひんやり、冷たーくなってしまっていたのだ。

お風呂から上がって、気合いはいれても仕事の続きをする気が失せて
ストーブの前でしばらく縮こまっていた、のだけど。
なんだかなー、という気がして。思い切ってリビングの窓を全開!!

そして、掃除機をかけて掃除をはじめた。

すると、不思議とそれほど寒さを感じなかった。へんだなー。なぜだろ。なぜに? 


外気が部屋の空気を洗っていくようだ。気持ちよいとはいえないまでも。
冬の冷気を、その少しだけ埃くさい雪どけのような匂いを、肺の奥までいっぱいに感じることができて、
心が落ち着いた。
(そう、寒い寒い、思っていたから寒かったのか。
日々、冷静になって、頭を冷やして、心が落ち着けることが肝心である)。

それから、いろいろな雑多小物を整理整頓して、テレビの周囲や流し台のカウンターの上、テーブルの上などを雑巾掛けすると、
さらに心が落ち着いてきた。
なんだか、自分までしっとりとあか抜けてきたふうに。
なぜ、もっと早く、早くこうやって窓を開け放って外界の空気を取り込んで、拭き掃除や掃除機かけをしなかったのだろう、
と不思議に思えてきたほどに。埃、ホントは気になってたんだ!
(冬。今日のように寒い日は、子宮あたりの腹部らへんが重苦しくて、へんな感触がまだある。
忘れていたものが目覚めるみたいに。あるはずのない異物感をまだ、じんわりと感じて)


でも、そんな時。思い切って寒い寒い空気のなかへ飛び出して、冷気を全身に浴びてみること。
そのほうがシャンとするということもあるのだね。

30分も窓を開けていたら、体も芯まで冷えてしまっていた。肩が凝ってきたみたいに凍えた。ホントに冷えた。
でもさきほどより、いくぶんも心は明るい。

それで今度はNの勉強まわりを、今度は窓を閉めて掃除していたら、
ピンクの紙に書かれていた小さなレター(メモ用紙)が目にとまる。
水色のペンでこう書いてあった。

「あなたの成功を願う人は、
たくさんいます。
ハッピーな未来を想像して
クールに、スマートに
戦っておいで。」


あれ?誰からのメッセージ?

夜。学校のスタディールームから寒い、寒いといいながら戻ってきたNに、夕食を提供し、
「こんなの落ちていたよ」と、この話しをしたら、彼女は夜ごはんのビーフストロガノフで満腹になったお腹をさすりながら、「ふ~ん。ありがと」といい、
携帯の待ち受け画面をチラリとみせてくれて。それから、すぐにお風呂に入っていった。



「あなたの成功を願う人は、
たくさんいます。
ハッピーな未来を想像して
クールに、スマートに
戦っておいで。」


iPhone待ち受け画面(ログインする前の画面)には、クセのある文字のままで、
このメッセージが貼りつけられていたのだ。
昨年のセンター試験の前に、塾の英語講師(G)が手渡してくれたものだという。

あの子は、まだ戦っているのだ。
まだ、大事に持っていたんだ、よね。


週末でセンター試験は終わり、
月曜は、センターの翌日。

「昨年の今日は人生で3本の指にはいるくらい、辛い日だった」
「まるでお月さまが欠けていくみたいに、自分の希望も欠けていくみたいで空しい、たまらん日だった」と。
あとでNはぼんやりとした顔で。昨年をふりかえって話していた。
ふたりで昨年のエピソードを、次から次へと語り合って、そして笑った。 物語みたいに。

1月21日。
全国の受験生はどんな心中で、この大寒の。凍り付くような冷気を受けとめ、将来を思考されているのだろう。
いろんな受験があって、いろいろな人生の選択があるのだ。将来の大きな、大きな分岐点。
それが大寒。この信じられないほどの極寒のなかで、子どもたちの(家族たちの)、さまざまな葛藤があるんだ。
(Nと同じ学年の浪人したあの子は、どうだっただろう。センター試験。そう思いながら大手予備校のセンター速報を検索する)

Nは、いま大学の後期試験の真っ最中。それが終われば来月からはイギリスに1カ月ほど語学留学する。
あれから、あの暗黒の日々からすでに、というかもう、前進しているんだよね。

ガンバレ、全国の受験生よ!
道はある。必ず道は目前にあるよ。





パリの高級ホテル、プラザアテネの朝食に登場する「ショコラティーヌ」の作り方を習いました。

2014-01-18 20:05:44 | あぁ美味礼讃


旅先で出会った忘れられない味というのは、帰路に着いてからも、そして年月がたっても、
いつまでも舌が覚えていたりするもの。

一昨日は、パリの5つ星ホテル「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」の朝食に登場するメニューの中から
「ショコラティーヌ」「ガトー・バスク」の作り方を習ってきました。

友達がぜひとも参加したいイベントがあるの!と、メールで誘ってくれたのですが、
思い切ってご一緒させてもらって、ホントに幸運でした。

「ADPA(アーデーペーアー、アラン・デュカス氏の本丸ともいえるレストラン)」の朝食は、
41ユーロ(5800円)~。高い!
そのお値打ちを再現するこのお菓子教室。

「プラザ・アテネのショコラティーヌを教えられるのは、日本でここだけ」とのこと。
これは価値ある~。






(拝借写真です)


教えてもらったのは、ル・コントワール・ド・ブノワの若武者パティシエ、
波多江篤氏(左は総料理長の上野宗士氏)です。




お菓子教室といってもレストラン内の厨房に侵入し、
パティシエの目前&直伝で作り方を習うのですから、非常に興味深い。

ショコラティーヌは、強力粉と全卵、牛乳、グラニュー糖、生イーストからなるブリオッシュ生地を重ねて焼き上げ、最後に
生クリーム、水、グラニュー糖、水あめ+チョコレート・ジャンドゥージャのクリームをおしりの部分から入れる。
シンプルな行程。
だからこそ、手抜きのない行程だったり、厳選素材だったりがキラリと光る。


ほら、このとおり。かわいいどんぐり帽子をかぶったコロンとした姿。




小さくてカワイイ!!

お味は、パン生地みたいなサックリとしたビスケットのなかから飛び出してくる、
ジャンドゥージャのクリームが最高。
しっかりと濃厚なんだけど、上品。
チョコはヘーゼルナッツの風味に近いのかな。
フランス菓子はシンプルだけど香り高い。これらを、光の中のダイニングまたはテラスでカフェオレとともに
いただけたら、と思うとなんとも
たまんない!

もう1品のガトーバスクも、やはり、クリームの勝利!!



アーモンドパウダー入りの固め生地に、バニラビーンズとレモンのカスタードクリームが美味でした。



このあと、ランチタイムでの大忙しの厨房を望みながら、お食事タイム。




この日のメニューは
小さな前菜

ポテブイヨンと色とりどりの野菜 トリュフ風味





スズキのポワレ ビーツと葉タマネギのソティー





苺とピスタチオのヴァシュラン。




紅茶、お菓子。

   
いつものレストラン内とは雰囲気も違って
お菓子好きな有閑マダムたちといただくのも新鮮。
毎月参加する女性グループもいたりして、人間観察をするものまた一興。

しかも、菓子教室のお土産付き!




焼き上がったばかりの「ショコラティーヌ」「ガトー・バスク」のほかに、



1月のお菓子で定番の「ガレット・デ・ロワ」が1ホール。



お愉しみは帰ってからも続くのであります。
そして。ラッキーな人にはもれなく、ケーキのなかから、青い馬のフェーブ1万円のお食事券(1名様)が入っているというプレゼント付き。

スイーツファンにはたまらないお年玉イベントでした。


成人式と、どんとの火。

2014-01-13 23:56:24 | どこかへ行きたい(日本)



私の街は郊外の新興住宅地なのだが、車で5分も走れば旧街道があり、
そこには村々の営みや古い習わしが
素朴に脈々と続いている。
小さな医院や歯科、神社や森、棚田、川のせせらぎ、竹藪などがある。

この町には折々の祭があり、人々が
歴史ある八幡さんの社を交代で守っているのである。神主さんは、有馬路から毎月出勤してくるのだそうだ。

「火」に清められるというのを知ったのは、この町の「どんと」からだったと思う。
私はそれからしばらくしてから、奈良のお水取りの素晴らしさを知った。


朝4時スタート。
そして約30分。
一年の穢れや罪もすべてを忘却してしまいそうになる、すごい熱の力だ。熱量だ。





火は上に、上にいく。
高く、激しく熱く燃え上がって、あの人やこの人の頬を温かくオレンジ色に照らしている。



村々のおじさんやおばさん、おばあさん、ちょっとヤンキー風のお兄ちゃんも、この時ばかりは火をじっと見つめて、
何かを心の中で反芻している。

白いエプロン姿のおばさんも、その隣のおばさんも頬を温かくして、火をみている。

懺悔か祈りか、それとも願い事か。

誰もが神妙に何かを思い、
何かを描き黙祷する。

しばらくしてから、火に清められた頬と頬を寄せて、会話し、笑いはじめる。おだやかに火をみつめるようになる。

小さな子どもたちやそのきょうだいたちも、焼き芋やお餅の焼けるのを待ちながら、火のそばで声を殺すようにして遊んでいる。
誰もキャッキャッ!といわないのは、この火の清浄さを知っているからか。
火が燃えていくと、神社の石段をあがってお詣りにいく人も。
私もそのなかに混じってもう1度、新年のお詣りにいく。



この町の「どんと」は1月の成人式に一番近い祝祭日の、4時から毎年執り行われている。

聞くところによれば、1週間前くらいから神事を執り行い、土地を清め、
その後、数日かけて柱をたて、竹やかれ柴などで5~6メートルの円錐形をつくり、
仕上げに化粧用の竹を並べてその上から縄を巻くという。




お正月飾りには、伊勢海老の身をくりぬいたものや、
串柿、みかん、炭、田作りをつけて仕上げるのだそうだ。
朝4時からの火は、正午になってもまだまだ燃え続けていた。


街の消防団が監視するなか、時折、
新興住宅地からの若い夫婦が正月飾りなどを、もってやってきた。

私が、どんとに行くようになったのは、10年前くらいからかしら。始めてみた時にはあまりに立派などんとのやぐらにビックリした。
この火をみてからは、正月飾りや床の間飾りをゴミ焼却に一緒に出すのがためらわれて、
毎年、寝坊しても途中から出向くようになった。
ある時には、仕事の原稿を燃やしたこともあるし、Nの成績や模試を書き初めと一緒に火にくべたこともある。

新興住宅街から、隣町に時々こうしてやってくる私はある意味、異邦人かしら。

お正月や地蔵盆、秋祭、受験祈願、散歩がてら。

時間軸を飛び越えて、新しい街から
旧街道へわたり、この八幡さんに会いに来ては、
再び、コンクリートの街(ニュータウン)にかえって、コンビニでアイスなどを買い、
また仕事をして夜になれば、食事の準備などをはじめる。
夜、社の提灯に再び火が灯る。
外はマイナス1℃だ。





























皆様、つつながく良い一年を!

2014-01-09 00:52:35 | ご機嫌な人たち





年があけて、はや10日になろうとしている。
早い、早すぎる。ビックリである。

新年には、主人の実家と私の実家を横断した。
山口と兵庫…、ふたつの郷里で無事「元旦」を過ごすことができて、
ホントに良かった。
片道7時間も車を走らせていると、旅の気分も味わうことができるし(道中にサービスエリアへ立ち寄り、お土産物を見たり食べたり)。
その土地ならではのお雑煮や正月風景に出会えた。

思い巡らせるのは、ふたりの「お母さん」(両家の父は天国)の顔を見て過ごせたお正月。
これは意義深かった。
娘のNはそれぞれの母から手料理を習えたし、お年玉もダブルで…!!
互いの親戚とも交われ、やっぱりお正月はそうでなくては。
普段は遠くに感じる郷里が近くなる。
なんともいえず、温かい気持ちになった、いいお正月であったと思う。

そして、今、思い出すのは、互いの母たちのことだ。

母たちは、会うたびに少し、また少し、と小さくなっていく。
どことなく、人としての輪郭のようなものが
ぼんやりしてきた(まるくなった)そう気付く。

微笑んでいる時間は増える一方なのに。
顔には皺が刻まれ、ほうれい線は深く彫られ、背中あたりが小さくなっていく。

主人の母は今年77歳だ(5人弟妹の長女)。
男勝りで、気丈。昔バレーボールの選手だったというだけあって、
正義感が強くて、俗にいう「いけず」体質。口は悪いが、人情に厚い人だと
私は解釈していた。

そんなお母さんは一昨年の春、肺がんの手術をしてからというもの、会うたびに元気が吸い取られていくようだ。

いろんなことが億劫になり、普段も横になる日が増えに増えていると聞く。
そうこうしているうちに、骨が脆くなって、今は骨密度が実年齢の半分しかないのだという。骨に穴があいてスカスカなのだ。
加えて、持病のぜんそくもあるらしい。

この家は小高い丘の中腹にあるのだが、
坂の下から家までの10分ほどの坂道を一緒にのぼりきった後で、ふと隣をみると
肩というよりも体全体で大きく息をしていらして、
それがいつまでも、いつまでも20分くらい苦しそうにしていらっしゃったので本当に驚いてしまった。あんなお母さん、始めてみた。
顔は笑っているのに、呼吸がどうしても平常に戻らないのだ。

「肝っ玉母さん」。という言葉がピッタリの人なのだが。
料亭に35年も勤め上げて調理師の免許まで習得し、いつもの正月なら朝6時から夜中の11時ごろまで働きまくっていられて(正月は稼ぎ時)。
だからお母さんとの語らいといったら、夜中の11時~深夜まで。
それでも朝にはケロッとした顔をして割烹着を手にもって出勤していらした姿が印象的だった。


いつも帰省したら、私たちの話しをあれこれ聞く前に、
料亭での仕事ぶりや一部始終を一晩でも語っていらっしゃったほど、話し好き。ビールを飲んではタバコをくゆらす姿も見たことがある。
人の行動をよく観察して、短く褒め、短く叱ってくださった。
そんな、強い強いお母さんが今年は、子どもみたいによく笑って、笑って。あとはボーとされていた。
ぽかーんとした顔で人の話を聞きながら空を見られていた。あんな表情、みたことがなかった。
人が話すのを代わる代わる見ていらした時もあった。

3日間しか一緒に過ごせなかったけれど、
どことはなしに頼りない行動、物忘れ、勘違いが何十回も。毎日繰り返された。

なのに、どうしてなんだろう。これまで以上にお母さんとの距離が近く思えたのは、
なぜなんだろうか。

おせちやお雑煮も一緒に作ったのだが、台所に立っている時はさすが、キビキビしていらして、手早くて、
味付けも一瞬にして決めてしまうので、そこにあらためてこちらは感激し、涙がこみ上げてきたほど。
本当にいろいろな所を訪問したり、来客があったり、
床に伏しているのが信じられないくらいよく動かれていたから、
私たちが帰った後でよほど疲れられたのだろうなと思う。



「今日は愉しかったですね~…。疲れたでしょうお母さん」
と声を掛けると。

「愉しかったね。また次も必ず行こうね、愉しかった。良かった」

と何度もいわれ、かいらしい表情で笑われた。
小さな子どもみたいに。
大きな仕事を成し遂げた時の安堵感にも似た表情をして。
「ふうー」と。「ほっー」と。何度も息を吐きながら、満足していらした。

別れ際に、思わずくしゃくしゃの手を握って、

「また帰ってきますね。お元気で、ホントにお元気でいてくださいね。
お父さんもういらっしゃらなくて。お母さんだけなんですからね」

と私の口から自然に言葉が出ると、
嬉しそうに手を握り替えしてくださって、
玄関から出て、坂道の途中まで来て私たちが見えなくなるまでずっーと見送ってくださった。あんなことも今回が始めてだ。
主人の郷里へ行って良かったなー、と心から思った。
なんだか、お正月が過ぎて家に帰り、仕事もすでにはじまっているというのに、お母さんの表情(姿)が頭から消えない。鮮烈に浮かぶ。



うちの母も、今年80歳になる。

「もう何も出来ないから、あなたが早く帰省して全部、家のことは全部やってね」といいながら、
さすがに几帳面で完璧主義のAB型の母である(この人も5人きょうだいの長女)。
あいかわらず気がよくまわって、あれこれ世話をやいてくれ、
家事も正月支度も、例年と変わりなく抜かりなく、しつらえていた母。
私のすることも、あとでそっと手直ししたりしていた。
だけど、それでも着実に年齢を経て、老いているのは事実。
目をそむけたくても、母は小さくなって変わっていこうとしているのだ。


ふたりの大切な母を、そして今年104歳のおばあちゃんを、
今年はいつも以上に、しっかりと守っていかなければならない年齢になったのだなーと、今回あらためて感じた。

いつもまにか守られる側から、守る側に、なったのだね。
年齢。
そういう私だって着実に老いにむかっているのだ。
仕事だってそう。家事だってそう。
明日はもっと頑張れる!もっと頑張ろう!と思っていたら、
それは私の大きな勘違いで。
先日まで出来たことが、同じ感覚で出来なくなっていることすらあるのだから。
あの時と同じ感覚、同じ調子で、
むしろ俊敏になんて、走れないのだ。


毎日ちゃんと手当して、体をいたわり、
鍛えていかなくては走り続けられない。
そんなことに、ふと気付かされることも…。


今年届いた友達の年賀状にこんな言葉があった。

「私ら不安定な年ごろだけど、自分で自分をフォローしていいんだよね。(中略)
つつがない良い一年を!」

そうだ。そうなんだよね。
自分で自分を、時々「フォロー」したり、「渇!!」をいれたりしながら、
つつがなく上をむいて生きていこう!(くよくよは出来るだけやめよう。)

大切な人たちを大事にして、決して自分から手を離さず、
ずっと守りながら、守られながら…。
今年もよい一年を経て生きていこう!!

「2014年が、何度でも繰り返したくなる素晴らしい年でありますように」
これも友達の年賀状から。

皆様も、つつながく良い一年を。





一陽来復。 明けましておめでとうございます。

2014-01-01 16:35:50 | 春夏秋冬の風

2014年、明けましておめでとうございます。

ただいま車中、1月1日。夕方の4時。
播但自動車道~山陽自動車道をひた走る最中であります。
そして、天空の城 竹田城が見えました~。ヤッター!
清々しいなぁー。初日の出は素晴らしかったことでしょうー。
地元では膨れあがる観光客に、うれしい悲鳴なのか、哀しい悲鳴なのか。


実家から実家へ。山陰の陰鬱とした日本海からあと4時間で、日本一温暖な気候を備えた山口へ‼‼
31日から3日まで実家横断です。



こちらは今年の年賀状であります。
29日の深夜2時からかかり、
速攻でコピーと写真を。一夜漬け作成。


それを、いつもお世話になっているデザイナーさんが、ちょちょいと1時間で組んでくれました。
ありがとう。 ありがとう。


皆様にとって、ステキで
愉しい一年になりますように。
今年もよろしくお願い申し上げます。

「アンデルの日々手帖」も、あわせてよろしくお願いします!!!