思いつくままに書いています

間口は広くても、極めて浅い趣味の世界です。
御用とお急ぎでない方は、ごゆっくりどうぞ。

久しぶりに連れ出してみました

2018年04月21日 | 日記
去年の4月に、Phantom2で桜吹雪を空撮しに行ったとき以来、Spadaはガレージの隅に置かれたまま。

病院通いはAddress110かDio、雨の日はプリウス。

Spadaでは荷物も入らないし、交通手段というより趣味性のほうが大きい存在なので、病院通いに乗るのは不謹慎、みたいな罪悪感もあって、まったく出番はなくなっていました。

でも最近になって、なんとか気持ちに余裕が出来てきて、天気もいいし、気分転換を兼ねて乗ってみようかと思い立ちました。

といっても午後は病院に行くので、調子を見がてら自宅周辺の山道を軽く10kmぐらい走ってみることにしました。

走るのは1年ぶりですが、Fが倒れる半年ぐらい前に、一度エンジンはかけたことがあります。

長く乗っていなくても、バッテリーはフロート充電+パルサーで常時フル充電状態。

なので、いくらでもセルの長回しができます。

セルボタンを押したら、初めはチョークを引いていてもなかなかアイドリングが安定しなかったのですが、5分ぐらいで気持ちよく吹き上がるようになりました。

目的地はいつもドローンを飛ばしていた、自宅近くの里山の斜面に広がる草原。

敷地内を通っているのは「道路」ではなく通路なので、車も人もたまにしか通らず、空撮には最適のエリアです。

でもドローンはもう3か月以上飛ばしていません。

4年前から、Fがリハビリのためデイケア施設に出かけていた日は、天候がよければ必ずドローンを飛ばしに行っていました。

おかげで、4年間に撮りためた空撮データは軽く1TBを超え、飛行回数(1バッテリー単位の飛行回数)は400回以上と、今となったら自分でもあきれるほど入れあげていました。。

でもFがデイの施設で倒れた今年の1月16日以降は、いっぺんに熱が醒めました。


それはさておき、この日も快調に走って、10分もかからず目的地に到着。


やはり誰もいませんでした。目の前に、最後に飛ばした1月の灰色の景色から一変した、美しい新緑の景色が広がっていました。

その自然の変化と、この3か月に激変した私たちの生活が重なって、万感胸に迫る思いでした。

緩勾配の草原を渡る風に吹かれながら、草原を横切る雲の影を見ていたら、また飛ばしに来てもいいかな、と思えてきました。


しばらくして、Spadaをスマホで撮ってから、帰途につきました。

帰りは別コースにして、自宅までの適度なアップダウンとコーナーが連続する山道をじっくり楽しみながら戻りました。




エンジンを止めたとき、久しぶりに味わった「人車一体」感がなんとも新鮮でした。

たまには気分転換を必要だなと、つくづく思えるひと時でした。

連れ出されたのは私のほうだったのかもしれません。



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「シャンハイムーン」の遅すぎる感想 無理してでも観てよかったです

2018年04月18日 | 観劇メモ
先月の話ですが、1枚売りに出した『シャンハイムーン』のチケットは、結局売れずじまいでした。

公演一週間前でも売れる気配はなく、「郵送」では間に合わないタイミングになり、「手渡し」に替えても売れず。

そうなる前から、購入価格を下回る価格設定にしていても売れず。

このドキドキ感、観劇に出かけて、予期しない交通渋滞に巻き込まれて、開演時間に遅れそうなときの絶望感とよく似ています。(笑)
もちろん私より高い価格を維持していた他の方々も「枕を並べて討ち死に」必至(殴)。

買い手が現れたら登録しているメールに通知が来るので、いちいちチェックしなくてもいいのに、つい仲介サイトを見てしまう日々。そして他の人も売れていないのを見てプチ安心したり。(殴)

いつもは入りの良いこまつ座公演でも、主人公が魯迅ということで地味な印象となり敬遠されたのでしょうか。

いよいよ切羽詰まってきて、でも無駄にするのも勿体ないしと、思い余ってイチかバチかで観劇ボランティアを急募。(笑)

2日前なのでまず無理だろうと思いながら、唯一の心当たりに電話したら、なんと快諾の返事!

言ってみるもんですねぇ。散々迷いましたが。

そして当日、貴重な有給休暇を使って、劇場に来てくれました。やさしさが身に沁みました。

で、舞台のほうですが、無理して観て良かったです。

やはり井上ひさし流の味のある脚本、それを十二分に活かす手練れの栗山民也の演出、それにこたえる野村萬斎と共演者の好演で、久々の観劇でしたが、終わってみれば迷わずにスタンディング。(迷う時も多々ありますからね(笑))

ここしばらく病院と自宅の往復に明け暮れていた生活がリフレッシュできました。

私も魯迅が主人公とは、一体どんな展開になるのかと思いながら劇場に向かったのですが、プログラムで魯迅役の野村萬斎が書いているように、「衛星のように登場人物達が魯迅の周囲を回」りながら、極めて人間臭い魯迅とその周辺の人々を紹介する話になっていました。
冒頭の魯迅の手紙を6人の出演者が次々に読む場面は井上ひさしならでは。なぜか『イーハトーボの劇列車』を思い出しました。舞台装置もよく作りこまれていてリアル。
以下、いつもの薄味の感想です。敬称略です。
(画像は当日購入したプログラムから)

野村萬斎は、以前観た『藪原検校』の、酷薄非情な主人公・杉の市とは全く対極になる魯迅を漂々と演じていて新鮮でした。


医学生だったのに大の医者嫌いで、しかも頭痛もちで痔持ちでもあり、右足は神経痛で常に痛んでいたという魯迅を、抑えぬいた演技で人間味豊かに演じていました。

魯迅の相手役・許 広平役の広末涼子ですが、映画でその演技力は知っていたものの、舞台はまた違う演技が求められるので、興味津々でした。

でもベテランぞろいの共演者に伍して、セリフもしっかりしていて、感心しました。女性運動家で知的な広平が、時折魯迅の最初の妻・朱安に抱いている複雑な心情を見せたりする場面は丁寧な演技で、見ごたえがありました。
ただ、けっこうコロコロした舞台姿(殴)で、私はてっきり細身の体型だとずっと思い込んでいたので、意外でした。

内山書店の店主内山完造の妻・みき役は鷲尾真知子

こまつ座の作品は彼女に合いそうな役が多いと思うのですが、初めての出演ということでこれもちょっと意外。

プログラムで彼女自身が書いているように、下町の、下宿の世話好きなおばさん的な役で、辻萬長演じる内山完造との息もぴったり合っていて、人情味あふれる夫婦でした。客の顔を見るとまめまめしくお茶を入れる姿が印象に残りました。(ただ少しセリフが滑ったところもありましたが)
でも、この人の夫が故・中嶋しゅうだったとは知りませんでしたね。まだまだ知らないことが多いです。

土屋佑壱は歯医者の奥田愛三役です。

この人、2015年に観た『國語元年』では「土屋佑一」でしたが、その時はあまり印象がなく(殴)、今回プログラムを読んで出ていたことがわかったのですが、今回はバッチリ。

洋行帰りでけっこうアグレッシブでキザな歯医者だが、複雑な過去も抱えているという、おいしい役です。

この歯医者と好対照なのが、山崎一が演じる須藤五百三

苦労人の町医者で、内山夫婦とともに献身的に魯迅を支えています。役にぴったりのキャラクタで、のびのびと演じていて、味わい深い人物になっていました。『太鼓たたいて笛吹いて』の加賀四郎や『組曲虐殺』の特高刑事でも独特の存在感があって印象に残りました。後半でこの人が、
日本人にもいろいろいる。中国人にもいろいろいる。日本人は、とか、中国人は、とか、ものごとをすべて一般化して見る見方には賛成できんぞ」というセリフがこの作品のすべてを象徴していました。今の世相に最もふさわしい言葉です。

そして内山完造を演じた辻萬長

初演では須藤役で、井上ひさしが当て書きしたとのことですが、今回の内山完造もぴったりで、魯迅の人となりと作品にぞっこん惚れ込んでいる愛すべき人物を自然体で演じていました。書店の店主として魯迅に対してもいろいろ思うところがあるけれど、それは内に秘めて、とにかくひたすら尽くすという好人物で、登場するだけで場が和らぎました。
この人はこまつ座の多くの作品でお目にかかりましたが、私的には前出『イーハトーボの劇列車』の賢治の父親役と思想警察の刑事の二役のほうがすごいインパクトでした。

ということで、久しぶりの観劇でしたが、病院通いの毎日とは全く違う世界が見られてよかったです。

次の観劇は新国立劇場の兵庫芸文センター公演「1984」です。これはFが観劇するのはまず無理ですが、なんとか私だけでも観ようとチケットを処分せず。
そしてタカラヅカは、残念ながらチケットの先行販売の方法が変わって取れなくなって、観劇の予定はありません。(泣)
『ポーの一族』でタカラヅカ観劇はいったん終了となってしまいました。本当に残念です。

でも、Fが観たがっていた、兵庫芸文センターでの「大人のけんかが終わるまで」は、チケット先行販売のメールが来たので、まだ時間があるのでなんとかFが車椅子で観劇できればと、リハの目標設定のつもりで先日購入しました。


うまく最前列の席が取れたので、車椅子に乗れるようになっていたら、なんとか観劇できるでしょう。

チケットをゲットしてから、Fにそれを伝え、パンフレットも見せたら、じっと見てくれました。
それ以降、絶えずFに頑張ろうねと話しかけています。

もしその時点でFがまだ行ける状態になっていなかったとしても、私だけでも観て来て感想を報告してやろうと思います。今度は良席だし、お気楽な内容なので、F分のチケットは多分売れるでしょう。




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血圧計が高血圧の原因?

2018年04月14日 | 日記
毎日病院に面会のため通うようになって、Fの血圧測定や検温を見ていて、私も自分の血圧が気になってきました。

前に胃ろうのことで相談した知人の看護師さんから、「K(私めのことです)さんの血圧はどうですか」と聞かれたことも一因でした。

それでどのくらいだろうと、自宅の血圧計で測ってみました。
Fが毎日寝る前に測っていたもので、某通販会社のカタログで見つけて、3年前に買い替えたものです。

で、測ってびっくりでした。

何度測っても、いつ測っても、上は低くて140後半、ほぼ150台をキープで、下も90台と、どこに出しても恥ずかしい高血圧です。(殴)

焦りまくりました。

これでは、私も診察を受けて降圧剤を処方してもらわないと危ないかなと思いながら、でもずるずると診察を受けずに過ごしていました。

というのは、リタイア前に受けていた職場の定期健診では、高くても120/80ぐらい、130台になることはまずなかったので、イマイチ納得できなかったのです。

でも年も年だし、特にこの間はずーっとストレスがかかりっぱなしなので、いつのまにか高血圧になっていたのかと憂鬱でした。

そんな中、3月31日に、その5日前に転院してきた今の病院の待合室に、大きな血圧計が設置されているのに気づきました。

近づいてよく見ると、どなたでもご自由にという感じで、測り方なども説明してあります。測定結果もプリントアウトしてくれます。


ということで、少し不安でしたが試しに測ってみることにしました。

家より高い数値が出たらもっと怖いなと思いながら腕を差し込んで、スタートボタンを押しました。

結果は‥‥。

えっ低いじゃん!ということで、もう一度測ったらさらに低い!(笑)

うれしかったですねぇ。と同時にやっぱりなぁとも。

ところが、その日面会を終えて帰宅して、家の血圧計で測ってみたら依然として高いまままです。

これはおかしいと思って、某日の面会時に血圧計をもって行き、病室に行く前に2台で測って比べてみることにしました。
幸い、私が面会に行く時間帯の待合室はいつも無人状態です。(笑)

その結果がコレ↓


最高血圧では20くらい持参した血圧計のほうが高く表示されています。最低血圧でもはっきり差があります。

「ドイツメーカーの製品で、測定方法も正確です」という通販会社のうたい文句を信じて買ったのに、こんな結果でもうガックリですね。まあそれ以上に安堵感のほうが大きかったですが。(笑)

ただ、病院の機械が本当に正確なのかという疑問と、自宅でも気軽に測りたいというのもあって、病院からの帰途、家電量販店に寄って、血圧計を買いました。(まあ何のかんの言っても、ただの物欲降臨なのかも。(殴))

でも小さいですね。


新しい血圧計は手首式にしました。冬でも気軽に測れるのが便利そうで。でも血圧計の位置を検出するセンサー内蔵で、心臓の高さで測るように促してくれるので、数値は信頼できそうです。

早速夕食後に測ってみたら、やはり正常値の範囲。病院を出る前に諮った数値とも大差はありませんでした。

念には念をと、その血圧計をまた病院に持っていって、比べてみました。(しつこい!!)

結果はせいぜい数パーセントの差でした。

ただ、低いといっても130台と、若い時よりは確実に高くなっているので、毎日測ることにしました。

でもね。オーバー表示だった元の血圧計(Made ㏌ Chinaですが)で、ずっとFの血圧を測り続けてきたのですが、高くても150を超えることはまずなかったので、降圧剤はよく効いていたのでしょうね。


それでもFの血管は耐えきれませんでした。

一回目の脳出血の後、それまで以上に健康には気を配っていたFなのに、遺伝的体質とはいえ、本当にかわいそうでなりません。


今になっても、愛用していた装具と杖を見るたびに、涙があふれそうになります。


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転院してもうすぐ二週間です。

2018年04月07日 | 日記
毎日の面会でやはり疲れもたまってきて、更新が出来ないままもう4月になってしまいました。

玄関の椿はいつになく多い花を咲かせました。

Fは3月26日に病院も変わって、新しい環境でリハビリを受けています。

まだ声が出ないし、手足も動かない状態です。でも、聴覚と視覚はかなり戻っていて、声掛けにもよく反応し、私の動作や話す内容に即して眼を動かしています。

前の病院は急性期専門病院なので長くはいられず、胃ろうが完成した時点で退院となりました。今入院している病院はそこで紹介されました。事前に見学して、医療関係の知人などの評判も確認して、入院を決めました。というか、自宅の近くには他に療養型病棟のあるところがないので、実際は選択肢がなかったのですが。

でも、結果的には転院してよかったです。なによりリハビリの内容が段違い

転院後初めてのリハビリに立ち会って、目からうろこでした。

まずFの状態を事前チェックしてから、手足を動かしたり、首がのけぞった状態になっているので首周りの強ばりを緩めるマッサージをしてくれたのですが、それが丁寧でかつダイナミック! 汗をかきながらやってくれています。 

手足を大きく動かしながら念入りに各関節をマッサージしてくれたり、積極的にベッド端に座らせて起きた姿勢に慣らしてくれたり、車椅子を利用したリハビリも、ただ乗せるだけではなく、手足や首を動かしながら姿勢に慣らしていくといった濃い内容で、前の病院の緩いそれと比べてあまりにも差がありすぎで、愕然としました。

ただ病院としては同じような感じで、やはり細かいところはこちらが言わないといけませんね。

たとえば以前から拘縮が強い右手は、爪が伸びると掌に食い込んで傷がつくので、よく爪を切って普段からハンドタオルなどを握らせたり、ずっと握りしめているため手の中に垢がたまりやすいのでこまめに拭いてもらうとか、体温調節がまだうまくできないので、手と体が密着していると熱がこもって汗で寝間着が濡れるのでタオルなどを挟んでもらうといったことは、言わないとだめでしたね。

でも言ったら、その後はずっときちんと引き継いでやってくれています。ただ爪切りは私の仕事になっていますが。(笑)

前の病院では、2か月余りの入院でたった一回だった(微熱が続いていたせいもありますが)入浴も、昨日微熱はあったものの、汗がひどいからと体調に注意しながら入れてくれました。

担当してくれている男女のPT(理学療法士)さんは二人とも本当に熱心で意欲的で信頼できますが、やはり1コマ20分ですから、私もFの手足を少しずつ動かしたり、手足の指をゆっくりもみほぐしながら関節の可動範囲を維持するようにしています。

ICレコーダーでの語りかけや、音楽でリラックスさせたりも続けています。

この3か月弱、毎日病院に通って、Fの手足を動かしたり、声を出すよう呼びかけ続けている私は、家にこもって出てこない人に、ドアをノックして出てくるよう呼びかけている人のようにも思えてきます。

でもあきらめません。これからもずっとドアをたたき続けていきます。

上に書いたように、目に見える前進はまだあまり見られませんが、2月に比べたら3月はよく反応する日がずっと増えてきました。

この病院も、「ここでの入院は3か月が限度です」と手続き中に宣告されています。

なんとかこの限られた間に、もっと回復してくれるようにと祈りながら毎日通っています。


玄関のブルーベリーもよく蕾をつけてくれました。実ったらFにも食べさせてあげたいです。




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