月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

雪の丹波篠山、岩茶房ことり主催「第4回 柴田雅章 窯出しの会」に参加。

2013-12-24 19:00:56 | 器を買いに




3連休の初日、丹波篠山「ことり」で開催された「第4回 柴田雅章 窯出しの会」に参加してきました。

このイベントは、12月21日(土)・22日(日)・23日(祝・月)の3日間限定。

急須、湯呑、茶腕、ティーカップなどお茶にまつわる器を中心に4周年の感謝を込めて、
柴田雅章作品を一部特別価格にて販売するというもの。
また今回は、クリスマスのプレゼント企画として初オークションが開かれ、

柴田雅章氏の作品が最低価格より入札できるのだという。
(「岩茶房ことりは、日本を代表するイギリスの古陶・スリップウエア作家の柴田雅章さんの娘さんが営まれている
岩茶専門の茶房」である)。


21日は寒い朝で。
高速のインターから篠山方面を降りてひた走ると、みぞれ混じりの雪が。
ふわぁー寒い!!と思いながら到着すると、店の雰囲気と空から舞う白のふわふわが
あまりに溶け合って、すばらしい借景に。




雰囲気は最高だ。
岩茶の匂いが漂っている空間は落ち着けるし、
ああ来てよかった!そう思った瞬間なのでした。

店の展示作品をぐるりと1周みわたしてから、この場の空気感を深呼吸。
そして、もう1度オークション作品からじっくりと眺めてみました。








これは私のクセのようなものですが、最初は器自体を風景としてとらえてしまい、美しい!とは思いながら、
何が、なぜ、どこが、どんな風にして良いのか(惹かれるのか)、オブラートに包まれたように、ぼやっとしか信号が送られてこない。
それが、2周くらいまわって同じものを見るうちに、だんだんと。
そして、じんじん、ズーンと響いてくる。要するにモノが見えてくるようになるのです。
(器はいずれも作家ものなので撮影は最小限です)










湿気の多い、丹波篠山の重い土。
今回は土のもつ気迫のようなものが、迫ってきました。
そこに色を重ねたときの質感。なめらかな手ざわり(これは口にあたる時、スプーンにふれあう時に重要だ)
そして、そして、とんがったところのない安泰。

ふ~。いいなあ器。人の手の温かみ。



ここらでちょっと休憩。
岩茶2種(水金亀(すいきんき)、黄金桂)、皮から手づくりミルクまん(2個380円)、
マーラカオをオーダー。
岩茶の香りはいい、やさしい味だ。

友達と、おしゃべり。そうして、ちょっと器のことを頭から離す。

と、そうそうこの日は器好きのライター友達・かおりさんにも、
レポートする予定だったと思い出し、店の人に了解を得て、
彼女が前もって見てほしいといっていた湯のみを中心に、iPhoneで写真撮影。
そうやって40分ほどお茶&撮影をして、再び宣戦布告である。
「勝ってくるぞと勇ましく!」。



1周目とは違って、お茶を飲んで落ち着いたのか、器のもつ美しさが、ぐっと語りかけ、響いてくるようになっていた。
なんと表現したらいいのだろう。こみ上げる高揚感というべきか。
あ、愉しい!幸せ!それらの思いがグッと下腹あたりから広がって。悦びがつきあげてくるようである。

友達も真剣そのもの。
やはり、彼女と一緒に来てよかったと思う(彼女はオークションで素晴らしいスリップウエア四方皿をゲットしたと後で知らせが届いた)。

柴田作品の魅力は私には色に思える。あの飴色、あのグレーブルー、
あの渋い緑はあの人の作品しか見られない。土と空の混じった丹波の色だ。それがイギリスの伝統の技法を纏って再び光り出す。
ひとつ魯山人を彷彿させるちょっぴりレトロな器が気になりだした。
よし、やはりオークションはこちらに変えよう。

そして、こちらを今回は頂こう。
20%も安くしてくださった。

お友達の器の相談に乗って、かおりさんの器レポートを終えて、
彼女が購入する器も決定。ほっとひと息である。
岩茶の効用か、体がカッカと熱くなるようで。思わず原稿を書き終え、ひと仕事した心境に。


お友達やお店のスタッフ、柴田さんのお嬢さんとひとしきり会話したあとで、
恐れ多くも、作家の柴田雅章さんと会話することができた。
文は人を表すとか、字は体を表すというそうだが。器もそのお人柄を忠実に映し出していくものです。

その人、柴田雅章さんは一言でいうと40年代風の男っぽさがにじむ、爽やかなお人柄なのでありました。
(1940年代のサスペンスドラマに、コートの襟をたてて登場しそうな雰囲気)
奇をてらわず誠実で、丁寧。そして慎重。篠山の気風そのもの。
1948年生まれながら、決して、おっさんではなくて、彼の秘めた男っぽさ。そこに心が動いたのです。


窯とともに、土や草のざわざわした感じが似合う、まさに昭和な男の人。孤独に器と対峙する人。
「暮らしが仕事、仕事が暮らし。(河井寛次郎のような人生を生きてきたのだと、後の資料で読む)」。
照れくさそうだけど、とても自然に微笑んで、私の他愛のない話にイヤな顔もみせずに応えていてくださいました。
(無茶苦茶失礼な表現ですみません)

今度、ゆっくり創作について、柴田さんの感じるイギリスの古陶について、
話しを聞いてみたいと思いました。



そして、ごめんなさい!!!
私の初オークションでいれた価格。
なぜにあんな、知も常識もない価格を入れてしまったのかが悔やまれる、この頃。

ま、来年再びチャレンジしますのでどうぞ、どうぞ、お許しを。

あー、イベントで頂戴した茉莉針王とクッキーを頂きながら。懺悔の心地。そして今夜はメリークリスマス。これから鶏とケーキを焼こう!!










もうすぐクリスマス、寒くて、温かい晩に思う。

2013-12-20 21:51:44 | 今日もいい一日

カラダにいい生活を、頑張らないで実践中です。

朝起きたら、釜定の南部鉄瓶でお湯をわかし、
ふたをとって約20分。



とろとろの、葛みたいな白湯って喉から胃そして下腹全体を
じわりじわり温めて、ココロに沁みます。
紅茶も、コーヒーも、それからじゃないと飲む気になれない。

玄米はフライパンで15分ほど炒ってからご飯に混ぜたほうが香ばしくて美味しいと最近知り、
ミルクティーにいれる生姜も、風にあて干したものを擦っていれると風味も滋養にもよくなります。
ぽかぽかにカラダが温まります。

そういえば、私は何かをしながら何かを食べるという生活が結構好きな、
気ままな人なのでありました。

今朝も、いい感じに焼けたカリカリのイギリストーストのうえに、アボカドをたっぷり塗って。
松田のマヨネーズ(辛口)をぐるぐるっと乗せて、濃厚プルーンジャム。そして煎れたての珈琲を。
これが、あんまり美味しかったので、
キッチンカウンターの中で立ったままペロリっと食べてしまったのです。

なぜなら、ここからなら山がよく見える。雲が流れる空の景色などをポーと見ながら朝食が食べられるから。
それに。映画館で好きな映画を観ながら、ビールを飲むのだって大好きだし
(最近はやらないけど)
お風呂のなかで、これまた濃厚なフルーツ(柑橘類、熱帯フルーツ等)を
食べるのも好き。

とってもお行儀が悪くて、もし母が見たらすごく叱るのだろうけれど、
もう大人になったのだから、許されてしまう気ままな生活!!!ってなものであります(笑)。

さて、もうすぐクリスマス。どんどん寒くなってきました。
昨年の今頃、娘のNの受験シーズンを、今もまざまざと思い出してしまう…。

今日だって、図書館へ資料を探すために、阪急西宮にいく電車に揺られていたら、
塾帰りの生徒に大勢、大勢、遭遇するから胸が痛い。
その中にポニーテールを風になびかせて、市西へ通っていたNを、ここにいるはずもないのに目が勝手に探してしまっている。

「学校でこのくらいの順位にいたら、絶対ここの大学は大丈夫です!」
などという塾や先生の言うことなど、ほんまにアテにならないもの。

けなげに自分を信じて、ひたすら純粋に。明るく。受験に真っ向から立ち向かっていた3年間。

あの時のNの姿は最高だった。
猛烈に、抱きしめたいくらい可愛かった。
(そして最近は少し、「反抗的なコトも言ったりするけど、それも成長の課程、致し方なし)
でも、考えてみればこれで正解。
今の選択が彼女にとっては良かったのかもしれない。


昨日読んだ本に、こんなことが書いてあった。
「昨日楽しいことがあったから今日は辛いことでもがんばろう、明日はご馳走を食べるから今日はガマンをしよう、というのはすべて記憶の力なのです。
人間が幸福を感じるのは、過去や未来があるからなんです」(高樹のぶ子)

そう、
人は過去と未来という記憶があるから、幸せになれるんだそうだ。
(もし、あなたが私が認知症なら、「今」この瞬間しか存在しない。)

記憶は素晴らしい。


そうNのことに話を戻そう。

昨日、大学にサンタクロースがやってきたとメールをくれた。
下記が写真添付。





そして、TOEICテスト(リスニング・リーディング)の返却があったと。

彼女は「4月から2回目の挑戦にして、200点以上アップしていた。


すごい点数!!やる~!
遊んでばかりいるようで、ちょっとは勉強しているのだね。
(私もがんばらなくっちゃあ)


今は確実に、未来に繋がっている。

だけど、未来はもう昔みたいに遙か先のことなんかじゃないのだ。

12月の神戸。映画(ニューヨーク・バーグドルフ 魔法のデパート)とランチとショッピングと(1)

2013-12-16 22:49:49 |  本とシネマと音楽と

先日、娘のNがつけたTVをなにげなくみていたら、
「孤独な人ほどお風呂の時間が長い」というのがあった。

「あ~よかった、私は孤独じゃないわ」とN。
「……」(私)

人は、本来、孤独なるものだと信じている。
それに孤独は人生を愉しく生きるためには、必要。
孤独は時に愉しい。
そう無論、愉しいけれど、時にやるせないのも真実である。

12月。凍るほどに寒い晩ほど、冬のイルミネーションは美しい。今日のように。
夜空がキレイ。
星座が青白く光って、宝石みたいだ。


先週、「ニューヨーク・ 魔法のデパート」というドキュメンタリー映画を、ちょっぴり孤独な女ふたりで観にいってきた。




生鮮食品も雑貨も扱わず、人が憧れてやまないファッションだけを追求する創業112年のデパート。
オールド・アメリカな回顧シーンが、特にステキだった。

それは、ニューヨーク5番街のバーグドルフ最上階に暮らすオーナーの朝のシーンだったり、
オノヨーコがトランク何杯もの毛皮を、お買い上げするエピソードだったり、
バーグドルフ1の販売員の志であったり。アルマーニの含蓄のセリフだったり。
日本のデパートでよくみるような、
石橋を叩いて叩いて渡る販売戦略会議の壮絶感漂う絵などは、
ひとつも映されなかった(そこがアメリカという国)
ちょっぴり出来すぎたドラマだけどむしろ、爽快!!

良いものは良いと。一流のものが必ず人々の心を溶かすのだと、一点の曇りもなくそう言い切るところがさすが!!
バーグドルフには、2号店3号店がないのだ。
だからターゲットは世界中の上顧客になる。

本音をいえば、もう少しだけこのデパートを支える舞台裏(の人々)を見せてほしかった。




映画を観たあとで、洋食「ラミ (L'Ami)」でランチをした。
(私は、コロッケ定食。お友達は、シチューオムレツを)。



「ラミ (L'Ami)」は私が好きな洋食店。

訪れたのはきまっていつも夜だった。それも夏の夜が多かった。

生ハムとサーモンの盛り合せ(892円)、明石鯛のカルパッチョ(945円)、
カニクリームコロッケ、牛フィレカツレツ(1785円)、舌シチュー(2100円)がとてもおいしい!

昼の「ラミ (L'Ami)」は、夜とは雰囲気が違っていて、サラリーマンやOLで行列ができ、
慌ただしい店になっていたが。
本来は旧オリエンタルホテルの老シェフが厨房にいて「気軽だけど、本当の洋食を食べさせる」。
値段も比較的手軽だし、家庭的なところが好きだ。(スヌーピーのぬいぐるみがいろんな所においてある)



このあと、香港スイーツの「甜蜜蜜」でお茶をして、(写真は鉄観音とココナッツダンゴ)



冬の居留地(大丸神戸店から南、洋館が建ち並ぶ海側の街)をぷらぷら。


お友達はさっそく、「VIVIENNE TAM」( ヴィヴィアンタム)で最新ワンピをお買い上げしていた。
私たちは、その前にバーニーズニューヨークを見て、
「VIVIENNE TAM」でコートを着て、ワンピースを着て、レザーのバッグも持って鏡にうつしてみた。
冬の都会は愉しい。特にお買い物がいちばん愉しい季節だ。

そうやって、冬の神戸を愉しんだあと、別れ際に。
さりげなくこちらを手渡してくれた。
「プレゼント」と。
オトナだね。ありがとうございます!!(中身は西宮甲陽園・ツマガリの「グリオットロワイヤルケーキと焼菓子の詰め合わせ」)




師走のハードワークのなかの、ひとときの至福!

今週末でいよいよ、仕事が終わる。
今年はいつもの年よりヒマな12月だ。それじゃあ、いつもの年より、より気合いをいれて掃除しなければ。
修行僧のように掃除してみたい。音楽もかけず、ただ黙々と整理して。空間を磨く。
何にもないキレイな部屋で、クリスマスとお正月を迎えよう。それが目標!


あるイベントから。民際ー知と文化 出版記念シンポジウム

2013-12-11 00:09:45 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


年末は何かと慌ただしいけれど、嫌いじゃない。
11月も過ぎて12月ともなると、
「やっぱり今年も良かったなー」なんて。

そして、残された1カ月。12月の街はどこへ行ってもキラキラと綺麗なので、よけい。
僅かな時間もいとおしく思える。

先週の土曜日。
クリスマスのイルミネーションがOSAKAを包み込む綺麗な冬の日に。

「民際―知と文化」(洪萬杓さん編集)と題した出版記念シンポジウムに、出席させていただく機会があった(クライアントさんからの招待)。

なんだか、難しそうな内容だなーと思ったけれど、
その予想どおり、不勉強な私にはちょっぴり難しかった。

プログラムの内容としては、
「東アジアの未来を見据えて」をテーマにした玄順恵(ヒョン・スンヒエ、水墨画家)さんの記念講演をはじめ、今回の本の執筆者の中から
5名のゲストによるパネルディスカッション。後半はホテルニューオータニ大阪のパーティメニューを頂きながら交流会、撮影会も。

玄順恵(ヒョン・スンヒエ、水墨画家で旦那様は作家の小田実さん)さん。特に彼女の講演がホントに素晴らしかった。



「東アジアは地球の陸地面積の3分の1、を占めています」
「東アジアのなかにおいて、日本は一番自由で、一番進歩している国でありたい」
「東アジアがどのように進化するかで、地球は大きく変わっていくのです」ホントにそのとおりだ、と。
改めて東アジアの中の我が国の
あり方を考えた。

最後に音読された詞もよくて、もう泣きそうだった。

テープレコーダーを持っていっていたのにも関わらず、
前日のロング取材で電池切れ。録音できないのが非常に悔やまれた。

今日印象に残った言葉は、「私たちがなぜここにこうして生きているのかは、歴史と切り離しては考えられない」。
そうして、人間と人間が本当の意味で繋がっていくには、
「考古学の発見や歴史遺産から紐解き、その価値と真実をキチンと見据える必要があるのだ」、ということ。勇気をもって。

「百済」は過去の古墳時代と飛鳥時代のなかで、日本が最初に大陸文化を結んだ稀少な国であり、
とても密接な関係を築いてきた国。
その足跡は、奈良に堺に、枚方に、しっかりと息づいている。
そして今、古代百済の本拠地である「忠清南道」は、
百済文化を前面に押し出し、
国際交流の取り組みを積極的に展開しよと試みられている。

私たちが抱いている韓国とは
少し異なるイメージだ。

「百済と倭国との関係」から捉え直すことで、東アジア全体のピースフルな視座と発展に繋げたい、それが大切だと、熱く語りかけていらっしゃった。



今、日韓問題はとてもシビアだ。
でも、今回の論点はそこではない。

「日韓両国の民間レヴェルの文化の交流こそすばらしい。政治を抜きにして仲良く手をつなぎ、平和への対話をつなげていきましょう」というものだった。


「民際。知と文化」NPO法人東アジア隣人ネットワーク(企画)2800円



この本を、パーティで頂戴したのでぜひ読みたいと思う。

倭の国。いい響きだ。
倭国いえば、卑弥呼の存在もとても気になる。
卑弥呼の説はいろいろあるのだけど、
新聞で「卑弥呼」の記事が出るたびに、ワクワクするのは
やはり日本人のDNAゆえなのだろうか。



さて、今年は仕事がらみのパーティなど例年より多かったし、

スケジュールがあえば主席させていただいた。
私としては異例だ。

先月にはレギュラーの冊子で、ご一緒しているカメラマンさんに誘っていただき、
APA関西・日本広告写真家協会主催のパーティにも参加(彼はなんと、APA関西の副会長さんだった)。








こちらは、料理研究家・堀田裕介氏のエスニック料理とご機嫌な生サウンド!
雰囲気がとても良かった。
カメラマンさんやモデル事務所の代表、それに広告代理店の方などと名刺交換。すぐ緊張する私にしては、どうしたことなのか、
普段に近いリラックスした感じでおしゃべりができた。
やはりライターはカメラマンさんと組むことが多いから、
そのせいだろうか…。

初めて仕事をさせていただく場合、
初めてご紹介いただく場合

私達のような業界では初対面での「第一印象」というのがとても重要になる。

私の経験上、自分を必要以上によく見せようと思わないこと。
カッコつけないでそのままの私、そのままの笑顔で手を差し出せば、たいてい大丈夫だ。
普通に自信。これ、大事。
逆にカチコチになってうまく行かないパターンというのは、
なんだか必要以上に意識して自分を演出してしまっている時が多い…。

これは不思議なんだけど、
初仕事での原稿にも同じことがいえるのだ…。

何年仕事をしていても緊張してしまうけれど、
自信をもって、うまくいくと思っている場合には必ずといっていいほど、
普通に、軽々と成功しているのだ。








2013ラストの紅葉を観に。「圓通寺」「岩倉実相院」~「詩仙堂」。

2013-12-07 00:28:36 | どこかへ行きたい(日本)


ここ数日は冬の太陽が温かくて、やはりうれしい。
それは紛れもなく、冬の日差しだ。
わが街を埋め尽くす街路樹は、昨日よりも今日、そして明日のほうが身軽になって、
きれいな葉っぱのドレスをパラパラと脱いでいく。

そうして、冬の間にはひとしお、枝や幹の美しさが際立つのだ。


再び京都の洛北に、今年最後の紅葉を見に行った話をまだ書いていなかった。
あっという間にもう12月だー。

ご近所のお友達とふたりで、洛北へ。大人の遠足。

JR京都駅に11時前に到着しようと思えば、結構朝は忙しい。

「この日は少し早めに忘年会と思ってぜひ奮発しましょう!たま~によ、たま~に」ということで、
京都駅三越伊勢丹の「京都和久傳」さんへ。
11時15分。すでにランチの予約者で、ほぼ満席とはやっぱりすごーい!

(店前には行列)

5000円(税別)のコースを予約したので、
眺めのいいカウンターで席を確保でき、本当によかった。目の前には東山。

11時過ぎから日本酒を飲みながら、おいしい割烹料理を堪能できるとは
ナンテ贅沢なことよ。

「和久傳」さんの御料理の醍醐味は、派手さはないが本当によい素材を(もちろん旬の)、
おいしいお出汁でごちそうにしていただけることに尽きると思う。
さりげない上品さかな。野菜の焚き物と椀物がすばらしかった。最後の黒鯛の押し寿司も。

またまた、長くなるので、この報告は次回のお楽しみに書くことにしましょう。


地下鉄「北山」駅から、車では約5分。叡山電車京都精華大下車 徒歩約25分の「圓通寺」へ。



1678年(延宝6)、霊元天皇の乳母、円光院文英尼公が「妙心寺第10世」の景川宗隆禅師(けいせんそうりゅう)を勧請し創建したという
臨済宗の寺だ。
(ここは京都でライターをしている小春さんに教えてもらった)。


入り口から古寺独得の、凜として張りつめたような澄んだ空気に心奪われる。


まだまだ青苔の残る枯山水の平庭は、
お堂に正座してちょうど目の高さのところで、サザンカなどの生垣をめぐらした深い緑が切れて、
杉・ヒノキの木立を通して「比叡山」が臨める借景式庭園である。




左右にはそれぞれに、染めあげた紅葉のしっとりとした赤。











光の当たり具合なのだろうか、同じ紅(朱)でも和&洋のような違いを感じた。
向かって右の紅葉は、西洋的な赤い彩。対して左は本当は紅色なのだった。



ここは静かで、ざわざわとし始める人が誰一人といなくて、
静かにお庭が拝観できて本当によかった。

苔も生垣も、杉、ヒノキ、そして紅葉も。比叡山の「頂き」の借景として存在しているような気すらした。
そして主役はやっぱり悠々とした比叡の山!!
それくらいスッキリしている。なかなか渋い寺だった。






崇高なものを見ると、普段の雑多が流されていくよう。
土と古木の匂いがした。





そして歩いて20分の「岩倉実相院」に行く。



ここは一昨年、青モミジの頃に拝観(瑠璃光院とセットで訪れた)。


都のそれとは違い、自然のままの大らかさの残る、山水庭園。



そして、思いっきり意匠を映した少しアートな佇まいの石庭。借景は比叡山脈。

性格の異なる2つの庭が拝観できて、面白い。




そして、この彩!!彩、彩!!







狩野派の襖絵なども、もう少しゆっくり見たかったけれど、さすが紅葉シーズン
喧噪のなかでみる美術品は今ひとつ情感が湧いてこない…。

そこで、滝の間の床板に外の木々が写り込む「床もみじ」(新緑の頃は「床みどり」)と呼ばれる、
黒光する床の神秘をメインで眺めた。




そして、再び。
一両だけの叡山電鉄に乗り込み、ゴトンゴトンと山の町を揺られて、約10分。一乗寺で下車。



ここはやはりいつ来ても、懐かしい。心親しい、小さな町。
テクテクと山のほうに歩いて、「詩仙堂」へ。
友達とお喋りしながらなので、アッという間に着いてしまう。

もう何回目だろうか(4度目くらい)。

詩仙堂は、門前までの石階段の小道がいつ訪れてもいいなーと思う。





覆い被さるような竹林と、竹で編んだ垣のアプローチ。
やっぱりワクワクする。

そして、名もない小さな草木が、ごく自然に浮かびあがるようにぼんやりと咲いている。

靴をぬいであがると、まるで知り合いのお寺にお邪魔したかのような親しみが。



江戸時代初期の風流人・石川丈山がつくり、実際に暮らした山荘なので、
どことなく生活感が残っているのが好きな理由かもしれない。
ここで隠居せずとも、一乗寺界隈で暮らしたら、朝もやの光に包まれた詩仙堂の庭が見られるんだなーと思う。






狩野探幽筆の中国の詩家36人の肖像を掲げる詩仙の間。
白砂の唐様庭園には、山に刈り込まれた美しい自然と、手があまり加えらていない野山の緑と。
その境界すらよくわからない。小川が流れる。水の音がする。かきつばたや椿もきれいだった。

草木も茫々として自由、のびやか。熟れた柿がたわわにあった。
瓦屋根や土壁の温かくて、まるみのある陰翳と
朽ちそうな瓦のデザインも。
都風情とはひと味違った錦秋の色がみつかる。








帰りには、一乗寺中谷でお土産(お豆のケーキ)を買って、



お友達が調べてくれた「ル・パティシエ オクムラ」にて、〆のお茶を。




ダージリンを飲んだら、さすがにおいしい。

ケーキもあまりにおいしそうなので、お友達と半分個して2ついただいた。



次回は、圓光寺や「曼殊院門跡」のコースの寺院を巡ったあとで、「パティスリー タンドレス」(金・土・日のみの営業)、
フレンチビストロの「アルザス」、そしてお決まりの、「一乗寺恵文社」をのんびりと訪ねたい。


















焦燥感が消えないとき。

2013-12-02 23:56:52 | 今日もいい一日

なんだろう。心が風邪をひいてから、なかなか直らない。
もう一カ月になるか。
ぽかっと穴のあいた傷口が、血を滲ませたまま塞がらない。

自分にたりないもの。
最近そればかりを探しているというか。目をそむけたくても、じわじわと感じてしまっている。

少しばかり努力した気になっていても、継続できず、
よく今日まで朴訥と生きてきたなぁーと思う。結構図太いわ。

まず勇気。それに裏付けされた自信。ユーモア。それに整理能力もない。

人生を自分らしく生きるには絶対に欲しいものなのに、なにをほっても大事にしたい性質なのに。
この年齢になってなお、自信がずるずると消えて薄まっていくようだ(やっぱ、お仕事を自分からお断りするというのは後々響くなぁ、心が痛い。
仕事ってクライアントさんから与えられるものじゃなく、もっと高いとこから降ってくるものなんだ、と気付く)。

いや、済んだこと。はさして関係なし。自分で自分が信じられないというか、許せないというか。
いったんそう思ってしまうと結構きつい。

そうして最近、出会った本が「あたらしい自分になる本」服部みれい著。
(ブログを通して出会ったあるライターさんがこの本のことを書いていた)

この本は、単にハウツーものではなくて、冷え取り健康法のこと。アーユルヴェーダ、白湯の話、
食べ物と食べ方や、お部屋を浄化する作戦、そして瞑想。人や自分を許して浄化するポ・オポノポノや。
作者の服部さんがすべて試したことがその体験談や、もっと詳しく掘り下げて解説する関連本などの紹介もふくめて沢山書かれていて、
決しておしつけがましくなく、語りかけるような自然な文体で
あたらしい自分になるための、処方箋を教えてくれている。


服部さん自身、大きな壁にぶちあたりボロボロだった自分を立て直す手立てを探り、探って。
編み出した、いろいろ、なんだそうだ。


今朝は、本の著者が薦める「黄金のアーユルヴェーダセルフマッサージ」に習い、
温かい部屋で太白ごま油を頭の先から、髪、顔、肩から胸、腰、おしり、手足の指先まで
自分の指先と手のひらでマッサージして、
バスローブを着て約20分。

日課である半身浴をしてから、釜定の鉄瓶で20分かけてこしらえた白湯を口にする。

マッサージしている間中、バリ島のヌサドゥアが映像として頭の中を流れていた。
ふん、ふーん。傷ついている私にしては能天気な気持ち。
セントレジス・バリリゾート「ルメードゥスパ」で施術してもらったマッサージをずっーと思い出していた、というか感じていた。

閑静な場所にある鯉の池。その中央にたたずむスパ。

120分。ひたすらオイルをたっぷり塗って、ローストピーナッツ色の肌をしたきれいなお姉さんにさすってもらったねー。

「神経が高ぶって眠れないのね。今日はきっと眠れるわよ」。彼女はそう自信げに私に約束してくれた。
施術が終わったら、風呂場に据えられた滝にうたれた後で真っ白なフランジパニ(英語圏ではプルメリアという)とバラを浮かべたお風呂に、ゆっくり入った甘ったるい夢の時間。
お風呂の外から流れ込んでくる細長い線香とオイルと濃厚な花の匂い。ガムランの調べが遠くから、いつまでも聞こえていた。

私は、家族を離れて一人ゆっくりと3時間以上そのホテルで過ごしたんだっけ(あぁー妄想バリ島だ)。
でも、その後ジンバラビーチのバーベキューで活きているロブスターを食べて、ビールを飲んだだけで3万円も、ばくられた時はまいったしたけど)


ここは西宮の南向きのリビング。太陽が毛足の長い絨毯の端までしっかりと明るく照らしている。


お風呂から上がったら、
冷えないように、スパッツを2枚重ねではいて、
5本指ソックスを絹、綿、絹、綿の順に重ねてはく。

机の前に位置するガラスの向こうには、カレンダーの写真のように燃える山々。
こちらは、夕方Nが送ってくれた京都御所の紅葉。











今日も夜には湯たんぽをして眠ろう。

こうやって、自分を少しでも大切に、大切に保護してやろうと試みているが…、さて、12月は少しくらい回復してくれるだろうか。



まあ、自分を攻撃しているのもまた紛れもない自分自身なのだから。
理想どおりに生きられないからって(思い描く通りに全く行動できないポンコツの頭と体)、
容赦なく攻め続けているのは他ならぬ自分なのだから。仕方なし。
回りの人はやさしい。たくさんいいコトやモノを運んできてくれる。それはうれしいー。ありがたいー。


こうやって、じんわりじんわりと、子宮にある筋腫は膨大に育っていったんやろなぁーと客観視。
仕事はある意味、こんな自分を解放してくれるセラピーになる。忙しければいいリハビリだ。

この間は、これまであまり観ない映画「マラヴィータ」をみた。
窓から温められた冬の太陽が温かく注いでくれている。