月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

いろいろな思いが駆け巡っては消え、泣いて、反省して、感動して

2012-10-31 01:01:16 | 大阪ごはん


空気が乾いてきた、と思ったら紅葉が進み「落ち葉の季節」になっていた。
風がさーと吹くと、カサカサと葉がこすれる音とともに、
黄色に色づいた葉っぱたちが順々に落ちたり舞っていく様子が、
デスクの前のガラス窓をとおして見ることができる。
なんて贅沢なことだろう。

寒くなってきたら、いやがおうでも受験を意識することになる。
いよいよ、センター試験まであと81日だ。


なっちゃんは先週に引き続いて、学校が終わってから、
毎日4時間の「秋期講習」(研伸館)を受けて、へとへとになって帰ってきて口数も少ない、かと思いきや、
これが相変わらずよくしゃべること。

「今日は誰それが、こんなこと言って面白かった!」とか、
「今日の昼休みはこんな冗談を言い合ってみんなで笑っていたんだよ」
とか、愉しい話題が多いことにホッとする。

昨日は帰宅後、国語の赤本を必至で解いている凛々しい姿を
ほんとうに久々に目にして、
ああ、こんな真剣な目をしているなら大丈夫、良かった!と
思い数日ぶりに朝まで熟睡できた。


さて、

週の半ばでは念願の「びりけん」へ。
最も親愛なるライター友達のSさんとも再会することができた。

北新地の真ん中にある「びりけん」。

店主が料理を並べたり切ったりする小さな厨房をぐるり囲むようにして配する「木」のカウンターは、日本酒愛好家や食通たちが足繁く通ってくることもあって、厚みと包容力のあるいい表情をしている。



この日に頂いたのは店主お任せの
秋の味覚三昧。

特に印象に残ったのは、 
「ムカゴ、黒豆枝豆、オニグルミの付きだし」。



ムカゴはやっぱり塩ゆでが一番だと、(絶妙な塩加減の品々)食べながら思った。

「鰻の白焼き」も、健康な脂がのっていて身の締まり弾力ともに申し分なし。

鰻のイキイキとした生命力を頂いているようで、美味しかった。
これらが鮮明に記憶に残る。




「イチジクとカキ、ブロッコリーのグラタン風」もサッパリして、
素材の味ひとつひとつが愉しめたし、



それに「手羽の照り焼き」も、
野菜ベースの「椀物」も、
どれも余計なものや雑味の一切ない素直な味。よかった。美味しかった。






ほかにはこんないろいろも。





写真がピント外れなので添付できないがアジのムニエルもあった。

私はここへ来ると普段はあまり飲めない日本酒のペースが加速してきて、
くいくい飲めてしまう。

この日も5杯くらい頂いただろうか。
一緒にいたS さんが心配するくらいに飲んでしまっていた。

いい調子になって飲んで食べて、おしゃべりをしていたら、
帰り際になってから、ひとつ店主からご忠告を受ける。

「大阪人やろ(本当は兵庫県民)。
東京の人じゃないんだから、
さあ、さあ言うてしゃべったらあかん。損や」と。

びっくりした!当の本人は全く意識していなかったことなので、耳を疑ったほどで。

というか、どっかの、見知らぬ誰かが「さあ、さあ、」と語尾につけて話している際に耳障りに思ったこともあるほどだから、本当に驚いた。
そのあとも、ご主人の話は続くのだが…。

同席していたSさんが、隣で一生懸命に言葉を尽くし、
全身でかばってくれていたので、
その気持ちの熱さに圧倒され、打たれ、なんだか泣けてきたほど…。

確かに職業柄、言葉づかいには十分に気をつけないと、いかん。

この店の主はヒーラーなのである。

まあ、その後の話しはともかく、
翌日にさっそく私の友人や仕事仲間の何人かにこっそりと聞いてみたのだ。

「わたしって、さーさーって言う?」と。

「さあー、さあーは方言のひとつみたいなもの、と受け取っていたわ。気にならないけど」

「言うでー、結構言うで。でも気にならん、あなたのサーは全く嫌みには聞こえんけど」

「そういえば昔から、よく言っているね~。ぼくは気にならないけどなんて説教されたの(笑)」

「ああ、そうですね。私も結構言うかもしれないわ。でも、これを言ったら傷つけるとか人に迷惑をかけるような言葉じゃなきゃあ、いいんじゃないですか。
話される状況とか人とかはみて話さないといけないかもしれないけどね」

みんなやさしいね~。
いい人たちに囲まれている。

この日同席してくれたSさんも。
人への熱さだけでなく、仕事や好きな事に接するときの
真摯な姿(情熱)というのに、私は打たれるんだなあと、後で気づいた。

情熱のある人、無垢な人、
ユーモアのある人に
私は本当に昔から弱い。うん、弱い。

まぁ、ともあれ、
大阪で仕事をして生きていくなら、「さあ、さあ」とか「マジ?」とか
多発するのは要注意!だね。

いろいろな思いが駆け巡っては消え、泣いて、反省して、感動して。
心が波のように鼓動した、「ある日」のことであった。

●酒人肴 びりけん
大阪市北区曽根崎新地1-11-20 たかがわビル8かい
06-6361-3312
16~24
日曜・祝日休(土曜日は前日までの予約してから来日)


コピーという仕事について

2012-10-23 17:38:54 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


昨日は仕事をしていたら、ガタゴトと揺らす強い風。
木々もしなって、緑はサーサーとざわめき、
まるで木枯らしの音を聞いているようだった。

風が冷たい。夜になれば激しい雨。すっかり街は冬支度。
もう秋というより透明感のある冬の空気に季節は移り変わった。
8月からそれほど暦が進んでいないのに、早いものであること。

ここのところ、企業情報紙を中心とした「編集・ライティングワーク」を主に請けおっていたら、先頃から広告コピーと広告パンフの案件が同時に舞い込んできて、
本当に手を焼いてしまっている。

来月はレギュラーの仕事と重なってくるので、はやくカタチにしてしまわないと不安だ。

しかし、編集ものの原稿とコピーとでは、媒体が違うというだけで、
まるで勝手が違うというか、脳みそを全く別のベクトルの方向で動かさなくてはいけない。

日本語という同じ言語を使って、
表現する仕事なのにね。

コピーのほうは、言葉をアイデアという視点でより効果的にデザインしていく。

編集原稿はデザインではなく、見たままを、
自分の色でスケッチしていく感じかな。

美術部だったが、イラストとか
アタマに描いて書くのは苦手だったな。

取材の代わりに、資料をたっぷり読み込んで相手を知らないと、
言葉もアイデアも生まれてこないので、週末は資料収集に翻弄していた。

一日時間をかけて足で資料を探すなんて、久しぶりであった。

しかし、こんなにも(半日近く)歩けるなんて、
手術して貧血を治していて良かったなあと改めて思った。

さて、この写真は途中で立ち寄ったお昼処。
イタリア食堂  bar enoteca(バール・エノテカ)
大阪中央区谷町5-6-1 メルシアター1階
06―6763―0282

イタリア人男性が陽気にランチをしていて、ふたりのイタリア会話を聴きながら、ひとりごはんもよかった。
これは、「キッシュ」や「レンズ豆の煮込み」などの前菜の盛り合わせ。

気軽な料理として食べられる。うん、なかなかいけるね!

ジェノベーゼソースのなかに、「空豆と入れたパスタもとても美味しかった。

通りかかって入った店にしてはアタリである。
近くならしょっちゅう食べにいくかもしれないわ。

この日は昼過ぎに出たので、夕方にはジエンド。
〆はやっぱり堂島ジュンク堂で資料と本を数冊買って。
阪神百貨店でガトーフェスタハラダの行列に並び、
ホワイトチョコレートをかけたスィーツを買って。

満員電車に揺られて帰った。
あと1時間早く出たら、よかったのにね!






ふた葉での、和みのランチ

2012-10-18 09:18:30 | 兵庫・神戸ごはん

手術から今日で4カ月。どうにも下腹が固い。重い。
新しい異物感をお腹に感じる。

夏が終わり秋になった頃からだろうか、
急激なストレスを全身で受けとめるようになった。

女子はよく「子宮」で物事を考える、というが。私の場合はどうやら些細なことから、
大きな問題までくよくよと悩みすぎる、という根っからのクセのようなものがあるようで、
これまでの人生においては、見事「子宮」で、これらのストレスを受けとめていたようである。(だから、すごい筋腫の数と大きさ、というありさまだった)

だが、私はもう今となっては「子宮」という機能がないので、
全身全霊でやって来るストレスと対峙しなければならない。

困ったことになっている。

ストレスを感じると、あるはずのない子宮あたりが
キリキリひきつって痛む、そのうえ同時に乳腺もキリキリする。
「性格を変えていかないと、この疾患は治りませんよ」
と、いつだったか、そう2年前の秋にも高須道世さんという冷え取りの先生にも
御指摘いただいたのを思い出した。

加えて、高校3年生の受験生をもっているから大変だ。
秋を過ぎるとラストスパートとばかり、
毎月10万を超える塾の出費!(来年2月まで)。
夏には給湯器が壊れて、
バスまわりの工事をし、手術代に、今回の10月の車検もそれに匹敵するほどのもの。
首が回らないとは、こういうことをさすのだろうか。

さて、ガラリと話題を転換し、
次はごはんのお話を書きましょう!

週の前半、同じ街の友達3人で予約がとれないカフェ「ふた葉」へ、ランチに行った。


神戸電鉄三田線  道場南口駅より徒歩8分。

今回は車での来店となったが、特徴的なものなど何ひとつない、
郊外の一角にポツンと店はある。
周りは畑や空き地、住宅ばかりだ。

ごく普通の一軒家でカフェ営業をされている、ふた葉。

メニューは、

豆腐と根菜の和風ハンバーグ、
こんにゃくとひら天のピリ辛煮、
茄子と厚揚げの焼き浸し、
春雨サラダ、
チキンとかぼちゃのクリームシチュー、雑穀ご飯。

すごいボリュームでしょ。
これで1200円とは、お値打ちすぎ。

主婦が家庭で作る料理ばかりだが、これが丁寧に調理されていて、やさしい味。
とてもおいしく頂けた。

こちらが店のホームページ。
http://www.cafefutaba.net/


こうやって、仕事の合間を縫って友達とごはんを食べたり、談笑するのは貴重なこと。
言うまでもなく、すごく愉快だ!平日遊ぶというのは今だにウキウキする。
ずっと、弾丸で話していても、まだしゃべりたりないのは、なぜ?

帰宅後すぐ所用にて神戸北区と西宮市内のほうに出掛けなくてはならず、
またいつもの、慌ただしい日常へ。

しかし、友達とのごはんは、
しばしの、開放感!
人を大事にしなきゃあね。

薄墨の空と、だんじりの祭典

2012-10-17 00:01:47 | どこかへ行きたい(日本)



先週の日曜日は、夕ごはんを食べてから名塩八幡神社の「秋の例祭」に出掛けた。
10時を少しまわっていたとおもう。




前日にも綿菓子やりんご飴などの屋台がズラリと並んだというが、この日は朝早くから8台のだんじりに、紙と塩をまいて清め、木之元八幡神社を出発して名塩八幡神社までの間にある7町を曳きまわし、いよいよ祭はクライマックスにさしかかっていた風であった。

私たちが住むニュータウンとは異なって、このあたりは不思議なほど薄墨の闇が深い、秋の夜である。

川面から吹く清涼な風は冷たくて、自然の息吹を感じる。

土曜日から日曜にかけて、
朝も、昼も、夕方も、台所仕事をしていても何をしていてもずっと聞こえていた大小の太鼓や篠笛、お囃子が、1歩1歩と近づいてきている。
そう思うだけで、心臓の鼓動が早くなって、心なし小走りになった。

あ、いたいた!
薄闇に浮かび上がる深紅のだんじり!すごい木組が古く、神聖。かっこいい!






男衆は、だんじりを曳きながら、皆、顔に力を込めて闘志を燃やしている。

蘭学通りにこだまする、
「ヨイサー」「ヨイサー」の掛け声も高らか。
迫力ある祭典、というよりは町を守る姿勢のようなものが伝わってくるなあ。

鎮魂の祈りのようである。

「何時くらいまで、だんじりを曳くのですか」
「そうやな、12時半くらいまでは続くよ。例年そうやからな」

すごい、明日が月曜日だから早めに切り上げましょうよ、とか誰一人言わないのが旧町だなぁ。

こんな風にドキドキする鼓動と期待感をいっぱいに募らせて、ニュータウンから旧町へ降りてき

そして、
初詣やどんとや、お盆の送り火行事や、例祭などをなんの手伝いもせずして愉しませてもらえるなんて、
申し訳ないやら、ありがたいやら、である。(有馬温泉も近い)

だんじりの後を歩いていると、国道178号線の真ん中で
突然として、お囃子などの音を控えめにし、車や街の雑踏に背をむけたかと思うと
思い切って舵を切り直し
Uターン!
ほんとうに一瞬だったが、私はこの時に「現代」と「江戸」の交差点にたったような気がした。

はっぴを着た男衆がふたりで交通止め、その後にズラリと並ぶ長蛇の車の列がこっけいにというべきか、
暴力的に視界に映った。

この町のだんじりは、どうやっても
アスファルトやコンビニが似合わない。

そう、だから
「現代」の営みから逃げるようにして
古い町並みが続く旧町である和紙の町に、再び、今度は遠慮がちにお囃子を響かせ
だんじりはゆっくりと帰っていった。
薄墨の深い静かな町の祭典へ。

久しぶりの友よ

2012-10-12 22:16:12 | 今日もいい一日

ここ数日間は、一歩玄関を出ただけで木の実と金木犀の香りに包まれて外出がはじまる。




特に朝のウォーキングなどは、こうして希望に満ちて一日をスタートするのだけれど、
お昼をまわる頃には、ぐじぐじと小さなことに囚われて考え込む自分に、
ガッカリする、または、腹立たしくなる。
きっとこの夕刻を過ぎたあたりからの、真っ暗な早い夜の訪れと冷たい外気もよくないのだ。
あまりに寒すぎる。
(今日、歯医者の帰りに立ち寄ったデパートには、ファーやコートが勢揃い)

そういう時は、やっぱりというべきか、急いでお風呂に入らなければ!

湯気のたつ明るい電気の下で、なみなみとしたお湯のなかにゆったりと浸らないと、
決して善いほうに思考が回らないような気がするから。

昨日は以前の職場でコピーライターとして机を並べていた友達と
久しぶりに連絡をとった。

彼女から届いた、たった数行のメール文。そのなかでさえも、その人の聡明さや
温もりにみちた人柄、広い広い精神性みたいなものが伝わってきて、
さすがだな~と思わず感嘆の声を口にしてしまった。
その人のもつ、知(ち)の泉はとても雄大で豊かだ。そこにも憧れてしまう。


今日電話で話した、同じく同僚のデザイナーの男性の声も、音量を下げようかと思うほどに大声で自信にあふれていて、実に愉しそうに撮影の仕事をされていたようだった。

ふたりのなかに同じ空気を感じた(ふたりは仕事のコンビをよく組む仲だから)

素敵なことだな、と素直に感心する。

新しい仕事というのは、最初エンジンがかかるまではすごく勇気がいることだ。
善しなし事も、浮かんでくるけれど、
まあ、あまりいろいろと考えすぎないことである。
このところ、常連メンバーとの仕事が続いているので、新しい空気のなかで
活を入れてもらおうか!

そういえば、FBでお友達になりましょう、と
4度も誘ってくれていた代理店のクライアントの人にも
そろそろ連絡をとる頃だろうなあ。

どうしていらっしゃるのだろうか。
私ったらいろいろな人が次々浮かんでくるなんて、もしかして人恋しいの?
驚きだなあ。ほんとうに…。



今淡路島と行ったら、生しらす丼とノマド村が旬らしい

2012-10-10 21:22:25 | どこかへ行きたい(日本)

ここのところ未来の展望が全く見えなくなってきて、滞った水たまりのような気分だったが、夕刻、ベランダへ出て鈴虫の声を聴きながら丁寧に紅茶を入れて飲み、栗の和菓子を食べ、西の彼方をみていると次第に落ち着いてきた。

さあ、ブログを書こう!
週末は淡路島へ行ってきた。


わが家からは約1時間のドライブコース。
大海原を胸いっぱいに吸い込みたいとか、
鮮度抜群の寿司を食べに行きたい、とか、そう思ったらすぐに実行に移せる距離にあるのが、実にいい感じである。

この日も晴天で、空の青と海の蒼が実に穏やかに溶け合って、
美しい景色。

お昼は、ぜひ岩屋でお寿司を!と思っていたら相方が「旬は生しらす丼!」といって譲らないので、今回は委ねてみることにする。
地元で人気の旬菜旬彩「しいのみ」さん(神戸淡路鳴門自動車道の北淡ICを降りて、県道31号を岩屋方面へ8km走って淡路バスの梨本バス停を右折すぐ)。

生しらす丼と蛸の天ぷらが付いた定食で1,050円。

最初、生しらすだけを口に入れてみると、甘エビに似たとろんとした食感と稚魚独特の甘みがあって、とても美味しい。

続いて、ぽん酢ベースのたれと、ネギ、大根おろし、ショウガを加えて丼に混ぜて沢山食べた。ゆっくりしていると、冴えた透明度のピンピンしていた生しらすの鮮度が落ちて、ふにゃあとして生臭くなってしまうので要注意である。


それから、2010年に閉校となった淡路市野島小学校の跡地に昨年建築された「のじまスコーラ」という複合施設に立ち寄って(のじまマルシェ)、野菜やジャム、地元のベーカリーなどを見て歩く。

淡路の棚田や農村の匂いのする場所へも。
ふとバリ島の棚田を思い出してしまった。
それほどの悠々とした、素朴でのびやかなスケール感だ。

「ノマド村」。
ここも先ほどの「のじまスコーラ」と同様に
淡路島長沢の廃校を再利用して、アーティストたちが創作活動をして展示会やイベント、ワークショップを企画し、芸術&文化が集う空間。
ドイツとスイスで活動してきた写真家、映像作家の茂木綾子さんと、夫のドイツ人映像作家 ヴェルナー•ペンツェル氏が携わり展開する淡路島には異質のナショナル・アートな空間。
土日は、「カフェ・ノマド」
がオープン!しているとあって、交通の便が悪い未開の地なのに、どんどん車が入ってくる。

紅茶とヨーグルトのスイーツをオーダーする。
カフェにありがちな素人感覚のいい加減さが垣間見られるものではなく、
ほんとうに自然な素材を生かした、家庭的なケーキとお茶で十分に満足のいくものだった。

これだけの空間なのだから、本物を提供するのだ、という心意気が伝わってくる。

さて、海岸線を車で走るというのは、脱日常には最高のロケーションだ。
お土産は、淡路島の魚増鮮魚店で焼き穴子を購入!

〆といえばやっぱり温泉ね!(車にはいつもタオルセットを常備している)

洲本温泉と行きたいところを、今回は明石海峡大橋が望める「松帆の湯」で。
お湯に浸かりながら、海と橋をいくらでも目に焼き付けられるという贅沢な至福を味わった。

この「海と美味の淡路島」は、こちらから働きかけずして
どんどん素敵な景色や美味しいものが向こうからやってくる、というちょっぴりルーズでのんびりとした心地だった。

夕刻には、さっそく、先ほど買った穴子で「穴子寿司」をこしらえた。
気分が良かったので、普段はあまりしない台所掃除をしながらごはんを作る。

良い具合に炭火で香ばしく焼き上がっていて、久しぶりに美味しい穴子を食べられて
さらに気分は盛り上がる。
いつもは一人ごはんが日常なのに、変な感じ。3人で食べる食事はドラマの食事風景そのもの。

翌日には残りの穴子を「柳川風」にして登場。頭から尻尾の先まで残らず頂けた、ああ美味しかった!ごちそうさまでした。




風通しのいい家族の暮らし

2012-10-09 22:09:46 | 今日もいい一日




10月8日は、暦では「寒露(かんろ)」。草木に冷たい露がつきはじめ、秋が深まってくる頃だという。
今はもう6時前には、外は真っ暗。気がつけば夜になってしまっている、という感じである。

さて、
今朝の新聞でips細胞を作製しノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥教授が、一夜明けての感想でこんな風に話されていた。

「研究では1割で大成功。失敗は起こる。泣きたくなるような20数年でした。
 そんな時の家族の存在。家族の支えがなければ研究を続けられなかった。
(一部省略)
研究でいろんなことがあっても子供や家族の笑顔を見られることが支えでした」。

こんな泣きたくなるほどの疲労感を抱えて帰ってくる夫(娘にも)に対して、
私は迎え入れる側として、ちゃんと笑顔で応えられているのだろうか、と
めちゃくちゃ反省である。
自分も仕事をしている身とはいえ、
温かい家の雰囲気というのは、家にいる「女」で決まるのだから、
ということを、今度(なんで今度なの?)改めて考えないとなあ…。

神妙な顔して机に向ってばかりでは申し訳ないわけだ。

山中さんは、
研究を続けてきたその成果も無論、素晴らしいけれど、
人柄もすごく魅力的だ!
「家では決してグチは言いません。受賞の時も洗濯機を直していました。
彼がリフレッシュするのは、どんなに疲れていても走ることです」と奥様。
走りながら、考え、自分の指針を立て直す。頭と体を鍛えぬく。
ふと、マラソンランナーである作家の村上春樹を思い出した。


とってつけた風ではあるが、
うちの旦那さんも、週の半分くらいは出張が多く多忙な人だ。
何億もの建築設計コンペを毎月数本は抱えている。
そういえば先週もほぼ出張だったというのに、どんなに疲れていてもグチは言わないなあ。

出張やら、博物館の仕事内容やら、
普段自分(私)がいる家の空気とは全く異なる空気感というものを
時々持ち帰ってくる時もあって、それもまた愉しみである。

そのうえ、この週末には
長い遠征(種子島)から帰ってきた翌日に、目を充血させながらも
淡路島へ誘ってくれていた。
(それは珍しいこと)

そして
月曜日には、どこへ行ったのだろうと思っていたら、
雑巾をもって家中のガラス窓を拭いていた。

<やめてよ><私が普段おろそかにしているみたいじゃない>、と内心思うが口には出さない。


そして、食事の準備をしていてふと気がつくと、今度は
乱雑になっていた子供部屋を整理整頓し、
私の仕事部屋の障子が破れているから、これではいい仕事にならないと、コーナンへ行って障子紙を買って貼り直し(私が買い物へ行っている間に)、君たちは寒がりだからって、
家族全員の布団を冬用にして秋冬の布団カバーをこれまた、いつのまにか洗って入れ直していた。

先日のコンペが終わり、
気持ち的にも余裕が生まれたんだろうな。
いつもと全く変わらない風に、ただ朴訥と行動する人である。
それも超スピーディーに。

ハードな仕事をこなしている人というのは、たった同じ一日でも、
成果をきちんと残すものだ。

ああ、
山中さんのことからたいぶ話がそれてしまったが、家族のいる大切さと、
ふだんの暮らしの大切さを、
よ~く思い知った休日だった。




Milli Vernon(ミリー・バーノン)を聴きながら

2012-10-06 23:18:30 | 今日もいい一日


ここのところ、落ち込んでいる。
手がつけられないくらい、落ち込んでいる。
思いあたる節は、いくつかある。
けれど、どう考えても、その重さ以上の喪失感というか動揺というか…。
なので自分自身、どうしたものだろうと本当に戸惑う。

昨日まで言葉も出なかった。
落ち込んだ人というのは、言葉を失うのだなと人ごとのように気づく。
どうして励ましてやったらいいのか、本当にわからない。

昨日は、石山寺へ行った帰りに買った日本酒を飲んだ。

「Milli Vernon(ミリー・バーノン)」の曲を聴きながら、ダイニングテーブルではなくソファーに座って山の稜線の陰をじっとみつめながら、夕食の残りの筑前煮を食べた。
昔、学生時代に天王寺のジャズ喫茶にて、たったコーヒー一杯で何時間も粘る人を、見たことがあったが、まさにあんな感じ。

照明をダウンライトにして真っ暗な表情でMilli Vernon(ミリー・バーノン)を聴きながら、
筑前煮を肴に食べ、明日のお弁当用に用意していたコロッケを食べて、らっきょうを食べて、和歌山の柿も1個まるごと皮を剥いて食べて、そうやって
ちびちびと日本酒を飲んだ。
日本酒は、滋賀県の純米酒「松の司・楽」。
最初はフルーティで甘味が際立つが、空気に触れて時間が経つと辛口の純米酒に変わる。とてもおいしい純米酒だった。

随分と気持ちよくはなってきたが、
それでもまだ心が晴れるということはない。

幸せに生きたいな、と節に思う。
前はほんの少しのことも、幸せだな、とか最高に気持ちいいな、とか
涙が出るくらいに小さな幸せを身にしみて感じられるタイプの人だったのに、一体どうしてしまったのだろう。

そう、そうだ。
先日、生まれてはじめてゴキブリを捕まえられた。
子宮全摘出前には考えられなかったことなのだ。
真っ黒で羽が数枚隠れていて、それを瞬時に広げて飛び立てる生き物なんて、
恐ろしくてそこにいると思うだけで
同じ空気を吸いたくない、と思うくらい恐怖にかられたものなのに。
私ったら、平気な顔してシュッと殺虫剤を吹きかけて、ティッシュでくるんでゴミ箱に捨てられた。

考えられない。鈍感になったのだろうか。
それとも勇ましくなったのかしら。
ゴキブリを捉まえる時の私の目が「獲物を捕らえるハンターのようだった」
と家族はいった。
恐ろしいなあ。これから自分がどんな風に変わっていくのかを考えると不安で夜も眠れないなあ。

悲しみや苦しみは、時間という妙薬がいつのまにか一緒に連れ去っていってくれるよ、
とはよく言うけれど
こんな私の落ち込みようも、
時が経つと秋冷の風のなかに消えてなくなってしまうのだろうか…。

落ちこみを癒すためのよい手口はある?誰か教えてほしいな。

石山寺の秋月祭に行く

2012-10-04 00:12:34 | どこかへ行きたい(日本)


このところ、あまりに天気が素晴らしいので「小旅」に出たいなあ、と思っていたら、古い友人が面白いイベントに誘ってくれた。
「紫式部ゆかりの石山寺で秋月祭があるよ、行ってみない?」
勿論、仕事はあったが、小休止して、いそいそと出掛けていった。

先週29日の土曜日のことである。

JR草津駅から近江八幡方面へ。途中、何度も迷いながら

お昼処の「秀明庵」へ到着。


築150年、茅葺き屋根の古民家だ。


近江の山を借景に、秋らしい風情。
途中ススキがきれいだった。
お庭も素敵!

ランチは、 お友達が快気祝いで予約してくれたフルコースで。

離れの間だったので
ゆっくりとマイペースで
食事ができる。

まずはウエルカムスイーツの抹茶の甘納豆。
前菜はオマールエビのサラダ
・かぼちゃのポタージュ
・秋鮭と季節の野菜のグリル
メインは
・近江牛のステーキ、松茸と農園野菜とともに
・デザートのフルーツ盛り合わせ
・自家製天然酵母パン

食べきれないほどのボリュームだ。
思わず赤ワインをオーダーしてしまいました。

途中、蜂が入ってきたりしたがこれもご愛嬌。
近江牛はさっぱりした脂質で柔らかいなかに、深いコクがあっておいしい。


添えられた満願寺唐辛子も、ナスも、里芋も大地とお日様がしっかり注ぎ込んだいい味で、おいしかった。
松茸は目前で焼いてくれた。



このあと、近江八幡の市街地を散策し

「日牟禮八幡宮」を参拝。

当日開催していた手作りアートなどもぶらりと見て
レターセットなどを買い
いよいよ、愉しみにしていた「たねや」へ、いざ。

前に建つ「近江八幡日牟禮ヴィレッジ クラブハリエ」も。


さすがに名店。
スタッフの動きが、さばけている。

オープンになっているので、
職人たちの仕事ぶりを眺めながら、おいしそうなスイーツをお買い物できるのがいい。
実はバームクーヘンファン(ドライバームもいい)だが
この日は「リーフパイ」と「たねや栗子みち」を購入する。
ほんとうなら、江戸風の茶屋であんみつを頂く予定だったが、この日は秋月祭メインなのでやむなく断念なのであった。



小雨のなか、しばし大津方面へ。

6時~の夕刻に石山寺に拝観というのは、なんとも幻想的だ。


眼下には琵琶湖の夜景。
鈴虫の鳴き声で話し声が聞こえないほど、というのも非現実的で
ぞくぞくするほど、いい感じ。


しかし、残念なのは秋月祭というのに、この日近畿地方に台風が近づいていて空はねず色、そぼふる雨!これは紛れもなく信じられない事実であって。なんとも…。
必死で自分の中に満月を描く。

それでも
一番の収穫といえば、
6時30分~予定どおり野中久美子氏による能官演奏をゆっくり堪能できたことだ。
古代の音色は清くて怪しげで、儚くて。
源氏物語ひとりもの語りの「明石の段」の台詞を最高に盛り上げてくれた。
お釈迦様に捧げる能官演奏を古寺で、聴けるなんて、これだけでも十分に価値があった。



近江八幡の秋の名月を愛でるために、平安時代に建立された
「石山寺の月見亭」

にて、御抹茶と御菓子を頂く。

古い歴史文化の佇まいのなかに自分がいると一体、ここがいつどこなのか

一瞬戸惑うほどに、心が澄み渡って
日々の雑多が浄化されるよう。
だから、旅は時に必要なのだ。

もう胸のなかには
しっかりと

まあるいお月様が宿っている。
今週もがんばって乗り切ろう!