月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

祖母と、母とわたしとの時間

2013-06-27 16:40:48 | ご機嫌な人たち

「6月半ばから暇になりそうやわ」。

そう宣言した途端、仕事もプライベートもポロリ、ポロリと予定が入ってきて、
気がつくと週のうち2~3日は仕事で外出。
その合間を縫って2~3日はプライベートで外出。

となり、全くありがたい充実ぶりなのだが、反面には余裕のない日々をおくっている。

うちにいる時間が少ないと、夜に仕事やら家の用事やらをこなさないといけないのだが、
最近これがどうもチャッチャッとこなせない。集中できない。
サッパリ進まないし、ついついその夜は課題を持ち越して眠ってしまい
翌日朝、もしくは夜に、と言うことになりかねないのだ。

ブログも面白いネタがたまっていく一方だが
自称・筆無精のライター(笑)なので、
こちらも、なかなかはかどらない、ということになっている。

それでも先週末は、どうにか時間を工面して、私の実家に帰ることができた。
娘のNは、大学のサークルで福井まで合宿に行っているので、今回の帰省は、私と夫のみ。

田舎の家に帰ると時間の流れ方が、だいぶ、ゆるやかになる。
例えば5分が20分ほどの。平成の流れが昭和50・60年ほどの。
そんな、緩やかさで時間が過ぎていくのが、ある意味リフレッシュにつながった。

夜、2階の和室にあがって和室の縁側の揺り椅子に座り、耳を澄ますと、
カエルの泣き声が当たり前のように聞こえてくる。(6月だものね)
アマガエルと食用ガエルの混じった合唱をBGMに、
学生時代の本棚から一冊(石井好子の、「パリの空の下オムレツの匂いは流れる」)を取り出して、
ぼう~と読み始める。やはり戸建てのくつろぎは、違うなあ、と当たり前のことに気付きながら。
網戸から入る、湿気のある風を心地よく感じながら。

田舎のカエルは面白い。
同じ調子で、ゲロゲロ、ゴーゴー♪と合唱しているかと思いきや、田んぼの横を車が過ぎると
全員一致でピタッと泣き止んで。しばしの静寂。
そして、再びまた合唱がはじまる。
都会のカエルは、こんな芸当はできないだろうな。だって車が往来しっぱなしだもの、
などと妙なコトに気付いたりして、
笑いたくなる余裕が、この日の、わたしにはあった。

さて、翌日は母の母。私の祖母のひなさんの元へ見舞いにいった。
102歳の祖母は、元気とはいえないがそれでも苦手な夏を乗り切ろうと、
一生懸命がんばって生きていらした。表情もどこか3月に見舞った時よりも頼りないが、
持っていったバナナやゼリーを、食べたい、という意気込みで咀嚼しようとするところをみて、
まだまだ、生(せい)の気力を感じた。

私は昨年9月に、祖母のことを書き綴らせてもらった「明治の人」の原稿を
高齢者ホーム(各週で訪れている)の部屋で朗読させてもらった。

http://www.yumephoto.com/ym/voice/voice28.html

(「明治の人」は、実は私の友人のライターさんが数年前から関わっている企画。
その趣旨は、現代に「明治の人」の言葉や生き方を伝授していきたいという思いで
はじまった企画である。全員がボランティアで原稿をつくる。
私も数年前から、その企画に賛同し、今回はその友人のライターさんを通して自ら手をあげ、
参画させてもらっていた)

耳がよく聞こえないようなので、出来るだけ大きな声で朗読させてもらった。
NHKの朗読アナウンサーの口調などを思い出しながら。耳元に唇をあてるようにして。

朗読させてもらっている途中、3回くらい涙があふれてきた。

しかし、ひなさんは私の声がよほど耳障りがいいのか、最初はうんうんと頷いているのに。
5分も経つと口がだんだんあいて、鼻から息が少しづつ漏れ出し、
やがてスースーと眠ってしまうのである。

「眠ってしまったわ。休憩、休憩」と母。

私は、そのたびに息を整え、原稿を置いて。
母と祖母の想い出話などをゆっくりとたどって、おしゃべりする。
すると、祖母は10分もしないうちに、目をパチッとあけるのである。
(聞いているよ、寝てないよ、何愉しそうに話しているの?と主張するように)。

それをみて、私は再び、その章の始めから朗読をする。
朗読しながら、私は幼い頃の母と祖母との時間の流れを思い出していた。
私のよく知っている祖母が登場するところは、またまた涙が出る。

それでも、私はお構いなしに続けて朗読した。
祖母が眠ったら一度そこで止めて、また再び朗読を。その繰り返し…。
そんな風にして、おそらく2時間半くらいかかったのだろうと思う。

読み聞かせをしては、眠ってしまう102歳の祖母をすぐ近くに感じながら。
私は娘のNにも、こうやって毎日のように読み聞かせをしていたなあ、と17年ほどの前の時間を
オーバーラップさせていた。

そう娘のNも、同じように私の声がよほど気持ちいいのか、安心するのか、
読み始めるとやはり5分ほどで、
スースーと気持ちいい寝息をたてていたのだ。

102歳と2歳がそれほど行動パターン違わないのが、おもしろい。

人というのは、最初の魂であった自分の姿に、もどっていくのかもしれないね。

いい時間だ。祖母のためというよりは自分の自己満足かもしれないが
生きておられる時に、ちゃんと目の前で朗読できてよかった、と胸をなでおろした。
ほんとうに静かで、とてもやさしい、愛おしい。
「祖母と、母とわたしとの時間」が流れていた…。









朝活、自然の中のウォーキング

2013-06-20 23:46:04 | 春夏秋冬の風


6月というのに猛暑並みの気温が続いたかと思えば、ここ数日はモンスーンのような激しい雨が降っている。

今日も朝のヨガレッスンで「日本は亜熱帯のような気候になってしまって、いろいろ心配ですよね」と先生がおっしゃっていた。 

本当にそのとおり、日本に四季がなくなるなんてことになったら大変だ。

植物も生物もずいぶんと変わっていくに違いない。山の生態も繁る木々も変わるのだろうな。
私のデスクからは、今も六甲山脈にたちのぼる濃い水蒸気と白く煙る重々しい雲が、どんどん、どんどん、ものすごい勢いで生産されている。

雨、雨、雨。 
雨は新緑を、街の汚れを美しく洗い流し、毅然としてかっこよく降っている。
初夏の雨はいつだって清々しい。

私は子供の頃から、雨が天から降り注ぐのを(また土にしみていく様子を)みるのが大好きなのである。
自然を肌で感じられる街に暮らしていて良かったなあ、とほんとうに思う。

この街。18年住んだこの街には春になれば、朝に、昼に、ウグイスが鳴かない日はないし…。
5月から夏にかけては、ものすごく美しい響きと不思議な鳴き方で呼びかけてくれる鳥がやってくる。

わが家から歩いて5分くらいの、静かな森の谷間から今も聞こえてくる、不思議な鳴き声…。
その鳴き声、よくよく耳を澄ましてみると、「てっぺんかけたか」「てっぺんかけたか」「てっぺんかけたか」というらしい。
息をずっとずっとひきつけながら歌っているような、不思議な声色がすごく神秘的な鳥なのである。

最近は少なくなったが、数年前、真夜中まで原稿を書いている時や、
朝4時頃に起きだして、原稿チェックをしている時に聞こえてくるのが、この「てっぺんかけたか」だった。
この鳥の声を聞くだけで、一瞬に心なごんだ。
何か大きなものが側にいてくれるような、不思議な安堵が私を包みこんでくれるようだった。
単純に声の響かせ方が大好きだった。聞こえてくるだけで街がさらに大好きになった。
その鳥はかの有名なホトトギスだったのである。

3年くらい前にホトトギスを知った時は、思わずその生態を図書館で調べたりもしたのだけど…。


さて、自然のことを少し書いたので今度は、朝のウォーキングコースのことをチラリと書いてみよと思う。

トレッキング(日本や世界中の登山)を趣味にしているあるコピーライターの先輩と週に1度だけ一緒にウォーキングしていて、彼女に案内してもらったコースなのである。

最初は新興住宅街の外周道路を15度くらいの角度の坂でのぼっていって、
やがて裏六甲山に向かい合う位置に達したあたりで、砂地斜面と松並木の遊歩道が続く。



そして、ワシントン郊外のような電柱もない、電線もない住宅街が現れる。そうやって洋風建築の戸建てが続く集合住宅街をぬけて、
ずっとずっと南へ下っていくと、
ふとある瞬間、タイムトンネルのような竹と杉の森に出る。
そして、いきなり景色がいっぺんするのだ。



そこは、山陽地方の海に面した尾道あたりに似た急斜面だ!



まがりくねった細道が延々と続き、沼があって、森があって
、竹やぶがあって、段々畑や棚田が左右に広がっていく。











私は汗をふきながら、さらに周囲の景色を見渡しながら歩いている。
しばらくいくと垣を積んだ小さな民家が現れ、むっーとするほどの生活臭い暮らしの家(田舎らしい佇まい)が2軒・3軒と現れる。







広い庭の表には、さびた竿に大所帯の洗濯物がかけられていたり、子供の赤い長靴がさかさに干されていたり、
大根や野菜を干していたり、小さな尾道チックな世界がしばらく続くのである。
そして、今度は山の田舎。自然の中の家々…。




そしてさらに下へ下へと降りてくると、またまた竹林の道が続き、
今度は京都の比叡あたりの風景に近い森の林道が現れるのある。
耳を澄まさなくても聞こえる野鳥の声、虫の羽音、そして水の音…。
山の水の音だ。武庫川渓谷から流れているせせらぎというか、小滝がすぐ近くに接しているのである。






しぶきがこちらまで届きそうだ。揺れる緑、爽やかな緑の香りだ。もう、ウォーキングもここまで来ればフィナーレに近い。

小さな石の橋を渡って川面からくる涼しい風に暑く蒸気した頬を差し出す。
ああ気持ちいい。マイナスイオンの風である。




水と森ってなんでこんなに融和しあうと気持ちいいんだろう。そんなことを感じながら、軽やかに、愉しく、そして少しだけ息をきらして、
落ち葉の養分でふかふかになった柔らかい土壌を足裏に踏みしめながら歩く、歩く、歩く。






両手を振って、背筋を正し、肩甲骨を思い切り刺激するような姿勢で。
鼻から息を吸って、今度は息を吐いて、周囲の景色に同化する自分を感じながら歩く。

もうすぐ、整備された桜の公園広場だ。
それを抜けると急回転するロングロング滑り台があって、見慣れたいつもの住宅街が見えてくるである。
この日のウォーキングを計るには携帯アプリRunKeeperがいい。
1時間10分。距離は3.50マイル。

帰ったらシャワーを浴びて、熱い紅茶を飲みながらどんなフルーツを食べようか。

最近ブームの「朝活」。そうだ、朝に元気がない人は筋力を高めると良いらしい。
筋肉がない人は神経ネットワークが単純でストレスに弱いから。
ストレッチやヨガ、ウォーキング、ジョギングで筋力をつけること(主に下半身)で些細なことにぶれない自分になるという。





ホテルでの接客を学ぶために

2013-06-14 23:54:16 | 大阪ごはん


4月から大学生になったばかりの娘のNが、ホテルの宴会やレストランでアルバイトをはじめた。
「セントレジスホテル大阪」や「インターコンチネンタルホテル大阪」がそのホテルである。


これまでの人生で労働をして報酬を得た経験のないNにとっては、いろいろ刺激のある日々のようだ。
大学の話や友人たちの話より、ここ数日はアルバイトのことで頭がいっぱいのよう。

たとえば、
「○○さん、今何しているの?」と女性上司からよく質問が飛ぶという。

「はい、3番のお客様へのナイフフォークのセッティングに行こうとしていました」などと受け答えをするN。

「そうじゃあすぐに行って。帰ったらすぐにこれもやって」と
彼女の答えに、必ず、お土産付きで返す上司。

要するに一瞬たりとぼさっとしていないで。常に目配りして労働をしなさいね、という意味なのである。

何事も勉強だわ。ふむふむと話を聞きながら傍観していた私だったのだが
先日ついに口を滑らせてしまった。

「それじゃあお客様側の立場からホテルの接客というのを観察してみたらどう?
スタッフや人の動きを心おきなくみれるわよ。なんたってお客様だもの」。

そう、言ったあとにすぐに後悔した。
こういった提案は本人がしてこそ意味があるのだ。
「ねえ、どうしてもみたいのよ。お願いどこかのホテルへ連れてって」と
必至に拝まれて、しぶしぶ重い腰を上げるのが筋!そうでなければ 半分も効果なし。そう理解はしているのだが…

しかし、気付いた時にはすでに時おそし。

ということで、
先週日曜日に朝6時~昼1時まで労働していたNと待ち合わせして、
「リッツカールトン大阪」(三ツ星サービスで有名)へ出掛けた。



日曜日のホテルはどこも満席。
当日の予約で間に合うレストランはどこもなかった。
それで、Nの希望もあって「スプレンディード」のデザートバイキングに侵入する。

ここは、私がかつて広告代理店に常勤していた頃、側にいてやれない母の
せめてもの償いに、と幼稚園や小学校時代のNを伴って、3・4度ほど訪れている。

数年前に東京のお友達とも立ち寄ったりしたが、
やはり幼年の頃のNとの想い出のほうが深い。




この日も、ケーキ類はもちろん、

シェフがその場で焼いてくれるクレープやワッフル、石窯から出したばかりのピザ、パスタ数種、
特製マカロン、チョコレートなどを、すこぶる落ち着いたヨーロピアン空間のなかでいただいた。









珈琲、紅茶は好きなモノを何杯でもお代わりできるので、

最初はリッツで一番好きなブレックファーストをストレートでオーダーし、
アッサム、ダージリン、さくらティー、珈琲と2時間近くも甘いものを食べ続けた。
ま、経験上、それほどケーキは欲張らず、ナッツやチーズ、
サンドイッチ類をメインに時間を構成したかな。






そして思う。ホテルのよさって何かしら。と。
空港(ターミナル)もそうだが、旅の途中にある各国の人と同じ場で過ごせること。
いろいろな人の人生がほんのひととき、かいま見られるのが愉しい。
そして飛行機に乗らなくてもちょっとしたリゾート気分に浸れるのも愉しい。


たとえば、家のなかだって朝夕の照明を落としたお風呂とか、
オレンジ色のライトだけにしたベッドルームでの読書とか、
朝のベランダで風にあたっている時とか、
ほっとできる異空間はあるのだけど、やっぱりホテルの時間は時の流れが違う。
時間軸が、世界のビジネスというか社会にむいていながら、
そこで食べたり飲んだり、くつろいだり出来るのが愉しいのだと思う。

(わたしの実家が旅館業をしていたせいか、飲食店やホテルはなんだか
もうひとつの居場所のような気がしてしまうのである)。

さてさて、肝心の接客スタイルは学べたのだろうか。

スイーツやサンドイッチを何往復もして、沢山ほおばっては、お喋り三昧のNだったので。
その効果はどうなのかは、はっきりわからない…(涙)。
しかし、スタッフの歩きが早い。行動も早い。瞬足で働きながら、表情は優雅で笑顔。という気が私はした。


帰りにグランフロント大阪に立ち寄って、
「インターコンチネンタル大阪」のエレベーターを20階まで上がりきって



モダンなロビーや、プール、ジム、バイキングレストランの
「NOKA(ノカ)」などをチラリとのぞく。

このホテルは6月3日にオープニング前夜祭で、世界のVIPが集合したと聞くが、
ある意味、リッツとは対極だ。シンプルでモダン。
完璧にビジネス(VIPビジネス)でosakaを訪れる客層をターゲットにしているようだ。





さて、今週の水曜日から真夏のように関西は暑い。梅雨宣言から一転、湿気の多い日本の夏。
でも、夜になると少し風がやわらかくなる。

きょうは夕方まで仕事をして、
それから車で今日まで上演している映画をみるために近くのシネマへ…。






おいしいものと、素敵な1周年の同院会

2013-06-11 20:30:27 | 大阪ごはん


このところ5月からずっと仕事が混んでいて、おいしいお店へ行ったり日々の発見も更新できないでいたが、今週末から落ち着く予定。
なのでそれらを紐解いていくなかで、この日のことだけは先に「アンデルの手帖」にメモしておこうと思う。

6月1日(土曜日)、大阪中央病院にて10日間共に入院生活を過ごした時のメンバーと
1周年の同院会(同窓会と違うから 笑)だった。
本来は6人で集まる予定だが、Oさんはお母様の体調が思わしくなくて欠席(明るく気丈な人で、自宅で誠心誠意の介護をされているという)。
それでも約9カ月ぶりにみるメンバーの顔。
懐かしくてすぐに意気投合した。


北浜のライオン橋(京阪電車26番出口)で待ち合わせをして、
この日は北浜の「エッサンシエル」へ。



ご存知の方も多いが、ここは大阪「ル・コントワール・ド・ブノワ」にてエグゼクティブシェフを勤めた大東和彦シェフが独立後、
はじめて自分のスタイルでフレンチレストランをオープン。
無駄な装飾を排除した引き算の料理を志しておられるそうで、修業されたフランスにはない、
日本における日本人のための、フランス料理を表現したいというのがコンセプトである。


エレベーターが7階に到着すれば、いきなりのダイニングだ。

カウンターで窓際の席をリザーブすれば、堂島川と土佐堀川を見下ろす圧巻のロケーション。
そして、オープンキッチンの臨場感まで味わえる構成である。


一見は割烹のようになっていて、シェフとの距離が近く、料理の行程がよくみえるのがいい。
もちろんステンレス製のキッチンはよく磨かれてピカピカだ。
ガスは使用せずIHだけで調理しているのには驚いてなぜ?と聞かずにはいられなかったが、
丁寧に理由を教えてくれた。
(10年近く、往来の店がそうだったから。掃除の手間はかからないし、便利極まりないという)



まず、アミューズは小鮎のフリッタータから。お箸でいただく。



旬の鮎だけに、ほんのり鮎の苦みと香ばしさがいい感じ。
サクサクッと一瞬で口の中に入ってしまった。

この時、柑橘のパンとともに、軽めのボルドー(赤ワイン)を注文。
お友達は白ワインを。



皆さんで乾杯!再会の喜びとお料理への期待感に高揚してきた。
おしゃべりも一気に弾む。



次は、熊本のフルーツトマトと白トマトをメインに、
フランス産のロメスト(レタスの一種)などの葉野菜や
ハーブをつかった爽やかなサラダ。



トマトがおいしい!こんなに甘いなら、冷えた器でキリッと冷たいトマトで食べたかった気も。
(おそらくフライドした野菜の印象も残したかったに違いない)


続いて、絶品!ふわふわの枝豆のスープ。



しっかりとコクを残しながら、
ふわっふわの舌触りとやさしい味わい。
これはおいしかった!器(日本の現代作家もの)も素敵。
この日いちばんときめいたお料理でした。



次はフォアグラとびわ、はちみつのソースで。



フォアグラの火入れ加減がよく、臭みも濃すぎる感じもない。
すっとした端正のなかに、口のなかで味わいが広がっていく。
びわのやさしさに包まれて、
デザートのようにフォアグラを食べたのは面白かった。


メインは、豚肉のローストだ。



フランス産のアスパラとの彩りがきれい。
これはさすがにお箸でなく、ナイフフォークでいただく。
ワインの効いた軽いデミグラスソースがよくあっていた。
肉質もよかった。

メインということはもう終わりだね。
沢山いただいたのに、まだまだお腹に余裕のある気がするのはフレンチには珍しい。
きれいなお箸と洗練された器で、少しずつ様々な素材感をあわせるところは、
和のテイストを随分と意識されているようである。


デザートはシュークリームだった。



ナイフで半分に切ると、なかには抹茶とあずきの餡子が顔を出す。
漆器の器で登場した珈琲とともにゆっくりといただいた。


帰りには、大東シェフ、快く記念撮影まで参加してくださり、感謝・感謝!

オープンキッチンを意識するあまり、下ごしらえされたお料理をすべて
目の前でソティなり、フランベなりの火入れをするサービス精神があって。
欲をいえば、お料理の温度の変化、
味わいの強弱、が少しあってもよかったのかな、と思いました。
でもとても気持ちよく過ごせるいいお店でした。
また時期をかえて訪れてみたい。お料理はお昼コース4500円でした。


さて、本当はこのまますぐそばの「モトコーヒー」でセーヌ川(堂島川と土佐堀川)気分を味わって
個室で談笑しようと考えていたのだがあまりにお料理の満足感があって、
もう少し歩きたい気分に!そこで急遽、老松通りにある中国茶館「無茶苦茶」まで足を延ばすことに…。





ここは本当に私の好きな店のひとつである。
オーナーの黄さんは美しくて、茶の作法においては一流の腕前。
お店やライフスタイルを取材させてもらったこともある。
大阪綿業会館でお茶会のイベントにも参加させてもらった。



明前黄山雀舌(青茶)

安渓鉄観音春茶(青茶)

白毫銀針(白茶)

の3種のお茶をいただきながら、
黒胡麻白玉団子と
5人前のドライフルーツで。







ああこの店はいつ訪れてもくつろぐなあ。
湯気がしゅんしゅんと吹く音を耳で感じながら、青々とした茶の香りに酔いしれ、
黒胡麻餡がなかに包まれた白玉をパクリとやる快感は他の店では無理。
築100年の一戸建て日本家屋がかもす独特の雰囲気と、派手すぎないがセンスのいい中国調度品とがよくあっていて、
空間・茶・もてなしと、なにもかもがしっくりと溶け合っているのだ。
だから、混んでいなければゆっくりと自分たちのペースで会話できるのがいい。



この日もお互いの近況をのべあい、最近いった素敵なところやお互いの未来の夢、そして悩み、将来の不安、子供たちのこと、
老後のあり方にまで話しがずんずんとエスカレートし、有意義な1周年の同院会となった。

同じ痛みをわけあった仲間たち。
まるで大学の合宿生活のような愉しい(?)日々だった。
病を通して知り合った私たちなのだが、病というほど暗い関係ではなく
年齢も個性も様々で生きてきた道筋もなにひとつ共通点はないけれど、
なんだかいつも懐かしい存在。
元気でいらっしゃるかしら、
と日常の句読点で、季節折々に、思い出す不思議なお友達である。

●「エッサンシャル」
06-4963-3767
大阪市中央区北浜1-1-28ビルマビル北浜7階
ランチ12;00~
ディナー17;30~
日祝休


夏柑糖の季節ですよ

2013-06-08 23:59:44 | あぁ美味礼讃

毎年、新しい季節がめぐるたびに、その頃に食べた同じものが食べたくなったり、
同じ場所を訪れてみたくなったりすることはないだろうか。

今年の近畿地方は梅雨入り宣言をしてから、雨の日が少ない。
それでも6月の声を聞くと、甘酸っぱくて爽やか味が恋しくなるのである。
最初は、むこうから自分の元にやってくるのを待ったりするのだが、いよいよ訪れないと、
もっとさらに食べたくなってくる。もう時季が終わってしまう…と焦るほど(笑)
季節の花を見るのと同じ感覚なのだ。

そういう時にタイミングよくコラムを書く仕事などがあると、ちょうど良い。
3年ほど前には「甘夏かあちゃん」(佐賀県唐津市呼子町加部島3748)から
「呼子夢甘夏ゼリー」をお取り寄せし、食コラムの記事に掲載してもらった。

「みずみずしい香りと自然のままのほろ苦さ」




光の透けるぷるぷるの黄金肌。半分に割っておくられた皮の器を切ると
柑橘アロマのシャワーが飛び出し、ん~、南国のエネルギー!
つるんと滑らかな口溶け。自然な甘酸っぱさの後には、ちょっぴりのほろ苦さが駆け抜けて、
体のなかを清々しい風がわたった。

はっきりしない梅雨時期だからこそ、このほろ苦さが醍醐味なのだ。

地元のお母ちゃんたちが玄界灘の段々畑で夏みかんを収穫する姿が浮かぶよう。
せっせ、せっせと、雨の日も風の日もバラックの小屋でゼリーをこしらえる光景まで頭をよぎる。
そしてああ、素朴でうまいなあ!すごい果汁!と感動して食べるゼリーなのである。

翌年の梅雨には、「銀座のジンジャーシロップ」の記事を書いた。
そして「雪の下人参のジュース」なんかを取りあげたりして、
次に見つけたのが柑橘生活研究所からの「檸檬れもん」!
これはおそらく地元の人しか知らないんじゃないかしら。




手作りのレモンジュースだけれど、ジュース!?などという半端なものとは違っていた。
ナント、レモンよりも檸檬の味がするのである。
広島の呉市豊町は、瀬戸内の気候と海から照り返す陽光に包まれた黄金の島だ。
水はけのよい土壌、急傾斜地を生かしてげしと呼ばれる石積が築かれ、
空に向かって仰ぐと柑橘類の段々畑が延々と続く。そんな地の利を生かしてつくる大長レモン!

宅配にはレモンが数個、ごろん。と無造作に放りこまれていて、村の匂いを運んできてくれた。
ゴクリと飲んだ時に、あ、太陽の味がすると直感した。

大長レモンを100%使い、苦みが出る手前でストップする贅沢な搾り方。
これに大長みかんの花蜂蜜とグラニュー糖だけを加えた傑作らしい。
農薬が一切含まれていないので、安心して飲めるし、4倍ほどに薄めればレモネードに。
炭酸で割ってスカッシュにしてもいい。2年続けてお取り寄せて、お友達にも配った懐かしい味だ。

そして、そして。
昨日大阪の伊勢丹の地下でついに購入しましたよ。
これこれ、老松の「夏柑糖」!!(ああここまでが長かった)




とりあえず、一人で丸ごと1個を食べたい気持ちを全身全霊で抑えて、
半分に切って(その半分に切る時もあるが)丁寧にスプーンで果汁をすくって頂く。



ああ、これこれ。夏みかん。
果汁感もたっぷり、
京都の老舗和菓子屋・老松さんならではのほろ苦さ、上品である。

甘夏、のほうがみずみずしさは勝つかもしれないが、キリッとした酸味がすっきり解けていく感覚…。

夏みかんの中のある小袋を一つ一つ手で取り出し、小袋についている苦みの強いシロジュウを
取り除いてから果汁を搾っている。
これと並行して作っておいた寒天が冷めたところで
両者をあわせるとおつな冷菓に仕上がるのだ。
1個1460円と結構な値段だが、致し方ないね。

夏みかんというと、国語の教科書に載っていた
夏みかんの随筆を思い出してしまう。
揺れる赤いランドセル、どこからか漂い流れてくる香り。
誰かがポツリ。
「これは、レモンの匂いですか?」
いいえ、夏みかんですよと答えるタクシー運転手。そのセリフだけで、
小学生の私は、ゴクリとツバを飲み込んだものだ。

この夏柑糖、
「今年は萩の夏みかんは不作で、7月中旬で終わってしまうのかもしれませんので」とのこと。


そういえば、京都・若菜屋の「焼き栗きんとん」も。

一昨年の6月に社寺特別拝観の
お茶請けとして頂いたことがあって、あまりに感動して翌月の祗園で若菜屋を訪れたら、
「もうあらしまへんわ。残念どすなあ。秋まで待っておくれやし」
とニッコリ笑いながら、いわれたのを思い出した。

和菓子の旬!
甘泉堂の水ようかんや、先斗町駿河屋の竹露(1個158円)もそろそろ時季だなあ。来月は夏だ。

イヌでもない、ネコでもない。

2013-06-04 15:29:09 | 春夏秋冬の風



日曜日の夕方の話である。
「イヌでもない、ネコでもない!こんな動物に遭遇」というタイトルで、私のところに友人からメールが送られてきた。ビックリ!




私は、急ぎの原稿が半ばまで出来上がっていたので、気をよくして夕方からお風呂に入り、相方が飲んでいたチューハイをグラスに半分も。さぁて、と。夕食までもうひとがんばり。もう1つの案件の資料を整理しはじめたところだった。

送られてきた画像にクギづけになり、なんだろう?なんだろう?と私が騒ぐので、家族が寄ってきて「おそらく野良たぬき」ということになったのだが、本当かしら。たぬき⁈

「普通のおばちゃんはアライグマをたぬきと勘違いしている人が多い」らしい。

その友人によると、日曜日の昼12時30分頃、ビッコをひきずりながらヨタヨタと歩いていたという。
水が流れる水栓みたいなところから、出てきたとか。
怪我もしていた。そして、人とみるやすぐに溝のようなところに隠れて、全身から毛を逆立て、警戒心をあらわにしたと言っていた。

たぬきといえば、夜行性動物だ。真っ昼間に、足をひきずって片目をとじて右に左にヨタヨタと歩いているなんて、よっぽど足が痛くてたまらなかったのかしら。
カワイイというよりは、なんか妙に感心をひく画像である。
車にはねとばされたのかな。お腹がすいてもう命からがらだったのかしら。

そうだ、慣れないお日様に面食らったに違いない。と想像力はどんどん膨らむ。

もう仕事どころではなくなってきた。そこへ…。

「知らん?コンビニエンスストアの真下にあるエレベーター付近で、女子高生たちがネコに缶詰の餌をあげているやろ。それ、たぬきも食べに来ているらしい」
「餌付けしているタヌキかな」


 これにまた驚いた!野良たぬきに餌付け~!?
ネコに混じってもたぬきだ。それともネコに化けて食べているのかしら。

おかしい(笑)

それよりたぬきって、確かに人を化かすというくらいだから、もっと野性的で威厳の高い小動物ではなかったか。
(身を守るために死んだふりするのでしたね)
私のなかでは小さな村の奥深くにひっそりといくつもの小集団で暮らしているというイメージであったのだ。

そこへ別の部屋から声がした。
 「タヌキには自分のテリトリというものをもっていて、一日2回くらい同じところをぐるぐるまわって歩く習性があるよ。同じ時刻に、そこにいたらまた会えるよ。まあクローバー型とか、はちの字型とか、いろいろパターンで動くんだけど…」
 自然史系の博物館の仕事を多く手掛けている相方が背後から、いよいよたぬき談を語り始めたのだ。
たぬきさん、いまごろお山に帰れたかな。

しかし、気がつくと外は暗い。
 ほう、私は一体いつになったら机に戻ろうかしら。と内心考える。

来週は取材や打ち合わせやらが多く、
我に変えると、自分のことが心配になってきた。土曜日も、友達とごはんに行ってたっけ。
ああ、すっかり日も暮れて、いつもならとっくに食卓を囲んでいる時間である。

ちなみに、たぬきの画像を送ってくれた友人は昨年の今頃にも

「うちのベランダにものすごいでかいヘビがいてさ、こんなに長いのよ。
ビックリしてね。竹の棒で落としたら、しゅるしゅるってポール伝って違うベランダに飛び移ったのよ。
そしたらなんとまた翌日、今度は玄関近くのとこで見かけてね。今もまだ近くにいるんじゃないかな」といって
私を仰天させたその人なのであった。
一体ここはどこだ!