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波打ち際の考察

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波屋山人

被差別部落の発生と分布

2017-04-28 22:26:55 | Weblog
現在でも、点在する集落のことを「」と呼ぶ地方は少なくない。
テレビのインタビューなどで「このは~」と発言する住民も多いが、テロップではだいたい「集落」と書き変えられている。

ただ、先日ある民放番組を見ていたら、住民の発言どおりに「」と書いていた。日テレだったかな?
制作会社が被差別問題や放送禁止用語に疎いだけなのかもしれないけど、意識的にそうしていたとしたら、なかなか興味深い。

本来、「」という言葉は、「路地」や「村」などと同じく、差別的な意味は含まれていない。
「」を使用することは、何の問題もないのだ。
だが、被差別の関係者が、被差別のことを「」と称していたことから、「」という言葉に「被差別」を連想する人も多くなっている。それに伴い、知識のない人は「」という言葉を自粛しがちだ。

現在では、手垢のついた感じもする「」という言葉を避けて、被差別のことを「路地」とか「ムラ」と書く作家やライターもいる。そのうち、メディアでは「路地」や「ムラ」といった言葉の使用も自粛するようになるのだろうか。つまらない。
そのような自粛をする前に、解放同盟の人に対して、「あなたたちは言葉の使い方が不正確だ。前身のの人たちは悲しく思うのではないか。きちんと、『被差別解放同盟』とか『未解放解放同盟』『特定解放同盟』と記述してはどうか。そうしないと、論理的な言葉が使えない人だと思われてしまうよ」などと呼びかけてみてはどうだろう。


それにしても、被差別の発生についての研究はなかなか進まない。
マルクス主義的な歴史学が支配的だった頃は、「江戸時代に他階級を懐柔するために一番低い階級を設置した」などと学校でも教えられていた。
現在では、解放同盟でもそのようには認識していない。被差別層の発生はもっと古い時代だったとがわかっている。また、江戸時代には、士農工商という並びの上下の階級制度は認識されていなかった。(だから、教科書から士農工商という用語が消えてきている)
むしろ、士農工商それぞれの業界の中で格差が大きかった。えたと呼ばれる被差別層の中でもヒエラルキーがあった。(カワタが、エタ扱いしないでくれ、と訴え出た江戸時代の書状が残っている)

被差別の存在についての研究は、マルクス主義的な史観に基づいた歴史学の衰退に伴ってずいぶん進んできたと感じるが、それでも被差別の起源についてはよくわかっていない。

定説では【律令時代の「奴婢制度」と被差別は何の関係もない】、ということにはなっているが、本当に関連性はないのか、もっと調査が必要だと感じる。
(もし、エタ・エッタの語源が「役太」であれば、奴婢制度との関連も考えられる。エタの「タ」はカワタやバンタの「タ」と同じものだろう)

また、被差別の分布しているエリアと、古墳の分布、渡来人の分布などのマップを重ねてみるとかなり共通点がある。また、渡来人の多かったところでも、縄文時代から人々の住んでいた地域には被差別が少ない。これは無視できないだろう。
朝鮮半島には、白丁(ペッチョン)という日本のエタとよく似た被差別者がいた。白丁との比較も重要だ。
(白丁はにならって衡平社という団体をつくって活動していたが、朝鮮戦争の混乱もあり霧散した状況。現在では白丁の末裔を自称する人を確認することも難しい)


被差別をめぐる状況の中で、この数年衝撃的な存在となっているのは全国の被差別の所在地をネット上に公開してしまった「鳥取ループ」だろう。何者?

解放同盟から分裂したというか除名されたという、言葉遣いの荒い団体は「鳥取ループ」を非難している。

http://www.zenkokuren.org/2016/06/post_536.html
>新たな「地名総鑑」を徹底糾弾し鳥取ループ・示現舎を追放・一掃しよう
(2016年06月24日)
>
>解放同盟全国連合会中央本部
>
>解放同盟全国連合会(全国連と略)は、第25回全国大会での特別決議をもって、鳥取ループ・示現舎なる者による、新たな「地名総鑑」を極悪の差別事件として断定し、かつ解放運動総体への見過ごすことのできない挑戦として認識し、ここに改めて徹底糾弾を宣言する。
>
>(1)今年2月、インターネット上で、鳥取ループ・示現舎なる輩が、じしんのホームページで、「復刻 全国調査 地名総鑑の原点」と称する書籍の発行・販売を予告し、アマゾンが予約注文を開始するという情報を掲載した。さらに、発行・販売は4月1日であると予告した。
>また書籍とは別に、「地区Wiki」と称するサイトをネット上に開設し、「地名総鑑」がいつでも、誰でも見れる状態にしていた。



ここで紹介されている「地区Wiki」とは、下記のサイトのことだろう。

■全国の地区
https://xn--dkrxs6lh1g.com/wiki/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%90%8C%E5%92%8C%E5%9C%B0%E5%8C%BA

見てみると、相当ボリュームのある内容だ。しかも、おどろくほど詳細だ。

学生の頃に、被差別について調査することがあった。
被差別の分布は川沿いに多いと推測されたので確認したいと思ったが、詳細な情報を入手することができなかった。
「地名総鑑」という本があるらしいということは知っていたが、企業の人事担当者などが被差別出身者を差別的に扱うために使用されている、という話があり、糾弾されていた。そういったものを入手することは考えられなかった。

「地区Wiki」の差別的使用は非難されることだが、研究目的に使用することもできるのではないかと感じる。
被差別がどのようなところに分布しているか分析することによって、その起源を探ることに役立つ。

ただ、一般の人はこのサイトに関わらない方がいい。かなり危険。人を傷つける恐れがある。
また、人をおとしめるために使おうと思っても、自分の先祖が被差別出身だと知って悩んでしまう人だっているだろう。

東京では自分の祖先が被差別民だったと意識している人は少ないけど、実は関東にもけっこう被差別は多い。差別から逃れるために東京に出てきた人も多い。
現在、日本人の5%ぐらいは被差別出身の祖父母を先祖に持っているのではないかと推測している。(西日本では10%に近いかもしれない)


日本社会の成り立ちを考える上で、被差別民の歴史を考えることはとても意義がある。
どういった職業が、社会秩序の維持発展に貢献していると認識されていたのか、社会秩序の枠外にあると認識されていたのか、秩序と混沌はどう干渉しあっていたのか、
そういった構造を把握することが、今後の世の中のあり方や、自分の価値観の持ち方に影響を及ぼす。

だから、私は被差別問題研究に興味がある。
ただ、「差別をなくすことは正義だ」、と言って差別者を排斥する姿勢には、差別者に通じる意識を感じるから、差別者をとがめることにはあまり興味がない。こういった問題に興味を持つことによって自分が被差別民だと思われても構わない。
人は誰だって、アウトサイダーの一面を持っている。
「正しい人」であることを求められ、疲れ、疑問を持った人は、あるべき姿としての「正しさ」を疑えばいい。そこから、知性とか創造性とか、芸術的価値についての思考が深まっていくのではないかと感じる。


コメント (9)
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