細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

持続力

2014-05-09 20:55:24 | 勉強のこと

自分自身でいわゆる「三日坊主だな」と思ったりした時期もあったのですが、どうやら私は本質的には三日坊主ではないようです。

誰でもそうなのかもしれませんが、本当の興味の無いことや、自分が本心からやりたいことでないことは長くは続きません。

一方で、私は、自分が本当に大切に思うことや、心から面白いと思うことに対する持続力は一般より強いのだろう、と41年間自分と付き合ってみて思うようになりました。

自分は器用な人間だとは思いませんが、努力を継続してコツをつかんだものに対してはセンスを発揮します。これも当たり前のことなのかもしれませんが。

中学校受験、中高の勉強、中高の部活(バスケ)等での自分のやり方、パフォーマンスを見ていても、努力を続けて、ある段階から大きな成果が出るようになり、努力が長く継続される、というパターンです。

最近の日常生活でも、このブログ、読書、朝の体操、口腔ケアなどは自分の中で確立した方法があり、それを何年も何十年も継続するのだろうと思います。

今日、久しぶりに?コンクリートの勉強を再開しました。基礎的な勉強、という意味です。

7年くらい前に通読した、Nevilleの"Properties of Concrete"(もちろん原書)をオフィスの書棚から取り出し、10章のDurability of concreteから読み始めてみましたが、やはり面白い。ある程度、基礎が確立された人間がこの本を読むと、いろいろとインスピレーションが湧いたり、日常から疑問に思っていたことが解決されたり、もちろん英語表現の勉強になったり、と非常に楽しめます。努力を継続すると、ある段階からちょっとした努力の効果が大きくなることが、努力を継続することの魅力です。

留学中にやりたかったことは無数にありますが、終わりの時期もぼんやり見えてきました。すべてをやることはできませんが、後で後悔しないようにだけはしたいと思っています。論文等の執筆はそれなりにやってきてはいますが、専門分野の古典の勉強や、講義資料の準備等に注力してこなかったので、少しずつ過ごし方をアレンジしていく時期に入ってきました。


フランス語の学習について思うこと

2014-05-09 17:46:46 | 勉強のこと

何度か、このブログにも書いていますが、フランス語の勉強もしています。本格的に語学を勉強するのは、英語、大学1~2年生時のドイツ語、に次いで3ヶ国語目です。40歳になってからの勉強なので成長が遅い面もありますが、いろいろと感じながら勉強するのでよいと思っています。ここの所、別のステージに差し掛かっているように思うので、記録しておきます。

まず前提条件として、私はフランス語はほぼゼロの状態で、フランスに行くことが決まり、2013年8月末くらいにフランス語のSpeed Learningの教材を一括購入し、聴き始めました。日常の挨拶表現すらほとんど知らないような状況からのスタートです。

奥さんの会社の計らいで、フランス語のレッスン(40時間)を受けることができるとのことでしたが、手続き等がスムーズに行かず、実際に始めたのは2014年2月末になってしまいました。その間、Speed Learningを聴いたり、日本出張中は完全に途絶えたり、とごくごくわずかな進捗があった程度でした。日常の食料品の買い物程度はフランス語でできる程度。

2月末にフランス語の個人レッスンを基本週一回1.5時間で始めてから、フランス語の基礎が身に付き始めました。基礎が全く無い状態でSpeed Learningを聴いても大きな進歩はあり得ないように思いますが、両方をやると相乗効果が期待できそうであることが少しずつ見えてきました。

日本に来る前に買っていた文法の解説書の読みやすそうなものも、最初は全く面白くなかったのですが、わずかにでも基礎ができ始めると、読んで面白くなってきました。

5/7(水)に諸事情で3週間ぶりに、フランス語のレッスンに行ったのですが、 過去形を勉強し、「私は昨日、サクレクール寺院に妹と行きました。それは私には3回目です。」などの説明をすることができるようになり、自分の行動等を人に説明できるようになってきました。いくつか非常に重要な動詞があるのですが、それらの重要性や現れる頻度が非常に大きいことに気付くようになり、Speed Learningの内容の理解も少し深まってきました。

Speed Learningはよくできた教材で、全12巻のうち、今のところ聴いたことのあるのが7巻まで。そのうち気に入った巻とそうでないのがあり、1, 3, 5, 6巻を気に入ってよく聴いています。5巻は3世代の家族の会話、ホームパーティー等の様子で、日常的に使う表現などがたくさん出てくるので気に入っており、5巻の中のさらに気に入った箇所を何度も何度も聴いたりしています。

また、Speed Learningはリスニングだけの教材というよりは、フランス人の考え方や文化、歴史などを学ぶ上でも良い教材と思っています。今日の通勤時に7巻を最後まで聴いてみたのですが、フランス人の精神を象徴するゴロア魂と宮廷精神、についても会話の中で触れられており、とても参考になります。早めに、12巻まで一度聴いてみようと思いました。

街中をよく歩くわけですが、いろんなフランス語が目に入ってきます。以前よりも、看板やポスター等の表現が理解できるようになってきていることにも気づきます。

以上のように、多少は進歩してきているように思いますが、語彙が少ない。真面目に語彙を増やそうと勉強していないからです。一週間の曜日は覚えていますが、一年の月の名前はきっちりとは覚えていない。色、もしっかり覚えていない。身の回りの物品も覚えていない。これは、ちょっとした努力を続けることでできることです。

そして、私がフランス語を学ぶ目的ですが、滞在中に使いこなすことができるとは思っていません。そのことに専念すればできるとは思いますが、もっと他にやりたいことがたくさんあります。

ですが、この年齢になって新しく語学を学ぶ、ということは、普段使わない脳の回路をたくさん使っていることを実感します。それは、後々、いろんなことがつながっていくときに役立つはずです。私はもちろんフランスを好きになると思いますが、じっくり時間をかけてフランス語を身に付けていきたいと思っています。フランス語で書かれた専門書などを何冊か購入していますので、辞書を引きながらでも少し読めるようになれば素敵だな、とも思っています。

いろいろ書きましたが、要はモチベーションを持つことが大事だし、モチベーションを失ったらすべて終わりかなと思います。


8割

2014-05-09 03:04:48 | 研究のこと

2月6日に岡村甫先生のインタビューを行ったとき、「8割」という話が出ました。

岡村先生の師匠の國分正胤先生と、テキサス大学のファーガソン教授は、岡村先生から見て8割が共通しており、その共通部分を「大教授の要件」であろうと岡村先生が話しておられました。

その8割とは具体的に何なのでしょうか?ともちろん質問しましたが、明確な答えは得られず、インタビューのやり取りの中で、人間として、研究者として、教育者として大事にしているフィロソフィー、のようなものであると理解しました。

そして、8割のことをしっかりと理解して行動していると、大教授方に怒られることはほとんどない、とのことでした。 だから、他の人から見ると冷や冷やするようなことも平気ででき、すれすれの所を通って行けるというような話をされていました。一方で、8割のことを十分に理解していない人は、怖くてそれほど近づけない、とのことでした。

その話と似たような、しかし別のような話にも思いますが、個性豊かな研究者が輩出されている私の出身研究室の東大コンクリート研の先輩方と話していると、6割(人によっては7割と言う)を共通部分として持っており、つまりフィロソフィーを共有しているので話が簡単に通じ、残りの部分が個性であろう、とのことです。

2/6の岡村先生の8割と、6~7割の違いは、大教授とそれ未満の違いなのでしょうか。このことは、今この記事を書きながらふと思いました。

今は私は研究室のマネジメントをする立場にありますが、その6割なり7割なりのフィロソフィーを、研究室で時間をともにした方々が共有できているのか、省みています。

6割なり7割なりのことを心の底に共有して社会に出てもらうことは、教育そのものだと思いますが、その成果がきちんと見えてくるのには時間がかかると思います。10年、20年と社会人として最前線で活躍した後に話してみて、6割、7割を共有できているな、頑張っているな、とお互いが思えれば教育の効果があったのでしょうし、そうでなければ単なる自己満足なのでしょう。

私のやり方としては、まずは私のフィロソフィーに共鳴してくれる人をしっかりと育て、連携して全体が自然に育つ環境を創り上げるというものです。

メンバーの入れ替えの激しい組織ですし、現在は私も海外赴任中なので、そう簡単ではありませんが、できうるベストのことをしたいといつも思っています。

私は基本的には愛情深い人間のつもりですが、自分の寺子屋に入った人間には厳しく接します。間違っているものは間違っていると言うべきだし、教育とは生半可な仕事ではないと思っており、中途半端なレベルの人間が行うべき仕事ではないと思っています。未熟であっても教育はできると思いますが、少なくとも非常に高いところを目指す人間でないと、本当に未熟なだけの人間は、少なくとも最高学府で教鞭をとるべきではないと思っています。非常に高いところを目指すには、非常に高いところ、がどういうものなのか、肌で感じるしかありません。 

私一人だけでは非常に高いところを見せることはできませんが、私の中の一部や、私の周囲の連携している方々の優れた部分を見てもらえれば、一流とはどういうことなのかを肌で感じることができると思います。そのような環境を、私も先生方・先輩方から学びつつ、努力して構築してきたつもりです。

岡村先生が「8割」を言葉で表現されなかったように、私も6割、7割、8割のことを明確に言葉で表現することはできません。具体的に一つ一つの事例について、自分の考え方を説明することはできます。それらの総和でしか説明できないのかもしれません。もともとアクティブな方々が多いので、肝をしっかりとつかんで行動しないと、行動しすぎることによって逆に信頼を損ねてしまうこともあり得ます。

以前、私の部下であった香川高専の林さんとは9年半、一緒に過ごしましたが、まさに一つ一つの事例についての私の考え方を、直接、間接に、くどいほど説明してきました。 私の考えることを、世の中の誰よりも理解している人かもしれません。

現在の研究室のスタッフや、学生たちは、私の海外赴任の影響もあって、十分にコミュニケーションできていない場合もあります。先の岡村先生のお話ではありませんが、私に叱られると私のことが怖くなります。近づくのが難しくなってしまいます。そうすると、何のために研究室にいるのか、本来の目的を忘れて、本質的でない時間が過ぎていくばかりになります。私が叱る場合は、6割、7割から外れた行動をしているから、という場合がほとんどだと思います。学生であってもたまに、私がほぼ手放しで指導できる人もいます。6割、7割をすぐに理解できる方々だからでしょうか。

先の9年半も、要は真剣にコミュニケーションを重ねてきただけです。すべてはコミュニケーション。教育の場において、フィロソフィーとは簡単に移植できるようなものではなく、一つ一つの積重ねの結果でしかないと思っています。