波打ち際の考察

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波屋山人

反省記

2021-08-02 20:47:01 | Weblog
1990年代には、アスキーの西和彦、という名前をメディアでよく目にした。
あまりパソコンにも実業界にも興味がなかったので関連書籍を読んだことはなかったけど、2020年に出た『反省記』という本はとても興味深かった。
ビジネス書というよりも、天才的アウトサイダーの奮闘記、といった印象。
エピソードに驚く。
早稲田大学理工学部3年のときにビル・ゲイツに直接国際電話をかけて4か月後の1978年6月にはアメリカに会いに行ったり、20代でアメリカのマイクロソフトの副社長になって、世界初のノートパソコンや世界初の「右クリック左クリック」マウスを開発したり。
経営方針の対立などでマイクロソフトをやめさせられて、1977年5月に月刊アスキーを創刊。巻頭言では、「コンピュータは対話のできるメディアなのです」と宣言。
その後、アスキーが大赤字になってたいへんなことになったり、40代半ばからは大学講師など教育の道にも進んだけど、公立会津大学の学長選へ立候補しても落選したり。
人生のアップダウンが激しいけど、興銀元頭取の中山素平、CSK創業者の大川功といった賢人の指導を受け、人間的にも多くのことを学ばれている様子。

ネットで検索してみると、小田原市の関東学院大学のキャンパスがあったところには「日本先端大学」、群馬県の東洋大学のキャンパスがあったところには「日本先端情報大学」を作るつもりだとか。
とても興味深い。京都で日本電産の永守重信会長が経営する「京都先端大学」と並んで楽しみな大学だ。


印象深かったところをいくつかメモ。
というか、神戸のお嬢様は「やめてごらん、何々よ」といった口調で話すのだろうか。以前、神戸の高級住宅街に住むお上品な女性があまり関西弁を口にしないように感じたが、そういうものなのだろうか。
(もしかしたら、関西弁を話さない私に合わせて共通語を話してくれただけかもしれないが)
関西の庶民は、「人と喧嘩するのやめーや。喧嘩売られても我慢せーや」などと言うのではないかと思う。


『反省記』西和彦、ダイヤモンド社、2020年9月

P7
(略)マイクロソフトで喧嘩して、アスキーでも喧嘩して、まさに喧嘩男のちゃぶ台返しの人生。「あ~あ、バカだなぁ……」とため息が漏れる。
 子どもの頃に、妹に言われた言葉を思い出す。何か気に入らないことがあると、すぐに喧嘩をしていた小学5年生の僕に、妹はこう言ったのだ。
「お兄ちゃん、人と喧嘩するのをやめてごらん。喧嘩を売られても、我慢するの。そうするとすぐに学級委員長になれるよ。学級委員長になっているのは、喧嘩をしない子よ」

P70-71
 小学三~四年の頃には、こんなこともあった。
 学校で全生徒を対象にIQテストを行ったのだが、僕のIQは191と出た。すごくよい数値だった。しかし、先生はおかしいとか言って、もう一回テストをやらされた。すると、今度は200を超えた。それでも、先生は「やっぱり、おかしい」と言う。「こんなにIQが高いのに、こんなに成績が悪いはずがない」と言うのだ。それで、結局IQ150ということにされた。そんなんありか?

P150
 大事なのは、関西でいう「ええかっこ」をしないことだ。「へへ、ちょっとごめんくださいませよ」と潜り込んで、ニコニコ笑いながら言いたいことを言って、「はい、さよなら」とやる。浪速の商人みたく、低姿勢に、だけどしたたかにやる。これは、世界中で通用するビジネス・マナーだと思う。そして、これが身についてきたら、僕も本格的に遠慮がなくなった。

P187
 僕が果たすことができたのは、格好よく言えば「プロデューサー」の役割だ。世界のパソコン・ビジネスの最新情報を常に摂取しながら、僕なりの「理想のパソコン」をイメージする。そして、「理想のパソコン」を作るためには、どうすればいいかを考える。
 ただし、ゼロから考えるわけではない。「誰」と「誰」を結びつけて、「あの技術」と「この技術」を結びつければ、できるんじゃないかと考える。つまり、すでに存在している「要素」を組み合わせるのだ。そして、僕は、それらが融合するように働きかける。すると、その「場」に集った方々が創造性を発揮されて、世界にも通用するイノベーションが生み出されたのだ。

p402-403
 僕が何より否定的だったのは、「金の勘定」だけをする人たちだった。CSKには証券会社から移ってきた人もいたが、彼らの多くは「金」にしか興味がないように、僕の目には映った。
もちろん、「金」は大事だ。僕は、アスキーで「面白い!」「行ける!」という感動を起爆剤にして、金勘定を度外視するように事業を多角化して失敗した。そして、リストラのプロセスで、「実現可能性」「収益性」などを多角的にチェックする思考法を叩き込まれた。いくら「感動」があっても「金」にならない事業はやらない、ということだ。
しかし、「金」のことばかりで、出発点に「感動」のないプロジェクトが成功などするはずがない。そんなものが、お客様の心に響くはずがないではないか。それは、「モノづくり」に対する冒涜だとすら思う。結局、そんなビジネスは失敗する運命にあるのだ。

P442
 そして、現在、神奈川県小田原市にある関東学院大学のキャンパスに、「日本先端大学」という名称の新設大学を創立すべく活動を進めている。
 工学部のみの単科大学として、IoTメディアなど3学科を創設する予定だ。海外からも教員を集め、理系に尖った人材を育てるとともに、MITメディアラボラトリーのように、起業までを視野に入れた体制を整えたい。そこには、僕がこれまでに培ってきた、世界中の研究者・実業家のネットワークを活かせると思っている。2~3年以内には、開学に漕ぎ着けるべく準備を進めているところだ。

P455
 感謝している時が「幸せ」なのだ――。
 この気づきこそが、これまでさんざん経験をしてきた失敗から学んだ最大の知恵だと思う。


コメント (8)
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