月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

寝室をもう一つの仕事部屋スペースに模様替え

2020-06-26 23:15:20 | コロナ禍日記 2020

  5月14日(木曜日)

 

 今朝は7時に起きる。ムジカのヌワラエリアを飲みながら、20分ほど読書。

 ゴミを捨て、家の周囲をぐるっと歩く。再び、緑の色が変わった。太陽からの紫外線を満タンに浴びて光る緑が、しっかりとした固い青緑になっていた。その分、光も強い。

 



 

 

 朝ごはんには、昨日、宝塚のカフェ「subako 」さんで求めたフルーツタルト、焼き菓子を並べ、珈琲をいれる。Nが東京へ帰ってしまい、再び、大人だけの静かな生活をつづけている。ラクだけど、ハリがない。

「この前、イオンでみつけた猫を飼いたい。きょう夕方、見に行こう」と提案するも、



「ちゃんと掃除できない人は飼えません」とパパさんの反対。

「かわいい猫ちゃんの顔をみたら、きっとすると思うわ」

「いや、そりゃあ無理だね。体を洗ってやったり、いろんな家のものを壊されたり、かまってくれとニャーニャー鳴かれたり、仕事できない!と当たられて大変なのが目にみえている。それにうちは、ペット禁止のヴィラだから」

「周囲も飼っているし、飼う」

「ダメ」

「これからの老後を豊かにするためにも飼う。なんたって15年もともに生きてくれるのよ」

「ダメです」

 と埒があかない。これでは、子供と大人の論争だ。机にすわり、急ぎの原稿を仕上げるも、いまひとつのらず。1時間ほどで止め。

 お昼は、皿うどんだけにした。豚肉と春キャベツ、ネギ、干しエビ、ヤリイカをいれる。

 午後3時。水素ガスを吸いながら、うたた寝を40分。起きて、ハーゲンダッツのイチゴのトリュフをお腹にいれてから、部屋の模様替えをした。

 パパさんのZOOMと拡声器のような電話の声から逃れるために、寝室を片づけて。

鏡台のサイドに、赤のスタンドライトを起き、散らばった鞄やショール、アクセサリーボックスなどを整理しパソコンを広げられるスペースをつくる。

 

 寝室は、神戸フランジュールのホワイトのリネンで統一された空間なので、白スペースが広く、家具らしいものといえばシモンズベッドと、このアンティーク風の鏡台くらい。カーテンは川島織物さんの薄いベージュピンク。いたってシンプルだから、赤のスタンドライトがイギリス照明みたいに映えるのだ。よっぽど、仕事部屋よりも私的スペースという気がしてきた。ホテルライクな執筆に憧れて、仕事をしてみた。ソトは、鳥の声と葉ずれの音だけ。表を歩いている、人の気配もいい感じに伝わってくる。

 

 夜ごはんは、子羊肉のガーリックソティ、にんじんといんげん豆、蒸しブロッコリーをつけあわせに。コーンクリームスープと、人参の酢漬け、サラダ。赤ワインを2杯飲む。

 

 10時半。「世界はほしいものであふれている」をみてお風呂でこのブログを書く。あがって、洗面所の鏡をみながら、裸のままで、思いっきり筋トレ。ヨガの太陽礼拝のあとでスクワット。ねじりのポーズ。じっと自分を見ながら見られながら行う。

 聞くところ、人が一番、癒やされるのは自分の姿かたちだそうだ。だからというべきなのか、女の子がいつでも、パンダ、ペンギンだ、猫だ!と飛びつくのもどこかしら自分に似たキャラクターを求めているのだとか。そういえば、パンダ好きのライター友達Yは、細く黒目の部分が多い好奇心の塊みたいな目がたれてどこかパンダ似だ。

 Nは、人前に出て働くインターナショナルな仕事に就いているが、一日に何十回も鏡をみるナルシストだと自分でいっている。

 私もこうして寝室で、パソコンを叩いていると、旅先のホテルのデスクにいるみたい。鏡を前に、自分を映して原稿を書くことになる。内容の出来、不出来は、どうだろう……。わからぬ。

 富良野から買ってきたラベンダーのアロマを焚いて12時に就寝。

 

 


ZOOMオンライン小説講座を受講した

2020-06-24 14:21:00 | コロナ禍日記 2020

 

 ある日。5月11日(月曜日)晴

 

 朝7時に起きる。10分の瞑想。朝食にはビゴのフランスパンを包丁で細めに切り、ナイフにたっぷりキリ(kiri)のチーズを取って塗り、自家製の夏蜜柑ジャムをのせて食べる。紅茶にはムジカのディンブラを選び、ミルクティーで。

 

 午前中は、コラムの記事を書く。

 2時からZOOM講座。主催は小説家でライター、医学博士の寒竹泉美さん。昨年6月に取材をさせてもらってから、脚本を担当された演劇を見にいかせていただくなど、何度か顔を合わせていた。きょうはFacebookメンバーを中心に「オンライン小説講座練習会」を開くという。

 12名のメンバーさんの中に、知り会いのライターさんが3名いた。画面越しながら、手を振りたくなるほど、妙な懐かしさがこみあげる。

 

 自己紹介のあと、講義(小説を書くステップ)、ワークという習わしである。

 大事なのは、現実世界とのつながりを想像すること。「ゴジラが、現実に現れたらどうなるかを徹底的に考え抜いているから面白いのだ」と寒竹氏。

 ワークは以下だ。

  • 物語の主人公を思い描く。(5分でエイヤッとつくる)。
  • その主人公は火曜日の夜ごはんは、誰と何を食べていますか?
  • 神様がひとつ願いを叶えてあげよといったら、主人公は何を願いますか

 次々と課題をこなし、チャットに移して、メンバーで共有する。

 私が妄想したのは、64歳くらいの女性。名前はローズ。舞台は鄙びた東北の温泉地。蔵を改装した奥に細長い、ウナギの寝床のような古民家で(土間から上がっていくような場所で)私立図書館を営んでいます。ここは、亡くなった作家の本だけを所蔵しています。

 ローズは、ある日、不思議な出来事に遭遇します。

 1940年代の往年の作家(男性)が、自分の本を誰がどんな風に読まれているのか、それとも今はすでに化石のように見捨てられてしまったのかを知りたくて図書館を訪れます。深夜3時、ローズは、往年の作家が貸し出し本のリストを真っ暗な部屋で読んでいるのに出くわすのでした。(これが主人公にかける魔法)。物語に奥行きを育む仕掛けです。

 

 さてローズの図書館は、水曜から土曜日まで開いています。

 ローズには恋人(10歳若い、造船関係の設計エンジニア)が四国・松山市にいて、日曜日から火曜日は飛行機で松山へ飛び、恋人と過ごしていることが多いのですが。火曜日の晩は、だから恋人とイタリアンレストランで過ごしていて、この日はめったになく赤ワインに酔っぱらってしまい、店を出たあと、白壁を借景に川にそって歩き、松山美術館を通り過ぎ、ちょうど柳の下あたりに差し掛かったところで、往年の作家がローズの図書館へ会いにやってきたことを彼に話してきかせます。

「へえ、凄いことじゃないか」驚く、恋人。ふたりは、この作家について思い出す限りのことを告白しあい、いつのまにか、自分たちの生き方に重ね合わせて語り始め、議論へと発展していきます。意志と想いがぶつかり合う、そんな瞬間です。唇をかむローズに、恋人は、「ちょっといいか」といい、突然、ローズの唇の端にそっと自分の唇をよせたのでした。

 

 というような妄想を私は描いていき、チャットに記述します。

 次は、当日のメンバーの中からコンピューターがランダムにペアを組みます。自己紹介のあと、自分たちの主人公を紹介し合った後で、ワーク開始。

 同じルームになったキャラは実はケンカをしています。何が原因なのか、どんなケンカなのかを想像(推理)して、ふたりで話し合ってみてください。次に共同で物語を完成させてください、といったものでした。

 私のペアは、昨年お仕事でご一緒させていただいたライターのEさんでした。

 Eさんは、食品メーカーの若手社長(実業家)を妄想しており、ちょっぴり人見知りで不器用な面を持ちながらも、ヒット商品を次々と生み出す実業家を主人公にしていました。ひと月、数百億を叩き出す凄腕とのことです。

 ある日。社長は、旅先で蔵の構造にふとひかれてローズが経営する個人図書館に導かれて入ってきます。が、そこは古い小説ばかりで自分が思い描いているビジネス書がない。2部屋だけみて「ああ、これはもう自分には用がない」と見切り、図書館を出ようとしたところで、ローズに引き留められます。

「あなたはなにを探しているの? せめて最後まで閲覧してかえっていかれたらどうでしょう。2階には少しですが、ビジネス書のコーナーもございますの」

「2部屋みたら十分。いや、棚の1段目で、この図書館の趣味趣向を自分は理解した。ここには自分が探していた本はおそらく1冊たりともないだろうから」

「あら。お目当ての本を探したいのなら、大型の書店かあるいは、インターネットの森を捜索なさったら十分ではありませんか。この図書館なら、あなたの存在意識と往年の作家たちの想いが交錯し合い、きっと想像を超えるあなたの運命の本と出会えるはずだわ。出会うのは、あなたと偉大なる作家。私は場を提供し、本を貸し出すただの傍観者です。気になさらずに、最後まで見ていってください」

「あいにく、私はあなたの妄想図書館と付き合っている時間はない。申し訳ないが失礼する」

(……とけんかに発展していく)こんな筋書きです。

 

 おもしろかった! きっと時間を短い時間の中で、集中して妄想するのが楽しかった。

 ZOOMが終わるや、関西国際空港へNを送迎しなければ!きょうはいよいよNが12日の滞在を終え、東京へ帰る日だ。

 

 途中、空港線の高速道路を走る車の中でlineが入る。参加したメンバーの、あるライターさんから、

 「やっぱりネット上でお会いするのと、顔を合わせるのは違いますね。会いたくなりました」というようなメールを頂戴した。20分の間、lineをいったりきたり。デジタルの文章で、有意義な会話をかわせ、よかった。私も新しい喜びを発見した。

 

 こちらは、5月中旬の関西国際空港。





 

 廃墟のようであり、映画のセットの中を歩いているよう。人が消えた空港。

 自分が浮いているような変な感覚をうける。便数は、約20便から一日4便に減便されていた。

 照明を落とし、薄暗い中、地上係員が2名ほど暇そうに腕をくんで憂鬱そうな顔でぼんやりしていた。明るいのはNばかり。彼女は異国へ一人旅たってしまう気がした。

 

 帰宅してすぐ。7日めの#ブックカバーチャレンジの原稿を書いた。

 晩ごはんは、あじのフライと人参の酢ずけ黒胡椒風味、キャベツの塩炒め、トマトとレタス、クレソンのサラダ、枝豆のボタージュ。赤ワイン2杯。

 

7日間ブックカバーチャレンジ】7日目!(最終日)

 



 ラストは(型破りに)、時間のない時にも読みやすい短編千早茜さん「あとかた」、ジュンパ・ラヒリ「停電の夜に」を供します。

 

 (中略)

 「あとかた」は、1つめの物語が次の物語を誘い、登場人物が別の役割を担って現れる連作。現代の恋愛はこうなのか、と衝撃をうけた一冊だ。男と女の空虚はやるせなくて、肝心なものがみえにくい。冷めた眼の中に諸々をうつしとり、それでも明るく淡々といきてみせる、そういった絶望と孤独の中にある恋愛を描いている。

 「停電の夜に」は、ただただ素晴らしい。哀しみと喜び、愛と切なさが波のように寄せては返す、しみじみと。なにも起こらない日常。たった一つの文節にもすでに物語が詰まっている。それは柴田元幸さん翻訳のレベッカ・ブラウン(著者)にも通じるものだ。

 

 ちなみに千早茜さん、朝日新聞デジタル&TRAVELのエッセイ「いつかの旅」で出会い、デビュー作の「魚神」で度肝をぬいた若手の作家。書く文章は濃密だ。「自分は書くことと読むことが一緒にできない」と仰っているように、作家の集中力は凄いので。読み手もアフリカの孤島でページをめくるような気持ちで背中に汗しながら、迸る情熱を受け止めることになる。

 

 

 


むかでを弔った日のこと

2020-06-19 23:39:00 | コロナ禍日記 2020

 

ある日。5月10日(日)晴

 

 朝6時半に起きる。今日の瞑想は20分。紅茶を飲みながら、本を読む。

 すぐ家族がおきだしてきて、朝食となった。パパさんは無口。不穏な空気。こちらは昨晩の機嫌はすっかり直っていたので、昨晩のことを、言葉にして謝っておいた。「逆ギレしてたらごめんなさい」。

 ホットケーキを焼いて、いつもより丁寧に珈琲をいれる。別皿には夏蜜柑、キウイフルーツ、いちごなど。

 

 午前中は、仕事の時間にあてがうべき、机にむかっていたら

「ヘナを取りに行くんだろ。午後一で行くか」とパパさん。加えて、「1時から会議だけど。それまでならZOOMにつきあえるぞ。明日ライター同士でするんやろ」。

 Nも交えて3台のパソコンでZOOMを通して語らってみた。あら、これは、なかなか楽しい。画面を通して会話すると、家族なのにちょっと距離がうまれて、おもしろく喋ってみようとしたり、互いの顔も画面を通してまじまじとみたり。

 ふむ。大事な話をするのも、画面上なら話しやすい気にもなる。家族なのに、「公的な場」にいるみたい。これは発見だった。


 お昼は、パパさんの会議オリエンを聞きながらの、シーフード(小エビ、いか、干しエビ、貝柱、キャベツ、ネギ)入りの皿うどん。

 

 午後。再び、淀屋橋の「アトリエ・スタンズ」に出かける準備をする。

 靴をはいて出ようとしていたら、隣の奥さんがわが家の門扉の前にいて、まさにチャイムを押す寸前だったよう。

 「はい」とNが挨拶をすると、「そっちに、いま、むかでがいきましたんですよ。殺虫剤をかけたら、お宅の家のほうへ逃げていっちゃったんです。門扉のところからひょろひょろと、今、はいりましたから。ごめんなさい。ほら」

 とお隣さんが話し終わらないうちに、 Nとパパさんがわーわーと歓声をあげている。私も急いで支度をして、玄関の石階段をかけあがると、わが身をねじりまわり、息たえる寸前とみえる。

 両手のひらを思いっきり広げたほどの大むかでがいたそうだ。

 パパさんがダブルで殺虫剤の攻撃を加え、親指とひとさし指の先で、むかでをつまみあげ、近くの芝生の中へ投げ入れるところだけ見えた。

 どこへ飛んでいってしまったのか、どうしても気になって探す。いない、いない。と焦るも。わりと近くに、眼の真下あたりだ。水道の水栓のそば、腹を出し、白く裏返ったままのむかでがいた。手足の関節からが長く工芸品のように美しい、まだ痺れているようだ。おぉー! でかい! と眺めていると、N「早くいこう。」と促す。それにしてもこの状態(腹をみせたままの無残な姿)でのお陀仏とは、かわいそう。

 地面を掘る。

 庭から椿の葉を一折だけ取り、むかでの端をつんと固い葉の角ですくいあげ、腹から背のほうにむけ直し、カエデの葉っぱと、ピンクと白のツツジ花を集めてきて、むかでの姿が決して誰からもみえないようにして、ささやかに弔ってやった。

 

 Nに手をあわせるように促すと素直に従う。そこがあの子のよいところだ。

 

「いつまでゆっくりしてるねん」とパパさんの声で、車にのりこみ、阪神高速道路はつかわず、新御堂筋でまっすぐ淀屋橋へ。「五感」で、マンゴープリンの手みやげを買い、無事、忘れていたヘナの袋を受け取って、帰ってきた(スタンズのオーナー、先まわりしてコーヒー屋さんに引き取りにいってくれた)

 


 

 

 帰宅後。マンゴープリンを食べながらブックチャレンジ(※)の原稿を書く。

 

 すぐに夕飯準備。今晩は、しらす丼。もやし入り豚キムチ。ひじきと揚げのたいたん、ししとうと黒キクラゲ、椎茸のソテー、おみそ汁。

 PM11時から、ヘナ施術をNがお風呂場でしてくれた。 


 ふたりとも裸で風呂に入り、温まったところで、私だけが洗い場に上がって、風呂椅子に座る。N、風呂場の中から手を一生懸命にのばして、ヘナを、マヨネーズの固さ加減にして、私の髪にぺたぺた。櫛のついた筆で塗りたくる。

 肩や首まわり、おでこのあたりが泥色に。Nはそれを丁寧にタオルでぬぐいながら、自分も胸や腕にも泥が飛んでいる。1本ずつピンで留めたものをつけては取り、プロ並みの早さと腕前で仕上げていく。大学時代によく施術してくれたのだが、腕前はいっこうに落ちていない。むしろ、国際サービスの仕事をこなしているだけあって上達したくらいだ。

 2時間おく。お風呂場で、リビングで(バスローブ姿)本をよみながら、ウトウト。

 深夜1時15分。もうろうとした頭で、シャワーで流して就寝。



 

 (※)本日のブックカバーチャレンジは、谷崎潤一郎「細雪」を供します。

(中略)

 ある時。東京から学生時代の友人が遊びに来て、神戸で落ち合った。どこで食事をしようか。老舗の中華料理店でもどうか、と私が考えていると、神戸・中央区の山本通りにある「レストラン・ハイウエイに行きたい!」と友人。

 昭和の文豪・谷崎が愛した洋食屋だったそうで、その晩は赤ワインを1本空けて、最高のビーフシチューやカツレツなどを愉しみ、10時に店を出てから千鳥足で歩いて、さらに友人が宿泊するオリエンタルホテルで、飲み直した。

 翌日再会して有馬温泉の「御所坊」にて湯浴みと懐石料理を堪能して過ごす。あとで聞くと、友人はその日、午前中の早い時間に一人で神戸市東灘区にある谷崎の旧居「倚松庵」を訪れていたという。

 考えるところ、レストラン・ハイウエイ、御所坊、倚松庵…! 全て谷崎潤一郎ゆかりの場所だったのだ。それまで外国文学や個性の強い恋愛小説など、好みの本しか手を出してこなかった私が、遅ればせながら、(その友人の影響から)谷崎潤一郎を読み始めたことで、川端康成や三島由紀夫、夏目漱石、堀辰雄など、往年の文豪作品を少し読んでみるようになった。

 どの作品がどうとか、今さら私が述べることなど不要だと思うので省くが、私が心ひかれ溜息をつくベスト3といえば、谷崎潤一朗「細雪」、川端康成「古都」、そして田辺聖子さんの「雪のふるまで」。これら共通するのが、関西の情景描写が卓越していて、目の前にありありと日本の春夏秋冬が湧きあがってくることだ。

 


 釜揚げしらすと、もぎたて苺

2020-06-18 23:57:16 | コロナ禍日記 2020

 

 ある日 (5月9日(土))

 

 朝7時に起きる。瞑想。紅茶をのみながら読書。

 午前中は、定期モノの原稿を書く。

 

 お昼は、ざるそばで。ネギ、しょうがと辛味大根を擦った薬味、わさび、みょうがなど、たっぷりと。小皿に入れて。

 

 午後、朝の続きをする。

 

 メールにて。近所の友達、陽子ちゃんが神奈川郡槙原町から「釜揚げしらすが届いたよ」と知らせてくれた。毎年恒例、ゴールデンウィークの楽しみにしているわが家の風物詩である。

 

 車を走らせて、Nとパパさんと総出で、もらいにいく。今年は1キロを2箱。値段は、消費税込み3800円。今夜から、しらすを毎食、たべられる! 半分は冷凍にして、ちりめん山椒を作ろう、と思うとワクワク。

 



 

「北神戸にある、エコファーム植田さんのいちごがおいしいよ。いちごジャムもおいしい」

 と、しらすをもらったあと、陽子ちゃんがいう。

 さっそく買物の途中に、三田のいちご農園直売所。エコファーム植田さんへ立ち寄る。うまく行けば、いちご狩りも楽しんじゃえと目論んでいたが、直売所のご主人不在にて叶わなかった。残念! それでNの強い希望によりペットショップをのぞいた。

 

 昨年の夏。めちゃくちゃかわいいノルウェージャンフォレストキャットを見つけて、飼う、飼わないで、悩んだあげく「掃除のできない人は飼えません」のパパさんの一言で泣く泣く諦めていたが、それからつい、通りすがりの猫ちゃんにも目がいくようになった。

 

 この日、Nの目がハートになっていたメークーンだ。生後4ヶ月。







 

 つり目で、意志の強そうな瞳。スタッフの女性に抱き上げられながらも、背が高い外国人男性とその連れの女性が近づいて、ペットショップのガラス窓をのぞいただけで、ピクッと体の皮膚を内臓ごと震わせて、急いでソファの後へ逃げ込んだ小心者であった。

 

 帰宅後。エコファーム植田さんの、もぎたてのいちごを皿に盛り、手でつかんでばくっと食べた。



 甘く酸っぱい果汁が口から喉のあたりまで垂れ下がりそう。これはうまい! 勢いづいて、6個いっぺんに止まらずに食べてしまった。ついでに、ビゴの卵サンドと、チーズケーキ。

 

 夕食には、しらすの丼。3種の山菜のかき揚げ(干しエビ入り)、さわらの蒸し煮(長芋添え)、ジャガイモと揚げのおみそ汁。

 

 夜。仕事の続きをする。

 

 10時から、Nに先日アトリエ・スタンズで買ったヘナの施術をしてもらおうとするも、どこに置いてあるのか見つからない。

「もしかして、モール&ホソイコーヒーズで、テイクアウト用コーヒーを買ってくるといっていたが、そこに置き忘れたんじゃないのか」とパパさんが半分冗談でいった。が、ウソウソとつぶやき余裕で探すもどうしてもない。

 「本当にコーヒー屋さんに忘れたのか」とパパさん、テレビを見ながら大絶叫!それはないでしょうと。洗面所から、仕事部屋から、リビングから、探すもどこにも見あたらない。信じられないわ、と我が身を疑い、ワナワナと震えていると、驚きとも、罵声ともとれる声。

 身も震えるほど猛反省しているところを指摘されたので、ついカッとなり、悔しくて原稿の続きも書けずに、風呂に入り、すぐ寝た。

 

 12時半。Nが携帯電話をもって外へ出ていく。誰に電話するのだろうと思いながら、瞳をとじる。(どうも寝付かれない)。40分後、N、帰って来る。どうやら、片思い中のお相手さんから電話を受け、話し込んでいたようである。

 

 

 


ことしも芝刈りの季節です

2020-06-13 22:57:13 | コロナ禍日記 2020

 

 5月8日(金曜日)

 

 朝7時に起床。瞑想10分。20分くらい本を読む、ネットも続けてみる。

 9時。原稿をスタート。うまく進まないところで立ち止まり、コーヒーをいれて、いちごを10粒パクリとやる。果実の甘さをもらって進み始め、12時半まで。

 

 途中、パパさんのテレビ会議が入り出したが、BOSEノイズキャンセリングで乗り切ろうと頑張る。パソコンに近づくと、キーンという電子音が耳に蔓延して辛くなるが、辛抱してキャンセリングする。

 

 この季節は、マンションの周辺は芝刈りと植栽の剪定作業で忙しそうだ。ケヤキ、ヒマラヤスギ、マメツゲ、ツバキ…。階段側にはアベリアなど。朝10時から夕方5時頃まで草刈り機のモーター音がマンンションのまわりにブーンブーンしつこく響いて、盛大に草をかっている模様である。

 例年の芝刈りシーズンになると思い出すのが、村上春樹が1980年代に発表した『中国行きのスロウ・ボート』の一編『午後の最後の芝生』。普段は、活字の中の世界は泡のように消えてしまうのに、村上春樹の短編の幾つかは、妙に映像的に残っている。この本もその一編だ。

 

 1時。朝ドラのエールのあとで、皿うどんをこしらえた。小エビやいか、干しエビ、新キャベツ、山菜などたっぷり。

 午後。昨晩は、7日間連続ブックカバーチャレンジの原稿を書けなかったので、早いうちに書いてしまってアップしようと机の前に粘って鎮座。N、なんとか私を連れ出そうと、あれやこれやの手で誘惑する。

 「なわとびしよう。家の周囲をマラソンしよう。そのあとスコーンをつくるんじゃなかったの」。うんうん、といいながら、デスクの前から腰を上げないので、諦めて、パパさんと買い物にいってしまった。

 しめしめ、私は居残り組だ。すぐに書いてしまって、母と電話。きょうは50分も話した。

 夕食は、すき焼き。篠山牛、ネギ、おふう、タマネギ、ごぼう、糸こんにゃく、焼き豆腐などたっぷりと具をいれて。私とNは小西酒造のぶどう酒。パパさんはチューハイ。

 

 7日間ブックカバーチャレンジの5日目は、武田百合子さんの「富士日記」(上)・(中)・(下)を供します。

 



 

 武田百合子さんの魅力は、好奇心が明るいこと!見えないもの、その先まで見る。「客観の眼」です。磨きぬかれた鋭い視点で、昭和のなにげない日常をユーモアと哀惜をもって、強い筆力で綴っていきます。(ちなみに百合子さん、好きな本は井伏鱒二の「黒い雨」とか)

(中略)

「ふきだしてくる蜘蛛の糸を頭の中で撚る紡いで文章にし、それを口までもってきて発音しようと、絶句したままの人の顔を」……と百合子さんが書くように、泰淳氏の晩年(昭和46年)百合子さんは脳血栓で右手の力が弱くなった夫の口述筆記を任されます。

 夫亡き後。富士山麓の山荘暮らしを本にしてはどうか、(葬式の場で)と薦めたのが「富士日記」版元・中央公論新社、ようやく百合子デビューへとつながるのでした。

 百合子さんの晩年(50代〜)の作品「日々雑記」などでは、長女の武田花さんとの暮らしぶりが垣間見られ、わが家の一人娘Nと重ね合わせ、思い入れたっぷりに愛読します。

 

 

 

 


話す=放すは執着から解き放すこと!?

2020-06-12 00:00:49 | コロナ禍日記 2020
 
 
 

 



 

5月7日(木曜日)

 

 朝7時に起床、瞑想10分。

 9時からパパさんのテレビ会議が、鳴り響いているので、朝食後すぐにお風呂へ脱出。本を読もうと開いたところで、電話が2本。仕事仲間のディレクターと、次号案件のうちあわせや段取りを40分くらいやりとり。寒くなったところでお湯につかろうとしたら、今度は、おなじみのデザイナー女子Aから。近況報告にはじまり、新型コロナウイルス関連の政府対応について、今後の仕事のこと、はてはこれからの生き方の指針など、言葉をかわしあう。話せたことで、ホッと。

 

 いろいろ、悶々と頭の中だけで考えていたことを、議論し、みつめられて、よかった。自分のモヤモヤと相手のモヤモヤを話し合うことで、モヤモヤを紙屑みたいに握りつぶして、「モノ化」できた感じだ。

 「話す」=「放す」とはよくいう。(この原理なら、放したくないことは話さないほうがいいということかしら)書くこと、話すことは、言葉を介してコミュニケーションをするという意味でとても近いこと。今回は、話して深める、を体験した。それを忘れないように書くことでさらに新しい生き方に発展させたら、いい。

 

 午後。食事のあとで、Nとしばらく、NHKのテレビをみた。少し机に座りたくて、昨日の原稿を見直していたら、母からの電話。4月頃まではほぼ毎日、60〜90分くらい電話でつらつらと話すのに、このところ3日置きくらいしか、こちらから電話することがない。

 「このまま死んでもあなた、気づかれないわね。こまったもんだよ」と母は愚痴る。

 いやいや、ごめんよ。忘れていることはなくて、常に頭にあるのだが、日常の混沌の中で、ダイヤルをまわしていなかっただけなのよと反省するも、うまく言葉には話せなかった。

 

 夕方30分昼寝。起きて、原稿をみる。1時間半。

 

 夕食には、さわらの塩焼き、山菜と干しエビのかきあげ、肉豆腐、おみそ汁、ひじきと豆の煮物(小西酒造のぶどう酒)など。

 

 夜。きょうも、ブックカバーセレクションを書こうとパソコンをあける。

 Nが「そんなところにばかりいないで、こっちにおいでよ。遊ぼう。もう東京に帰っちゃうわよ」と、モコモコのガウンの首にしがみついてくるので、仕事部屋からのそのそと抜けだし、リビングへ。ごろごろとしてテレビをみて、そのままお風呂へ。就寝は1時。  

 

 

 

 

 

 


5月のまち風景。レトロ建築「芝川ビル」へ

2020-06-10 22:21:59 | コロナ禍日記 2020

 

5月6日(水曜日)晴

 7時におきる。瞑想10分、のちパパさんと朝食。

 午前。急ぎの原稿をひたすら書く。

 午後。来週の打ち合わせも飛び込んできたので、焦って淀屋橋のアトリエ・スタンズに電話。昨年12月から毛染めをしていない。家にいたら気にならないが、外光でみたら結構目立つ。美容室には行きづらいしどうしよう。そこで電話した。

「いつも施術をお願いしているヘナを分けていただくことはできますか」

「きょうは、仕事でいるわけじゃあないんですが、用事があって5時までサロンにおりますからどうぞ」

 パパさんのテレビ会議が終了するのを待って、家族総出で車に乗り込む。新緑の谷間をぬけて、山を横にみて、阪神高速道路へ乗った。新型感染拡大の影響で、静まりかえった大都会、大阪よ。

  目線を並行にして首をふれば、ビルが、樹海のようにのびている。

 一般道路に下りると、車は多く走っているが、人の歩く姿はぽつぽつ。普段なら人の姿など目もむけないのに、あまりに少ないのでどうしても顔の表情まで目がいく。頼りなげな様子で、ただ歩いているみたいにみえる。笑っている人はいただろうかーー。いるな、きっと。(私がそういう目で見るからだ)

 


                               

 淀屋橋のレトロ建築で知られる芝川ビル。2階のアトリエ・スタンズへ。

 オーナー(宅間さん)曰く

「人、少ないっすよ。普段の半分以下。この辺りでも潰れていってる店、何軒も知っています。収束はいつ? ま、夏くらいまでこのままの状態でいくでしょうね。いまは仕方ないっすよ」

 またお待ちしています、と気をよくヘナをビニールにいれてくれた。「2時間がんばって置いてから流して下さいね」、と3度も念をおされる。いつもの風景にいつもの顔。ちらりとでも会えて、うれしかった。がんばれ!と心の中で。

  帰り際。



 地階まで下りて、モール&ホソイコーヒーズで、テイクアウト用コーヒーを家族の人数分買った。待っている間に、2人の来客。カウンターの奥側に男性客がひとりコーヒーを飲んでいる。店内はいつものジャズナンバーがかかっていた。普段、なにげなく立ち寄っている場所がちゃんと動いているとうれしい。

 8時。自宅に戻る。きょうはパパさんがカレーをこしらえてくれた。ありがたい!私は、7日間ブックカバーチャレンジ、4日めの原稿をかいて、寝る前に投稿した。

 

 江國香織さんの「抱擁、あるいはライスには塩を」を供します。(エッセイのベストなら「物語のなかとそと」) ある日。流れてきた音楽に耳を傾けながら、あれをよく聞いたのは、自分が何歳で誰と過ごしていたな、など音楽が突破口になって、当時の記憶が紐解かれていくことがありますが、本の場合も、冒頭をみただけで同じ現象が起きる、そんなことがありませんか。

 「抱擁、あるいはライスには塩を」は、そういう意味で感慨深い一冊です。

 私は、西梅田の病院の個室で10日間の入院中、iPhoneの音楽を掛けっぱなしにして、一日の大半をこの本を読みながら過ごしていました。体は細い管に繫がっていながら、心は江國香織の書く本の中に居て、沢山のものをみていられたのです。

  (中略)

  江國さんは、本のトークイベントでお会いしたことがあり、ご本人には恐縮ですが「小さな子どもの眼をした魔法使い(老女)みたいな美しさを持った人」だという印象を覚えました。「言葉」を選ぶ力が、すごく真摯、純粋(真剣)で、自分が話す言葉に対するちょっとした反応や違いなどにも敏感に、よく考えながら話されていました。

 例えば、こんな風に語っていらしたと記憶します。

「紙で読む本は絶対になくならないと思います。本を読む行為は、すごく能動的で積極的な働きかけです。読むことでいろいろな人の人生を味わうことができる。人生の手応、みたいなものもちゃんと感じられます。それは、他のものでは絶対に置き換えることはできないと私は思うのです」

「誰のために書くか。そう自分のためや、読者のためでもないですね。やっぱり作品のため、かな」。

 

 


夕暮れの公園で薔薇を見ながらひな鶏の肉に齧りついた日

2020-06-07 16:30:00 | コロナ禍日記 2020

5月5日(火曜日)晴

 6時半に起きる。瞑想10分。本を読みながらふと思い立って、前会社の同僚とLINEしていたら(ブックカバーチャレンジに関することにはじまり、広範囲におよぶ)時間が稲妻みたいに、一瞬で過ぎた。

 1時間半、原稿を書く。楽しい! 書いていると目の前と違う時空が現れる。そこに居続けることの喜びったら他ではなかなか見つからない。こういう感覚が好きで、苦い気持ちも乗り切ってきたのだと思う。

 

 Nが起き出してきたので、朝食の準備。テーブルに出したらTSUTAYAにDVDを返却に行く。一緒に行く気満々の家族の様子をよそに、ゆっくりと朝食を食べてもらえばいい、と制し、一人で車にのって出かけた。空は晴れ晴れとして、太陽は熱く、激しく紫外線の雨をフロントガラスに受け、初夏だなーーー!とうれしくなる。

 

 あちらこちらの葉が、光を通過させ、撥ね付け、内包し、みずみずしい美しい色。

 

 帰宅して、自称メシ炊き女はさっそくメシの支度だ。にんにくたっぷりの青菜炒め、タケノコごはん、タコともずくの酢の物。お味噌汁。

 

 原稿を書きかけては、Nが部屋に乱入してくるので、おしゃべりで返すうちに、だらだらとしゃべり過ぎて、遊んで、過ごしてしまう。それでも4時までは粘った。

 夕方。キリのいいところで中断し、車で家族そろってドライブにいく。

 いきなりNが後部座席から身を乗り出して「きょう、ケンタッキーにしない!?」叫ぶ。

 パパさんも賛成。あらら、コレステロールが大丈夫かしらと顔をみたが、意外にもハンドルを持ちながら顔がにやけて、行く気満々。ドライブスルーへ吸い込まれていく。ものすごい大混雑だった。最後尾につき、数百メートルのとこ約30分かかって車で並んだ(本当は早く帰りたい)。

 警察の車が来た。と思ったら、中から警察官が一人出てきて、ケンタッキーの店員を探している模様だ。渋滞の車を待っていられなくて歩いて外に出ていく男2人。さっきまで、交通整理をして、ケンタッキーのプラカードを持っている人がいたはずなのに、どこへ行ってしまったのか。

 あとで、警官の後ろをケンタッキーのバイトのお兄ちゃんが顔を下にむけて、しょんぼりと歩いている。「きっとトイレだったんよ。満が悪いなあのおにいちゃん」とパパさんが隣から言う。

 Nとパパさんは「武庫川の堤防を見ながらケンタッキーを食べたかった」そうだが、もう陽が沈むまで30分もない。

 一番近場の公園を見つけて駐車場を止める。夕方5時50分だ。

 




 

 薄暗い公園の木のベンチに座って、3人横並びで、なぜわたし達はケンタッキーを食べているんだろう……。これもコロナ渦ゆえか。しかし一口囓ると、久々に食べるケンタッキーのジューシィーなこと。ひな鶏のやわらかな身を骨のところで割いて、細いあばら骨のところまでしゃぶりつくして、口も手もべたべた。Nはチキンフィレサンドを食べたあとで、さらに1ピース背中の部位をパパさんからもらって囓っていた。

  5月の月あかりは、薄い藍色の空の遠く高いところにあって、桜色にぼーっと霞んでいる。寂しいような、切ないような、何か問いかける光り方であった。

 黄色い薔薇のアーチをくぐって、青々とした芝の匂いがたちのぼる、あやしげな夜の公園のにおいの中を1周ぐるっと歩き、薄暗い中、花々をみる。家族並び記念撮影。40分前に来た公園をあとにした。

 

 帰宅後。全くおなかがすいていないので、ざるそば(山芋入り)をつくる。だしから手作りし、しょうがを擦って、わさびやネギもたっぷりと。

 

 昨日に引き続いて、facebook7日間ブックカバーチャレンジの原稿を書こうかと席を立ったところで、ライター友達からLINEで相談をうける。えらく込みいった人間関係の話。40分くらい往復のLINEで話しこんだ。

 

 夜中12時10分、10分遅れたが無事きょうの投稿を終えた。

 


 
 

 今回は、海外文学から、リチャード・ブローティガンの「愛のゆくえ」。ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」の2booksを紹介した。後者は連続で2回味わった。ドンファンで優秀な外科医トマーシュと、愛情深い田舎娘のテレザ、情熱家の画家サビナが織りなす究極の人間模様&恋愛小説。

 ラブストーリーなのに哲学的、普遍的な価値や多角的な、人間像を問いかけている。クンデラの観察力、考察力は奥深くて、一章、一章が重く心に響いてくるのです。

 

 


森瑶子さんのこと

2020-06-05 18:37:00 | コロナ禍日記 2020

    5月4日(月曜日)晴

 昨晩。夜10時30分から夜中の2時30分まで、Nが大学時代の友達とズーム飲み会をしていて、「早く寝なさい!」と2度いうも、完全スルー。LINEをしてもスルー。おかげで寝不足のまま目が覚めた。

 6時30分に起床。家のまわりを散歩。新鮮な空気を肺に吸い込み、花々と緑をみて脳に朝を届ける。瞑想を10分。沸かしたての白湯を口にして、机の前に座り、ほーっと。そろそろ原稿を書き始めようかと思った頃に、家人が起き出したので朝食の準備を。コーヒーに黒豆入りの小西のパン(篠山の老舗店)を出す。手抜きだ。

 お昼ごはんは、たぬき庵のうどんにした。鶏と、おあげ、ネギ、みょうがをたっぷり。煮立ったところに、たまごを散らして。

 

 昼食のあと、郵便局に請求書を出しに行って、セブンイレブンでアイスを買った。最近のお気に入りが、ハーゲンダッツの「苺のトリュフ」である。チョコレートのウエハースで挟まれた甘酸っぱい苺。もはやアイスを超えた完璧なデザートだ。



 今日は金のアイス(バニラ味)にしてみよう。

 帰宅後。新原稿にかかる気になれない。昨晩の寝不足を解消するため、昼寝を決め込む。 Nが来てくだらないジョークばかり連発してしまい、結局は眠れず(Nはすぐ寝た)。

 夕方6時に起きて、金のアイスクリームを食べる。バニラビーンズがたっぷり。濃厚で甘くつめたーいクリームソースが、頼もしいほど胃にぐんぐん吸い込まれて、気づいたらアッという間に平らげていた。10秒ほどで。

「金のアイスクリームなかなかやるわ。ちょっと食べてみてほら」(私)

「雪見だいふくの中味だね。まさに」(N)

「……!」(私)

  昨日に続いてFacebookのブックカバーチャレンジの原稿を書く。15分くらいでサラサラっと完成した。冷たく甘い刺激か。森瑶子の「情事」(処女作)を紹介。



 森瑶子は、自分の読書経歴を紐解くうえで、やはり外せない作家だ。

「夏が、終ろうとしていた。見捨てられたような一カ月の休暇を終えて、秋への旅立ちを急いでいる軽井沢を立ち去ろうとしながら、レイ・ブラックベリや、ダールの短編の中に逃げ込んで過ごした、悪夢のような夏の後半の日々を、考えている」

 冒頭の文節から、もう森瑶子でしかない始まりかたです。私がこの本と(この作家と)出会ったのは、高校1年生。当時、父が山陰の夕日がみえる高台で旅館を営んでいて、誰もいない食堂でこの本をおしまいまで一気に読み終わり、鳥肌が立ち、「自分もこんな才能に恵まれて物語を書いてみたい」と衝撃的に思ったのを覚えている。


 「カフェ・オリエンタル」も再読してみよう。本をきっかけにバンコクへ旅をし、チャオプラヤ川のほとりに佇むオリエンタルを訪れた。あの頃、むさぼるように森瑶子の都会的でノスタルジックな大人の世界観に浸ったものだ。

 文のセンスもさることながら、よき妻、よき母、よき主婦であった。

 忙しい執筆の最中にも「家族への惜しみない愛」を忘れなかった森瑤子は、女性としても仕事人としても永遠の憧れだ。「森瑤子の料理手帖」は、料理好きな彼女のレシピがちりばめられていて、缶詰オイルサーディンで作るヨロン丼や、イギリス式朝食、クリスマスのごちそうなど、わが家の食卓にも恐れながら登場する。

 37歳でデビューしてから52歳で没するまでの執筆人生に書いた本は、ナント100冊以上。

 死の床についた森瑶子は、最期ホスピスで療養しながらもペンを離さず、笑顔を浮かべながら『生きていくのも、死んでいくのもどっちも幸せ』とおっしゃったとか。

 当時、森瑶子の死を職場のデスクで(ラジオから)聞いて、大泣きしました。

 

 さて夕食。たけのこごはん、和歌山ぐれの梅香煮、つけあわせは焼きブロッコリーで。牛肉の煮込み、味噌汁、椎茸の佃煮。

 

 映画「サマーフィーリング」を観る。「アマンダと僕」と同じく、フランスの新鋭ミカエル・アース監督が描く愛と再生をテーマにした物語。日常の小さな機微を、リアルに描く作品。好みのシネマでした。

 



 

 

 


初夏の野菜、リュバーブのタルト

2020-06-04 23:15:00 | 今日もいい一日

 

 夏らしいスイーツを食べてみた。その名も「タルト・オ・リュバーブ」。

  「美の壷」日本の避暑地スペシャルの中盤。軽井沢「キャボットコーヴ」というレストランで異国の朝食のひとつとしてリュバーブのジャムを紹介されていて、気になって一度食べてみたくて仕方なかったのだ。

 思わぬところに、それはあった。自宅から歩いて15分ほどのケーキショップに。「島田農園さんの無農薬、化学肥料不使用で育てられているものを取り寄せて、たっぷりと生地に詰め込んである」という。

  手で持って大きな口で。クリーミィーなまろやかさに始まり、サクサクッとしたタルト生地にガーネットのような宝石の赤色。青リンゴやベリーのように爽やかな酸味というが、本当に新鮮で甘酸っぱい。あぁ、これがリュバーブ。

 ある日には、ヌワラエリアの紅茶と。次の日にはコーヒーとも。相性バツグン。心は爽やかな避暑地。

 リュバーブはシベリア南部が原産地でヨーロッパではポピュラーな食材、(野菜、ハーブ)。日本のフキみたいな存在だと調べてわかった。

 

 
 
 


 
(※下の野菜がリュバーブです。購入した近所のケーキショップから拝借)


 

 

 


7日間ブックカバーチャレンジに挑戦

2020-06-03 22:35:16 | コロナ禍日記 2020

5月3日(日曜日

 

 朝7時に起きて、昨晩に投稿した日記を読み直し、その流れでインターネットを見続けてしまう。気がつけば70分も。時間が過ぎてしまったことを悔やみ、焦って、瞑想15分。フルーツと野菜サラダ、コーヒーだけの朝食をとる。最近、パンを心もち控えている。グルテンを摂り過ぎないように気をつけているのだ。

 少し原稿を書く。昨日のところを気に入らなくてほぼ書き直した。

 さらに続けようとしているところに、「週1の篠山の買物に行くには午前中だよ」と家族に即され、シャワーを浴びて準備。

 エンジンのかかるのが遅い自分をまたしても反省し、叱咤しながら、半袖の夏服にしようか、薄い長袖か迷う。それほどの好天だ。先週とはまたひとつ山の景色が違っていた。尾根づたいにのびる新緑、そのボリューム。ご近所の植栽も、日に日に育って豊かになる。

 山間を縫いながら篠山に入っていくのだが、まだ遅咲きの八重桜に、葉がニョキッと伸びはじめたヤマザクラ、杉の森……どんどんひろがって続くまぶしい緑よ。桜の頃から新緑にかけては一年で最もすばらしい時。大好きだ。心に栄養をもらう。

 

 車中では、ユーミン(松任谷由実)の45周年記念アルバムをNが選んでかけている。

 (写真は、Amazonからの画像)



 私も若い頃からユーミン一辺倒とばかりにアルバムをほぼ持っていて、詩が伝える情景描写のうつくしさに聞き惚れた。もちろん、当時の恋模様も重ね合わせながら。

 「シャンソン」を聴いたら、今も、ぞくっとする。良すぎて。流れている風景も時間も、思考自体が、ユーミンの歌の世界から離れない。

  Nやパパさんの話はもとより、さっきまで書いていた原稿のことまですべて忘れて、ユーミンの歌の中にどっぷりといた。思わぬドライブとなった(ヤバい誰か止めて)

 いつかテレビで、ご本人が仰っているのを聞いたことがある。

 「私はこれまで日本の情景の美しさを意識して唄ってきました。そう日本語の美しさが伝わればいいなと思いながら」と。あぁそうだったのか。情景の中に恋心を投影されているのだ、あの甲高いのびやかな声で唄われたら胸がギュッと痛い何かを。

 

 丹波篠山のJAに寄った後、市内に入る。きょうも和菓子の「清明堂」さんの草餅は売り切れだ。その代わり、前の店で焼き栗を買った。小鼓のぶどう酒、今朝堀り立てのタケノコなども買う。

 帰りに、川西阪急さん地階(食料品売り場)でお魚を3種。お造り盛り合わせ。山口県の「ぐれ」など。兵庫県温泉町の「とち泉」柏餅も買った。

 

 夜ごはんは、お造り盛り合わせ。鮎の塩焼き、もづくと明石のタコの酢の物、新キャベツと香菜のサラダ。トマトの酢づけ。外出に疲れ、簡単なものばかりが食卓に並んだ。

 

 昨晩。Facebookにて、ライター友達のかおりさんから「7日間ブックカバーチャレンジ」のバトンを渡してもらい、きょうから7日間、表紙画像をアップしチャレンジすることになった。この機会に、私が最も影響を受けてきた一冊を辿ってみることにする。

 きょう投稿したのはこちら。

 

 

 フランソワーズ・サガンの一冊「愛とおなじくらい孤独」(手前。インタビュー本)。

 フランソワーズ・サガンは、中学2年の頃、当時15冊くらい読んでいたと思う。その前には、「嵐が丘」「ジェーンエア」「リルケ」「ゲーテ」など。

 異国への憧れとともに、恋愛と怠惰、女性としての自立した生き方などを学んだはずだが、多くは忘れてしまった。ただ、このインタビュー本は何度となしに読んだ貴重な本だ。翻訳は朝吹由紀子さん。サガンの小説の翻訳のほとんどを由紀子さんの母、朝吹登水子さんが手がけていて、『私の巴里・パリジェンヌ』『豊かに生きる』など、エッセイを色々書かれている。わたしのヨーロッパ好きはこのあたりから来ているんだろう。そういう流れから登水子さんの孫、作家の朝吹真理子さんの本を手にとるのも愉しい。

 

「#7日間ブックカバーチャレンジ」とは、「読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する」というものです。
  #bookcoverchallenge

 

 


ウイルスがもたらす足跡とは

2020-06-02 15:32:31 | 今日もいい一日
 
 5月の最終週、5月28日(木曜日)。AM11時の関西国際空港。テロにでも遭った直後のように、あらゆる人が抜き取られた空港の「いま」。
 
 緊急事態宣言の解除から、いったい何日したら人が、日常が、旅が戻ってくるのだろう。この廃墟の空間に。
 
 花火業者の有志で作る「Cheer up!花火プロジェクト」。きょう6月1日は、全国で一斉にPM8時から花火を打ち上げ、新型コロナの収束を祈願した、とニュースで報道されていた。
  
 中国・武漢での収束イベントを思い出した。
 新型コロナウイルスは、人類に何らかのメッセージを伝えるために、もたらされたのではないか、と時々考える。いや、そうではなくて。私たちがここから必ず学ばなくてはいけないということか。とても重要な警鐘を……。
 
 人はこれまでチーム(集団)となり、移動することで進化してきた。
 
 の中に巣ごもることは、急ぐのではなく歩みを止めることで。未来ではなく過去にむかってベクトル(思考)を促し、あなたが本当なら何を求めていたのかを、知ることでもないかしら。個を強くし、あるいは弱くもし、新たな進化を生み出していくためにも。