月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

出雲大社の正門前「竹野屋旅館」へ

2021-01-31 01:55:17 | どこかへ行きたい(日本)

 

 

 
 


 
 

 

2021年1月6日(木曜日)雪

 

玉造温泉から宍道湖畔をぐるっと通り、橋をわたって出雲にむかった。

灰色の厚い雲の間から、田や畑に光の束が注いでいるのをみる。昨年もみたように。

 

 

出雲大社の門前にある「竹野屋旅館」へ。

 



 

 

車を降りた時から立っていられないほどの大風にあおられ、底冷えする寒さに襲われれ、歩く。ふぅー寒い。山陰の底冷え。ゴー、ゴーとものすごい風。

 

駐車場から宿の玄関まで身を低くして、下をみて風をよけ歩く。

「竹野屋旅館」は、明治10年創業だ。140年の歳月を経て、現在は6代目が家業を継ぐ。竹内まりやさんの実家となり、2016年に彼女自身の手で設備を大幅に、快適にリニューアルされたという。

ここを知ったのは、昨年、Instagramを通して知り合ったイラストレーターのダイモン・ナオさんが宿泊した様子をアップしておられたのが印象に残っていたから。お料理もしつらいも丁寧とあったので一度宿泊してみたかったのだ。

 


 




 

横開きの玄関にはいると、靴をぬいであがる広い畳敷きのロビー。(昭和4年から変わらない)。応接セット風の椅子が配され、障子がずーっと長く続く。欄干や軸など和風建築が心和ませ、うれしくなる。チェックインをする間に、西出窯の器を。

さて、部屋まで行く途中に中庭を横にみながら歩く。石灯籠や盆栽が薄青くラインとアップされており、薄暗い木の廊下を歩いているとまるで寺院の中を歩いているよう。部屋は「すいせん」の間。GO TOキャンペーンの際には特別室の「素鵞の間」を予約していたのだが、今回は諦めた。

 

浴衣に着替えてお風呂へ。

お風呂では客人とは誰一人として出くわさなかった。湯に浸かれば、外は大嵐のよう。竹が折れそうにしなっていた。庭の木々が大きくわっさわさ!と揺れている。2・3分も歩けば、出雲大社がおわす、玄関口である。その不思議よ。

八雲山が迫り、大風がゴーゴーと啼く。和風建築だから木がミシミシ、直に音が伝わる。この、やむことのない風音が何かを告げているようで外に目をやると恐ろしかった。

 

風呂から上がれば、中庭をながめながらの夕食。ダイニングの部屋は竹内まりや&山下達郎のアルバムがずっとエンドレスで掛かっていたのがなんとも微笑ましかった。まあ、嫌いでないアーティストでよかった。

 

 

 とりあえず出雲の純米酒を。Nはイチローズモルト。パパさんは焼酎のお湯割りで前菜を頂戴する。  

 

胡桃豆腐、赤貝白和え、豚の梅香揚げやずわい蟹、さわらやひらまさ、ボタン海老のお造りなどからスタート。のどぐろの塩焼き、出雲蕎麦のサラダ、出雲尼子和牛の銅板焼きなど。

コロナ禍なので、順に運ばれるのではなく、あらかじめお膳に並んだものを自由に頂くスタイル。

お昼のお刺身とはうってかわって新鮮だ。

 

 



 














 

背後の客人のお喋りが、いちいち食事に感動して感嘆の声を上げる(30代くらいのおにいさん)その冗談がいちいち寒く、すごいはしゃぎように、肩をふるわせて笑ってしまう。レストランや満員電車で人の話を聞くのが好きなので、つい耳が後ろにとられそうに。。。

「面白い家族連れだったね」とあとでパパさんにいうと

「風呂で一緒だったが、刺青がすごくて。あなたがくすくす笑うので、なんか言われないかとびくびくしたよ」とのこと。

おそらく、お母さんだろう人の声も聞こえたので、あの方々も家族水入らずで上機嫌だったのだ。よかった。

 

このあと、Nとふたりなら、旅館の中を探検したりバーに立ちより一杯、とはめをはずせるのだが、今回はお堅いパパさんがいるので、なし。寝る前に再びお風呂に入り、12時には就寝となる。布団にはいってもゴーゴーと風がいつまでも啼きつづけていた。明日は雪が降っているだろう。

 

 




 

 

 

 

 


今年も出雲大社に出かけました

2021-01-28 17:51:00 | どこかへ行きたい(日本)

 

 

 

 

2021年 1月6日(水曜日)

 

昨年の秋に、思い切って出雲行きを予約していた。

12月、GO TOキャンペーンが中止になったけれど、「出雲大社」の初詣からスタートしたいと、無理なスケジュールにもめげずに、ゴール(結果)をめざしてひたすら後半は頑張ったのだ。出雲の神さまにお礼詣りをしたい、そのためにも頑張らなきゃあというわけで。

 

家族で悩んだあげく、強引に旅を挙行した。

 

8時に自宅を出て車に乗り込む。約3時間あまり山陰道をひた走る。

蒜山高原の途中から雪がちらほら舞いはじめ、次第に粉雪が前からフロントグラスをめがけて飛び込んでくるそんな勢い。遠くにみえる大山は雪帽子をかぶっていた。いつまでも見ていたいほどになだらかな美しい尾根である。

 

 



 

 

そのまま、境港の米子空港をめざして車で行く。

ここで、東京から搭乗してきたNをピックアップ。さて、おいしいお寿司でも食べましょうと、駅前を探した。実はNを待っている間、到着ロビーのANA側インフォメーションで地元のお姉さんに食べ歩きの情報を聞きかじったばかり。「日本海」、「かいがん」「石丸寿司」など、お姉さんが教えてくれた店を訪ねて歩く。パンフにあるおいしそうな店もついでに探した。

 

東京都の緊急事態宣言をうけて、界隈はどこもシャッターをおろしている。明日は数年に一度の大寒波到来で大雪警報発令。

山陰の1月は、雲がたれこめ、よけいにどんよりとしているように感じる。ともかく寒い!

 

駅から歩いて2分のところにある「東○○」さんだけが空いていた。

Googleで調べたら、★が2.9。えっ? 3以上ならまだしも、いやな予感。心臓がドキドキする。あまり積極的には行きたくないなぁ。

躊躇するわたしに、「大丈夫ちゃう?海鮮どんぶりの看板がでているし」「総理大臣賞の店って書いているよ」とおなかをすかした家族がなんとかわたしを説得しようと試みる様子に、まあなんとかなる、と自分を奮い立たせ(!?)、のれんをくぐった。

 

入店すると、昭和40年代のうどん屋さんのような雰囲気。古くからある店には違いないようだが、境港の中で完全に忘れさられているというか、うら寂しい感じだった。

玄関口からみえたテレビが、モノクロでないのが不思議なくらい。

コロナの感染者数が「東京でついに1500人になりました」というようなニュースを報道しているのを、じっと黙って家族でみていた。全員「海鮮どんぶり」を注文し、料理が運ばれてくる前にお手洗いを貸していただいたら、ナントくみとり式であった。

ま、それはいいのだが。小窓のところにおいてある造花の花があまりに色が薄くくすんで、ほこりまでかぶっていたのが、なんとなく気になった。

で、おじさんがお盆にのせて運んでこられたのが、こちら。

 



 

おーー!さざえまでのっているではないか。

一口食べて、うん? ま大丈夫、大丈夫、と言い聞かせて箸をすすめる。誰ひとり感想を口にしない。黙々と下をむいて口に運んでいた。

ごはんは、朝早くに炊いたのか。生ぬるい。いわゆる寿司飯ではない。

 

肝心のお刺身に味がしない。臭いもない? まるでお弁当にのった刺身のようで、変だなと首をひねりながら口に運んでみるのだが、やはり期待していた新鮮な魚の甘みではなく、舌の両サイドに苦みがたまってきて、だんだんツンとした刺激を覚えるようになった。

慌てて煎茶で流し込む。おかしいなぁ、境港でしばらく漁がなかったからだろうか、どういう鮮魚なんだろ……と考え始める。臭みがないので、お腹は壊さないだろうけれど。あまり考えこまず、速度をあげて、一生懸命かき込んだ。

 

最後のネタ、一枚。が、どうしても喉を通らない。

「ねぇ、お魚……が……」とやっと口にしてみたら、「なんか苦いね」とNが即答。やはりそうか。食中毒を防ぐ、あるいは鮮度保持のための処理で、本来の臭いや味がかき消されていたのだろうと思う。魚がのたっと異様な歯触り。

コロナ禍で漁も休み、致し方なかったのだろう。空いている店がここ一件。そんな時期にのこのこ関西から出てくる私たちにも、問題があるわけで。そう言い聞かせて、冷たい風に背中を押されて、水木しげるロードを歩いて車に乗りこんだ。

 







 

宿泊宿に入るまで向かったのは玉造温泉。ここは以前から行ってみたかった。

3歳児頃のわたしが、写真にはニッコリ笑って訪れているのに、本人は全く記憶にない。

母曰く「この勾玉は玉造温泉でお父さんが買ってくれたのよ」「出雲大社の帰りに玉造温泉で一番よい宿をタクシーの運転手に聞いて泊まったらそれがよい旅館で、ごはんがおいしくて……玉造温泉にまた行きたい」というのを何度となく聞いていたから。そんな父母の思い出もたどってみたかった、というわけだ。

 

「日帰り入浴」を予定し、事前に数件の旅館をリストアップしていた。

しかし、どこもノーサンキュー!との返事。コロナ禍だから。日帰りはやってないのだ。

浅い川をはさんで両側に古い旅館が何軒か並んでいた。途中、車を置いて、勾玉の店へ。その名も「めのうやしんぐう」。緑、白、黒のめのうをみる。ぐるぐると3周ばかりまわった。そうして地元のおばちゃんと10分ほど話すと、気持ちがスッーーと満たされた。また、近いうちにここへ来るだろう。そんな予感がした。

また先日母から大ぶりのめのう(50年もの)をもらったばかりなので、新しい宝石を買うのは控えたが、石を沢山みるうちに旅情がわいてきたのだ。おそらく、いや、勾玉パワーなのかも!

 

そうして、宍道湖方面に車を走らせた。



 



 

 

 

 

 

 

 

 


新春のスタートを振りかえる

2021-01-11 15:19:00 | コロナ禍日記 2021

 

 



 

2021年1月4日(月曜日)曇り

 

 年が開けたのに、なぜ新しい年に切り替わった風に思わないのか、不思議だった。どうやら一歩も外へ出ていなかったから、だという結論にいたる。31日の夜中まで原稿を推敲していたのだし、1日は年賀状と大掃除、おせち料理づくり。2日は自分の部屋の掃除とおせち料理づくり、3日から少し、なにかちょこっとした仕事をしながらおせち料理。と、4日間続けて、おせち料理をつくる。

 

 もちろん。おせち料理だけでは寂しいので、1日は豚のしゃぶちゃぶ(昆布の出汁と日本酒とにんにく一かけをまぜたものを、豚の薄切り肉とほうれん草で食べる)、2日はステーキ、3日は寒ぶりの刺身とメーンはいろいろ。けれど、今回は黒豆とごまめ、野菜のお煮しめ、海老煮、かまぼこ、海老芋煮を1日にこしらえて、翌日以降にたたきごぼう、紅白なます、伊達巻き、また海老芋の煮付け、などなど、毎日、数品の縁起物を足していく。という風にした。つくるのも、たべるもの、好きなのだ。お正月料理には、日日の祈りと明るい気持ちになる要素がつまっている。

 

 縁起の謂われを思い起こしながら、料理本(ベターホームのおかあさんの味、暮らしの手帖の別冊、お正月の手帖)をみながらつくる。特に根菜類のお煮しめは、冬の間、毎日あってもいいとさえ、思う。

 

 

 

3時過ぎ、ぶらっと散歩をした。

 風は冷たかったが頬にふれると心地いい。レモンの木やみかんの木など。たわわな果実の実ばかり気になった。ごろごろして、まるく、鮮明な色が目に飛び込んでくる。

 

 夜9時、NHK「ニュース9」をみていたら、作家の塩野七生さんが、イタリアからリモート出演されていて、コロナ禍のいまを風刺されていたので備忘録として書き留めておこう。

 

ーーコロナのいまは踊り場である。

ーーこれまでは、エスカレータやエレベーターで自動的に急いで上にあがることばかり考えて実行してきたが、自分の足でゆっくりと階段を上がっていくと必ず途中、踊り場にでる。そこで景色を眺めたり、体調を整えたりすればいい。自分で上がっていくには、踊り場が必要なのだ。

 

ーー日本人は100%信仰を捨てるべきだ。誰かが失敗しても、自分が失敗しても、それを承認しなければ。自由でなければ、人は自分らしくいきられないし、継続することができないのだ。自由とはなにか、失敗をしてもよいということだ。そうやって、自分のちからで再生していけばいい。

 

 こんなメッセージを発信していらしたと思う。もしかしたら(翌日の昼にまとめたから)えらく自分勝手な解釈になっているのかもしれないが。自信たっぷりにプライドをもって語っていらっしゃった。大きな椅子に深々と腰をかけて、是非、伝えたいという気迫が感じられた。

 

 

 
 

新春を寿ぐごあいさつ 2021年

2021-01-04 00:24:00 | 春夏秋冬の風

 



 


 

謹んで新春のお慶びを申し上げます。皆様方のご多幸と安寧を心よりお祈りいたします。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

19日から21日まで雑務で東京参上しましてから31日の午前零時まで、ある締め切りの仕事をしておりました。

23日(水曜日)には、シャンソン歌手と編プロの取締役のKさんと京都・出町柳のカンティーナロッシのイタリアンや、おうちクリスマス、28日(月曜日)には三宮の京鼎樓で、小籠包、台湾ビール!といった、お楽しみもありましたけれど。

 

昨年は、コロナ禍ということもあり少し焦り気味に石にかじりつくように仕事に翻弄されていたのかもしれません。一心もよいですが、それだと気付かないこと、いろいろあるんです。

そういう意味で、ことし2021年は自分の立ち位置を確認しながら、遠くから近くからと場所と角度をかえて眺めつつ、様々なことに取り組んでまいりたいなといまは思っています。

戒めとしては、じぶん事ばかりでなく、「いまの時代に必要」だと思うことを届けたい、そのためには論理的にキチンと視て、行動していくことが必要なのだと思います。

 

ネットのデジタル文字で文章を読むようになってから早読み、早書きも増えました。後で反省するところの多いこと。知らずしらずのうちに読み飛ばし、書き飛ばしをしている。これはとてもよくないことです。だから、いまの気持ちや伝えたいことをこの言葉(表現)で本当によいのか、と慎重に修正しながら選ぶ眼、先を急ぐのではなくじっくりと「待つ眼」も、純粋にもっていきたい。ま、いいわ、と間に合わせの言葉を少しでもなくしていきたいです。

 

 

さて。

お正月は普段より、お祀りする神棚の榊を2倍にします。

床の軸も新春らしい改まったものに着替えて、オレンジの千両、菊、松などを花瓶にいけました。

 

縁起ものばかりをつめた恒例のお節料理も、手作りしてしめやかに。今年の掃除は、ごしごしと水まわりを磨きまくりました。

磨きながら、これ大事だ、と。仕事場の掃除をするついでに、机の位置を少しだけ変えてみました。南と西のコーナーそば(南と西側に窓あり)に。そうすることでグッと空に近づいた気がします。午前中には山の尾根や谷間をみながら、夜にはバーのとまり木のように、山裾にハイウエイを行き帰りする車やトラックのオレンジ色のヘッドライトを、黒海の空に感じながら、こうして書けるようにしつらいました。

 

1日にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサート、2日は最新の8K映像技術を駆使して映像化した谷崎潤一郎が愛したNHKの「陰翳礼賛」などを見ていると、だんだんとお正月っぽいムードに。

あとはステイホームとばかりに一日のほとんどを台所とダイニングで過ごしています。

 

本年もマメに更新できるのかわかりませんが、ことしも何卒よろしくお願い申し上げます。