月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

六甲サイレンスリゾートでBBQ

2020-12-26 00:42:00 | 兵庫・神戸ごはん

 

  ある夏 8月23日(水曜日)晴

 

 神戸・六甲山のホテルといえば、「六甲山ホテル」だった。

 

 





  

 1929年宝塚ホテルの分館として開業。同じ古塚正治氏の設計で、阪神間モダニズムの薫りを色濃く映すクラシックホテル。控えめなアールデコ洋式に木を生かした風合いがなんともいえず、ロビーからレストランに行く道中には歩くたびにゴンゴンと靴底にやわらかな木の音がした。

 こぢんまりとした設計。山と山の間、いわゆる緑の谷間からは大阪湾から神戸までの夜の眺望が、まるで海のように臨めたのを覚えている。初夏にはアジサイも群になって咲いていた。


 兵庫・伊丹市在住の作家、田辺聖子さんはさまざまな作品の中で、何度でもここ六甲山ホテル(ある時には「あじさいホテル」と改名していた)を舞台装着に登場させていて、こちら読み手もそのたびに溜息をついてシーンを読んだ思い出がある。

 

 六甲山ホテルは、老朽化を理由に、2017年に惜しまれて閉鎖。2019年7月に「六甲サイレンスリゾート」として再生を遂げた。が、すでに阪急阪神グループの手を離れたと聞いている。

 

 さて訪れたのは、夕方6時だ。

 初めての訪問とあって胸が高鳴る。車で駐車場に乗り入れて、裏口から入った。面影は確かにあるが、お洒落なカフェやアートギャラリー、展望レストランとして新しい役目を与えられ、わたしたちにとっては、あぁ、あの六甲山ホテルはもう失われてしまったのだという事実を突きつけられたようでもあった。

 



 





 

 この日は、向かいのダイニンググリルでバーベキューを予約していた。

 

 薄水色の空。湖を下にみてぽっかりと浮いているような錯覚もある。

 つくつくぽうしが鳴いていて、神戸らしくジャズが流れていた。

 

 前菜には、とうもろこしの茶碗蒸し、ローストビーフ、いかとほたてのマリネの3種。Nはガーリックシュリンプのピラフを追加オーダー。わたしは赤ワインを飲む。Nはジンジャエール、パパさんは、ウーロン茶。

 









 

 黒毛和牛の赤身肉と神戸牛、ウインナー、野菜を自分たちの手で焼いていく。

 

 5時半から6時、7時、8時と。時間の移ろいのなかで眼前の景色が少しづつ変わる。

 つくつくぼうしから、ひぐらしに。軽快なジャズも、スローバラードに。うつろうのが素敵だ。

 ブルーモーメントの時刻は特に最高。

 ブルーパープルの海に、真珠やサファイア、ガーネット、ダイヤモンドなどがぼんやりとうつる夕景。それが、ものすごく近いのだ。

 香港のビクトリアピークでみた夜景を思い出したが、もっともっと、手が届きそうに迫る。刹那の情景。黒い山合いから臨むシチュエーションも、日本的でいいのかもしれない。

 



 わたしとNが眼前の景色に見惚れながらワインを飲み、野生的に甘い肉をがっつり食べていると、それを写生してくれていた。宮崎駿のような白い髪で。

   

 お料理は、一般的だが赤身肉をオーダーしたので噛み応えもあり、まあ満足した。

 

 9時。黒い空と黒い海に、オレンジや赤、白、黄……! 光のしずくは、人々の集うぬくもり。心のかよい合う美しさだと思いながら、いつまでも夜景をみていた。





 

2020年夏旅(5) 朝食後には山荘無量塔のロールケーキを食べに

2020-12-20 09:54:00 | どこかへ行きたい(日本)


 亀の井別荘のもうひとつの楽しみは、朝食である。

ひと風呂あびてから、1階レストラン「螢火園」へ。
















 昨日と同じ席を用意してくれていた。ガラス越しにみた朝の庭も清々しい。

 Nは洋食。わたしは和食をオーダー。おいしかったのは、たっぷり盛られた野菜サラダ。みずみずしい葉の厚み、苦み。ブロッコリーもおくらも、つるむささきのおひたしも、蒸し加減絶妙で、もりもり食べられる。まぐろのお刺身、お漬物なとなど昨日に続いてお腹いっぱい頂いた。Nのオムレツもふわふわで丁寧に焼き上げられており、よかった。

 

 昨日の談話室へ立ち寄って、本のチェック(昨日読んだ本をメモにとる)をし、おみやげものを探しに「鍵屋」に立ち寄る。宿特製の肉のしぐれ煮、柚子胡椒などを買う。

 

 昼1時のバスの時間まで、3時間ある。ということで、山側の由布院温泉山荘「無量塔(むらた)のTan,s Bar へ。タクシーを飛ばす。

 

 林道の途中にある、古民家を再生移築した山荘だ。ここは、建築のもつチカラに圧倒された。












静寧で、強い誇りを秘めた山荘。「再創造」というテーマで、人にエネルギーをあたえる山荘の空間を色濃く醸し出す。

 

 Tan,s Barは、梁の太いロビーの2階をあがってすぐ。

 暖炉と、蓄音機!窓外の緑の庭。重厚感のある調度品と家具。しつらいに気品があり、往年の歌い手でもくつろいでいそうな雰囲気。圧倒的な迫力とくつろぎ感。野生味。けれど都会的でもあり、東北か関東にある別荘というイメージをもった。

 

 ここ自慢のロールケーキ(しっとりとして食べ応えのある秀逸の生クリーム)とお茶でゆっくりと最後の由布院の空気を楽しんだ。無量塔のセレクトショップで、記念にコーヒー茶碗を1客買う。

 

 帰りのタクシーで運転手が私たちに向かって話す。

「7月の豪雨では大被害でした。いまも大分空港からのバスは道が閉鎖されているので不通です。おまけに福岡からの観光鉄道も不通なの。観光客だけじゃないよ。中学や高校の子どもらは、タクシーで学校を行き帰りするしかないの。うちらの商売は忙しくていいんだけど。大分としちゃあ、大変なのね」

  地方に旅するって、良いなぁ。海外では感じられない人情みを覚える会話の中に。

 夏旅は、一年中でいちばんダイナミック。太陽が強く明るく、清澄に満ちている。陰も濃い。

 夏の思い出が、何年も忘れられないという理由が少しわかった気がした。

 

 

 

 

 

 

 


2020年 夏旅 (由布院の朝散歩)(4)

2020-12-19 00:41:00 | どこかへ行きたい(日本)

 

(4)

 

ここは宿というより別荘であった。

 

5時に起きて、部屋の朝風呂。旅先には、「悲しき酒場の唄」カーソン・マッカラーズの本を持参。風呂のなかで1ページから読み始める。これでは家と同じだと、ひとり苦笑、すぐ着替えて朝の散歩へ出かける(Nは寝ている)。

 


 茅葺きの門を出ると、庭を竹箒で掃いている作務衣を着た若い男性と出くわす。亀の井別荘の人だ。「この木は樹齢何年ですか」と部屋から見えるイチョウが気になってつい聞いてしまった。

120年です。こちらの二股に分かれているのは杉。夫婦杉いいます。それでこちらの杉はほら、折れてしまいましたが、かなり樹齢が古いです。神社にありそうな木々が多いでしょう? 昔ここら天祖神社の境内でした」と教えてくれた。それで! わたしは昨晩の蓄音器演奏会といい、食事の時といい、紗に包まれるような安らぎがあったのか、と思い出していた。


由布院はほんの数十年前まで田んぼだらけの片田舎に過ぎなかった。繁盛しているのは別府温泉ばかり。それで滞在型保養地に改革したらどうだろうと考えたキーパーソンが、亀の井別荘の中谷健太朗(会長)ということらしい。

 

宿の名前の由来は?と問うと、「別府温泉の夏の別荘として由布院がスタートしたので、亀の井別荘にしたそうです」という答えだった。

 

 

裏手の湖まで散歩に出る。由布岳の麓とちょうど反対側になる金鱗湖から水が湧いてぽこぽこと泡を吹き出している場所があった。鯉が口をあけて湖の水面際までうきあがってきて餌を探している。

朝ごはんの時間だね。山の正面から少し左手側の街道から、まっすぐ上に視線をあげると白い煙がたなびき、空におびをひろげている。

 

 


 






湖を超えて、街道沿いまで歩こうとすると、昨日にはいなかった、アヒルが湖の渕にある小屋から出て、湖のほうを眺めていた。ぴくりとも動かない。アヒルさん、湖に面した狭い草原の道(約60センチ)でのんびり散歩か。ああ、人間さまは立ち往生だ。

 

私の前を歩いていた5歳くらいの息子と母が「あひるさん、後ろを通りますね〜」とやさしく声かけしたら、聞こえたのか、ちょっと前に出て道を譲り、またジーとしていた。私も、なるほど! と息子と母と同じように、「後ろを通りますね、はい、ごめんなさい」といい、あひるの後ろ側の道を歩かせていただく。あひるは池と由布岳の自然、散策中の観光客たちと共生していた。


美しい光景。神さまがそばにいらっしゃるみたい。清い秩序のなかで、自然も人も、守られていた。

 

ここらのセミは、兵庫のうちの近くに生息するセミのように大げさに泣いたりはしない。静かに、透明な声で、夏の終わりを告げていた。

由布岳と金鱗湖の和音(調和)をたのしみ、喜んでいるように。同じセミに生まれても、どこの土地に生まれて育ち、どこの木に止まって鳴くかは、セミも一生にとって大きく違うのかもしれない。環境は大切だ、と思う。

 

宿に戻り、また話す。「アヒルがいました。湖を見ていました」「ええ、毎朝います。ここらでは有名なアヒルです」。アヒルを地元の人が見守っているのだ。


部屋に戻り、ふたたび湯に浸かった。

 

 



 

 

 


2020年夏旅(3) 亀の井別荘 7人だけの演奏会

2020-12-18 00:19:00 | どこかへ行きたい(日本)

(3)

 

 




 

約2時間の食事を終えて、すっかりいい気分だ。9時。いよいよ楽しみの時間がやってきた。

 

談話室へ行くには、ロビーをぬけて外に通じるドアをあけ、夏の夜の庭へ出る。ここからは、離れの棟だ。アジアンリゾートのヴィラのように、庭の中に離れが9室、障子から灯りが漏れている。

 

「外廊下には、角、角にゾウの置物を置いていますので、こちらのまっすぐの道を辿っていくと談話室。左手にいかれて、ゾウの置物を辿っていかれますと浴場でございます」と教わったとおりに、レンガのゾウを4体ほど辿っていくと、レンガ造りの建物が現れる。

扉を外にひくと、2階建ての本のギャラリー(談話室)なのだ。 








 

目をひくのは、昭和10年製の「蓄音機(キング)。

そして、背の高いハシゴ付きの書庫。レパートリーが圧巻である。新刊など一冊たりともない。ヨーロッパやアメリカ、日本の往年の作家たちの初版がズラリとある。まるで作家の書斎のように。珈琲・紅茶は自由にいただけるようになっていた。 

そう、ここは大人の談話室なのだ。


「お好きな曲をリクエストなさってください」人のよさそうなホテルの方がニコニコ笑っていう。

流れていたのは、リストのラ・カンパネラ。続いてショパンのボロネーズ変ホ短調OP26−2
 


電気式にはない、くぐもった強い音質。これが蓄音器の音。遠い過去からふってくるような語りかける音色だ。デジタルの金属音にはない、やわらかい繊細さがあった。1曲終われば、1曲を裏返して聴くSP盤。また1曲終われば、新しいレコード針のビニールを破って、新針をわざわざ取り出してかけてくれた。

 

私はまず、ドビッシーのアラベスク第1番、第2番をリクエストした。
うちで聞くCDとは別格の、歌いあげるような昭和なドビッシーが流れていた。
 
次は、レストランで会った眼鏡をかけた男女のご夫婦が、ヘンデルの「ラルゴ」をリクエスト。う、うんという咳払い。

 

浴衣姿の客人をよく見ると、レストランでお見かけした二組。赤い眼鏡をかけた教師風の女性は40歳半ばくらいだろう。ご主人も眼鏡をかけ地方教授のよう、同じ空気を纏って、浴衣の裾から出た下駄の脚でリズムをとっていらした。もう一人は、中央の応接椅子に堂々とした貫禄で座る中年紳士。レストランでは赤ワインをボトルで注文されていて、おとなしそうな妻をリードする健啖家だろう、と想像を膨らませて遠くからみた。

 

音があれだけ響いているのに、静けさがあった。本物の古典(クラシック)を聴いている。

 

プッチーニの「ある晴れた日に」「浄く死せよ」(蝶々夫人)をリクエストしたら、窓ガラスが割れそうな甲高いソプラノ、迫力がすごい。

バッハの無伴奏チェロ 組曲 第3番ハ長調。クライスラーの「ウィーン奇相曲」と続く。くぐもった強い音。遠い過去から降ってくる旋律だ。


「最後の曲です」との呼びかけに宿の主人の推薦曲を、と私と娘はリクエストした。

長いタメのあと、レコード針を今度は〝竹針〟に替えて、バッハの「無演奏チェロ組曲、第3番ハ長調」が溢れ出した。またひとつ音の原風景に近づく。

余韻が談話室に波となって響きわたり、ふるさとにかえってきたような安らぎが私の中に陰翳を刻んでいく。忘れ得ない時間。


本と音楽だけに包まれた時間だった。
高い三角屋根の天井の窓ガラスには由布岳がのぞいている。


このあと、まっすぐ部屋には行かないで、お風呂に。浸かった由布院の湯もやさしい。外と内が区分だれていないので、セミが風呂場に迷い込んできてジージーといいながら湯の近くで、水を飲みに来たのだろか。いつまでも浸かっていられる軽い泉質。


11時半に部屋に戻り、そのまま日記も書かずに白いリネンにくるまって休んだ。







 


2020年夏旅 由布院 亀の井別荘に(2)

2020-12-17 00:40:26 | どこかへ行きたい(日本)

 

 (2)

 

15時になったので宿にチェックインする。

冷房が効いて、湖の深いところにいるように静かなロビー。宿帳を記載し、美しい寒天菓子と煎茶をいただく。鼈甲玉(べっこうぎょく)というこの宿のオリジナルなお菓子。透明が柚子、黒いのが黒糖だ。

 

 


 

ご主人が挨拶にきてくれた。若く、威張らない腰の低い方。な、なんて丁寧な。部屋は本館の2階で、ベッドのある部屋には机と、座卓がある。小さな畳の間も。洋室だが木のしつらいで、和める。洗面所をあければ、すぐ湯量の豊富な源泉掛け流しの檜のお風呂で、由布院岳からの透明な湯が蛇口から、どうどうとあふれている。

風呂場からも部屋からも、いちょうの木がすぐそこまで来ていた。

 




私とNは金鱗湖のまわりを散歩することに。

亀の井別荘の、天井桟敷と鍵屋(みやげもの屋)が入る「亀の井ガーデン」、お蕎麦を食べた「湯の岳庵」のすぐ裏手に。

 

由布岳は、なだらかでおっとりしている、杉が多い。金鱗湖に陰翳を写し、青々とした水彩のように平か。

湖にはオレンジや黒の鯉がたくさんいて、グレーの稚魚が口をぱくぱくさせて餌を欲しがっていた。ティラピア(外来種)もいる。




天祖神社へ参拝した。夕方のせいか、陰が深く、神さまがおわします暗く荘厳な雰囲気。わたしとNは手をあわせ、無事、由布院についたお礼と、2020年の抱負を述べた。

 

それから十勝そば湯川、ぬるかわ温泉など、田舎風情の景色を歩き、亀の井別荘まで。時間にして約40分。浴衣に着替えて、丹前を羽織り、楽しみにしていた談話室をちらり除いて、珈琲で一服……と。

 

扉を引くと、ハシゴ付きの壁一面の書庫だ。想像以上、往年の作家たちの初版がずらり。

一冊の本(円地文子 旅の小説集)を手にとり、ここにすごく籠りたい気持ちを抑えて、後ろ髪ひかれながらお風呂へ。

 


 

泉質は、やわらかく、湯あたりしそうにない。由布岳からの山水をそのまま沸かしたような清純な湯。しかも、庭園の真ん中にぽかんと鎮座し、半円になった透明ガラスからも亀の井別荘の青々とした芝の庭が望め、これまたよかった。

 

風呂上がり、浴衣を着て、Nと1階のレストラン「螢火園」へ下りる。

客人は最初、私たちだけだったが途中で金婚式のご夫婦、40代くらいのご夫婦(旦那様がワインがお好き)、福岡からバスで来た眼鏡の素朴な奥様とインテリ風の旦那様の4組が15分刻みで揃う。白いテーブルクロスの席はソーシャルディスタンスもしっかり!窓からは、美しい松の庭がみえ、ブルーライトの灯りが海のように映っている。

 

この日は辛口の日本酒を1合、お願いする。

「葉月の献立」だ。

・車海老 春巻 花オクラの天ぷら

・豆とアスパラ、白和え

・地元フルーツトマトをつかったジュレ掛け

・季節の造り(イカと鯛)

・甘鯛 清汁仕立て





・若鮎 酒塩焼き





・万願寺と茄子 鼈甲餡かけ

・おおいた和牛 炭火焼き

・かきあげそば

・ご飯 おとも香の物(ゴーヤの漬物がおいしい)






・かぼすのゼリーなど デザート (お茶)

 

 

「風の畑から供する」。これが宿の食テーマという。奇をてらわない素材本位の味つけ。炭火で焼いたおおいた和牛(ぶんご牛肉の4等級以上を使うとか)は歯をたてれば柔肌のように崩れおち、肉質は濃く、乳の匂いが微かにした。特に天ぷらと、万願寺と茄子 鼈甲餡かけのお出汁のひき方が、ホッとしてよかった。シンプル、がいいのだ。

 夜は「BAR山猫」で夏のカクテルでも、と考えていたが、冷酒がおいしかったので、もう酒はよい。満足してしまっていた。ひたすらに21時からの談話室が楽しみである。

 




 

 


2020年の夏旅 大分・由布院 (備忘録) <1>

2020-12-15 22:56:49 | どこかへ行きたい(日本)

 

 

 

(1)

朝5時45分起床。シャワーを浴び、昨晩寝る前に準備をしていた旅の持ち物をもう一度みて、6時30分に家を出た。

Nは足が速い。家から坂道の半分くらいまで走り続けても平気。わたしも昨日は11時に寝たので、息を切らし、必死でNの背中について走る。

 

 



 

AM8時に空へ。ウィーン以来8カ月半ぶりの飛行だ。ANAの新機種エアバスA321(伊丹—福岡)。

4月5月の頃と比べれば、ビジネスマンや旅行客が少し戻ってきた感じ。機内ではjoiのムーン・ヒーリングをノイズキャンセリングで聴きながら本を読んでいた。

 

 

「到着まで15分」という機内アナウンスで、本のページから目を離し、窓外をみる。深青の海がひろがっていた。光が絹の上に注がれて、美しいしじまを映している。同じ調子の、同じリズム。同じ波の立ち方。穏やかに悠々と限りなく広がっている。

 

——9時10分。福岡空港に到着。

空港内で、Nにおいしいものをたくさん教わる。例えば、天然酵母のクロワッサン専門店「三日月のクロワッサン」「伊都きんぐのあまおう苺入りどらやき」など。Nは、きなこのクロワッサンを、私は、よもぎを購入。伊都きんぐのあまおう苺入りどらやきも2個。

 




 

国際線ターミナルまでバスで移動し、湯布院行きの高速バスを待つ。

勿論、海外の飛行機は飛んでいないので、空港内は閉鎖した状態だ。バス停にマスク姿のおじさんがふたりで暇そうに立っていた。

N「ターミナルは閉鎖して入れないのですが、どこでバスの切符を買ったらよいですか」

日焼けしたおじさん「私がバスの運転手にかけあって中でチケットを購入できるように交渉をしましょう。4枚綴りを購入したら、30%安くなりますよ」。ありがとう!

 

 

——10時37分。ゆふいん号「亀の井バス」に乗車し、約1時間30分、高速道路をひた走る。乗っているのはわたしとNのふたり、運転手のみ。車窓の横には夏の濃い緑の山と蛍光色の田、時々は民家がみえる。

 

——12時17分。由布院駅前に到着。

気温はぐんぐん上がり36度はとっくに超している。

黒い駅舎には人も電車も抜きとられ、絵のように閑散としていた。7月の豪雨災害で鉄橋や山間部が崩れ、「日田(日田市)-向之原間(由布市)の交通網は遮断されている」とウインドウに小鹿田焼を並べた器屋の男店主がぼやいている。

 



 

 


じりじりと燃えるような暑さの中、町を歩く。湯の坪街道へ。

あまりに暑いので、5分おきに店の中をのぞく。

「telato」 (テ・ラート)という名の看板が目にはいる。抹茶ジェラートの専門店で地元で麻生茶舗がプロデュースしている店という。

 

わたしは抹茶ジェラート5倍。Nは、八女茶のジェラート。ともに500円。茶葉は福岡県の星野村産。アイスが並んだ什器をみながら、店先で食べる。生乳は、阿蘇ジャージィー乳とあり、かなり濃厚、抹茶が口の中にねっとりとつく。後味はすっきり。この暑さにしては本格派すぎるが、おいしく最後までいただいた。

 

このあと、由布見通りから湯の坪街道を炎天下、麻の紺色の帽子をかぶって歩く。草庵秋桜四季工房(ピクルス専門店)、ミッフィー森のキッチン、酒屋、どんぐりの森、陶磁器ショップなどをひやかし、湯布院フローラルビレッジまで。ガーゼのマスクをして歩く(途中3回の休憩)。とにかく暑いのだ。

 

眼前には女性的なやわらかさをおびた由布岳、標高1584メートル。空は青々とし、入道雲が浮いたまま動かない。江戸時代の番屋(詰所)を思わせる雰囲気か。焼けた墨色の木をつかった木造の店が多く、店の軒先や道々に野草がのび放題になっているのが情緒をもたらすのだろう。

 

 

いよいよ、湯の坪街道を逸れて、大分川へ。川のせせらぎと緑があいまって、しばし涼を感じる。最初に飛び込んできたのが「玉の湯」、蛍観橋をわたる。金鱗湖の標識をいくと、「旅館田乃倉」、そして一番奥が「亀の井別荘」。きょうの宿だ。

 

 

 



 

茅葺き門をくぐれば、樹齢百年を超える銀杏の木、松、杉などがそびえる。敷地内は禅寺のような厳かで素朴な雰囲気だ。チェックイン前に荷物を預けて、お昼は敷地内の「湯の岳庵」を予約してもらった。

 

 



 
 


 

 

「湯の岳庵」。コロナ禍の中、客人はわたしたちだけ。

太く黒い梁がキリッとした印象を添える民家風の食事処。座敷と椅子席がある。あふれんばかりの緑に囲まれたシンとして温かみのある空間。テーブルにも椅子にも緑の蔭が映り込む。この大正ガラスのゆるい雰囲気、素晴らしかった。

蕎麦御膳(おろしそば、Nは地鶏そば)をいただいた。喉が乾いているので、ジンジャーシロップ炭酸割りも。

細麺で、するするっと、のどごしよい食べやすい蕎麦の味。なめこと大根おろしを混ぜていただく。添えられた、鱒の造りと、しぐれ煮、お漬物までもおいしい。これは夕食も期待できそう。

 

 

 

 



 
  

 

 


打ち合わせにつぐ打ち合わせ 熱さは永遠か

2020-12-14 00:11:00 | コロナ禍日記 2020

 

 

 


 

 

8月31日(月曜日)晴れ(後追い日記)

 

 

朝7時に起きて、すぐお風呂に入って半身浴。あがってピオーネとシリカウォーター(eedun)を飲む。ごくごくと飲めるとろんと甘さが感じられるニュージーランド産だ。

 

 

ヨガと瞑想、1時まで書きかけの長編のようなものを少し進めた。お昼は、キャベツとツルムラサキ、ピーマンなどの野菜炒め。もずく。

 

午後。デザイナー女子と電話で打ち合わせ、なんども往復。

「入稿までのスケジュールがメールで入っている。おおまかな特集の構成案をちょうだい」

提案したものを差し出すと「それおかしいちゃうん?」。一発の言葉で動揺させ、自身の考える構成を彼女は話し出した。原稿はほぼ完成間近な状態だった。わたしも負けじとこちらのアイデアも汗を書きながら説明しはじめるも、途中でデザイナー女子に緊急の連絡がはいって「ごめん。また電話する」と切られた。

 

構成案、ページネーション案、序章ページを先に各メンバーに送信した。lineで、話している途中で、「そんなのおかしいやん!は動揺する。最初に伝えたいイメージがあるなら、制作に入る前の段階(先週末)に伝えてほしい。その上でよいアイデアなら、もちろん訂正はするから」という趣旨のことを返した。

それから、1時間半の打ち合わせを2回。

取り急ぎ、彼女は謝ってくれた。

 

4時に特集1の原稿を提出。そのあと、再び電話。夕方から特集2の原稿を書く。休憩にイカリスーパーのチョコレートボールアイスを口に放り込み、書く。ルイボスティーを飲む。一人だと延々と仕事をしてしまう。

 

11時から30分、ブログをざっと見直してアップ。(久しぶりの投稿)。お風呂で本をよむ。

 

 

 夕食には、牛肉とキャベツ、ピーマン、宮古島の固豆腐でチャンプルー。にんじんのスープ。お造り2種盛り合わせ。

 寝室で、いつものように、よかったこと。反省すべきこと、明日の抱負を書く。

 エミリーディキンソンの詩集を寝室に持って入り1時には就寝。

 

 

 

 


ある夏の日の日記(ごくありふれた一日)

2020-12-11 20:02:00 | コロナ禍日記 2020







ある日。8月17日(月曜日)

 

昨晩、夕食にワインを1杯飲んだ、たったそれだけで夜に(夕食後)仕事をする気になれず、日記も書けず、11時半には寝てしまった。

 

6時半起床。ヨガと瞑想をして、すぐ今日提出の原稿の最終チェックと、推敲をする。2本。あれほど、やる気がなく、考えることも嫌で、自分のエネルギーを吸い取られると思うような案件であったのに、昨日あたりから資料やテープおこしをみなくても、内容が頭にはいっていて(良いか悪いかは別にして)この原稿で必要なものと、削る言葉、不適切な表現などが自然とわかる。

 

11時台に寝るのと、12時台以降に寝るのとでは、翌日の頭の働き方が違う。

この頃の気づきとして、睡眠が6時間半の時は小さなことでも悲観したりとマイナス思考に陥りがち。それがよく眠れた日にはちょっとやそっとでは揺るがないくらいどっしりとしていられる。

「多忙の折こそ、睡眠が大事」。

 

ふたたび、瞑想をして、シャワーをあびて、と。時間をあけて、あたらしい目で読み返し、12時半に、2本提出。

 

先方へのメールに「トランスフォーメーション、オンデマンドサービスなほかITビジネスの最新事例を紹介する理数原稿は、実は苦手。うまく書けたことがありません」、という趣旨の内容を完成原稿に添付して送ろうとしたが、やはりやめた。東京の雑誌社でそれも編集長からの指名依頼なので、苦手というのは読めばわかるだろうし、それなりに意図があって出してこられたのだろう。と思うことにする。

 

この盆明けは3本の依頼があったのだが、盆休み中はパパさんも1週間近く休暇で、墓参りもしたかったので、ほかはお断りさせていただいた。

 

午後から、本を読み、昼寝1時間。5時から別の原稿を少し書いた。7時にはいつものように散歩。白いささゆりが開いてうつくしい。ゆり子という名前をつけるだけで、清楚でひかえめで美しい人になるのでは。などと思いながら歩いていた。自分がゆりこなら、あの子がゆり子なら、どういう人生を歩んだのか。すみれなら、菊子なら、椿ならと花の名前を頭にうかべながら、散歩をした。

 

21時30分。Nが東京から帰省。コンビニエンスストアまで歩いてお迎えに。東京在住だし、海外へも仕事で行っていたのでコロナ感染が気になり、いまひとつ話すのに緊張する。けれど、30分もすると打ち解けて、わたしのほうから饒舌に、ぺらぺらと近況報告。

 

夕ご飯。Nは済ませたというので、わたしだけ簡単にとる。稲庭そうめんと、ピーマンとちくわのたまごとじ、香物。デザートはメロン。

 

12時に就寝。きょうのところはNと一緒に寝るのはやめておく。Nの部屋はクーラーがない。大丈夫なのかなと思っていたら、途中にバンと激しくドアが開く音がして、お水を飲みに起きたのだろうかと思えば、赤ちゃん用アイスノンをタオルに包んで枕の下に敷いて寝るとのこと。Nは風邪で熱がある時に枕の下に敷いて寝かせてもらったことを思い出したのだという。扇風機は音がうるさいので使わないと言っていた。

 

わたしは扇風機もクーラーも苦手なので使わない。

 

 


お盆も原稿を書く二〇二〇年

2020-12-06 00:14:00 | コロナ禍日記 2020

 

 

 

8月14日(金曜日)晴

 

午前中は執筆。この間から新しい章をかきはじめている。

午後3時から、難解な専門誌の記事を書く。まず理解するのが先決。誰になにを伝えるのか、なにをよみたいのかを考えて整理して、書き進める必要がある。

 

一番のターゲットは、スタートアップで事業を起こしてやろうと野心をもつ男性である。日経ビジネスよりもさらに具体的で、自分を鼓舞するための確かで具体的な情報をほしがっている。じぶんの情熱を注ぎこむための。

 

彼らはなにが知りたいのか。ケーススタディーがどこまでヒントになるのだろう。誰がなにをなし遂げたのか。どうやってその発想を手にいれたのか。ストーリーは二の次。具体的な事実が知りたい。そう頭の芯に叩き込む。

 

 

12時まで原稿と悪戦苦闘して1時に就寝。

 

この日の御昼ご飯は、カレーライスとサラダ

夜は、はたはたの一夜干、かぼちゃの煮付け、トマトサラダ。キムチスープ

 

 

 

 


ある日 お盆休みのいちにち

2020-12-05 00:14:00 | コロナ禍日記 2020

 

 

8月13日(木曜日)

朝7時。ヨガ、瞑想のあとで、1時間だけ執筆。

 

シャワーをあびて車に乗り込み、パパさんの運転で実家のお墓参りへいく。

途中、お墓に供える花を買うために篠山の味土館へ立ち寄った。大勢の人でごった返すなか、おくらやかぼちゃなどの野菜、桃1箱(8個入)、小菊(白と黄色、小豆色)、ケイトウなどの花を買う。

 

 

お墓についたのは、11時をまわっていて、太陽が背中をじりじりと焼き付ける暑さ。見上げると空は、秋の海のように高いところから見守ってくれる表情をしていた。雲も。強い日差しに照らされて、普段の3倍ほどに厚みがあった。

 

墓地からの眺めは最高である。国道には車の往来があり、小学校の校庭であそんでいる子供たちが、野球をしていたり、並んで話を聞いていたり、遊具で遊ぶ子供たちなど、ちゃんとみえる。妙見山の山々が扇のように四方を囲んでいた。

 

石碑を水で流して、たっぷりの水をもらい、花立てに花を分け入れて、線香をたむける。石を磨いたら、もうすることはない。手を合わせて簡単に報告をし、ありがとうと感謝を言う。

 

母の家に立ち寄ったら、コロナでパーマをかけてないからといって、髪を後ろで縛っていて、いつもより老けてみえた。背中がまるく小さい。腰がまがったのかな。やはりどこか自分と似ていると思った。マスクをして短い間、話しただけだが、変わらない母の存在があってよかった。ことしで88歳。

 

 

3時に家を訪れて5時には家を出る。短か! だが気持ちは爽やか。

7時にはかえって、雑誌の提出記事を書く予定だったが、母に会えたことで、夏休みっぽい気持ちになってしまい、駅前に車を預けて、三田のイタリアンレストランへ。

 

「ACCADI 」(アッカディ)だ。はじめて訪れたのに、まあ当たりだった。

ハイチェアから、ワインを頂く(カウンター席)。シェフの手の動きをみながら、メニューをえらぶ。モッツァレラとトマトのカプレーゼ。自家製オイルサーディンをつまみにロゼのスパークリングワインを飲む。












こういったちょこちょこっとした、おいしい前菜でワインを飲むひとときが実は一番好きかもしれない。

海の幸のトマトソース、こちらにはボルドーの赤ワインをあわせる。

オーガニックなので、舌の上で少し遊ばせて喉から胃に流し込んでも、いやな薬っぽさが両端の内頬からのぼってこない。ふくよかな果実味がタンニンの味わいとともに、エレガントに広がる。

 

ものすごく上機嫌になっていくのがわかる。べらべらと、おしゃべりをはじめる。


結局はかえってからは仕事にならなかった。よい一日だった。一日の終わりをこんなふうに過ごせるなんて、久しぶりに私らしい、夏休み。