波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
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波屋山人

岸田秀先生

2007-06-18 20:54:37 | Weblog
90年代の半ば頃だろうか、学生だったぼくは岸田秀の著作に大きな影響を受けた。
「ものぐさ精神分析」その他。力の抜けたタイトルのその本は平易に書かれており、現代思想ブームの中でも注目されていた。

その先生を囲むオフ会があるというので、先週水曜日に新宿の居酒屋に向かった。

はじめて先生を見て驚いた。1933年生まれ、もう74歳なのに、ひょうひょうとして非常に若い。小柄だけど、弱々しくはない。

20人くらいの人が集まった。和光大学のゼミ生だった人も多い。


最初は質問応答形式。和光大学のゼミもこういった形だったらしい。
みんなが質問を紙に書いて読み上げる。

ちょっと離れていたので声がなかなか聞こえなかった。


Q.日本でキリスト教などの一神教がはやらないのはなぜ?
Å.社会が不安定になると一神教敵なものが強くなる。
日蓮宗や浄土真宗は一神教的。被差別階級に支持された。
明治期に安定がなくなってきた下層武士階級がキリスト教に入った。
一神教は被差別者の逃避先だ。

Q.和光大学であったひどいことは?
Å.学生に殴られた。自分の彼女を奪っただろう、と言われて殴られた。
痛いのも幻想だろ、と言われた。
だけど、その男が自分の彼女と思いこんでいるのも幻想だった。

Q.奥さんとの出会いは?
Å.早稲田の心理学科の1年後輩だった。


ぼくもちょっと質問してみた。

Q1.香川を離れられて長いと思うんですけど、うどんと蕎麦とどちらがお好きですか?
Å1.うどん。東京でもいろんなところにうどん屋はあるし。

Q2.被差別者などの、「差別」の定義って何ですか?
Å2.相手を自分以下だと見ること。役にただない、と思うこと。
みんな差別的傾向がある。人間はみんな差別的。


先生と話せてよかった。あの雰囲気。
人を否定しない感じ。主義主張を訴えるのではなくて、世の中の仕組みを理解している感じ。それは幻想だよ、と言う姿を見ると、原初的な仏教の哲学との共通点を感じる。
世の中のしっかりと存在しているようなものでも、そんなものではないよ、と教えられるような感覚。
なんだか、なじみやすい、よくわかる感じ。

ぼくは終電で帰ったけど、朝4時半まで他の人は飲んでいたらしい。
エロ話で大いに盛り上がったらしい。いいなぁ。


コメント (6)
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