月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

2013紅葉ライトアップ。南禅寺・天授庵と永観堂をはしごして。

2013-11-27 01:26:37 | どこかへ行きたい(日本)


週末、Nの学祭ステージを見にいく。
Nを含める5人のメンバーで唄あり、踊りありの20分のオンステージ。
Nもレースのカーテンのような、ひらひらのミニスカートで、
よくぞ足を開いて、腰を振って、エキサイティングなダンスを披露したもの。

そして、早々に、京大の学祭NFでのお手伝い!
なんともまぁ、愉しそうな学園ライフであることよ。


こちらは、学祭を早々にひきあげて、
河原町通り沿いのあんみつ屋さん「みつばち」にて、ひと息。




「白玉あんみつとお抹茶のセット」。



千葉県千倉産の「天草」を使っているという寒天はぷりぷりっとして、弾力たっぷり。
ほどよく固め。
あとでかけていただく、沖縄波照間の黒糖も上品。おまけに杏入りである。
ちょこっと甘いもんが欲しい時には、ぴったりのスポットだ。
ほんの5口くらいでいただける、おいしい甘味処でありました。



それから、それから。

これで帰るのは、あまりにもったいのうございます、とうことで向かったのは、

南禅寺の塔頭、「天授庵」である。

ここは今年の「そうだ京都行こう!」の紅葉バージョンで、大々的に告知されたそうで(知らなかった!)
ものすごい行列だった。
5時半の開門前ながら、信じられない。東山のずっーと奥まで並んでいた。
わたしもせっかくなので最後尾に並ぶ。
ゆっくり拝観できるよう時間制限で中に入るのである。


空は薄墨をこぼしたような、陰翳の深い灰色。
ざわざわと山が鳴くのは、杉木立であるのだろう。
あいにく月は見えなかったが、ロングコートがはずかしいくらいの、
あたたかい秋の宵だ。並ぶこと、約40分。
その間、迫力ある南禅寺の古木が織りなす貴き佇まいをトクと眺められる幸福といったら。

揺れる葉と木の陰翳。重厚な「三門」。
そう、重厚でありながら、なぜあんなに軽々と。すっくりと。
木と木と気が、織り重なり合って芸術的かつ、文化的に佇んでいられるのだろう。
闇のなかだから見えた深みというか、精気な美しさ、ひとしおなのでありました。
一人というのは、孤独でありながら、じっくりとモノを観察できる
いい時間でもあるのだ。

さて、天授庵。


ライトアップ時には拝見ルートが変わるのだそうだ。
昼は見られない本堂からの前庭や襖絵、書院などを見ることができるのである。




墨色から浮かびあがってくる、
赤い楓と緑の松。






蛍光色のようなライトに照らされた、青いススキと苔の緑。
幻想的で、幽玄で。
しばし、きれいなものをひとたび拝観させていただきました。



あまりにきれいで、この世界を離れてしまいたくなくて、
思わず真っ暗な闇のなかを、
今度は「永観堂」まで、ず、ずいーと歩いてしまったのである。本当はこのまま哲学の道までも歩きたいほどの気分。
本当ははしごなど、する気もなかったのに。
気づけば、ここ…へ。





「永観堂」の素晴らしかったのは、
偶然にも雅楽の演奏が聴けたことだ。



笙(しょう)の音にまず、やられた。
暗い庭を響きわたる雅楽。山々にはねかえって自分の耳に聞こえる、
怪しい和音の響き。

それから階段をトントントンと、上って。
「みかえり阿弥陀像」を真正面から拝観し、さらに立ち位置を横に移して、もう一度、拝顔。おう~!すみませぬ。
以前には、おそらく真正面からの拝観しかなく、
斜め下に目線を置かれた横顔の美しい、シャイな阿弥陀様という記憶であったのだが、
まさか真横からの動線まで用意されているとは…。ホントにいいの?そこにビックリなのであった。



それから…。

放生池の水面に映った朱色や黄色の葉をたくさん観て、再び空を仰ぐ。
(きれいだな、ニッポンの秋)。
やはり来て良かったと思う。
基本的に紅葉は光のなかで観るほうが好きだが、夜間の魅力もまた素晴らしい。



















京都の夜をひとしきり愉しみ、息を弾ませて坂道をくだり…と。
帰りのバス停留所で、「あら、◎◎◎◎!」といきなり私の名字を呼び捨てされて、ギョッとし。(だあ~れ!聞き慣れたその声はもしや)と
振り返るや、以前の会社の先輩コピーライターが旦那様とふたりで紅葉見物にこられていたのだ。

「もうビックリするやん。間違えてもいいと思って声かけたんやで」
「うわー、お久しぶりですー。お元気でしたか?」

50歳をとうに過ぎているというのに、その美しさといいしれぬオーラといったら。すごー。(きれいな赤桃の口紅~)
先ほどみた紅葉の記憶も思わず吹っ飛んでしまうほどに、おののいてしまったのである。
「まるでユーミンかと思いましたよ。…あ~ビックリ!」(いや、うれしかったです)と
3度も言葉にしてしまった私なのであった。













秋の篠山「ことり」で岩茶と手づくりのマーラカオをいただく。

2013-11-21 19:05:50 | あぁ美味礼讃


どうしたことか。2週連続で丹波・篠山へ行った時のことを書いてみようと思う。

少し前のこと。
その日は、昼過ぎまで仕事をしていて、2時をまわってから家を出たので(車)、夕方前に到着。
いちばんの目的は、篠山城の堀端にある旧武家屋敷を改装して、うまれた『岩茶房丹波ことり』だった。
来訪は2度目だが、何年も前なので道を忘れてしまっている。
お堀の周りを2週くらい回って、ようやくiPhoneナビが指し示す小道がみつかり、
駐車場の案内がある。


店の前には柿の木があって、オレンジに熟した実がおいしそうに見えた。



古い古民家風の玄関を入ると、上がり口はギャラリーのようになっていて、
地元の作家さんの作品(ボタンやお皿、便箋、絵画用品のようなもの)や、海外の小さな用品も展示されている。


ここは、篠山駅からも少し離れた田舎町(城下町)だというのに、

どこから集まってこられたのか、40~70代くらいの大人のお客さんがこんなに!
それもご夫婦づれや家族づれで、お茶を飲みにこられているのが、いいなあと。

30分ほど待って奥へ案内していただいた。


都心では感じることのできない、静かで、心がはだかんぼうになるような時間。
縁側に近い席だったので、茫々とした庭が見える。

室内は、ゆったりと木のテーブルと椅子が配されていて、日本家屋独得の、不思議だけど味のある空間。
部屋と部屋を仕切るガラス戸は曇っていて、
昭和初期のような佇まいだった。

私たちは、武夷山でとれた茶葉を使う岩茶を注文。
3人で訪れたので、それぞれ3種を。




鉄羅漢(てつらかん)1400円
…鉄観音にも少し似た清浄な青茶のよい香り、奥深い後味が特徴。


鳳凰水仙(ほうおうすいせん)1100円
…茶葉にフルーツのような爽やかなさがあるやわらかいお茶。


佛手(ぶっしゅ) 800円
…重みはあるが飲みやすい番茶にも似た味わい。肝臓によい。


岩茶は始めてではないのだが、(神戸岩茶荘という店を仕事で取材したことがあった)、久しぶりだ。
中国茶や台湾茶に比べて、味わいが、やわらかい。
それに、ほんのり甘みもあって、青茶なのに「ほわん、」としている。
その「ほわん、」が体の中をしんしんと温めるので、私は昔よく飲み過ぎてお茶酔いしたものである。

岩茶とは、世界遺産に指定されている武夷山(中国大陸東南部の最高峰)という標高の高い山でしか採種されないお茶。
雲に届くほどの崖だった山々の岩肌に貼り付いた茶葉を収穫するのだから、
貴重で栄養価も高い。
そんな懐かしーいお茶を、いい茶器でいただけるのがここ「ことり」さんの、よいところ。







赤ちゃんを背なかにおぶった楚々とした女店主のお父様は、
日本を代表するスリップウエア(英国の古陶。器の表面を泥と粘土を程度な濃度に混ぜた化粧土で装飾して焼く)の
名手・柴田雅章さん。









表面の飴彩のこっくりとした色合いと、カドのないまるみの、
かたちの茶器は、やはり、いいなぁーと改めて思う。

茶には茶の、グレーにはグレーの。
この人の器でしか表現できない独得の品格のようなものに見惚れてしまう。
(柴田さんの器は、大山崎山荘美術館や大阪府島本町水無瀬にある「花染」で目にして以来、憧れる陶芸家のおひとりになりました)

この店の、お茶道具、用品はすべて、父上である柴田氏が丹精込めた、灰釉スリップウエアというのが、どれだけ贅沢なことか。
そう考えれば、お茶代も高くはなし。

店内の棚という棚には、さりげなく
柴田さんの花器や茶器などが整列されているのだから、こんなに豊かな気持ちでお茶をいただけるのかもしれない。




私たちは、お茶のほかに、

皮から手作り野菜まん・豚まん、ミルクまん、「馬拉カオ(マーラカオ)」(各300円)
ココナッツ豆腐、乾燥フルーツなども沢山いただいて、

ほっこりした気持になって店を後にした。
お茶は、ひとり10煎以上いただいたと思う。









相方が、お茶代とは思えない金額だね、といっていたのを、
聞こえないフリして鼻うたをふん、ふーんと、唄ってやりすごす。

それから、国道173号線をまっすぐ北上し、京都府との境にある草山温泉(観音湯)ということころまで足を延ばし、
秋の山の香りを感じながら、外湯の金泉に入湯。

ほかに客が2名ばかり。2名!?

「みてごらん、この人たちきっと、お尻に尻尾あるよ」と、
いいながら湯浴み、する。おかしくてたまらない。
最後は私たちだけになったので、露天風呂で泳いでしまった。それくらい広~い秘湯の温泉だった。

虫の声と、ケモノのけはいがする不思議なお湯。


金泉だが有馬温泉より泉質は軽い。塩分濃度が海水に近いのだという。

しばしの、仕事の一服。秋の篠山を、愉しんだ。











11月に咲いたソメイヨシノ、、

2013-11-16 21:06:44 | 春夏秋冬の風




11月11日の、ポッキーの日から季節が変わった。

秋から冬の準備。
夜空を見上げれば月も星も、信じられないくらいに小さいけれど美しい光を届けてくれるし。
街の灯も冬仕様の華やかさだ。


朝、またウォーキングするようになった。



空気がすきとおっているのが貴重で。

赤や朱や、黄色や、微妙に緑が残っている街路樹の小さな紅葉を踏みしめながら、ガサゴソ、ガサ、ガサ、と大地を歩く。

桜はすごい。4月には花を咲かせ、11月には葉っぱで魅せるのだ。

夜月に観たら、赤いサクラみたいで感動した。サクラの葉は、やはり赤い。



今朝、いつもの道を歩いていたら、ふと不思議な花を発見する。
赤の葉をバックグラウンドに、桜の小さな花が申し訳ないように震えながら咲いていた。

えっ?





なぜ、今頃。異常気象のせいかしら、それとも特別な品種!?

近い時期に植栽されたと思われる小さな苗で、ソメイヨシノのように見えたけれど。

隣を見ると




バラ。サクラはバラ科の花なのだ。

でも、不思議。
秋のサクラ。


冬支度をするようになって、また5本指の麻ソックスと絹ソックスと綿ソックスなどを4枚重ねてはく「冷えとり」をはじめています!
スパッツも2枚重ねで履くのです。
(今年で2年目)

朝は鉄瓶でわかした白湯をのみ、眠る時には湯たんぽをして休みます。
足元があったかいと、落ちつく。次の行動が順調になります。
手も同じで、洗い物のあとに桶に湯をはって浸けると、(手浴)幸せな心地です。












寒い日、「鮨まつ本」で大人ランチを。

2013-11-14 19:18:41 | 兵庫・神戸ごはん



月曜日から寒さが重なっていき、日ごとに秋が深まってくる。

風がキンとして冷たい。
12月を間近にしたこの季節は、けっこう好きなのかもしれない。
街が華やかだ。それに寒さのせいか頭が冴える。



さて、お友達の誕生に、阪急苦楽園口の鮨「まつ本」でランチ。

お昼から5千円のお寿司って、そりゃあ贅沢なんですが。
それだけに期待が高まる~!

エントランスからすでに、この店はきっと美味しいゾと思わせるところがあって、背筋を正して店内へ。




よく磨かれた白木のカウンターは10席だけ。
調理台とカウンターがフルフラットで全オープン。
凜とした空気がみなぎるのは、白木のカウンターやまな板、
ネタ入れなどの木の醸す清々しい空気なんだろうか。それとも大将の雰囲気か。

市川猿之助似の若き大将は、礼儀ただしく誠実。キビキビと寡黙。
まるでネタに語りかけるように鮨をにぎってくれる。

本わさびを摩り下ろすのは、若きお弟子さんの作業だ。
見ればまあ、太い本わさび。

私たちは、西宮の純米酒、白鷹で乾杯!いい感じでスタートした。


まず登場したのがイカだ。といっても、ただのイカじゃない。
細く包丁をいれ、精緻な細工で。これ食べるの?と思いながら口にいれると、甘い~。とろける~。


続いて、ヒラメ、サヨリ、カツオのあぶり焼、
トロ、しめ鯖、七輪でサッと焼いた車海老、つぶ貝、コハダ、ウニ、甘鯛、いくら、
干瓢巻きと馬糞雲丹の巻物。奈良漬の細巻とたまご…。


















冬の魚が全12品。それから細巻2種。
赤だしが途中でサーブされる。


「途中で手のひらをこちらへください」といわれ

手を差し出した、そのうえにチョコンと乗った牡蠣。軽く空気を含むように握った鮨だと思う。
やさしい味。
ほ~うと感嘆しながらアッという間にパクリ。

鮨はすべて、女性が食べやすい一口サイズで。

むらさきも大将自らに浸けていただき、私たちはおいしい!と口に運ぶだけのこと。
それがなんとも、気持ちいい。

最高においしかった! 文句なしでした!

この大将、聞くところ鮨屋の修業経験はなく食べ歩きと独学で腕を磨いたというのが、素晴らしい。
安定感があって、食べる前から旨いと思わせる、いい意味、落ち着いた気迫のようなところもあって。
鮮度はもちろんのこと、
車海老や甘鯛は、絶妙のタイミングで七輪で焼いてから、握ってくれるから、素材の甘みが引き立つ~。

築地の鮪以外は、大阪の中央市場から朝仕入れたものを、白酢と塩をきかせたシャリ(一口大)で握ってくれる。
ホントすべての、バランスが整ったいい鮨でありました。



このあと、neu cafe(ノイカフェ)苦楽園店でコーヒーを飲み、




苦楽園「こはく」で和菓子を購入。
冬のファッションをのぞきに、ブティックに立ち寄って、夕方に家路。
女ふたり、贅沢なおとな時間は最高ですね~。



「鮨まつ本」
0798-74-5499
兵庫県西宮市樋之池町2-33 セルシェール苦楽園 1F
11:30~14:00(L.O.13:30) 
、17:00~22:00(L.O.21:30)
月曜休。








祇園のグリル「大仲」でワイン&ビーフカツレツを。

2013-11-11 18:57:22 | 京都ごはん


きょうから季節が変わった。
冬の到来。
よく知っているキーンとした清々しくも、冷たい空気だ。
いよいよ紅葉の季節を迎えるのだなと思う。

朝、窓の外の山が動いた、と気づく。
山が木々が、色づく準備をはじめたのだろう。
木々のかたちが昨日よりも、まるまるとしている。
繁るはずもないのだから、山々もちぢこまっていられるのかしら。またまた、愉しみな季節がやってきた。



さて、先日の土曜日。
Nのお友達と、そのママと4人で京都へ出掛けた時のお話を。

娘のNは春留学の最終面接で大学へ。私は昼前に大学そばに行き、近くのカフェでランチを食べた。

ここ「バザールカフェ」は、ライター友達に教えてもらったとても気持ちいいカフェだ。





ヴォーリズ建築の建物らしい。テラス席には椅子が置かれ、りんごだろうか。果実の木がうっそうと茂っている。
なんだか異国っぽくて京都の喧噪は聞こえないカフェだった。
こちらは店内。土曜日だというのに大学生がやはり多い。それに外国からのお客さんも。





私はタイのランチ(500円)を食べる。



蒸し鶏にサラダ、そこに目玉焼き。それだけのシンプルなものだったけれど、
エスニックなソースがたっぷりかかっているのが、美味しかった。家庭的なタイごはんの味だった。


それからお友達の家族と合流して、再来年用の振袖を見に行く。
私たちは古典柄の振袖ばかりを4・5点選び、娘らに試着させては、互いを褒め合った。きれいなものを見るのは、心うきうき。
貝桶や貝あわせ、御所車、辻が花、花丸文、立桶、花菱…など。

娘らがはおる、由緒ある古典の柄を見ているだけで素敵な気持ちになった。


このあと、甘味処の散策コース。
京都御池の「ミディ・アプレミディ」でタルトを買って、
私の大好きな店「ぎおん小森」に(ここは甘味処のページでいずれ紹介します)。

祇園を流れるせせらぎを感じながら食べる甘味のおいしいこと。
ここは昔は由緒あるお茶屋さん、 というだけに、京都の陰翳というか、
遊び文化の名残が店の雰囲気のなかに残像として溶け込んでいて、そこに妙に惹かれてしまうのである。

せっかくなので、夕ごはんも食べましょう、ということに。

木屋町の「めなみ」と三条の「御幸町つばき」に予約をいれたが、あいにくの満席。
それで、辰巳橋のここから近い、グリル「大仲」さんへ。


(ホームページから)

グリル「大仲」を始めて訪れたのは5年ほど前の冬だった。初詣に寄った帰りに木枯らしのなか「洋食みしな」でタンシチューを食べたいと、予約するも、すでに満席で。
次なる店を探して求めて、たどりついたのがここ「グリル大仲」。

よく気のきく接客と落ち着いた座敷。「和牛ほほ肉の赤葡萄酒煮(ブラウンシチュー)」の香りのよさと味にビックリして、
以来ファンとなり、時々訪れる店なのだった。

母親の代までお茶屋を営んでいたという佇まいは昭和54年の開店という。
その時代からある暖簾をくぐって店にあがると、一見敷居の高そうなお茶屋さんの建物とはうってかわって、コの字型のカウンター(8人用)で寛げる。






奥は畳の間で、テーブルは2卓ある。

今晩は、鴨肉のパテやローストビーフ、サーモンなどを盛り合わせた
「オードブルのバリエーション」と「オニオングラタンスープ」から。



冷製でさっぱり味わえ、でも肉質のよいことが噛むごとにわかる。
皆で少しづつ取り分けたのでほんの一口という感じだったが、赤ワインのおいしさがいっそう引き立つ味だ。

スープのほうは、オニオンの甘みはさすが。チーズがよくきいていた。
温かいのを一気に食べたかったけれど。





続いてコンビネーションサラダを注文して、メインは、自慢の「ビーフカツレツ」である。



3,800円と少し高めだけれど、ここへ来ると必ずオーダーする一品だ。
和牛ステーキ肉を衣でつつんでバターで味付けしてあるそうだが、

サックリあがった衣から肉汁がジューワーとこぼれ、 そのお肉のおいしいこと、やわらかいこと。
本当に、シンプルかつ王道のカツレツだが、最後のバターが隠し味程度に香るのが上品このうえない。
いつ食べても満足で、安心する味である。


続いて「牛肉の森のキノコ煮」(3,400円)。





こちらは、マッシュルーム、シメジ、しいたけなどの秋のきのこ類と和牛のサイコロステーキを、
デミグラスソースでサッと煮込んだもの。
さっばりと煮込んだお肉がいい。正統派のデミグラスソースはおそらく、バケットに浸けてもおいしいと思う。

ほかに、「エスカルゴブールギニオン」や
「エビのアメリカ風」やワイン蒸し、「笹巻きピラフ」などもおいしい。

コースにすると、サラダ仕立てのオードブルに、季節のスープ、
肉と魚料理、笹巻きピラフ、デザートやコーヒーなどが付いて5,500円なので
お得感があり、予約客はほとんどこのコースを食べていらっしゃる。


このあとレトロな喫茶室でお茶やデザートを食べ、遅くなってから家路に。
2家族で。4人で散策の京都も愉しかった。

「グリル大仲」
京都市東山区祇園町北側347―11(阪急河原町から徒歩約5分)。
12:00~14:00(LO13:30)
18:00~23:00(LO:21:30)。
日曜休。





「かぐや姫の物語」の試写会を観て。

2013-11-09 20:56:45 |  本とシネマと音楽と
かぐや姫の物語 予告




昨晩。とあるクライアントさんからチケットを譲り受け、
スタジオジブリ高畑勲監督の、もしかしたら最終章となるかもしれない
「かぐや姫の物語」の完成試写会に行ってきました。

まさか、「かぐや姫」で泣くナンテ映画を観るまでは想像しなかった。
周囲でもおそらく、大勢の大人のマスコミ関係者が泣いていました。
誰ひとり飲食する人もおらず、スゴイものを観せてもらったー!という独特の雰囲気。

日本の古典(竹取物語)を完全に描いていました。
草と虫、花に象徴される日本の、そして地球の豊かさと親の愛、
自分の生を活きることの善良さと愚かさ、そのすべての意味を問う大作。

アニメなのに、実写以上の臨場感というか、日本古来の美しさみたいなものが描かれ、
最後は、絵と音の世界に完全に入ってしまっていました。
普段は忘れている私たち日本人の古里みたいなものに出会った気、すらする。

(高畑勲さんと宮崎勲さんは、「いつか日本を舞台にハイジ(アルプスの少女ハイジ)を作りたい」と語り合って、40年越しの思いが実ったというのですが)


月からやって来たかぐや姫が
実は、私たち自身を語っている物語だなんて誰が思う!? 
私はこの映画は「風立ちぬ」の第二章だと思います。

二階堂和美さん「いのちの記憶」の唄声、
そして母親役の、あまちゃんが記憶に新しい宮本信子さんの温かさと気品の感じられるセリフ(声の素敵さ)にもジーンときた作品。
あー、せめて1月に1本は映画を観なきゃあ、と思いましたね。ありがとうございました。



苦い思い。

2013-11-06 15:52:13 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


11月だ。あと2月で今年もおしまい。
どうも、本業の仕事がうまく安定して進んでくれない。ここまでは新案件の依頼も多く、順調であったはずなのに、
10月後半になって、なんだかなぁ~という感じだ。

私は自分があまりキャパが大きくないのを知っている。

それにしても、9月から数えて5つも(小さいものを含めて)の仕事を、
お断りしていたのをメモに書き出してみて、唖然とした。こんな体制でいいのか、やる気あるの?と突っ込みたくなる。
仕事の同時並行が3つくらいはまだいいのだが、それ以上どんどん重なってくると、
「クオリティ(品質)」を保つ自信がなくなってくるので…。
少しまとまったものになるとやはり躊躇してしまう。
ようするに、平静の心地で仕事に向き合う自信を失ってくるからなのだ。

しかし、ここへきてそんな姿勢でいいのかと自問自答…。

Facebook友達などは、取材日が重ならない限りは
ギューギュー状態であってもなんとか引き受けていらっしゃるようである。
来年に向けて仕切り直さないと、これ以上遠くまで歩けないなあと、秋の寂しい月をみながら思ったのだ。

先日もこんなことがあった。
大型プロジェクトの依頼。関わる人間も多くなり、多額の金額が動くようになると、
間に2社も3社も入って、その方々みんなで顔をあわせての打ち合わせ。
しかし、一番末端である私たち。いわゆるフリーランスというやつは一番大変な役まわり(実際の作業者)を仰せ使っていながら、結構せつないのである。

某大手企業のWEBサイトの制作依頼。
今回、私はある方から声をかけてもらい広告制作会社(A社)の外部スタッフという立場で参画した。その上にはWEB専門の会社(B社)があった。
そして、ここを動かしているのは、大手広告代理店(C社)だった。業務がスタートしてから数カ月。
どの会社の誰とメールのやりとりをするのも、すべてCCでつけて、全内容を共有。
打ち合わせは大人数。広告制作会社(A社)の代表である私を含め、WEB制作会社と大手広告代理店に出向く際にも、
クリエイティブディレクター、営業、プランナーそして外部の経営コンサルタントまで参画しての打ち合わせ。打ち合わせというよりは会議みたい。
どなたも、とてもよく案件の過去事例などを研究されていて、参考文献をしっかり読んで研究しないと、
とてもついていけないような専門的なものだった。(なので私も図書館でこの手の本を5冊借りてきていた)

そうやって沢山の人間が関わるのだが、実際に手を動かし、モノをつくるというのは、限られた人のようで…。
(あたり前だ)
私はWEB制作会社のディレクターのつくる土台・企画構成を受けて、
実際に取材等も担当しながら、コピーライティングに落とし込むという役回りのようであった。

毎日のようにWEB会社から電話の打ち合わせがあり、
幾度か、大手広告代理店との打ち合わせにもディレクターとともに同行した。
ディレクターさんは私よりも若く、独身さん。聞けば彼もフリーランス的立場なのだとう。
打ち合わせと称してお茶を飲んだりするなかで、プライベートなことも話したりして、
互いに好感をもちながら仕事を進めていたのだと思う。

そして。事態が一転するような出来事があった。
その日は、プロジェクトがスタートしてはじめての企画構成案が皆の手元に配られ、それらについての、打ち合わせのはずだった。
すると、ディレクターさんの会社(WEBサイト会社)は大幅の遅刻。ようやく顔をみせられたのは、ディレクターさんほか会社の上役2名。なんだか声も掛けられそうにないほどピリピリしてらしたので、
おかしいなぁとは思ったのだ。

ここからの内容はあまりにプライベートなので、どうしても公表するにふさわしくなく、控えることにする。

要するに、大手広告代理店は、ものすごく怒っていらっしゃったのだった。
初めての成果物である企画構成案の内容が満足がいかず、
広告代理店側の面々は、めちゃくちゃ怒っていらっしゃったのである。失望してらしたのだ。
もう信頼できないと。絶体絶命の決別寸前。

なんとか幹部は場を取り繕い、そこからは大人の会話となって
打ち合わせと称する雑談といったほうがいいのか、わからないような状態で話は進み、要するに仕切り直しというかたちで打ち合わせ終結。
それにしても、実にへんてこな打ち合わせだった。
話がかみ合わず。俯きがちなのに不思議と笑顔がこぼれている。
私は広告制作会社A代表だったので
第3者的な意見を互いの会社同士から求められて、それらに対して想うところは述べさせてもらっていた。

そして深夜。当日の打ち合わせ分を取り戻すためPR誌の原稿書きを進めていたらWEB会社のディレクターさんから電話があった。
今回の企画構成案でダメ出しを受けたが、もう作り直す時間もないので、
ざーっとこの構成案を土台に、コピーを最後まで一度作ってみてほしいというのだ。
ビックリした。60項目にもわたるコンテンツの骨子を含めるコピーを
2・3日であげてほしいというオーダーだった。
しかも、全否定されている構成案に沿って作るらしい。
コピーがちゃんとしていたら、構成案などはさほど問題ないのだ、とその人はいった。

私は即答でお断りした。
そんな、構成案も固まっていないコピーが資料も取材もなしに制作できるはずもない。
でっちあげコピーなど、やり直しをさせられるのがオチ。ならば、コンセプトをイチから構築しながら書く作業になる。
2日・3日ではどう考えても、絶対に中途半端になると思ったからだ。
それで、翌朝一番に打ちあわせしたいという旨を、今の案件を片付けてから、せめて夕方にしてほしいとお願いし、翌日、4時からの打ち合わせに同席したのだ。
もちろん、私の親元にあたる広告制作会社には報告していた。

最も、私が慕っている広告制作会社Aのトップは誠実にして聡明、良識のある方。
私の言動を聞いて下さったうえで「できることと、できないことはハッキリと言っていい。お任せしますから」と信頼してくださるばかりか、
本当に当日の打ち合わせに参画して、
今後、抜きさしならないことになりはしないかと心配までしてくださり「私から断っておきましょうか」ともいって下さったのである。

実際に打ち合わせが行われたのは、4時を過ぎていたと思う。
リスタートの構成案をどうするかという話はほとんど少なく、
幹部の方に囲まれたわけだが。

それでも私は、今回のディレクターさんに、幹部の方に
アイデアフラッシュのような内容を発言していた。
ディレクターさんは始終うつむきがち。誰ももう彼の顔すらみない。
その方は最後まで押し黙られたままだったのだ。

わたしは席を立つとき、彼(ディレクターさん)にいった。
「よろしくお願いします。私も自分なりの構成案というのはもちろん考えてみます。
ただ、紙媒体ばかりやってきたものだから、WEBに関してはほんと素人に近いかもしれない。
せいぜい厳しくチェックしてくださいね。力を結集させていいもの作りたいですから、よろしくご指導ください」と。

その時、その会社の上役は言われたのだ。

「いや、彼には別件がありますから。あなたお一人の力で十分だと我々は確信しているんです。
いやさっき聴いただけでも随分いろいろ出してもらった。軽い気持ちでやってみてください」。

えっ!?耳を疑った。それでもう一度座り直し、自分の経験値もこの際、あえてお話し、
実際に自分はどこからどこまで、どんな納期で関わっていくのかを、ここにきて改めて聞き直したのである。
最初の依頼とは随分と違っていた。
どうやら、全コンテンツの構成案ばかりではなく、取材を含めて全コピー(60項目)を一人で書き上げることになりそうだった。それも約1カ月足らずで。
確か案件の依頼があって2カ月以上、経ていたというのに。これまで何をしてこられたのだろうか…。
これから構成案を作って納期まで一カ月!
そこで私は自分の今手持ちの案件をお話し、あと1カ月で納期まで行くという道のりの遠さを思い、その間までの月日を思い、寒いなぁーとからだを30度に折りたたみながら家に帰った。

帰ってパソコンをあけると例のディレクターさんからメールが送られていた。
そして追いかけるように、電話があった。
「来週◎曜日に、全スタッフで大手広告代理店で会議となりました。出席してぜひプレゼンしてください」。(とりあえず保留に。そして、私がプレゼンするの?と思った)



怖かった。あの怒り爆発の厳しいまな板に、自分が上がる状況を重なりあわせるだけで、身が縮まりそうだった。
ともかく勉強しよう!勉強して。今からどうなるかもわからないけれど、とりあえずその案件関連の資料を3冊ほど、
お風呂の中に持ち込んで1時過ぎくらいまでずっと読んでいた。よく理解したら絶体に書ける。答えは出る。そう考えてお風呂に入っていたら、少し落ち着いた。

温かい湯船につかっていたせいで、すぐに眠気に誘われ、
「明日のことは明日なってから考えよう」と、「風とともに去りぬ」の名言を思い起こし、その日は床についた。
しかし、熟睡したと思いきや、ふと何かが降ってきてガバッと飛び起きた。なぜだろう…。

ホントに受けていいの?この案件。と、一筋の光にも似た疑問(クエスチョン)が降ってわいてくるや、もうそこから眠れなくなってしまったのだ。
時計をみると2時過ぎだった。たった40分ほどしか眠っていなかったのだ。

考えれば、考えるほど、不安になった。
今のレギュラーの仕事まで、影響をうけて皆に迷惑をかける事態になったらどうしょう。
小さなことから大きなことまで、心配事が次々と降ってきた。
そして、このとき初めてわかった。最初から打ち合わせでブレストするつもりもなく、
私に構成案のすべてを委ねるための話し合いだったのだ、と、この時はじめて気づいた。

私はバカだ。やっぱり。バカだ。
こうも思った。
いや、ありがたいこと。やってやろうーじゃないの。失敗したっていい(それはダメ。失敗は絶対に許されない…)。
構成案をつくるのはいちばんの醍醐味。いつも雑誌や小誌でやっていることではないか。
親会社のリーダーに目を通してもらえば大丈夫に違いない。あの方は私の憧れだ。

そんな、巻き込んでしまっていいのかな。
いや、あんまりひどくて逆にお手数をおかけすることになったらどうしょう。
そんなことを考えている時、ある人の顔がすーっと浮かんだ。

私の会社時代の元同期だったコピーライターの女性だった。彼女ならどうするかな、
知性派の彼女なら、おそらく最初からこのような案件には乗らないんじゃあないかと思えてきたのだ。

そして、10年来お世話になっている大手広告代理店のクリエイティブディレクターさんなら、こんな会社の一大事・絶体絶命の案件で、
どんな手を打つかなと。想像を巡らした。
そう、一度も組んだこともない外注スタッフにここへ来て下駄を預けられるだろうかと。

そんなことを思ったが最後。今回、始めて依頼されたWEB制作会社にはじめて不信感がむくむくと湧いてきてしまったのである(本当の真意はわからない)

暗中模索のなか、自分の腕だけ信じて、のりきることができるのだろうか。
同時に。まずは自分がやりたいか、やり切りたい仕事なのかを朝まで自問自答した。
私はこれまでよほど良い仕事相手に恵まれてきたのだと思う。

大学を卒業し、この業界に入ってそれから、運よくフリーランスになってから今日まで二十数年。
こんなにひとつの案件で。受けるか受けないかについて悩んだこともなかったのだから。
結論は、朝イチで広告制作会社A社のトップの方にお電話し、事柄を説明。
了解してくださったので、自分の口からWEB制作会社の幹部の方にお断りの電話を入れてしまったのだ。

生まれてはじめて一度受けた仕事を、途中で降りましたよ。
これまで、一人で構成案から納品まで担当してきた仕事は、自信をもってやってきたはずなのに。でも、今になってわかる。
そこには、優秀なデザイナーさんやカメラマン、営業的動きをしてくださるさるメンバーがいて、その方々を信頼してきたからこそ、自分が自分らしく仕事をしてこられたのだなあということが。


お断りした理由は、
やはり他の案件との兼ね合いがいちばん。
そして、この案件と平行して動いている大手広告代理店が作ってこられた成果物(ポスターのたぐい)のレベルの高さ。
WEB会社の上に位置する大手広告代理店の、クリエイティブが中心に動いているツールだった。
それは相当クオリティの高いもので、クライアントの内容を十分に理解できるよい出来でありながら、1カ月以上、経てもなお制作途中で。今回また差し戻しの状態で出し直されるのだという。
あと孤独感かな。タッグを組んでともに燃え、信頼しあえる人がまだチームに見つからなかった。
もちろん一番の要因は自分の弱さ。自信のなさ!せいぜい悩めばよい!この事実。
今回の案件がコピー制作費100万程度の大型だったせいもある。躓くことは許されない。

しかし!おかげで、私はこの案件を受けた後に降ってきた新案件を次々と断ってしまっていたのだ。
じっくりと腰を落ち着けて取りかからないと、と半ば腹をくくり準備してきたのである。
ああー。1年でいちばん猛烈に忙しい時期。この事実は大きい。
最近しみじみ、オールマイティーではない自分をつきつけられ、へこむことが多い。
いろいろ甘いのだ。フリーランスとして甘い。

せめて。いま思うことは
今回のことからなにかを学べ、ということ。そしてこの案件をお断りしたからこそ、できること。できたことを。
ちゃんとやっていくようにがんばらなければ、一生苦い思いは消えないということを。

(この内容を書くことは大いに悩みました。お許しください。書いて捨てる、書き捨てて前へ進みたかったのです)







いよいよ台北最終章。小さな国で、もっと小さな自分と見つめ合う時。(6)

2013-11-04 17:52:56 | 海外の旅 台湾編



5時過ぎには目が覚めた。
シャワーブースに飛び込み、ぼんやりした頭を覚醒させたら、文庫本をもってバスタブへ。
昨日夜市にて買い求めたフレッシュマンゴーの果肉を口の中にほうり込む。
あ~至福!朝のビタミンC。 お風呂で行儀悪く食べるのは最高だ。

7時には1階の朝食バイキングへ降りていった。
最後のホテルラウンジだ。いい緊張感と、爽やかな朝の空気がみなぎっていた。



私たちは、朝から食欲旺盛。焼きたてパンやベーコンエッグなどの洋風メニューはカットして、
お粥やラーメン、台湾惣菜をたくさん食べ、コーヒーを3杯もお代わりして。
デザート類もたくさん食べた。

さあ、この日はどこへ行こうか。

「101」や「誠品書店」に行って、旬のファッションを見ようか。
老舗茶芸館「紫藤盧」(80年前日本統治時代大正末期に建てられた日本家屋の風格を残したまま、改装を重ねてきた建物)に
タクシーで行こうか。それとも、
台湾一の漢方、乾物、布問屋街としてにぎわう「迪化街」とハイソな「中山」界隈か。
ああ、やはりあと1日は欲しかったなぁ。
調べてみると、どの街のどのショップも、11時にならないとオープンしない。
毎晩、夜市でエキサイトする台北市内は、昼前じゃないと活動しないのか。なるほどと妙に納得する。

それで、「故宮博物館」に9時から出掛けることにした。(ここを観ずにして日本に帰るのも忍びない)

「故宮博物館」のオープン時間にあわせてタクシーを急がせ、混雑する前に入館。

手荷物を預けると、悠久の歴史にどっぷりと浸かることができた。

(ホームページから引用)

故宮博物館のすごいところは、
新石器時代から青銅器時代、宗、栄、明晩期、清晩期と…、時代をさかのぼって観覧できるところ。
そして、王家の秘宝から、磁器、暮らしの用具、書、美術、家具と一堂に展示されているから、見ごたえたっぷり。
それに、博物館といっても、美術館のような部屋もあり、
書画の展示室は2F階の西側で、「筆に千秋の業あり」、「造形と美感」とそれぞれ書法と絵画の常設展を開催。
3Fの303展示室および305、307展示室では「新石器時代」と、「古代青銅器の輝き-中国歴代銅器展」などの器物展覧。304展示室では「名匠の魂と神仙の業―明清彫刻展」を。
中国歴代陶磁器、皇室コレクション、家具、漢字の源流、玉石彫刻、宝飾などの常設展のほか特別企画もしている。

真っ赤な絨毯を進み、2階、3階もオール見学。
小さな展示の部屋もざーっと訪ねて、有名な清の「翠玉白菜」「肉形石」までほぼ観た。



驚いたのは、日本の博物館では古いものはセピア色に褪せ、古布の絵画なども見えないほどボンヤリした表情で、
時間の経過さえ価値あるものとして見せるのに対して、この国の宝物類はよほど修復技術が素晴らしいのかしら。
実に鮮やか、真新しいまでにピカピカに輝いている。

そして、最新映像技術などを駆使した3Dの世界も(古代の美術や暮らしの紹介)も採用され、
新旧の融合が違和感もなく調和しているのが、逆にユニークに思えた。

明代前期からの磁器・漆器や家具。暮らしの用品に、花鳥画の絵画は特に美しかったが、
それでも、日本贔屓なのか日本の奈良時代や平安の頃の宝物のほうが、趣があるなぁと(失礼なこと)思ったりしながら、
たくさんの傑作や宝物の数々を2時間くらいかけて観た。
1階2階のミュージアムも充実していた。



このあと、タクシーで「台北圓山大飯店」(グランドホテル)まで行って写真撮影。




そして、宿泊先であるシェラトン台北の裏手にある茶藝店「徳也茶喫」で
角煮や点心、宮廷菓子、烏龍茶のランチメニューを予約していたので、急いで戻るようにお願いしていたのだった。


それが、えらいことになったのだ。
はじめて、あまりよろしくない台北の人に出くわしてしまったのである。

タクシー運転手は、乗った瞬間から饒舌で超笑顔。
なんて人懐っこくて、感じのいい運転手さんだろうと思ったりしたのは乗車してほんの5分だけだ。

もう、カタコトの日本語と英語、台湾語のミックスでしゃべる、しゃべる。

そのほとんどの内容が「私は日本人大好きです。日本人の誰々さんをどこそこに案内した..」
「◎◎さんは知っている。◎◎さんもよい人だった」
「誰々は友達だ」
と、こちらの知りもしない一般の日本人の名前を羅列。「日本の大学は素晴らしい」「日本の鎌倉はよかった」という自慢話オンパレード。
そればかりか、運転が危ういのだ。

しゃべりながらも、日本人の名刺や書いたメモ帖を出そうとして、ハンドルはフラフラ。
何度、前の車と激突しそうになったことか。どんどん、後ろから横から抜かされていく。

わたしたちの予約していた時間は11時半。
12時半には、旅行会社の車で空港に向かわねばならない。
今日は台北の最終日。ほんの数分でも貴重で大事にしたいところだったのである。
だから、急いでほしい!とお願いしても、無視。
大丈夫、OKと、マイペースでにこやかに喋る、喋る。

朝には20分たらずでぶっ飛ばした高速道路を、往路には25分かかっても市内に入らないのだ。

あげくの果て、予約していた「徳也茶喫」は、「よろしくないからね~」と、いい、茶文化について論じたあげく、他店を紹介しはじめる。
さあ、温厚で人の良い私だって、そろそろ切れ出した。英単語連発で
半ば命令的に行き先を懇願しはじめた。

しかし、ここで、怒り爆発する事態が…。

なんと市内にようやく入ったと思いきや、着いた茶藝館は、お目立ての場所ではなく
運転手の知り合いの茶商だったのだ。
烏龍茶の卸・小売り専門店。試飲もできないし、茶藝を愉しむことなんて全くできない
古い裏路地の倉庫のような店だった。


中から「いらっしゃいませー」と厚化粧の小太りマダムがでてきたのだから、ビックリである。
すぐにマダムに事情を話して、梨山烏龍茶を購入したから「ノーサンキュー、ノーサンキューね」を連発。
再び、タクシーに乗り込んだ時は、不機嫌このうえない。
徳也茶喫!早く!を連呼する始末。

しかも、このタクシー運転手。迷いに迷って店をさーっと通り越し、大通りでウロウロ。
もうー、私は完璧に切れた。
だって店は、宿泊ホテルの真裏ですもの。
強い口調を発して、タクシーを途中で降りて(料金は支払いましたよ)。
なんと地図傍らに徒歩でようやく目的地へ辿り着いたのだ。
店の扉をあけて息を切らし、アンティークの重厚な紫檀の椅子に座ったのはナント、ピックアップの時間20分前。

熱いお湯が運ばれてきて数分。
はあ~。喉渇いていたのよ~と思うや、料理を作るのが10分はかかるという。私はお茶を飲まずして、さっそく台北シェラトンに戻って事情を話し、
出発を15分遅らせてほしいと、現地コーディネーターに頼みこんだのだが…。(飛行機が飛ぶのは4時、現在は12時20分)
あれほど優しくて融通の利く台湾人はいずこに。(やはりチップを払うから、と言えばよかったのだろうか)
いきなりルール違反だと怒りはじめたのである。

ということで、私たちはせっかくのお昼セットをキャンセルし、お腹も満たされないまま
台湾桃園国際空港に戻らねばならなかったのである。

哀しい~。せめて、注文した烏龍茶(文山包種茶)は飲みたかった。


しかし、2泊3日の台北への旅。心残りを置いてきたまま飛行機に飛び乗ったのは、
まあ考えようによっては良かったのかも知れない。再びリベンジを決意できるに違いないから。

振り返れば、いろいろ蘇る、あれこれ。小さな失敗は数しれず。
(旅をすれば、素の、とても子どもっぽい自分にも遭遇するわけで…。自分発見の時でもあるのだ)

あえて言おう。
台北の魅力は、日本人とみればともかく声をかけてくれる人懐っこい温かさ。
そしてディープな匂いなのに、口に運べばビックリするほど旨味が強い、素朴ローカルフード。
青々しい梨山の高山茶もさすがに本物だし、
標高の高い茶園ならではの深みのある清涼な味わいは想像以上だった。

マンゴーのスイーツやタピオカ入りミルクティー、淡水の酸梅湯も衝撃だった。
龍山寺から西門町へ、淡水、永康街、中山、士林方面へと沢山歩いたので、
陽のあたる台湾の顔と陰翳の顔にも遭遇!
狂犬にも吠えられたり、
最後には茶商のブローカーにも出会ったりして…。そしてフィナーレーは故宮博物館の秘宝を観てシメ。

今も記憶に残るのは、頬をピンク色に蒸気させて、両手に子どもの手をギューッと握りしめ、はしゃぎまくって夜市へ向かう、
親子たちやおばちゃん、おじちゃんのたくましいパワーだ。
特設ステージで繰り広げられる河口沿いの日本語カラオケ慕情大会も。

この国の人達は、なぜあんなに夜になるとイキイキとして精気にあふれ、パワフルになるのか。
そして外食への愛に、命を燃やして食べまくるのか。
ともかく活きる、食べる、したたかさ…。
いろいろな台湾事情を目に焼き付けてきました。
しかし、それでも私たちは所詮ビジター。ひとときの台北の顔をチラリ拝ませていただいただけ。
本当の。ゆるやかに流れる普段の台湾時間をしらない。






旅はええです!
こうやって回想し、書いているだけで、元気になれるから。
日本は、いよいよ11月。深まる紅葉の季節を迎えます。日本に戻るとはぁ~「人」の正義感みたいなところにほっとする。
台湾もいいけど、日本の原風景もまたええもんです!




(台北旅行記)5はこちらへ。

(台北旅行記)4はこちらへ。


(台北旅行記)3はこちらへ。

台北旅行記)2

(台北旅行記)1



「淡水河邊夜市」と「士林夜市」をはしご。(5)

2013-11-01 19:33:26 | 海外の旅 台湾編


東洋のベネツィア(またはベニス)ともいわれる「淡水」。




実際にはもっと庶民的で素朴だ。
淡水河口沿いの道路が整備されていて、レンタサイクルで走るには最高に気持ちいい。
かつてスペインやオランダに統治されていたため、異国情緒あふれる建築物がまだ残っていて、
淡水河に沈む夕日は美しかった。

「レッドスリーカフェ」はライトアップされた洋館3階にあった。








結構な高台になるので観光客も少なく、
オシャレな台北の若者たちでにぎわっていた。満席のため、テラス席へ。
遠くには海の夜景が臨めて雰囲気抜群である。

船舶と島の灯りがキラキラとして、
それを眺めているだけでお喋りがはずむ。
私たちは、ビールを飲み、魚介のパスタを食べ、フィッシュアンドチップスを食べ、そしてパンケーキまで注文した。いくらでも食べられそう。
全く満腹を感じない、子どものようだった。

ここは確かに台北なのだけど、なぜだかタイのチャオプラヤー川沿いにあるタイレストランを思い出した。

赤や青の電球が頭の上にいつくも下げられ、こうやってテラスで夜風に吹かれながら、すごくリラックスして、
思いっきり料理を平らげているシチュエーションが重なったのだろう。

愉しくて、愉しくて。
胸の奥から脳天までこのワクワクが、ドキドキが連鎖している。
何かあるとすぐに「キャー!」「キャー!」「ハハハ」と声をあげてしまいそうだった。



そんな高揚感をつのらせたまま、1時間半くらいで店をあとにし、先ほど上ってきた急な石の階段を1段、1段と今度は下っていく。


降りたら、歩行者であふれかえっていた。
「淡水河邊夜市」である。




中山路も中正路も淡水の河口沿いも、夜店が続く。活気ムンムンだ。
ものすごい雑踏のなかを、時々、派手な車やオートバイや自転車が横切っていく。
それは幻想的というかまるで夢を見ているみたいな、お祭り騒ぎだった。



私たちはローカル住民にしっかりと混じって、淡水名物の酸梅湯(ドリンク)を飲み、
「アーポーティーエダン」で ウズラや鶏の煮込み卵のお土産を買い、
背の高いソフトクリームを舐めながら、風にふかれて河口沿岸の散歩を愉しんだ。




芝生の広場では、あちらでもこちらでもカラオケ大会が開かれていた。
なぜか演目は日本の歌謡曲、そして演歌、演歌、演歌!
それがなんだかおかしいやら、誇らしいやら…。
サザンの唄も店前のカセットから流れていた。

ここで河口付近に駐輪していたレンタサイクルに乗り換えて、
もう一度駅まで自転車を走らせる。
しかし、人、人、人で自転車を押して歩く。
まだカラオケは大盛り上がりのよう。台湾人の演歌がいつまでもやまない。



「淡水」を後にすると、夜市の愉しさに興奮してしまい、
今度はまたまたMRTに乗って台湾最大といわれる「士林夜市」へ。



ここはまたまた人混みなのだけれど、淡水とは違う怪しくて生ぬるい空気感。アジアっぽい夜市だ。

入り口の店でいきなり買ったのはマンゴーとドラゴンフルーツを山盛り。
これはホテルに引き上げてから、お風呂上がりに食べるのだ。

そして、ブティックやお土産屋を数分ばかりひやかして、
お腹がいっぱいのはずなのに「士林市場美食區」へ。







うわぁー。広い!そしてすごいにおいだ。臭豆腐が特に強烈。

揚げ物やチキンの香りも、すごい。

私たちは、あんなに淡水で食べたにも関わらず、今度は地下1階の屋台フードコートで、
またまた地元ビールとカニの爪揚げ、ラーメン、点心を食べる。




途中で、お腹いっぱいになってきてどうも揚げ物が食べられない。

ふと隣のテーブルをみると母娘が顔を寄せ合って話す姿がみえ、耳を澄ますと、どうやら日本語(東北なまり)のよう。
それで、こちらから声をかけて合流し、テーブルをくっつけて
「こちらの食事もよかったらどうぞ。もう食べられないの」と話し、
すぐに友達になった。

やはり台北はローカルフードが魅力的なのだ。食は友をつくる。東北の仙台からこられた親子と旅の話をあれこれ交換。

今回は2組のグループと友達になった。
そういうのもまた旅の醍醐味である。

「まだまだ帰らない!今夜は遊び倒す‼」と叫ぶNを連れて、
夜市を後にするのはひと苦労だ。
街はまだまだ暑く、いっそう熱気をおびるよう。どこからあれだけの車やバイクが集まってくるのかと、いうほど
道路はまだ渋滞。
夜市の人は後を引かない。街のパワーが、食べ物や人の笑顔や、屋台のネオンに跳ね返って、
どんどん膨れ上がっていくようだ。

結局、11時過ぎまで遊びまわって、またまたMRTに乗車して、
シェラトン台北の部屋まで辿り着いたのは11時40分だった。

バスバブに浸かったらすぐに眠気に誘われて、バスローブのまま1時前には眠ったのだろうと思う。夜中3時に目が覚める。
明日はいよいよ帰国である。









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