月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

新型コロナウイルスが蔓延する日本の中で

2020-03-31 18:40:13 | コロナ禍日記 2020


「京の桜を思う時」

 目をとじれば、繊細な白い花弁を開いた山桜が視界一面に現れた。花はひらひらと宙を舞いながら、風の中を漂った後に、わきあがる緑の芝に落ちていく。
 花が舞う。花弁がひとつ、ふたつ、みっつと。数え切れないほど次々に降りゆく。
 再び、目を閉じれば満開の花をつけた白い木が、今度はすっくりと立っていた。桜の木が好きで、好きで、追いかけてきた。ことしは、ただ自分の中に咲いていた。ちゃんと立っていた。

 3月28日土曜日。友人と誘いあって京都に桜を見に行く予定にしていた。
 京都三条で待ち合わせをして、木屋町でランチをとり、京都御所での糸桜をみて、本満寺、醍醐寺をみて、先斗町の長竹さんでお茶をして帰れたらいいな、と計画していた。友人のインスタグラムでは、千本釈迦堂で「阿亀桜」という立派な垂れ桜があるらしく。ここを回るなら、どこを今回は我慢しようかとも……。けれど。27日(金)・28日(土)の両日話し合った結果、ザンネン、ムネン。期日未定の延期にする。自粛することに決めた。
 
 きっかけは、ips細胞でおなじみの山中伸弥教授による「新型コロナウイルス情報発信」という下記サイトだ。

https://www.covid19-yamanaka.com/index.html

 こちらのサイトを見たことで、あぁやはり止めておこうという見解に至る。

「2つの顔を使い分ける狡猾なウイルス」

「普段は鳴りを潜めて多くの人に感染し、ところどころで牙をむく、非常に狡猾なウイルスです」
「新型コロナウイルスはすぐそこにいるかもしれないと自覚することが大切です。桜は来年も必ず帰ってきます。もし人の命が奪われたら、二度と帰ってきません」
 サイトは医学の立場から新型コロナウイルスをとらえ、世界の見地から豊富な資料を紹介していた。
  
 

「若者の氾濫」


 わが家は、1月末頃からコロナウイルス関連のニュースをよくみている。テレビ嫌いのわたしが、戦時下のような世の中の現状に釘付けだ。

 ほどなく3月に入り、主人がテレワークになった。彼は元々、テレビの出力音がないと落ち着かないタチなので、起きている間はずっとコロナウイルス関連のニュースが勝手にむこうから生活圏を浸食する状況になった。
 しかし。コロナウイルスの最新情報にそれほどに詳しくなってどうしようというのだ。もう十分! という心理にもなる。中国武漢の、イタリアの、フランスの、欧州各国の、アメリカニューヨーク州の、そして東京都の小池知事、各自治体トップの報道をみるにつれ、もう十分にわかったと。精神にもコロナが蔓延していくのを感じる。
 ウイルスは、人を選ばない。どんな有名人も賢人、慈悲にみちた人であれ、あたりかまわず侵入し、繁栄する。生きているのだ。
 そう誰の近くにも息をひそめて潜んでいて、黙ってひたひたと人の喉から、目から鼻から侵入し、増え続け、突然変異し、悪魔のような牙をむくのだ


 驚く光景を目にした。
 3月17日。ドイツとウィーンにフライトしていた東京在住のNが帰省、大阪のグランフロントで開催された「ディーン&デルーカの体験型ワインセミナー」に誘ってくれた。彼女は東京では常連だそうで、今回が6回目の参加だそう。供される4種類のワインは、ロゼ、マスカット100パーセントの白、ニュージーランドのピノノアールなど、とてもおいしかったし、講師のホアキン・J・ロドリゲスさんはフランス人で、欧州と日本のピクニック文化の違いをユーモアたっぷりに述べていて、とても勉強になった。幸せな会だった。

 が。驚いたのは、大阪の街だ。ふだん取材以外は、自宅で仕事をするわたしは、目を疑った。こんなに人が溢れているとは思わなかった。コロナウイルス感染拡大の危機意識など、どこ吹く風。若者天国だ。

 駅周辺、商業施設、居酒屋、飲み屋、ビストロと。人気の店はあいかわらず長蛇の行列。あふれんばかりの人、人、人。みな、楽しそうに大阪の夜を闊歩していた。弾けるような笑顔。冷めたうす笑いがなんだか不気味に思えた。
 電車の中では、マスクをしないお姉さんが軽い咳をしながら携帯で会話をしていたので、ずっと窓の外ばかりみてやり過ごす。夜8時から10時頃までの時間帯のせいか、怖がって表にでないのは、中年のおばさんおじさんばかりだったのだ。


 翌日。テレビをつけるとブラウン管のむこうでは「感染したら、したまでってことっす」「暗い顔をして家にこもっていても仕方ない」「気になるけれど、自分はかからない」ここでも若者はへらへら不気味な笑い方だった。


 想像力がたりない、自分はと過信せず、世界に目をむけてほしい。じぶんにはきっとうつらない。その浅はかさ。じぶんがもしや、感染していたら。そんなことは微塵もおもわないのだろうか。わたしは思う。Nはヨーロッパの国々や欧米、あるいは上海を旅する仕事なので、たとえ会う回数はわずかでもリスクは当然ある。
 周囲を疑う過剰反応や、野外の公園をいっせいにシャットアウトする行政もいかがなものかと思うが、この事態に対する危機意識が少ないのでは、と思うこの頃である。
 Nに至ってもそうだった。3月の中旬まで「手洗い、うがい、マスクをして感染予防をしていたら大丈夫!」と胸をはっていた。
 お彼岸の日。訪れた墓参りでは大僧が、「日本は広い広い海にまもられている。だから、海外のようにはならない!」といった。私も世界一、潔癖な私たちの国は、、という過信も確かにあった。
 
 この国は、自分のよく知る人が死なないと、なにひとつ大事なことがわからない。(自戒を含めて)人はいつの時代にも、他人の生命を疎かに考えすぎる。だから「平和ボケ」などといわれるのだ。

 そんな若人たちをつくったのは、紛れもなく、私たち大人。思いどうりにいかない歯がゆさや、みはてぬ夢を託して温室育ちにしてきた結果。性格はよい子だが、いわゆる「子ども新人類」をつくってきたのかもしれない。と反省する。


 さらに。「経済優先」と、人はなぜあれほど躍起になって叫ぶのだろうか。どうしてくれる、と。医療崩壊を起こす他国の人々は、袋に密閉された死者を前に悲観こそすれ、誰かを責めてりはしていないんじゃないかーー。

 国家のせいで、事態がおきているのではない。誰のせいでもない。誰もが被害者で加害者。経済は命あってのものである。手厚い財政支援のかわりに、そのあとやってくる税金のしっぺ返し、年金減額を思うと、「緊急事態宣言」と「保障」はセット!とは傲慢に叫べないのではないか。

 「不要不急の外出を控えてほしい」。これは、一人一人の生命を救い、感染拡大を爆発的させないための唯一の手段。もはや、ご協力レベルではない。と思う。

 ブラウン管の中で、桜の木の下でピクニックを楽しんでいたファミリーが、こういった。
「禁止令を出してくれないと、やめないんちゃうかな。みんな。本気でやめさせたかったら強制してほしい」。ここにも、ゆとり教育がもたらした、負の温床がある。
 

「情報過多は「脳」を破壊する」

 私は、いま新型コロナウイルス関連の情報としてワイドショーなどは、最近はテレビを見ないです。iPS細胞の研究で知られる山中伸弥教授のサイト、
「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」
https://www.covid19-yamanaka.com/index.html

 NHKのニュース防災アプリ(ダウンロードしました)報道ステーション、あるいは7時9時のNHKニュースのみ。

 情報過多はしらぬまに、どんどん刺激の強い(インパクトのある)次のニュースを待つ、受け身の脳を創出していきます。 ウイルスが世界を征服。一億層子ども社会が人類を滅ぼす。そんなシナリオはたえられないといいながら。この目で非常事態を見届けたいと、どこかしらで観察者になり刺激のつよい情報を渇望していないか。
 
 暮らしを歪めてはいけない。コロナウイルス感染の脅威が迫ろうと。こんな時だから、なにができるか、いまを大事にしていきよう。いつも通り素敵な本を読み、うたを歌いながら散歩に出て、じぶんの仕事をたのしくやる、という覚悟をもとうと思う。
 友や家族と電話やメールを交わしたり、まわりの人の健康を気遣おう。そして、いままであとまわしにしてきたこと、にゆっくりと目をむけ手をつけよう。

 外ばかりではなく、そば(内)にあるものを、面白く手にとってみよう。きっと発見がある。名木でなくても、あなたのそばにうつくしい桜はある。(悔しいけれど、今年はそう思おう)こんな時だからこそ、さあ何をしようか!うちで楽しめる一人「文化」を!





欧風菓子「エノモト」の窯出しクッキー・シュー

2020-03-14 23:46:00 | 東京遊覧日記
 とろとろとねむっていたら、いきなり白の蛍光灯がギラッとたかれた。
深い睡眠のなかにいて、人工の灯りとわからないほど。薄目をおそるおそるあけてみる。Nが、薄手の黒いストッキングを、爪をたてないようにして履いているところがみえた。そうか。今朝は朝3時半にタクシーが自宅にくるのだった。

 紅茶だけ煎れてやり、Nを見送る。

 静けさの中。まだ4時にもならない。起きるのには早すぎると、そのまま夢のなかへ入っていった。
 電車の踏み切りの音や駅名のアナウンスが聞こえる。結局目が覚めたのは8時をまわっていた。ホテルではない他人の家で一人っきり。本棚から「旅ドロップ」を選び、そのままお風呂へ移動。ついでに沖縄のさんぴん茶を開封し、あったかいお茶をいれてゆっくりと読んだ。

 小窓がないので、外の空気は入らないが、そのかわりに循環式の追い炊き機能がついているので、何時間でも永遠とはいっていられそう。水没をさせないように気をつけて本を読む。

 と、メールをつげる着信音。

「11時には仕事がおわるので、池上まで出てこられる?」
「はいはーい。5時の便でかえるので、少しなら行けるよ」 


 「池上」駅は大田区内にある東急沿線の小さな駅だ。
 駅の改札を出てすぐの商店街「池上駅前通り商店街」を1分、歩いたところに昔懐かしいサロン風の喫茶店。
 欧風菓子の看板をみて「エノモト」。お目当ての店だ。ダンチュウの表紙を飾った王道のシュークリームの店だ。


 ウィンドウに並ぶのは、カラフルな生ショートケーキやクッキーなど。パティシェがつくるケーキというよりは熟練職人のおじさんがこしらえたと見うけられる色かたち。お目当ての「窯出しクッキー・シュー」があった。


 せっかくなので、持ち帰りではなくザ・下町風のサロンで食べたい。
 奥の喫茶店に座る。 Nも何度か来たことがあるようで、好きな席を選び座りこむと、早朝からの仕事内容などを、あれこれ話し始めた。


 私はといえば、背景のおじさん・おばさんが気になる。なんたって、ケーキ屋なのにナポリタンスパゲッティやカレーライスを味わう人が多いのだから。パフェのガラス瓶にスプーンをつっこみながら世間話しをしているおばちゃんの集団も大阪とはどこか違う。東京の下町ではみな服装が気楽だ。ヒョウ柄や、原色カラーに縦ロールの巻き髪というスタイルで、いきって決めてくる関西人のおばちゃんとは少し違う。

 化粧も薄く、買い物籠などをさげて、日常の延長戦に飛び出してきたという人。品のいい夫婦連れ。大きな宝石を指につけた金持ち風のおばさまも、服装はシックな装いに、薄化粧というのが共通点なのだった。というべきか大田区の特徴か。


 本題の、シュークリームである。これが想像以上だった。
 
 バターの香りがするシュー皮はサクッと。アーモンド入りのクッキー生地をのせてこんがりオーブンで焼いた上質の香りがする。ここに、カスタードと生クリームをあわせた幸せの黄味のクリーム。舌の上でとろける甘み。バニラビーンズの風味がすばらしい。これが欧風菓子か。
 ちょっと洒落れていて、どこか懐かしい。コーヒーと相性抜群だった。


 そのまま、池上街ウォッチングへ。
 歩いていると小さな寺院によく出くわす。太田区の梅の名所、「池上梅園」も。餅屋、甘味処や草加せんべい、カルメラ焼きを売る店。豆腐屋、蕎麦屋などもある。小さな純喫茶もある。いわゆる門前町の風情。商売の家々は古い日本家屋が多く、それにも、大いにそそられる。なかなか、味わい深い街だ。


 日蓮宗の大本山「池上本門寺」で参拝。
 長い階段をあがると、境内はひらけて、由緒正しい静かな寺だった。釣り鐘があった。帰り、階段上から見下ろせば、蒲田から田園調布あたりまで見渡せそう。


 お昼は、Nがみつけたという古民家カフェ「蓮月」で。

 坪庭がのぞめる一軒家。昭和初期に建てられた木造家屋で古きよき世代の名残が、奥庭に面したゆがんだガラス窓や、柱の傷、古時計などに漂う。1階はそば屋、2階は旅籠、結婚式の宴会場として使われていたこともあったそうだ。ちょうど雑誌の撮影部隊がきていた。
 お昼時なのでランチセットをいただいた。「東京の中にある地方、池上はそんなあったかい町です」。店にあった池上のタウンマップにはそんな風に書かれていたと記憶する。



あ、季節がかわった

2020-03-04 00:40:00 | 春夏秋冬の風


3月3日(火)

 深夜1時頃。お風呂に原稿をもって入り推敲するつもりがあまりの気持ちよさに、体を投げ出して手足をのばし、鼻から吸い込む湯気の感触をたのしんでいた。このところ、1月後半から仕事がある一定量つまっていて、こんなにくつろいだ気持ちは久しぶりだった。


 はぁーーと息を吐いたあとで、赤ボールペンを右手でにぎるとこんなことを書いた。
 「わたしの幸せとは」。最近よく反芻する。幸せってなんだろう。自分はどうしたら、心から幸せを感じるのだろう? 
 と自分の胸に手をあてて考察しようとするところがある。それから、原稿の推敲を止めて、「ある幸せな一日」というタイトルを書き出し、
 つらつらと原稿の裏に、箇条書きに書いてみた。


 おそらく、わかりきっていることを書き出す。朝7時、からはじり、深夜1時まで私の幸せな一日を書ききった。
 あれ? これって……。わたしが普段過ごしている日常となんて似ているのだろう。ある1点、2点は違うものの、そこをのぞけばちゃんとやれている時の自分だといってもいい。なんだ、こんなことだったのか。

 
 それなら、そう心配する必要もないのか。とたんに安堵した。同時に、自分の身の丈とやらが、えらく現実的で。こぢんまりしたところに纏まってしまっていることにも失望する。ちいっちぇな、というところだ。



 3月がはじまった。あ、季節がかわった。起きた瞬間、カーテン越しにこぼれる光の強さと明度をみて、思う。
 風も違う。寒々しさが、違う。夕方の空の色や木々の間をぬう靄の広がり方が、2月とは確実に違う。


 それでとても大好きな小倉遊亀さんの1・2月のカレンダーを勢いよくべりっとめくった。






 たのしかったな1・2月。少し後ろ髪ひかれて哀しかったけれど、3月、4月の暦の花もとてもよくて、いっぺんに新しい月が好きになる。

 
 すぎさっていくカレンダーは、忘れていく時間だ。限りないほどの日々への「ありがとう」。誰かがいっていた、時間をどう過ごすか=いのちの刻み方だと。1月中旬あたりから、日々の仕事が忙しくなって、日記もまともにかけていない。が大丈夫。人はいつからでも、やり直すことができる。自分が思うほどやれていなくても、大丈夫。いまから、また始めればいい。諦めなければ、必ずやれる。自分が知っている、それを。だから大丈夫なのだ。