月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

新春を寿ぐごあいさつ 2021年

2021-01-04 00:24:00 | 春夏秋冬の風

 



 


 

謹んで新春のお慶びを申し上げます。皆様方のご多幸と安寧を心よりお祈りいたします。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

19日から21日まで雑務で東京参上しましてから31日の午前零時まで、ある締め切りの仕事をしておりました。

23日(水曜日)には、シャンソン歌手と編プロの取締役のKさんと京都・出町柳のカンティーナロッシのイタリアンや、おうちクリスマス、28日(月曜日)には三宮の京鼎樓で、小籠包、台湾ビール!といった、お楽しみもありましたけれど。

 

昨年は、コロナ禍ということもあり少し焦り気味に石にかじりつくように仕事に翻弄されていたのかもしれません。一心もよいですが、それだと気付かないこと、いろいろあるんです。

そういう意味で、ことし2021年は自分の立ち位置を確認しながら、遠くから近くからと場所と角度をかえて眺めつつ、様々なことに取り組んでまいりたいなといまは思っています。

戒めとしては、じぶん事ばかりでなく、「いまの時代に必要」だと思うことを届けたい、そのためには論理的にキチンと視て、行動していくことが必要なのだと思います。

 

ネットのデジタル文字で文章を読むようになってから早読み、早書きも増えました。後で反省するところの多いこと。知らずしらずのうちに読み飛ばし、書き飛ばしをしている。これはとてもよくないことです。だから、いまの気持ちや伝えたいことをこの言葉(表現)で本当によいのか、と慎重に修正しながら選ぶ眼、先を急ぐのではなくじっくりと「待つ眼」も、純粋にもっていきたい。ま、いいわ、と間に合わせの言葉を少しでもなくしていきたいです。

 

 

さて。

お正月は普段より、お祀りする神棚の榊を2倍にします。

床の軸も新春らしい改まったものに着替えて、オレンジの千両、菊、松などを花瓶にいけました。

 

縁起ものばかりをつめた恒例のお節料理も、手作りしてしめやかに。今年の掃除は、ごしごしと水まわりを磨きまくりました。

磨きながら、これ大事だ、と。仕事場の掃除をするついでに、机の位置を少しだけ変えてみました。南と西のコーナーそば(南と西側に窓あり)に。そうすることでグッと空に近づいた気がします。午前中には山の尾根や谷間をみながら、夜にはバーのとまり木のように、山裾にハイウエイを行き帰りする車やトラックのオレンジ色のヘッドライトを、黒海の空に感じながら、こうして書けるようにしつらいました。

 

1日にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサート、2日は最新の8K映像技術を駆使して映像化した谷崎潤一郎が愛したNHKの「陰翳礼賛」などを見ていると、だんだんとお正月っぽいムードに。

あとはステイホームとばかりに一日のほとんどを台所とダイニングで過ごしています。

 

本年もマメに更新できるのかわかりませんが、ことしも何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

あ、季節がかわった

2020-03-04 00:40:00 | 春夏秋冬の風


3月3日(火)

 深夜1時頃。お風呂に原稿をもって入り推敲するつもりがあまりの気持ちよさに、体を投げ出して手足をのばし、鼻から吸い込む湯気の感触をたのしんでいた。このところ、1月後半から仕事がある一定量つまっていて、こんなにくつろいだ気持ちは久しぶりだった。


 はぁーーと息を吐いたあとで、赤ボールペンを右手でにぎるとこんなことを書いた。
 「わたしの幸せとは」。最近よく反芻する。幸せってなんだろう。自分はどうしたら、心から幸せを感じるのだろう? 
 と自分の胸に手をあてて考察しようとするところがある。それから、原稿の推敲を止めて、「ある幸せな一日」というタイトルを書き出し、
 つらつらと原稿の裏に、箇条書きに書いてみた。


 おそらく、わかりきっていることを書き出す。朝7時、からはじり、深夜1時まで私の幸せな一日を書ききった。
 あれ? これって……。わたしが普段過ごしている日常となんて似ているのだろう。ある1点、2点は違うものの、そこをのぞけばちゃんとやれている時の自分だといってもいい。なんだ、こんなことだったのか。

 
 それなら、そう心配する必要もないのか。とたんに安堵した。同時に、自分の身の丈とやらが、えらく現実的で。こぢんまりしたところに纏まってしまっていることにも失望する。ちいっちぇな、というところだ。



 3月がはじまった。あ、季節がかわった。起きた瞬間、カーテン越しにこぼれる光の強さと明度をみて、思う。
 風も違う。寒々しさが、違う。夕方の空の色や木々の間をぬう靄の広がり方が、2月とは確実に違う。


 それでとても大好きな小倉遊亀さんの1・2月のカレンダーを勢いよくべりっとめくった。






 たのしかったな1・2月。少し後ろ髪ひかれて哀しかったけれど、3月、4月の暦の花もとてもよくて、いっぺんに新しい月が好きになる。

 
 すぎさっていくカレンダーは、忘れていく時間だ。限りないほどの日々への「ありがとう」。誰かがいっていた、時間をどう過ごすか=いのちの刻み方だと。1月中旬あたりから、日々の仕事が忙しくなって、日記もまともにかけていない。が大丈夫。人はいつからでも、やり直すことができる。自分が思うほどやれていなくても、大丈夫。いまから、また始めればいい。諦めなければ、必ずやれる。自分が知っている、それを。だから大丈夫なのだ。



謹賀新年(大晦日の夜から年始1月4日までのまとめ)

2019-01-09 00:16:27 | 春夏秋冬の風








あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。




★年末年始のまとめ

大晦日の夜から、2019年1月1日(火曜日)晴


年末にベトナムのハノイ、ダナン、ホイアンに1週間ほど旅行したので、通例なら年末年始は特別な案件しかお引き受けしないが、
今年は3日・4日に提出をいれた。

日中は家の用事をして、夜12時近くなってようやく、仕事にかかる。

年賀状をつくりながら、お正月の買物をして、大晦日の日は紅白歌合戦をつけながら、リビングや、仕事部屋を中心に掃除する。

パパが先回りして、水まわりや寝室、お風呂場ほか手間なところをスピーディに手伝ってくれた、寡黙に。文句一ついわずに。


10時半になったので蕎麦を作り始める。

(紅白歌合戦は、椎名林檎と宮本浩次「獣ゆく細道」、ユーミンの「ひこうき雲」、「やさしさに包まれたなら」。桑田佳祐さんとユーミンがからむシーンで蕎麦をつくる手もやすめ、しばし画面に釘付け)

海老と揚げ入りの蕎麦を食べ、
今年も残り10分というところで、近所の氏神様へ除夜の鐘をつきにいく。






参拝のあと、新春を祝う灯をみながら一人暮らしの母にお年賀の電話をかける。

帰宅して、仕事。4時前にお風呂に入り本(カズオ・イシグロ氏の「日の名残り」)を読む。

空気が寒くて文が脳の深部に吸収されない。
言葉が上滑りするようだ。
布団に入っても今年はどんな風に過ごそうかと考えるにつけ、なかなか眠れない。朝方に就寝。


2019年の初朝。新春を寿ぐ1年がはじまった。
昨晩きれいにした神棚に、米と水、塩。そして白味噌の雑煮。
私たちも白味噌のお雑煮、お屠蘇(昨年のいただきもの「獺祭」)をいただいた。

午後から母の家へ行く予定が、お腹の調子が悪くて寝正月だという。
辛いところは見られたくないから、もう少し回復してから皆と会いたいと切々と訴えられる。
しんどい時こそ行くよと押し問答を続けた果てに負けて4日から帰省することに。

お正月・2日と西宮の家にいるのはおそらく初めてではないだろうか。
もしかしたら作るかも、と年のために買いおきしていた材料で、おせちとつくることにした。
まずは「お煮しめ」。

煮物をしながら、年賀状のデザイン差し替えをして、仕事のテープおこし。
「田づくり」、「昆布巻き」、「かまぼこ」など。(もう少し材料がほしい)

パパは一日中、テレビをみている。それらを私もチラリチラリとみながら、料理をこしらえて、ちょこちょこ原稿。
ごはんづくりをしながら、こうして仕事ができる幸せを噛みしめる。
いいものだ。これでよし。
通年なら、夫婦の実家を往復で、車の中で過ごす時間が大半の正月なので、なおさらこんな平和な正月をありがたいと思う。

夜は日本酒「獺祭」(頂き物)を飲みながら、自分でつくったおせちに舌鼓。
家の和食がうまいのは、たぶんお出汁の摂り方(カツオと昆布だし)が昔流なのと、よい調味料を使うことなんだと自分で納得しながら。
3時半まで仕事。それからお風呂に入って就寝。



1月2日(水曜日)晴

昨晩は、少し遅くまで仕事していたので、朝はすごく遅くおきてしまい、友人に「おそよう」などといわれてしまう。

今朝も雑煮は白味噌、具は海老芋と金時人参、大根で。
今日は娘が帰省するというので、パパは空港にお迎えにいく。

数日ぶりにわが家のリビングに、テレビの音が聞こえない。
窓を開け放つ。あぁなんて清々しい。開放感が漲ってきて、気持ちのよい気で満たされる。
カラヤンのアダージョ(クラシック)をかけながらおせち料理の続きにかかる。
昨日から漬けておいた「黒豆煮」、「紅白なます」、「たたきごぼう」、「鴨の黒こしょう煮」、など。

外は快晴。陽がリビングの奥まで長く明るく注いでおり、ミナミ向きの家はだから素晴らしいと冬の太陽を独り占めしたよう。
そして。カラヤンはいい 。そう思いながら家でひとり赤々した金時人参の千切り、(台所のボールの中が真紅になり)大根の千切りを約半本。同じように水に放つと今度は純白の美しさ。ボールの中が紅白に。
まめまめしく「黒豆」はアクをすくいながら砂糖をたし、しょうゆを少々。6時半ほど、コトコト弱火で。
「たたきごぼう」は、確か「地中にまっすぐと根をおろす」という意味だ。などと思い、
おせちを整えていたら、すごく愉快な気持ちになって。

「縁起ものって、食べ手より作り手の新しい心意気を紡ぐものじゃないか」と思ったり。
陽の光が黄色い帯を長くのばして、台所まで届きそうである。

娘が帰宅したら、丹波ことりさんの武夷岩茶とミックスナッツで、ひとやすみ。あれこれと娘の仕事の話しを聞く。

夜はこしらえた昨日より豪華晩のおせち料理と娘用のお雑煮ともに、最初「獺祭」。
おせちが進んだとこらで第2部「あなごの巻き寿司」。

ここでスペイン産の赤ワインを開けた。年末のお楽しみ袋からの1本だ。年末にみつけた運試しの特設売り場で買い求めたもので、堂々2等が当たったのだ。
おいしいものを食べ、おいしいワイン(日本酒)、そして好きな人たちに囲まれている。
究極の贅沢だなぁなどと思いながら最後までひとりワインを飲んでいたのは私である。


夜は娘と一緒に2時間もお風呂に入り、2時半頃に就寝。



1月3日(木曜日)晴

朝はすましの雑煮。(具は人参と大根)
昨日のおせちの残りを皿に盛り付け直す。

午後からは、初詣。
西宮の「越木岩神社」と「西宮神社」(えべっさんの総本社)。



越木岩神社はご本殿と、甑岩が鎮座。
ここはパワースポットらしく、甑岩(こしきいわ)という巨大な岩のご神体を、ぐるりと一周するとご利益があるとか。
御祭神は一寸島比売命。女性守護、安産、子授けの神様で音楽や芸能の才能をのばし、知恵の神や縁結び七福神の一として御神徳の高い神様として信仰を集めていらっしゃるそうだ。



「西宮神社」では今年一年のえびす顔と商売繁盛を願い、5円玉の金色のお守りを買った。















初詣のあとは三宮の「良友酒家」で広東料理の夕食。
今度で来訪3度目だ。
空心菜の炒め物、エビチリ、牡蠣の汁そば、チャーハン、レタス包み、杏仁豆腐
など。お腹が空いていたので皆モノもいわず次から次へとバクバク食べる。
















「空腹の時に、料理を食べ続ける姿ってその人の野生が出るね。そんな時も理性でジョークをいえる人っているのな」
「よく食べる人って性欲も強いそうよ」
「なんの話しだい。それはよけいだよ」などの変なことを喋りながらの、会食はひたすら楽しい。

くる客、帰る客のご挨拶を聞いているだけでも、ほっこりとして。うれしくなる。



帰宅して、アンリシャルンパンティエのケーキ、コーヒーで一服。

この日も娘のNと風呂に一緒に入る。裸の付き合いは本音がでるのだ。

彼女はあがった後で、りんご飴をきれいに10等分ほどして、家族に配っている。
りんごの飴状のところとシャリシャリの果肉を一口大にカットしていて、ポンと口の中にいれると懐かしい昭和のデザートといった風。
彼女の小さい頃からの好物だ。Nはケーキのあとでりんご飴も全部平らげていた。

仕事部屋に入りそうになると、名前を呼ばれて「ストップ!」がかかるので、正月はほとんど仕事はしていない。
まぁ、呼ばれるうちが「花」。「今」この時を笑って過ごそう。

この日は1時間だけ仕事をして、4時前に就寝。


1月4日(金)すごく晴

朝6時、昨日の神戸桔梗屋さんのベビーカステラとコーヒーで朝食。



パパはNを駅まで送った後、二度寝すると寝室にひきあげた。

元旦におせちを作りながら仕事をしたくらいで、まとまった時間がとれなかったたので正午まで仕事をする。
テレビの音はないし、光は燦々と照りつけてくれるし、思いのほかはかどる。
年始の提出用の案件も無事に完成した。

午後からは実家にむかって車を走らせる。
途中の和田山や朝来のあたりで、山の頂が雪化粧されていた。空気はキーンとして寒そう。
日本海側の冬はいつもこうして、薄薄くもっている。その分だけ空気は透明だ。

母はおもったほどでもなく、お腹の具合も回復していた。
昨年、大雪の時。隣の家の庇から雪がどどっと滑り落ちてきて、母の家の大阪ガスが止まったとことがあったとか。

年末年始、豊岡界隈は大雪の情報により心配で夜も眠れず、昨年に引き続き、隣の家にそのことを相談に行かねばならないが、「お宅の家の雪が落ちてガスが止まると困るんです」などというと、隣家で気を悪くされないか心配でたまらず、それを考えたら睡眠がとれなくて、胃腸を壊したということだ。

母は気丈で芯は強い女だが、心配事があるとたちまち、自身の体を蝕むほどに気を病む癖がある。それはよくない。
せっかく帰省したのだから、できるだけ明るく努め、楽天的に物事を考えるように話しの行く先をもっていく。
良い言葉を使って会話し、明るさをお裾分けできるように。
(沢山、沢山しゃべったせいで、途中で顔がほてってきたほど)。

夜は、母のお煮しめをメーンに、私がこしらえたおせち料理(サブ)で。
ぶりの刺身など。1缶だけキリン一番しぼりを飲む。
懐かしい顔とごちそう、そしておいしいお酒。

家での仕事は済ませたし、2時間半のドライブ、そうして囲む食卓。今日もお正月らしい、いい一日だった。

母と娘の間にいる自分という存在が、両者の舵をとり、強く、やさしくあらねば。
そんな覚悟のような自覚が漲ってきた。
「いかされている自分」を、ふと思う。

いつのまに日本は、こんな風に核家族化してしまったのだろう。社会のしくみ、組織がこう導いた結果、家族がバラバラの日常。誰もが寂しいという気持ちを胸の奥に秘めて生きている。
大勢で暮らすことは、めんどくさいこともある。けれど、その分、学びも大いに笑い合うことも、多い。

私は孤独も愛するが、家族がいて今の自分がある、ということも骨身に沁みて分かっている。
自立なんて、一生しないと時々、娘はいうが、無理に「自立」などしなくても、人は社会の波にもまれて、必ずや成長していくのだ。

だから、側にいる家族は、その人になにがあって。いつどんな時も応援者でいたい。
うちの人達は最高だと思っていきたい。

今年もちゃんと周囲の人を愛して、感謝し、笑って生きていけますように。




大学を卒業してから、書く仕事を今日まで続けてきた。細く、長く、約30年。おかげで仕事は切れ目なくある、状況は確保し、それだけでも自分にしては上々だが。「何を書くか」が、今年のテーマだ。仕事なのだから無論自分のためではなく、人に役立つことが当たり前。どう書くかは、その次で。

まずは、お年賀でのご挨拶です。
本年もよろしくお願いいたします。




フルーツ三昧の朝に

2018-09-10 11:57:43 | 春夏秋冬の風

9月9日(日)大雨

9月。近畿地方に大型の台風21号が過ぎ、翌日は北海道に震度7の大地震がきて、日本はもはや大仏殿でも建立する域にきているという人もいる。将来安泰という言葉も絵空事。思うようにならないことが、もはや当たり前のようになってきた。

それでも、朝になれば新しい一日がはじまって、新しい仕事もやってきて、目先の仕事にやはり追われて暮らしているのである。
(来週は、印刷入稿2本と週末に入った原稿が2本、パンフのコピー再考)

そんな最近の愉しみといえば、初秋の果物だ。

9月になってから、果物がおいしくて、毎日切らさずに旬の果物を食べている。
兵庫 川西産の朝もぎたていちじくの美味なること。木々から吸い上げた栄養分が成熟したねっとりとした果実の甘みとバランスのよい酸味。
1個たべると、ああ、いいものをいただいたという気持ち。いちぢくは野生あふれる果実だと思う。

そして。岡山や広島産の種々ぶどう。
プルーンも、おいしい。
この9月の走りの梨(豊水)もおいしい。今年の夏は暑かったので、とても糖度が高く、みずみずしい。






今朝、原稿を始める前に思い切り前髪を、洗面所でカットしてみた。
前方よし。あぁ、スッキリ。前髪の陰影が目前にかかっていると、いつも思考がもやもやとして落ち着かないけれど、これですっきり!


今朝も朝から雨降り、時々は止むがまた降りつづく。
普段は朝か夜しか鳴かない秋の虫が、昼1時すぎているのに盛大に鳴いている。


ランチは、ベランダでつくっているパジルに花が咲き始めたので、たっぷりめに摘んでジュノベーゼのパスタを。
夜は、豪快にジンギスカンをつくる。あとは一日中、仕事をして過ごす。


台風21号のちょっとしたメモ (2018年9月4日)

2018-09-05 00:06:06 | 春夏秋冬の風


今日は博多の取材の予定が中止となり、明日に延期となった。

なので、こうやって自宅で原稿を仕上げる予定にして家でパソコンを前にしているのだけど、台風の脅威にちっとも進まず、窓の外に目がとられたままなのだった。
そこで、原稿のページの下に台風21号の状況をちょこちょこっと綴る。






(12時半)
家中のサッシを二重ロックしていても、海で聴く嵐のような風音。

ヒューヒュー!(時折に吹き荒れるフゥーーー!)ゴーゴー!という爆風の音がやむことなく続いている。

山々の緑を背景に、霧のように軽い雨が、早い風にのって横に走りすぎる。雨霧の縞が横へ横へと、細く流れている。

マンションに隣接している高い樹木(300メートルくらい)も根からもげそう。このまま勢い余って飛んでくるのではないかと思うほど。






(13時32分)
風がさらに厳しく吹く。

強い雨が、強風によってまきあげられる。
窓の外の瓦屋根の上を、雨が滑るようにして東から西へたたきつけられて、西へはねて去る。目前の山はみえない。

暴風の中を雨が滑る映像だけが目前を覆っている。

仕事に集中しようとするが、どうしても目が台風にとられてしまう。
明日は作業できないのだし、と思い直して、資料に目を落とすも、それでも台風が気になる。
リビングの掃き出しになった窓に近づいては、ソファーに座りなおして、また窓に近づく。



(13時50分)
風雨がさらに激しくなり、風を伴う雨で目前が見えない吹き荒れた状況。

風の音は、ザーー!ザーと海の波が打ち寄よせる岩壁の上にいるようだ。これまでに経験したことのない暴風の中に孤立する家々。
(おそらく、今、台風21号が真上です)

(14時10分)
最大瞬間風速は45メートル。
家のトタン屋根が風にとばされてめくら上がる映像がネットで配信されている。
トラックは風にあおられて何台も横転の映像がテレビ画面に映っている。



(14時30分)
台風の目に入ったのだろうと思う。空は曇ったままだ、小雨になってきた。空は少し明るくなり時々、風が強く吹く程度に。

(16時)
峠は過ぎた。激しい雨の日という感じ、時々風が横から強く吹き上げる。途中、しとしと降ったり、強く大量に降ったり。


(17時)
穏やかで、ひんやりとした秋の空気がもどってきた。視界は明るく、雲が南から北へ流れていくのが見える。
雨もあがった。


(20時)
今日は台風の件で何度か友人とメールのやりとりをする。
明日予定の出張は、あさってにさらに延期となった。明日も近郊の電車は終日見合わせとのこと。


(23時30分)
コオロギの声が心なしか小さいが、澄んでいる。
風はない。美しい秋の晩。外は静かだ。
電気も水道、ガスも止まらない幸せ。
今日は1人の夜。夕ご飯は、しらすとブロッコリー、ニンニク、鷹の爪でパスタですます。
1時半に就寝。



      (兵庫南部、山手の住居)





8月31日(金) ノスタルジーにくれる夏の終わりに

2018-08-31 23:55:57 | 春夏秋冬の風


8月31日(金曜日)

毎年のように、8月の最終週はノスタルジーでいっぱいになる。

夕方にザーッと強く降った細い雨も、その後のコオロギとスズムシの鳴き声が冴え渡っていたのも、ひんやりとした湿気の中の夜の散歩も。

どこか昨日とは違って特別に思えるのは、今日が8月31日だから。

こうしてノスタルジーにかられるのは、きまって夏の終わり、というのは一体どうしてなのだろうか。

遠い昔の海水浴で。夕方近くになった頃、私の唇は紫色で、人もまばらになる頃。
ついに見かねた父が
「さあ、上がろう、行くぞ!」と強い口調で諭すも
もう少し、もう少しと、ぐんぐんと沖のほうをめがけて平泳ぎして
往生際の悪かった自分を思い出す。








夏。あちこちへ出掛けもしたけれど、今思い出すのは
三ノ宮へ、大阪の大国町へ、本町へ、奈良、京都へとふーふー汗をかきながら取材のために出て行って、ひたすら原稿を書いていた日々がいっそう脳裏に浮かぶ。


中でも、奈良でしか収穫できない高級ブランドいちご「古都華」を育てる生産者さんを訪ねた時には、ひときわ暑い日にもかかわらず、ビニールハウスの中で1時間も話しを聞いたら、もう頭の中も沸騰しそうで、情熱的に仕事をこなせた。

その後、カメラマンさんにお送りいただいて奈良町へ私を落として頂いた。
入道雲がもこもこと沸き立ち、たーっと汗が足を伝って落ちる。
喉が渇いて仕方なかったけれど、とびきりの涼味を、とひたすら我慢するも、奈良人に教えてもらった店はふたつとも閉店(その日は火曜日)。





結局、中谷本舗のゐざきの柿の葉寿司をおみやげに買って(茶店で4つほどいただく)
氷室神社側で大和茶金時のかき氷を食べ、再び、奈良町を歩き回った日は、降って湧いたような夏休み気分で。
一人っきりだったけど、心愉快だった。

夏の始まりっていつだったんだろう。
桜の季節が終わりをつげて太陽がワントーンキラキラ輝きはじめた頃(4月の終わり)。
あの頃からもう夏にむかって、前のめりにぐんぐんと漕ぎ出していくのではないだろうか。
そんな季節も、今日(8月31日で)ピリオドを打つ。

明日から、秋を素通りして、師走の冬にむかってぐんぐんと私たちは漕ぎ出していくのだ。たおやかな季節の折々を引きつれて。

明日も今日の続きの日である幸せよ。
「夏よ行くな。秋よ、まだ来るな」






大阪城公園の梅を愛でにいきました。

2018-02-28 02:28:16 | 春夏秋冬の風




一日ごとに春めいてくるのが実感できるようになってきました。

今日の夜で、とりあえず今かかれる仕事は全てやりきってしまった。
追われていないという状況は実に久しぶりなのでありました。
土曜日には、学生時代の友人が予約してくれたイチゴビッフェへ行き、

大阪城公園へ梅を愛でに。



梅というと、日本画家・小倉遊亀さんが晩年に描かれた幾枚かの梅の絵が頭に思い浮かんでしまうのですが、2月の土曜日終わりの梅苑はシンと冷えた空気の中で梅園を鑑賞できるとっておきの時なのであります。
こちらの梅苑の素晴らしさは、100品種1270本を超える様々な種類の梅が楽しめること。
低木が多いのも都合がよいのであります。

鶯宿、鹿児島紅、緑萼、冬至、南高…
紅千鳥、おもいのまま…






















紅梅は白梅に寄り添いてますます赤く
白梅は紅梅に寄り添いてますます白く

ささやかな蜜の匂いをあたりへ漂わせ、凜とした姿やふわりとした姿、
そして、開花した花の近くに丸く固く閉じた愛らしいつぼみも姿にも。

梅の素晴らしさは、風に乗って運ばれてくる蜜の香りもそうなのですが、
細く黒々とした枝や木々が、極寒のなかで身をよじりながら上へ上へと
延びていくさまに一番に心ひかれます。
3分咲き、5分咲きの梅苑でしたが、すでに開花している品種もあり、
植物たちに希望をもらったようなひとときでした。









2018年 年末年始の雑記より

2018-01-10 00:30:44 | 春夏秋冬の風




2018年は例年よりも穏やかに始まった。

夫婦ふたりで過ごす数十年ぶりの年明けだ。
大晦日の朝はNを空港まで送り届けるため伊丹空港へ。
ANAの出発ロビーに近いスターバックスコーヒーで別れを惜しみ、
家族そろって無言でラテを飲んだ。

そのまま無言で車に乗り込み、近隣の大型スーパーで年末の買い物をすることに。

おせちの材料やしめ縄。ふぐや、縁起のぶり、カニ、ローストビーフ、すきやき用牛肉など、おいしそうな品々が沢山出ていて、
店の人のかけ声もいつもより気合いが入り、とても景気がいい。
それで、さっきのしめやかな気持ちから解き放たれ、気持ちはすっかり高揚し、
正月気分に浸る。
元旦には私の実家へ行くのだし、それほど買い物は必要ないのに、
それでも、おせちの材料や野菜もの、今晩の夕食の買い物で籠は、そこそこ重い。


帰宅したら大掃除をしながら、おせちの煮炊きをする。
この時間が毎年、とても楽しい。わくわくする。
大晦日はとても忙しいのだけど、2017年という年が終わってしまうのが惜しくて、とても丁寧に一日を過ごしたくなるようだ。
(ありがとう。)と心の中で唱えながら、今日という一日を過ごす。


私がいそいそと家具に雑巾をかけたり、片付けものをしているので
パパも最初はテレビをみていたが、娘の部屋を気合いをいれて掃除しはじめ、
家の建具やガラスや、照明器具などを全部ふいて、水まわりを汗をかきながら掃除してくれていた。

暮れの夜は「ぶりしゃぶ」にした。
夜は紅白歌合戦を観戦し、
福井の生そばを買ったので葱たっぷりのにしんそばをつくる。
昆布を長く浸けていたのがよかったのか、鰹を入れるタイミングがよかったのか自分好みのだしの味に大満足。


私の大晦日の楽しみ「ゆく年来る年」の時間だ。
この番組は日本列島の年越しの情景を社寺から生中継してくれるのだし、
日本の各地からの除夜の鐘を聞くことができるので、
すごく厳かな気持ちで新年のカウントダウンを迎えられる良き番組だと思う。


今年も近くの氏神様へ初詣し、除夜の鐘をつきにいった。
そこで頂いたお餅で明日は、お雑煮をこしらえるのだ。
隣の神社にもお参りし、御神酒と柿の種をいただいた。
今年もお世話になり、良い一年をありがとうございました。
来る年も、明るく、希望にみちた素敵な一年になりますように。





2018年。
あけましておめでとうございます。

新年は清々しく、お天気のいい一日だった。
朝のお雑煮の味(白味噌)が、昨日に続いて
バシッと決まったので今日も気分がいい。
年賀状に目を通し、元旦に書こうと思っていた記事を1本書き上げて、
私の実家に出発する。

2日には、85歳の母を連れて城崎温泉へ行った。
「御所の湯」の隣にある四所神社へ参拝し、

「をり鶴」でカニ握りをいただいて、温泉(御所の湯)へ浸かる。










城崎は雪のちらつく寒い日で、温泉につかるとなおさらに家族そろって
新年を迎えられる喜びをしみじみと味わった。



洗い場そばの打たせ湯で、小さい女の子とお姉ちゃんらしき姉妹が
熱い湯をひしゃくでくみ上げては、打たせ湯の背もたれにジャージャーと流して遊んで居る様子がとても可愛らしくて、
私も背中だけ打たせ湯に打たれながら、一生懸命遊んでいる様子にしばらくみとれていた。

寒くなったので外の露天風呂へ。
お湯はさらっとして透明、すごく熱い。44度はあると予想。
目前にはゴツゴツとした赤茶の岩肌と山の木々が見渡せ、
上からは豊富な湯量の滝が流れおちていく。
健やかな新年の冷たい空気が山の木々から発散されて、それらを裸のからだで受け止めるのが気持ちいい。


湯から上がると母とともに、「御所の湯」の前のスイーツ処へ
ソフトクリームを食べにいった。母はわらび餅を食べた。
ガラス窓のむこうには、積もることのない軽い雪がふわりふわりと降っていた。






あけましておめでとうございます。

2017-01-17 03:05:38 | 春夏秋冬の風



2017年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。




新しい年がいよいよ始まった。
すでに15日が経過。そしてセンター試験は例年と変わらず雪だ。
最近、変わらないこと(普段どおり)の素晴らしさを、思う。

こうして、机に座って原稿に向かっていられることの幸せ、
やはりここが一番落ち着く。
今の自分のあるべき居場所だと、その自然さ、居心地の快適さに感謝する。


年末は例年になく、クリスマス前に仕事納めをし、プライベートタイムを存分に愉しもうと張り切っていたら、23日には体調を悪くして半日寝込んだ。

エス・コヤマ(三田)にクリスマス用のシュトーレンを購入してすぐ、頭痛と悪寒と吐き気。結局、クリスマスディナーは24日に。

娘のNは彼氏とディナーの約束をしていたので、
パパと私だけの静かで、しめやかなクリスマスとなってしまった。

昨年の話しをここで蒸し返すのは恐縮だが、普段と少し違うのはクリスマスに「シュトーレン」を3種類も食べ比べられたのは愉しかった。心がはずんだ。
1つはリッツカールトン・大阪で友人がお持たせに選んでくれたイチジクやナッツの沢山入ったもの。
それから、エス・コヤマのショコラシュトーレン。
そして、本場ドイツからのお土産だ。(ドイツ・クリスマスマーケットに旅行した友人がお裾分けに贈ってくれた本場のシュトーレン)。
どれも美味しかったがやはり本場ドイツに軍配を。
レーズンやドライフルーツの入り方が半端なく、しっとりと焼き上がっていて、上にふりかけてあったお砂糖の味もピカイチ、それは素晴らしい味だった。



クリスマスの料理は、「森瑤子の料理手帖」を引っ張りだしてきて、
キチンのロースト(1羽)の中には、タマネギやチキンレバー、スパイシーなソーセージ、セージ、パン粉、塩、コショウ、バターなどの詰め物をして、
250度のオーブンで45分焼いたら、昨年以上に肉汁がジューシーで、食べ応えのあるチキン料理に。
(付け合わせのジャガイモや人参なども一緒にオーブンにいれて焼く)。




サイドメニューはエスカルゴのジュノベーゼソース、生春巻きなどのほかは、
これまた森瑤子さんのクリスマスメニューの付け合わせなどを参考にした。
これらの料理をこしらえながら、添えられている彼女のコラムを読む。
彼女(森瑤子)がどれほど食事をする、その1食1食にこだわり愛情と情熱を込めて作っていたかを再認識して胸が一杯になりながら…、
その日はキッチンに立った。



また年末には東寺の「終い弘法」に行ったので、そこで正月材料を少し購入し、






今年85才になる母の家におせちを持参。盛りつけだけ母の家でする。
その流れで、元旦から3日まで母の家で(家族揃って)。

それから、私の家へ母を招待し、3連休の最終日9日まで本当に沢山のお料理を毎日せっせとこしらえた。

海老と玉子の中華風、たらちり、八宝菜、ニンニクと山椒のスパゲティ、
中華粥、肉じゃが、水炊き、ホワイトシチュー、
手羽と大根の煮付け、豚汁…。
どれも手間いらずだが、温かい家庭料理を振る舞った。

今は、そのお正月疲れからか一週間前から湿疹が手足に出て、
今日は皮膚科へ。「安静にして休息してください」などと言われてしまった。
こうやって、やれることを精一杯に頑張って、休息して、1年が過ぎていくのだ。

数年前に比べて無理をするとダイレクトに体に響く年齢になったわけだが、
私のからだと心を大事に守っていきながら、
一日の中に面白きコトを見出して、毎日フレッシュな自分で生きてみたいと思う。
そして本当に信じられる社会や人の役に立つ仕事を成し遂げようと思う。それが役割だから。
自分に与えられた役割に、ちゃんと、ありがとうを言える良い仕事にしていこう。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。








太陽へ一途な思いを示す、可愛いひまわり。

2016-08-13 02:42:55 | 春夏秋冬の風



娘のNの就活が全日空のCAに内定が出て、勤務地は羽田空港とのこと。

こうやって何げない日常を笑って過ごせるのも数日と思うと、
ともかく何か思い出に残ることをしたくて、この日も1本押している仕事があったけれど、家族で淡路島へ出掛けた。

8月11日は山の日。Nは昨年からずっとヒマワリ畑へ行きたい!と念願していたので、淡路島の「あわじ花さじき」へ。

正直それほど期待はしていなかった。

だからこそ衝撃は大きかった。





ヒマワリはただ一途に、太陽の方に向かって黄色い花弁を広げて、

くるくるくるくると素直に咲いていた。

その素直さにグッとくるものがあった。

太陽に負けない元気さ!可愛い花だ。



昔、私が小さい頃に見たヒマワリは、もっと花弁が大きくて、沢山の種がとれて、

スケールがでかい花。派手すぎる花の印象があった。

けれど今日みたこの花はただただ可憐で、無垢な黄色いヒマワリなのだった。



帰りには近くの多賀の浦の海水浴場で、気持ちよく遊泳も。

こちらも小さな島の映画のロケ地みたいに、鄙びたレトロチックな浜辺だった。




夏に海水浴はどうやらとても理にかなっているらしい。

大らかな海と塩、そして太陽で。
半年分の、穢れ(疲れ)を浄化するんだとか。



帰りは、しらす丼を食べて淡路大橋のみえる温泉へ浸かって帰路につく。




何を話したわけでも、盛り上がったわけでもないけれど、
温もりがすぐ手の届くところに存在する、そんなごく普通すぎるアットホーム感が宝ものに思えた休日なのだった。
最近ではちょっと忘れたくないくらいの8月の思い出。




今年も、よろしくお願いします

2016-01-15 01:01:29 | 春夏秋冬の風



2016年がはじまって、はや14日。
今年は、ワクワクする年になりそうな予感がする。


年が変わり、除夜の鐘をつくために近くの氏神様に参拝にいく。だけどタイムリミットで、鐘はつけず。
代わりに御神酒を頂戴した。 
麹たっぷり、甘酒のような香りのおいしい日本酒だった。

2016年、深夜0時20分。
天を仰ぐと満天の星空で。
オリオン座が深い色の空にくっきりと見えた。
「流れ星!!」と叫んだのは、娘だった。
(あいにく私には見えず)

こうやって平穏無事に年があけて、
家族3人が揃って星空を見上げられた事が
奇跡みたいに思えて、じんわりと幸せを噛みしめる。



そのまま、安産祈願で名高い中山寺へ。
ここは、娘の腹帯をもらいにいった寺であり、
お宮参りと、753と3回お祝いの祈祷に行ったという私の家には縁の深い寺であった。
本殿の参拝のあとで、露店をひやかし、
大勢の参拝客にまじって甘酒を買って飲む。
年初の賑わいというのは、日本の国に暮らしているのだな、と
普段の光景まで新鮮に映る。
人の顔が明るい。

2・3組の若いカップルやグループで参拝に来ている若い男子の姿が目について、
この子たちは親元を離れて、子どもたちばかりで新年を過ごしているのだな、と同世代の子どもがいるので、温かいまなざしでぼんやり眺める。


中山寺を背にして、眼下には星くずのようにゆらゆらと瞬く、街の灯がみえた。
清々しい。そう思いながらどんとの火で暖をとった。

冬の火は、強い熱で人々を熱く照らしていた。

外気が寒いから、なおさら情熱的で神々しく目に映る。勢いのある火だった。
パチパチ、パチパチと燃える音まで、冬風情。
いつまでも暖をとっていたいような、気持ちいい火の暖かさよ。
とても気持ちよい年明けとなった。
素晴らしい景色だった。


さて、今年のテーマは
「行動の一年にします」。

いつだったか、誰がいった言葉さえも忘れたのだけど、心に残っている一節がある。

「大切なのは、その人が何をどのように思考したのではなく、その人がどう行動したか。その1点だ」

今年は書こう!思考ではなく手を使って書こう、体を使って行動しよう!
そう思う。

そして、娘が家族が、母が人が。と他人にばかり目を注いでいないで
今年は、もう少しじぶんを人生の主人公にしようと思う。

そのための用意した手帳は、
トラベラーズノートから、「ジブン手帳」に変換。
「オリジナルティー」というのを大切にして、生きていこうと存じます。








     
        (年賀状のコピー)

  あけまして、おめでとうございます。
こちらは、2015年に旅したフランスの景色です。
  明日はどんな日だろう。毎日始まる1日1日も
  旅の時のようなゆっくりした歩調や、
   ときめき感でうけとめたいもの。
 2016年も、あなたと私がすれ違うことなく、
  良き仲で、はじめることができますように。





原点回帰。

2015-01-09 23:48:47 | 春夏秋冬の風



新年あけましておめでとうございます。

ようやく、この新春の寿ぎを伝えることができた。今はそれだけで、ホッとしている。

例年なら、やれ年賀状だ、おせち料理だ、正月準備、初詣と
次から次へとお正月の行事を、波乗りの心地で乗りこなすうちに、
もう1月半ば?というのが常であった。

それが、今年は昨年(2月)祖母が103歳で亡くなったこともあって、
年末ギリギリになっても、
年賀状を作る気になれず。

お正月準備をしないで、大掃除だけなんとか済ませて
大晦日には兵庫県の北の果て、私の実家に帰省した。

心と体にぽかーんと隙間があったのだろか。
こともあろうに、1月1日(木曜)朝、布団から出た時すぐ咳が「コホンコホン!」と飛び出したのだ。
まあ、古い日本家屋の大広間に寝ていたのだから、致し方ないわ。
と最初は気にも留めていなかったのだが。

日が進むにつれて、本格的な風邪に。
3日の夜には熱が38度5分。
早々に西宮の自宅にひき戻って、生まれて初めての寝正月というのを味わった。

熱があるときはと、荒療法的に、熱々の風呂に長時間浸かったりしたのも、
これまた、あまり良くなかった。
ますますひどくなって、もうこれは…と諦めてぐっすりと寝込むことに。

「浄化、浄化!」
そう思いながら、焦ることもなく、なんにも考えずにお正月の第1週を
正々堂々ぐうたらに過ごしたのである。



それでも、もう9日か。いよいよ復活せずにはいられない…。

今日は前髪を自分で眉の上まで切り揃えて、
昼っからお風呂とシャワーを普段どおり1時間半くらい使って十分にとる。体は2回洗って、顔は3回洗った。頭も2回流した。

そして、ご近所の友達の家に白菜やら昨年読んだ本やらを届けて、
15分くらいおしゃべりをすると、ようやくまともな人間らしい生活が
戻ってきたようである。
1月の5時の空気。
まだこれから夕方がやって来るというのに、すでに真夜中の冷凍庫のように乾燥しまくった冷気が郊外の住宅地には横たわっていた。



さぁて!!
今年は、一体何をがんばろうか。
年齢を経るにつれて、どうにも守りの体勢に入っている自分を感じずにはいられない。出し惜しみ、というのか。いつのまにかセーブして生活をしている今日の私なのである。

今年は、とことん!やる!を目標にしようかな。
どうせ、ガムシャラに生きても1年は365日しかないのだから。
そうして、10年も生きたら、もう結構な年齢になってしまうのだから。
それとも、こうやってのらりくらりと目標など決めずに、淡々と生きていこうか。




ここに2枚の写真がある。









娘のアルバムをひっくり返すことはあっても自分のそれを探すことはなかったから、それこそ必死で探したら、こんな自分が登場したのだ。

誰? それはまぎれもない私の姿なのだった。
(1番左側)


「ありのままに」というメロディが流行っていた昨年、
年に3回通っている、コーチングのワークショップで、
自分の5歳くらいまでの写真を見つめながら、その当時の自分(ありのままの自分)をしゃべるというトレーニングがあったのを、ふと思い出す。
元々の自分が、いろいろな環境下のなかで変わっていくことは必然であり、
決して悪いことでもないし、それがまたもう一つの自分自身だと教わった。

ただ、元々の自分を決して忘れてはいけないというような、話があったように記憶している。




ものすごい勝ち気で、ぎょろりとした大きな瞳で世の中を見渡している、生意気な小娘がそこにいたのである。
明らかに隣のかわいらしい女の子とは違っていた。
決して、素直なタイプじゃない。
大人たちがあれこれとささやく会話を、斜めから傍観しているような、気の強い子。

幼い私は、山陰地方の旅館の1人娘として、おませで大人びて、
お客さんが大勢いる前で、堂々と、山本リンダを大熱唱するほどの、
根性のある、そしてサービス精神旺盛な子供だったのである。
すっかり忘れていた。

そして、一番はまった文学(文学に目覚めたのが)小学校5年、
フランソワーズ・サガンの「愛と同じくらい孤独」




それからは、よくわからないままに小学時代にサガンやリルケやゲーテを読破した、ほんまにマセまくったいけすかないガキだったのだった。

いつからだろうか。
優しい、人の良い、
ぼんやりとした個性のないよく微笑んでばかりいる女性になったのは、いつ頃からだったのだろうか。
中学の高学年くらいからかなぁ。それとも大学時代かなぁ。

濃いオレンジやひまわり色、エメラルドグリーン色が好きな私が、ベージュや薄黄緑色や、
うすいパープルを身にまとう女性になったのだろうか。

原点回帰、ではないけれど、
ありのままの自分を、ひょっこりと、思い出してもいい頃なのかな。
そのために、そのために。今年は昨年よりも、もっと孤独でいる必要がある。




メープルシロップと小夏。あるいはパッションフルーツも。

2014-05-29 00:02:11 | 春夏秋冬の風







今朝。起きたときから、あ、何かが変わったと思った。
窓の外があきらかに違っていた。
それは、ジージーという虫の歓声とも気配とも、とれる音が
自然と耳に入ってきたので、すぐそれだとわかった。耳を澄まさなくても、入ってくるというのは幸福だ。

朝からホトトギスが鳴いている。

(夏は生き物たちの気配が空気の中に満ちている。
そして、コオロギが鳴き止む頃、気配はだんだんと消えていく)

あーーそうか、もう夏が来たのだ。
ついに夏。カレンダーも、そろそろ約半分、折り返すのだね。
そんな想いが一抹の焦りのなかでじわじわと、こみ上げてきた。


きっと実家の裏にある青田では、にぎやかに、カエルが鳴いていることだろう…。

昼間。郵便局へ請求書の類を出しにいった時の日差しは、それはもう確実に夏のものだった。
帰って、すぐに小夏を食べなければ。そう思うと同時に小夏の黄色くてまんまるのフォルムが、目に浮かんできた。
小夏は酸っぱくて苦いフルーツである。そしてとても夏が似合う。

冷蔵庫からカナダ産メープルシロップを取り出して、上からたっぷりとかけて、ちょっと良い感じの器に盛って食べた。

おいし!生き返るよう。この苦みと、ほどよい甘み。
小さな苦い酸っぱい果実がギュッと身を寄せ合っていて、ぼんやりとした蜜がそのまわりを取りまいている感じが、なんだかとても好きだ。
いいなーこういう味。
苦いのに、酸っぱいのに、ほろ甘いのだから。

最近、メープルシロップに少しはまっていて、ヨーグルトとかバタートーストとか、
なんでもこれを掛けては、愉しんでいる。


そういえば、先週の日曜日に種子島のおみやげで買ってきてもらった「パッションフルーツ」も
面白い味だったなーー。

包丁で半分にすると、小さな黄色い花が咲き乱れている。プチプチッとした種を噛むと、南国のゼリーとともに酸っぱい果肉が
ピューと口の中で弾ける。それを舌でみつけては噛むと、これまた酸っぱさがひとしお。そして弾ける。いくらでもプチプチと酸味が勢いよく飛ぶ、口中に風がわたる。甘みはほんの少し。
これが熟してくると、南国らしさ全開!!ゼリー感と甘みがきつくなる。
フルーツというよりも植物みたい。ホントに変なフルーツだ。
でも紛れもなくパッションフルーツの香りだった。香りのフルーツなんだな、これは。
こんなに食べるとこ少ないのに、ビタミンCの塊のようである!


そうだ、そういえば月曜日の朝は熊本産の赤肉メロンも食べたんだった。
5月はフレッシュで甘く、ねっとりとした熱帯果実のタイ産マンゴーも。
ああ熱帯の国に行って、手をべたべたにしてかぶりつきたいなーー。

これから、どんどんフルーツの美味しい季節がやってくる。

そのたびに、どんどん夏が近づいてくるのだ。




金曜の朝、うぐいすの声で目が覚めた。

2014-02-23 00:52:31 | 春夏秋冬の風



金曜日の朝(21日)、うぐいすの鳴き声で目が覚めた。
夢の中かと思ったら本当の(リアルでの)うぐいす。
しゃっくりを何度も連続で繰り返すような、「けきょけきょ」、「けきょ」「けきょ」と4度ほどひいて、思いっきり頭の真上で1オクターブ高い、拡声器で唄うような美声で一息に、「ほーほけきょ」と。
最後にひとつ鳴いて。静寂がもどる。なんて素晴らしい。

カーテンをあけたら光が違っていた。光が踊っていた。

うぐいすは、どうやっても視覚で確認することが難しい。
(わたしは毎年、わが家の木々に止まるうぐいすを何度も何度も探し求め、目をこらしてみてきたけれど)、その瑠璃色の小さな姿を見せてはくれない。
枝につかまる細い爪楊枝のような足を見せてはくれない。
でも今朝。私のベッドの真上にある木の上から、たぶん「春」を告げていた。そう思う。姿は見えないけれど頭のうえで聞こえたから。
なんて、いい日だ。

夕方には、机の上を、ライトの光の真下を
カメムシがウロウロしはじめ、何度もデスクの上まで這い上がってきては、
私に紙で落とされ、また這い上がってきては仕事の邪魔をした。