月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

有馬グランドホテルのアクアテラスで夏を惜しむ

2017-08-24 13:59:47 | どこかへ行きたい(日本)


お盆休みは15日頃まで仕事があり、墓参りをするために実家を2往復した以外は、さして夏らしいことはなにもしなかった。
それでせめて、、、、と出掛けたのが先週末の有馬グランドホテルだ。



「日本に、京都があってよかった。」というJRの広告があるが、まさに
「ご近所に、有馬があってよかった。」の心境だ。

これまで、御飯のおいしい小さな宿。が好きだったはずが
このホテルは大型ながら設備の快適さと、従業員の接客が素晴らしい。
空間全体に心地いいブレス(気)が通り抜けるよう。
お風呂もロビーも、椅子の置かれている小さなコーナーや廊下ひとつとっても、気持ちいいのである。


5月の時は、娘のNとともに日帰り入浴メーンで、入浴付館内共通券平日3650円を購入して、
2000円はロビーでのお茶とお寿司(にぎり寿司)に使い、
大変に満足した。







普通ホテルや旅館の日帰りといえば、
宿泊者優先で夕方6時には退散しないといけないが、
ここは浴場(B2紗の湯)が22時30分まで利用可能。
夜になると、ロビーの隣に位置するバーで生演奏や唄があり、
普段はストリートミュージックも素通りするのに、この日は地元三田出身の歌手が熱唱する、
「22歳の別れ」に感激しながら旅情気分でクリーム珈琲を飲んで聞き惚れた。







今回は「アクアテラス&スパ」をメーンに、浴場(B2紗の湯)と軽食で利用した。(休日4200円)
中学生以下は入場できないので子供たちの騒ぐ声はないし、人が少ないのでゆっくりできる。

サウナはラドンミストサウナや岩塩ドライサウナ、岩盤カウチサウナなど5種。
水中浮遊歩行プール、フィットバスに浸かりながらリゾート気分をかきたてるシアター映像もある。

















けれど、私の心を捉えたのは、なんといっても小さな小さなオープンエアプール!
アクアテラスの屋外インフィニティプールである。



写真はホームページから↑



庇が深いので日焼けはしないし、
目前には森さながらの有馬の深緑が。
空をあおげば、入道雲をうかべた空がすぐ近くにひろがり、
気持ちいい風がスーッと過ぎゆく。

バリなどいかなくても、ここで十分だ。

私は浴場でほてった体を冷やすため、有馬の金泉とインフィニティ・プールを2往復して堪能した。
生まれて始めて背泳ぎをちゃんと教わって、
夕刻時にカラス達が10羽くらい群れになって巣へ帰っていく姿をぽかーんと口をあけてみながら、背泳ぎしながら、真っ平らでとろんとした有馬の水と遊んだ。
これ塩水ならいうことないわね、そんな風に心の中でささやく。
私達以外は誰もいないプール、それも 小さいけれど気持ちいいインフィニティ・プールを泳げる至福なんて、ここ以外にあるかしらん。

夏が過ぎていく。でも夏が恋しいとはそれほど思わないのは、何年ぶりなのだろう。
年齢を重ねた証拠なのかな。
いつも私の傍らで、当たり前のように笑っていた娘のNの姿はそこにない…。




夏のある日、河瀬直美監督の「光」を鑑賞。

2017-08-11 14:05:16 |  本とシネマと音楽と




先日から、吐くくらいに難解な仕事をしていたので、その後、お仕事が2日途絶えて
7日(月曜)まで入らないことに内心はホッと安堵していた。

日曜日だったので、以前から観たいと思っていた河瀬直美監督の「光」という映画を観る。

小さな、古い流行らない映画館で、先週からの疲れを引きずっての鑑賞だった。
冒頭のシーンから2秒くらいで、すでに映画世界の中に自分がいた。
良い作品。こんなに秀作の映画をなぜ、こんな小さく流行らない劇場で観なければいけないのか、そこに無償に腹が立った。

ミニシアター系も好きで時々は足を運ぶのだが、そこの10倍は劣る映画館。
午前中の観覧だったので、コーヒーとクッキーもしくはスコーンでもないかなと思ったが、

ポップコーンが2種類と、自販機があるだけで、(ビールが1種類だけ売られていたが)チェロスなどもちろん無いし、
店員が機械をセットして煎れてくれるコーヒーや紅茶すらないのにも腹がたった。
古い上に、埃っぽい空気の中での映画鑑賞など、思っただけで気落ちする。

いや、こんな優れた作品をなぜ堂々と大きなスクリーン劇場がある映画館でせず、
ディズニー系などのエンタメ系に推されてしまっているのか、日本の映画事情にまず腹がたってしまった。
(すいません)

「光」は、こんな話である。
情景を言葉で説明する視覚障碍者向けの(映画の)音声ガイドの仕事をする美佐子と、
弱視のカメラマン雅哉との、仕事を通しての葛藤や互いの人生観や、そして愛が描かれている。
命よりも大事なカメラを手にしながら、次第に視力が奪われていく雅哉の言いようのない孤独も。

視覚障碍者の人が、ごく自然に映像が浮かぶように、説明しすぎず丁寧な言葉だけの描写を心掛ける音声翻訳(音声ガイドの訳)という仕事。
言葉をひたすら、丁寧に研ぎ澄ませて、シンプルに。でもキチンと説明するというのは、
なんて難しいのだろう。だって主人公の美佐子には目が見えているのだから。

彼女や彼を支える人達のぬくもりと掛ける言葉。
そして、天才カメラマンの才能を嫉妬し、カメラを盗もうとする仲間(時代の潮流にのしあがりたいカメラマン)との、諍い…。
ラストでは、題材になっていたもうひとつの映画をキチンと鑑賞させるという度量もある、いい映画だった。

自分に素直に、誠実に生きるということは、大変なことだ。
前を向いて生きようとすればするほど、泥臭くかっこ悪い、誰しも。ということを、
映画の時の中で、見せつけられた作品だった。

映画を、誰よりも愛し、映画は人生そのものだという河瀬直美監督の、思いが
画面から情熱的に湧き上がってくる作品。

例えば、自殺をするかもしれない痴呆の母の元へ必死で向かおうとするのに、
雑木林の中でぬかるみに足をとられて、ドロドロの靴のまま、はまり込んで抜けられない、美佐子の姿の中に。

あるいは、日々光を、視力を失っていくカメラマンの雅哉が、酔っ払いのゲロでこけてすべるシーンの中に。
それでも起きて公衆洗面所でドロドロの背広を洗い、(命より大事な)カメラを後輩カメラマンから取り返しにいく雅哉の悲痛なまでの哀しみ。
「2度と使えないとわかっていても、自分の心臓と同じ、ここで鼓動しているんだよーー」とカメラを手に叫ぶ雅哉。

もう一つの映画の作品。
著名な芸術家が足をとられながらも砂の山を這い上がるシーンで。失った妻は彼の元へ帰らない。それでも生きる、光を求めて生きる姿…。

ともかく、捨てカットも、捨て科白も、一つもない。


自分の仕事を一生懸命に全うすること。
人を愛すること。誰かを必死で支えようとすることも。
夢中で生きるということは、それだけで人の心を鷲掴みにするんだと、この「光」という作品で改めて痛感する。
奈良へ行くたびにこの映画を回想するだろう、素晴らしい作品(光)だった。