Scarving 1979 : Always Look on the Bright Side of Life

1979年生な視点でちょっと明るく世の中を見てみようかと思います。

女性崇拝から打算的人間関係、そしてまた女性崇拝

2004年06月21日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、女性崇拝から打算的人間関係、そしてまた女性崇拝でした。

このblogでも何度か書いてる気もしますが、
私にとって女性は、尊敬の対象だったりします。

女性はどこか男性とは違う感性を持っており、
私に思えないことや出来ないことを、女性は思えて出来てしまう、
それだけでもう、尊敬の対象だったりします。

そんな尊敬の対象であるので、
俗物的ではないでほしいというか、
打算的ではないでほしいというか、
手の届かない存在でいてほしいのです。

今日はふらふらと赤の他人様のblogを見ていたのですが、
同年代のお女性様の書く恋愛日記的なものが、
私的に、そういう面は見せないでくださいよ、な内容なのです。

告白されたけどフっちゃった、でも遊ぶ度に気になってくかも、
なんて男の心を弄びまくっているお話や、
飲んですぐエッティーなことしちゃいました、でも相性合わないかな、
なんてエロスたっぷりなお話を、
妙に楽しげに書いてあったりもするわけです。

女性が現実主義で、俗物的で打算的な、
人間味溢れる存在だというのは十二分に知ってますし、
だからこそ面白く、尊敬できる存在であるわけです。

でも、それでも恋愛面というか、人間関係面については、
もっと高尚な存在であってほしいと思うわけです。

もちろん、こうしたことを公表しているのはごく一部で、
全てが全て、こう思ってるわけないんですけどね。

お話としては、とても矛盾してますけど、
あくまで、理想として、そう思っていたいわけです。

いい中学生っぷりです。
青いです。

ただその人間関係のお話については、
女性だけに言える話ではないんですけどね。

なんに対して打算的でもいいんですけど、
人間関係については真摯にしてほしいと思うんです。

好き嫌いでなく利害があるから一緒にいよう、
みたいなところで人間関係を築くのが、
どうしようもなく嫌いなんです。

お仕事の内だけに留めるのは正しいとは思うんですけど、
そこを延長させて気に入られようなんてのは、
とてもとても相手に失礼な気がします。

相手に対して少しでも感情があるならば、
変に取り入れられようとしちゃダメな気がします。

たとえ子供だと思われようとも、
利害ではなく、好きか嫌いか、相手を想えるか、
そこだけで人付き合いをしていきたいです、私は。

それに利害だけで動く方が、
逆に子供の在り方だと思うんです。

チョコバーほしさに米兵にすがりつく、戦後の子供のような、
理性とは結びつかない、卑しさがある気がします。

自分の意思や相手に対する情を捨ててまで、
したたかに生きたくはないです。

…なんて言いつつも、
やっぱり仕事の中ではしたたかにならざるを得ず、
そうなろうと思えばなれてしまう私なので、
自分の主義との矛盾に苛まれることがあるわけです。。。

さて、お話を女性崇拝に戻しまして、
私の愛する人は人間関係には真摯であってほしいな、
妙ちくりんな駆け引きとかしないでほしいな、
とか思うわけです。

女性はいつまでも崇拝の対象たる、
高尚な存在であってほしいのです。

単なるわがまま、単なる理想ですけどね。

この幻想がなくなれば、
もっと気楽に人を好きになれる気がします。

けれど、この幻想がなくなると、
空想上の遊びが減ってしまう気がします。

現実を生きる人、夢を生きる人、
私はどちらの場所を選べばいいのでしょうか。

そんなことを悩む、25歳独身男性。
住まいは、ワンルームバストイレ付独身寮。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿