週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#0038 -’19. 昭和新撰江戸三十三観音 第18番金鶏山海繁寺真成院

2019年06月15日 15時22分13秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)
昭和新撰江戸三十三観音巡りの巡礼も後残すところ数カ寺になって来た。
今回金鶏山真成院にお参りしたのは6月11日の火曜日です。
この日も午後からノンビリ出かけ午後4時過ぎに御朱印を頂きました。



地上の国道20号街道は都心から半蔵門~四谷駅前を通り帰宅する時の良く利用する道です。
地階は地下で丸の内線でも大変お世話になっております。
それでも、四谷三丁で降りる事はあっても近辺を歩くことは全くありませんでした。
こんなにも急坂が多くある街とは認識していませんでした。
ご近所には寺院も多くあり、外堀の内側の大名屋敷などの武家屋敷とその外に連なる町人の巻きであり、お寺が多いことに気が付きました。
黒猫ヤマトの宅配の方とすれ違いまいたが昔で言うところの車を利用していませんでした。
道は狭いですし、急坂なので電動のリアカーなどでした。
四谷の大木戸の近くの筈ですから、江戸のある意味で入り口に近いかもです。

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四谷三丁目の交差点です。
四谷消防署と新宿よりに消防博物館が併設されています。
一度だけ入った事がありますが、ベルのヘリコプターがあったような記憶しかありません。
小さなお子様には喜ばれるかもです。
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金鶏山真成院のHPから引用させて頂きます。

江戸三十三観音 十八番観音 ―潮干十一面観音―
当寺院が江戸三十三観音第十八番札所に数えられる所以である十一面観音は、「潮干観音」と呼ばれています。往昔、真成院の近辺は海が近かったため、観音様の台石が潮の干満によって常に濡れていたというのが、その名の由来です。
潮干観音は元々、戦国時代の武将・村上義清の守護観音でした。信濃の豪族だった義清は、信濃攻略を進める武田信玄を一度は撃退したものの、その後に敗れ、越後の上杉謙信元へ蟄居。義清没後、孫の村上兵部道楽斎は、上杉家に従って大阪夏の陣に出陣。江戸に入った際、身を隠す必要に迫られ、当寺院が匿いました。 その返礼として家宝の観音像を納めたいとの意を受けて勧請したのが当寺院との御縁です。以後四百年にわたって人々の篤い信仰に支えられてきました。
現在は正月、五月、九月、 正午より観音会が厳修されます。観音経を読経し、法話を聞きます。 なお、当寺院では、十一面観音の化身とされる歓喜天も祀っています。

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観音様の前には納札入れも有り、納め札を入れてご真言も書かれていましたので三べん程ご真言を唱えさせえて頂きました。
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般若心経外のお経をあげてから再度受付に戻り御朱印帳を受け取り帰路につきました。


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