月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

「恋する古伊万里」展に行く

2019-09-28 23:34:57 | 器を買いに



金木犀のよい香りに誘われて、兵庫陶芸美術館へ行きました。

立杭焼の窯元が並ぶ陶芸の里にて開催されているイベント「恋する古伊万里」展
1階、2階の3部屋で構成。地階での同時開催には「イギリス陶芸コレクション」。




17世紀初頭。備前有田で生み出された磁器は伊万里港から各地にむけて積み出され、伊万里焼と呼ばれるようになったそうです。中国陶磁のうつしに始まり、やがて日本の富士や紅葉、草木や月、生物など日本らしい意匠が磨かれていきました。














ちまちまとした小さなものから、見応えのある大皿まで。
おままごと気分が昇華する、かわいい絵皿、かたち、色、デザイン性。
真正面から、横から、後ろから。振り返っては、しゃがんで下からのぞいたり。もう一度、後戻りしたり。

小さくユニークなかたちに、絵筆をいれたものがときめき、何度でもみたくなる。











古伊万里をみていると、安土桃山、江戸、明治期の人の暮らしぶりや食卓風景、おしゃべり、など。
その時代の日本文学とともに浮かび上がってきて、見惚れます。

本展示は、柴田昭彦、祐子夫妻によって蒐集され、佐賀県立九州陶磁文化館に寄贈された柴田夫妻コレクション1万点あまりのからの展示内容に。特に江戸期のものが多かったです。










同時開催のイギリス陶芸コレクション。
日本と海外作品との対比もおもしろく特にルーシー・リー、バーナードリーチのものなど。古伊万里とは全く違った世界観。古伊万里には、日本の暮らしや美学が感じられるものが多かったですが、
イギリス陶芸では、
作り手の作家そのもの、人生や姿勢、いわゆる人のあり方が迫ってきて、
(そしてエレガンスで)。とても良い刺激をうけました。楽しかったです。

兵庫陶芸美術館、明日(9月30日まで)

このあと、篠山のJAで新米の5分づきと、焼き肉用の丹波牛やりんご、みかん、山の芋などを買って、イカリスーパーで好みのお味噌などを買って帰路につきました。篠山は、豊かな土地だとしみじみ思い返しながら。


























横浜でプリンアラモードはいかが

2019-09-21 00:31:29 | writer希望を胸に執筆日記

8月23日(金)晴

翌日もよく晴れた。
Nは、早朝6時にはホテルを出たので、
私は一人で、バスローブのまま部屋の中をうろうろして、正面の家具の中にしまい込まれたテレビをつけたり、新聞をみたり。
それから「翼の王国」(ANA機内誌)を持って、
白の大理石調のバスタブで読む。
そうやって1時間近く、一人の休日を楽しんだ。


取材の予定は、5時。丸の内線の本郷3丁目でディレクターと待ちあわせ。

それまで、ホテルニューグランドの西洋建築(建築家は渡辺仁氏)をウォッチングした。






アールデコの階段や壁の色。ぽってりとした白磁の陶器のような白、クリーム地、鶯色の緑や。それにこの照明。明治期の装飾は、これみよがしでなく、控えめな品があっていい。
昨日のロビーで催されたナイトラウンジも素晴らしかったが、私たちの席の真正面に据えられた照明の中央は、ナント弁財天の彫刻が施されていたそうだ。






さて。今回の宿泊の一つの楽しみだった、プリンアラモードを求めて、1階の「ザ・カフェ」へ。

プリンアラモードを食べてみるために、
宿泊する客というのも、そう多くはないだろう。

これが、ホテルニューグランドの名物プリンアラモード。






アメリカ人将校夫人たちを喜ばせたいと、当時のパティシエが考案したメニューだそうで、NHK「グレーテルのかまど」という番組で紹介されていた。


ボード型のガラスの器の上には、ゆかしきプリン、バニラアイス、キウイが3切れ、オレンジ、乾燥プルーン、生クリーム、りんご、ミントを添えた生クリーム。

あぁ、しっかり甘く。素材本位の味。年配者から子どもまでに愛される味というもの。プリン、アイスクリームもさることながら、特にプルーンの煮加減がよくて感心した。

お昼前とあって、周囲ではホテル発祥の伝統料理、ドリアやナポリタンを食べている。

通路をはさんで隣やその前後には、おじさん、おばさんが楽しそうにこの夏の思い出や近日の出来事などをおしゃべりしている。
あとは家族連れ、パンケーキを食べているカップル2組。外は、麦わら帽子をかぶっている中年夫婦が、きれいな沈黙を張り付けて元町の方角にむかって歩いていった。


ポメラをパタンと閉じるや
元町へ、ふと行ってみたくなり、スーツケースをホテルに預けて、とことこ出ていく。






昔とさほど変わらないようだが、店舗がどうも面白くない。数件の店をひやかして、昨日歩いた元町中華街まで戻ってきた。

アッという間の90分。そろそろ仕事である。
ディレクターと連絡を取り合い、東京駅へ。待ちあわせ場所を変更し、丸の内の南側、東京ステーションホテルのロビーにしてもらった。
2階の「虎屋茶寮」で打ち合わせ。仕事モードへ切り替えだ。





本郷3丁目の某医院にて、女性医師に話を聞く。この先生にお会いするのは今回で2度め。「これから、パーティーがあるのでタクシーの中で続きは話すわね」といわれ、写真撮影を終えて、タクシーに私とディレクター氏とともに乗り込む。

赤坂の「永楽倶楽部」にて、後半取材。
女性医師以外にも3人のインタビューを終える。

「永楽倶楽部では、これを絶対に飲まなくてわね。三島由紀夫も愛したというドライマティーニなのよ」と先生が何度もおっしゃるので、ありがたくごちそうになる。パーティーの料理もぜひに、と勧められたが、遠慮して退散。
夜8時半の新幹線で帰阪した。

明日は地域のサマーフェスティバル。この夏は、役員にあたっているので朝から夜まで出ずっぱりの予定。





ホテルニューグランドで、辛口シャンパン(夏日記)

2019-09-19 00:25:40 | writer希望を胸に執筆日記


8月21日(水)晴

昨日取材のテープおこしを済ませる。

リビングのソファーから動かないNは、友人に贈る結婚式のDVDの最終形を完成させている模様。
7月に、大学時代の友人と思い出の場所で撮影会を実施したそうで、そこへ台詞を吹き込み、「下材料は作り込んできた」という。あとはテロップと音楽、効果音を重ねて、過去4年分の写真から選んで、間をつなげば出来上がり。自分で何度もチェックするが、こちらにもそのたびに見せてくれて感想を求められた。


6時になったので、車を出して夕食の買い出しへ行く。豪勢にシャンパンを買い、
さらには、いちじく、りんご、プルーンなど翌朝用の果物も買う。


夕食は、子羊のローストをメーンに、私がオニオンスープをつくり、Nにサラダを無理やりお願いした。3人で食卓を囲む、この夏、最後の夜。

夕食後は、ウィーンのザッハトルテと、ウィンナーコーヒーで。




8月22日(木曜日)

機上から、夏の空を眺めていた。
明るい陽に照らされた、すっきりとさわやかな白い雲。水彩の絵の具ですっと横にひいたような、あざやかな色。そう海のように鮮やかだから、これほどおだやかで、美しいのだ。

幾重にも、横にひろがる入道雲。
進んでも、進んでも、広い、広い空。
この夏空を、機上からみるという贅沢をしてみたくて、明日からの東京取材を繰り上げて、Nが乗る飛行機に便乗させてもらったのだ。


出入り口の横。真向かいには、短いスカートの裾を気にしながら、(35歳くらいの)客室乗務員がうつむきながら機内連絡用の受話器を耳にあて、何度も上から下に目を走らせ、顧客リストをチェックしている。

私の両隣は男性。ややすれば、ミニスカートからするっと長くのびた黒ストッキングの足が女性でも気になる距離だが。さすがは紳士な男性方、さっきからずっと週刊誌に目を落としたまま。私もならって、「翼の王国」(ANAの機内誌)を読んで過ごす。



羽田空港に到着、約1ヶ月ぶり。

千疋屋で、休憩。名物の「マンゴープリン」をカウンターに座って食べる。

横浜へ移動。ホテルニューグランドで急遽、一泊することにした。NHKの「グレーテルのかまど」で伝統のプリンアラモードを再現していて食べてみたかったのだ。明日、食べよう!


ホテル部屋まで荷物を運んでくれた若いスタッフに。
「中華街で点心がおいしい店はどこですか」と聞く。
それが「横浜中華街の老舗「萬珍樓 點心舗」。

横浜中華街のメーン通りから一本はいった広東道沿い。台湾のレストラランに近い東洋風の飾り付け。そこにサラリーマンのグループが1組と、家族連れが2組。それほど混み合ってはいかなった。

小籠包や揚げ春巻き、餃子、エビのカシューナッツ炒めなどをオーダーし、チンタオビールで乾杯した。










30分ごとにピアノの生演奏がある。


この日、一番といえば、「冷麺」だった。麺の上に、薄くレタスが敷かれ、ハム、キュウリ、細切り卵、冬瓜、香菜がのっている。
酢の効いた濃いゴマダレが、太めの麺によくあい、旅の疲れの胃袋にも入るやさしい味なのだった。








小雨が降りそうなほど湿気が多い夏の宵。
山下公園から港のみえる景色を散策。潮の匂いを吸い込みながら歩く、気持ちのいいこと。おまけにほろ酔いだ。
赤煉瓦倉庫のすぐ近くまで歩いて、Uターン。
Nと恋人ごっこをして遊んだ。

横浜の港は、神戸の海と近いけれどやはり違う。
旅先でみるアジアの海と似ている。





さて、ホテルニューグランド。ここは、山下公園の真向かいに建つ1927年創業のクラシックホテルだ。













ビールがほどよくまわり、気持ちがほぐれているし、ホテルの部屋には戻らず、昔の迎賓館時代を彷彿させる本館2階ロビーにまわり、夏恒例のイベント「Twilight Lounge -THE LOBBY」へ直行する。






私は辛口のシャンパン。Nはきれいな色のノンアルコールカクテル。


古い洋館の中で、冴えた音楽。薄暗い照明。洋酒とグラスの煌めきとくれば、ブルースのような大人の夜が待っている。

奥では、DJが音楽をセレクト。やわらかい音でジャズの懐かしのナンバーなどが洋館の室内からロビーから、サラウンドな響き方で溶け込んでいった。例えば、ルピータパロメーラのヴェレダトロピカル…等々。聞き惚れる。しっとりと飲む人を見るのもたのし。

同世代の友人だったらもっと楽しかったに違いない。



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京都の取材を終え、香りのパンチが絶妙な「ブランカ」(夏日記つづき)

2019-09-14 00:30:29 | writer希望を胸に執筆日記


8月20日(火)晴 (後追い日記)

午前中、昨日の原稿をチェック。
午後から、京都駅のグランビアホテルで親子をテーマにした取材と撮影。

京都・西京極のほど近く。「父方のおじいちゃんが建ててくれはった」という築80年の家。

小さな改修を何度か経て、玄関先を車のガレージに。 片方が土間で貫かれた風と人の通り道〝ハシリ〟は母がお嫁に来た頃は井戸や竈、古い戸棚が添えられていたが、今は土間をあげて現代風のキッチンにされているという。

「苔のむす中庭、裏には樫の木がありました。表の格子戸越しには秋になるとそれは大きな真っ黄色のイチョウの木が素敵に見渡せた。おばあちゃんと父母、私と弟の5人で仲睦まじく暮らしていた頃が懐かしいです」と娘の久代さん。

50代の娘と75才の母の、話は続く。耳から、その言葉運びから。京らしいふんわりとした温かみがせり上がってきた。とてもよい時間だった。

私はその昔、(30代後半から40代半ば)
外国籍×日本人の夫婦の暮らしぶりを紹介する巻頭特集を取材・執筆してきたのだが。こういった「人」と「暮らし」、「そこに流れる特別な時間の流れ」みたいなものを感じとって書くことが、とても好きなんだなと気づいた。

当時、代理店の人は「取材記事というよりはまるでエッセイを読んでいる感じがしています。よいんでしょうか」とぽつりといったことがあった。私は、それは違う。これは完全に取材記事である、と興奮気味に反論した。
はて、今読めば、断じてそうだといいきれるんだろうか。

それでも、最旬のニュースをキャッチして、新聞記事風に、噛み砕いて自分なりの視点で伝える記事より、もしかしたら、そこにただ存在するものや人の息遣いを淡々と書くほうがもしかしたら、うまくいくのかもしれない。
〝説明するのではなく、みえない時間や空間。そこにフォーカスしつつ、匂いや移ろいを絵のように書いてみたい〟


さて取材終了。京都駅、伊勢丹の大階段のところで撮影中、Nがひょっこりと現れた。ディレクター氏とNが挨拶をかわし、そのまま四条烏丸駅まで。

京都の抹茶が食べたい、という希望を受け入れて、「茶寮翠泉高辻本店」。






Nは「翠泉パフェ」、わたしは「抹茶クリームわらび餅」を食べる。
品のある濃い抹茶の風味。天然のわらびのぬっとした味わい、しっとり感。


夜は、前から一度いってみたかった京都の「ブランカ」へ。
寺町通りから、京都市役所9番出口から徒歩3分。
犬矢来や格子戸を構えた感じのいい古民家だ。
店内はL字型カウンターと4人がけのテーブルがひとつ。

「よいしょ」とカウンターのハイチェアに腰掛けると、今日のおすすめ食材、ゴーヤや泉州なす、オクラ、とうもろこし、手作り胡麻豆腐などが見わたせて食欲をそそる。店主の器用闊達な手さばきも、気持ちいい。これは期待できるとすぐに分かる。

夏らしくすだちサワーと迷ったが「黒糖焼酎」を注文した。


●はもの塩レモン焼き
夏のはもを塩焼してレモンを絞ったはものあぶり焼き。




●いちじくと牛たたきとパクチーとヤム
さっぱりとした牛たたきに香草のパンチがきいて、混ぜるごとに酸っぱさ、甘み、さわやか、ナッツ感などが味わえる「アジアン風サラダ」。




●肝焼き
朝挽きの新鮮な鶏肝をおそらく炭火で焼いた、最高の肝。シナモンの香りが鼻孔をくすぐる。





●できたてゴマ豆腐、
むっちりとしたなめらか。白ゴマのやさしい味わい。





●しらすと香菜の卵焼き
ほのかな磯の風味。しらすの甘みと塩みがほどよい。




●シメの播麺
胡麻ダレ、ごま油にハーブが良い仕事をしていて、お腹いっぱいでもスルスルっと入る豪快な麺。




またひとつ、京都に贔屓の店が生まれた。








「ザッハトルテ」にウィーンの珈琲で(夏日記つづき)

2019-09-13 23:55:56 | writer希望を胸に執筆日記

8月19日(月)晴  <後追い夏日記>

月曜なのに、Nがのんきな顔をして、家にいるのが不思議な感覚である。

少しでも仕事を進めたくて、午前中のはやい時間から起き出して、たまっていた仕事をしている。

昼過ぎて起きてきたNは、これまた家にいた時と同じように朝シャワーの後、携帯ばかりをさわって過ごす。
なにひとつ大学時代と変わらぬNのいる空気に、3日で慣れてしまった。

私が原稿を書いている間中、9月に結婚する大学の友人に贈る、余興のDVDを熱心につくっていた。
客室乗務員の女子には似合わない職人並みの凝りようで、一度仕上げたものを何度も考察して、「自分ばっか中央にいる。これじゃあだめ」と、幾度かやり替えてはクオリティアップを図っていた。


夕方、散歩がてら近隣のスーパーに買い物。「ヤクルトとミルミル(同じメーカーの乳製品)をダブルで摂取すると、すごくよいお通じがあるのよ。快調は大事」とNが何度もいうので、ヤクルト、ミルミルを1週間✖️2人分購入した。

夜ごはんは、
モロヘイヤとパクチー、空心菜などの夏野菜をにんにくと塩で炒めしたもの、
鮎の塩焼き、栗かぼちゃの煮付け、お味噌汁など。

レモン入りのさわやかなビール(Nのお土産のウィーン産)。
ホップは軽め、甘さはやや控えめ。日本のチューハイのような薬っぽい甘味はなくて、おいしい。
とても気に入った。




デザートには、ウィーンからのおみやげ。「ホテルザッハ」のザッハトルテに、ウィーンのコーヒーを。











このトルテ、フォークをつき刺すも、なかなか通らないほど固い溶かしチョコレートの糖衣でコーティングされており、中から洋酒のようなアンズのジャムが溢れ出してくる。

日本の乳化剤や生クリーム、バタークリームにみられる乳(ちち)っぽい味は微塵もない。
ビター感が際立つ大人のチョコレート菓子であった。

メランジェを真似て、自家製ウィーンコーヒーをいれて。
大山の木次牛乳を混ぜると、まったりと納豆の上澄みを焙煎に混ぜたような香しいとろみに。ベトナムコーヒーと少し似ている。







夏日記のつづき 海水浴編(第3週目〜8月17・18日)

2019-09-11 23:50:54 | writer希望を胸に執筆日記




8月17日(土)晴

今日から、Nが帰省してくるので、朝からリビングや子供部屋に掃除機をかけて、めったにしない水拭きなどを。そして大急ぎでごはんをつくる。

昨晩「イカリスーパー」から買った「金目鯛の白味噌漬け」をメーン食材にして、京風の白味噌漬け金目鯛の焼き物、ゴーヤの酢の物、大葉とトマトのごま風味サラダ、もずく酢、キャベツの味噌汁。

Nは、ほっぺたがふっくらとした。よく笑うので、まぁ体調は悪くないのだろう。

午後から、歯科の予約をしていたので、家族そろって行き(Nは近くのカフェでお茶)、そこから郊外型の大型スーパー(イオン)に。ハワイアンのパンケーキ屋さんでお茶して、ペットショップをのぞいた。


そうしてこの、愛くるしい、『妖精』のようなキャットと出会ってしまったのだ。








まだ生まれて3カ月足らずであるのに、瞳には穏やかな品格が漂っていた。ブルーグレーの中に微かな黄味かかっている。品種は「ノルウェージャンフォレストキャット」。
Nと私は、ガラスに吸い寄せられるように、すばらしくバランスのとれた華麗なキャットを放心状態でみつめる。
(永遠にみていたいと思うほど)


すると、薄ピンク色の白衣をきた女性店員が、どうぞと、ばかりに私たちの前に、キャット!を抱きかかえてきて、
すっぽりと私の胸の前に。
生後3カ月のあかちゃん猫をそっと抱いてきては手渡してくれたである。




ふわーーー。かわいいこと。ミルクたっぷりの紅茶の色。
頭から顔、尻尾の先まで。ほわほわの産毛をなでると、信じられないくらい可愛くなって愛着がいっそうましてくる。

途中で、Nに呼ばれて登場した夫も(散髪していたらしい)、
しばらく硬直するも。うれしそうな、そして、やはり、赤子をみるような微笑みで、耳から首のあたりを強く、激しくなでていた。そして、このキャット!なかなかの甘え上手。

パパの顔に向かって、たかたかっーーっと駆け上がっていっては髭を甘噛みし、猛アピール。
こいつは金をにぎっている奴だと、わかるのかしら。動物的勘で一瞬のうちにそれらを嗅ぎわけ、絶大に甘えていらっしゃるのだった。 買物の帰りに、再び、ペットショップをのぞくと。

キャットさま、なでられ、持ち上げられ、振り回されて疲れたのか、スヤスヤ眠っていらっしゃった。

あぁ、一緒に暮らしてみたい。ケムジャラの妖精と。
出生地が岡山というのも、我らは大いに気に入った。





8月18日(日)晴

明石海峡大橋をわたって、淡路島に。
海の凪はおだやか。鏡のように広く大きな藍色の海がおおらかだ。

お昼を我が家で食べてから、ふらりと岩屋海水浴場にやってきた。











お盆を過ぎたというのに、波はゆったりゆっくり。浅瀬では白砂が透けてみえるほどの透明度だ。

近くには近隣の大学生だろうか、女4人、男が3人くらいでキャーキャーとビーチボールをしている。

また黄色い灯台のみえる岩場の近くでは、灯に焼けた男性のインストラクターの指導に従って、海に浮かべたサーフィンボードの上でヨガのポーズをする人。4人。

手をまっすぐに空にむかって「シューッ」とのばして、そのまま横に体を倒すポーズなど。
よほどバランスよくやらないとボードは転覆してしまうと思うのに、皆さん、うまいものである。

わたしもしばらくは砂浜の上から、そういったユニークな夏の景色・至福を焼き付けてたのしんでいたが、いよいよNとパパが、海においでと誘う。

「入りたいんでしょ。はやくおいでよ。」
 「気持ちいいよ」
 「クラゲいないよ。全然」
 「まだ冷たいよ」

もちろん、はいるよ。夏のうちに海水浴を5分でもしたいといいだしたのは、私なのだから。

小さな貝殻のかたちをした砂や小石をギュッギュッと足の指でにぎりしめ、浅瀬のところでそっと肩をつける。

ヒャー!冷たっ! この自然極まる塩分濃度が最高に気持ちいい。

顔をひょっこりと出すカエルおよぎで、足を蹴って「スイーッ」とゆるり進む。

よいねー。うん 。

よい気分。

海の自然を全身で感じて。そのまま10分ほど。無心になって泳いだ。

「ふーーっ」!







これで、夏の禊ぎは完璧だろう。


7月末。京都下鴨神社のみたらし祭ではおなかの中に、水の神様をお迎えして。
そして、これまた海の潮の恵みを全身で感じられるとは。




6時過ぎ。首やひたいが小麦色にやけた短髪のわんぱく坊主たちが連れだって泳ぎにきた。


おそらく近所に住んでいるだろう。独特の安定感のある泳ぎ、遊び方なのだった。





また、ひょっこりと現れたのは、80歳近くのおじいさん。
あばら骨が透けてみえそうなほど肉質の少ない痩せた体に、トランクスの海水パンツをちょんと腰の先につけてこっちに向かって歩いてきた。

おもむろに準備体操。ぐるぐると腕をまわし、足首もぐるぐる。ちょっぴり、よたよたしているが、目に鋭い意志が宿っている。砂浜をちょっと走ってみたりもして。いくぞ、と思ったら。
いきなり、どぼん!と海を風呂のように浸かり3分で上がった。そして、またあばら骨のみえるひょろひょろの体に濡れた海水パンツをちょこんと腰につけたままで、すたすたと歩き、帰って行った。



夕ご飯は、「淡路夢ホルモン」に行く。











住宅地の真ん中から細道を突っ切って、海からの最前列にこしらえたトタン屋根の絶景レストラン。

ポツン。ポツンと。かぼそく光る船の灯りしかしかみえないが、しっかりと波がたつ、夜の海の気配が店の中まで漂ってくるようだ。夜の海は、色々な生きものがうごめいている。豊富な生命や栄養分を蓄えて。

店主が厳選したという淡路ビーフホルモン。
例えば、国産牛白もつ、テッチャンなど。
おいしいのかな、と心配だったりしたが、これが肉の味にほのかなミルクっぽさが隠し味にあって。浸けタレはぴりっと辛く、肉は噛むほどにやわらかく。最高だった。脂も甘く、上質なので、たくさんの部位を注文した。

地元農家直送のコーンやタマネギ。淡路牛カルビ、塩タン、淡路鶏。

臭みのない旨い塩タンを久しぶりに味わった。
淡路産のクラフトビールに最高のごちそう。









夏日記つづき(第3週目)

2019-09-10 01:19:14 | writer希望を胸に執筆日記


8月12日(月)晴
盆あけ提出の仕事が進まない。
それで取り寄せた田辺聖子さんの本を一気読み。
やわらかい関西弁の中に人情が織りなす機微や大事な事をやんわり教わる。
あの頃のあの風土。
お聖さんという温泉で心の芯まで湯浴みしているような気持ちよさ。
登場人物の根っこは善良、悪人は1人も出さない。







8月13日火 晴
昨晩からトータルで9時間半も寝た。
眠すぎる日は宇宙から交信だと思って寝るに限る。おかげでもやもやした心の澱も全て忘れた。 仕事、はかどり、2本半完成。前回執筆の記事を見本誌と照らし合わせてみて、考察も終える。
夜。母から「今にも死にそうな気がします」などという電話が入る。死にそうにしては気丈な声で。

(母の方から掛けてくるのは珍しい。翌朝は早朝に家を出ようと緊張感の中に寝た)




8月14日(水曜)晴
お盆の帰省。今日はNの誕生日だ。着いた途端、2回もコープへ行き、ごはんづくり。
沢村貞子さんが26年作り続けた料理の記録、NHK「365日の献立日記」にならい、前日テレビでみた「冷やし茶碗蒸し」「枝豆のおろし和え」を。加えて、鯛と鯵のお造り、ピーマンの甘辛煮、トマトサラダをこしらえる。

母の家でつくる食事は、普段、家でつくるそれよりは品数が多くなる。基本はやはり母の食卓だ。
私のは、母の食卓にバリエーションをつけている、みたいなものだから。それでも食べてくれる「人」が一人でも多いと俄然張り切るのだ。



8月15日(木)晴

今日の台風は、家族みんなで迎えた(といっても母と私と主人の3人だけど)

実家にふらりと一人で帰省した日には一気に時間が逆もどりし、過去の時間軸を必死に駆け抜けている錯覚に陥る。 やっとここまで進んできたというのに。すごろくでまた、振り出しに戻ったような妙な焦燥感も。そんな時には、母の機嫌のいい時をみはからって、喫茶店にコーヒーを飲みに行く。









できるだけレトロで、寡黙な店主がコーヒー豆にこだわって自家製焙煎をしているような店がいい。そこで本をよんだり、原稿を進めたり。そうして日常の時間を恢復させるのだ。




そんな折、主人がひまそうな顔で「こんにちは」と居間の部屋に顔を出して、ストンと座ってテレビなどをみはじめたりすると、だから少しホッとする。時間がまた逆もどりして、現在の時間軸に近づいてくるのだ。

さて、今日は昨日に続いて2回、買物に行き盛大に食事をつくり、夫婦で母の家を掃除&修理をした。
4時。クーラーの取付工事の職人さんが二人やってきたので、金額交渉などをして、パンとポカリスエットをお盆にのせて、機敏に、実家暮らしの娘のように立ち働いた。私たちがいくら立ち働いていようと、母はビクともせずやはりどこか威厳があり、ちょっとやそっとで慌てたりはしない。焦った風にみえても、片頬でふわふわっと笑っていられるゆとりがある。
6人きょうだいで長女の母は、やはりいつまでたっても家長の貫禄でいきっている。すごい人だ。




8月16日(金)晴

母を一人残して帰ることがきがかりで、「お盆の休憩がてらにこっちの家においで」と誘ってみるが、「庭の花に水やりをしないと枯れてしまうから」とどうしても聞き入れてくれない。

帰りに、父と先祖代々のお墓参りをした。夕方近くなのでヒグラシの鳴き声に、
高照寺から木魚を(ぼくぼく)叩く音がかぶさって安らかな夏の和音に。
清い白檀の匂いを漂わせて、線香が香る。
途中で、手にもった10本ほどの束に両隣の線香から火がぼおっと大きく燃えうつり、大きな火玉になるので慌てて、しゃっ!しゃっ!と払うが消えないので5本ほど土に投げてしまった。

階段を5段ほど上がって水道の蛇口がある水栓をひねる。
白と紫の小菊と黄色いおみなえし。それと、丸いぼんぼん(赤紫と白)が茎の先についたが盆花に、枯れないように水をつぎたしてまわる。

両手をあわせると、父の笑った顔がぽっと瞼の中に宿った。変わらない元気そうでやさしい顔。
般若心経を知らないとこだけ、あらふやにして、でも最後まで唱えた。

「また来ます。それまでごきげんよう」。
「ありがとうございます。私たちのことを見守ってくださいませ」。

帰り際。いつものように墓地の左側の道からわが墓の地へ広がっている山桜を見上げる。
耳に響くのは墓地や木々に響きわたる蝉時雨。


ずっと前のこと。
京都の法然院で、谷崎潤一郎、松子夫妻の墓参りをした。この時、墓石の背後からかぶさるように垂れ桜が植えられていたのが忘れられなかった。墓に桜か、なんて粋な、と思っていたら。

それから数カ月後の墓参りで、空をあおいだら、墓地の敷地いっぱい傘の下に覆い込むほどの大木の山桜が、隣との境目にあたる道からなだれのごとく緑の葉をこちらへ、たれこめていたのだ。不思議だった。急に桜が植わったのもおかしい、単に気付いていなかったのか。

見惚れていたら、母がこんなことをいった。

「一年中、落ち葉がうちの墓地に落ちるので根から切ってしまいたんだけどなぁ。本当は。(ビックリ!)
いーちゃんに思い切って枝を落としてもらってだいぶスッキリなったけど。全部、根から切ってしまおうと思ってお寺さんに相談したんだ。そしたら『それは絶対止めんさったほうがいい』といわれた。掃除しても掃除しても、落ち葉。それだけじゃなくて、墓地ごと崩れてこないかと心配でなぁ。でも、お寺さんにいわれたでな、切れんしなぁ。困ったなぁ」


母は冗談ではなく本当に困ったようだった。

お寺さんよ、ありがとう。

樹齢のいった桜である。
私はこの木の満開をみたことがない。
いつか、墓参りと花見を同時開催する計画を立てなくては。