謎、というタイトルよりは、「なぜ?」の方がよいかもしれませんが。
大ファンである竹村公太郎さんの「日本史の謎は『地形』で解ける」の文庫本2冊を読み終わりました。過去に読んだ内容も多かったのですが、忘れていたことも多く、すべてがあまりに面白く、読んだ後の知的充足感、満足感は非常に高かったです。
竹村さんは義理の両親の住んでいた公務員宿舎でご近所さんだったことがあるそうで、間接的に個人的につながっていることもあり、一度お会いしたいなと常々思っておりますし、セメント技術大会での特別講演で度肝を抜かれる圧倒的に面白い講演を聴いて、ますますファンになったことを今でも強烈に覚えています。
竹村さんは、「なぜ?」を徹底的に突き詰めます。いつもいつも考えているので、ひょっとした瞬間にヒント、解が訪れます。一流の方々がよく言われる状況です。いつもいつも真剣に考えていると、解が自然にやってくる、と。私もごくたまに経験することはありますが、もっとそのレベルに近づけるよう、精進したいと思います。
・なぜ、江戸は世界最大の都市になれたか?
・貧しい横浜村がなぜ、近代日本の表玄関になれたか?
・「小型化」が日本人の得意技になったのはなぜか?
・なぜ日本の国旗は「太陽」の図柄になったか?
・日本文明は生き残れるか?
などなど、どれもこれも知りたくて仕方ないような謎が、次々と解き明かされていきます。
どれもこれもあまりにも大きな謎なので、100%真の答えというのは無いのかもしれませんが、地形、気象に基づく論理的な考察は、いいかげんな歴史学者などの論じるものとは説得力が異なります。
また、大石久和さんの考え方も、日本人を知る上で大変に参考になります。
・日本人はなぜ、インフラに対する意識が低いのか?
・日本人はなぜ 、自然災害を受け止めることができるのか?
藤井聡先生の土木チャンネルも、いろいろな識者や最前線の方々との対談、講話から非常に多くのことを学ぶことができます。
・公共事業がこれほどバッシングを受けてきたのはなぜか?
・「土木」に対する国民のイメージがよくない根源的な理由は何か?
・郵政民営化がよくなかった(よくないのですが)とすれば、なぜか?
・経済学とは何なのか?
学問(学問に限りませんが)が細分化され続けてきた現在、上記のような全体的ななぜ?こそが本当に大事なのだと思います。
全体的な議論は軽視されてきたのでしょうし、学会では「いいかげんな考察」で一刀両断されるのかもしれません。細かいことが好きな方々が多いので。
しかし、上記のような問いに論理的に答えることは、全体を俯瞰的に理解することにとても有用であるし、日本という国、日本人を知る、愛する上でもとても効果的です。
そのような情報が真に求められているので、竹村さんの本がベストセラーになるのでしょうか。
私どもの専門領域でも、このような大きななぜ?を常に意識して仕事をしていく必要があります。
・なぜ、コンクリート構造物の施工はいいかげんになりがちなのか?
例えば上記の問いについても、日本のコンクリートの父、吉田徳次郎先生が著書で3つの理由を看破されています。
大きななぜ?に対する答えを信頼できる方々から次々と吸収し、自分自身でもいつもなぜ?について考え続けたいと思います。そして学んだことを講演や講義、防災授業等にフィードバックし、自分の言葉で語れるようにすることで自分自身の血肉にしていきたいと思います。
昨日、2/18に修士論文の最終審査会があり、私はフランスにいるために出席はできませんでしたが、私が主査を務める4名の学生も無事に審査をクリアしたようです。よく頑張ったと思いますし、私も遠隔での指導は初めてでしたがホッとしました。
私自身もやらなくてはならない業務はたくさんあるのですが、仕事に積極的に取り組む意欲が減退し、昨日はゆっくりと休むことにしました。今日も研究所には行かず、自分のペースでリラックスしながら仕事を再開する予定です。昨日は、何も考えずにベッドの中で寝る時間を久しぶりに持てました。
フランスに来るまでの9月末まではまさに息付く暇の無い日々でした。10月にフランスに来てからも、二度の日本出張(どちらもパンパンのスケジュール)と、引越しのための10月中旬の日本渡航もありました。年末年始も非常に貴重な経験はしましたが、のんびりした、という感覚ではありません。結局、ずっと突っ走ってきたのだな、と感じます。
心身が休息を求めていたのだと思います。昨日は頭をからっぽにしてぐっすり眠ることができ、今日は意欲が少し戻ってきています。おそらくもう少し休息が必要かと思います。
私が関与している急ぎの仕事で、私のアクションを待っておられる方々にはご迷惑をおかけしますが、今日から少しずつ再開しますので、もうちょっとお待ちください。
大学にて学生の研究を指導し始めて10年以上経過しています。卒論生や修論生は数えきれないほど指導してきましたし、博士課程の学生も3名が修了し、今は2名を指導中です。計5名のうち4名は留学生です。
私自身は出来の悪い学生でしたので、30歳で助教授として仕事を始めたときには大したレベルの研究ができず、学生たちにも迷惑をかけたと思っています。
ですが、10年が経過したので、学生の指導についてはそれなりに作法を体得してきてはいます。
博士課程の留学生は、母国ではトップエリートですから、その指導は容易ではありません。ご自身のプライドが高い場合がとても多い。上には上がいくらでもいますので、私自身も大学で不要なプライドなるものを粉々に砕かれましたが、彼らにも謙虚になってもらうよう、教師側も全力で対峙します。
彼らと研究を進めていく上で、まずは研究と勉強は違う、ということを納得してもらうことから始めます。
例えば、数値シミュレーションを活用した研究を行うとして、最初は数値シミュレーションを使いこなすようになることから始めます。そして、既往の実験結果等を練習としてシミュレーションしてみることになるでしょう。
そのような研究の初期段階で、私との打ち合わせで、「できました」という人が多い。「そうですか」で終わってしまいます。
数値シミュレーションなど、中身のモデルや、インプットデータの作成方法をしっかりと理解していないと、何の議論もできません。
シミュレーションしてみた結果、うまく合わないときに初めて、「なぜなんだろう」と考え始め、鍵になるモデルの勉強を真剣に勉強したり、インプットデータの作成方法等について深く考えるようになります。要はうまく行っているときは大して考えないのです。課題にぶち当たって初めて人間は本気で思考します。課題を解決するために、知識を使いこなすようになります。
特にトップエリートの留学生は、母国では、研究というものを行ってきていません。答えの決まった問題を上手に解くことで褒めてばかり来られたエリートたちです。「できました」というのも当然でしょうか。
でも、我々がやるのは、答えの分かった演習問題ではありませんし、ちょっと取組んだらすぐに答えがでるような低レベルの研究テーマを設定するつもりもありません。
「できません」が失敗ではなく、真実に到達するために必ず通らなければならないステップだと認識できるところから、研究はスタートします。
同じように、文献を読んで、「読みました」という学生も、基本的には何も分かっていないに等しい。そこからどういう知見が得られたのか、研究と関連付けて説明できなければならないはずだし、分からないところも自分なりの仮説で分析したものを指導教員と議論するくらいでようやく本当の「読みました」、です。
答えのある問題を正確に解けるようになる教育も大事なのですが、研究的な思考方法を身に付ける教育も同様に非常に重要と思います。自然に身に付ける方もたくさんおられると思いますが、多くの国民が研究的な思考をするようになるだけで、世の中は相当に変わるのではないか、と思っています。世の中をポジティブに見ることができるようになるので。