「誰ひとりきみの代わりはいないけど、上位互換が出回っている」西浦 友教
土木史と文明の講義内で細田先生はしばしば「海外を見てきたらいい。日本のインフラは遅れをとっている。」という趣旨の言葉を私たちに投げかける。その言葉を受け止めているとなんだか「日本って海外の下位互換なのではないのか。特にインフラに関しては。」という思いが芽生えてくる。
実際、日本と海外諸国のインフラ整備水準の比較材料として道路を例にとると、制限速度が時速60km以上の道路は日本には約21,200km、時速100km以上の道路は約2,800km整備されている。しかし制限速度60km以上の道路を人口当たりで比較するとアメリカは日本の10倍、制限速度100km以上の道路では実に33.5倍も整備されていることが分かる。ヨーロッパ各国でも時速60kmの道路は日本の3〜4倍、時速100km以上では7〜8倍の整備水準である。また、中国や韓国といった東アジアの国々の動向に注目してみると、かつての日本がヨーロッパ諸国に追いつき追い越せと努力してきたように、東アジアの国々が追いつき追い越せとすべき対象国は日本であり、既に空港や港湾では滑走路の規模などにおいて日本を上回るインフラが整備されている現状がある。こうして考えると、やはりインフラに関して日本は海外の下位互換なのかもしれない。
ここで少し話がそれるが、この文章のタイトルにもなっている「誰ひとりきみの代わりはいないけど、上位互換が出回っている」というフレーズを紹介する。このフレーズはTwitterとnoteを主な活動場所としている宇野なずきさんの歌集「最初からやり直してください」に掲載されていたものであり、個人的にとても考えさせられた。作者の実際の意図は分からないが、厳しい現実を突きつける辛辣な言葉であると感じる。ただ、私はなぜかこのフレーズを嫌いになれない。むしろ好きかもしれないとまで感じる。文字通りの意味では「あなたと全く同じ人間はいないけれども、あなたより優れた人はたくさんいる」ということになる。もしかしたら、あの細田先生にも今までにこのようなことを感じて落ち込んだり、腐ったりした経験があるかもしれない。残念ながらどんな分野でも自分より有能な人がどこかにいる、というのはほとんどの場合、事実であり、今の自分がいるポジションや役割に代わりについたらもっと上手くやれる、もっといい結果を出せる、そんな人たちがたくさんいる。たとえ自分が自身の過去最高を叩き出しても、上を見れば切りがない。
話を元に戻すと、辛辣で棘のある「誰ひとりきみの代わりはいないけど、上位互換が出回っている」というフレーズを日本のインフラの現状に当てはめてみると、「日本のインフラ整備には素晴らしい点が多々あるが、上位互換かのように整備が進んでいる国々が海外には存在する」ということになる。この先の文章構成として、「日本には列車の安全性とダイヤグラムの精密さについて世界に誇れる交通インフラがあり、人口比で考えれば道路の渋滞だってひどくはない。」などと日本のインフラが持つかけがえのなさを主張し、それらを大切にしながら上位互換を気にしすぎることなく成長していけば良いと考える、という展開に持っていくことが頭の中をよぎった。しかし、そんなことじゃいつまでたっても欧米諸国からは差を拡げられる一方であり、気づいたら東アジアの国々に置いてけぼりにされてしまう。上を見て、上位互換かもしれない対象と比較し、時に絶望感や諦めたくなる気持ちを抱きながらも泥臭く成長していく方がかっこいい。ぜひ、日本にはインフラ整備を通じてかっこいい国になって欲しいと感じる。私自身も、何らかの形で日本の成長の手助けをできる人材に成長したい。
<引用文献>
・宇野なずき「最初からやり直してください」(歌集)
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