犯罪者を否定したり疎外したりすることに疑いを抱かず、
「犯罪的行為をする者は見下されて当然だ」、と認識する人がいる。
犯罪は忌み嫌われるべきものであり、遠ざけたり抹殺しておかないと
自分たちの穏やかな日々を脅かしてしまう、と考えているのだろう。
だけど、そういった人の多くは、善悪の定義についてあいまいな認識しか持っていないことが多い。
「常識」や「ルール」、「正義」や「マナー」などといった言葉は簡単に使われがちだけど、
それぞれの言葉を定義することはとても難しい。
時代や居住地域や勤務先や信仰によって、常識やルールや正義などというものの定義は大きく変わる。
自分の信じる正義を絶対的に肯定することは、価値観の異なる人を疎外することにつながるおそれがある。
そもそも、あらゆる文化の民族に共通して絶対的に肯定されるルールを見出すことは不可能だ。
世の中には殺すことや盗むことを否定しない人々だっている。
「絶対的に肯定される正義」というものは想像上の存在である可能性が高い。
強いて言うなら、自分や自分の所属する組織の存続を絶対的に優先する民族や組織が、
結果として現在生き残っているのかもしれない。
電車内でのケータイや、禁煙地域での喫煙や、レストランでのおしゃべりなどを不愉快に感じたら、まず、自分がなぜ不愉快に感じるのかということを分析してもいい。
小さな世界におさまってしまいがちな自分の思考パターンや価値判断基準を、少し客観的にとらえて意識を広げることができるようになるかもしれない。
むかついたり不満に思ったり嫌に思ったりすることは、よくよく見てみればちゃんと原因がある。
むかつきとかわだかまり(仏教で言う「苦」に近い)の生じる因果関係を把握してこそ、むかつきを解消させることができる。
表面的な、幻想のような概念に固執して、不満をなくしたいとか楽に暮らしたいとか正しいことをやりたいとか、大まかな概念に右往左往するうちは
堂々巡りをくりかえすだけで問題点を解消することは難しい。
気に食わないことに対してケシカラン!という表情を見せ、
反発を受けて痛い目に会うのは、自打球に近い行為ではないだろうか。
素直に非を認めずに反発する方が間違っている、と自分を肯定するのもいいけど、
自分の対応には何の非もなかったのだろうか。
相手の価値観を尊重していただろうか。
日本も国際化が進み、さまざまな価値観の人が滞在するようになった。
何の悪気もなくしたことが、他の人にとってとても非常識なことだったり嫌なことだったりすることもある。
外国人の前で足を組んで靴の裏を見せたり、鼻水を吸い込んだり、スープをすすったりしたら、サイテーの人だというような視線を向けられるかもしれない。
その時、怒ったり見下したような口調で注意されたら、すんなりと非を認めることはできるだろうか。
他者による支配を拒絶するように、つい生理的な反発を覚えたりはしないだろうか。
逆説的?な言い方になるかもしれない。
禁煙コーナーで喫煙している人や、優先席近くでケータイを使っている人に
厳しく声をかける正義感の強い人がいる。
そういう正義感の強い人に対して、
「何をえらそうに注意してるんだ。お前の価値判断基準はそんなに絶対的か? そんな姿勢で人が耳を傾けてくれると思ってるのか? お前みたいに人の価値を無視して当然だという顔をする無神経なやつが多いから共生社会は遠のくんだ」
などとえらそうに言う人はほとんどいない。
そんなことを言うと、自分の価値観で受け入れられない者を排除する人と同レベルになってしまうから。
※参考1
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/other/520916/
■地下鉄でも携帯電波、進むとどうなる?(産経新聞2011年7月朝刊)
≪浜野智史氏≫
(略)
「人は潜在的に、こうした『顔』を持たない人をさげすむ気持ちを持つ。他者に配慮もできない『顔』のない人間だ、と。それなのに、そうした人が、自分をさしおいて人目を気にせず堂々と携帯を使っている。自分を『モノ』のように扱われたという気持ちにもなる。だから、物理的には何ら迷惑をかけられていない携帯の使用に腹を立てるのだ」
●注意にも工夫がいる
--腹を立てた人と、車内トラブルに発展する可能性もある
「『顔』がないやつだ、と見下した立場からものを言ってはトラブルにつながる。以前、ホームでたばこを吸っている人を見かけた。『禁煙も守れない人間なのか』と相手を見下す立場から、『ここは禁煙です』と注意するのは簡単だ。しかし私は、『ここ、もしかして禁煙じゃなかったでしたかねえ? どこかに禁煙のマークありましたっけ?』と声をかけた。すると、相手は『そうでしたっけ』といいながら火を消した。注意する方にも工夫が必要だ」
※参考2
■後絶たぬ駅や車内のマナー違反 都市化進行で社会性失う?
2007年12月13日14時8分配信 産経新聞
駅や電車内でのマナー違反が後を絶たない。禁煙場所での喫煙や車内での携帯電話の使用…。JR東日本管内だけでも、平成18年度中にこうしたマナー違反に対して寄せられた苦情は8000件を超える。東京都内では10月、JRの駅ホームで喫煙を注意した男性が、“逆ギレ”した相手から暴行を受け重傷を負う事件も発生した。トラブルに巻き込まれそうになった際の対処法について、専門家は「第三者を交えて冷静に話せる環境をつくって」と呼びかけている。(社会部 高木克聡)
「これまでもマナー違反を注意してきたが、暴行を受けたのは初めて。なぜ、自分が暴行を受けたのか分からない」
川崎市の会社員、市川敦さん(34)はこう憤る。
市川さんは10月11日午前10時45分ごろ、JR南武線府中本町駅(東京都府中市)の1番ホームで喫煙していた男に「ここは禁煙場所ですよ」と注意した。男はそれに応じて喫煙をやめたが、市川さんが立ち去ろうとすると突然、殴るけるの暴行に及んだ。市川敦さんは顔面骨折などで全治7週間の重傷を負った。
男は川崎市の無職、原田康秀被告(41)で、駆けつけた警察官に現行犯逮捕された後、傷害罪で起訴された。
「たばこを捨ててくれたときに分かってくれたと思ったが、なぜ殴りかかってきたのだろうか。裁判で明らかになればいいと思う」
そう話す市川さんは、暴行を受けた後もこれまでと変わらず、禁煙場所での喫煙を発見すると、その都度注意をしているという。「少しでも電車利用者にマナーが浸透していくといいと思っていますから」
(略)
「犯罪的行為をする者は見下されて当然だ」、と認識する人がいる。
犯罪は忌み嫌われるべきものであり、遠ざけたり抹殺しておかないと
自分たちの穏やかな日々を脅かしてしまう、と考えているのだろう。
だけど、そういった人の多くは、善悪の定義についてあいまいな認識しか持っていないことが多い。
「常識」や「ルール」、「正義」や「マナー」などといった言葉は簡単に使われがちだけど、
それぞれの言葉を定義することはとても難しい。
時代や居住地域や勤務先や信仰によって、常識やルールや正義などというものの定義は大きく変わる。
自分の信じる正義を絶対的に肯定することは、価値観の異なる人を疎外することにつながるおそれがある。
そもそも、あらゆる文化の民族に共通して絶対的に肯定されるルールを見出すことは不可能だ。
世の中には殺すことや盗むことを否定しない人々だっている。
「絶対的に肯定される正義」というものは想像上の存在である可能性が高い。
強いて言うなら、自分や自分の所属する組織の存続を絶対的に優先する民族や組織が、
結果として現在生き残っているのかもしれない。
電車内でのケータイや、禁煙地域での喫煙や、レストランでのおしゃべりなどを不愉快に感じたら、まず、自分がなぜ不愉快に感じるのかということを分析してもいい。
小さな世界におさまってしまいがちな自分の思考パターンや価値判断基準を、少し客観的にとらえて意識を広げることができるようになるかもしれない。
むかついたり不満に思ったり嫌に思ったりすることは、よくよく見てみればちゃんと原因がある。
むかつきとかわだかまり(仏教で言う「苦」に近い)の生じる因果関係を把握してこそ、むかつきを解消させることができる。
表面的な、幻想のような概念に固執して、不満をなくしたいとか楽に暮らしたいとか正しいことをやりたいとか、大まかな概念に右往左往するうちは
堂々巡りをくりかえすだけで問題点を解消することは難しい。
気に食わないことに対してケシカラン!という表情を見せ、
反発を受けて痛い目に会うのは、自打球に近い行為ではないだろうか。
素直に非を認めずに反発する方が間違っている、と自分を肯定するのもいいけど、
自分の対応には何の非もなかったのだろうか。
相手の価値観を尊重していただろうか。
日本も国際化が進み、さまざまな価値観の人が滞在するようになった。
何の悪気もなくしたことが、他の人にとってとても非常識なことだったり嫌なことだったりすることもある。
外国人の前で足を組んで靴の裏を見せたり、鼻水を吸い込んだり、スープをすすったりしたら、サイテーの人だというような視線を向けられるかもしれない。
その時、怒ったり見下したような口調で注意されたら、すんなりと非を認めることはできるだろうか。
他者による支配を拒絶するように、つい生理的な反発を覚えたりはしないだろうか。
逆説的?な言い方になるかもしれない。
禁煙コーナーで喫煙している人や、優先席近くでケータイを使っている人に
厳しく声をかける正義感の強い人がいる。
そういう正義感の強い人に対して、
「何をえらそうに注意してるんだ。お前の価値判断基準はそんなに絶対的か? そんな姿勢で人が耳を傾けてくれると思ってるのか? お前みたいに人の価値を無視して当然だという顔をする無神経なやつが多いから共生社会は遠のくんだ」
などとえらそうに言う人はほとんどいない。
そんなことを言うと、自分の価値観で受け入れられない者を排除する人と同レベルになってしまうから。
※参考1
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/other/520916/
■地下鉄でも携帯電波、進むとどうなる?(産経新聞2011年7月朝刊)
≪浜野智史氏≫
(略)
「人は潜在的に、こうした『顔』を持たない人をさげすむ気持ちを持つ。他者に配慮もできない『顔』のない人間だ、と。それなのに、そうした人が、自分をさしおいて人目を気にせず堂々と携帯を使っている。自分を『モノ』のように扱われたという気持ちにもなる。だから、物理的には何ら迷惑をかけられていない携帯の使用に腹を立てるのだ」
●注意にも工夫がいる
--腹を立てた人と、車内トラブルに発展する可能性もある
「『顔』がないやつだ、と見下した立場からものを言ってはトラブルにつながる。以前、ホームでたばこを吸っている人を見かけた。『禁煙も守れない人間なのか』と相手を見下す立場から、『ここは禁煙です』と注意するのは簡単だ。しかし私は、『ここ、もしかして禁煙じゃなかったでしたかねえ? どこかに禁煙のマークありましたっけ?』と声をかけた。すると、相手は『そうでしたっけ』といいながら火を消した。注意する方にも工夫が必要だ」
※参考2
■後絶たぬ駅や車内のマナー違反 都市化進行で社会性失う?
2007年12月13日14時8分配信 産経新聞
駅や電車内でのマナー違反が後を絶たない。禁煙場所での喫煙や車内での携帯電話の使用…。JR東日本管内だけでも、平成18年度中にこうしたマナー違反に対して寄せられた苦情は8000件を超える。東京都内では10月、JRの駅ホームで喫煙を注意した男性が、“逆ギレ”した相手から暴行を受け重傷を負う事件も発生した。トラブルに巻き込まれそうになった際の対処法について、専門家は「第三者を交えて冷静に話せる環境をつくって」と呼びかけている。(社会部 高木克聡)
「これまでもマナー違反を注意してきたが、暴行を受けたのは初めて。なぜ、自分が暴行を受けたのか分からない」
川崎市の会社員、市川敦さん(34)はこう憤る。
市川さんは10月11日午前10時45分ごろ、JR南武線府中本町駅(東京都府中市)の1番ホームで喫煙していた男に「ここは禁煙場所ですよ」と注意した。男はそれに応じて喫煙をやめたが、市川さんが立ち去ろうとすると突然、殴るけるの暴行に及んだ。市川敦さんは顔面骨折などで全治7週間の重傷を負った。
男は川崎市の無職、原田康秀被告(41)で、駆けつけた警察官に現行犯逮捕された後、傷害罪で起訴された。
「たばこを捨ててくれたときに分かってくれたと思ったが、なぜ殴りかかってきたのだろうか。裁判で明らかになればいいと思う」
そう話す市川さんは、暴行を受けた後もこれまでと変わらず、禁煙場所での喫煙を発見すると、その都度注意をしているという。「少しでも電車利用者にマナーが浸透していくといいと思っていますから」
(略)