思いつくままに書いています

間口は広くても、極めて浅い趣味の世界です。
御用とお急ぎでない方は、ごゆっくりどうぞ。

プリウスのカスタマイズ その3

2011年02月24日 | プリウス カスタマイズ
ポールアンテナをフィンタイプに変えました
プリウスのアンテナは屋根の後端部近くに付いています。
このアンテナが、家族のリハビリのため月一度参加するサークル活動の会場のある施設の、立体駐車場の高さ制限に引っ掛かるのです。
ポールを前方に倒せば、なんとかギリギリでクリアできますが、よく忘れます。一度立てたまま駐車してガイド板にアンテナがあたってヒヤリとしました。
それで、インターネットで目にした、フィンタイプのアンテナに興味を持ちだしたのです。
たまたまディーラーに用事で行った時、店内にそれが置かれていました。現物を見て、価格も安かったので、即入手しました。アンテナはプラスチックのカバーの中にコイルアンテナが接着してあるだけの簡単なものです。
屋根に仮置きしてみると、アンテナの高さは、屋根の最大高を超えないことが確認できました。



取付は両面テープで張り付けるだけです。元のアンテナを外して、その取付基部に、フィン・アンテナから出ている丸い端子をネジ止めするだけ。
簡単ですが、屋根の中心線に正確に貼りつけるのが肝心です。位置決め用の型紙も付いていましたが、私は屋根をメジャーで図って色鉛筆で中心線をマーキングして貼りつけました。
入念に脱脂して貼り付けますが、問題はソーラーパネルにまたがって貼りつけるため、パネルと屋根との継ぎ目の溝と、アンテナの下部エッジの間に隙間が出来てしまうことです。
そのままでは水や埃が入ってしまうので、貼り付けてから黒いシリコンのコーキング剤で埋めました。テープでマスキングしたのできれいに仕上がりました。
肝心の感度ですが、ほとんど差は感じ取れないぐらいで、実用上問題はありません。




後付けの多機能メーターの取付け
冬のプリウスの弱点は、エンジンが余り稼働しない運転状況、例えば信号の多い一般道などの走行では、水温が上がらず、暖房の効きが悪いことです。
高速道路などでは、エンジン走行が主となるので、水温も80℃以上になって、普通の車と同様に暖房が効きます。
しかし、モーター走行が多くなる混んだ一般道では、50~60℃程度がせいぜいで、室内は結構寒いですね。
このため、プリウスユーザーの間では、水温保持のためにラジエターグリルをスポンジなどで塞ぐことが行われています。私も試そうと思いましたが、プリウスには水温計が付いていないのです。
これでは、適正な温度管理が出来ないので、何かいいメーターがないか探していました。インターネットの掲示板を参考に調べたところ、プリウスのECUから各種情報を取得するタイプのメーターが、数社から出ていました。

価格の妥当なものを選んで、早速設置しました。といっても、これまたメーター自体はダッシュボードに両面テープで張り付けるだけ。本当に私のプリウス、両面テープスペシャルと言ってもいいほど、このテープにお世話になっています。(笑)
メーターと車との接続は、ダッシュボード下の診断用コネクタに接続するだけ、電源もそこから供給されます。表示のオン・オフも車のシステムと連動しますので、何の操作も要りません。



これで水温やエンジン回転数、実速度も表示できるので、効率的な運転に役立ちます。表示はアナログ式の円形メーターと三段表示、六段表示のどれかが選択できます。私は普段は三項目表示にしています。これで分かったのですが、プリウスのスピードメーターはかなり実際より高速に表示されています。

水温データが分かるようになったので、ホームセンターで、コーナーガードという商品名の、「く」の字断面のスポンジを購入して、下部グリルの真ん中の水平格子に一本インシュロックで固定して取り付けました。開口部は40%程度塞いだ感じです。これで1月から高速道路や一般道路を走行して水温が上がりすぎないか監視しました。その結果、この正月に、高速道路の登り・90km/hで走行時に、一時90℃になっただけ(外気温8℃)で、ほとんどはそれ以下、オーバーヒートの心配は無用でした。

一般道路では60℃を維持している状態なので、もう少し塞いでもいいかなとも思いますが、暖房もそこそこ効くし、燃費も22km/lを維持できているので、このままにして、3月になれば外そうかと思っています。


純正のホイールカバーは外しています。

メーカーは、空気抵抗を減らして(車のホイールの上半分は空気に逆らう方向に回っていますから)、少しでも燃費を向上させるために、アルミホイールに敢えてプラスチックカバーを取り付けています。
しかし、風洞実験では効果があっても、実際にはあまり効果があるとは思いません。実際私はずっと外していますが、22~26km/lの燃費を得ているので充分です。

というのは、プリウスはいくら回生ブレーキを併用しているとはいえ、結構ディスクブレーキ・パッドの滓がホイールに付着するのです。カバーを付けているとその掃除がしにくく、放置するとホイールの塗装に黒い滓が食い込んで汚くなります。

ただ、カバーを外しただけでは、アルミホイールの真ん中にぽっかり穴が開いたままなので、17インチ用のキャップをディーラーに注文して取り付けています。

センターのキャップは、1個700円程度だったと思います。これで手入れがグッと楽になりました。



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初めてのイギリス旅行だったのですが‥ その6

2011年02月23日 | 旅行
セント・マイケルズ・マウントへ!

トーキーのグランド・ホテルを後にして、私たちはセント・マイケルズ・マウントに向かいました。フランスのモン・サン・ミシェルのミニ版というか、名前もそのまんまですね。

干潮時には歩いて渡る道がありますが、普段はフェリーで渡ります。フェリーと言っても10数人乗りのボートですが。
私たちは三隻に分かれて渡りました。





数分程度で着き、桟橋のそばにあるナショナルトラストのショップなどの横を通って、頂上まで登って行きました。



上からの眺めはよく、干潮時に渡る道も、上から見たら、海水を通してはっきり透けて見えていました。



記念写真などを取って、また坂道を下って元のフェリー乗り場に戻りました。坂道の途中にはきれいな花壇などもあり、よく手入れされています。別料金で庭園なども見られたようですが、時間がなくて行けませんでした。

後年、ミナックシアターに行く旅の途中で、またここに立ち寄ったときは、庭園などもゆっくり見ることが出来ました。やはり個人旅行の方が融通がきいていいですね。

降りる前に上から見たら、潮がひき始めていて、連絡道路が渡れそうになっていました。それで、添乗員さんに「私たちは歩いて渡りたいのですが、いいですか?」と聞いたら、「どうぞどうぞ」と言ってくれました。
帰りのフェリーに乗り込んでいる人たちを見送ってから、連絡道路に行き、ズボンをまくりあげて、靴を手に持って歩きだしました。



なんと、ガイドさんと添乗員さんも、フェリーを見送ってから、こちらに歩いてきました。あと二人、私と添乗員さんのやり取りを聞いていた人たちも歩いて渡るようです。



中頃まで歩いてくるころにはますます潮が引いて、石畳が完全に現れてきました。
そこでふと海上を見ると、1隻のフェリーが立ち往生しています。何をしているのだろうと思って見ていると、どうも引き潮が早くて、接岸できなくなったようです。



ガイドさんと添乗員さんは気づいていなかったので、急いで教えてあげました。

往路に乗船した場所は完全に干上がっていたので、接岸できません。
何分かたった後、意を決したように、フェリーが干上がってきた海岸に乗り上げるように進んできました。まるでノルマンディー上陸作戦です。
ガイド氏と添乗員さんも心配そうに見ています。


しかし上陸用舟艇と違って、乗り上げたといっても、フェリーの船底から舷側まで深いので、そのままでは下船できません。そのため、船頭さんが水の中に入り、一人ずつ背負って浜辺に上げてくれました。


他の船頭さんも駆けつけて、ツアーのメンバーを運びました。


先に二隻の船で戻っていた人たちは、なぜ私たちが戻ってこないのか分からなかったようです。ガイド氏も添乗員さんもいないし、本当に駐車場で心配していたようです。

ようやく全員揃ったので、ペンザンスまで行ってホテルで昼食を食べ、ランズエンドからセントアイブス方面に向かいました。

思わぬハプニングでした。

でも、先に書いたように、数年後またここに来た時は、期待に反して往復とも船でしか渡れなかったので、片道でも歩いて渡れたのは本当にラッキーでした。


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初めてのイギリス旅行だったのですが‥ その5

2011年02月22日 | 旅行
ガイド氏の一時失踪も一段落して、私たちのバスは、湖水地方のバックバロウにある「ホワイトウォーターホテル」に向かいました。

ホワイトウォーター・ホテル


落雷で突然停電に
このホテルに到着して間もなく、すさまじい砲声のような音が鳴り響き、最初は何事かと思いましたが、やがて雷鳴とわかりました。
私の経験では、雷の音は外国の方が強烈な感じです。この時も初めは何か爆発したのかと思ったほどでした。
それが止んだと思ったら、続いて滝のような夕立が来て、ホテルは突然停電してしまいました。外は明るいとはいえ、古い建物なので窓も小さく、電灯が消えたら部屋や廊下はやはり薄暗い感じになります。

いつ回復するかと待っていたのですが、夕食が始まっても照明は消えたままで、従業員がろうそくを立ててくれたので、なんとか食べ終わりました。
その後もなかなか電気がつかないので、どうなることかと思いましたが、寝る前になってようやく復旧しました。誰かが拍手をしていました。

私たちが泊ったのは、このホテルが古い紡績工場を改造して開業してから10年後のことでした。昔はホテルの横を流れる川を利用して、水力で織機を動かす紡績工場だったとのことです。その頃の水車などが展示されていました。

最近、このブログを書くために調べていたら、このホテルが2009年11月に湖水地方を襲った洪水で横の川も氾濫して建物に浸水し、甚大な被害を被ったということがわかりました。私たちの泊まった時は夕立程度だったので幸いでしたね。

ここで二泊して、湖水地方を周り、ウィンダミア湖の遊覧や、ボウネスの街の散策、ニアソーリのベアトリス・ポターの家を見たり、ホークスヘッドのベアトリスの夫の弁護士事務所など観光しました。

ワーズワースの生家です↓



そして三日後、私たちははさらに南下して、グラスミアからヨークに行き、大聖堂や地価のローマ時代の生活を再現した展示などの観光の後、チェスター郊外のホテルへ。チェスターの市街も、ローマ時代の遺跡が残る、古いきれいなところでした。

そこに一泊後、ブレコン・ビーコンからウェールズに入りました。そして、ヘイ・オン・ワイという小さな町で、たくさんの古書店を見てから、カーディフ城で夕食、郊外のホテルに一泊しました。翌日はパースの街を観光してから、ストーンヘンジへ。

このころになってくると、やはり疲れも出てきて、ヨークやパースの大聖堂などの壮麗な建築を見ても、それほど感激しなくなってきました。やはり、スケジュールを次々とこなしていくだけで、ここでゆっくりしたいとか、出来たら自然をもっと楽しみたいとかいう希望や好みが反映されないので、だんだん観光も惰性になってきますね。

そういうわけで、行程も進んで、大したハプニングもなく(笑)、ついに私たちもトラブルから解放されたかに見えたのですが‥。

ストーンヘンジ観光を終えて、その夜はトーキーのグランドホテルに宿泊しました。
由緒あるホテルで、アガサクリスティの泊った部屋を見せてもらったり、夜のトーキーの街を散歩したりして、リゾート地らしい風情を楽しみました。

アガサ・クリスティの部屋を見せてもらいました


アガサ・クリスティの新婚旅行で泊まったときの写真とか


そして翌日はイギリス版モン・サン・ミシェル、その名のとおりのセント・マイケルズ・マウント観光です。
そして、そこで、久しぶりに(笑)、思いがけない椿事が、私たちを待っていました。
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プリウスのカスタマイズ その2

2011年02月21日 | プリウス カスタマイズ
ヘッドライトのHID化
プリウスのヘッドライトはツーリング系はLEDになり、それ以外は普通のハロゲンです。私はオプションとしてソーラーパネルムーンルーフ(ツーリングと排他選択)を注文したので、LEDヘッドライトは選べませんでした。

なので、ヘッドライトを明るく省エネ化したかったら、自分でHIDに変えるしか方法はありません。LEDキットも商品化されていますが、それだけで20万円以上!なので問題外でした。

いろいろ検討した結果、2010年7月末の納車前に定評のあるベロフのHID(小糸製作所の製品)を照明類のLEDセットと併せて注文しました。

8月6日にヘッドライトのHID化の作業をしました。この年は酷暑の夏でしたが、なんとか頑張りました。

まずポジションランプをLED化。手が届きにくく手間取りましたが、なんとか完了しました。発光部を内向きの車体側反射板に向けて装着するのがコツです。

続いて本体のHID化です。運転席側は、説明書のとおり、吸気ダクトをずらしたら作業スペースが確保できましたが、最初はハイビーム側のハロゲン球を外してしまい、途中気づいてまた元に戻し、改めてロービーム側の球をはずしました。次に電球ソケットと給電コネクタの外し方がわからず、ノートパソコンをガレージに持ち込んでインターネットで検索しましたが、ヒットせず。
しかし、コネクタの構造を良く見たら、ロックしている部分がわかったので、マイナスドライバーで押したら外せました。

あとは各ユニットを説明書のとおり設置し、コード類を接続して垂れさがらないように結束して作業は終了。すべてボルトオンで付けられました。

運転席側の設置状況


助手席側です。どちらも後付感はしませんね。


ドキドキしながら点灯して確認しました。夜になってから家の周辺を走って光量と光軸を確かめました。光軸は室内から調整できるので、それほど手間はかかりませんが、何もしなくても変化はありませんでした。この辺りは純正部品メーカーの専用設計のいいところです。
のちに、一カ月点検のついでにディーラーでも光軸確認してもらいましたが、無調整でOKでした。

あとでわかったのですが、純正のLEDとHID、どちらも35W程度で、ほとんど電力消費は変わらないとのこと。LEDの方がはるかに省エネではと思っていたのですが、意外でした。

ただ、HIDは照射境界あたりが青紫に光が分散するのが少し気になるところです。


ドアモールの取付け
プリウスのドアはのっぺりとだだっ広い感じて、少々間が抜けて見えます。
また、軽量化のために鉄板も薄いので、隣の車のドアがコツンと当たっただけでへこみそうです。なにしろ、プリ薄というくらいですから。(笑)

たまたまディーラーに行った時、置いてあった他車のカタログを見ていたら、ちょうどプリウスにぴったり合いそうなプロテクションモール付の車があったので、パーツとして発注しました。
色はホワイトパールマイカの同色でした。

また、純正アルミホイールカバーを外すので、後のホイールセンターの穴を塞ぐキャップもついでに発注。全部で23,000円でした。
インターネットの相場より安かったので良かったです。

受け取った次の休みの日に、施工しました。といっても、両面テープで貼り合わせるだけ、位置決めが一番のキモという簡単な作業です。
とにかくいろいろ考えて位置を決め、その部分の脱脂を入念に行いました。

モール前ドア先端部は本来の車のドア形状に合わせて軽く反っているので、1ミリ程度の隙間ができます。この隙間は同色のシリコーンコーキングで対応しました。



それと貼ってから気が付いたのですが、前後ドアのモール間の隙間がきわどかった(紙1枚程度の隙間!)のですが、何とかクリアしました。

念のため、後日やすりで隙間を修整して、紙2枚程度!にまで広げました。



クルーズコントロール・スイッチの取り付け
付けるかどうか、かなり迷いましたが、スカイラインで自分で装着して使用していたし、次のレガシーでは高いオプションだったので装着をあきらめた過去もあって、結局9月11日に代金先払いで発注しました。
結構発送が遅いと評判の業者だったので、遅れるのは覚悟していましたが、割合早く配達されました。それで日曜日に取り付けました。
メーカーオプションのETC装着とかツーリング、ムーンルーフ車などにボルトオンで装着可能です。くわしいことはここで丁寧に説明してくれています。

取り付け時に、ホーン部を分解するので、エアバッグの誤作動防止のために補機バッテリーのマイナス端子を外しました。
外しても、時計以外の設定は保存されているので助かりました。
取付作業の内、一番時間がかかったのはバッテリー配線の脱着で、スイッチの取り付けそのものは簡単で、あっという間に完了。
動作確認すると、ちゃんとメーターパネルにクルコンの作動マークが表示されていました。

翌週後半の信州行きで、実際に作動させて見ました。7,000円強の出費で充分効果はあったので、満足です。



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プリウスのカスタマイズ その1

2011年02月20日 | プリウス カスタマイズ


先にも書きましたが、昨年7月末にプリウスに乗り換えて、半年以上たちました。その間の感想や、少しずつ手を入れてきたことなどを書いてみます。

最初は燃費も伸びませんでした
プリウスといえばなんと言っても期待は低燃費です。しかし、当初は平均18km/l台にとどまり、なかなか20km/lの壁を超えられませんでした。

内心少々期待外れだったのですが、2回目の給油後、信州への旅行などで走行距離が伸びてくると、燃費は一挙に23km/lをキープするようになりました。

秋に入る頃にはどんな走り方でも平均25km/lが普通になって、同じ走行パターンでの比較では、前車レガシィの4倍以上になりました。ガソリンスタンドに行くのも二カ月に一度となり、ガソリン残量を気にすることもなくなってきました。

しかし、冬になって暖房が必要になってくると、エンジンが頻繁に起動するようになって(エンジンが暖房用温水製造機なので)、今は22km/lにとどまっています。

まあ二輪のアドレス110でも、通勤用途では25km/l程度ですから、車体重量1.5t弱の車を走らせていることを考えると、驚異的です。
新車時からの通算では23km/l以上になっています。

これはなんといっても今まで熱エネルギーとして無駄に捨てていたブレーキ時の運動エネルギーが、発電機を回すことで(回生ブレーキ)電気に変えてバッテリーに蓄えられ、走行時に利用できるようにしていることが大きいですね。

そのおかげで、プリウスの場合はモーター走行の比率がかなり高いのが特徴です。前車では減速時ブレーキを踏むたびにエネルギー浪費の罪悪感を感じていました。今はそれが軽減されてよかったです(笑)。



プリウスのカスタマイズに着手
ところで、納車されて運転に慣れてきてから、少しずつプリウスのカスタマイズを始めました。「石を投げたらプリウスに当たる」といわれるほどありふれていますから、個性化も必要ですし。(笑)

まずは、バッテリーパルサーの取付です。プリウスは2種類のバッテリーを搭載しています。駆動用のバッテリーとしてニッケル水素充電池、補機用のバッテリーは従来の鉛蓄電池です。
後者のバッテリーを何らかの理由で放電させてしまうと、プリウスはシステムの起動すらできなくなるので、サルフェーション対策が必要です。(詳しいことはここで)
しかもそのバッテリー、室内設置のため水素ガス排気用のチューブなどが付いた専用品(単にチューブを付けただけですが)で、価格が高いのです。
それで、前車に付けていたパルサーを移植して、デサルフェーション対策をしました。この作業が最初のカスタマイズ?でした。


次に、タイヤと室内ダッシュボードやドアトリム、後部座席ドア周辺と荷室、エンジンルーム、ドア開口部その他に、「アーマオール」を使い分けながら塗布しました。これは紫外線による劣化やひび割れ、退色の防止に有効です。

オイル添加剤など
先の理由により、普通の車と比べてエンジンの稼働する時間が少ないプリウスですが、フリクション軽減のためエンジンオイルに有機モリブデンを添加しました。

オイルチェンジャーで添加剤分のエンジンオイルを上抜きしてから、添加剤を入れました。最近のモリブデン系の添加剤は、昔のような黒い二硫化モリブデンは使わず、透明な有機モリブデンになっていますね。
視覚的には、二硫化モリブデンのほうがいかにも効き目がありそうでしたが。

モリブデンの効果は、13万km走った前車スカイラインのL型エンジンで実証済みです。バルブ関係やシリンダーの摩耗に対して効果があります。低粘度対応なのでプリウスにも問題ありません。ただし体感上の変化はありません。保険のようなものです。(笑)

灯火類の変更
次にやったのは、室内外の照明のLED化とヘッドライトのHID化です。事前に発注していた専用品が7月31日に手元に届きました。
まずは8月2日に、バニティーミラー照明とマップランプ、メインのルームランプをLED化しました。レンズ類を外すのは、その日に買った内装はがしツールが役に立ちました。

マップランプです。


ルームランプ


ただし、ブレードタイプのものは極性があるので、逆接続に注意が必要でした。交換結果は、気持ちのいい白い光で、光量も適切で満足です。8月3日にはドア・カーテシライトも交換しました。電気の消費には神経質になってしまう私なので、これでドアを開けていても気にならなくなりました。

ドア・カーテシライト ピンボケです^^;


残った荷室とナンバープレートの照明は8月6日に、ヘッドライトのHID装着と同時に実施しました。荷室灯は球の保持部がスイッチ部品になっていて、オンオフ操作時に球も一緒に動くので、発光時の位置決めに調整が必要でした。

荷室ランプです

またナンバープレート照明は、取り付ける際全くの手探り作業になるので、けっこう時間がかかりました。

レーダー探知機の設置
前々車からの古いレーダー探知機ですが、感度は十分実用的なので、移植することにしました。事前に買ってあったヒューズ型の取り出しコードを使って、室内のヒューズボックスから電源をとる形で8月15日に装着しました。

はじめは予備ヒューズから取り出しましたが、これは常時オン回路だったので、1番の「アクセサリ用ヒューズ」に変更して装着しました。電源コードは去年の猛暑の下で作業したままで、まだ隠せていませんが、気にならないのでそのままにしています。
設置場所がAピラーの後になるため、うまく電波を拾えるかどうかが心配でしたが、高速道路で確認したところ、少し感度が落ちたかという程度で、実用上は十分でOKでした。

ちなみにこの探知機、スカイラインからなので20年以上も使用しています。


次回は、ヘッドライトのHID化とかドアモールの取り付け、アンテナ交換などを書いてみます。



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初めてのイギリス旅行だったのですが‥ その4

2011年02月19日 | 旅行
消えたガイド氏

今から思えばスカイ島への道はかなり遠回りしていましたね。
この後に、二度スカイ島へ行きましたが、今回のように一旦北上してから西へ向かうというルートはちょっと考えられないです。
普通は、エジンバラからグラスゴー方面に行き、北西にグレンコーからフォートウィリアムを経て西に行くのが順当です。

スカイ島からの帰りは、ネス湖を経てインバネスからアビモア近郊のホテル宿泊でしたが、これも遠かったですね。運転手さんは飛ばしに飛ばしました。

翌日は湖水地方への移動ですが、アビィモアからウィンダミアというのは、一日の移動距離としてはかなり遠かったですね。

アビィモアのホテルを出発


途中、カトリーン湖で休憩し、昼食はロッホローモンドのホテルで摂りました。カトリーン湖ではクラシックな汽船が美しい姿を見せてくれました。乗れるかと期待したのですが、写真を撮るだけでした。
ロッホローモンドのホテルは、後にもよく休憩などで立ち寄ったところです。でも経営はこの頃でもすでに枯れかけていましたね。

ロッホローモンド湖畔のホテルで昼食


そのあとダンフリーズの近くのモファットで買い物タイム。織物工場に大きな土産物ショップが併設されていて、セーター類も安く売っていました。
私は職場の土産にチョコなどを買いました。30分ぐらいで集合時間になり、一行全員がバスに戻りました。皆さんだんだん要領を得て、時間前には集まっていました。

添乗員さん(左)もお買い物です


ところが、出発時間を過ぎても、ガイドのH氏が帰ってきません。

なんでも、次の宿泊地への連絡のために、パーキング近くの公衆電話ボックスに電話をしに行ったとのこと。今と違って携帯電話も普及していない頃ですから、無理のない話です。
運転手氏も添乗員さんもバスの外で待っていますが、10分、20分たっても戻ってこないのです。
私も周辺を探してみましたが、見当たりませんでした。


運転手さんも添乗員さんも途方にくれています


どうしたことかとみんなで心配していたら、30分ぐらいたって、ようやく戻ってきました。見ればズボンが汚れてほころびているところもあります。
時間も過ぎているので、とりあえずバスは、次の目的地、湖水地方に向けて出発です。

後で話を聞いたら、電話ボックスでは若い女性が電話している最中だったそうな。いつ終わるかとじっと待っていたが、長電話でなかなか終わらないので、ガイド氏、つい手を伸ばしてフックを下げて、電話を切ってしまったそうです。
これに怒った女性は、聞くに堪えないような悪態をついて逃げ出したそうです。それにかっとなったガイド氏、追いかけたのはいいですが、何かに躓いて転倒し、足を強打して負傷。余りの痛さにしばらく動けなかったとのことでした。

温厚なH氏を、そこまで怒らせたひと言とは一体何だったのでしょうか。

まあ骨折はしていなかったので以後もガイドは続けられましたが、温厚で、イギリスに
関する知識が豊富で、日本人初の英国公認観光ガイドの資格を与えられた紳士のHさんが、そんなことをするとは考えられませんでした。でも、いくら長電話でも、他人の電話を勝手に切ってはいけませんね。

H氏、その夜は、ホテルで医師の往診を受けたそうでした。ツアーのあるご婦人は、「キンカン」を塗るようにいって、渡してあげていました。

まだまだハプニングは続きます。
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初めてのイギリス旅行だったのですが‥ その3

2011年02月15日 | 旅行
フェリー会社は、後年スコットランドでたびたび利用したカレドニアン・マックブレイン、通称カルマックの、割合大きいフェリーでした。
「割合」大きかったので、まさか目と鼻の先の対岸に渡るだけとは思わず、それなりに船旅をゆっくり楽しめるものと、みんな思っていました。よく見たら対岸にカイラーキンの港が見えていたのですが。
個人旅行なら当然事前に地図を見たりしてコースの知識はあるのですが、そこはお任せツアーのお気楽なところ、しかも添乗員さんやガイドさんからも乗船時間などの説明がなかったのです。というか、彼らも知らなかったのでしょう。

フェリー乗り場でバスを降りて、全員徒歩でフェリーに乗り込みました。バスも船員に誘導されて船に乗りました。



みんな思いがけない船旅で、てんでに甲板のいすに座って、心地よい海風に吹かれながら談笑していました。
ところが案に相違して、船旅はほんの数分程度でした。乗降に要する時間のほうが長いくらいで、走りだしたと思ったらもう対岸に着いてしまったので、みんな拍子抜け。
「何だ、もう着いたのか」などとといいながら船を降りました。バスも間もなく下りてきました。乗船時間の短さは、子供のころに伊勢で乗った真珠島の渡船といい勝負です。



再びバスに乗り込んで、いよいよ島内観光が始まると思いきや、なんと7人足りないのです。どうしたのかと思っていたら、誰かが「船に乗ったまま下りてきていないよ」と。
そう、この人たちはフェリーから下りなかったのです。7人を乗せたまま、フェリーは再び戻っていきます。

後から聞いた話では、まさかそんなに早く着くとは思わず、船室内でゆっくり休んでいたそうです。そして、船が着いたのは途中の寄港地だと思い、そのまま乗っていたので、もとのカイル・オブ・ロハーシュに戻ってしまったのです。

添乗員さんやガイドさんも、船内に客が残っているのに気が付かなかったようです。
お二人とも、あまり一行の状態の把握に努めているようには見えなかったですね。よくいえば自然体というか、旅を楽しんでいるというか、まあ私たち二人を除けば、ツアー参加者が旅慣れた人が多かったこともあるようですが。

しかし、さすがにこれには呆れるより笑ってしまいました。再び船が戻って来るまで出発はおあずけ。防波堤の上で、フェリーが戻ってくるのをみんなで注視していました。
これでまた40分ほどの遅れです。もう予定より3時間も遅れています。
しばらく待ったら、フェリーがまた戻ってきて、無事7人が降りてきて、ようやく全員揃いました。さすがに7人は気恥ずかしかったのか、硬い表情でした。

そしていざ出発となったのですが、今度はなんとバスの運転手が「運転できない」といいだしたのです。なんでもイギリスの法律では、連続して何時間か運転したら必ず休憩を取らなければならないというのです。言われてみれば当然ですが、今から休憩されたら更に遅れてしまうので、みんななんとか運転してもらおうと、「みんなでチップを集めて頼もうよ」とか、可愛らしいことを言い合っていました。



運転手さんも日程の遅れを考えて気を取り直したのか、間もなくバスは走りだしました。このとき、午後3時を過ぎていましたが、昼食はまだでした。私たちも次々と起こる騒動で、すっかり空腹も忘れていたのです。
食事はブロードフォードのホテルでしたが、ホテル側も、待てど暮らせど来ないので、やきもきしたことでしょうね。
メニューはなんとフィッシュ・アンド・チップス!でした。でも、魚が新鮮だったので、空腹だったことを差し引いても、おいしかったです。

それから、スカイ島の雄大な風景を見ながら南西端のエルゴールで行き、そこの小さな村でバスを降りて、景色を楽しみました。
本来ならまだまだ見どころがあるスカイ島ですが、すでに4時を過ぎていたので、そこからUターンして、今夜の宿のあるアビィモアに向かいました。

宿に着いたのは9時前でしたが、そこは夏のイギリス、日は長くまだまだ明るかったのがせめてもの慰めでした。

このあと、ハイランドから南下しますが、この旅、前途多難の予感です。
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初めてのイギリス旅行だったのですが‥ その2

2011年02月14日 | 旅行

マイクの修理

手に取って見たマイクのコード、奇妙な形に曲げられて、幾重にもビニールテープが巻かれていました。

これ、よく見かけた光景です。
つまり、マイクを使っているうちに、コードの一部が繰り返し曲げ伸ばしされて、中の導線が疲労で切れてしまったのですが、ある角度で曲げたら接触してマイクが使えたので、その形を保つようにテープで固定したのでしょう。

まあこれでしばらくは使えていたのですが、ビニールテープで巻いただけでは接触部分が完全に固定されているわけではないので、次第に接触が保持されなくなって、とうとう完全に断線したというわけです。

以前私の身の回りでも見かけたことがあり、どこでも同じことをするものだと笑ってしまいましたが、これで直せることがわかりました。

幸いビクトリノックスのアーミーナイフを持っていたので、その鋏でテープを切り取って、中の色分けされたコードを一本ずつ探って、切れている個所を探しました。すぐ断線箇所が分かったので、切れていたコードはもちろん、切れていなかったものも長さを合わせるために切断し、被覆を剥いて、丁寧に撚り合わせて結びました。
絶縁のためのビニールテープがないか聞いたら、運転手氏が運転席下にあった箱から出してきました。
テープを巻いて完成。マイクテストして応急修理は終わりました。みなさんから感謝されていささか照れくさい思いでした。

後日同僚にこの話をすると、「そのマイク、絶対修理せずそのまま使っているよ」。
なるほど、そうかもしれないなと思いました。

しかし、これでトラブルが終わったわけではなかったのです。

しばらく観光スポットも途絶えて、バスはひたすら山道を走っていました。すると突然停車。前方でなにかあったのか、何台もの車が止まっています。
曲がりくねった道なので、それぞれの車やバスが、カーブの手前から見えるように考えて間隔をあけて停車しているのには感心しましたが、何やら事故のようです。しばらくたっても動きそうもないので、バスを降りて見に行きました。



前方200メートルぐらい先に、二台の車が衝突して止まっているのが見えました。事故現場には消防車や警察の車も見えますが、野次馬は日本人だけなので、恥ずかしくなり、余り近づかず引き返しました。

戻るとすでに観光バスや自家用車がずらっと並んでいますが、誰も物見高く見に行くようなことはせず、そのままじっと通行規制が終わるまで車にとどまって待っています。
マナーがいいです。

しかし、1時間たっても動きません。ヒマなので、私たちは道ばたの草花を見たり、写真を取ったりしていました。バスの運転手やガイドさんは地図を見て迂回路がないかと相談していましたが、かなり引き返さないと無理なようでした。



それからかなりたって、上空から爆音が聞こえてきて、救急のヘリがやってきました。負傷者は動かせなかったようでした。そして患者を乗せたヘリが飛び立ってしばらくして、やっと交通規制は解除。



結局1時間45分現場で立ち往生でした。再びバスは走りだしました。車中でガイドさんはイギリスの歴史などを説明していました。しばらくしてまたバスがストップ。
どうしたのかと思っていると、運転手とガイド氏がなにやら地図を見ながら話していたかと思うと、方向転換して、元の道の方向に走りだしました。
どうやら曲がるところをそのまま行きすぎてしまったようです。これでまた半時間ほどロスタイムでした。

そしてようやくカイル・オブ・ロハーシュに着きました。ここから対岸カイラーキンまでフェリーに乗り、いよいよスカイ島です。少し離れたところでは橋が工事中でした。
(次に私たちが車で来たときはすでに橋が完成していて、お金を払って渡りました。)


ところがここでまたまたハプニングが!
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初めてのイギリス旅行だったのですが‥

2011年02月09日 | 旅行
私たち夫婦の初めての海外旅行は、1995年の3月のニュージーランド旅行でした。行くことにしたきっかけはその年の阪神大震災でした。

幸いなことに我が家は大阪でも全く何も被害はなかったのですが、連日報道される震災の惨状を見たヨメさんが、「人間いつ死ぬかわからない、このまま外国旅行もしないで死んだら心残りだ、この際行けるときに出来るだけ行っておこうよ」と言い出して、渋る私を尻目に手続きを進めたのでした。

初めての海外旅行となったニュージーランドは、二人だけの添乗員なしのパッケージツアーでしたが、現地での移動は飛行機を多用して、変化に富んだ行程で面白かったです。その頃流行っていたトレッキングもコースに織り込まれていて楽しめました(雨中登山もありましたが)。

それで味をしめたヨメさんは、続いてイギリス旅行も申し込んで、その年の7月、勇んでイギリスに向け出発と相成りました。私もニュージーランドが楽しかったので、結構乗り気になっていました。

ハプニングの連続でした。
初めてのイギリスは、○○トラベル(某新聞社系の旅行社です)のイギリス縦断14日間のパック旅行でした。このツアー、観光もさることながら、いろいろ思いがけないハプニングもあって、印象深いものになりました。
しかしあまりのハプニング続きで、ツアー日程の最後の方では、「これでは○○トラベルじゃなくて○○トラブルだ」といってみんなで笑っていたものです。まあ笑ってすませる程度のトラブルだったのが幸いでしたが。


大まかなコースは、関空から直行便でエジンバラ空港に行き、バスで市内観光の後スカイ島に行き、インバネス近郊に泊ってから南下して、ローランド地方からイングランドの湖水地方、そしてウェールズからコーンウォール半島を回って、最後は鉄道でロンドンに到着という実に欲張りなツアーでした。

早速トラブルが‥
私たちの一行がエジンバラ空港に到着して、早や最初のトラブル発生。
なかなか空港から出発しないので、どうしたのかと思っていたら、予定ではバスが迎えに来ているはずなのに来ていないということでした。
現地スタッフがあちこち電話していましたが、結局バスは間に合わないということで、空港前で客待ちしていたタクシーを使うことになりました。
そのタクシーの運転手達は、あたふたする現地日本人スタッフの電話の声をまねて笑っていました。確かにパニクっている姿はかなり目立っていました。

というわけで、1行20数名は数台のタクシーに分乗して市内に向かいました。

そのとき車内から初めて見た、夕景の岩盤の上に立つエジンバラ城の魁偉なシルエットは、今もはっきりと覚えています。

着いたのは古い町並みの、通りに面した由緒あるホテルで、部屋の窓から見えるホテルの苔むした屋根には、細いヤナギランが花を付けていました。



天井から怪しい足音が‥
夕食、シャワーのあと、飛行機の長旅もあり、早目に寝ることにしました。普通ならバタンキューとなるところです。

ところが、ベッドに入ってしばらくしたら、天井から何やらザッザッザッという集団の足音が聞こえてきます。尋常ではない物音に、気になって眠れません。おまけに音楽も聞こえてきます。
いつ終わるかと思っていましたが、なかなか終わらず、ようやく深夜を過ぎて止みましたが、時差ボケもあってすっかり睡眠不足になってしまいました。

このホテルには、もう一泊することになっています。
朝起きるなり、睡眠不足で不機嫌なヨメさんが、「早く部屋を替えてもらってきて」と私に指示します。
簡単に言ってくれますが、私の英語力で通じるかどうか不安ながらも、添乗員がどの部屋にいるのかわからないので、とにかくロビーのカウンターに行きました。

そこにいた係のお姉さんに、「うるさくて寝られないので部屋を変えてほしい」といったら、あっさりと別の部屋の鍵をくれました。
「おお通じた!」と喜びながらその部屋に行き、鍵の掛かっていないドアを開けたら、同じツアーの男性が寝間着から着替えの最中。
慌てて閉めてロビーに戻りました。

「この部屋はもう使われているよ」といったら、今度もまたあっさりと別の部屋の鍵をくれました。
ちゃんとチェックしているのかと思いながら鍵番号の部屋に行きました。今度はちゃんと空部屋だったので、その部屋に荷物を運び、一安心でした。
最初の部屋と違ってゆったりと大きく、窓からの景色もよくいい部屋でした。
添乗員さんにも部屋が替わったことを言いました。

↓やっと安眠できることに‥


この日は、一日、歴史あるエジンバラ市内観光を楽しみました。グラスゴーがスコットランドの大阪とすれば、エジンバラは京都といったところで、歴史ある風情のある街です。夕方市内のレストランで食事を済ませて、ホテルに戻りました。この日はさすがにぐっすりと眠れました。
文句を言わなかった他のツアーの人たちは、その夜も寝られなかったようでした。謎の足音は、ホテルが主催するダンス教室が原因でした。

いざ、スカイ島へ!
翌日はスカイ島観光です。このツアーのハイライトのひとつで、ガイドさんの熱のこもった説明にみんな期待してバスに乗り込みました。ところがこれがまた次々とハプニングが連続して、大変な一日となりました。

当日は気持ちのいい朝で快晴、珍しく上天気のスカイ島観光に、一同期待に胸を膨らませて出発しました。

マイクが聞こえない!
ところがエジンバラ郊外を過ぎてしばらくたった頃に、昨日から参加した日本人ガイドのHさんのマイクの声がとぎれとぎれになってきました。ブツブツと音が途切れ出したと思ったら、間もなくほとんどマイクの声が聞こえなくなってしまいました。
温厚な紳士(とその時は思っていました)のHさんも、ツアー冒頭からのマイクの故障に、なぜ出発時に点検しなかったのかとバスの運転手に詰問していました。

このツアーは、一人で座席二つが占有出来るというのがウリの、ゆったりツアーということでしたから、マイクが使えないので前に詰めてくださいとは言えなかったのですね。ずっと声を張り上げ続けなければならないのも辛いですし。

ガイド氏が不機嫌そうに黙ってしまったので、車内の雰囲気も悪くなってきました。

でも、私の感じでは、マイクの不調は単純にコードの断線か、マイクジャックの接触不良のようでした。
誰か参加者の中から「直しますよ」と名乗り出るのではないかと思い、しばらく様子を見ていました。
でも誰も名乗り出ないので、隣のヨメさんに「誰でも直せると思うよ、単純な断線見たいやし」といっていたら、「早く直したら、早く」と背中を押されてしまいました。
意を決して、前に座っていた添乗員さんに、「あのう、マイク見てみましょうか」といったら、即座に「お願いします!」といわれました。

一番前の席に移って問題のマイクを見て、思わず笑ってしまいました

この続きは次回に。
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バッテリーが上がってしまうのは‥

2011年02月08日 | バイク
サルフェーションってご存知でしょうか。

サル顔のことではありません。(笑)


車やバイクの電装用のバッテリーの「持病」のことです。

電極板の機械的な強度などから言えば、バッテリーは本来10年ぐらいは使用できる設計になっているそうです。ところが実際は長くて4年ぐらいでエンジンスタートが出来なくなるのではないでしょうか。

これは、バッテリーが放電する際に出来る硫酸鉛の結晶が電極板に付着して電気抵抗となり、また、電解液の比重も下がって、結果的には徐々にバッテリーの容量が小さくなってしまう現象です。
実際、昔のバイク用の6Vバッテリーのような半透明のケースだと、黒い極板に白く硫酸塩が付着している様子が見えました。これがサルフェーションです。

私が以前所有していたバイク、ホンダ・イーハトーブやダックス、モトコンポなど6V電装のバイクのバッテリーは、すぐダメになったものです。
MFバッテリーでも、毎日乗っていても通勤のように充電より放電している時間が多いパターンでは、4年ももたない感じでした。

今、我が家のガレージにはスパーダとアドレス110、Dioと3台のバイクがいます。一番酷使されているのが、娘からのお下がりのDio(もう10年選手です)で、これには平日ほぼ毎日のっています。
天気が良くて雨の心配が全くない日は(笑)、快速アドレス(2005年納車です)の出番です。

左がDio、右はアドレスです↓


しかし、スパーダ(納車から20年以上たっています)には年数回しか乗りません。というのは、通勤経路に一部狭い通学路があり、そこは通学時間帯は車は通行禁止、バイクもエンジンを切って押していかなければならないのです。その間にはけっこうなアップダウンがあるので、非力な私にはスパーダの手押しは無理です。

夏と春、正月の休みは通れますが、普段乗っていないとバッテリーは上がってしまい、なんとか出かけても、帰りは押し掛けということが多々ありました。
こういう状態なので、バイクのバッテリー管理は頭痛の種でした。なんとかサルフェーションが防止できないかと考えていました。

↓ 21歳の高齢バイク、スパーダです。乗っている私も高齢です(笑)


でも、走行距離はご覧のとおり ↓


ところが、世の中には賢い人がいるものです。簡単に頑固な硫酸鉛を電極板から引きはがす方法を考えてくれました。
原理は簡単で、微弱な高圧パルス電流をサルフェーションを起こしたバッテリーに流すと、びっしり付着した硫酸塩も剥がれて電解液中に戻り、その状態で充電したら硫酸鉛が硫酸と鉛に分解され、バッテリーが復活するというのです。

回路もシンプルで、大阪なら日本橋などで部品を調達すれば、簡単に自作できます。
しかし、インターネットで検索したら、自作とそれほど変わらない値段で、コンパクトに製品化された商品が多数売られていました。まずは試しにと、早速ポチっとして、その有り難い装置(以下「バッテリーパルサー」といいます)を手に入れました。

まずテストしたのは一番弱っていたアドレス110のバッテリーです。このバイク、実によく走り良く曲がってくれる傑作バイクですが、購入4年を経過した2009年秋には、すでにセルモーターの回転が覚束なくなっていました。ボタンを押してもグッグッというだけで回らないのです。

出勤のため補充電しても、サルフェーションが進行しているため、すぐ満充電のランプが付きますが、実際は出来ていないのです。このため往路は始動できても、帰りにはセルが回らないのです。仕方なくキックで始動して乗っていました。

注文した商品が届いたので、休日に外したバッテリーにパルサーと充電器を並列でつないで実験開始。4日間そのまま放置して、再びバイクに戻しました。ドキドキしながらセルボタンを押しました。

結果は見事に回復、勢いよくセルモーターが回り、始動しました。快調そのもので、充電のための負荷が減ったせいか、エンジンの吹け上がりもよくなっています。

はっきり効果が確認できたので、車体内にパルサーを固定してバッテリーの両端子に接続し、フロート充電機能のついた充電器でパルサー自体の消費電流を常時補うようにして、バッテリーを管理することにしました。

充電器との接続は、鰐口の変わりにシガーライターのプラグを充電器のコードに付け、同ソケットを車体に設置して、ワンタッチで接続できるようにしました。
このソケットは、バイクナビの電源としても役に立っています。充電器側コードにはパルスの逆流を止めるためトライダルコアを付けています。

キーの上に充電用シガーソケットを付けました ↓


Dioにも同様に取り付けました。もちろんスパーダにも付けています。おかげでアドレスは6年目になる今もバッテリーは好調、スパーダでも何度か出勤しましたが、いつでもセル一発で始動しました。もう安心です。

Dioは一番小さいバッテリーですが、フロート充電を忘れて2、3日たっていてもパルサーのパイロットランプは点灯しています。過放電防止のためにある電圧以下になると作動が止まるのですが、バッテリーの容量が確保されているためかずっと作動し続けていました。

メットインに設置しています。フロート充電中です↓


充電器です ↓ フロート充電の表示になっています


カー用品にはオカルトまがいのものも多いのですが、このバッテリーパルサーは原理も明快で、どれを選んでも劇的に効果を発揮します。
週末にしか乗らないプリウスにも四輪用のものを買い求めて、納車直後に装着しました。

これがちゃんと動作しているかどうかは、AMラジオを近づけたらノイズが聞こえるので簡単に確認できます。



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電動シャッターのリモコン故障

2011年02月08日 | DIYな日々


昨年6月、我が家のガレージの電動シャッターが故障しました。

ある日、シャッターを下ろしている途中、バーンと大きい音がして、一気にシャッターが下に落ちてしまったのです。
シャッターを昇降させるのは、モーターでチェーンを介してシャッターを巻きあげて行います。このチェーンが時間とともに伸びて、歯車の山からはずれたのが今回のトラブルでした。
かなり前からカチカチと音がしていたので、チェーンの交換が必要なのは分かっていたのですが、ついそのままにしていました。
業者を呼んだらすぐきてくれて、修理もそれほど時間がかからず終わったのですが、実は同時期にリモコンスイッチも効かなくなっていました。

ついでなのでこれも見てもらったのですが、やはり受信部の故障だとのこと。
しかし、6年前に私がリモコンを紛失、古い機種なのでリモコンがないといわれて、受信機ともに交換してもう故障とは。今交換してもまた同じ周期で故障したのでは割が合わないと思いました。

チェーンの交換は、私もそろそろかなと思っていたことなので納得でしたが、リモコンスイッチの故障は臨時の出費なので、その場では依頼せず、後日見積書を出してもらうことに。とりあえずは、ガレージ内外のスイッチボックスでシャッターは使えていますから。

FAXで届いた見積金額は4万円!でした。その前に、点検口から、壊れた受信部のユニットを取り出して見ていました。ユニット全体の見た目や基盤、その上に載っているパーツと、見積金額とではかなり隔たりがあると思いました。
そこで、自分で直せないか、インターネットで調べることにしました。
配線を見るために、ガレージのスイッチボックスも、初めてカバーを開けて観察しました。ついでに配線の色も確認しました。

結論をいいますと、素人の私でも故障部分の取り換えは出来ました。それもかなり安く。

購入したのは汎用品として売られている「電動シャッターリモコンセット」(このままググったらすぐ出てきます)で、受信機と小型のスイッチ2個が付いて価格は送料込みで8千円を少し超える程度でした。何社か同様の製品を作っています。

設置作業は、既設のスイッチボックスと、巻き上げモーターとの間の配線に、購入した受信機の配線を割り込ませればOKでした。

電動シャッターのなかには、スイッチボックスにダイオードが付け加えられているものなど特殊なものもあるようですが、たいていの場合はシャッターメーカーが違っても回路は標準的なものなので、前記のリモコンセットで対応できるようです。

我が家の場合もスイッチボックスへの配線はセット添付の回路図のとおりだったので、そのままとりつけられました。
もとの受信装置の場所に入れたら見えないのですが、今後また壊れた時のために(笑)、写真の位置に付けました。
配線がむき出しですが、シャッターを閉めてしまえば見えないので気になりません。

↓配線むき出し!(^_^;)





ただし、この受信機はアンテナ一体型です。なので、受信機をガレージ内に付ける場合、木造のガレージでは問題ないのですが、我が家のようにコンクリートのガレージでは外からスイッチを押しても電波が届かないので開けられなくなります。

仮配線して中に設置して試したところ、やはりシャッター直前では動作しましたが、離れたら上げ操作ができませんでした。これではリモコンの意味がありません。
それで、受信機に付属していたアンテナ線を切断し、F型結栓を付けました。
そこから、壊れた受信機用の外部アンテナ線までアンテナケーブルを延長し、動作するかどうか試してみました。




結果は成功で、15~20メートル離れても上下出来ました。
なんといっても業者の見積金額の1/5で済んだので、大満足です。原理がよくわかったのも収穫でした。

アンテナの接続時に点検口を開けたついでに、交換したチェーンとスプロケットギアには、たっぷりとモリブデン・グリスのスプレーをかけました。これまではグリスは塗られていなかったようです。交換タイマー仕様でしょうか。(笑)

シャッター両サイドのガイド・レール?にもシリコーンのスプレーを定期的にかけています。これでシャッターのキーキー音は防止出来ていますし、駆動チェーンの伸び対策にも有効でしょう。
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パンとヨーグルト、ブルーベリー

2011年02月06日 | DIYな日々
我家の朝食は、食パンとヨーグルト+果物、カフェオーレ、奥さんはそれにシリアルを加えたメニューです。

食パンは、ヨーグルトとともに私が作っています。パン焼きは1998年の春から、ヨーグルトは2003年の夏から作りだしました。といってもどちらも機械が作るので、炊飯器でごはんを炊くようなものです。現在のパン焼き機は二台目です。初号機は6年たって釜のテフロンが剥げてきたので買い替えました。どちらもナショナル(現パナソニック)の1斤焼きの製品です。そして今の釜もそろそろテフロンがあやしくなってきています。

お気に入りのレシピは小麦粉280グラム、砂糖・計量スプーン大1、塩・計量スプーン小3/2、スキムミルク・計量スプーン大2、マーマレード大スプーン山もり一杯、水150cc、ドライイースト・計量スプーン小1+1/2が基本です。

実はこれはいわゆる食パンではなく、早焼きできるパネトーネ・コースとして最初のパン焼き機に書かれていたものを自分で少し変えたものです。

しかし普段は、この通り作っていません!(笑)

同じパンだと飽きるので、上記のレシピの小麦粉に、即席ココアや抹茶を入れたり、インスタントコーヒーを入れたり、紅茶の葉を入れ、水の代わりに牛乳やリンゴ、ブドウ、オレンジなどの果物ジュースを入れたりして楽しんでいます。
ただジュースは100パーセント水の代わりに出来るものと出来ないものがあり、水との比率はけっこうスリリングです。ココアも入れすぎると膨らまず分量が微妙です。大体計量スプーン大の1.5杯ぐらいが限度です。柑橘類のジュースは水の分量の1/3位入れると、しっとりとしてきめ細かなパンが出来てお勧めです。

ヨーグルトはカスピ海ヨーグルトで、最初粉末の菌を買ってからずっと作り続けています。27℃で発酵をするので夏場は機械は使わず作れます。コツはとにかく清潔な容器に新しくパックを開封した牛乳を使って作ること、種菌の保管も清潔な容器で保管することぐらいです。大体9時間ぐらいで出来上がるので、夜にタイマーで仕込めば朝には出来ています。この専用機を買うまでは自分で保温プレートにビーカー、デジタル温度計で作っていましたが、冬場の温度管理は大変でした。

夏になると玄関先の大きな植木鉢に植えているブルーベリーが実を付けるので、これにヨーグルトをかけて朝食のデザートにしています。
ブルーベリーはよく実を付ける割には手間がかからず、病気に強く虫も付かず完全無農薬栽培できるので、ぜひ育ててみてください。必ず2種類を一緒に植え、地域の温度に合った種類を選べば、夏の暑さにも冬の寒さにも耐えて元気に育ちます。新緑の若葉とドウダンツツジのような花、秋の真っ赤な紅葉も楽しめます。


↓今のブルーベリーです

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パソコントラブル

2011年02月05日 | パソコンあれこれ
このノートパソコン、5年前に日本橋で買い求めた、新品アウトレット品として売られていた2台のうちの1台です。
買った時の状態は、20ギガのハードディスクにOSとしてWindows2000がインストールされただけというもの。買ってすぐ1台は手持ちの容量の大きいハードディスクに換えてXPを入れ、Office2003をインストールして私がサブノートとして使っていました。XP用のドライバーは東芝のサイトにありました。元の20ギガハードディスクはもしもの時のために保管。もう1台は予備として梱包も開かず保存していました。

奥さんのパソコンは、以前はシンクパッドのX40で、日記や写真の整理、日常の事務処理に使っていました。X40はハードディスクが1.8インチで起動が激遅なのが欠点でしたが、液晶やキーボードは良く出来ていたので、途中で安いSSDの32ギガに換えて起動を早くして、使い続けてきました。
もっともそのキーボードも3年前に壊れ、USBの小型キーボードに換えて使用してきたのですが、それがとうとう昨年液晶の故障で使用継続を断念し、先の未使用保存の1610に手持ちの古いSSD(MLC)を入れてXPを新規インストール、Office2000を入れて使ってきたものです。

実はこのDynabookの1610には、もともと部品に欠陥がありました。それと知らぬ私は、ハードディスクの交換後たびたび起動が不安定になるトラブルに悩まされてきました。
偶然インターネットでそれがハードディスクのフレキシブルケーブルの製造不良によるものと分かり、私が使っていた方は元のハードディスクに戻して東芝に送り、無償修理してもらいました。

東芝は例のクレーマー騒動の後だったせいか、こちらでハードディスクの交換をしていたのにもかかわらず、極めて丁重に対応してくれました。返送されるまでの間もインターネットで修理の全過程がチェックできるようになっていて、修理そのものも迅速でした。
もう1台の彼女の1610は毎日使っているので、フレキ・ケーブルの品番を調べて東芝パソコンパーツの専門小売業者に頼んで取り寄せて交換し、これもトラブルはなくなりました。不良品のフレキは東南アジア製、良品の方は国産品でした。

今回のトラブルは古いSSDのためかMBRの読み出しが不安定となって、POST画面の後で再起動のループになっていました。何度か起動を試みて、たまたまF8連打でセーフモードで起動出来たので、そのまま正常終了したら、とりあえず普通に起動するようになりました。
しかし、ディスクアクセスが圧倒的に早いSSDですが、コントローラーのトラブルなど、まだ信頼性はハードディスクほどではないと私は思っています。これまでも、原因不明のトラブルに結構悩まされました。まあインテルなどの製品は間違いないようですが、高いです。
ということで、今回の物もかなり使い込んでいた中古SSDなので、このまま使用するのは止めることにしました。

まず写真や文書、メールのデータなどを外付けハードディスクにコピー。

終わって確かにコピー出来ていることを確認してから、バックアップソフトでイメージファイルを外付けハードディスク内に作り、それを手持ちのハードディスクに丸ごと復元して完了。
大きいハードディスクに換えたので、容量の差はハードディスク管理ソフトで未使用領域を確保してからパソコン内に入れ、1件落着でした。心配した起動速度ですが、彼女は全く気にしていませんでした。(笑)

私の乏しい経験ですが、ハードディスクをコピーする場合、セクターごとにコピーする方法では、ハードディスク同士では問題なくても、HDDからSSDにコピーする場合は、ソフトによっては「完了」表示が出ても、実際にパソコンで起動させると、うまくいかない場合があります。まあSSD対応のコピーソフトであればいいでしょうが。

しかし、イメージファイルを別のハードディスクに作って、それをSSD上に復元するといった方法では、上記のような手間はかかりますが、そういう問題は生じていません。

最近は、USBの外付けハードディスクが安くなっていますので、不意のクラッシュで泣かないために、あらかじめパソコンのイメージファイルを作って保存しておくと安心です。私が使用しているパソコンはすべて定期的にそうするようにしています。



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海外貧乏旅など

2011年02月03日 | 旅行

家族の健康上の理由から、海外旅行に行けなくなってから久しい時間が経ちました。
海外といっても、ほとんどがイギリスばかりで8回、アイルランド1回とニュージーランド2回と英語圏ばかりで、それ以外はポルトガルとスペインが1回ずつ。少ないです。
最後はイギリスで2003年の夏、リーズブラッドフォード空港で車を借りてエジンバラ空港で車を返す旅でした。

イギリスを車で旅するのは快適です。一度経験したら病み付きになります。

道路は大都市とその周辺以外はほとんど「北海道状態」で、高速道路も基本的に無料、ベッド・アンド・ブレックファースト(朝食付き民宿・いわゆるB&Bですね)がどこでもあるので、行き当たりばったりでも不安はありませんでした。道路はMよりもA、AよりもBと、規格が下がるほど楽しくなります。

もともと貧乏旅が好きな夫婦だったので(笑)、オーナーの個性が出ていて変化のあるB&Bが楽しく、最初のイギリス旅行だけはパックツアーでしたが、以降はレンタカーでB&Bを利用して気ままに旅行するスタイルにはまりました。アイルランドやニュージーランドもこのスタイルで回りました。

国内では信州や東北、北海道など、山や高原のあるところが好きだったし、判官びいきも手伝って、イギリスでも自然にスコットランドを頻繁に回るようになりました。果てはスコットランド最北端やアウターヘブリディーズの島めぐりも楽しみました。

こんな偏った趣向の旅記録を、これからゆっくり書いていきたいと思います。あまり期待していただかない方がいいですが、何かの参考にでもなったらうれしいです。

そして家族のリハビリも兼ねて、再び海外旅行にも挑戦していきたいと考えています。

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バイクのパンクで思ったこと。

2011年02月03日 | バイク

↓新車から20年、まだまだ元気なスパーダです。


一年ぐらい前に、スパーダ(1990年製のホンダの250ccのバイクね)で仕事から帰る際、前輪がパンクしていました。ツーリングなどにはパンク修理セットを持参するようにしていますが、通勤時には持っていなかったので、途方にくれました。

12月下旬の5時半ごろといえば真っ暗です。

ホームセンターで修理材を買おうにも遠いし、穴は塞いでも空気が無いとダメなのでどうしようかと考えていたら、バイク仲間のY君が通りかかって「ガソリンスタンドに行けば」という適切なアドバイス。なるほどと、なんとかパンクした前輪を気にしながら200メートルぐらい離れたスタンドに行きました。

早速パンク修理を依頼したところ、「ウチはセルフのためパンク修理はできません」とのこと。これは法律で決まっているのかどうかわかりませんが、とにかくできないときっぱり言われました。
さらに「1km行ったところにあるスタンドはフルサービスなので、そこで直したら」との話で、とりあえず空気を補給させてもらってそのスタンドに行きました。

空気の抜け具合を気にしながら、やっとたどり着いて早速依頼したら、「うちはバイクのパンク修理はやっていない」とすげない返事。
がっくりきましたが、ここで「はいそうですか」と引き下がるわけにはいかないので、「自分で直すので材料だけ売ってほしい」と店員に頼んだら、奥にいた店長に相談してくれました。

うまく了解が得られたので、自分で修理しました。店員も気の毒に思ったのか、石鹸水をかけてパンク個所の発見を手伝ってくれ、もともと慣れていた作業なので、すぐ終わりました。空気を入れて漏れの有無を確認。

材料代として500円請求されたので、喜んで払って礼を言って帰宅しました。
長かったように思いましたが、結局いつもより30分程度の遅れだけで帰宅出来ました。

もちろんその後はパンク修理セットを常時携帯するようになったことは言うまでもありません。



空気は応急用の炭酸ガスボンベで、前から手持ちの2本にインターネットで6本を追加購入。100均のポーチに入れてバイクに入れています。ボンベは大きな自転車店でも手に入ると思います。ただ、炭酸ガスボンベは口金のネジに種類があるようなので、バルブとの接続金具に適合するものかどうか確認する必要があります。私はインターネットで、安い熱帯魚などの水草用のものを探して購入しました。

注意として、炭酸ガスはゴムの透過率が大きいので、帰ったら空気と入れ替えることが必要です。



教訓1:セルフサービスのガソリンスタンドはパンク修理できない?

教訓2:セルフでなくても「バイクのパンク修理」はしてくれないところもある。

教訓3:パンクは忘れたころに起こるので、いつも備えは万全に。

特にバイクは自分で直せるようにしておくことです。(といっても最近はオフロード車以外は大抵チューブレス仕様なので、誰でも簡単に出来ます)


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