CHIC、ナイル・ロジャースの自伝"Le Freak"が今秋になって、
出版された。
アメリカの各地の書店で本の販売&サイン会が行なわれたようだが、
ニューヨークで並ぶファン達にサインをしていたナイル、
次の順番の女性を見て驚く。
それはエリック・べネイの身重の妻、マニュエラだった。
もちろん、ナイルはこのサプライズに大喜びで二人で記念撮影をしている。
マニュエラらしい優しい心遣いだ。
こんな素敵な女性がエリックと結婚してくれて良かったと思わずにはいられない。
さて私もこの本を読んでみたいと思い、Nile Rodgers宛てにツイートした。
「ナイル、日本からどうやって買ったらいいの?」
「アマゾンで売ってると思うよ。どうもありがとう。」と返事を貰う。
アマゾンにオーダーすると在庫がありすぐに届いた。
今まで洋書を読み始めて挫折した経験は数知れずだが、
普段、ナイルのブログを読んでいるせいか、
あるいはナイルについての予備知識があるためか、
そしてナイルのファンであるというのが一番の要因かもしれないが、
毎晩少しづつ読んでいる内に三分の二ほどを読み終わった。
『ねえ、ナイル。このままだと私達、私が死ぬまでに後何回会えるかしら?』
とナイルの母親が呟く所から始まる。
それは9/11の8日後でナイルの49歳の誕生日の日だった。
「その時期はアメリカの人々は皆、愛する人と突然の別れがいつ来るかわからない、
そんな思いに取りつかれていた頃だった。
911の後では何もかもが変わってしまった。
それから僕は自分の家族ともっと会う機会を作るようになった。
もちろん義理の父のボビーとも。
母とは既に別れていたけれど母の人生にとって欠かせない人だったから。」
毎年、感謝祭の時期にナイルの家族達は集まることになる。
その後、義理の父の死を迎え、家族全員で集まって散骨する、
そんなプロローグから物語は始まって行く。
ナイルのお母さんはとても綺麗な人で数々の恋人がいたようだが、
それでもボビーはナイルにとって特別な存在だったことがわかる。
まずナイルの家系図を遡るような説明があるが、
ナイルの母方の家系には白人の血が入っていて、それはナイルの母、
そして義理の弟などには濃く出ている、と書かれていた。
昨今ならともかく、何代も前に白人の血が入っているということは、
もちろん正式な結婚ではなく、雇い主の男性と使われたアフリカ系の女性の間の子供、
ということになる。
ナイルは自分以外の親族の家系も書いているが、やはりこのような関係についての
エピソードがあり、あらためてアメリカにおけるアフリカ系の人々の歴史について
考えさせられる。
14才の母から生まれたナイル。
養子に出されるはずだったが、母が彼を手放せずに祖母と育てることにしたこと、
母はボビーと結婚したが最初は夫の浮気、次に仕返しのように母が浮気をし、
家庭が崩壊し、一時、母のことを好きな別の男性の元に身を寄せたこと、
その後、二人は復縁したもの夫婦共にドラッグ漬けになり、
ナイルは子供時代から父方の祖母、母方の祖母、母と義理の父の家庭など、
あちこちに移り住んだ。
しかし住んだ場所がそれぞれニューヨークやLAだったことから、
アーティストとしての感性が磨かれたのかもしれない。
学校をさぼっては良く映画館に入り浸り昔の映画などを観ていた。
まだ物心もつかぬ時期に喘息患者としてリハビリ病院に入れられたこともある。
この時の経験がトラウマになって、暗闇が怖い、不眠症になったかもしれないと
ナイルは綴る。
日本で客死したパートナー、バーナードのこと、
二人でスタジオ54に入れて貰えなかったことから、怒りにまかせて作った曲から、
"Le Freak"が生まれる有名なエピソード。
その当時のスタジオ54は、セレブが集い、流行を発信する特別な場所だったこと。
デビッド・ボウイとの出会いと"Let's Dance"誕生の部分が面白い。
バーで一度偶然会って音楽談義で盛り上がる。
その後、マネージャーから「何度も自分はデビット・ボウイだというおかしなヤツから、
電話が掛かってくるんでずっと断っている。」
バーナードからも「俺のところにお前と勘違いしてデビッドから電話があったから、
お前の電話番号を教えておいたからな。」と連絡がある。
その頃は既にナイルとバーナードはパートナーとして溝が入ってしまっていたそうだ。
そしてやっとデビッドと再会する日がやってくる。
デビッドのスイスの別荘に招待され、
空港まで迎えに来てくれたデビッドボウイが高速で雪道を飛ばしながら
「実は片目が見えないんだ。」と言い、驚きながらも平然を装うナイル。
夜、ナイルの滞在するゲストルームへとギターを持ってやってきたデビッドから、
「今、思いついた曲なんだけど、どうだろう?」と聞かれ、
その場は適当に返事をしたものの、二人の共通の友人に電話して、
「デビットから曲を聴かされたんだけど、ちっとも良いと思えなかった。
これはデビットが僕を試しているのかな?」と尋ねる。
するとその友人は「デビッドはそんな廻りくどいことをする人じゃないよ。」
そして"Let's Dance"が生まれる。
face bookが流行るようになり、ナイルはスタジオ54で自分を追い出した
ドアマンから謝罪のメールを最近貰ったそうだ。
また10代後半、ガールフレンドと歩いていて、
当時は麻薬中毒だった義父の廃人同様の様子をみた。
そのことについて彼女とは話さなかったけれど、どう思ったんだろうと気になっていたら、
彼女は最近になってあの時のボーイフレンドが成長してナイルロジャースになったと知り、
やはりface bookを通して連絡してきた。
そこで父親の一件を「覚えている?」と聞いたら、
彼女の記憶には全くそんな覚えが残っていなかった。
まだいくつかチャプターが残っている。
物語はいよいよ佳境へと入って行く。
じっくりと大切に読んで次回のシックの来日では、
ナイル・ロジャースに、この本にサインをしてもらうつもりだ。
Nile Rodgersの優しさや繊細さ、
数々のヒット曲を生んだ背景が"Le Freak"には描かれている。
出版された。
アメリカの各地の書店で本の販売&サイン会が行なわれたようだが、
ニューヨークで並ぶファン達にサインをしていたナイル、
次の順番の女性を見て驚く。
それはエリック・べネイの身重の妻、マニュエラだった。
もちろん、ナイルはこのサプライズに大喜びで二人で記念撮影をしている。
マニュエラらしい優しい心遣いだ。
こんな素敵な女性がエリックと結婚してくれて良かったと思わずにはいられない。
さて私もこの本を読んでみたいと思い、Nile Rodgers宛てにツイートした。
「ナイル、日本からどうやって買ったらいいの?」
「アマゾンで売ってると思うよ。どうもありがとう。」と返事を貰う。
アマゾンにオーダーすると在庫がありすぐに届いた。
今まで洋書を読み始めて挫折した経験は数知れずだが、
普段、ナイルのブログを読んでいるせいか、
あるいはナイルについての予備知識があるためか、
そしてナイルのファンであるというのが一番の要因かもしれないが、
毎晩少しづつ読んでいる内に三分の二ほどを読み終わった。
『ねえ、ナイル。このままだと私達、私が死ぬまでに後何回会えるかしら?』
とナイルの母親が呟く所から始まる。
それは9/11の8日後でナイルの49歳の誕生日の日だった。
「その時期はアメリカの人々は皆、愛する人と突然の別れがいつ来るかわからない、
そんな思いに取りつかれていた頃だった。
911の後では何もかもが変わってしまった。
それから僕は自分の家族ともっと会う機会を作るようになった。
もちろん義理の父のボビーとも。
母とは既に別れていたけれど母の人生にとって欠かせない人だったから。」
毎年、感謝祭の時期にナイルの家族達は集まることになる。
その後、義理の父の死を迎え、家族全員で集まって散骨する、
そんなプロローグから物語は始まって行く。
ナイルのお母さんはとても綺麗な人で数々の恋人がいたようだが、
それでもボビーはナイルにとって特別な存在だったことがわかる。
まずナイルの家系図を遡るような説明があるが、
ナイルの母方の家系には白人の血が入っていて、それはナイルの母、
そして義理の弟などには濃く出ている、と書かれていた。
昨今ならともかく、何代も前に白人の血が入っているということは、
もちろん正式な結婚ではなく、雇い主の男性と使われたアフリカ系の女性の間の子供、
ということになる。
ナイルは自分以外の親族の家系も書いているが、やはりこのような関係についての
エピソードがあり、あらためてアメリカにおけるアフリカ系の人々の歴史について
考えさせられる。
14才の母から生まれたナイル。
養子に出されるはずだったが、母が彼を手放せずに祖母と育てることにしたこと、
母はボビーと結婚したが最初は夫の浮気、次に仕返しのように母が浮気をし、
家庭が崩壊し、一時、母のことを好きな別の男性の元に身を寄せたこと、
その後、二人は復縁したもの夫婦共にドラッグ漬けになり、
ナイルは子供時代から父方の祖母、母方の祖母、母と義理の父の家庭など、
あちこちに移り住んだ。
しかし住んだ場所がそれぞれニューヨークやLAだったことから、
アーティストとしての感性が磨かれたのかもしれない。
学校をさぼっては良く映画館に入り浸り昔の映画などを観ていた。
まだ物心もつかぬ時期に喘息患者としてリハビリ病院に入れられたこともある。
この時の経験がトラウマになって、暗闇が怖い、不眠症になったかもしれないと
ナイルは綴る。
日本で客死したパートナー、バーナードのこと、
二人でスタジオ54に入れて貰えなかったことから、怒りにまかせて作った曲から、
"Le Freak"が生まれる有名なエピソード。
その当時のスタジオ54は、セレブが集い、流行を発信する特別な場所だったこと。
デビッド・ボウイとの出会いと"Let's Dance"誕生の部分が面白い。
バーで一度偶然会って音楽談義で盛り上がる。
その後、マネージャーから「何度も自分はデビット・ボウイだというおかしなヤツから、
電話が掛かってくるんでずっと断っている。」
バーナードからも「俺のところにお前と勘違いしてデビッドから電話があったから、
お前の電話番号を教えておいたからな。」と連絡がある。
その頃は既にナイルとバーナードはパートナーとして溝が入ってしまっていたそうだ。
そしてやっとデビッドと再会する日がやってくる。
デビッドのスイスの別荘に招待され、
空港まで迎えに来てくれたデビッドボウイが高速で雪道を飛ばしながら
「実は片目が見えないんだ。」と言い、驚きながらも平然を装うナイル。
夜、ナイルの滞在するゲストルームへとギターを持ってやってきたデビッドから、
「今、思いついた曲なんだけど、どうだろう?」と聞かれ、
その場は適当に返事をしたものの、二人の共通の友人に電話して、
「デビットから曲を聴かされたんだけど、ちっとも良いと思えなかった。
これはデビットが僕を試しているのかな?」と尋ねる。
するとその友人は「デビッドはそんな廻りくどいことをする人じゃないよ。」
そして"Let's Dance"が生まれる。
face bookが流行るようになり、ナイルはスタジオ54で自分を追い出した
ドアマンから謝罪のメールを最近貰ったそうだ。
また10代後半、ガールフレンドと歩いていて、
当時は麻薬中毒だった義父の廃人同様の様子をみた。
そのことについて彼女とは話さなかったけれど、どう思ったんだろうと気になっていたら、
彼女は最近になってあの時のボーイフレンドが成長してナイルロジャースになったと知り、
やはりface bookを通して連絡してきた。
そこで父親の一件を「覚えている?」と聞いたら、
彼女の記憶には全くそんな覚えが残っていなかった。
まだいくつかチャプターが残っている。
物語はいよいよ佳境へと入って行く。
じっくりと大切に読んで次回のシックの来日では、
ナイル・ロジャースに、この本にサインをしてもらうつもりだ。
Nile Rodgersの優しさや繊細さ、
数々のヒット曲を生んだ背景が"Le Freak"には描かれている。