月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

いまを客観的に捉えてられてる?

2021-03-31 23:53:00 | コロナ禍日記 2021
 
 

  

2月23日(天皇誕生日で祝・火曜日)晴

 大阪城公園に散歩へ来た。今週は提出がつまっているのに、よい根性である。面のカワがあつくなったものだ。家人は、五分付きの米を買いに篠山農協へ出かけて行った。

緑の屋根瓦を泰平におろす、大阪城天守閣の凛々しさよ。祝日散歩の平穏よ。一人っきりの外出だ。

 梅林へ行く途中、おもしろきものをみた。30代前半くらいの髪の毛を後ろに束ねたお姉さんが、ぴょんぴょん、と地面を蹴って飛んでいる。なに? 近寄ってみる。すると、ポップコーンほどの豆菓子をジャンプし、高々とほうりなげている。そこへ結構大きめの野鳥が、喰らいついくのだ。野鳥はお行儀よく自分の順番がくるのを金網や地面で待機しているのだ。

 ぽーんと白い豆粒をほうりなげるや、野鳥たちがくちばしでナイスキャッチ! お姉さん、またジャンプをする。野鳥たちも1羽ずつ、トライ。おー、下から急旋回してナイス、キャッチ。

 ぽーんとやわらかく白豆が風を切って弧をえがくと、一羽の鳥が踊り出て、キャッチ! 鳥はいま飛んでくるのか、いまか、と鋭い眼つきで待ちかまえて準備している。人と野鳥が共生している。というか、遊んでいるのだが、その真剣具合が面白い。

 

お姉さんの後ろには、60代の母らしき人。母も野鳥の交信を注意深く監視している。野鳥たちは、手から離れる白豆が空(くう)にある間に、キャッチしないと、地面に落ちてしまう。地に落ちたものを拾って食べようとする鳥など一匹もいないのは、それはプライドだろうか。足をとめる、周囲の観衆は驚いて目を細めて空をみあげる。二月の終わりの小春日和だった。

なぜ? こんな遊びを思いつかれたのですか。あなたがそうやって地面から足をはなして飛ぶことで、鳥と会話し、鳥の気持ちと一体になっている、そんなところですか」と問うてはいないが、実践してみたらおもしろいインタビューになったのだと思う。 

 

大阪城梅林は、いまが見頃だった。













 

 白梅の花びらのやわらかさとみずみしさ。幹や木の黒々しく身をよじる妖艶で由緒ある、美しさ。京都の北野天満宮や中山寺の梅林、神戸岡本の梅林と。その年によって思いついたところを訪ねてみる。このところは大阪城梅林が多い。

 ここのよさは天守閣を背に梅がめでられることと、なんといっても種類の豊かさだ。マスクをしていたので、鼻から梅独特の香りをかんじられなかったのが無念だった。

 ホテルニューオータニの道路沿いに面したラウンジで一服。いちごケーキと、グレープフルーツベリーベリーのジュースで。

 

 



 

 今週末に提出する原稿の校正をした。もうすぐ6時。ちらちら針葉樹林の緑が揺れ出し、夕方から夜になる時間だった。

 

 日常の壁をつたって、高い塀を跳び越えて外界へ出ること。マスクはしていても、外で息を潜めてみることは大事。人の多いコロナ渦では時と場所を選ばないといけないけれど。外へ出て、見て歩いて、人を眺めて、はじめていまを客観点にとらえられる。

 


お洒落なおばあさんのマスク

2021-03-28 23:05:00 | コロナ禍日記 2021









2021年2月17日(晴)

まるで桜が咲きそうな陽気の日だった。
2時からの取材にむかう電車の中で、とてもかわいい女の人に出会った。大阪の御堂筋線は梅田から中津を過ぎると、地上に顔を出す。のんびりとしたオフィス街と住宅地が交錯しはじめる。

 

わたしの隣に座っていたその人は、オレンジ茶色のかつらをかぶっていた。まるみをおびたヘアのライン。からし色のブラウスに、くるぶしまで落ちたAラインのフレアースカートをはいて、黒い靴には細いベルトがしまったヒールのない靴をはいていた。草の刺繍をしたベージュのソックスも美しかった。

女の人はきれいなおしろいをつけて、朱色の口紅をしていたが、その人はたぶん、80歳を過ぎているおばあさんだ。上品でこぢんまりとし、なんてかわい。胸がせつなくなるほどの距離感。おばあさんの、おばあさんだけの空気を隣に感じ、わたしはちょっと緊張していた。

 

というのは。
その人は。さっきから何回も、自分の鼻から口もとをしきりに、上げたり下げたりして手でさわっていらっしゃる。マスクを気にされているのだ。薄オレンジのフェルトでつくられた手作りのマスクには、カーブするツタに小花が美しく咲いていた。


マスクの下に、おそらく中国製の不織布マスクをいれておられるのだろう。
下から、白い紙のマスクがはみ出していないのか、気にされているのだった。センスのよいお洒落に加え、その少女のようなしぐさが、かわいらしくて、目が釘づけ(横目)になっていたのだ。

「かわいいですね、そのマスク」そう声をかけてみたいと思うのにタイミングを探しているうちに、二駅、過ぎる。

「新大阪」へつくと、紺色のビニール製のショッピングカートをカートをひいて、急いで降りて行かれた。

わたしは、彼女がおりたあと、お洒落なおばあさんの残していかれた気配を、しばらく味わっていた。なぜ、それほど気になったのだろう……。


ふと。一昨年、なくなった堺のおばを思い出していた、のかもしれない。背は低いがとてもお洒落な人だったのだ。
小さな足のサイズに、いつもぱんぱんにむくんだ左の手に、右の手にも、エメラルドやオパールや、ある時はほんの小さなダイヤモンドをしていた。おばは髪を何十年も一人で洗ったことはないとよく言っていた。それほど髪が長かったのだ。

黒柳徹子風に、くるりとボリュームのあるタマネギヘアを美容室でしてもらいにいくのだが、晩年には、電車の中でみたおばあさんみたいなカツラをしていたな、と思い出す。若い頃は田中千代さんに師事し、多くの生徒さんをもって洋裁を教えていたので、いつも身ぎれいにしていた。会えなくなって2年がたつ。気位は高い人だったが笑う時には子どものような表情をして笑った。



お洒落なおばあさんのマスクファッションに、たいそう気をよくしたわたしは、その日4枚マスクをもっていたので、(あんな可愛い手作りマスクはなかったけれど)、ブラックの布マスクを外側につけて、内側に不織布マスクをつけてみた。

わたしは、小さい子供やかわいいおばあさんをみると、とても親しみを覚える。とても深い興味を抱く。それは、理知的や合理主義とは無縁の世界にいる人たちと勝手に思っているからだ。素直で自由で、すくすく人生をいきている「弱い人たち」だから。


こどもっぽい、強情さは備えていても。その人の中に野の花をみる、そういう健気さがある、と思っている。だから、なのか。あんな個性的なおばあさんや子どもをみると、シンパシーを抱かずにはいられない。

 

その日の打ち合わせは、とてもうまくいったし、取材もよい内容だった。
帰りには、ひとりでグランフロントに立ち寄って、春水堂にて鉄観音のタピオカミルクティーをのみ、緑とピンクと白のだんごがはった、台湾ぜんざいをたべて帰る。

 







いま、まだ風が吹いている

2021-03-11 00:01:00 | コロナ禍日記 2021


1月25日(日)雨

 

 
 

 

目が覚めたら11時だった。すごく寝た。Nはまだぐっすりと夢の中なので、シャワーを浴びる。あがったらNが紅茶とイチゴとネーブルをテーブルに用意してくれていた。

今日の予定は、南青山のスパイラルガーデンで催されている向田邦子、没後40年特別イベント「いま、風が吹いている」だ。

 

隣のビルの駐車場まで長蛇の列。向田邦子さんの生誕からの年表とともに、小説やエッセイの言葉が抜き書きされてコンクリートの壁に展示。

 

 



 


直筆の生原稿や、脚本、万年筆や鉛筆などの愛用品。「かごしま文学館」から移動してきたのだろうか、向田さん愛用の黒い皮のソファーと肘掛け椅子が置かれている。向田さんの留守番電話のメッセージが、受話器から流れる。

テレビモニターからは、黒柳徹子さんと向田さんの対談映像が延々としゃべり続ける。

見上げたら細い鈍色の塔がそびえていて、長い短冊(ファックス用紙)に綴られた向田さんの言葉(メッセージ)がふわふわと落ちてくるという演出。小泉今日子の声が、向田さんの小説やエッセイを朗読している。

 

わたしの上に落ちてきた言葉は。

「みんな、なにかを待っているのです。沢山の女たちの何かを待っているという思いがーー夜の空気を重たくしているのかもしれません」(ドラマ、あ、うん)だった。

「おかしな夢を見た。夫が石のお地蔵さと麻雀をしている。地蔵尊は三体である。赤い前垂れをかけて座っている。みんなおだやかな顔で夫に笑いかけている。笑い声は女の声だった。「男眉、思い出トランプ」

思い出トランプのほうは、誰もとらなくて下に落ちていたものをわたしが拾った。

向田さんの本や自室の壁に飾られていた書画、様々な洋服の展示もあった。エルメスのシャツやイブサンローラン、シャネルなどの一流ブランドのものをさりげなく着ておられた。

 

濃密なイベントだ。向田さんが書き、話し、考え、メモした多くの言葉たちが息をして、動き出し、ここを浮遊し、40年後のコロナ渦にはみ出してきて寄り添ってくれるよう。わたしの皮膚や体の中は向田邦子の言葉でなお浸食されていった。それは幸福であり、ぼやっとした心を刺激し、呼び起こされるような不思議な体験だった。


51年を経ても色褪せない言葉と一人の女流作家の生きた道。誰にも似ていない、大衆に視点をおく、人生を客観的に楽しもうとする言葉。人柄。凛々しさと幸せな笑顔と51歳の書く女の孤独とーー。

屋外に出ると、雨が降り続けていて、突風に背中を押される。表参道がさっきとは違って見えた。いない人の面影を探しそうになる、雑踏と滲む灯りの中に。


向田さんの本には実に色々な人間が登場する。誰も癖がある。欠陥もあるのに活き活きしていて(リアルで)書き手は温かい愛情をもって育て、鋭く描写する。本当に稀有な書き手。

 

ぼんやり歩いていたらNが近くの地中海料理の店へ誘った。

地中海料理の「cicada(シカダ)」という。

いきなり多国籍な匂い海外のレストランのよう。人が多い。若者も多い。アーバンな雰囲気が落ち着かず、透明ビニールで屋根を覆う屋外ガーデンのような場所へ移動。密集していないところに席を移動させてもらった。海外の人のほうが慎ましく食事をしていた。
騒ぐのは日本人の若いグリープばかりだった。

食べ方といい、素材使いといい、珍しくて、開放にあふれていた。ひよこ豆のディップ、プロシートとハーブをつめたカラマリのロースト。グリーンサラダ、カリフラワーのフライ、地中海の白ワインとともに。アルコールをお腹に入れたらすーっと落ち着いた。

 

 







 

 

ウーフの青山店を探しまくり、紅茶を2袋買う。 
ティータイムは、ピエールエルメの2階のサロンへ。

チョコレートデザートとコーヒーをオーダー。マカロン、アイスクリーム、クッキーなども載ったバラエティあふれる一皿。隣で、ふふ、といいながらパフェをたべているNがうらやましかった。


ガラス窓の外は往来、人もみえる。

「さあ、食べるぞーという時がいちばん幸せ」とN。「人や街をきょろきょろしながら、口に運んでいる時が幸せ」わたし。








 

 ひどく寒い雨の一日だった。

一月の緊急事態宣言中の東京。マスクをつけて、ソーシャルディスタンスを強制される、匂いのない世界。この不自由さがあたり前に慣れることがありませぬようにと、願いつつ。

 


1月の東京遊覧日記

2021-03-08 23:27:00 | コロナ禍日記 2021

 

 




1月24日(土)雨

 

一ヶ月ぶりの東京だった。減便、減便とは聞いていたものの搭乗者は約3割。

大阪からの便も3割という。2時から渋谷で予定があったが、街に出かける気になれなくて、空港内をぷらぷらと。1階にてブルーシールのアイスを買い、エスカレーターの近くに座って、冷たい紫芋を口に運びながら人の流れをみている。少ない。空港内を歩いている人を指差すことができるほど。

 

 

 

 

制服姿のスタッフが暇そうに手荷物のところに待機していた。

 

仕方ないので、3階へ上がり、雨空に飛行機が飛び上がっていくのをみる。廊下のへりに腰掛けて、きょうのテキストを読む。昼食には天ぷらにしようと思った。

 

 

入口で消毒液の霧の中をとおりぬけて、カウンターへ。わたし一人だ。特製天丼も気になったが、奮発して7品の梅コース。大将が1品ずつ、揚げてくれた。お客さんもいないので、つい取材のくせで大将に話しかけてしまう。ここは、綿実油とごま油を混ぜてつかっているらしい。

 

まず、甘みののったさいまき海老から。 白身のキスへとうつる。

次がズッキーニ。かぶりつくと熱い汁がぴゅーつと口の中で飛ぶ、この勢い。

ヤングコーンは塩麹で。いまが旬の白魚と続く。舞茸。あなご。

最後に、追加の別料理で海苔をまいた牡蠣をいただいた。豪華ーー! 一人だからできることだ。

 

 













 


ビールをぐっと我慢。この感激を伝えるのは大将になる。

 

 最初は、目の前の天ぷらについてだったのに途中、大将の口が止まらなくなった。東京コロナの感染状況にはじまり、六本木の本店で安部総理の賓客をもてなしたこと。中国へ数週間、日本の天ぷらの揚げ方を教えに行った話から。海外では荷物チェックが厳重で、空港内でみつかったら最後、地元の雑誌をたったの1冊見つかったくらいで、日本からのスパイと勘違いされて、2日ほど取り調べを受けて返してくれなかった話まで、旅のサバイバルをあれこれ教えてくれた。楽しい!

 

つい、こちらも質問形式の相づち(プロの)を打つものだから、のせてしまったのは、わたしのほうだ。はっと気づいて大将の口元をみれば、唇よりやや大きいマスクシールド。ん? これはまずいか。大丈夫でしょ。ただ、これほど近距離なら、ちょっと用心をしたほうがいいかな、と気付いた。わたしはすぐ調子に乗るのだ。

 

最後の天茶をかきこんで、丁寧にお礼をいって退散。しかし、1時間以上たっぷりごちそうになって、上機嫌にさせてもらったのだ。

 

午後から講義。夜は、今回はホテルではなくNの部屋にお世話になった。

最寄り駅の東急ストアで、ほうれん草や豚肉を調達し、担々鍋をつくる。

シメは麺。お酒は、ジントニック。Nとひとしきり笑いころげてテレビをみた。

 

11時40分。「その女、ジルバ」をみて、泣く。『OLD JACK&ROSE』の看板から店内が映り込むところでもう涙腺がゆるむ。たまらない。原作とオーバーラップする。今回は、エリーさん(中田喜子)が結婚詐欺師の男に、NO!を言い渡す回だった。エリーさんのぽってりとした可愛い赤の口紅に今回も釘付けになる。この人はなんて色っぽくて可愛いらしい顔で笑うのだろう。(配役がすばらしい。くじらママはもちろん、ひなぎくさんも好き)

 

原作者(漫画)が学生時代の友人だから、かなり贔屓めにみているし、主観たっぷりなのは仕方ないが、そこをさしひいてもおつりがくるほど、よいドラマ。ストーリーがぐぐーっ!と奥深いのだ。ごく普通の人の人生を描いているのだ。



 

 


2021年コロナ渦日記を書く理由

2021-03-02 23:48:00 | コロナ禍日記 2021







 

 また「2021年コロナ渦の日記」を始めようと思う。2020年も含めて遡り書き残しておく。


 昨年、4月1日から始めた理由は、日々の流れが早すぎて、つい昨日、散歩の途中でみた花々が鼻の先までに匂いたち感動していたのを忘れたり、東京の交差点の真上にある2階の喫茶室で食べた苺パフェに心打たれたのに、遠い彼方に置いていってしまったりする自分を情けないと思ったからだ。

 記憶がもたないばかりか日々の淘汰の中に大事なものを人は忘れてしまう。全部落としてしまい、気づかないで歩き、過ぎていく。

 

 そして。もし、自分が死んでしまったとしたら。わたしを思い出してくれる人達が、スマートフォンに残った写真やアルバムを遡るのではなく、読んでいた本(書棚の中)や日記からだとしたら、十分にしみじみとかの人を思い起こせるものになるのではないか、などと思ったからである。

 

 文章にしておくと。そこに時間をとじこめることができる。何年もたって、自分も年齢を経てから取り出してみることは、ある意味、とても面白いものではないかとも思ったわけだ。

 

 わたしのコロナ禍日記は本ブログでは8月で終わってはいるが、実はその後も、ちまちまと何日か記録が残っている。新年になってしまったので、いつまでも昨年の日記を公開していては、読む人に申し訳ないと思い、途中で断ちきれ、やめてしまっていた。もうひとつ、昨年8月に万年筆を購入し、このポメラで書くよりも紙のノートに万年筆でかきつけることが多く、あらためてパソコンに入れておくことができないで、蓄積したままというのもある。文章的につまらないや、と思ったのも正直ある。

 

 

 ただ今年1月、新潮社が出版している雑誌に「2020コロナ渦日記」という特集を見つけて購入した。







面白かった。日記には生活や暮らし、時の流れが閉じ込められている。やっぱり日記は読むのも書くのも、好きであるし、心の中のもやもやを整理することにもなるので、書ける日はやはり記しておこうと思い直す。

 

 という、いいわけのタイトルから……始まります。

 家人が起き出してきました。朝食をつくらなければ。

 昨晩は、朝から提出1本。仕事依頼の原稿を最後まで書きあげる。風呂の中で推敲。

 夕ご飯は、骨付き鶏肉とにんじん、白菜の薄味煮。ポテトサラダ。トマトとレタスのサラダ。赤ワイン一杯