細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

お弁当

2014-05-06 19:17:18 | 人生論

一日に4つも記事を書いてすいません。本当は以下に書くこともある記事に入れ込もうと思っていたのですが、どうも収まりが悪く、また書いておかないとすっきりしないので、4つ目の記事にすることにしました。

私とFacebookでお付き合いのある方々は、うんざりするほどお弁当の写真を見ておられるかと思いますが、フランスに来てから子どもたちのために作ったお弁当の写真をFacebookにアップロードし、アルバムにしています。今日のお弁当で52個になりました。日本出張やら休み期間もあったりするので、一本調子には増えませんが、結構な数になってきたなとは思います。

私が子どものお弁当を作るということに対して非常に意外に思われた方もいるようですし、昨日まで観光で来ていた妹は、私のアルバムを見て「秋野暢子か!」と突っ込みを入れ、「お兄ちゃんがそんな人だとは思わなかったわ。」と素敵な捨てゼリフまでいただきました。

誰がどう思おうと、私は大して気にしませんが、私自身はマメな人間ですし、料理を作るのも好きなので、facebookでのお弁当アルバムはある意味では私にとってはごく自然な姿の一つです。

ちょっと前の「労働哲学」という記事でも書きましたが、村上春樹の労働哲学と同じで、私も、日々のお弁当をしっかりと心を込めて作る、ということがとても大事だと思っています。大事なことで、生きることそのものだと思っているから、記念写真を撮って、 後でも振り返れるようにしている。フランスで過ごす時間が自分にとっても生涯の宝物になるのは当たり前で、そのときに育ちざかりの子どもたちのために心を込めて作ったお弁当の写真集が、自分の生涯の宝になるのは当たり前です。

同じように、ブログも一所懸命書く。もちろん、一所懸命本を読んで勉強する。一所懸命論文、解説文等を書く。一所懸命にフランスのいいものを見て歩く。

それらの一つ一つが生きることそのものであり、そこに心を込められるかどうかが大事だと思います。

首都圏で震度5弱の地震があったようです。もっと大きな地震がいつ来るか分かりません。

地震に限らず、世界中で何が起こるか分からない状況だと思います。

一つの大きな時代が終わろうとしており、その終わりは破滅的になるかもしれない。新しい時代にそれほどスムーズに移行できるとも思えない。でも、新しい時代の息吹は自分の身の回りでも具体的にいろいろと感じる。

それでも、自分たちにできることは、日々の一つ一つに一所懸命に取り組むことだけです。立場によって役割は違う。でも、一足飛びには行かないし、自分の持ち場をしっかりと守ることが何よりも大切だと思う。

今夜も、しっかりと仕事をした後に、食材を買って帰宅し、心を込めて焼きそばを作ろうと思います。 


ブログの効用

2014-05-06 18:30:15 | 研究のこと

ブログの記事を書く時には、あまり時間はかかっていません。

日本にいるときであれば、例えば通勤中などに、ぼやっと感じた「テーマ」があり、それをブログという形で文章に一気に書きます。ぼやっと感じていることを、文章で表現することは、脳の中に散らばっているいくつかの情報をつなぎ合わせて一つの形にするという作業です。

フランスに来てからも、せっせとブログを書いていますが、これは私にとっては大切な作業です。読む方にとっては、駄作や似たような内容のオンパレードかと思いますが、基本的にはこれは日記ですので、自分のために書いているものです。教育という仕事をしていますので、周囲の皆様の人生が素敵なものになるためにわずかなりとも貢献できれば、という気持ちも持って書いてはいます。

フランスに来てからの記事は、日本にいるときよりも執筆に時間がかかっているように思います。

頭の動きが鈍っていることもあるのかもしれませんが、私の推察では、これまでよりも、脳の中でつなぎにくい情報をつなげようとしているからではないか、と思っています。

もともと多くのことに興味がある人間ではありますが、フランスにいる間は、今後の自分の活動を展開していくために必要な肥やしを自分の脳に与える時間だと認識していますので、日本にいるときよりも脳にインプットする情報が多岐に渡っています。情報をインプットして、脳が感じたことを、ブログで文章にしますので、私自身が「つなぐ」ということで格闘している一つの証拠かなと思っています。

そして、この格闘が大事。脳では、良著「海馬」でも勉強したように、神経細胞がつながり、回路が強化されることが重要。回路を通しておけば、いつでも回路を活用することができるはず。
(この「海馬」という本は素晴らしいです。人間に対する応援歌、とあとがきにも書かれていますが、本当にそう思います。しかも、読みやすく、超お薦めです。)

私の研究者としての仕事の特徴に、解説文や論説文を書く機会が相対的に多い、ことがあると思っています。まだ若造ですので、あくまで相対的な話ではありますが、いろいろお声掛けいただいて、貴重な機会を与えていただいています。研究者にはいろいろなタイプがいていいし、いろんな役割があると思っていますが、私は研究論文ももちろん書きますが、解説文や論説文の執筆機会が今後も増えるのではないかと想像しています。

その際に、 誰でも書けるような文章を書きたくはない。フィロソフィーの詰まった、読んだ人の中に少しでも共感してくださる方がいて、何かの変化につながるような文章を書きたい。

ブログを書くという日常行為で自分の脳の回路を鍛えておくことは、日常での講演や講義等のクオリティを上げ、解説文や論説文等の執筆機会を増やし、それらの文章のクオリティを上げることにもつながると考えています。

数日前から、「品質確保と人」というタイトル(仮題)で「コンクリート工学」誌から寄稿を依頼された原稿を書き始めていますが、まさにフランス留学中に勉強したことや、復興道路、山口県等での議論から日々学んでいるフィロソフィーを詰め込んだ文章にしたいと思っています。

論文ではいつも「主観」が多い、と叱られてばかりの私ですが、上記の論説分では、独りよがりにならないように、現時点の私にできる最大限の配慮をしながら、適切に主観を述べたいと思っています。参考文献に村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」も挙げる予定です。 


時代の終わりと始まり

2014-05-06 17:35:57 | 人生論

現在、一つの時代が明らかに終わるというか、壊れようとしており、まだ明確ではないものの新しい時代が始まろうとしていることは、自分自身の日常的な体験からも感じます。

大学の教員の生活が、一昔前と比べて著しく忙しくなっていることは、先輩の先生方からもよく聞くことですし、今の異常な忙しさを実体験している者としてもおそらくそうなのだろうと推察します。大学の教員に限らず、多くの職業でそうなのかと思いますが。

その一因として、ツールに踊らされている、ということがあると思います。 コンピュータ、インターネット、メールその他のツールが著しく発展したことはありがたいことだし、今やそれらなしで仕事できないのは事実なのですが、ツールに踊らされて本質的でない仕事に翻弄されているように以前は感じていました。

まず私の生活が破たんしかけたのは、メールを処理しきれなくなったことです。何年前か忘れましたが、もう無理だと悟り、 Gmailに切り替えました。Gmailの検索機能や、作業のしやすさに救われて、現在もまだ地獄のプールで泳ぎ続けることができています。でも、私が溺れ死なずに元気に泳ぐようになったことによって、私から受信するメールが増え、ご迷惑がかかっている方々もおられると思います。地獄の中では、誰かが生き返れば、別のどなたかに迷惑がかかる、というような場合が多々見られます。

どう考えてもユーザーのことを考えて作っているとは思えない、マイクロソフトのワード、エクセル、パワーポイントなどの製品の使い勝手の悪さにも辟易しますが、 google、マイクロソフト等に関する話はすべて、我々がアメリカの戦略にまんまとはまっているということも分かっています。そこに多くの人間をどっぷりと浸からせることで、一部の人たちに巨額のお金が渡る仕組みですが、他に選択肢がない。

大学という世界中にある組織や、横浜国立大学という具体的な大学も、世界の大きな流れの中で損なわれ続けているのを感じます。止めようがない流れの中にいるので仕方ない面もあると思いますが、大学の中にいて様々な議論を聞いていて、心の底から正しい、と思える方向だとはとても思えない議論に溢れているのが現状です。

最近は、内田樹先生の本をよく読むようになっており、これまで持っていなかった斬新な視点をいただけてとても勉強になっています。

資本主義が限界にきていることを内田先生も説かれています。つくづく、すごい時代に生きているのだと感じます。

内田先生は「贈与経済」へと移行すべきであることを説かれています。詳細は内田先生の論説や、私の別の記事に譲りますが、これについても移行の動きが明確化しており、それが新たな時代の始まりを予感させます。私にも思い当たる節があります。

市場を介さずに、贈与。物々交換。私はこれを提供することができる、代わりにこれをいただく。

例えば、米の消費量が落ちていることを危惧するような情報ばかりですが、実は市場で取引されていない米の量がかなりの量になっており、増える傾向は止まらないそうで、マスコミからの情報では決して知り得ないことです。

すでに私の動きも一部、贈与的になっています。

私は、山口県の品質確保システムや、東北の復興道路の品質確保システム、学校での防災教育等に、わずかなりとも貢献することができる。そのためのノウハウや、技術を持っている。だから対価をいただかずに提供します。出張旅費も受け取らないし、依頼されて講演する場合も、自費で旅費や懇親会費を支払うことがほとんどです。

私はお金として報酬は受け取っていませんが、研究のフィールドを提供していただいたり、最前線での議論から学ばせていただくことが十分すぎる対価だと思っています。真のWin-winが築ける可能性を強く感じます。

これも一種の贈与経済の形ではないかなと思います。過去であれば、受託研究とか、共同研究とか、必ずお金が発生し、面倒くさい手続きが発生する。

もちろん、資本主義がすべてなくなって、全部が物々交換になるとは思えないし、研究の場合だってすべてボランティアというわけには決していきません。

しかし、これまでのように、何か逆らえない一つの大きな流れの中で、ほとんどの人たちが息苦しく感じながら生き、気づいてみればほとんどすべてを失いつつある、という状況からはわずかながら脱却しつつあるように感じます。脱却しなくてはならない。

人間とは、制度の中でしか生きることができないように思います。ごく一部の人が大儲けをして、その他大勢は食うにも困る、というようなこれまで流行ってきた流れ(構造改革とか、安直な行政改革、民営化推進等)は論外で、もはや時代遅れかと思いますが、国民がしっかりと食っていける、というシステムがどういうものなのか私も十分に認識できていません。

おそらく、中庸に解があるのでしょうが、私は適切に勉強しながら、自分の日常で実践しながら体得していくしかないと思っています。
 


最後の仕事

2014-05-06 17:21:23 | 職場のこと

今日、ある仕事に本格着手します。2013年10月にフランス滞在を開始して、7ヶ月が経過しましたが、日本で抱え込んできた仕事としては最後の仕事になります。

日本では10年間、同じポストで仕事をしていましたので、仕事の明確な切れ目が無いものもあり、また次々と降りかかってくる仕事に、無限地獄のような気分を感じたこともありました。

別の記事にも書くつもりですが、現代社会は、無理やり仕事を作り出しているきらいもあり、本当に大切な仕事をする時間をどう創り出すか、悩み続け、自分なりに格闘してきました。

フランスでの一年は、ある意味での「精算」であり、新たなスタートでもあると思っています。

その意味でも、今日から着手する仕事は、10年間積み重なってきたことへの終止符のつもりで、頑張ろうと思います。1週間、専念して終わるくらいのボリュームとイメージしています。5月下旬からはオランダ、日本、ノルウェーの出張ラッシュが始まるので、それまでに絶対に終止符を打ちたいと思います。

5月下旬からの出張は、私にとって新たなスタートとなる、とても大切な時間になりそうな予感です。