月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

コロナ禍での仕事と生活

2020-09-29 11:46:00 | コロナ禍日記 2020






7月12日(日曜日)晴

 

10日、11日、12日の3日間で、仕事のリズムが規則的になりコロナ前に戻ってきたのかと錯覚するほど。

 

朝起きて、ヨガと瞑想。朝一番は、一から創り上げる仕事を2時間集中的にする。お昼ごはんをはさみ、朝ドラをみて、本を読んだり、紅茶を飲んでふらふらと少し遊び、切り替えたら、特急依頼の月刊雑誌の原稿をつくる。夜9時くらいまでにどうにか終わらせる。かかった時間、作業の詳細をノートに記録する。

改めて、自分のスキルと癖を日々確認するためだ。

 

このごろ、またパパさんが自宅にいらっしゃる。金曜から火曜日まで5日間。コロナ禍、感染拡大の影響で週に半分は在宅テレワークのよう。

人がいると、どうしても主婦としての役割が重くなりがちで「奉仕」の領域を超えたり超えなかったり。この考えを振り払い、ペースを崩さないようにしないと、このところのスケジュール、締め切りの波に乗れない。やりたいことも後回し。悪循環にならないように強引に前をみる。

 

友人がブログで、鷺沢萌さんのことを書いていた。

わが家には、鷺沢さんの本は2冊あった「海の鳥・空の魚」「愛してる」。改めて読む。あの頃の、1970年から80年代の、ふつふつ、朦朧とした中にあって必死でなにかを追い求めていた時代の空気がこぼれだし、平易なことばの中に、心臓を矢でぬかれるような真実(衝撃)が描かれていた。なんともいえない余韻。奇をてらわない、本物の才能。





いつも夕方から散歩にでるのだが、この日は5月にNと白摘草(クローバー)を摘んだ原っぱまで足をのばしてみた。たったの2ヶ月前なのに、白摘草は半分に縮んでしまった。泥で汚れていた。探すけれど、1本もみあたらない。みつからないような気が最初からしていた。10分も奇跡の葉を探せなかった。

 

ふと、あの子はどうしているのだろうか。なぜ、白摘草をたったひとりで黙々と摘むのか、住宅街になだれのように緑が続く原っぱを前にその心理を考えていた。

 

 

きょうの昼ごはんは、トマトソース味のナスのスパゲティ。グリーンサラダ。

夜は、枝豆をフライパンで蒸し焼き(こんがりしておいしい)、焼きナス、韓国産のごま油をかけて。かぼちゃの煮物、塩さけの焼き物。みそ汁。デザートにはさくらんぼ。

 

 

夜。明日締め切りの原稿を推敲。原稿を修正する。

11時30分。お風呂のなかで数ヶ月前にかいた日記をよみかえす。本を少し読む。足の裏から指を念入りにマッサージした。上がったあと栄養クリームを刷りこんで休む。就寝は1時半。

 

 


テレワーク中のふたりの場合

2020-09-26 22:31:00 | コロナ禍日記 2020

 

 

7月10日(金曜日)

 

朝8時に起きる。Nの部屋へ行き、ヨガと瞑想。

朝食。芦屋ビゴのフランスパンに、チーズ(キリ)とジャムをつけて食べる。さくらんぼ、すももをつまんだ。

 

家のリビングは約28畳。隣室の仕事部屋に近い位置にでかいテレビがどーんと鎮座している。広い部屋で、ひとり雨の音など聞いて自由に過ごしたり、仕事したり、家族団らんタイムなどは最高だが、仕事リラクゼーションをしている人と戦闘態勢中の人が同居するのは、あまりよろしくない。


(わたしの仕事部屋は、リビングの隣、建具一枚で仕切られた6畳和室。普段はリビングと続きの間として開放している)

 

テレワーク中のパパさんに、勇気を振り絞って、

「仕事中にリビングの真ん中でテレビを終日つけっぱなしにしているのをやめて」「膝の上でパソコンを抱えて、テレビをみるか、仕事をするかどちらかにして」と訴える。

案の定、口論は難航して、いろいろな方向へと飛び火。積み重なってきた案件と提出日が迫ってきていて、わたしもイライラしていた。

 

パパさんは、なぜテレビをかけながら、案件のほかコンペやプロポーザルのプランニング(もしくはデザイン)できて、こうも結果を出し続けられるのだろう……!(才能の問題か?)

 

「うん。テレビをちら見して必要なニュースを入れたり、ネット記事をみたりしながら、仕事のことを考えてる。遠くから近くから、俯瞰してつくっている」のだという。

 

ホントかなーー? ふむ。でも時にカオスのような状態の時にすごい集中力を発揮しているのをみたことがある。単にタイプの違いなのか!

結果。この日は、わたしの切羽つまった話し方に相手がひるみ、原稿をかいている最中にはテレビを消し、家事の間と食事中だけ、テレビをつけてくれていた。

 

・午前9時〜13時40分。

・16時から20時。

・22時から24時50分。

 

きょうは、3種類の原稿を書き分ける。やはり、長年のいつもの仕事場が落ち着く。雨の音も山の霞のかかり方も、葉がさらさらと波のように鳴くことも。特別で、やさしくて。癒されながら仕事をした。テレビを消してくれたことがありがたかった。

 

商業的な原稿と、創作的なものと、行ったりきたりして、よい刺激を与え合いながら、うまくバランスをとれたらこれほどうれしいことはないけれど。

 

昼ごはん。小松菜とツナの炒め物。トマトと青じそのサラダ。お味噌汁。

晩ごはん。万願寺唐辛子とピーマン、豚肉の中華炒め。シュウマイ。沖縄産もずく、おつけもの。お味噌汁。

 

きょうは、好きな本の活字を読むことをできなかった。お風呂にもはいらず、風がゴーー!とうなる音を聴きながら布団に入る。

眠れない。結局、スタンドライトをつけて、30分だけ本をよんで寝る。

AM2時15分に就寝。

 

 

 

 

 

 

 

 


多忙の折のツイッターから

2020-09-23 10:18:00 | コロナ禍日記 2020





 

7月9日(木曜日)

 

このところ、依頼原稿の仕事が重なってきていて、ゆっくりとポメラを開くこともできていない。昨日に続いて今日も、新規の仕事がはいる。そして結構なことなのだが。なぜか落ち込む。

密かに書きかけているものも、今だ先がみえてこないし、このところ妙な不安に苛まれていた。

 

その日のTwitterのタイムラインに「あなたは本当に書きたいものをかけているのか」というようなライターさんの問いかけがある。

書きたいものを書く、のは、ある種のエゴではないのか。自己欲求でものを書いても、つまらないと思っていた自分がどこかにいたから。コピーライター時代が長かったせいか、自分が書きたいものではなく、何が求められるのかを、どう書けば正解なのか、〝面白がられる〟か、ひたすら考えてきていた。むしろ、世の中のニーズがあってこそ、書くべきだという気もしていた。

 

ただ最近、よくよく考えてみると、個人的に書きたいモノ、伝えたいことが明確であればあるほど、情熱がほとばしり、結果として人が本当に求めているよいものが仕上がるのかもしれない。(なにをいまさら……)。このライターさんのいうことはあたっているのだとも。

絶対に書きたいという気持ちが、他の人には書けないものを書かせる力になるのかもしれない。

そう書きたいものを書くということは自分を甘やかすのではなく、自分の心をはだかにして素直になること、そして心から自分が面白いと思えるものでないと書くべきではないのかもしれない…などと。この締め切りまみれのなか、思いあぐねていた。(あほだ)

 

朝からテープおこしをしていて7時までに2本。原稿書きの前の資料収集など。

急にエスケープしたくなり、この日までの映画を観に梅田まで出る。

 

電車の中「透明な夜の香り」(千早茜さん)の本に集中していて、乗り換えをせず、途中で気がついて北新地駅で下車。

「ストリートオブライフ わたしの若草物語」




小学校の頃から若草物語ファンなので、何度か映画化された作品は観ていたが、やはり気になって、最新作もみたくなってしまった。

回想シーンでは、原作での描写も描かれ、時代背景や時間の流れをカメラで追いかける。わたしの頭の中に潜んでいた、4人姉妹とは少しだけ違うが、現代版の若草物語だった。ただ衣装やセリフなども、よかった。ジョーは、感受性豊かで優しく、繊細で、自分に正直。勇気をもって、いちど自分の頭に靄のようにふりかかった疑問点に立ち向かっていく。ジョーの、内面の孤独と葛藤、女性らしい一面などをみられたことは大きかった。凄まじい集中力で、4人姉妹の日々を書き上げていくシーンは息を飲む。永遠にジョーは素敵。影響された。

 

みてよかった、と思いながら帰宅、仕事の続きをする。(確か、小学校の頃はジョーではなくベスが好きだった。4人姉妹自体にあこがれる)

 

多忙に翻弄されながらも、観たいモノ、やりたいこと、書きたいものは見失ってはいけない。なぜ、引っかかるのか。第六感を大事に守ってやりたいと思う。

 

 


夢はなにを示唆するのだろう

2020-09-18 23:31:00 | コロナ禍日記 2020
 
 


 

7月4日(土曜日)曇

 

夢をみた。途中、3時半と、朝方にも、ゴーゴーと風の強い音が聞こえていたのでこんな夢をみたのだ。それとも、寝る前に読んでいた本の影響だろう。夢は何を示唆するのか。と朝、放心状態で考える。

 

貴族のような人が登場し、大事にしてきた家宝を焼き払わなければならないと宣告される。メラメラと火が近づいてきて、人々が泣いている夢だ。もうすぐ国に洪水がくる。濁流にのまれるくらいなら焼き払うほうがいいと。(わたしはなにを焼こうとしているのだろう)

 

いつも夢に出てくる町が現れ、わたしも周りの人々も皆が逃げていた。地下鉄の中にもどんどん濁流が押し寄せてくる。わたしは処分すべきものを全てしたのだろうか、と考える。原稿。そう原稿だけはひとまず、すべて処分した。家にかけてある絵や、アクセサリーのたぐいも、処分した。けれど、まだ忘れているものがある、と思案している。

 

地下鉄の電車の天井まで、水がきた。どこへ行こうと自分は走っているのか。家の状態はどうなっているのだろうと不安になりながら、走る。エレベーターの中にも水が押し寄せている。危ない! というところで目が覚めた。

 

壮大な夢……。夢はなにを伝えたがっているのだろう。

 

 

きょうも一日中、雨が降っている。

 

かのウイリアムモリスはこういっている。

「仕事そのものに喜びを感じないのであればその仕事は為す価値がない。役にたたないものや、美しいと思わないものを家に置いてはならない」

 

家を心だという解釈もあるらしい。わたしも、シンプルに美しいと感嘆するもの、必要なもの以外とは暮らしたくないとこの頃、よく思う。

いろいろなモノに翻弄され、振り回されたくない。

モノには魂があるそうだから、モノを家(モノのための場所)に戻すこと。ガラクタは捨てる。場は人をとても影響するものだから、である。

 

体にとってやさしく、安心で、わたしがおいしいと感じる、自然なものだけを食べて暮らしていきたい。添加物と化学薬品まみれの加工食品やお菓子のたぐい、家人がテレワークになってから家にいろいろなものがあふれている、つい手を出すスナック類。例えば、家人が買ってきた「なとりのやきかまぼこ」「かっぱえびせん」「ポテトチップス」など(本当は好き)誘惑の手にのってしまうから。

 

美しい言葉で書いている文(本)を読みたい。暴力的で、汚らしい言葉を使い、人を批判し、見下したオチをつける活字を見つけてしまいたくない。WEBの中にも。見つけたらつい読んでしまい、あとで生気を吸い取られ、自分自身が落ち込むことになる。

 

おそらく、いまこの年齢だから、そんなことを思うのだろう。若い時には、よいもの、そうでないものも、いろいろなものを味わってみればいい。体力があるのだから。いちいち落ち込むことはないし、失敗しても立ち直れる。善と悪、本物、偽物、よいモノ、よくないものを知ることも大切で、両方にふれることは、自らを知る登竜門になる。

(ユーモアを抱き寄せて歩きたい)

 

さて、この日の夕方。芦屋のグランドフードホールへ、買物へいった。特別栽培米の島根県古賀町産のお米、eedunシリカウォーター、赤花そば、京のあさいち漬け、岩手湯田ヨーグルトプレーン、赤ワイン、ハニーロストナッツ。帰り際に、ビゴのバゲットも買う。

 

 







 

アメリカのバリアー二のオリーブオイルは、4千円(450ml)もしたが価値があった。新鮮さを保つポリフェノールの辛み、スパイシーでパンチもきいて、青々とした草のような香りがする、非常に満足のいくオイルだった。

 

夕ごはんは、赤うしのステーキ、キャベツとレタスとにんじんのサラダ、おみそ汁、京のあさいち漬け、赤ワイン。

 

12時に就寝。

 


ある日雨の家で

2020-09-14 22:46:00 | コロナ禍日記 2020

 

 



 

7月3日(金曜日)雨

 

朝8時に起きる。きょうはパパさんがテレワークで家にいる。

朝食には、オールブランと京都スマートコーヒーの珈琲。和歌山産のもも。山形さくらんぼ

 

リビングを清掃、片づけをしばらくする。

Nの部屋でヨガと瞑想15分。

 

ジュンパ・ラヒリさんの小説に続いて、エッセイを読む。「べつの言葉で」。たちまち引きこまれ、読み飛ばさないように1章ずつ大切に、大切に読む。

 

 

 お昼ごはんは、いかすみのスパゲティにした。にんにくをみじん切りにして、たまねぎとともにオリーブオイルで炒めて、冷凍していたスープをいれ、白ワイン、スパゲティのゆで汁、いかとエビを少しいれる。いかすみのペーストをいれて、おしまいに塩こしょうをして味をみる。盛りつけたあとにレモン汁、オリーブオイルをまわしかけてテーブルに。

 

Nが東京へ帰ってしまったので静かな生活がふたたび戻ってきた。

 

午後。原稿をかいていて眠くなり、するするっと布団のなかに入り込み、30分の仮眠のつもりが、1時間半も寝ていた。

おかげですっくきりして、存分に原稿を書く。少し進んだ。

寝室の鏡台のうえで、書いていたが盛大な雨が、雨音とともに強く衝動的に叩きつけカーテンをゆらゆら揺らすので、仕事部屋にパソコンを移し替えて、8時半まで3時間。

仕事中、原稿を書いている時には、耳のことなどさして気にも留めていないようでありながら(それは気のせい)、どうやら雨音の中では、気持ちが落ち着いて原稿を書く集中力が持続することに、きょう、気づいた。(雪が降っていればもっとはかどる)

 

目とともに耳も働いていて、三半規管が癒やされて、精神の調整役をかって出ているのである。

 

夕ごはんには、鶏肉のからあげ。(にんにくとたまねぎをすりおろして、しょうゆと酒をいれてつけた、揚げたもの)。万願寺とうらがらしの素揚げ。

きゃべつの千切りとトマトのサラダ、新たまねぎドレッシングで。納豆。もづく酢。一番小さな一番搾りの缶ビールを、厚めのワイングラスに入れて飲んだ。

 

夜は、寝室で雨音をききながら日記を書き、本を読む。

おやつには、水無月を。今年2回め。

夜中。過去の日記を1本アップ。お風呂の湯をためて、本をもって入る。

2時に就寝。

 


ひとり時間の、つぶやきみたいなもの

2020-09-11 13:04:24 | コロナ禍日記 2020
 
 


 

 

 

7月1日(水曜日)

 

朝5時におきる。ベッドの中で少しネットをみて、ベランダにヨガマットを広げてヨガ10分。瞑想20分。そっと目をひらいて飛び込んできたのが、水色の空に雲がながれる清々しさ。

さらさらと海か川のようなせせらぎの音を私に運んでくれる大きなケヤキだ。木は、動かないが、きっと目があるんじゃないかと常々思う。視線を感じて真後ろをふりかえった時に、ばっちり目が合ったのを感じたから。(少なくとも霊感はあると思う)

気持ちが通じたといえるだろうか。一瞬、音が消え、時がシンと止まった。

 

昨日は一日中、どしゃぶりで風もピューピュー !ゴーゴー! とすごい音を響かせて、近所の木々の枝も折れるほどの勢いだった。今朝には混沌とした濁りが一層されて美しい朝がはじまったようだ。

 

お昼ごはんには、ゆでたコーン。グリーンサラダ。塩さばを焼き、味噌汁。

 

Nを最寄り駅まで車で送迎(東京に帰る)その足で、近くのケーキ屋でビクトリアサンドイッチのケーキ、リュバーブのジャム、ココナッツチョコのクッキーを買う。

 

帰宅後すぐ、紅茶(ダージリン)を丁寧にいれて、親指と日差し指でツンとはさみ、リュバーブのビクトリアサンドイッチのケーキを食べる。

きび砂糖だけのやわらかい甘さに、リュバーブの酸味があい、とたんに気分のよくなるデザートだ。もう、飛行機は羽田に到着した頃だろうか。

Nのことは、頭から離し、遠いかなたまで飛ばしてしまおう、と念じる。

 

3時から、夜の12時まで仕事をして過ごす。2本、交互に書き進める。

 

静かだ。

Nは、わたしがポメラを叩いていようと、仕事部屋でパソコンを開いて、うんうん、イライラしていてもお構いなし。コトリともさせないで現れて、わたしの隣に堂々と立つ(集中してると心臓が止まるかと)あるいは、側でごろごろとして雑誌のページをめくるか、スマホをいじっている。遠慮など、知らんよという顔。

 

まるで猫のようなしたたかさで、ひょいひょいと現れて、共にまみれようよ、遊ぼう! と誘惑する。幼い頃からそうだったが、15年経ってもちっとも変わらない。むしろ、小・中学生時代は、おとなしくリビングで電気もつけず、眠って待っていたりしたけれど。いまは、東京、兵庫と離れているので、全く容赦なく、近くにやってくる。

それが、お風呂の中だろうと、堂々とにっこりとかわいい顔をして笑って入ってきて、わたしを笑いの渦に誘い込もうとする。不思議な娘だ。ことし26歳。

「 いや、わざとサービスしてくるているんだよ」(パパさん談)

 

深夜1時。そんなことを想いながら、お風呂の中でポメラのキーボードもたたかずにいて、湯気の中で、思いを巡らせていた。あがって軽く筋トレをして2時過ぎに就寝。本はほとんど読めていない。

 


開業から1週間の宝塚ホテルを初見

2020-09-10 00:17:05 | コロナ禍日記 2020

 

ある日。

6月30日(火曜日)雨すごい風

 

 眠っている時から、雨の音がずっと耳に張り付いているみたいだった。起きても一日中、雨、風がピューピューと鳴きわめいている。すごい音。家の近くの木々の緑が、嵐の海を奏でる。

 ベランダの鉢がいくらか、動いている。いつもやってくる雀や野鳥が、一羽も飛んでこない、一体どこで息を潜めているのだろう。

 

実家の母に電話した。

「どう?すごい風なんだけど。昨年の台風を思い出すわ」

「そんなに降っていないよ、こっち」という。

「あら、よかったじゃない。こっちは雨と風ともにすごい。駅前や下の街の橋あたりは、もしかしたら水が浸いてしまうかもしれないわ」といった。

 

 一日中。大荒れだったが、夕方(6時半)になってようやく風が収まってきた。

 

 当初の予定どおり。明日、東京に帰るNへのエールをこめて、今年3月に閉鎖し、別地に移転した宝塚ホテルの開業(6月21日)を見に行くことにする。

 1926年(大正15年)、阪神モダニズムを形容する先進的な洋館ホテルとして開業した旧宝塚ホテル。急勾配の切妻屋根とアールデコ洋式を取り入れたクラシック調ホテルで、樹齢約130年のクスノキが中庭に面した大理石張りのロビーから、客室からよく見えた。元々古いホテルがすきなのだが、とりわけ思い入れが多い、思い出あふれる良いホテルだった。ちなみに、六甲山ホテルは宝塚ホテルの別荘というコンセプトで、同じ古塚正治氏の手によってほぼ同時期に建設されたそう。そんなことに、思いを馳せながら電車に乗っていた。そして…。


 あら? おもいのほかホテルは小さい。

 外観はヨーロッパの古城のようで素敵だが、ロビーに入った時、なにか想像とは違う違和感というか、うすい印象を感じた。オープンから1週間のせいか、調度品がほとんどない。大理石張りのロビーから深紅の絨毯が敷き詰められた大階段、そしてアールデコ調の手すり(芯は合板)。よく似ているのだが、おもちゃみたいな気がする。最近の新築マンションみたいなホテルだと正直、見えた。まだ格式が、伝統がないからだろうか。慣れないスタッフの問題か。

 1階からは期待していた武庫川に面した景観も見当たらない。これから、、、かな(笑)。







 

 まぁ。最初に感じた微妙な違和感も、何度か足を運ぶうちにきっと払拭されてだんだんと慣れてしまうのだろう。好きだったものを買い直して新調したときみたいに。

 

 2階のダイニングルーム、アンサンブルで簡単な洋食のコースをいただく。

 ここは近代的で広々とし居心地がよかった。胸をなでおろす。






 

 コーヒーとデザートをよいです、とストップしてもらい、1階のラウンジ「ルネサンス」でサマーカクテルを飲んだ。

 マンゴーをベースにした、ココナッツシロップとパイナップル味を重ねたフルーティーなカクテル。それほどお高くはないし、おいしかった。

 Nはバラが浮かんだ、ライム&ミント入りの「ローズモヒート」。

 

 嵐の日の訪問なので、大人の目をぬすんで出かけている悪い子みたい。ちょっとだけ後ろめたい、修学旅行を抜け出して来たような冒険みたいな気持ち。夜9時、急いで電車で自宅に帰る。

 


玉田さかえ 海江田文 シャンソンライブ

2020-09-07 23:08:00 | コロナ禍日記 2020

 



 

  

     6月27日(土)晴れ

 この日は夕方まで仕事。5時半に家を出て、一度だけ仕事をご一緒したライターの友人のシャンソンライブへ行く。玉田さかえ 海江田文 ジョイントのシャンソンライブ。

 

 阪急西宮北口から岡本駅で下車。車通りの少ない道に、パン屋や総菜屋、洋服、雑貨の店がならび、イタリア料理の食材の店や日本茶カフェ、貴味蛸、本屋など、懐かしい通り。Nが小学生の頃に、梅林公園へ花を見に行ったり、台湾飲茶の店へ行ったりと、よくここを歩いたことを思い出す。学生街らしい、のんびりとした街。

 阪急の摂津本山駅すぐのサンジャンが会場。私たちはマスクをして、用意してくれていた一番後ろのバーコーナーのカウンター席に陣取った。

 

「少し官能的に」というテーマ。海江田文さんの「澄んだ泉のほとりで」で幕開けた。

 

ログラム 

1st

[海]澄んだ泉のほとりで  頭から足の先まで愛を感じます  逢引き  過ぎ行くはしけ

[玉]街 釣りが出来ます まるでお芝居のようね 水に流して

2nd

[海]眩しい陽射しの下で 行かないで

[玉]美しい夏の雨 朝日のあたる家

3rd

[海]ロコへのバラード 後朝にて 出逢いの星 ルナ・ロッサ

[玉]バルバラソング 夜明けのタバコ 愛してくれるなら キサス・キサス・キサス

 

 シャンソンの世界は、一曲一曲の中にドラマが刻まれていて、語り聴かせるように進むのだが、メランコリック、あるいは自虐的な歌も多い。朝起きた時から、もうたそがれている。

 喜びの唄のなかにも、深いところでは孤独や哀愁にいきつく井戸とつながっているのがシャンソンだ。あるいは生きるエネルギーにも。人生の賛歌だ。

 クラシックなピアノも緩急をつけて。激しい旋律。うつくしい。

 

 彼女らは、普段の会話をしている時とステージに立った時には違う女だ。年齢を飛び越えて、とても華やかな美女となって歌う。海江田さんのシャンソンライブは、彼女の訳詞の解釈がすばらしい、(さすがコピーライター)。

 昔はソプラノの声が自慢だったそうだが、一時、声をうしない、トレーニングの末に、ようやくもどってきたものの、以前のような声質でうたいあげることはできなくなったと嘆いていた。

 唄の心は、新しい声の中にも脈々とある。誰にも真似のできないアルトを手に入れたのだから、と少し心配しながらステージをみつめる瞬間も。







 

 今回の演目、3ステージは情熱的で特に良かった。日常と離れてフランス映画をみているようだった。玉田さかえさんのくぐもった声と、魔性(妖艶)の歌い方にも惚れ惚れした。

 途中、海江田さんがステージとステージの間にお喋りにきてくれる。この人の十八番は「酒飲み」ヴィアン、ボリスである。

 

 20代のNを誘えたのは収穫だ。彼女はシャンソンライブが初めてで、かなり影響をされたみたい。

 

 帰る夜道で、暗く広い道路をあるきながら、星空のほうに顔をむけて唄っていた。帰宅してからも、わたしの部屋へ来て、(明日提出の原稿を書いていた)覚えているフレーズを熱唱した。「愛してくれるなら」がお気に入りのよう。

 

 この夜。今までみたことがないおしゃれな夢をみて目が覚める。すべてモノクロ。シャンソンの世界が私の潜在意識のなかに深くきざまれたのだと思う。写真家のサラ・ムーンが撮ったみたいな画のなかにいた。

 


バカバカしいほど芸術だ。度がすぎた韓国映画のこと

2020-09-04 00:35:00 | コロナ禍日記 2020
 
 


 

 

6月25日(木曜日)晴れ

 

きょうはゆっくり起きて、ヨガと瞑想。

朝から夕方まで仕事の原稿にあてる。毎月書いている月刊雑誌で、何十年もやっているのに、毎号テーマが新しく、最新分野の事例なので慣れるということがない。毎号が斬新すぎて、取材のほかに情報収集をし、勉強をさせてもらいながら自分の中に落として書く。提出前夜にようやくわかり始める(面白くなる)という具合だ。

 

Nは、手持ち無沙汰のようで最初はゲームをしていたが、ガタガタと音をさせて、あっちへこっちへ行ったり来たりしていると思ったら、部屋の片づけをしてくれていた。不要な郵便物のたぐいを廃棄し、ダイニングのテーブル、キッチンカウンターなどなど。拭き掃除をして、流し台も冷蔵庫もアルコール消毒して、ガスレンジを磨き、床ごとぴかぴかになっていた。

 

5時から映画をみにいこうと約束していたのだが、気づくともう5時10分だ。

「映画どうする?」と聞くと、

「なにもいわないから」(N)

「集中して時計をみていなかった」(私)

「……」(N)

肩を落として目を伏せたNの体をつかったアピールから考察し、ナイトショーに行くことにする。

 

開演前までショッピングをして、シルクのセーターとカーディガンのアンサンブルを購入した。アンサンブルなど流行らない、とは思ったが鮮やかなグリーンで、袖を通した時の着心地が、穏やかでよかった。

 

Nが見たのは、「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」

私は「パラサイト半地下の家族」モノクロ版

 コロナ後のはじめての映画だが、ソーシャルディスタンスを保つために、一列につき一組か二組に限定され、席がゆったり。快適このうえなく、劇場を独り占めしているようだ。

「パラサイト半地下の家族」。

 見終わってからも、そして翌日も、映像が執拗に頭にこびりついて離れない。これでもか、というほど予想を裏切る展開が奥の奥まで。急スピードで落ちて曲がり角を大きく急回転して曲がり、さらに井戸の奥まで落ちていく、そして……。意図したわけではなく、偶然見たのがモノクロ映像なのだったが、えぐい、臭いシーンはモノクロ化によって、おそらく軽減されたのだろう。それでも、爆弾のように降る雨の画は、鮮明。美術監督であるポン・ジュノ監督は、自身が大学時代に暮らしていた半地下を思い出して美術の構想を練る。微細な小道具やガラスや壁についた垢、ニオイまで再現。

 貧富の差として下流者のほうを、渾身をかけて凄まじく描く。頭脳プレイの限りをハチャメチャに錯乱させて。悪も善も、度が過ぎれば変わらない。自我をもっての強欲は凶器、狂気、狂喜である。バカバカしいほど、芸術だ。

(ここから若干ネタバレ)

 伝えたかったのは、なんだろう。シーンとして印象に残ったのは、そうお父さんが地下で発信していたモールス信号の手紙の解釈シーン。妄想か……、すべては頭のよすぎる長男の妄想かもしれないが、(この映画の全てが)父は地下に隠れて息子だけにわかるメッセージをモール信号に託して、送る。それを息子が読み解く。

 息子の父へのリスペクト(家族愛がテーマと思うほど)、ラストのところで父が地下から太陽が照りつける広大な芝生の庭に現れる……。この手紙がよくて実に数学的な妄想である。

 半地下でみる雪景色が美しかった。(最後の10分がなければこの映画は嫌いだったかもしれない)

 父の言葉「人生そのとおりにはならない。絶対に失敗しないのは無計画。ノープランこそ計画」

 ポン・ジュノ監督がくれた教訓である。

「地下にいると、全てがぼやけてみえる。なにが現実かわからなくなる」。格差社会といえども、監督は頂点にいる金持ち家族ではなく、半地下に住むこちらの家族に温かい眼差しとエールを送っているように思えた。エンドロールの音楽がそう物語っていた。

怖い物みたさで、カラー版もみたい。

もうひとつ私が個人的に学んだのは、とことんやりぬくこと。それもマニアックなまでに。そこそこ、はすぐに通用しなくなる、と。