波打ち際の考察

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波屋山人

ambiguous world(あいまいな世界、両義的な世界)

2007-10-26 08:30:04 | Weblog
私は10年以上前から、自分の感性に合った言葉として、ambiguous(アンビギュアス)という語をイメージしている。
べつに、どこかでその言葉の意味を知ったというわけではない。
おそらく、学生時代に「あいまい」とか、「両義的」などといった言葉を辞書で引いたときに、記憶していたのだろう。

大江健三郎氏のノーベル賞授賞式での表題が「Japan,the ambiguous,and myself」だったというのはつい先日知った。
ちょうど、大江氏がambiguousという言葉を使った頃、まったく無関係に学生時代の私はambiguousという言葉に共感していたようだ。

ただ、大江氏と私では、ambiguousについての認識が異なるように思われる。
大江氏も「どっちつかず」「中途半端」「はっきりしない」のvagueと、「両義的」なambiguousを区別しているらしいが、大江氏の言うambiguousは両義的というより、「二重人格」「二兎を追う」というような、複数の方向性に股裂きになりそうな状態のことを言っているのではないか。
(ほとんどスピーチの内容を読んでいないので、まったく勘違いなことを言っていたらすみません)

大江氏の言う「両義的」は、母性的、女性的なイメージのものではないように感じる。
男性的な「両義的」ではないだろうか。
大江氏は男性なのだな、と感じる。(あたりまえか)

例えば、光が光源から出て行くとき、右にも左にも上にも下にも光は飛んでいく。
意識がその光の粒子に乗っかっているなら、あっちにもこっちにも方向が向かっていて股裂き状態になりそうだろう。
だけど、意識が光源のほうにあると、そんな股裂き意識にはならない。

例えば、湖から水が流れて滝になっている場合(中禅寺湖と華厳の滝のイメージ?)、湖から出た水は滝の水となり、岩肌を伝ったり霧となったり大きな水流となったり、いろんな形で流れていく。
意識が滝の水に乗っかっているなら、岩肌や空中や滝壺やいろんなところに向かって股裂き状態を感じるだろう。
だけど、意識が湖水のほうにあると、そんな意識にはならない。

大江氏の文章には母性というか、根源というか、あらゆる方向性を包み込んだ感性というものを感じない。


私は「どちらでもある」「両義的」「いろんな方向性を内包している」などといった意味でambiguousを認識している。

だから、大江氏のノーベル賞授賞式での講演内容には違和感を覚える。


>開国以来、百二十年の近代化に続く現在の日本は、根本的に、あいまいさ(ambiguity)の二極に
>引き裂かれている、と私は観察しています。・・・国家と人間をともに引き裂くほど強く、鋭い
>このあいまいさは、日本と日本人の上に、多様なかたちで表面化しています。日本の近代化は、
>ひたすら西欧にならうという方向づけのものでした。しかし、日本はアジアに位置しており、
>日本人は伝統的な文化を確乎として守り続けもしました。・・・(「あいまいな日本の私」)


「あいまいの日本の私」には上記のような部分がある。
べつに、アジア的であり、欧米的でもあるという肯定的なあり方もありえるのでは?
自己満足し、自己否定する、という中で迷うという姿勢もありえるのでは?

どうして大江氏はambiguousなことについてマイナスイメージをつけるというか、躊躇するような姿勢で語ったりするのだろう。
そういう思考は西欧的であり、何かの主義主張に牽引されているのではないかと感じる。
大江氏は戦後民主主義の人間だ、と自称しているが、戦後民主主義を疑いなく肯定して安心することは、非誠実なことかもしれない。
戦前の自由民権運動や全体主義を疑い、戦後の民主主義や個人主義を疑い、悩むことこそ、世の中をありのままに把握しようとする謙虚な姿勢なのでは。

私はambiguous(両義的)を、誠実な姿勢だと思っている。

私は、一応右利きではあるけど、生まれつきは左利きだったので、今でもハサミや包丁、ノコギリ、消しゴムなどは左手で使うし、ものすごく忙しいときは右手と左手にそれぞれマウスを持って2つのモニターを見て操作する。
たまに気まぐれで左手で箸を使うこともある。

また、一応男ではあるけど、女性の考えていることはわからないや、と思ったことはない。むかし簡易的なテストをやったとき、私の脳は男性だけどやや中性寄り、という結果だった。友人にもやや中性的な男とか、やや中性的な女性が多い気がする。
先日も女性物のチェックのシャツを着ていたし、女性物のセーターやジーンズも着用することがある。

ほんの数年前まで、まったく通りに車がなくても、赤信号であれば渡らないという超まじめな人間だったけど、海外からは、持って帰ってはいけないものをいくつも持って帰ったりしていた。(果物とかビデオとかかわいいものですが)

ひどく内向的だけど、一部の人にはけっこう外交的だと思われているふしもある。

どちらでもないということは、どちらでもあるということでもあって、いろんな方向性を内包していてときどき混乱しそうになるけど、そういったものをありのままに受け入れ、観察するというのも自然の摂理に沿った、誠実な姿勢だと思う。

私は、保守主義者に文句言われる筋合いはないほど、日本の文化や伝統に対しては人並み以上に知っているつもりだし、日本の文化を否定していない。
開明的な伝統主義者もいれば、閉鎖的な伝統主義者がいて当然かと思う。世の中には社交的な人もいれば内向的な人もいて当然だと思っている。

また、革新主義者に文句言われる筋合いはないほど、何かを肯定してそこに安住していたりはしない。むしろ、革新を自称している人たちが実に保守的に見えてしかたがない。だいいち、なぜ、革新の人が自分が日本人であることをあたりまえに思っているのか不思議に思う。

私たちはアメリカ人にでも中国人にでもアフガニスタン人にでもなろうと思えばなれる。日本はどうのこうのと言っている革新の人は外国に行ってもいいのでは。

大江健三郎氏もそうだけど、革新の人も保守の人にあれこれ言えないほど、論理的でない面もあると思う。
戦争反対や侵略反対を主張してもよいと思うが、非論理的な人は、ほんとうは戦争や侵略という構造そのものに対しては反対をしていない。

戦争や侵略をしているある政府、国家(=自分が所属質している日本)に反対しているだけでは。

厳しい家庭で抑圧されて育った人は、家庭の束縛から逃げ出したがり、国家の束縛からも逃げ出したがる傾向がある。
ゲイの世界で伝説的な存在の東郷健さんも育った家庭が嫌で、天皇も嫌になったらしい。天皇の戦争責任を追及している筑波大のC教授も幼少の頃から勉強ばかりさせられて灘高に入ったけど、大学に入ってからは学生運動にあけくれてずいぶん発散したらしい。

ただ、個人的な心の問題を基に問題意識を大きく広げてもいいけど、自分の視点を疑わないでいると、世の中の構造が見えなくなることもある。
個人的な心理問題から解放されてから、国家や世界のことを語ってもいい。

日本の、自称革新とか自称民主主義者の人は、満洲や南洋を日本が侵略したことをとがめ、反省をもとめ、糾弾するけど、侵略や全体主義という構造に反対しているわけではないように見える。大江さんも辻元さんも辺見さんも、中国におけるチベットやウイグルに対する侵略や、スーダンにおけるダルフール紛争は糾弾していないのでは。
また、自分の所属する政府や国家が起こす暴力に反対しても、暴力という構造に反対しているわけではないのでは。他人を否定する攻撃的で暴力的な言論を吐いても暴力に反対する姿勢と矛盾していると思っていないように見える。

アムネスティーインターナショナルは比較的偏りなく、各国の非抑圧者に対して発言を行っているが、日本で中国によるチベット侵略について発言しているのは保守系、右翼系、民族主義系の人ばかり。
日本はかなり非論理的な思考や発言や行動が蔓延している。

でも、非論理的なものと論理的なものの間で、流動的に悩み、試行錯誤するのはとても誠実なことではないかと思うので、私はあまり悲観していない。
私にとって、ambiguousというのは、両義的であり、誠実に迷うこと。

大江氏の言うambiguousとはちょっと違うようなので、誤解されませんよう、お願いいたします。大江氏に影響されてIDを ambiguous world にしたわけではありません。
なお、恐縮ですが私はほとんど大江氏の著書を読んだことはない。

ノーベル賞を受賞されたとき、私は「ほんとうは中上健次氏が有力な候補だったけど早世してしまい、その後釜みたいな位置で大江さんが受賞したと思う。幸運な大江さんは中上健次氏に何か伝えたいと思っただろうか」と思ったことがある。
ほんとうに、中上健次氏が受賞に値すると思っていたから。
その代わりに受賞した、とも言える大江さんには中上健次氏のことを意識してほしかった。

また、大江氏はドナルド・キーン氏にたいして不義理を働いているのでは。以前ドナルド・キーン氏が会おうとしても、なんだかんだ理由をつけて疎遠になっていった。ドナルド・キーン氏はそれをさみしくは思っているだろうけど、決して大江氏を恨んだりはしていない。
大江氏がノーベル賞を受賞した背景には、ドナルド・キーン氏の存在も少し影響しているのではないかと思う。大江氏には、ドナルド・キーン氏のことも、少し意識してほしかった。
大江氏から見れば、中上氏もドナルド・キーン氏も価値観の違う人だったかもしれないけど、無視して遠ざけるっていうのは、ambiguousな姿勢ではない。ambiguousは自分の度量を広げることにもつながるかもしれない。


<参考>
・あいまいな日本の私―Japan,the ambiguous,and myself (ハードカバー)
大江 健三郎 (著)

1994年にノーベル文学賞を受賞。
スウェーデンでの授賞式での記念講演の表題は、川端の「美しい日本の私」をもじった「あいまいな(アムビギュアス)日本の私」だった。
1986年から1994年にかけて、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、エストニア、アメリカの各地で行われた大江健三郎の講演の英文版。「北欧で日本文化を語る」「日本の二重のアイデンティティ」などを収める。

講談社インターナショナル (1995/01)
ISBN-10: 4770019807
ISBN-13: 978-4770019806


・Dictionary.comにおけるambiguousの説明
am·big·u·ous
–adjective
1. open to or having several possible meanings or interpretations; equivocal: an ambiguous answer.
2. Linguistics. (of an expression) exhibiting constructional homonymity; having two or more structural descriptions, as the sequence Flying planes can be dangerous.
3. of doubtful or uncertain nature; difficult to comprehend, distinguish, or classify: a rock of ambiguous character.
4. lacking clearness or definiteness; obscure; indistinct: an ambiguous shape; an ambiguous future.


・あいまいな日本の私(抜粋)
開国以後,百二十年の近代化に続く現在の日本は,根本的に,あいまいさの二極に引き裂かれている,と私は観察しています.のみならず,そのあいまいさに傷のような深いしるしをきざまれた小説家として,私自身が生きているのでもあります.
国家と人間をともに引き裂くほど強く,鋭いこのあいまいさは,日本と日本人の上に,多様なかたちで表面化しています.日本の近代化は,ひたすら西欧にならうという方向づけのものでした.しかし,日本はアジアに位置しており,日本人は伝統的な文化を確乎として守り続けもしました.そのあいまいな進み行きは,アジアにおける侵略者の役割にかれ自身を追い込みました.また,西欧に向けて全面的に開かれていたはずの近代の日本文化は,それでいて,西欧側にはいつまでも理解不能の,またはすくなくとも理解を渋滞させる,暗部を残し続けました.さらにアジアにおいて,日本は政治的にのみならず,社会的,文化的にも孤立することになったのでした.

日本近代の文学において,もっとも自覚的で,かつ誠実だった「戦後文学者」,つまりあの大戦直後の,破壊に傷つきつつも,新生への希求を抱いて現れた作家たちの努力は,西欧先進国のみならず,アフリカ,ラテン・アメリカとの深い溝を埋め,アジアにおいて日本の軍隊が犯した非人間的な行為を痛苦とともに償い,その上での和解を,心貧しくもとめることでした.かれらの記憶されるべき表現の姿勢の,最後尾につらなることを,私は志願し続けてきたのです.
ポスト・モダーンの日本の,国家としての,また日本人の現状も,両義性をはらんでいます.日本と日本人は,ほぼ五十年前の敗戦を機に――つまり近代化の歴史の真ん中に,当の近代化のひずみそのものがもたらした太平洋戦争があったのです――,「戦後文学者」が当事者として表現したとおりに,大きい悲惨と苦しみのなかから再出発しました.新生に向かう日本人をささえていたのは,民主主義と不戦の誓いであって,それが新しい日本人の根本のモラルでありました.しかもそのモラルを内包する個人と社会は,イノセントな,無傷のものではなく,アジアヘの侵略者としての経験にしみをつけられていたのでした.また広島,長崎の,人類がこうむった最初の核攻撃の死者たち,放射能障害を背負う生存者と二世たちが――それは日本人にとどまらず,朝鮮語を母国語とする多くの人びとをふくんでいますが――,われわれのモラルを問いかけているのでもありました.

現在,日本という国家が,国連をつうじての軍事的な役割で,世界の平和の維持と恢復のために積極的でないという,国際的な批判があります.それはわれわれの耳に,痛みとともに届いています.しかし日本は,再出発のための憲法の核心に,不戦の誓いをおく必要があったのです.痛苦とともに,日本人は新生へのモラルの基本として,不戦の原理を選んだのです.

それは,良心的徴兵拒否者への寛容において永い伝統を持つ,西欧において,もっともよく理解されうる思想ではないでしょうか? この不戦の誓いを日本国の憲法から取り外せば――それへ向けての策動は国内につねにありましたし,国際的な,いわゆる外圧をそれに利用しようとする試みも,これらの策動にはふくまれてきました――,なによりもまずわれわれは,アジアと広島,長崎の犠牲者たちを裏切ることになるのです.その後へ,どのように酷たらしい新しい裏切りが続きうるかを,私は小説家として想像しないわけにゆきません.

大江健三郎「あいまいな日本の私」(C)ノーベル財団1994

コメント (1)
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