思いつくままに書いています

間口は広くても、極めて浅い趣味の世界です。
御用とお急ぎでない方は、ごゆっくりどうぞ。

悪あがきも空しく、iP7500がとうとうご臨終。

2013年10月28日 | パソコンあれこれ

2005年に購入したキヤノンのインクジェットプリンタ・iP7500がとうとうご臨終。
今回はその顛末についてご報告です。

私が最初に買ったプリンタは、NECのPC-9801VX21と同時購入の、NECのドットインパクトプリンタPC-PR201です。複写用紙に印刷するため猛烈にうるさく、文字もドットが荒くて汚いので、間もなくキヤノンのバブルジェットプリンタを追加購入。
このプリンタ、当時としては印字がきれいで満足していましたが、Windows95が発売されてまもなく買ったエプソンのPM-750Cのカラー印刷の見事さに驚き、まもなくキヤノンはお払い箱。テキストの印刷には十分使えたので、商売に使うという知人に譲りました。
しかしその期待のPM-750Cは極めて短命で、その後継として購入したPM-820Cも同様に長くはもたず、さらにPM-930Cの購入となりました。でもこれもすぐ壊れました。
どれも保証期間が過ぎてすぐ故障するなど、よくできたタイマーでした。

このエプソンの余りの短命ぶりに愛想が尽きて、そろそろ画質に引けを取らなくなったキヤノンiP7500に乗り換えを決意。
エプソンと違っていろいろ快適で、気持ち良く使ってきましたが、やがて電源が入りにくくなって修理。復活して、そのあと、謎の自動電源オンオフ機能を見つけたりして使い続けてきましたが、とうとう全く電源が入らなくなりました。何をやってもダメ。
まあそれでも、iP7500はエプソンの各機種に比べたら遥かに長寿命でしたが。

しかし、ここで廃棄するには、買いためていた手持ちのインクがもったいない
詰め替え用のインクや、ICのリセッターなどを合わせたら大体9,000円以上になるでしょうか。
知り合いに譲るにも、もはや7eというインクを使っている者も身近にいないので、本体と一緒に廃棄するしかありません。なんとか無駄にしないようにと、適当な同型のジャンク品でも入手して、部品どりで再生して延命できないかと、悪あがきにチャレンジすることにしました。

タイミングよく某オークションで入札期限が近い手ごろな不動品を見つけました。値段は500円ですが、送料が1,500円かかるのが微妙なところです。でもまあお遊びと思って応札。落札して送られてきたのがコレ↓でした。


きちんと梱包されていました。↓


見たところはまあまあですが、この状態で電源ボタンを押したら一瞬LEDが光りました。一瞬だけですが。(笑)
これは良品かも!と淡い期待を抱きながら、とりあえず解体にかかりました。

キヤノンの製品は現在の工業製品の典型で、外装はネジ不使用です。
左右のカバーは指定箇所をマイナスドライバーでちょっとこじればパカンとはずれます。


その下にある一体になった黒いカバーは、まず背面の2箇所の穴にマイナスドライバーの先を差し込めばストッパーが外れて少し持ち上がります。




後ろを浮かせたまま今度は、前部にあるシャーシー部左右との組み合わせ部を横にずらすと外れます。






先の通りスイッチ基板は使えそうなので、メイン基板をチェック。基板をよくよく見ると、壊れた私のiP7500より古いロット番号が記されていました。
それで、まずジャンク品からスイッチ基板だけ私のiP7500に移植。でも全く反応なし。(^^;

次にメイン基板もジャンクから移植したら、今度はあっけなく電源は入りました。







カタカタと聞きなれた音がしています。ヤッタ~、成功と思ったのも束の間、エラーLEDが点滅してそれ以上動きません。点滅回数は2回。


これはキヤノンのサイトでは「用紙がセットされていない /給紙ができない」エラーとのことですが、用紙はカセットに入れてセット済み。何度セットしなおしても点滅は止まりません。
対処方法はいろいろ書かれていますが、最後は「それでも直らない場合は、修理が必要な可能性があります。」とのこと。

カセット差込口周辺を見てもそれらしいセンサーは見当たらず、なにより第一にインクタンクのLEDがすべて消えたままなので、どうやら根本的なところがダメみたいです。最後に、私のiP7500のメイン基板+ジャンク品のスイッチ基板の組み合わせをジャンクiP7500に移植してみましたが、これは全く電源が入らずダメ。

ガックリでしたが、まあこれで買い替えの決心がつきました。(笑) おかげで基板の交換作業はプロ並みに慣れました。(殴)

教訓:スキルなしの悪あがきは時間とお金の浪費。何事も諦めが肝心。(笑)

後継機種としては、iP7500と比べたらインクタンクが小さくなって

いますが、まあPIXUS MG7130ぐらいかと安いところを調べていたら、昨年発売のMG6330と仕様の差異がほとんどないことが判明。値段も半額近く格段に安いので、MG6330にしました。
Wifi設定も簡単で、自動電源オンオフにも対応していて便利です。

ただし、残念なのは、これまでキヤノンの美点だった透明のインクタンクが真っ黒・不透明なケースになってしまったこと。これでエプソン同様に、目視での残量確認が出来なくなりましたね。キヤノンもとうとうインクが残っていても交換させるエプソン流の販売戦略に転換でしょうか。
それと流行のツルピカ外装もすぐスリ傷がついてしまうのはいただけないです。

iP75002台は先週、まとめて不燃ゴミの日に回収されていきました。8年使えた長寿命の機種だったのに残念です。

さて、なんとか7eのインクの引き取り先を探さなくては。^^;

コメント (4)
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"いのうえシェイクスピア"「鉈切り丸」、絢爛豪華な舞台でした

2013年10月26日 | 観劇メモ

今回は同じ井上でもいのうえひでのり演出の舞台です。初めての観劇となります。
私たちが観たのは10月24日(木)。上演されるのはもう久しく行っていない劇場なので事前に調べたら、直営の駐車場はなし。でも契約パーキングはあるので、そこに停めれば3時間500円の補助券がもらえるとのこと。
ただし結構離れているので、台風接近とあって天候が心配でしたが、当日はまさかの好天。車椅子でも大丈夫でラッキーでした。
正午に劇場前に着いたら、すでに開場を待つ大勢の人が歩道や近くの公園に集まっていました。

まもなく劇場内に入れてくれたので、中で開場時間まで待つことができました。このあたり、直前のシアター・ブラバとは大違いです。
待っている間にスタッフの女性が声をかけてくれて、客席の状況などを説明してくれました。その後トイレに行って時間を調整。

その間に気付いたのですが、この劇場、オリックス劇場として2012年に再オープンした際に全面改装して、最新鋭の舞台設備に更新され、同時にエレベーターの新設や女性用トイレの増設、完全バリアフリー化なども実施されたとか。
実際障害者トイレも最新の設備で快適、さらに今回利用した車椅子スペースが、席番号でいうと11列の17・18番相当のものすごく見やすい場所。

そこに行くまでの経路も完全にフラットで感激しました。こんな見やすい車椅子スペースはこれまで経験したことがありません。それだけでもうれしくなりました。障害者の利用しやすさでは関西一(いや日本一かも)。

今回は主人公のファンなのか、若い女性客が目立ちました。

さてようやく感想です。(またまた長い前フリです。m(__)m 文中例によって敬称略です)

開演前にプログラムを買いました。ずっしり重く大部で、値段も2,000円と高価!でも情報豊かな内容で、買う価値はありました。

それを読んでいるうちにオープニングのテーマミュージック?がかかりましたが、映画のテーマのような迫力のある音楽です。それを聞いてさらに期待が高まりました。ちなみに劇中の音楽は生演奏で(録音も併用)、キーボードとパーカッション、篳篥でいい効果を上げていました。

舞台には幕がなく、代わりに竹藪の植わった木製のセットが全体を覆っています。この出し入れで場面転換されるのですが、舞台の一か所になにか突起でもあるのか、毎回左右に分かれて動かすたびにゴトンと音がするのが気になりました(笑)。

1時にスタート。
最初の立ち回りの場面、舞台上方からミストのような水が降ってきて、そのカーテンで雨を表現しています。
立ち回りのシーンはさすがにタカラヅカのスローモーションなゆるい斬り合い(笑)と違って、迫力があります。
そして森田 剛扮する主人公・鉈切り丸こと源範頼が登場。
生まれつき背中に大きな瘤を背負い、片足を引きずり、顔には醜い傷があるという設定。鉈でへその緒を切ったから「鉈切り丸」の幼名となった源範頼が、シェイクスピアの「リチャード3世」という想定でした。

森田 剛、この鉈切り丸を渾身の演技で頑張っていました。観ているうちにようやく「祈りと怪物 ~ウィルヴィルの三姉妹~」のトビーアスを思い出しました。(そういえば、あの感想では一切森田剛について触れていませんでしたね。申し訳ない。(殴))
ただ、後半では見た目の老け具合と、若い声がますます合わなくなる感じがやや惜しいかな。でも、前回の観劇と違って、今回は建礼門院と共にこの芝居の流れをリードする重要な役割を十分に演じていて印象に残りました。
(↓以下、すべて 当日購入のプログラムより)


史実で伝えられている源範頼と異なり、今回の「鉈切り丸」の範頼は生来の悪役ですが、同じような極悪人として描かれた井上ひさしの「藪原検校」ほどドライなワルではありませんね。後者のスコーンと突き抜けたような血も涙もない悪逆非道ぶりの痛快さと比べると、鉈切り丸はセリフも常に同情を誘う詠嘆調(笑)で、シェイクスピア風というより「和」のテイストが強いです。(笑)

続いて他の役者の感想になりますが、まずネガティブなところから行くと、成海璃子の巴御前が最大のミスキャストに感じました。


この役、冒頭から最後まで話に絡む重要な役ですが、この女優にはまだ荷が重すぎ。セリフも演技も水準とはいえず、観初めて即座に「ああ、アカン」と思いました。
義仲に逃げろと言われたとき、本当にこんな巴御前では足手まといになるだけだと思ってしまいました。
もっと野性的で芯のあるキャラクタのはずなのに、全然表現できていないのが残念でした。
とくに今回、女優陣があまりにも豪華な顔ぶれなので、その差は歴然、彼女の登場する場面は本当に長く感じて辛かったです。
でもこれは本人の責任ではなく、選んだ方の責任だと思いますね。興業的な打算で登用するのではなく、実力本位で選んでほしかったです。
これが例えば最近見た「それからのブンとフン」の新妻聖子とか小池栄子だったらどんなに良かっただろうと、観劇しながら考えていました。

ネガティブな評価としてはこれぐらいにして、良かった順ではなんといっても若村麻由美




この人が演じる「北条雅子」の前では、頼朝も形無し。演出家の想定では「リチャード3世」でのエリザベスだそうですが、本当に強い女性でした。頼朝をアゴで使っていましたからね(笑)。とにかくセリフの力がすごいし、メリハリの利いた表情でどんな役にもなりきれるダイナミックレンジの広さが強みですね。それでいて、たまに入るコミカルな演技もうまくこなして、大したものでした。
余談ですが、たまたま今テレビを見たら、三宅裕司の「コントの劇場 10月号」が放送されていて、若村麻由美がゲスト出演。途中からでしたが面白く、即興でよくできるものだと感心しました。ちなみに北村有起哉も出ていて思わず黙阿弥オペラの「釣竿の浪人」を思い出したり。

若村麻由美と並ぶのが「建礼門院」の麻実れい。平家の怨念を象徴する生霊役で、これまたすごい存在感。出てくるだけで周囲を圧するのはさすがですが、二人とも低い声も高い声も、大きな声も小さい声もくっきり明瞭でした。
建礼門院は鉈切り丸と並んで狂言回し的な役廻りです。でも同じ狂言回しでも、建礼門院はすでに滅亡してしまった平家の怨霊なので、歴史の進行に影響を及ぼす力はありませんが、鉈切り丸のほうは、傍流とはいえ歴史の勝者・源氏側なので、頼朝を操ってどんどん現実を変えていきます。
そんな怨念の象徴でも、麻実れいがやると凄い迫力で、出番は少ないものの強いインパクトがありました。


頼朝は生瀬勝久。この舞台を観る前はいつものパターンで、狷介で嫉妬心や猜疑心が強いいやな権力者という頼朝像を予測していましたが、現れたのはそれとは正反対。まったく政子のいいなりのままのダメ夫ですが、そんな彼が時折見せるコミカルな演技が、重苦しい話を適度にほぐす役割を果たしていました。この人の眼の演技が印象に残りました。時折かましてくれるギャグが秀逸でした。全く意表を突かれた頼朝像でした。


女優ではイト役の秋山菜津子もベテランらしい安定した演技で、感情の起伏の多い難しい汚れ役を十分に演じ切っていました。
終わりの方で、母として鉈切り丸と対面して激しくやりあう場面でも堂々と伍していて大したもの。この人、「藪原検校」での好演もまだ記憶に新しいところです。


梶原景時の渡辺いっけいも味のある演技で、弁慶の千葉哲也とともに脇を固めていました。この二人が芝居に厚みを出していましたね。全編権謀術数が渦巻くこの芝居で、いつ梶原景時が裏切るのかというのも興味がありましたが、かろうじて踏みとどまっていましたね(笑)。
弁慶の立ち往生もうまくできていました。この芝居、血しぶきを上げて切られるシーンとか、随所に凝った仕掛けも見られます。




義経は須賀健太。頑張っていましたが、まだ発展途上の印象。私としてはビジュアル的に義経のイメージには合わないと思いました。もっと絵にかいたような美青年であってほしかったなあ。


演技では木村了の和田義盛が、真っ直ぐな人柄をよく演じていました。立ち回りはキレがあり、台詞もハッキリスッキリ聞きやすい。男優では一番台詞がよかったと思いました。


逆にやや聞こえにくくで残念だったのは大江広元役の山内圭哉。ふだんの会話をドモらせる演出もどうかと思いますが、吾妻鑑を読むときは明瞭なはずがちょっと聴き取れなかったりしたのが残念でした。この人もコミカルな部類のけっこうおいしい役回りでした。


あと、宮地雅子が被り物で笑わせてくれました。比丘尼役も演じていて、余裕の演技で座を和ませていていい仕事ぶり。初めの被り物は移動とか大変そうです。詳しくは観てのお楽しみ。


全体としては、なんといっても青木豪の脚本が素晴らしい。スケールが大きくて大作の風格たっぷりです。細部も鉈切り丸が頼朝をそそのかし、思うままに操っていく筋書きなども説得力があります。頼朝でなくても納得しますね。観劇しながら、和物の題材でもこれだけの脚本ができるのかと感心しました。宝塚の座付作者も奮起してほしいものです。
宝塚と言えば、今回の演出では随所にタカラヅカ的な要素が見られました。セレモニーの場面での群舞とか、建礼門院の羽根の衣装とか、まんま使えそうです。
それと音楽が効果的でした。篳篥の生演奏で歴史ものらしい雰囲気が強調されていました。
舞台装置では最初に書いたように竹藪の生け垣のセットが場面転換で効果的でした。このセットを見ていて、マクベスの動く森を連想しましたね。そういえば巴御前とイト、そして建礼門院が3人の魔女みたいにも思えたり。後、不気味にリアルな生首とか(笑)。

最後は圧巻の立ち回り。「祈りと怪物‥蜷川バージョン」のラストみたいな演出で、主人公は大変だなあと同情しました。詳細は観てのお楽しみということで触れずにおきます。(笑)

繰り返しますが、本当に見ごたえのある舞台でした。最後に客席は全員感動のスタンディング!!

同じいのうえでも、いのうえひでのりはまた違った味わいのある演出で、楽しい10月の観劇となりました。また同じ劇場で、この脚本家+演出家の作品が上演されればぜひ観てみたいです。

「鉈切り丸」、おすすめです!




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こまつ座&ホリプロ 音楽劇「それからのブンとフン」を観て感じたこと

2013年10月23日 | 観劇メモ

井上ひさしの作品を観るようになって今回で6作目です。最初の観劇は「黙阿弥オペラ」。前に井上ひさしの作品の感想を書いた際に「組曲虐殺」が一番といいましたが、今振り返ってみると、最初の衝撃を差し引いても、「黙阿弥オペラ」が一番だと思います。謹んで訂正いたします。とくに好きだったのは釣りの浪人でした。
次に見たのが「キネマの天地」。これも面白かったですね。作者一流の凝ったドンデン返しの展開が痛快でした。女優陣が豪華でした。そしてインパクトの強かった「藪原検校」に続いて、小品ながらよくできた「芭蕉通夜舟」。

今年に入っては「頭痛肩こり樋口一葉」、そして今回の「それからのブンとフン」になります。まあ短期間によく観たものです。

今回の「それからのブンとフン」は、井上ひさしの初めての小説「ブンとフン」(1969年刊)を、1975年に作者自らが戯曲化したものです。そんな小説や芝居があるとは全く知らなかったのですが、38年ぶりの公演と聞いて、販売開始まもなくチケットを購入。今月20日の観劇となりました。

当日はあいにくの雨で、シアター・ブラバにはすでに劇場入り口の小さい庇の下で雨宿りする観客がたくさん詰めかけて開場を待っていました。
この劇場、現在の水準からいうと本当に設備がお粗末。でもスタッフは親切でした。

今回の芝居は、井上ひさしが、まだ戯曲を手掛け始めた時期の1975年に、劇団テアトル・エコーのために書き下ろしたものです。
話としては、自らの小説「ブンとフン」を基本に、出版後の時代の変化を反映して後日談を書きくわえたものとなっています。

当時は70年安保闘争を挟んで社会は大きく変動していて、オリジナル小説の、ある意味では平和な結末ではとてもその変化に対応しきれないので、後日談を加えて「それからの‥」となったのでしょうね。

演出は、生前から井上ひさしの信頼が厚かった栗山民也。そして主人公の作家フンを演じるのは、意外にも井上ひさし作品には初出演という市村正親ということで、大いに期待しての観劇でした。
シンプルな舞台装置ですが、効果的でいい仕事です。誰かと思ったらアンドレア・シェニエ松井るみが手掛けたとのこと。
この人、現在の日本の舞台公演を多数手掛けていますが、こまつ座でも常連だったんですね。
演奏は朴 勝哲で、手練れでした。

あらすじは、大きく変化した結末を除けば、大部分小説「ブンとフン」のままです。

幕が上がると、舞台は売れない貧乏作家・大友憤(おおともふん・憤慨のフンとのこと)の、文字通り赤貧洗うがごとき暮らしぶりの紹介から始まります。
市村正親、さすがに堂に入った演技で、余裕の客席いじりで笑わせてくれました。この人自体、最近とみにむさくるしさが増加しているので(殴)、今回の役はぴったりでした。

話は、全く売れたことがなかったフンの小説がベストセラーになると同時に、世界中で不可解な事件が次々と起こり始め、その後は「ひさしワールド」全開の奇想天外な話となります。
シマウマのシマが盗まれ、別のシマウマにそのシマが加わってタテヨコ十字模様のシマウマになったり、自由の女神が突然消えたり、奈良の大仏が瞬間移動で、鎌倉の大仏の隣に現れたり、大学対抗ボートレースの最中、競技が行われているテームズ川の水が消えてしまったり、日本中のアンパンからヘソが消えたと思ったら、カエルにそのヘソがくっついたりとか‥。
小説ではこの盗難事件がもっと大規模に多方面に起こっていて笑わせてくれます。

ただし、今回事前に原作小説を手に入れたのは大失敗でした。観劇しながら後悔しきりでした。
というのは、観劇前夜に、予備知識を得ようとそれをかなり読み進んでしまったので、本来ワクワクしながら観るはずの連続盗難事件が、全然面白くなかったのです!(泣)

↑新潮社も商売熱心で公演の宣伝も入れています(笑)。
原作とはいえ、舞台化するに当たってはかなり脚本も変わっているだろうと思い込んだのが大間違い。
省略された箇所はあっても、残された所はほぼ小説どおり。これは辛かったです。話に入るより、両者の違いをチェックする方に関心が行ってしまって白け気分。同時に瞼も下がってきました。(殴)

教訓:長編文芸大作の舞台化などと違って、今回のように作者自らが小説を戯曲化したような舞台は、絶対事前に読んではいけませんね。読むのは観劇後にしましょう。

それでもまだ救いがあったのは、読んだ範囲が半分程度だったこと。(笑)それで、一幕目の後半あたりから気を入れて観劇できるようになりました。うまい具合にそのころから話も俄然盛り上がり、面白くなってきました。

話の筋に戻って、この奇妙で荒唐無稽な犯罪の犯人が、4次元の大泥棒・ブンの仕業とわかってきます。
フンについて小説ではこう書いています。
『ブンとは何者か。ブンとは時間を超え、空間を超え、神出鬼没、やること奇抜、なすこと抜群、なにひとつ不可能はなくすべてが可能、どのような願い事でもかなう大泥棒である』。

その主人公が、突然、小説から抜けだして活動し始めたのです。そしてブンが犯人と分かったとたんに、小説『ブン』はさらに売れて、世界中でベストセラーに。
そしてそれぞれの本から本の数だけブンが出現し、世界は無法地帯になってしまいます。そのうち大泥棒ブンは、形のあるものを盗むことをやめ、人間の見栄、権威、虚栄心、記憶、歴史など形のないものを盗み始めます。ここからが井上ひさしの真骨頂。劇中で「歴史に学ばないのだから、人間に記憶など無用」というのは痛烈です。

小さくて見にくいですが歌詞は↓のとおり
プログラムの画像です


いやなやつからいやなところをとったら、残りはいいところばかりになりますね。
悪いやつから悪いところをとったら、善人になるしかありません。
この歌を聴いていて、なんとなく「組曲虐殺」の劇中の「絶望するには、いい人が多すぎる。」「希望を持つには、悪いやつが多すぎる。」「どこかに綱のようなものを担いで、絶望から希望へ橋渡しをする人がいないだろうか。‥いや、いないことはない」というフレーズを想起していました。
まさに「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに~」ですね。

「全ブン闘」の世界大会のあと、ブンたちの収容されたリゾートホテル顔負けの刑務所に、微罪を犯して入所を希望する多数の人々が押し寄せるというところで終わるのが小説版ですが、「それから‥」では焚書坑儒ならぬフンへの弾圧と作品の発禁処分、ブンが死んでからまたフンが自分の血で執筆活動を再開して、またブンたちも復活していくというところで終わっていました。

その違いは、小説の書かれた時期から戯曲化に至る数年の間の社会情勢の変化を反映しています。あっけらかんとした小説の結末とそぐわないほどいろいろな状況の変化があり、作者自身それを書かずにはいられなかったのでしょうね。
それほど井上ひさしは時代に寄り添いながら、しかもそれに流されることなく根柢にあるものを凝視していたのだと思います。

私のきわめて個人的なツボは、「全ブン闘」の世界大会で「偽ブン」が演説するところ。小説に書かれていて劇では削られていた「日本共産党代々木派(懐かしい!)」に対する野次(これは帰宅してから小説を読んで確認(笑))がなくても、偽ブンが何を指しているのかその場ですぐわかって1人で「異議なし」と笑って観ていました。そのあと偽ブンは刺殺されますから、何とも過激です。(笑)

次に簡単に出演者について。(敬称略です)
まずはフンこと市村正親。
初めに書いたように、最近急速にむさくるしく濃くなってきたという印象ですが(殴)、今回の役はまさにはまり役。彼が井上ひさし作品に初出演とは意外でしたが、作者一流のコミカルな脚本をぴったりの演技で完全消化。楽しんで演じている様子がよく伝わってきました。

あるインタビューで彼は「俳優生活40年目に、井上先生の魂に触れる役に出合え本当にうれしい」と話し、「約40年前に書かれた『ブンとフン』が、今の時代を言い当てていて驚いています。改憲や国民総背番号の話も出る。井上先生の分身のようなフン役、先生の思いがにじむようにやりたいです」と抱負を述べていましたが、そのとおりですね。
今回の観劇で市村正親を改めて見直しました。
以下すべてプログラムからの画像です


次に光っていたのがメインのブンを演じた小池栄子。
着物に束ねた髪という作者のイメージ通りだったと思います。スッキリの立ち姿に明瞭なセリフ。テレビドラマ出演でデビューとは思えないほどしっかりした発声で、演技も上々、歌も水準に達していました。初めて眼にした舞台ですが、よかったです。


インパクトがあったのはヒットラーみたいな警察長官の橋本じゅん。うまいです。悪役でも魅力的なのはキャラクターによるものでしょうね。登場しただけで笑ってしまいました。


もう一人大活躍だったのが悪魔の新妻聖子。「‥樋口一葉」の若村麻由美の幽霊といい、今回の悪魔といい、こまつ座の芝居に出てくる魑魅魍魎はどれも憑りつかれたいと思うほど魅力的で蠱惑的です。(笑)
そして歌もびっくりの歌唱力で、大したものでした。歌といえば今回の出演者、みんなうまかったですね。音楽劇だから当然とはいえ、眼福で耳福な舞台でした。


その他、山西 惇や久保酎吉(いい味出していました)、さとうこうじ、吉田メタル、辰巳智秋、飯野めぐみ(猫がなんとも魅力的)、北野雄大、角川裕明、保 可南、あべこ、など芸達者の顔ぶれで、みんな宝塚顔負けの役替わりと早変わりに奮闘していました。そのおかげで役者の数は実人数以上に多く感じました。
でもみなさん、衣装の着替えだけでも大変だったようです。













観終わって、こまつ座が今この芝居を上演した意味について自分なりに考えながら帰途につきました。
芝居の中で「各国代表のブンたち」が語っていたことや、劇中の政府による情報統制の動きと出版物の発禁処分、国民総背番号制、隣国との紛争などなど。井上ひさしが挙げたことは今も何一つ変わっていないどころか、ますます悪くなっていますね。

今回も「面白うて やがて悲しき 鵜舟かな」という観劇でした。

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。

次回の観劇は、同じ井上でもいのうえひでのりの「いのうえシェイクスピア 鉈切り丸」。(てか、それ、明日(10月24日!)のことですよ、明日。)
筆が遅くて追いつかず、なかなか更新のお約束も果たせないまま観劇が続きますが、ご容赦ください。m(__)m



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宝塚バウホール公演「第二章」を観て

2013年10月16日 | 宝塚

10月14日にバウホールで「第二章」を観てきました。


直前にスカイステージのニュースで初日の様子を見て面白そうなので、物は試しとココをチェックしたら、なんと結構な数のチケットが売りに出ていました。
価格も販売締め切りの前日とあって売り急がれたのか、@4,000円という良心的な設定でラッキーでした。ここの販売システムはしっかりしているので安心ですが、問題は申し込みから代金支払いまでの時間がわずか30分しかないこと。(笑)
今回は午後8時過ぎに申し込んだので、バイクで近くのコンビニに走りました。

連休最後の日でしたが、今回も道路はスイスイ。余裕で到着。まだ正門横の工事は続いていましたが、何やら建物もできつつありました。
ところで私たちのバウホール観劇は11年ぶり。2004年のヨメさんの発病後は初めてのバウホールになります。それで客席へのアクセスが心配でしたが、ちゃんと後付けのエレベーターが設置されていてOKでした。
時間が来たら鎖を外してくれました。


バウホールの席は12列の最下手の席でしたが、客席の傾斜が強く舞台が見やすいので快適でした。


今回の「第二章」はストレートプレイで、原作がニール・サイモン。脚本・演出は石田昌也。このセンセイ、最近はいい仕事していますね。

1977年には映画化されています。ヨメさんはその映画を見たことがあるといっていましたが、私は未見。どんな話か全く知らないままの観劇でした。以下、いつものとおり敬称略です。

幕が上がると、舞台は主人公の書斎。
大変な蔵書の量で、大学の図書館のように天井まで届く大きな書棚に本がぎっしり。思わずダブリンのトリニティカレッジを思い出しました。

ちなみにこの書斎の左にジェニファーのアパートのセットがあり、この2つの部屋を要領よく切り替えながら話は進行します。短期間の公演にもかかわ らずよくできたセットでした。書斎にさりげなくかかっている絵はすべて轟悠の描いた本物の絵だそうです。

その書斎に、12年連れ添った妻を亡くしたショックから立ち直れずにいる小説家、ジョージがいます。
兄思いの弟レオが悲しみを癒すためにあの手この手の励ましを試みますが功を奏さず、ジョージは折に触れ妻を思い出してはメソメソと涙に暮れる日々を送っています。


レオは傷心の兄を恋で癒そうと次々と女性を引き合わせるが、ジョージにとってそれはお節介以外の何物でもありません。


一方、6年間の結婚が破たんして、元夫との生活に時間を浪費してしまったことへの後悔と、他方、パートナーを失った寂しさを抱えつつむなしい生活を送る女優、ジェニファー。こちらも、親友のフェイが紹介する男性たちには一向に魅力を感じられずにいます。


今回の芝居は、亡き妻を忘れられないジョージと、失った時間を取り戻したいが新しい伴侶を探すのには臆病になっているジェニフアーが、一本の間違い電話をきっかけにはからずも“デートをすることになるところから展開していきます。
その後スピード結婚後に破綻の危機があって、それを再び2人が乗り越えてめでたしめでたしという結末になります。まあ、話としては予測可能でシンプルですね。
でもこの話、劇場で買ったプログラムではコメディとなっていますが、笑いの連続といった気楽な展開ではありません。
人生の「第二章」を前に、過去にとらわれてなかなか前に踏み出せないで立ちすくむジョージとジェニファーの、不器用で手探りの恋。その行方を出演4人の「言葉のボクシング(脚本家石田昌也の弁です)」で綴っていく正真正銘のストレートプレイでした。

余談ですが、俗に「妻と死別した男に後妻で入るのは難しい」といいますが、今回の芝居のストーリーでもそれがいえますね。男の脳内では亡妻は実際以上に美化された存在になっていますから、それと比較される後妻さんは大変です。でも夢咲ねねはそんな貧乏くじの役まわり(笑)を頑張って演じていました。
逆にジョージは、ダメダメ・マッチョ男の代わりなのでハードルは低く(笑)、かなり有利ですね。


以下、4名の出演者に沿って薄ーい感想を書いてみます。

まずはジョージ役の轟悠から。

プログラムより


数多くの「エリザベート」の公演を観ても、いまだに轟悠を超えるルッキーニは観たことがありませんね。彼女の演じた、狂気に満ちた鬼気迫る感のあるアナーキスト・ルッキーニは、今も目に鮮やかです。

でも、この「第二章」を観る前に、この人について「好きか嫌いか?」と聞かれたら、迷わず後者と答えたでしょうね。
というのは、ルッキーニ後の彼女の演技は、セリフの言い回しがなにか勿体ぶった感じが強くなって、喉を締め付けながら喋っているようで苦手でした。歌もうまいに違いないけど「ドヤ歌」(PAT出願中(笑))で魅力が感じられないのです。演技も固くてダイナミックレンジが狭そう。

しかし今回の観劇で大幅に好感度アップしました。まず苦手ではなくなりましたね。劇中では表情も豊かで、喜怒哀楽も自然で見直しました。ただセリフだけはやはりこもる感じが残っていて聞き取りにくいところもありましたが。
今更ながら、彼女、笑った顔などかなりきれいですね。(殴)

今回の芝居では3台の電話機が重要な役割を果たしています。2人の電話しあうシーンが多いです。




劇中、ジェニファーと初めて「試験デート」するあたりは軽妙な演技で面白かったです。

この人、まじめな性格なのか演技が固くなりがちですが、今回のような肩の力が抜けた役のほうがあっているのかも知れません。

次はジェニファーの夢咲ねね
プログラムより


もともと我が家では(といっても二人だけですが)、夢咲ねねは基本何をやってもストライク(笑)ですが、今回のようなストレートプレイでも完全に合格点。いつもの「ブリブリ演出の呪縛」がなく、のびのびとした演技がよかったです。声も自然な感じで聴いていて気持ちがよかったですね。
超ブリッコが彼女の本領ではないことがよくわかりました。(笑)

これも電話する場面






こちらはジョージを励ますジェニファー




フィナーレではあの「セ・マニフィーク」を髣髴とさせる弾けぶりで客席を魅了していました。
今回も本当に気持ちよさそうに歌って踊っていました。
彼女、低めの声の方が力があって耳に心地よい声です。完全に娘役を脱皮して女役を好演でさらに好感度アップです。

今回の公演では轟悠との対比を考えてペッタンコの靴で通していましたが、それでも手足の長い恵まれた肢体でスタイル抜群、とくにフィナーレのダンスは圧巻でした。もっと観たかった。

弟レオ役は英真なおきです。
この人も星組組長時代から我が家では好感度大でひいきの1人でした。今回も兄思いでちょっとチンピラ風で軽妙な役柄をよく演じていました。セリフはいつもの「英真なおき風」ですが、それがいい味になっていました。


この人の組長挨拶はいつ聞いても「シミジミ感」にあふれていて、組子に慕われるのも納得の気持ちのこもったいい挨拶でしたね。
フィナーレでは歌ウマぶりを思う存分披露してくれました。ただ、カーテンコールでは出遅れたのか、照れ笑いしながら登場して、一人端っこで「反省」ポーズして笑いを誘っていました。

4人目はフェイ役の早乙女わかば
まだ若いのに、そして経験もあまりないだろうに、堂々と3人を相手に頑張っていました。ヨメさんは「良くなっている!」としきりに感心していましたが、私は良くなるも何も、これまで全く知りませんでした。






でも、宝塚芝居と違って「俗世間(笑)」でも十分通用する演技で、3人に伍してよく演じていましたね。期待の娘役ですね。

ということで、コメディというよりけっこうシリアスな恋愛ものになっていましたが、心配された脚本家の十八番の「き
わどいセリフ」(笑)も許容範囲に収まっていて、なかなか完成度の高い舞台でした。ただ、「じぇじぇ」などの現代用語は満載。(笑)
こんな面白い舞台がバーゲン価格で観られて大満足でした。
そして最後のフィナーレでは、そんな地味な印象を吹っ飛ばすノリノリのショーになっていて、本当にお得感たっぷり。

これを機に、バウ公演もチェックすることにしました。今回はバウホール公演だけですが、ぜひ他の劇場でもやってほしいと思います。おすすめです。

今回も最後までご覧いただき、ありがとうございました。



おまけはフィナーレの映像です。
客席降りもたっぷり↓












幕が下がってきました


幕が下がってきても手を振ってくれています(笑)





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宝塚宙組公演 「風と共に去りぬ」を観て

2013年10月07日 | 宝塚

10月5日の午前8時45分に出発。この日は運動会のシーズンからか、交通量も少なくて順調に駐車場へ。
劇場の屋内駐車場から劇場の門までの歩道は、前回に引き続きまだ工事中でした。前のチケット売り場の跡ですが、なにやら100周年の記念施設ができるとか(ヨメさん情報)。でも歩道が通れないので、車椅子では本当に不便です。

劇場周辺は団体客が目立ちました。まずお菓子の売り場でバラのフィナンシェを親戚の土産に買って、昼食のサンドイッチと盛り合わせを買ったりして時間調整。
今回の席は、私がWeb会員先行販売にドジッて、19列の上手の席(泣)。でも私たちの前の席に座った方が座高の高くない女性客ばかりだったので見やすくラッキーでした。劇場内は団体客が多いせいか、男率も高かったですね。
一階席はほぼ満席。

まあどうでもいい話はこれくらいにして、本題に入ります。いつもの通り敬称略です。

今回の「風と共に去りぬ」で一番のビックリはなんといってもスカーレット。
当然実咲 凜音と思っていたら、あろうことか朝夏 まなと七海 ひろきの役替わりとは。さらにアシュレとスカーレットII、ルネも役替わり。でも歌劇団、いいかげんにこんな奇をてらった役替わりの濫用はやめてほしいです。生徒の負担も大変だし、役の作りこみも難しいだろうし。
なんといっても実咲 凜音がかわいそうです。

私たちの観たのはAパターンなのでスカーレットは朝夏 まなと、アシュレが悠未 ひろ、スカーレットIIが純矢 ちとせでした。
以下、配役ごとの感想です。

まず凰稀 かなめのレット・バトラー。


歌はなかなかいい出来です(ただし本人比で^^;)。でも、根本的にこの人は甘い声と整った容貌が邪魔をして、レット役には合わない感じがします。ヒゲも本人がスカイステージの「Now on Stage」で「なかなかぴったりするヒゲができなかった」と言っていたように、あまり似合っていませんね。それと、最近かなりやせてきているので、あまり貫禄がなく痛々しい感じです。ちょっと老けた感じが強いのも‥。


レットはたくましく商才があって世渡り上手のやり手の色男の半面、情におぼれるところもあるといった、スカーレットと共通したキャラクターだと思いますが、凰稀 かなめのレット・バトラーはそれが少し弱いですね。

このあたりは、どうしても私の原体験である麻実れいのレットの出来と比べてしまうので気の毒ですが。ただ、最後の名場面、傷心のまま別れを告げて立ち去るところは、やはり泣かせどころでしたね。

それとなんといっても決定的なのは出番が少なすぎること。これはひどいです。先の番組の中でも凰稀 かなめが「(舞台稽古で)出番より待っている時間の方が長かったので、みんなの芝居がよく見られた」といっていましたが、かわいそうな話です。

次はスカーレットの朝夏 まなと

スカイステージのタカラヅカニュースの映像を見ただけではよくわからなかったのですが、実際に舞台を観るとちゃんと「女」していて違和感なく、体形も表情も女そのもの!(変な話ですが)
今回の男役→女役パターンの中では一番きれいです。

でも、これまた遥 くららが私の脳内に強烈に刷り込まれているので、比べてしまって気の毒でした。
激情に駆られて相手に詰め寄ったりする場面では、どうしても素の表情が出てしまいますが、遥 くららはそんな感情的な場面でも本当にきれいでしたから。
まあスカーレットという役は、役柄がはっきりしている分、やりやすそうに思えますが、感情の起伏が激しいので本当は難しいのでしょうね。
実際、遥 くららのあと、神奈 美帆がスカーレットを演じた公演を観てそう感じました。
彼女、「三つのワルツ」でびっくりの歌唱力と演技力だったので大いに期待したのですが、とにかく張り切り過ぎて演技過剰。結果としてただの自己中なツンデレ女(笑)になってしまって落胆した記憶があります。でもそのあとの「レッドヘッド」は本当によかったですね。版権のせいなのか、なぜこれを再演しないのか不思議なほど面白い舞台でした。

今回の朝夏 まなとのスカーレットもやや頑張りすぎのきらいがありましたが、二幕目ではそれほど気になりませんでした。
ただ、今回の「風‥」では劇団側の朝夏 まなとへの肩入れぶりが半端じゃないですね。実質スカーレット編といっていいほどです。

↓これが私の原体験です^^;


そしてアシュレ・ウィルクスの悠未 ひろ
退団がもったいないほど円熟した演技で、光っていました。この人が出てきて歌いだすとホッとします。(笑)


ただやはり存在感が強く、とてもアシュレのイメージではないですね。本人も「いつもは絶対負けない強くて濃い役ですが、今回はそうではないので眼つきなどできるだけやさしく見えるように努力しています」といったことを「Now on Stage」で言っていたのが面白かったです。オペラで観ていて、そのあたりの苦心がよくわかりましたね。


またまた余談ですが、この番組で、凰稀 かなめが、「宙組に来た当初いろいろ慣れないこともあって心細かったり戸惑ったりしたが、悠未 ひろが細かいところまでよく気を配って支えてくれて、本当にうれしかった」といった意味の感謝の気持ちを披露していたのが印象的でした。いい話でした。

私的に一番印象的だったのが、ベル・ワットリングの緒月 遠麻

なんとも濃くて魅力的な娼館の女主人でした。劇中口さがない上流階級の婦人連に散々いじめられますが、彼女だったらなんなく一蹴できるのではと思えるほど強そうです(笑)。
でもこの人も出番が少なくなっていて、もったいないです。そう思っていたらフィナーレで男になって出てきたので、オペラでじっくり観察させてもらいました。(笑)


そのあとまた最後のパレードではベルの姿で出てきました。本当にこの人の女役、野性味もあって、ちょっとレナ・オリンを連想したりして、気に入りました。よかったです。

そしてようやく実咲 凜音メラニー・ハミルトンの感想です。


配役を初めて知った時、なんでこの人がメラニー?と、ヨメさんと顔を見合わせたものです。
(実咲 凜音はスカイステージの対談番組などの会話では??とKYな時もありますが)なんといっても演技力と歌唱力では今のトップ娘役では一番といえると思うのに、なんでこうなるの?と二人とも疑問でした。
そういう思いを持って観たメラニーですが、いい出来でしたね。
同じ美人娘役でもあのだんちゃんと違って(でもアムネリスは高く買っていますよ)、演技力は大したもので、メラニーは本当に絵にかいたような良い人ぶり。聖女・天女が降臨したような感じでした。

緒月 遠麻が必死で祈っていたのがよく理解できました。(笑)


実咲 凜音はなんといってもせっかくの歌の場面がないのが残念。まあフィナーレでは、意趣返しかとおもうほどの美声で文句なしのこれぞエトワールぶりでしたが。
脇役ですがピカイチの演技だったので、結果的には儲け役だったのかも。これで腐らずがんばってほしいですね。

そして私が観るのを期待していたもう一人がスカーレットIIの純矢 ちとせ
期待通りの歌と、ぴったりの違和感がまったくないスカーレットIIの演技。朝夏 まなとのスカーレットとまさに一心同体でした。余裕の歌唱力で満足でした。本当に大したものです。歌劇ですから歌ウマがなによりですが、演技も余裕でこなしていますね。


あとはミード博士の寿 つかさとか、

マミーの汝鳥 伶がさすがの存在感で場面を引き締めていましたが、

とにかく全体に役が少なすぎて行き渡らず勿体ないです。
ルネの七海 ひろきもほんの少しセリフがあるだけの影の薄い役。

それでもましな方で、ジョージの蓮水 ゆうやなどはまったく目立たず、オペラで探しまくりました。

というところでこの芝居の全体の印象に移りますが、とにかく演出が古臭い。もう完全にシーラカンス状態。ベルばらといい勝負の「塩漬け状態」です。
まず場面転換が、今時レアで陳腐な幕多用なこと。盆もセリも少なく、まるで全ツー公演です。

また、無駄に笑いを取りに行っているところも白けます。笑いあり涙ありという泥臭い演出から抜け出せない感じです。
そして説明台詞の多いこと。劇で展開すべきところをセリフで言わせてしまうのは安易すぎです。
さらに場面によってはくどく冗漫な演出(南部の文化や風土の紹介とか、アシュレとスカーレットのスキャンダルが町で評判になるところとか)があるのに、全体としては以前の公演であったはずの場面が省略されたりして話の密度が薄くなってしまっています。レットが最後に立ち去る場面の演出も以前より手抜きで悪くなっていました。
アンドレア・シェニエ」とか「モンテクリスト伯」などの、洒落た場面転換と豪華なセット、濃密なストーリーの舞台(いずれもショーとの2本ものです!)を観た後では、とても一本物とはいえないスカスカ舞台でした。
(ただ蒸気機関車だけは仰天の豪華な出来栄え!でしたが、これとて登場したのはたった一度きり。前線から傷病兵が送られてくるところとかで活用できるのにもったいないです。まるであのコードロン・シムーンと同じです)
アトランタの街並みも薄手のカーテンに絵を描いただけで、それも戦前と戦後が同じものというチープさ。

この「風‥」という話は、いろんな切り口での舞台化が可能なほど内容が豊かだと思いますが(ただ、黒人の扱い方とか、黒人の奴隷労働を前提とした農園経営とか、KKK団を肯定していたりとかの時代的限界はありますが)、いつまでも初演時の演出家の意見を墨守して上演を重ねているのは本当に疑問があります。
これはベルばらにもいえることですが、老演出家のセンセイもここはひとつ後進の演出家に道を譲って、若い才能にまかせて思う存分現代風にリアルにリニューアルさせたら、いずれも思白い舞台になると思うのですが。
誰も言い出せないのでしょうね。

で、私なりの結論としては、この公演をスカーレット編として配役し直すなら、
レット・バトラー悠未 ひろ。この人の存在感で出番の少なさは十分カバーできます。(笑)
で、スカーレットはもちろん凰稀 かなめ。この人の演技力は折り紙つきなので適役です。
アシュレは朝夏 まなとか。あとはそのままでもいいかな。これで長年の悠未 ひろの貢献に報いられるし、いいと思いますが。(笑)
ただ演出家はもちろん交代が前提。

ということで、悠未 ひろのフィナーレでの晴れ姿(顔が映っていないのはマズかったですが)とタカラヅカニュースの映像でこの妄想観劇記録を終わります。




今回もご覧いただきありがとうございました。m(__)m



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