月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

淡々とした一日の終わりに。

2014-06-20 00:27:47 | 今日もいい一日





昨日は仕事が全く進まず、30分、40分経つとすぐに席を立ってまた座り、と繰り返しながらメールの返事をしたり、電話の応対をしたり、
今度はソファで本を読んでみたり。その合間に原稿を、というような一日だったのだが。

今日は不思議なほどにスルスルっと進んだ。
何が違うのかしら。

1本のメールか。1本の電話か。
それとも、机の傍らに、フレッシュな香りを求めてパッションフルーツを置いたのが良かったのかしら。
ともかく、機嫌のいい一日というのがある。
8時になってもまだ夕方の部(夕方の買い物へ行ってからの時間)の仕事をしていたので、いよいよお腹が空いてきて。
あーーたまらないと思った途端、
突然にコロッケが食べたくなった。
ほくほくの美味しいコロッケが食べたい。お肉屋さんで買ってきたものじゃあ、どこか心寂しい。家庭的な洋食屋の味がいい。

そう思うと、居ても立ってもいられなくて。
買い置きの牛肉をフードプロセッサーで細かくして、
手造りすることにした。
でも、こんな日はトマトソースも作らない。

ただ、ポイントは、皮付きのまま鍋に入れて約30~40分、中火から弱火で茹でること。
茹で上がったら4つに切り、バターをたっぷりとまぶす(あまりぐさぐさと潰さない、固さを少し残す)
そして塩&コショウしたミンチ肉(ゴマ油で炒めたもの)を混ぜて、
卵型にまるめて。
あとは普通に小麦粉と卵とパン粉を交互につけて。
一番搾りのごま油で揚げる。

この前、ある人から一番搾りのごま油は
「ほぼ酸化しないし、あっさりしている」と教えてもらったばかりなので、
明日の昼までもたせるには、これしかないと決めたのだ。


付け合わせは、ま、いいかその辺に在るもので。冷蔵庫にあるブロッコリーと奈良の枝付きトマト、あ、アボガドもあったっけ。


沖縄から買ってきたピーナッツの豆腐(ジーマミー豆腐のパック)と、三杯酢だけ作ってもずくをいれる。
昼間に作り置きしていたお味噌汁が冷蔵庫のなかに。それだけで簡単に夕食。



「いただきます」

いつも通りのひとりごはん。

あーー、でもなんでこんなに美味しいの。普通に美味しい、これが一番だ。

時々、ひと手間を惜しんだりするが、
あとで思い返せば、
横着をした時より「えい、や!」と
動いた時の方が
絶対に気持ちいいのにね。



ごはんの後は、ダージリンの紅茶を丁寧にいれて、
そしてちょっとだけ夜の部のお仕事。
今年は2月頃から一日休みという日はほとんどない。

でも、ま、平穏無事で。ごはんが美味しければ。上等たい!

こんな風に淡々としている一日というのが一番気持ちいいのかも。

昨日は夜8時~。
「お好み焼きが食べたいから出てきてよ」とNから電話があり、宝塚の「いろは」で
生小ビールとミックス&チーズのお好み焼きで締めたのを思いだす。

明日は少し早めに起きて散歩をしてから仕事しよう。

夜。またまた突然思い立って「びわ」を食べてから寝る。
手と口元を甘い蜜でべとべとにしたが、テッシュなどで口はふかない。
ひと手間を惜しみ、眠いのでそのまま寝る。

















もっと旅の取材を!

2014-06-15 00:54:08 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


(全述の「穴」から一転、
電話インタビューで書いた記事は校了へと進んでいる模様。ホッとした)

さて先週の今頃は巻頭の取材で、沖縄でした。





取材で飛行機に乗るのはホント久しぶり、めちゃくちゃ愉しかった。

もちろんプライベートで旅をしても愉しいのだけど、
スタッフや現地の人たちと一緒の取材旅行はなおさら好き、取材ということで、より掘り下げてモノが見れるし、聴けるし、
仕事柄いろいろなことを追求してもそれは価値として許される。

これが家族と一緒のプライベート旅行なら、
「またまた我が儘言って、さぁ行きましょう。早く、早く…!」って、追い立てられることもしばしば。


ともかく、雲の上に顔を出し、広い広い空を飛んだらいろんなことが吹っ切れた。
友人との行き違い、
昨年12月の後半からある事にずっーと心砕いてきたが、それも少しは晴れた。忘れていた。

必死でインタビューをして、リサーチし、毎日が青春、冒険。
あ、、、、本当に。無条件で。旅の取材というのはテンションが上がる。

沖縄のおばぁを、今回は2人も取材したのだが、大切なことを沢山教わった。
初日は、奥武島にわたり築150年の沖縄の伝統的な家屋に住んでいらっしゃるおばぁを取材。







チャーギの柱は銃弾の痕でえぐれた箇所がいくつも残り、
血の爪痕まで残る家屋で、実に飄々と笑って暮らしておられた。
沖縄のおばぁから戦争の話を聴くのは痛い。けれど、おばぁにとってはそれも青春。過ぎ去った一場面に過ぎない。
それほど、沖縄の人は深い信仰と精霊に守られて住まわれている。
先祖を敬い、神を信じ、その魂とともに生きる沖縄の人々。
家庭を守る神は、ヒヌカン(火の神)で、祀るのは家庭の主婦や母の仕事なのだという。



夜は12時近くまで泡盛を飲んで、琉球料理ばかり食べて











牧志公設市場を見てまわって











氷ぜんざいを食べ、スイーツを撮影し、那覇の街を歩いて、沖縄民謡を聞いて…








それから50年にわたって琉球料理を教えるおばぁに会いにいった。
料理を6品も作り方を教えていただいた後で、ぬちぐすい(食は命の薬)というテーマで話しを聞く。


今度はサンサンと照りつける陽射しのなかでビーチの撮影。




日傘もささず、あっけらかんとした、しわくちゃの笑顔で何時間でも白砂のビーチに立っていただいた。私達のほうがついつい日陰を探そうとしていたほど。
おばぁの昔話しは、次から次へと泉のように湧いてきて、尽きることがない。
ともかくマイペースである。インタビューに答えるというよりは、私達との話のなかで共通項を見つけては
そこから、突拍子もなく話しに入って、聞いているのかいないのか。やがては自分の物語へとスッと変えていかれる。強く、たくましい、自然体なのが沖縄のおばぁだ。

いい加減なのに、あったかい。
ゆるりとした空気のなかで聞く沖縄ことば(ウチナーグチ)がほっこりと優しく、こだまする。

おばぁやおじぃが元気な街というのは、素晴らしい。



初めて沖縄に神様が降り立ったという琉球八社のひとつ「波の上宮」へも参拝。





ヒルトンホテルがオープン間近な北茶のリゾートや
アメリカンビレッジにも足を延ばす。




現地の方からもアメリカ人、中国人との距離の取り方や
本当は現地の人が「普天間」問題のことをどう考えているのかも、聞くことができた。
私達が想像する以上に、沖縄はアメリカ人たちと一体で暮らされているのだと感じた。
アメリカが沖縄にすっかり溶け込んでいる。人も食も考え方も。
ある意味、沖縄の人たちはアメリカという国民性に救われているし、影響を受けて生きている人も多いと知った。

(たまたま同行した人達がそうだったのかもしれないが)


日本とアジア文化、アメリカ文化がチャンプルー(ごちゃ混ぜ)になり、そこに生まれたのが、沖縄独特の文化。
だからこそ、暮らす人々も大らかで細かいところを気にしない。

だけど、小さな国や小さな島というのはなぜ、神様との位置が近いんだろう。
今回、神様の使いとして話し、祈祷するゆたと呼ばれるおばぁにも同行していただいたので、
そんなことも、ふと考える。
日本は、戦前、神の国といわれてきたのだ。当時に比べると失っているものも、多いに違いないなぁとか。
いろいろなことをざわざわと、感じてかえってきた。


ともあれ
旅をして人を取材して、現地の味を訪ね歩いて、風景に酔いしれて。そしてそれを再び再現するために書くことができるナンテ、幸福なこと。
旅が終わってからも、お愉しみは続くのだ。
帰ってから記事を書く段になっても、テンションは高いまま。

それくらいのネタ(収穫)は十分にあった。

しかし、記事を書くのはあまり幸せいっぱいでは、危険なのである。
細部を粘り強く洞察するうえでは、テンションは不要。
冷静かつ真摯に。職人のように落ち着いていなければ良いものはできない。
私はそういう時にはじぶんをいつも叱咤する。
いい加減にしなさい、調子に乗りすぎるのは止めなさい。目をさましなさい。

そう、人に諭される前に自分で自分を諭す。
もう長いこと自分とつき合ってきたのだから、性格はよく熟知しているのだ。
私はすぐに浮かれすぎるから。
取り急ぎ、取材後5日で入稿スミ。

あとはデザイナーさんとのやりとりをして、一緒に作り上げる作業である。初稿はひとまず終えた。巻頭以外のページは早いものだ。



今は別件のコピー作業に移っているが、
しかし、旅の仕事はやっぱりいいな。
好きなんだなーーと冷静に思う。無心になっている自分をみてそう気付く。

そういえば、大学を出て初めて勤務した会社が
沖縄の仕事をメインにしていらして、コーラルウェイという本島から離島にわたる「南西航空」の機内誌を作っている会社だった。

空港バスに搭載するアテンションもその頃よく原稿を書かせてもらった。
そうか、就職してすぐの立ち上がりが「沖縄」から始まったのだから、それであんなに現地の人々との人情味に燃えて、懐かしかったのかもしれない。
入社して1カ月たらずで、3週間くらい沖縄行っていたものねーーー。
ホテル日航八重山(当時は南西グランドホテルという名前)の朝食や夕食に飽きて、石垣島の八重山そばを何日間も食べ続けていたっけ。

一度ゆっくり離島に滞在したい。あの降るような星空は今も見えるのだろうか。
空に穴があいているのかと思うほど、流れ星がいっせいに降りそそいできた時は奇跡をみているようだった。

あの頃、まだ世間がとてつもなく狭かった
20数年前の自分と比べるとどうかな。性格やモノの考え方は基本的には変わっていないけれど、
少しは自信がもてるようになったかしらね。

そろそろ、原点に立ち戻り
仕切り直しの時期にきているのかも。





電話インタビューだけで人物取材記事を書く「穴」にはまる。

2014-06-02 16:37:11 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)



この週末から、人物インタビューの記事をずっと書いているのだが、どうもうまくいかない。
もう7年8年、レギュラーでやり慣れた仕事なのに、どうしたことか。

実は長野県まで取材に行く予定が、先方と私のスケジュールの問題や経費削減の関係で、電話インタビューというかたちに収まってしまったのである。

1時間もあれこれ話し、録音もしたので大丈夫だろうと自分としては「達観」していたのだが、これが甘かった。
やはり、インタビューの仕事というのは「取材力」が命だ。電話で情報だけ集めても、どうも「ひと」そのものが、石のようになって固まったまま、
イキイキと物語が動いてくれないのだ。文章はまるであらすじのようになり、
文体は一辺倒のお経でも聴いているよう。

話としては正確なはずだが。魅力に欠ける。
要するに全くつまらない、何度書き直しても、人物が生きてくれないのである。


あーーー、なんとかしなければ。デザイン渡しを一日でも早くしないといけないのに。これは困った。

本来は、6月1日(日曜日)は京都・吉田山での、お茶会のお誘いもあって楽しみにしていたのだが、
もっと早く着手すべきだった。
仕方なしに、週末も平日と同じくずっーと1人で作業していた。



取材というのは、目と耳と感触、そして感動と。その日、その時に出会ったいろいろな感性の総動員なのだな、と改めて思う次第だった。

と同時に、もしかしたら、自分に想像力というもが欠け落ちてきて、
文書構成力のレベルも同時に落ちているのでは、という恐怖もつきまとう。

ともかく、あと少しはやってみよう。想像の翼を広げて、イメージしよう。
イキイキと人物が私の目前で、話してくれている様を描いて、その人の人生をのぞいてみよう。もっともっと知りたいと思おう。

最近は1つの案件で1万5千文字とか、の原稿が多いなかで、
2千文字の原稿にやられているとは…(600文字の原稿なら電話だけで書けるのにね)。

ふと、先日図書館で借りてきていた「暮らの手帖」がそばにあったので手にとる。そのままソファに移動して読んだ。

フランス人である「ジェーン・パーキンの暮らし」を書いた10ページほどのインタビュー記事。
恍惚とするほど、魅力的に描けているなあ。もちろん媒体自体が圧倒的に違うし、人物そのものが問題にならないくらい違う。
それはわかっているけれど、
いいなーーこういうの。
彼女の過去から今の興味、ファッション、話し方、息づかいまで伝わってくる。もっとジェーン・パーキンさんに興味がおよび、「冬の子どもたち」という音楽も聴いてみたくなった。
洞察力と取材の力だ。さすが良く出来ているなぁ。

やっぱり、自分の想像力の貧困さが「穴」にけつまずく原因か。大丈夫か自分と思う。


夜は、夕食の後でプレミアムモルツを飲みながら「マイレージ・マイライフ」のDVDを家族で観る。