月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

入院生活は卒業です

2012-06-25 15:45:02 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


いよいよ退院の日を迎えた。

朝からせわしなく自宅に戻る準備をして、それからはいつものように窓からの景色を瞳の奥に焼き付けたくて、長い間、じっと外ばかり見ている。

愉しかった、といえば、誤解をうけそうだが、本当にいい経験をさせてもらった。
患者の立場になって考える心ある医療機関がどういったものか、ということも改めて考える機会になったし、

食事の大切さや、暮らす環境が自分に及ぼす影響とか、人とのふれあいなしには
自分は生きられないタイプなのだということも、よく実感できた10日間だった。
よく本を読んだし、いつも近くには音楽があった。

11時30分、
私は訪れた時と同じ、オレンジのブラウスを着て水玉のスカートをはいて、
ここを卒業した。

入院費用の計算をしてもらうと、最初想像していたよりは少し高めだった。

同じ病気で手術してもらった友達は、みな10万円ほどだったのに、
私は28万円も!

えっ~、それなら個室料金をあわせても20万円のはず、おかしいなあ。
「ご主人は高額所得者に類していらっしぁるのでは?」との説明だったが、うちの経済情況を考えるとどうも腑に落ちない。まあ、体も治療してもらって様々な勉強をさせてもらい、入院ライフをエンジョイできたのだから、致し方ないね。でも持ち合わせた金額がたらずに
クレジットカードで切るときは、私はまだ首をひねっていた。

迎えに来てもらった車にのって、家に戻る。

不思議だが、私はほんとうなら、西梅田に暮らしているのに、なぜこの町へ帰っていくのだろうと変な気持ちになった。家は、なんだか真新しい家のようだった。

南側のベランダに面して緑色の葉を存分に茂らせた観葉植物が、
めきめきとたくましく大きくなって、

どこもかしこも緑、緑、緑。イタリアのポリスのようなニュータウンだ。

郊外のリゾート地のようなところに住んでいるのだな、と
視線の先にある、青々とした六甲山脈の山々をリビングから眺めながら感心した。

ふとビル群に囲まれた西梅田のハイソな生活が、脳裏をゆっくりと横切っていく。

母はすっかりこの家になじんでいて、私のお昼ごはんを準備してくれ、
台所にずいぶん長くいたあとで今度は洗濯物を畳む作業に精を出していた。

そのうち慣れてくるのだろうが、ここの生活は、なんかよく知ってはいるのだけど
どこかよそよそしく、
出て行く時とは違う新しい表情をして今日の私と対面していた。


明日で退院。休日は終わる

2012-06-24 23:39:01 | 腹腔鏡下 子宮全摘術

6月24日 手術6日目



午前中、いつもの食堂で「いよいよ明日で退院だね」
「なんだか振り返ると貴重な体験して、愉しかったね」
などと、いつものメンバーで談笑。

午後1時~4時半まで、ブリーゼ・ブリーゼで開催されている大学の説明会になっちゃんと参加。
こうしていると、普通の人。待ち合わせの会場まで地下ではなく、光や風や人・車の行き交うところをみたくて路上を歩く。
説明会は、昨年のオープンキャンパスとほぼ同じ内容のことを、堂々となぞらえて説明していた。
クーラーがひどく効きすぎて寒いのでお腹のところにずっとタオルを置いて聞く。
後半、個別相談会があり、さてなっちゃんがどんなことを伺うのだろうかと傍観していたら、

「美学芸術って、専門的じゃありませんか。難しくありませんか?」と開口一番がこれだったので唖然!

「言語や原書で読んだり、なっちゃんには専門的すぎて少し難しいんじゃないかしら」とパンフレットをみながら
ふだん私が口にしていることを、そのまま教授に…。いうなんて…。

担当教授は穏やかでいい方で、
「大学で学ぶ美学芸術とは何か、何のために学ばせるのか」と基本的なことから、
幼稚園の子に説明するように、端折らず、ものすごく根気強く説明してくれていた。

久しぶりになっちゃんとの外出なので、門限を少しだけやぶって
ハービスエントにあるイタリアンカフェで、総菜パンとカプチーノを食べてから病院に戻る。

部屋にもどってホームウエアに着替え、大学のパンフレットに目を通しているうちに6時の夕食タイム。
今日の外出で皆、シュークリームやケーキ、御菓子などを買ってきてくれていて、食事の後で最後のお茶会をする。
「もう検温の時間なので、部屋へ戻ってください」と看護師さんに呼ばれたのが8時半だった。

明日でほんとうに退院である。今思えば、ほんとうに早かった。

手術後、感性が人一倍も敏感になっていて、いろんな思いがあふれていながら
時間が過ぎ、日々の混沌や人との交わりのなかに、それらが淘汰され愚鈍になっている。
再生された、などと安心してはいけない。時間とともに、神聖さも新生さも、失われようとしているのだ。


空は今日も灰色に曇り、空中庭園のビルとその前方にはウエスティンホテル。
あいかわらず点滅するオレンジの灯、路上にある蛍光灯の白、飛行機の道しるべとなる赤の灯、ビルの部屋を照らす明かり。
電車がいきかう音。
ゴトン、ゴトン。ゴトン、ゴトン…。

耳の奧であたりまえのように響く、電車の発着する音、大阪ステーションを走る音。
静かで空調管理され、温かい部屋「1214」。
満ち足りた「休日」だったのかもしれない。
みなさん、ありがとうございます。














この日、この時、この思いを忘れるな

2012-06-23 22:26:53 | 腹腔鏡下 子宮全摘術



6月23日 手術5日目

3時間の外出をするようになって、一日のスピードが加速していっている。

外出するようになって、心は健康になるが、お腹がまたふくらんだ気がする。
腫れているのだ。下腹部が熱を発している。それ以外は特別に変化はない。

今日は初めてJRから阪急百貨店方面へ歩いていった。
新梅田商店街のなかにある「香賀」で鴨汁(つけ麺)を食べ、手打ち麺のうまさに感動し、
阪神百貨店の地下街に行こうとしたら、望月さんに偶然出会った。

新梅田商店街のなかの暗い感じの喫茶店で、20分ほどお喋りをして、
コーヒーをごちそうになって別れた。

読売新聞社での仕事を離れて10年以上が経とうとしているのに、
私はなぜ彼と雑踏の真ん中で再会せねばならなかったのだろうか、と
病院に戻ってからもずっと考えていた。

「みっちゃん、いくつになった。そろそろ仕事以外に自分がするべき何か、
見つけな、あかんよ。自分の文章というのを書かんとあかん。
基礎があるんだ。一生懸命練習すれば、新人賞だって夢じゃあないんだ」。
定年をとうに過ぎても、彼は読売新聞社のグループ企業で働き、家族と離縁、
俳句の世界に没頭した生活をされている。

阪神百貨店の雑貨や靴をひやかし、堂島の「ムジカ」まで歩いて紅茶を買いにでかけ、
病院に戻ってしばらくしたら、
仕事を一緒にしているデザイナーの友達がお見舞いに
訪れてくれた。プライベートではめったに会おうとしないのに、うれしい。
(家族以外に、5人の友達が訪問してくれた)。

外出できるようになって3日目。
ようやく歩くことが怖々でなく、自然な足運びできるようになった!

でも私は忘れない。忘れてはいけない。

手術のあとのはじめての外出。軽くめまいがしてほんの10歩歩くのも不自然な恰好で。

お腹を手で固定させ、ゆっくりと、ただゆっくりとした足を運べないことに驚きつつ、
それでも一縷の希望を抱いて歩いた西梅田のセンスのいい地下街。

雨の空が、したたるしずくが、街の情景のひとつひとつが、
初めて見るかのように新鮮に瞳にうつっていたあの日を。


クライアント先の事務所の灯りを病室から仰ぎつつ、
顔をみられないように、唇をかみ、
うつむいて過ぎていったあの時間を。

出掛けても不安で、人が怖くて、洋服や雑貨をみても白々しくて、
温かいやさしい大阪中央病院の病室に、戻りたがっていたということを。


わたしは、忘れてはいけないのだ。
















リセットされた、新生なわたし

2012-06-22 23:23:03 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


6月22日。 手術4日目。

今日は昨日よりさらに気分がいい。

食堂でのお昼を早めに切り上げ、
1時の体温や脈拍測定などをしたら、ロッカーをあけて洋服を探す。
大阪駅の改札にて、1時20分に母と待ち合わせした。

昨日の雨も上がり、空がキラキラ眩しく、街路樹の緑も明るい。風が気持ちいい。

人の表情、街の情景など目にうつるもの全てが新鮮で、またこうやって自分の足で歩け、
よく知るこの街に帰ってこられたと思うと、涙ぐんでしまった。

今日は昨日より、足がスムーズに前に出る。それがうれしい。

大阪駅周辺からブリーゼ・ブリーゼ、ハービス大阪、
リッツカールトン大阪の界わいをたくさん歩く。

この界わいは、とてもいい気に満たされている土地柄だ。

ダイワハウスのビルと大阪中央病院の、ポケットパークのあたりも素敵。
勤務する人々も、そこを訪れる人々も、皆とてもいい表情をしていると思う。

わたしは一度リセットされて、新たに再生された。
容姿はそっくり、でも、心が入れ替わったという気がする。
その制作に携わってくれた先生が、佐伯愛先生で本当に誇らしい。
心から良かったと今は感謝の気持ちでいっぱいだ。

京都の伊藤病院・伊藤先生の言葉をかりれば、
古いタイプの女医さんでもなく、最近流行のギャル系でもない。
品格ある女性と、のこと。

私を再生してくれた人の手が、佐伯愛先生である。
それをこれから生涯、誇りに思っていきていこう

自分の与えられた道とは、偶然ではなく必然である。
そうあれほど逃げたかった手術は、自分にとっての必然であったのだ。
だから、胸をはって、勇気をもって進もう。
自分が歩こうと決めた勘をひたすら信じて、歩いていこう。




手術3日目 雨の日外界へ

2012-06-21 22:59:40 | 腹腔鏡下 子宮全摘術

6月21日(木曜日)手術後3日目


今日も高い空から雨がひっきりなしに、落ちている。
手術の日は雨で、翌日は台風で、今日もまた雨…だ。

●10時
今日は術後、初めてシャワーokの許可が出た。
熱いお湯が気持ちいい。
お腹の傷、4箇所はさけて、幸福なお湯のシャワーを全身で味わった。

手術後、はじめての外来での診察。
「大小さまざまの350グラムの筋腫や子宮をかきだす際に膣内を傷つけてしまった」
と佐伯先生がおっしっていたので、怖々と診察台に上がったのだが
ゆっくりと丁寧に診てくださったので痛みもなく終わり、良かった。
「はい、きれいに処置できていますね。腎臓のほうも、卵巣も全く問題ないです。
順調です。いいでしょう」とのこと。
ほっと胸をなで下ろし、少しだけ、涙が出る。

●午後1時
検温と脈拍、血圧検査を終えたあとで
外出許可も。
エスカレーターで1階まで降りて、
リッツカールトンホテルの方向へゆっくりと歩く。
体が左右、上下に揺れる震動がお腹に伝わってきて、ずんずんと響く。
うまく他人のようにリズミカルに歩行ができなくてびっくりした。

あんなに、院内では自然と足が前へ出るのに。
なんというぎこちなさ。
5メートル歩くごとに休憩をとりたくなる。
体の想像以上の異変にビックリした。

静かで、平和で、美しいところに非難したくて、
大阪中央病院から西梅田の地下で繋がった「リッツカールトン大阪」のティーサロンへ。
ピアノの伴奏とフルート演奏。
非現実じみて、ほっとする。昨日までのことが嘘のよう。さっきまでの不安定の歩行も。
なにもかもが全てが幻のごとく、ここはヨーロッパだ。

1時間、エスプリの世界に浸って、4時半、院内に戻る。

6時、食堂で見慣れた顔が揃い、3時間の外出についてそれぞれのお喋りが弾む。
ちょっとした冒険をしたかのように、皆イキイキとした表情で語る。



手術2日目 痛みは少ない

2012-06-20 22:26:10 | 腹腔鏡下 子宮全摘術
6月20日(水曜日)手術2日目



検温、脈拍、傷の状態の確認を
10時、昼2時、夜7時と、
毎日、3回看護師さんがチェックに来てくれる。
手術執刀医の佐伯愛先生も朝の診察前と、夕方必ず顔を見せて声をかけてくださる。

「大阪中央病院」。
ここは本当に快適で心地いい病院だ。

おそらく、12階の婦人科には手術を優先する、
良性疾患の患者さんに特化しているというポリシーもあって。
総合病院によくある、張りつめた重い空気がないせいなのかもしれない。

今日は昨日より、少し調子がいい。
胸の重さが軽減されてきたようだ。

手術2日目と1日目ではすいぶん違う。

朝食は手術前とかわらず食堂まで
そろり、そろりとお腹をかがめて歩いていき
懐かしい、6人グループの友達と一緒に頂いた。

「どうだった?心配していたのよ、昨日顔が見られなかったから」
「ありがとう。無事に生還しました。しんどかった二度とイヤと今は思うけれど、
ここに出てこられたのだから、早く回復できたんだと思う」。

同じ窯のメシを頂くうちに、どんどん気心がしれてくる。

体調は、少し胃のあたりと胸のあたりが重いのと、
お腹の下部に違和感がある。
でも痛みは少ない。

入院前に読み進めていた本を再び読み始めようか。
定位置の椅子に座る。
iフォンで音楽を聴く。

ドナドナの唄がまた頭の中でなり始めた。
仔牛から再び、理性を伴った
「人」の生活がすでに恋しくなってきた。



手術一日目

2012-06-20 12:48:55 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


6月19日(火曜日)手術1日目


●朝6時
採血がある。検温、脈拍をはかる。
まだ朦朧としたままの状態だ。夜中に何度も目を覚まし、
窓の外のビル群をみようとするがよく見えない。

●9時 
佐伯愛先生がお腹の下にある傷の確認をしてくださり、
「きれいですね。いいでしょう」
「順調ですからドレーンをぬきましょうね。看護師さんに伝えておきます」
そういって退出される。たくさんの管から開放される時がくる、とぼんやりと思う。

●9時40分
「ゆっくりと起き上がれたら練習しましょう」
と声をかけられ、10度にベッドを傾けられるが、
血管が逆流するかのように苦しくなって、すぐに戻してもらう。

心電図、酸素マスク、血栓予防の機械をはずしてくれる。

一晩中、血栓予防のマッサージ機の音が耳障りだったので、静寂が戻る。うれしい。
昨日のあひるの看護師さんではなく、お洒落な看護師さんが体を拭いてくれた。

しばらくして佐伯愛先生が病室を訪れ、「あれ、まだ抜けていないの?」といって
ドレーンを私の大腸あたりからぬっーと引き抜く。
あまりにもけだるい、生温かいイヤな気持ち。
吐きそうになる。全身で嘔吐するような不快感でいっぱい。

●11時~14時
嘔吐感がとれなく、吐き気止めを依頼するが全く効果なし。時計の秒針が動くのがあまりにも、のろのろと過ぎ、窓の外の全くうごかない景色に目をやるが、
しんどくなって、すぐ瞳を閉じる。
立つ練習をするはずだったが、とても無理な話だ。
何もできない、体全体が重い。
若い看護師さんが見に来てくれるが、とても動けないので諦めて病室を後にする。
吸い口で水をわずかに口に含むのが精一杯の仕事。
「まだ気分悪いのね、起きられないのね、また後で体を拭きにきます」
と看護師さんがいい、退出する。

なっちゃんから電話。「何しているの?」「なんでしんどいの?楽じゃなかったの」
同じような電話が3回かかってくる。

●3時
お昼ごはんの3分粥は手をつけられず、そのまま看護師さんが引いていかれた。
昼すぎに、歩行の練習をするはずだが誰も来ない。時間だけが遅々と過ぎる。
曇り空だけが窓越しに見える。雨が降っているという。台風で学校は臨時休校だと聞く。

「もういいよ、入院はもう沢山!」と口に出していうが、
このままやり過ごし、残念な気持ちでいても仕方ないので、ベットを起こす訓練を自分でする。
45度に座る。無理、と思うとすぐ戻すを繰り返す。
しばらくしてゆっくりベットの横の手すりにつかまり、ふらふらと立ってみる。
頭から全身の血の気がさあーと下に落ち、びっくりするほどしんどい。
再び横になる。しばらくして、ゆっくりと立つ、を何度も試みるがまた横になる。

●4時
ようやく訪れた看護師さんが、私がベットで座ってみているのを驚き、尿の管をぬいて立つ練習に手を貸してくれる。
ふらふらで立ち上がれない。3度目にようやく成功、吐き気を我慢して1歩、2歩と歩いて…。

看護師さんに連れられて、院内をゆっくり一周手すりに寄りかかりながら、ほんとうにゆっくり左右に肩を揺らして、頼りなげな足取りで歩く。
お腹が45度に曲がっている姿をみて、
「みんなこんな感じです、みんなお腹を抱えて45度の角度で歩かれています」
と看護師さん。
2日前は3分で歩くところを20分くらいかけて、歩行練習。
一周回ると少し気分が良くなった。

●6時
手術後、5分粥を少しずる胃袋に流し込む。
米のニオイ、美味しいとは思わないがなつかしい味。

●7時
食事を6分ほど頂くと、少し気分が落ち着く。
コンコンとノックをして会社を早退した夫が顔を出す。
「もう椅子に座っていていいの?元気じゃないか」と安心した表情で話し、
8時の面会終了前に帰る。

●8時
寝ているより、起きてトイレへ行ったり、椅子に腰掛けているほうが気分がいい。
それで読みかけの本を読み9時前に就寝。一日50時間、と思うほど長い長い一日が終わる。

摘出した子宮筋腫は350gだったという。








腹腔鏡下子宮全摘出手術 当日

2012-06-19 18:41:19 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


6月18日<月曜日> 腹腔鏡下子宮全摘出手術 当日

ここに暮らしてすでに5日間が経とうとしている。
今はどんなきれいなファッションビルや、おいしい食べ物屋さんより、
ここが一番落ち着く、安心できる場所になっている。
「安全地帯」といえばいいのか、
信頼できる人たちに見守れていて、
誰一人私を傷つけないところであるような気がする。

そろそろ手術当日のことを振り返っておこうと思う。
昨日まではもう思い出すのさえ、心ためらい、辛かったことだったけど。
今日でやっと過去のこととして、語れるそんな気がしたからだ。


6月18日の手術当日。
朝6時過ぎた頃、
白衣の看護師さんが浣腸を持ってきてくれた。

「すぐにトイレに行きたくなると思いますが3分間は絶対に待ってくださいね」

私は、3分きっちり待ったらすぐにトイレへ。予想外というべきか、想定内というべきか、
液体だけが便器にいきおいよくこぼれ、私はしまったと思ったのだった。

7時からは点滴。
私は急いでパジャマを脱ぎ、水色の手術着をまとい(着物のように4カ所を紐で縛るタイプ)、
携帯された紙パンツをはき、緑色のベストを着用。

点滴をしてもらう前には全ての準備が整って、窓の外の雲の流れをずっとみていた。
その日の空も、昨日と同じく灰色で、雨が落ちいたかどうか、病室からはわからない。
おそらく今にも落ちそうな気配だったと思う。

7時30分。
点滴をもって看護師さんが現れる。
それまで、「アルイネードウォーター」という栄養ドリンクを2本補給。
スポーツドリンクにフルーツジュースが含まれているような味。
200~300mlを飲んでも1時間程度で胃を通過し、
アルギニン・亜鉛・銅などといった手術時や傷の治りに必要な栄養成分がこのドリンクには含まれるという。

さあ点滴だ。普通点滴を入れる時には、たいてい失敗されることが多いというのに、
その日、何か事を起こすたびに「よいしょっ」と
独り言のかけ声をかける、ちょっとだけあひるさんに似た色白の(中堅の)看護師さんは、
慎重に何度も腕をポンポンと叩いて、血液の流れを確認して、
「動くのよ、この血管ったら、あら」
といいながら、潔く血管の上をゴムのように曲げられる針で貫き、上手に点滴をいれてくれた。

Iphoneで音楽を聴きながら、出発前のブログを書く余裕がまだ私にはあった。
そこへ、夫が到着。


9時5分前。
エレベーターであひるの看護師さんと一緒に5階の手術室まで行く。

扉があくと、同じく9時に手術する女性が対面で座っていて、その人も安定した表情で笑みを交わしあった。

あなたの名前は、誰ですか。なんの手術でここへ来られましたか。
とマニュアルどおりの質問を受ける。
「○○○○です。腹腔鏡下子宮全摘出の手術できました」と正確に私は答える。

9時
「用意できました」と、いう声で手術室の扉があき、私はいさましく手術室に入る。
不思議と緊張はしなかった。

佐伯愛先生が、眼鏡の奥でやさしく微笑まれていて、私は
「よろしくお願いします」と頭を下げ、横を過ぎる。
佐伯先生の後方に、大野木先生がたっておられた。
やはり同行の医師は、松本部長ではないのかと、一瞬、落胆。

「はい手術台にあがって!」
自分の力で手術台へ上がる。

勇気ある~!と
拍手したいほど勇ましい私である。
手術台は狭く、大きな丸い電気。
手術室の景観はじっくくりとみる余裕はなかったが、
魚肉冷凍室のようなメタリックで、
ひんやりとした壁で一面が覆われていたように思う。

「はい麻酔がかかります。ねむたくなりますから、眠くなる前に大きく深呼吸。麻酔が入ってきました」
そういわれるのを聞きながら、麻酔にかかってしまい、
そのまま臓器も、停止状態となった。

11時40分
「○○さん、終わりましたよ。目をあけてください、わかりますか」
という看護士さんの声だ。
私は少し目を開けたが、そのまますぐに閉じ、次に目をあけると、見覚えのある部屋。
1214号室だった。

母と夫が、ニコニコ笑ってどう?といった表情でこちらをみていたと思う。
私は部屋の清潔な匂いと、いつもの代わらないよく知っている母と夫の姿に安心して、うつらうつら。
思い出したように目をあけては、閉じる。
再び目をあけては、見渡して、また閉じる。

意識が朦朧としていたいせいで、あまり痛みはわからない。

ただ、酸素マスク、心電図が指の先につながれ、痛み止めの点滴につながれ、
お腹の管(腸の汚物が流れるドレーンという名の管)、それから尿の管につながれていた。
おまけに、血栓予防のために足のマッサージ機、
(ビジネスクラスの飛行機に乗った時に受けたようなマッサージ機)
につながって、眠ったり起きたりしていた。


「そろそろお水を飲んでみて」。
けれど、吐きそうな気がして拒否する。

「じゃあ、今度は飲んでみようか」

案の定気分が悪くなり嘔吐してしまった。

痛み止めの点滴のせいか、不思議なほど痛みは全く感じられない。
でも息をするのも苦しく、しんどいような、ぐらぐらと不安定な感覚に襲われ、
それが怖いので、やり過ごそうと瞳をすぐに閉じる。

「そろそろ私、会社に行きます」と夫の声。

瞳を閉じる。

「じゃあ私もそろそろ、いても何もできないし…」と母。

いったい今は何時なんだろう。
夕方なのかしら、と思いながらまた眠る。

1時間おきに看護士さんが来て、血圧と体温を正確に測ってくれる。
誤って、点滴をさしている腕を下にしてしまい、
何度もピーピーと点滴の機械から音が漏れ、
そのたびに看護婦さんがナースステーションからすぐ走ってにきてくれる。

そうやって昼の12時から翌日の朝まで過ごす。

いざ、手術へ!

2012-06-18 08:45:46 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


あと、30分以内に出発だ。
窓際の一番隅の椅子に腰をおろして、
ハワイアンのミュージック「ハパ」を聴きながら

今日も曇った空をみあげている。

朝は5時半に起きて、
ゆっくりと洗面。
それから、昨日よるに寝るとき飲んだ
睡眠薬と、下剤の、あたまでぼんやりしながら身支度。
それから浣腸をして、衣服をきて、点滴。
「血管が動いやすいですね。う~む」と難しい表情をしながら細い腕をみていた看護師さんが、
ぐさっと、一発で入れてくれたのは驚く、と同時にありがたかった。

この看護師さん、誰かに似ているな、とずっと思っていて
それが、あひるだと気がついて、びっくり!

どうりで、親しみがあるわけだ。
途中、水分補給の、ドリンクをのむ。

準備はOK!

いってまいります。
新生な私になるために

腹腔鏡下子宮全摘出手術、前日。ある素敵な女性と出会った

2012-06-18 05:26:38 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


6月18日月曜日 午前5時

いよいよ今日は手術の日。

昨日の昼間にみたあの人はどうしてるのかしら、と思った。

前日(6月17日)、胸のざわつきをどうしてもおさえきれず
「大阪中央病病院」1階にあるソファーに座って本を読みたくなって、エレベーターを降りていき、しばらくくつろいで本を読んだ後トイレに行って帰ったら
さっきまで私がいたソファーに一人の女性が静かに座っていた。

今週の金曜日(3日前)に手術したばかり、担当医が偶然にも佐伯愛先生という。

「本当のしんどさって、私の場合にはね。
ベットから初めて起き上がる時に、一瞬吐き気をもよおした時だけだったよ。
やっぱり、子どもを生んでいる女性は強いなあ、といわれたわ」

その女性は、手術の翌日の朝、看護士さんが来るのを
体育座りしながら待っていたというから、ほんとうに驚かれた、という。


6月15日の金曜日に手術をして、
日曜日にはこうやってごく普通におしゃべりを愉しめるなんて奇跡じゃないだろうか。
見た目の第一印象というのは、大切だな、と本当に感じる。
柔らかな話し方、笑みいっぱいの眼差し、落ち着いた口調。
人は話し方ひとつで、相手まで穏やかにしてしまうんだなと感動した。
40代を過ぎると人柄は表に出る。
顔に声に、眼差しに現れるのである。

満面の笑みをうかべて、手術に関しての詳細を
昔事のように、他人事のように
飄々と話してくれた。



眠れない夜に。手術までの回想。

2012-06-18 01:00:00 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


あれからどうしても眠れないので、
明日の手術にいたる回想を、記しておこうと思う。
この記事が、同じ婦人科系の疾患をもつ人にとって、
なんらかの役にたってくれたら、うれしいのだけど…。


私が子宮筋腫という響きに、はじめて遭遇したのは、
17年前に娘を出産した時のことでした。

妊娠10カ月目に早産の兆候を患い、
宝塚市立病院の○熊先生による診断は
「グレープフルーツ大の子宮筋腫があります。
出来れば帝王切開で赤ちゃんと筋腫の両方を摘出しましょう」。

しかし、結果的にはその後、主治医が替わり、その方の方針で自然分娩にて出産することとなりました。

すぐ1カ月後に、子宮筋腫の経過をみてもらったのですが、
当時の診察結果では
「赤ちゃんが出たら筋腫が収縮したのか、どこに筋腫があるのか今のところよくわからない」とのこと。

私は、腑に落ちないながらもちょっと安心して、

それから、なんと15年以上の歳月が流れていきました。
なんの自覚症状もないままに時が過ぎて、一昨年秋。
子宮や婦人科系の検査のみ、後回しにしてきたのでそろそろ調べてみようと、
豊中のクリニックを訪れると、

なんと子宮筋腫が「8センチ大」
周囲に20コ以上の筋腫がとりまいている、という情況でした。


おまけに、貧血をしていて、ヘモグロビンの数値は8以下
すぐに子宮全摘出手術をするように、と女医の先生には勧められました。

私は、この頃、コピーライターの仕事も立て込んでおり、
体調もそれほど悪いと思わなかったので、
どうしても先生の言葉に素直に行動することができず、何ヶ月も随分と悩みました。

それで、「フェロミア」という鉄剤を飲みながら、
体質改善に向かうサプリ(ハッピーファミリーのエクセレントスーパーハーブ・
アスタを仕事先の人に教えてもらって)を併用。玄米食生活を中心に、
冷え摂り改善の食生活、5本指ソックス、レギンス
を年中はいて、ウォーキングやヨガも欠かさず、
子宮筋腫と付き合いながら共生・共存を誓い、
なんとか折り合いをつけて、数年、過ごしてきたのです。



やがて血液検査の結果も安定し、
体力も回復してきました。

それでも毎月の定期検診では、
子宮全摘出を決断できない私に対して、クリニックの先生たちは口を揃えて
「なぜ決断できない。できるだけ早く摘出するのが望ましいのに。
いつまでものばしていたら、更年期がきてもホルモン療法ができない」
というような言葉を毎回のように…。
話されました。

そして今年の年始早々、夜中に嘔吐し、
39度の高熱が出て、宝塚市立病院へ。

悪性貧血がまたもや、今度はかなり進行していて、ヘモグロビンは8…。
そういわれてみると、仕事をして、階段を上ったり、歩くのも息がきれるほどで。

「消化器から出血している可能性もある。ガンかもしれないし、
念のために検査したほうがいい」と内科の先生は指摘。

 
そこで、大阪中央病院へ予約の電話。
しかし、回答は「以前も一度受診していただきましたが
手術を希望されない方は私どもの病院では予約をおとりすることができません。
良性筋腫の方で手術をされない方は…」。要するに心を決めてこないと診てくれないということでした。


そして、以前からお世話になっていた先生はカルテから目を離さないまま言ったのでした。

「うちはもういいいわ。うん、もういい!女性ホルモンをストップする治療・注射も
あなたいやだといってたでしょう?もうじゃあ、することない!もううちは卒業して。
本当は日○病院でばっさり切るのが一番早いしスッキリするのにねえ。決心がつかないんだから。

○○病院というのもね、
腹腔鏡下出術の工場みたいなところよ…。
あなたがそれでもいいというのなら、紹介状は書きますよ。
どこを選ぶかはご本人の意志ですから。でも、もううちは卒業して」と
いきなり病院ジプシー状態に。
大阪中央病院、日○病院、○○クリニックと
そこかしこと、診察を拒否されるというのは、私にとってはたいそう不安で、ショックなことでした。
私が8センチ以上の筋腫をもちながら、
共生し、折り合いをつけて過ごしているというのは、
それほど自分勝手で、常識を逸脱している状況なのか、と心底悩み、自分自身の弱さを悔やみました。




そして、考えに考え、調べた末にたどりついたのが大阪中央病院だったのです。
京都の「伊藤病院」の院長先生のブログがヒントで、
その何年もの、患者の悩みと相談に対する記事を毎日のように読むにつれ、
できればその先生が信頼をおいていらっしゃる「大阪中央病院」か「伊藤病院」で
手術をしてほしい、という気持ちが募ってきたのでした。

大阪中央病院の川○先生は、初診の折にも、しっかりとした口調でこう答えてくれました。

「なんの自覚症状もないのに手術を決断できないのは、当たり前のことだと思いますよ。
そういう時は絶対に手術はしないほうがいい。
なぜかって、それはまだあなたが、その時ではないから。
もし、仮にそんな情況で手術をなさってもきっと後悔されるでしょう」

なぜ?と聞いた私に、
「辛いことが一つでもあれば、ほらやっぱりしなきゃあ良かったと
どうしても思ってしまうからなのです。
患者さんが、今貧血で悩みどうにか現状を打破したいと思っていらっしゃる。
その時こそがタイミングです。
手術は最適のタイミングに1発で決めることが一番肝心なのです」。


これまで、沢山のドクターにいわれたことがあたまに浮かびながらも、
川又先生のおっしゃる言葉に強く心引きつけられる自分がいました。

そして4月、婦人科のMRI
中津済生会にて、大腸内視鏡・胃ガン検査をして、貧血の原因を全て探り
「子宮全摘出」手術日(腹腔鏡下手術)を決め、
女性ホルモンを完全ストップする注射が3カ月進められ、
そして、いよいよ明日、に至るわけなのです。


今思えば、手術を決断できなかったのは何が原因だったのでしょうか。
自分の臓器を失うことへの不安。
そして失ったことを機に、自分の身体や心の中が変わってしまうことの不安。
現在の自分に置かれた状況、体調も含めてある程度満足していて、
今よりもし悪く合併症や、体の不具合、更年期症状などが現れたら、辛い。
現状維持なら十分耐えられる。女性の中枢である「子宮」を失うことで、
感受性が鈍くなってしまうのではないか、仕事はこれまでどおり続けていけるのか、
体力的にはどうか、施術後更年期症状が出て、老化が加速してしまうのではないか、
はてしもない不安の渦に苛まれどうにも抗うことができずにいました。

でも抗うばかりではなく、
今自分にきている流れのままに、自然にゆっくりと流されてみる、
これもいいのかもしれない。

そして、今回の手術を機に、何かを確実につかみとりたい!
子宮を失ってまで、私がやりたかったのはなんだろう、ということを
ちゃんと見極めたい、大切な入院生活がはじまったわけです。

さあ、明日はいよいよ!です。

支離滅裂な新規でのブログで
整理できない心中をお察しください。

お休みなさい。
















偶然でなく、それは必然なのだ。

2012-06-17 20:52:28 | 腹腔鏡下 子宮全摘術



明日が手術だと思うと、夜になって
突然におちつかなくなる。
人は明日で、いよいよ寿命だと告げられたら
その前日の夜にはどんな風に過ごすんだろう。

音楽にはずいぶんと助けられた。
耳を集中させると、
心も音に集中して恐怖がなくなる、
これはMRI(大阪中央病院)の入る前に
陽気なハワイアンの、DJに紛れて
意識を音楽の世界に向けられた時に
分かった感覚だった。
無機質なたたくように打つ金属音の響きよりも、アメリカのDJの話し声と音楽のほうばかりを
私の耳は選びとっていた。

以来、病室ではずっと音楽を聴いている。
手術室にいても、イヤホンを聴くことができればいいのに。

明日は自分がなされるままに
無になれるのかどうか、
神経をあちらこちらに
走らせることなく、
自然のままの姿に戻って
自分自身を差し出したい。


感謝とともに、
私が私らしくありますように。

今日は曇り空

2012-06-16 17:50:47 | 腹腔鏡下 子宮全摘術

今日は午前中、
手術の説明と検温、脈拍などの基礎の身体的計測があり、午後から仕事をしようと資料を広げたところで

訪問者、あり。大学の時の友達が訪ねてくれた。

「もう近くまで来ているんだけど…」。

学生時代の身軽な感覚に、どんどんもどっていく。

1時半頃に来てくれて、
5時までノンストップで話し、
それでもまだ、別れる時
このまま、一緒に食事に行けなくて
惜しいとおもったくらい。
なぜなの、ここは西梅田のど真ん中、ハーブスプラザやブリーゼ・ブリーゼもすぐ近くだというのに。ああ、
悔しいな。

外出禁止の身なので、1階にある売店まで降りて、ハーゲンダッツのアイスをふたつ買って
12階の食堂にて食べる。


彼女は、2年ほど夫の仕事の関係で上海に暮らしていて、高層ビルが立ち並ぶ
近代的な街の写真やら、赤と龍がやたらと主張する中華料理屋の店内やら、
家族で写っている写真をたくさん見せてくれた。
「日本は小さな国だよ。島国だ。
外国人(ここでは中国人)は、自分の成長のため、
すごく努力しているよ。
もっと、ストイックに生きてるよ。野望に燃えてるっていう感じなのかな、
私も、国際的視点にたって何かに
挑戦したいと、思うようになったよ。
このまま時を刻んでおばさんになるまえにハワイにでも永住して、自立して暮らしたいな」

と話してくれたのが印象的だった。
空は、今日も曇りだ。
雨がぱらついているらしいが、
外界の、音が遮断されている快適な病院のなかで暮らしているので、

灰色の空が見えるだけ。

だんだんとこの環境が当たり前に思えて、
病院というより、
滞在させてもらっているという気になる。

順応性というか、心地よい錯覚に
ずいぶんと助けられている。

ドナドナのうた

2012-06-15 20:49:47 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


ようやく落ち着いた気がする。
窓から見えるのは空中庭園、新梅田研修センターのネオンサイン、
大阪の夜景はオレンジの灯が多い。

大阪駅の構内からのびている何本もの路線、
電車の「ガタゴト」「ガタゴト」という音が一晩中、眠るまで聞こえている。



病院につく前は、「ドナドナの唄」がアタマの中に
鳴り響いていた。
人間から動物にかえられてしまうような
妙な錯覚があって。頼りない気持ちになったのはどうしてだろう。

なんで仔牛ー、
真っ暗な荷台に乗せられた仔牛の、濡れそぼった真っ黒な瞳、
枯れ草が湿ったムッとする臭い。陰気で重たい雲が被さってくるグレーの空、が頭を過ぎる。

大阪中央病院、12階。個室「412号室」。

1時半に入院して、麻酔科の先生の説明と
後は夕方、担当医師が顔を見に来てくださる。

佐伯愛先生です。
ショートカットで、ノーメイク。
やさしい表情で
少年のような、クールなオーラだった。
誠実な受け答えと、まっすぐな瞳で、
こちらをみてくださるので
いっぺんで信頼を置いた。
おそらく、少しだけ低くて静かな物言いが、
たまらなく好きだ。

「ええ、…はい、いいでしょう」と毅然とした語り口。



今日と明日はほとんど用がない。

贅沢にじかんだけは、
たっぷりとある。

持ってきた本を読んで、
昨日iPhoneにいれた音楽を聴いて
文章を書いて、
時々ニュースやドラマを見て過ごしてみよう。

それとも、ふだんしたくても出来なかったことだけをして、過ごしてみようか。

出産以来の小さな修行の旅のようだ。


大阪中央病院へ いよいよ

2012-06-15 09:54:10 | 腹腔鏡下 子宮全摘術
今日15日金曜日~25日月曜日まで
大阪中央病院にて、手術&入院、



旅立つ心境と似ているけれど、ちょっとだけ違う。
新しく生まれ変わりにいく、
そんな不思議な、これまで味わったことのない心持ちでもある。
自分リセットといえば、いい響き。
そう、そんな心持ちで出掛けよう!

腹腔鏡下子宮全摘出手術。

いよいよ、です。

また報告いたします。