月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

平成最後の一日のこと

2019-04-30 23:17:42 | writer希望を胸に執筆日記


4月30日 (火曜日)(雲のち夜は雨)


この日から、相方の実家の山口に行く気満々で飛び起きたのだが、隣の気配がいやに静か、それでふと首をひねってみると、主人が険しい表情で携帯をじっとみている。なにか事件かと思い、
「なんか怖いニュースでもみているの?」と聞いた。
「、、、、きょうだめになった」
と、相方が独り言のようにいう。


家の事情で、急遽、山口行きがおじゃんになったようだ。

私は黙ってその朝、ホットケーキを焼いた。
相方は、電話を切った後も、言葉少なく、なにか考え事をしているようでもあり、怒っているようでもあった。

少し気の毒に思い、いろいろと相手側の事情を察して話しかけてみるが、うるさそうにするので。仕方ない。
それなら、どこか気晴らしに出掛けてしまいましょうと提案し、こうやって車に乗って出掛けたのだった。

いったん車に乗ってしまえば、旅ごころがそそられて、気分がよかった(私の方は)。
曇り空で少し肌寒い。
しっとり3月のような天気だ。





舞子から淡路島を結ぶ、大きな吊り橋・明石大橋をわたりながら、広々とした瀬戸内海を臨む。鏡面のように、キラキラとして波は表面だけが静寂のように揺れていて、とても穏やか。
スケート選手が、そっと降り立つと、そのままスイーっと滑れそうほどの美しさだった。






ハイウエイオアシスで写真を撮って、
南あわじまで高速道路を横断する。





どこへ向かっているのかは知らされていない。
(相方が淡路で仕事の時にみつけた店そうだ)

期待値ゼロで向かうというのも、欲もなくてお気楽である。


「さぁ、ここかな」

と。到着したのが一面のタマネギ畑。
細い畑のあぜ道のような一本道を、わずか10キロくらいでとろとろと進む。
そうやって、みつけたのが、「かわらや」の看板だ。









「きっとうまいよ」と、自信満々の相方の声。淡路島は瓦の名産地でもあるのだ。
瓦工場の一画を開放し、工房にして、反対側をレストランにしていた。


予約していたテーブルには、炭火が埋め込まれており、瓦一片が裏返しにして置かれていた。そこで、丹波篠山のイノシシと黒豚をかけあわせた「猪豚」の肉を焼いて、野生っぽく味わうというのだ。











しかし。これがなかなか、なのだった。
肉も脂身まで、やさしい甘さで、やわらかく。味も濃くて。瓦の遠赤外線と炭で、じんわり、焼ける。タマネギ、キャベツ、ネギと、トマトなどすべて地産地消の食材のオンパレードで。淡路島の藻塩をちょんと漬けて味わう。

豚肉といえば、焼酎だ。
薩摩黒霧で、すっきり。口の中を清々しく洗いながら、ばくぱくぱくぱくと、たくさん食べた。




この後は、鳴門の渦潮を見に行き、




ホテルニューあわじへ。(日帰り温泉)













平成最後の湯浴みのひととき。
海の彼方は漁り火もなく、真っ暗で、春の雨が、ぽちょんぽちょん、さーさーと落ちていく。

やわらかい湯質を腰から下まで浸けて、ゆっくりと味わった。
何度も出たり入ったり。
雨の音を聞いたり、源泉の赤湯に浸かりにいったりして。温泉の風呂に浸かるとほんわか熱い海のようだといつも思う。ペロッと湯をなめていたら、微かに塩辛い。自然な水流が気持ちよく、透明感があって、小さな波がくるくると体を包み込んでくれる、いいお湯。 

お風呂からあがって、淡路島のソフトクリームをラウンジで食べた。
淡路の牛乳とストロベリーがミックスされたキレイな味。







こんな平成最後の贅沢なひとときを楽しんで、家路についた。








光る新緑に、雨がたっぷりと注がれる

2019-04-29 23:58:16 | writer希望を胸に執筆日記


4月29日(月・祝日)雨



朝から雨が降り続いている。
しとしと、しとしと、しとしと…。新緑に雨がたっぷりと美しく注がれる。
森に、山に、水が注がれる。
この時季の雨は、ぬるく、音を聴くだけで満たされる。



一日中、仕事とごはんづくりをして過ごした。
明日から、山口の実家へ行く予定なので平成最後の、ごはん。

タケノコ、人参、鶏肉、揚げなどをいれた炊き込みごはん、
ニンニクの芽や春きゃべつなどのぴり辛炒め、たけのことワカメの味噌汁、若竹煮、イサギとイカの造りなど。




深夜にキャンドルを焚いてお風呂。本を40分ほど読んで寝る。





ゴールデンウィークの真っ只中。ただ今お仕事中です

2019-04-28 23:33:33 | writer希望を胸に執筆日記


4月28日(日) 晴れ


昨日、娘のNがウィーンの写真をたくさん送ってくれたが心に残っていたのか、朝は起き抜けから「翼の王国」を読む。










昨年10月号「世界で一番美しい絵本を作る、鱈ブックスを訪ねて、南インドチェンナイへ」


今年2月号の「whats kaffee haus?あの角をまがった先で一杯」









どちらも、しまおまほさんの記事。
体言止めの使い方など文体が、他の記事とは違う、少し少女じみて、何もいってないような、とても深く伝えてくれている文。
著者が異国で感じ、見た、そのみずみずしい思いがそのまま素直に書かれている気持ちよい記事なのだった。



簡単なヨガと瞑想をし、終わって仕事に移ろうかと思っていたところへ、主人が寝室から起きてきたので、すぐに食事をこしらえた。

朝はカステラ(福砂屋)とコーヒー、フルーツで軽く済ませて。

そのまま食卓についてもらっていて、釜揚げしらすどんぶりと油揚げの味噌汁、ブロッコリーとにんにくを、ごま油でざっくり炒め、水をちょっと加えて、蒸し煮にしたものなどを出す。


それからは、一日中、仕事をして過ごした。

3時頃に小腹がすいたので、先日のフォーの残りをゆで、チキンスープ、香菜をいれて、間食にしてもらった。

夕方。主人が買物にいったのをみはからって、いつもの道を10分ほど歩く。

夜は、主人がなすとにんにくの芽など野菜がメーンのカレーをこしらえていた。
隠し味に、味噌を入れたらしく、コクがあり、ほのかに甘く、しっかりと辛く、おいしい。


深夜1時までがんばって仕事する。

寝る前に、一冊本をもってお風呂に入る。
気分がよかったので、アロマポット用のろうそくを2本もって入る。

2本のろうそくの灯があれば、本が読めるのだ。

最初は、静かに揺れていた火が、湯気で空気の対流がうまれたのか、ガラスのキャンドルホルダーキャンドルホルダに写り込んでおり、それがふたつに割れ、ゆらゆらと、なまめかしく揺れ始めた。
神秘的。目のはしで、さらさらとゆれている火をとらえながら、「JALの機内誌・スカイワード」から、ペルーの紀行文を読む。
列車で、マチュピチュや、小さな村々を旅していく話だった。



本を読み足らず寝室では、フランソワーズ・サガンの初期の頃の小説を取り出して、第1章だけ読んで寝る。












墨色に濡れたからすにご用心!

2019-04-27 23:13:42 | writer希望を胸に執筆日記


2019年4月27日(土)晴れ、寒い日

ゴールデンウィークだというのに、デロンギのダイナミックヒーターをつけている。
まるで冬休み、年末みたいだと思う。そしてわたしは、年末みたいに休み明けに提出する原稿を進めている。

昨日は、夕方6時半の散歩の折、とても面白いことがあった。
いつものコースを一周して、家々の庭からあふれる白い花や黄色い花々に目を奪われているわたしの前に、くちばしの尖った真っ黒な貴婦人がつんと横をむいて立ちはだかっておられた。羽はたっぷりの墨色に塗り固められて黒光していた。それはたいそう大きいカラスなのだった。


一瞬、たじろいだ。が、どう考えてもわたしのほうが相手より大きい。大股であるくと、パタパタと飛びさってくれるに違いないと思い直し、さつきまでの、のんびりとした闊歩ではなく、腕を45度の姿勢に曲げて前後に(ウォーキングの格好で)ぶんぶんと振って歩くが、大きなカラスはそしらぬ顔。
優雅にわたしの横を、ちょんちょんと歩いておられる。

まるで「ここは自分の歩道よ、あなたこそ、早く行ってちょうだいよ」といわんばかりの、
涼しげな表情なのだった。やっぱり貴婦人だ。

墨色のカラスの羽は本当に大きい。(何度でも言おう)からすとの距離は、わずか数センチというところまで来て。わたしの鼓動はずんずんと高鳴ったのだが、どちらも引き下がることなく、運良く、きれいに、スーッとすれ違えた。

ふわーーっ。緊張感のあるこの瞬間。わたしは、まるで絵本の中の一場面みたいと、ちょっとだけ楽しい気持ちで、この特別なウォーキングを迎え入れていたのだと思う。

そして、やり過ごせたことにほっとして、まっすぐ前をみて、さてどこへむかって歩こうかと思ったその瞬間。自分の左の眼球の端に、なにかがこちらをみているという気配がして、「なに?」とごく自然に隣の庭の植え込みに顔をむけると、なんと!!迫力ある威嚇で、墨をあたまからふりかけたような、さらに大きな太ったからすが。
重々しく枝にとまっていた。

うわーーーーー!ぎゃーーーー!びっくりした。今度は度肝をぬかれた。

不意打ちという、やつは、いとも簡単に相手をこっぱみじんにやっつけられるのであった。ものすごい威力で。
ここはどこだ。わたしは、どこにいるのだ。と恐怖でいっぱいのアタマをフリーズさせながら、そう思った。


それから、気を立て直して、まっすぐ一昨日にみた白い藤が咲く公園にむかって歩く。
白い藤は、あいかわらず真珠色の花弁をたらりとさげて、清らかなにおいを放っていた。良かった。薄暗い光のなかにみると、さらに素敵だ。


帰宅して仕事。いっこうに進まない原稿にあきれて、腹立たしい。せめても、おいしく、タケノコごはんを炊いた。
水から昆布をいれて、湯がぐらぐらしたら、かつおぶしをはらはらと散らす。
そして、タケノコと鶏の胸肉をいれ、だし、みりん、しょうゆ、酒、塩などをいれて5、6分煮る。

その煮汁だけ(たけのこと胸肉は別皿にうつす)と、昆布とかつおのだしでごはんを炊いて、たきあがったところで、たけのこ 胸肉をいれる。蒸らすこと15分で、出来上がり!!


真夜中。
仕事をしていると、娘のNから、ウィーンの写真が次々に届く。宮殿や、ホテルザッハで食べたという「ザッハトルテ」のおいしそうな写真。
ウィーンの町並みを歩く乗務員たちの姿やホテルからみえる公演など、ヨーロッパらしい風景。

深夜。ウィーンの空気感に飲み込まれそうになりながら、依頼されたマーケティング戦略の原稿を書いた。








釜揚げしらす丼とビールで「天使の涙」を鑑賞

2019-04-26 00:19:59 | writer希望を胸に執筆日記

4月26日(金曜日) 晴れ

昼には東京の編集部から音声データが届いたので、午後からはずっとテープおこしをしていた。
ゴールデンウィーク中につくる原稿は5本。音声をおこさないと、原稿にはとりかかれない。

夕方、陽子ちゃんからメールが届く。

1週間ほど前にお願いしていた「釜揚げしらす」が、神奈川から、今しがた到着したという。
すっかり忘れていたので、服を着替えて、車で引き取りにいくことにした。
お返しに、なにか気の利いたものがないかな、と探す。
そうだ昨日、主人が長崎から買ってきてくれた福砂屋のカステラがあった。

さっそくカステラと、北海道展で買い求めていた六花亭のマイセンバターサンドを少しずつ詰め合わせて、車で向かった。

静岡の吉田漁港から届いたばかりの「釜揚げしらす」。
昨年、一昨年と、3年め。見慣れたブルーの包装紙をみた時のうれしさよ。









それにつけても、一昨日にはご近所のFさんより、いただきものがあった。
「うちの雑草みたいなものだから」と比叡山延暦寺の塔頭、坂本の家の裏庭で収穫したたけのこを、お裾分けをいただいたばかりなのだった。
さっそくその日は深めの寸胴と大きめの鍋を2つ用意して、米糠をいれて、1時間ゆがいたのだ。

皮をかぶっているタケノコは、生あたたかなぬくもりを持っている。皮はしなやかな体毛(産毛)で覆われていて、野趣あふれた様相だ。
そのまま米糠のお風呂にいれると、気持ちよさそう。それをチラリチラリと何度ものぞきながら、原稿をつくっていたのだった。

きょうは、これに好物の釜揚げしらすが、加わる。
ありがたい。うれしい。

夜。仕事が一段落したら、かまどさん(土鍋)の炊き立てごはんに、しらすをたっぷりと山盛りのせて、「しらす丼」をつくる。
若竹煮、春のおじゃがとたまねぎの煮物、厚揚げ入りの味噌汁など。


身がやわらかく、ほのかな塩味と甘みがあって、まるごといただける至福。ほんまにうまい!





ささやかな美食に、気分が晴れて、TSUTAYAからレンタルしていたDVDをかけた。
ウォンカーウァイ監督の「天使の涙」。
たしか4回目くらい。いくつかのシーンを忘れていて新鮮な驚きをもって観る。小さなビール缶を冷蔵庫からとりだして、思いっきりのめりこんだ。


香港の夜の電光看板が重なる中、麻雀屋、地下街の道やネオン街のバーなど不健全きわまりないこの街らしい光景を、(3年前に訪れた香港を重ねて)なつかしく思い出しながら、観る。
女の孤独も、男の孤独も、身にしみるようにこたえる。人は誰しも不完全で、完全だ。

人が恋し、愛するのは一種、病気みたいなもので、切なくて、あたたかくて、そして抱きしめたくなるほど。愛おしい。
胸をあつくして、再鑑賞を終えた。
タイトルと映像が見事に合致している。「恋する惑星」に続く、このシリーズは最高傑作だ。
シーンが脳裏から離れない。


お風呂にはいって2時に就寝。
残業帰りの主人をのせたタクシーが家の前でキューンと止まった。


藤棚の下で

2019-04-25 23:48:34 | writer希望を胸に執筆日記


2019年 4月25日(木曜日)晴れ


夕方6時半。家のまわり、いつものコースを1週歩き、そのまま帰ってしまうのが惜しくて、
もうひとまわり大きな円を描きながらぐるんと歩く。

この時季の散歩は朝も夜もたのしい。

昨日は気づかなかったハナミズキや菜の花、白やピンクのサツキなど、次々に美しく開いていく。

娘が小学校へ上がる時によく遊んだ公園付近に、なにか、ほの白いものが見えたので行ってみると、滑り台や砂場があるところに藤棚があって(私の身長よりはるか上)、小さな花房が宙にむかって垂れ下がりながら白の藤を咲かせていた。
夕刻で日が落ちかける薄暗い光の中に輝く白の藤は、光の花束みたいにみえた。

私は右に左に歩いて、さらに遠くに近くと移動して、その美しさにほーっと見惚れていた。
柔らかな花の蜜が漂っているのもわかった。
ウエディングドレスやベールの上にあしらう、華麗なフラワーみたいに美しい。
(白の花々が好きで、自分のウエディングの時も白い花だけで作ってもらった)



夜は、ベトナムで食べたフォーを忽然と食べたくなって自家製フォーをつくる。
鶏の手羽先、ネギ、ショウガを皮ごといれてコトコトとひらすら2時間煮込み、(鶏スープをつくる)そこにフォーを入れ、香菜、小松菜、ネギ、三つ葉など緑の葉をたくさん入れた。
ツルンと透明な麺と合い、さっぱりとしておいしい。