思いつくままに書いています

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御用とお急ぎでない方は、ごゆっくりどうぞ。

宝塚 花組公演 「サン=テクジュペリ」「Conga」を観て

2012年08月08日 | 宝塚

今回も道は空いていて予定通りの到着。障害者スペースも空いていて屋内駐車もOKでした。
この日は二日間の花火大会の後で、劇場横では前夜の観覧席に使われたパイプ椅子の片づけも行われていました。


実は今回の観劇、チケット購入の段階でひと騒ぎしました。^^;
この花火大会の期間は、大劇場の屋外駐車場が観覧場所となるので、車で観劇する人は別のパーキング施設に停めなければなりません。以前知らずに観劇して、遠く離れた駐車場から大劇場までの道を、汗まみれになって車椅子を押す羽目になりました。
今回の観劇でも、当初このことを忘れてチケットを買ってしまい、あわててここで売ったというお粗末でした。幸いすぐ買っていただける方が見つかったのでよかったのですが。

でも、幸か不幸か、今回チケットはあまり売れておらず、発売開始から日がたって再度買ったのに、1階14列の下手側チケットを購入できました。通路側なのでヨメさんも前がよく見えると喜んでいました。
私も前席の人が小柄な女性で、ラッキーでした。これが雲を突くような大男とかだったりしたらストレスがたまって観劇どころではなくなりますが、けっこうこれがあったりします。(笑)
座席は一階を見る限りほぼ埋まっていました。

今回の芝居の主題は作家で飛行家だったサン=テクジュペリの伝記的な話なので、子供のころからの航空ファンである私は興味津々でした。といっても、私は「夜間飛行」を読んだだけ。今回のモチーフとなった有名な「星の王子さま」など代表作は未読です。ちなみにこの人の名前、由緒あるフランス貴族の末裔らしく正式には「アントワーヌ・ジャン-バティスト・マリー・ロジェ コンテ・ド・サン=テグジュペリ」という長ったらしいもの。「ロジェ」までがファーストネーム、「サン=テグジュペリ」が姓とのことです。

まるで寿限無。(笑)

↓プログラムの表紙です


舞台は星空のような照明から始まる「星の王子さま」をテーマとしたプロローグがショーみたいで、「あれ、今日はショーが先かな」と思ったりしましたが、そんなわけありませんね。


男トップの蘭トムについては、正直言って私は魅力が理解できていません。まず歌が‥‥ですし、容貌の魅力も?で、ダンスが売りといわれても他の人との違いがよくわかりません。贔屓の方には申し訳ないです。m(__)m

話は、華やかなプロローグから一転して、戦後のフランス・リヨン郊外サンタムール村の邸宅でくつろぐユダヤ人ジャーナリスト・レオン(汝鳥伶)を、ドイツ人のホルスト(望海風斗)が訪ねてきて、サン=テグジュペリについての質問に答える形で回想を語り始めるところから始まります。汝鳥伶、さすがの存在感でした。

以後、舞台は15年前のアルゼンチンになって、2分の1スケール?の名機コードロン・シムーンとともに蘭寿扮する郵便飛行士サン=テグジュペリ(通称サン=テックス)が登場する場面となります。実は私が贔屓でない花組公演を観ようと思ったのは、スカイステージのニュースでこの飛行機のセットがなかなかよくできていると思ったからです。動機が不純です。(笑)



でも本当にこの飛行機のセット、よくできていますよ。間違いなくシムーンに見えます!
一般的には右回転のほうが多い飛行機のプロペラの回転方向が、ちゃんと操縦席から見て左回りなのもよく調べてあります。(笑)
とにかくこれまで宝塚のセットで出てきたいい加減な飛行機のセットと比べたら大進歩です。(笑)

まあ飛行機の話になるときりがないので止めますが(笑)、サン=テックスは、同僚のアンリ・ギヨメ(壮一帆)やジャン・メルモーズ(愛音羽麗)らと郵便飛行事業に従事しつつ、執筆活動でも注目されるようになっていきます。そしてある日クラブでコンスエロ(蘭乃はな)と出会い、一目惚れのあと強引に結ばれるという展開です。

ただ、情熱的な出会いにしては、その後の二人の間の感情描写はほとんどなく、ちょっと不親切です。これでは一時の勢いで一緒になったものの、すぐ覚めてしまったという風にしか見えないです。名門貴族にふさわしくないと反対する姉シモーヌ(花野じゅりあ・美人です)も出てきますが、それら家族間の確執についてもフォローなし。

結局生きた人間の話は中断されて放置され、作者の興味は「星の王子さま」の世界に傾いて行って、作品の世界を通して戦争の悲劇に対するサン=テックスの思いとか、無垢な子供を持ち続けた彼の心情などがおとぎ話の形で描かれていきます。これはけっこう不満が残ります。

壮一帆が扮したアンリは、実在した有名な飛行家です。
彼女は同時に「星の王子さま」に出てくるキツネの役も見事に演じています。いい場面です。まあこれがなかったら、壮一帆もほとんどしどころのない役になってしまいますが。

この公演が退団公演の愛音羽麗が演じるジャン・メルモーズも実在の飛行家です。人類初の南大西洋横断飛行以後、何度も同様歴史的な飛行記録を残すなど、当時結構有名なパイロットでした。そしてさらに歴史に残る大飛行に出発する前でソロの場面があり、彼女自身の退団と重ねた歌詞を感動的に歌うところは見どころでした。壮一帆と愛音羽麗の歌が今回公演での耳福です。

こういう友人たちと主人公の熱い男の友情物語が今回の芝居のテーマかと観劇の途中に思ったのですが、それはハズレ。

結末は、偵察任務に出撃して地中海上空で未帰還となるサン=テクジュペリの死についての最新の史実に基づいて締められています。
作者としては、サン=テクジュペリの実生活と、星の王子さまの世界という「二兎」を追おうとしたでしょうが、果たせなかったという感じでしたね。
宝塚オリジナル作品としては良くまとめたほうですが、詰めが甘く、なによりしどころのない役が多く生徒がかわいそうでした。

ネット上では事前にサン=テクジュペリを読んでおくべきとかいわれていますが、やはり演劇作品としてはそれ自体で完結しているべきですね。

ちなみに主人公のサン=テクジュペリ、実際の経歴を見ると、二人の友人と違いあまり腕のいいパイロットではなかったようです。よく飛行機を壊しています。(笑)
飛ぶことへの情熱やロマンは人一倍持っていても、腕がついて行っていないという感じがします。

一方ショーのほうですが、これは全く期待していなかったのに(笑)、いい作品になっていました。これだけでも観てよかったと思います。


最初の「第一夜 エシタルセ・ノチェ(興奮の夜)」で極彩色の洪水を見て、「ああリオのカーニバルみたいな暑苦しい場面が延々続くのか」と覚悟しましたが、実際の展開は意表を突くユニークな場面の連続で、見所・聞き所たっぷりの作品でした。男役軍団が肩を組んで客席に押し寄せる場面とか、リズムとメロディーの対決とか、トップ二人がその名にちなんだ巨大な蘭の花から出てくるシーンとか、おもしろい場面の連続。時間のたつのが速かったですね。
各場面で使われている曲もきれいなメロディーばかり。久しぶりにショーの醍醐味を堪能しました。

トップ二人の歌の場面も多かったのですが、「まあ頑張っているね」ということにして(笑)、やはり聞かせるのは壮と愛音。この二人が歌いだすとほっとしたりします。

蘭乃はな、けっこう激しいアクロバティックな踊りを見せてくれてびっくりでしたが、なにせ痩せすぎ。骨格見本に皮膚と最小限度の筋肉を張り付けた感じで(失礼)、痛々しすぎます。あんな少ない筋肉でもよく手足を動かせるものだと変な感心したり。「けっこうダンサーだったんや」と思いましたが、やはり体全体でダンスの美を表現するのはまだまだというところでした。

今回の公演は壮一帆が雪トップになって転出が決まり、愛音羽麗は退団と、人事でも話題の舞台ですが、その辺も配慮された演出が目立ちました。

ただ、花組、二番手三番手がいなくなってどうするんでしょうね。


舞台を見終わって、エレベーターで一階に降りるのですが、普通はまず1回では車椅子を乗せられません。大劇場のエレベーターは二台あるのですが、三回ぐらい待って降りるのが通常です。ところが、今回は一回で乗れました。ドアが開くと空っぽのエレベーター!
やはり二階席は入りが悪かったのですね。これは雪組のドンカルロス以来のことです。
でも、見る価値は充分ある公演(とくにショー!)なので、ぜひご覧になってください。おすすめです。

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アウターヘブリディーズを訪ねて その6

2012年08月02日 | 旅行
ロッホマディの親切なインフォメーションで教えてもらったレストランは、Loch Carnanの途中にあるOrasay Innという、ホテルとレストランを兼ねたところでした。
ここもまわりに何もない平らな場所にポツンと立っていました。今も営業していて、ホームページもありましたが、なんでも地元出身の女性が長年の願いをかなえて1987年にレストランとして開業したとか。




私たちは安いバーミールの方にしました。シーフードもあるとの情報でしたが、メニューにはそれほど品数はなく、私たちはスープとベジタブルカレー、シーフードのチーズソースというのを頼みました。まだ早かったのか他の客は泊り客らしい男性が二人ぐらいいるだけで、店内は空いていました。

スープはステッピングストーンと同じくらい美味。シーフードのチーズソースは少ししつこい感じでしたが、カレーのほうは久しぶりで、味も日本で食べるのと変わらずおいしかったです。まあ値段も相応でしたが。

で、食べ終わってレジに行って、ふと傍らを見ると黒板が。そこには、シーフードスペシャルとかシーフードプラターとか地元の牡蠣とか、いろいろおいしそうなメニューがチョークで書いてあります!

本当にがっくりでしたね。インフォメーションの女性が「おいしいシーフードがあるよ」と勧めてくれたのはこれだったのか!と思っても後の祭り。
明日はこの地を離れるのでもう食べられないとなると余計に残念でした。当たり前のことですが、魚介類を食べようと思ったら、まず黒板のメニューをチェックということですね。今でもできたら食べに行きたいと思う場所の一つです。(笑)

この日は観光もあまりついていなくて、南部の山あり海ありという変化のある景色と比べると少し単調でした。B&Bに8時前に戻り、途中の店で買った苺と紅茶でのデザートのあと、シャワーを浴びて10時ごろに就寝。

7月30日(火)
今日はユイスト島から出る日。起床してまずコーヒーを飲んでから荷物をまとめました。

このB&Bは新しい建物で、設備もきれいで快適でした。8時30分に朝食。今朝もリクエスト通りのものを出してくれました。今日は相客の老人と孫娘?らしい二人に加えて、女の子の両親と別の女の子も合流、5人が一緒に朝食を食べていました。9時30分にチェックアウト、支払いは127.6ポンド。細かいお金がなく150ポンドを出したらおつりがないとのことで125ポンドでいいとのこと。申し訳なかったです。
車に荷物を入れていると、犬が見送りに来てくれました。


一緒に記念写真を撮ってから出発しました。
B&Bの応接間にあったガイドブックにTrinity TempleとLangassの美しい写真が載っているのを見ていたので、まずそこに行くことにしました。
前者は昨日通って見つけられなかった、1263年に創建され1350年に再建さたキリスト教の神学校の遺跡です。広い道路から横道にそれてしばらく行くと、矢印とパーキングの標識があり、それにしたがって車を進めると車を止めるスペースがありました。しかし国道からはまず見えないところですね。アイオナ島の寺院のほうがよく残っていて有名ですが、ここも当時は規模と影響力では劣らず名声を得ていたそうです。
遺跡への通路はパブリックフットパスになっていて、牧場の木柵をあけて入っていくと、なるほど絵になる景色でした。






崩れかけた教会の建物、墓標が傾いたり倒れたりしている古い墓地、薊とアイリス(花が終わっていたのは残念でした)の群生、背後には沼が広がっていて美しいところでした。


(ただここもあちこち羊の糞だらけなのは参りましたが。(笑))
十分立ち寄る価値のあるところで、お勧めです。


そのあと、Langassの石室遺跡を見に行きますが、ここも場所が見つかりません。この辺のはずだがと、きょろきょろしながら走っていると標識を発見。


パーキングの表示があってもどこに車を止めるのかなと思っていると、採石現場みたいな空き地があり、そこに1台の車が止まっていました。ただ、停めるにもあちこちに大きな水たまりがあるので降りられず、迷っていると先に停まっていた車が移動して空けてくれました。親切です。
その人が丘を登って行ったので私たちもついていきました。
↓柵を乗り越えて中に入ります。


しばらくはジュクジュク水の染み出す悪路でしたが、途中から乾いた道になりました。


たどり着いた丘の上にあったのは、最近採石場から切り出した石の山といっても通りそうな感じで、石自体も真新しく見えましたが、説明板ではこれがBarpa Langassという新石器時代の墓の遺跡とのこと。


以前の調査では副葬品や焼けた人骨なども見つかっているとのことです。もう火葬していたのですね。車を移動してくれた男性は先に見終っていて、私たちが中を覗いていたら懐中電灯を貸してくれたので(用意がいいですね)、腹這いになって崩れかけた狭い通路を交替で入りました。
懐中電灯のおかげで中を見ることが出来ました。他に二つの石室があるそうですが、見られたのは一つの石室で、中は石の柱が立っていてけっこう大きな石で空間が作られていました。


↓画面右寄りの人が懐中電灯を貸してくれました。

この場所は小高い丘の上なので、360度見渡せます。駐車場所とは逆方向の丘のふもとには小さな宿泊施設が見えました。

車に戻ると10時半を過ぎていたので、あわててフェリー乗り場に急ぎました。でも45分ぐらいでバーンレイのフェリー乗り場に到着。桟橋近くの海岸でお菓子などを食べて出航時間待ちです。


そこから乗船場所の駐車場を振り返ると、私たちの車の後ろに例の紺色のミニクーパーが停まっていました。ユイスト島からずっと同じ行動日程なのにびっくりでした。
でもこの二人、あまり話したくなさそうなので、会釈だけにしました。

正午になって、近くの海に停泊していた小さなフェリーが桟橋に近づいてきて乗船開始。
予定通りの出発ですが、船は満車で、やはり予約が必須でした。飛び込みでは乗れなかったでしょうね。


風は冷たく、手袋がほしいほどです。デッキでパンなどを食べて昼食にしていると、乗り合わせていたバグパイプの一団が練習をはじめました。

他の乗客も一斉に注目。中には曲に合わせて足踏みを始める人も。この地方もハイランドゲームの季節なので、島を回っている楽団なのでしょう。


時ならぬバグパイプの演奏を楽しんでいるうちに、ハリス島のレバーバラという船着き場に到着。一時間余りの船旅でした。
この辺りはユイスト島とは違って海岸の砂は黄色。海は変わらずエメラルド色で、遠くには雄大な山が連なり、さらにスケールの大きい景色です。

ここにはツーリスト・インフォメーションはないので、ターバートを目指しました。とにかくこれからの3泊のB&Bを予約することが先決です。途中サラームという村のビジターセンターで「Hebrides at War」という本を買いました。戦争中のこの地方の記録が珍しい写真と共に紹介されています。ヨメさんは10ポンドは高い!と不満そうでしたが、気にせず購入。でもいい本でした。

2時にインフォメーションにつき、予約を頼むが、係員はあまり愛想がよくなく、こちらの希望はすべてフル!といって、結局ルイス島のB&Bを、これでも見つかったのがラッキーよという感じで半ば押し付けられてしまいました。まあB&Bのランクでは三ツ星となっているので承諾、一泊22ポンド/一人の料金になりました。
ここでは手持ちの宿が少ないため、ストーノウェイのインフォメーションに依頼していたようです。手続きしてくれた係の女の子もユイスト島とは大違いで不親切。
近くの見どころなども教えてくれず、どこでも置いているフリーマップもなく、有料のマップも陳腐なものだけ。
ここで情報収集するのはやめて、雨なのでとりあえず宿のあるCrosbostという村に向かうことにしました。ドライブマップでは道の途中にストーンサークルがあるようなので、行ってみることにしました。
でも確かこの辺のはずだがと探してもそれらしいものはありません。カラニッシュの村のビジターセンターで聞くことにして立ち寄ると、そこがスタンディングストーンのあるところでした。


なかなか大規模で、しばらく写真を撮ったり説明を読んだりして過ごしました。




小雨模様ですがそれほど強くなく、元のみちに戻る途中また別の、もっと小さいストーンサークルも見つけました。こちらのほうが素朴な感じで好感が持てました。


このあといよいよ宿に向かいます。
地図を見ながら車を走らせて、着いたところは家がポツンポツンと建っている平凡な村でわかりにくいのですが、教えられた家屋番号の建物前に停まったら、出迎えに出てきてくれました。まだ若いマクドナルド夫人といってきれい好きそうで内部はきちんと整理されて清潔でした。

↓これは共同で使える居間です


ただ、通された2階の部屋はシャワールームとトイレが外でオンスィートではないのが難でした。でも他の泊り客は夫人の兄が泊まっているだけなので、隣接した部屋も使っていいとのこと。実質的に貸切状態なので、まあよしとしました。


荷物をほどいてから、夕食のお勧め場所を聞いたらストーノウェイのクラウンホテルがいいとのこと。15分で行けると聞いて、早速出かけました。この村は散歩する気分にもならないところでした。もっときれいなところに建っていたら泊り客も来ると思うのですが。

ストーノウェイは久しぶりの大きな町でした。マル島のトバモリより大きく、テスコもあるほどで(笑)、久しぶりのラウンドバウトに出くわして面喰ったり。
港もなかなか立派でした。
レストランに行くと、看板が出ていたのですぐ見つけられました。

カーパークに車を止めて周辺の店で明日の食料品や飲み物を買ってから、食事にしました。1階がバーですが、食事するような雰囲気ではなかったので2階のレストランへ。
私は舌平目のバナナチップ載せ、ヨメさんはイカのフライとサラダを頼みました。どれもおいしく満足でした。私はスープと温野菜も頼んだのですが、スープはトマト風味のシチューという感じでこれもおいしかったです。

食べ終わって周辺の大聖堂や図書館の写真を撮ったりしてから宿に戻りました。


まもなくマクドナルド夫人が来て、朝食が8時であること、好みなどを聞きに来ました。
今日も買ってきた苺などを食べてからシャワーを浴び、10時過ぎに就寝。

(続く)
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