今の私は、勉強が大好きです。もちろん、自分の興味のあることについての勉強がほとんどで、ときどき、必要に迫られての勉強をします。
勉強と言っても、教科書を読むことだけではもちろんありません。本を読むこと、研究委員会で活発にディスカッションすること、論文を読むこと、人と話すこと、物・現場を見ること、ありとあらゆること、自分が「勉強」と思えば勉強になります。
問題は、何を勉強するか、です。 自分が「勉強」と思って学んだことは自分の血肉になっていきます。その方向に伸びていきます。
ここのところ、コンクリートに関する勉強の割合が低下しております。その分、他のことを勉強している、ということです。コンクリートについては、解説文などは読みますが、論文を読む時間が減っています。その代わり、「土木史と技術者倫理」の準備のためもあったのですが、歴史、土木史、政治、経済、一般教養などについての読書は過去に比べて非常に増加しています。読みきれないほど本がストックされてます。
今の傾向がいつまでも続くものではないことを、自分で分かっています。今は、人間としての幅をとにかく広げたい。Civil Engineeringの意義を、広範な知識や体験も持った上で、いろんな方に伝えることが今は必要で、だから勉強しています。
一方で、コンクリートについては、今はこれまでの成果を論文にまとめること、研究をどんどん進めること、に注力しており、だから勉強が少なくなっているのかなと思います。
よく縦穴、横への展開、T型、パイ型、などの表現が使われますが、縦に深く掘ることも、横に展開することも、どちらもCivil Engineerには大事です。
自分でバランスを考えながら、中長期的なことも念頭に置きながら、そのときに必要な勉強をするのでよいと思っています。とにかく、勉強する、ということが何より大事です。後は、なるようになる。
人に教える、人を教育する、ってことほど難しいことはないのかもしれません。
人によっては「手取り足取り」手厚く指導することが教育と思っているだろうし、人によっては突き放して自ら学ぶ力を付けさせることが教育と思っているでしょうし、手法もてんでばらばら。どれが良い、と断定することはできないでしょう。
しかし、私は、手取り足取りがいいとは思えません。人間とは、教わったことを大事にしながら、自分で学んでいく生き物であり、自分で学べる人こそが伸びていけることを、私のこれまでの経験、観察で確信しています。
幼少のころはしっかりと基礎を叩き込んだ方がよさそう。「自分で学ぶ」と言っても、そのようにできる基礎を養成しておいてやることは、親や幼少教育に携わる方々の責務でしょうか。
我々のような大学教育になると、手取り足取りは、時間の浪費になります。やってもいいけど、組織のトータルパフォーマンスのことを考えるとできません。我々にできるのは、一級の情報、考え方、やり方を見せることでしょうか。その環境の中で、体得して伸びていく人はどこまでも行くでしょう。大学とは、悪平等の世界であってはならず、伸びる人たちがどこまでも伸びる環境を整備すべきと、私は思います。
今の私の研究室は、以前に比べると、「手取り足取り」の程度がさらに低くなってきているように思います。それで苦労する方もおられると思いますが、苦労することがご自身の将来に役立つと思って、頑張っていただければと思います。
だんだんと自分の師匠のスタンスに近くなってきているようにも感じますが、学生と同様、私自身も徹底して自分を鍛えないと、世の中で活躍できません。自分のための時間を確保する、ためには、このようなやり方となります。手取り足取りの代わりに、より良質のものを見せることができるので、それを教育と思ってもらえればと思います。
先週末だったかと思いますが、久しぶりに百田尚樹さんの本を読みました。「プリズム」です。
この人の本はいつも本当に面白く、読み出すと止まらないのですが、この本も一気に読んでしまいました。
多重人格者の話ですが、いろいろと考えさせられ、感動しました。
私は多重人格ではないですが、自分の中にはいろんな面があるのを感じます。
今日は、昨夜3時まで徳山の「青山」で飲んでいたこともあって、起きたら朝の9時前!もう回復してきましたが、奥さんがインフルエンザにかかったということもあって、なるべく早く帰宅したかったのに!仕方ないのでさっと身支度して、いつもの「青山」でのおいしい朝食を静謐な和室で食べさせていただきました。その後、新幹線に乗るまで時間があったので、おかみさんにコーヒーを入れていただいて、我が国の将来のために我々が何をしようとしているのか、どうしてこんなに何回も山口県に来るのかを、説明しました。
新幹線では広島で乗り換えた後、まず睡眠。起きたら新大阪の手前でした。その後は、帰宅するまで、ずっと私の「別荘ブログ」を読んでいました。二日酔いでしたので、仕事をする気にならなかったためです。ブログの記事を現在からさかのぼっていって、2010年の4月くらいまでたどり着きました。別荘ブログですので、本家ブログがもちろんあるのですが、別荘ブログでも1年半くらいの日記を読むのに数時間もかかりました。読むといろんなことを思い出したり、感じたりするので、それも含めての数時間です。
特に最近、自分自身が自分で無いような感覚を持つときがあります。公の場での露出が多いことにもよるでしょうし、非常に多くの人たちとつながりが増えていっているのですが、普通ではない私のキャラが皆さんに認知され、そのキャラが私から浮遊、遊離していっているようなイメージです。多重人格ではないですが、プライベートの自分と、公の場での自分がもちろんほとんど一緒なのですが、二日酔いなどでボーっとしているときには離れていくような感覚になります。
別荘ブログを読んでいて、まあよくもこれほど激しい生活をしているものだ、と他人事のように感心してしまいました。震災の調査や、エチオピアへの出張など、もちろん行ったのは私自身なのですが、他人の行動のような感覚でした。
今後、自分のやっていくことがどういう展開になるのか、予想も付かない状況になってきています。首都圏直下や東海地震が来ると、我が国がどうなるのかも分からない状況ですから、みんなそうなのかも知れませんが。
私はこれまでの39年近い人生でもう十分に楽しみました。キャリアだけを見ると、それほど変わったものでもないですが、ドラマチックな半生でした。人生あっという間、とも思いますが、こうしてブログを読み返してみると、あっという間ではありません。刺激的な瞬間を十分に積み重ねてきたと思えます。
まあ、この国の命運と同様、この私の残りの半生が平坦であるとはとても思えませんので、ドラマチックな展開に耐えうるよう、心がけるは、とにかく心身の健康です。
今週も刺激的な日々が続いておりますが、今日の夜も素晴らしい出会いがありました。
木谷正道さんという方を、 横浜市の方にご紹介していただきました。私の研究室まで、木谷さんを含む3人で来られました。
ご紹介していただいた横浜市の方が、私と木谷さんをぜひ会わせたい、ということでお会いすることができました。
何の前打合せも無く、話が始まり、2時間ほど、夕食も食べずに何も飲まずに20時まで話しました。もちろん、お互いずっと話しっぱなしです。
話していてとても楽しかったですが、とてもすごい方のようです。お父様が、20世紀で指折りの囲碁の棋士、木谷實さん。紫綬褒章を受章され、木谷一門と呼ばれる弟子を多く育てられています。 正道さんを含むたくさんの子どもを育てられましたが、その中にも著名な方が多く、ウィキペディアで見てびっくりしました。
木谷正道さんのいろんな活動を聞かせていただいて、すごく興味が湧いて、私も仲間に入ってくれ、と言われました。一方で、私の仕掛けているいろんなことにも興味を持っていただき、また私の考え方に共感を持っていただきました。というか、すごく似ていました。
木谷さんはいろんなことをやられていますが、一つは防災。首都圏直下、東海地震などの危機は本当にすぐそこに迫っており、日本の命運がかかっています。これだけ過密化した世界最大の都市が大地震を受けてどうなるのか。人類初の世紀の実験と言っても過言ではありません。日本が崩壊するかもしれません。被害を何とか食い止めるために奔走しておられます。
また、日本人の精神性、生き方が崩壊しかかっていることにも稀有な危機感を持っておられ、人と人がつながるために、いろいろな地域で素晴らしい取組みを実践しておられます。感激しました。
さらに、今日一緒に来られた横浜市の二人の方のうち、初めてお会いする方のお嬢様が、何と、横浜国大の1年生で、私の土木史の講義を受けておられたそうです。その女子学生は家でお父さんに、私の講義の話をしょっちゅうしていたそうで、お父様は今日私と会うのを心待ちにしておられたとか。そして、その親子は22日の私の横浜市での講演に参加されます。
何というのでしょうか、つながる、ということが自分の予想をはるかに超えて、止まらなくなってきています。私自身も火をつけて、そこに油を注ぐタイプですが、そういう人たちが集まり、つながり始めている様相です。幕末と似てきてますな。
ちょっとこわい感じもしますが、私の心から望む方向性です。今後、どんな展開が待っているのか、想像も付かなくなってまいりました。がんばろう。
2/22(水)に横浜市で講演をします。山口県のひび割れ抑制システムや,長崎県の産官学・市民の連携による道守のシステムを核に,全国展開をしかけていきますが,横浜市もその大きな舞台の一つです。本気でやりますので,火が付いて行く現場に一緒にいませんか?
横浜国大の学生で参加希望者は,土木工学教室の見学会のブログで参加表明をしてください。私に直接メールで連絡くれても大丈夫。この記事のコメントでも大丈夫です。
横浜市の方々も,将来,連携していく,未来の技術者たちがたくさん来てくれるのを願っているようです。
人間とは非常に弱い存在です。社会がシステムとして機能しているときは、モラルを保てたり、各自が自己を律して生きることもできますが、今の日本のように個がそれこそ砂粒のように浮遊しているような状況になると、歯止めの利かなくなっている人が相当に多くなっていると思います。
日本人として、本来やるべきことを、持続的に実施する、ということは簡単なことではありません。まず、本来やるべきこと、をきちんと自覚することも簡単ではないですし、自覚したとして、それをどうやって持続的に、高めながら実施していくか。言うだけでも難しそうですが、実行は容易ではありません。
トヨタについての本はたくさん出ていましたが、その中でも「良いことはいつまでも続ける」、「悪いと判断したことはすぐやめる」とありました。
我が研究室でも、良いと思うことにチャレンジし、心から良いと思えば、それを改善しながら続ける努力を重ねてきました。
2003年秋に私が赴任してから、2004年に夏合宿を開始し、8回積み重ねてきました。その時々に、我々ができる最良の夏合宿を実施してきたと思います。
2009年度に私の思いつきで始めた冬合宿は、夏合宿とは全くコンセプトを変えています。研究室の取組み、イベントにはそれぞれ固有の意義を持たせており、夏合宿は毎年あちこちを飛び回りますが、冬合宿は毎年三崎の同じ宿。冬合宿も今日で3回目になります。今、三崎に向っています。
こうやって、良いと思うことは継続します。自覚が足りないのかもしれませんが、横浜国大のたかがコンクリートの1研究室ですが、本当にやるべきと確信することを、5年、10年と積み重ねると、かなりのことができるようになってきます。夏合宿や冬合宿、コンクリートカヌーなどのイベントそのものが目的なのではありません。それらを通じて、我々の総力がスパイラル的に向上し、連鎖し、それぞれが楽しく、たくましく生きていく中で、社会に貢献していくことが目的です。たかが8年ちょっとで、ある程度社会に貢献できるようになってきました。これを積み重ねて、進化していくことが社会のためになります。
今の世の中には、正しいことを正しい、と言ってくれる大人もほとんどいません。学生たちも、信用できる大人にほとんど出会ってきていない、という印象を、土木史のレポートなどから感じます。そういう中で、自分を律して、正しいことを積み重ねて行く人生を送るのは簡単なことではありません。思いをともにする家族や仲間がどうしても必要だし、きちんと導いてくれる師匠、先輩が大事です。私は幸いにもそういう環境で育ってきましたので、私もそうやって後輩たちを導く責務を当然に負っています。それが私の仕事です。
組織の活動も大切ですが、やはり根本は個。特に、個の心身の健康が大切。自分自身に投資してくれる人など、自分しかいません。いかに、自分に適切な投資、てこ入れを、継続的に実施するかが大事です。
朝のテレビ体操も半年以上経過しました。すごく気に入ってまして、体の健康を支える一つの大事な要素になりました。肩痛も、信頼できる整体に出会って、ほぼ完治しました。今後、長く健康に生きていく上で、整形外科でなく、整体に出会ったのは大きいです。
心の健康も、いろんなケアの仕方がありますが、読書の幅がさらに広がってきているのは大きいです。ついに、トム・ソーヤーの冒険だとか、シャーロック・ホームズなどまで読むようになってきましたので、人生を楽しむ術はかなりのレベルになってきたかな、と思います。
私は、研究室の今現在の状態に必ずしも満足していません。ですが、必ず、卒業論文の審査会の後の、研究室の打ち上げでは、毎年満足します。ということは、これからの数週間に大きな変化が必要で、そのためのてこ入れに今日から本腰を入れるのだろうと思っています。冬合宿はそのための大きなチャンスです。そうすることで、今年の研究室も最終盤、仕上がっていくし、来年度へと続いていくのだと思います。
好奇心、興味、が人間の行動の根幹的な原動力かなと思います。
物に対しての興味も大事ですが、人に対する興味はもっと大事かなと思います。人を好きになる、ということと同じかな。
仲良くなりたいと本当に思えば、相手もそう思ってくれます。本当に思うなら、その気持ちが行動、表情などすべてに表れるからです。
2/3に実施した3研究室の合同ゼミも、群馬大の学生が私と「仲良くなりたい」と思ったことがきっかけで、結局それだけであのようなイベントが実現しちゃいました。ポジティブなエネルギーからはクリエイティブなアイディアが生まれます。もちろん、学生たちが主体的にいろいろと段取りをしてくれましたが、我々教員も、ちょっとしたアドバイスなどでこのイベントが良質になるように、心がけました。事前も、イベントの最中も。
いざ合同ゼミをやる、となると、その機会を徹底して活かす、という思考回路が出来上がります。長岡と横国の津波被害調査のミーティングも、当然、この機会にやる。久しぶりの雪遊びもやる。おいしいものも食べる。そういうものが積み重なって、 たった1泊2日の出張がとてつもなく充実したものに変化します。
日本には素晴らしい人たちが数多くいます。世界にももちろんたくさんいるでしょうが、まずは日本の素晴らしい人たちとなるべく多く知り合いたい。話をすれば、いろんなことを学べます。連携すれば、より大きな仕事ができます。
大きな仕事ができるようになれば、それだけで人生は楽しい。
楽しくなるための秘訣は、人を好きになること、「仲良くなりたい」という素直な気持ちをストレートに表現すること、それだけかもしれません。
金曜日に山口に行きますが、JCI中国支部の小さなシンポジウムですが、徳山の「青山」での懇親会には17名も集まるそうです。楽しいから集まるのでしょうね。またここでも、山口のシステムの新たな展開について熱く議論が飛び交うことでしょう。昨日、鹿島の坂田さんと貴重な情報交換(主としてインプットいただきました)をいたしましたので、それも金曜の懇親会の火に、油として注がしていただきます。どこまでも盛り上げていきましょう。
ちょっとした心がけ、気の持ち方が、とんでも無いことに化けていく。人生や世の中はそういうものであろう、と推察していますが、一生かけての実験ですな。
元からパワー系ではあるのですが、最近特に、「熱い」「エネルギッシュ」「バイタリティ」「パワフル」などのキーワードで形容されることが多く、仕方ないかなと思っております。
長岡の下村先生からは以前に、「細田さんのその情熱はどこから湧いてくるの」と懇親会の場で聞かれました。「自然に湧いてきます」と答えましたが、思いをともにする仲間たちや、学生たちと ぐちゃぐちゃやってますと、元気にならざるを得ません。
このような生き方には多大なエネルギーを要しますが、パワーが枯れてきたらどうなるのかな、とパワー系の末路にちょっと思いが至ることもありますが、なるようになるのでしょう。世の中のために必要なパワーであると自覚し、継続できるように精進いたします。
広島の佐藤先生からは、「社会はそう簡単には変わらない。慣性力の大きさを十分に認識し、長期戦でやれ。」とアドバイスいただいてます。身にしみるお言葉です。
私も、中長期戦で、それこそ人生をかけたチャレンジだと思っております。田村先生とは、自分たちの世代で完結する事業ではなく、命をつないででも実現しよう、とお話しています。そうなるでしょう。
時間はあっという間に経っていきます。山口の取組みと私がつながってからもうすぐ3年。早いものです。長期戦ですから3年やっても、まだまだスタートラインに立てたかな、くらいの感覚で、これからが真のチャレンジです。
我々のエネルギーも相当なレベルにあるようで、昨日までの越後湯沢での合同ゼミでも、多くの学生、スタッフがいろんな影響を受けたようで、 こうやって連鎖が生じていくことを皆が実感したことでしょう。
私にとってはもはや日常で、ほぼ毎日、このような連鎖を作りながら、感動しながら、生きている状態です。
佐藤先生の「慣性力」は肝に銘じますが、変わるときは一気に変わる、と見てまして、私の身の回りはすでに変わり始めています。一気にたたみかけるステージに入っていると認識しています。
今日はゆっくり休養しながら、家庭を大切に、かつ仕事。以下の来週の一週間も、激しくなりそうです。来週もまた新たな出会いがあり、夢を描いて、実現していきます。
データベース委員会のWG3、鹿島との打合せ、研究室冬合宿、防災NPOのリーダーとの初対面、山口県徳山でのシンポジウムで講演+いつもの「青山」での大?懇親会。また熱くなるのでしょう。
我が家の娘たちは、ちょっと変わっていると思いますが、その分析。
人間とは、生まれ育った環境の影響を大きく受け、もちろん家庭の影響を多大に受けます。
我が家は、奥さんが平日激務のため、父親が育児にかなり参加します。特に長女は生後2ヶ月半から保育所に行きましたし、その送り迎えを私もたくさんやりました。次女は、もう少し長く奥さんが育休を取ったので、そのせいもあるのか、やはり長女の方が私にべったりです。
父親と子どもたちのコミュニケーションはとても多いです。外食がどうしても多くなりがちですが、夕食を三人でわあわあ言いながら食べることも多いし、お風呂に入ったり、絵本は数知れず読んでやってます。
私も今後どうなるかは分かりませんが、今は非常に元気ではっちゃけて仕事をしてます。もちろん家でも同じように元気ですので、子どもたちがその影響を受けないはずがありません。長女は毎日小学校で「ドロケイ」に夢中で、「ケイ」のリーダーだそうです。警察庁の長官にでもなるかもしれません。次女は、最近めきめきと頭角を表してますが、非常にひょうきんでかなりのおてんばのようです。
もちろん、私も仕事が非常に忙しく、やることが無数にあるくらいなのですが、まあ割り切ってますので、できる範囲でやります。
彼女たちと出会ったのも縁ですから、長い付き合いになりますが、日々を楽しく積み重ねていきたいです。
いわゆる普通の父娘関係ではないと思いますが、今後どういう関係になっていくのか、それが楽しみです。
昨日は、我が師匠、JR東日本の松田さんの博士論文の最終審査会および公聴会でした。午後から講義でしたので、発表だけ聴くために東京大学に向いました。
松田さんは、私がJR東日本の構造技術センターに在籍していたときに、鍛えていただいた方で、その後も研究をご一緒させていただいております。何度、一緒に酒を飲んだか分かりませんが(確実に3桁。4桁ということはさすがに無いと思う。)、今の私の考え方を形成するのに絶対に不可欠なエキスを多く注入していただきました。
昨日の発表は非常に素晴らしく、その内容の多くに私も直接、間接的にかかわらせていただいたこともあって、感慨深く勉強させていただきました。このような本物のエンジニアの成果が、岸先生のご指導によりカッチリとした形で世の中に発信されることは素晴らしいことだと思いました。発表の内容は非常に濃く、30分でよくまとめられるなという印象でした。私は松田さんの直下でやった時期もありますので、ほんのちょっとした一文や、キーワードの真の意味も理解できます。あの聴衆の中で、私と同じ以上のレベルで理解できているのは、JR東の小林さんと、鉄道総研の上田さんの二人だけのはずです。本物のエンジニアの、真の迫力に感じ入りながら聴いておりました。
松田さんの上司であるJRの石橋さんと、我らが師匠の岡村甫先生は、古くから良好な関係で、岡村先生のご指導で石橋さんも博士を取得されていますし、東大-石橋グループの勉強会も行われてきました。私も学生のときにその勉強会に参加させていただき、発表したこともございます。そのご縁もあって、私もJRに在籍して、実務の経験を積ませていただきました。
松田さんのすごさも、今や全国レベルに知れ渡っていますが、それも、東大グループとの連携も一因であると思っています。
また、私は弱冠30代ですが(でもあと1年ちょっとで40歳)、私の言うことに説得力があったり、迫力が宿っているのも、その背後に石橋さんらの実務集団の顔がちらつくのも大きな一因でしょう。最近では、山口県の取組みで鍛えられていることも大きな要因かと思いますが。生意気なことをしょっちゅう言いますので反感を買っている場合もあろうかと思いますが、実構造物、実務に基づく発言が多いので、反論できないものが多いのだろうと思います。
このように、一級の集団が連携し、その中で草の根レベル(我々)の連鎖が始まると、もはや止まらなくなります。個々は違ってよい。それぞれが一所懸命に実務、研究に取組むことで、個々の長所が連携したときのすごさ、連鎖していくすごさ、は当事者でも計り知れないほどです。逆に、何でもいいから光り輝く長所がないと、その集団の中では認められないし、発言すらできない。
そのような連鎖の中で、楽しい人生を送らせていただいて、感謝しきれないほどです。別に私が存在していなくても、この連鎖はあったのでしょうが、私がいることで特に草の根レベルの連携が密になり、連鎖の程度が大きくなってきたと思います。自身の真の存在価値を認識することもこういう場があるからできることです。
そして、我々は、自分たちのためだけに努力する人種ではありません。連携すること、連鎖することは、もちろん公のためです。
先週金曜日の初期ひび割れのシンポジウムでも、「誤解の連鎖」などというネガティブなキーワードが出ました。世の中全体が、ネガティブな連鎖に陥っていると思います。
何とか、ポジティブの連鎖、に転換できないものですかねえ。考え方一つ、だと私は思うのですが。