思いつくままに書いています

間口は広くても、極めて浅い趣味の世界です。
御用とお急ぎでない方は、ごゆっくりどうぞ。

兵庫芸術文化センターの「炎立つ」。いい舞台でした。 

2014年09月24日 | 観劇メモ
9月15日に兵庫芸文センターで『炎立つ』を観てきました。前回の『日本の面影』観劇以来3か月ぶりです。
12時開演なので早めに出発。劇場地下に駐車してからホールへ上がり、そのまま劇場近くで昼食を済ませました。

再びホールに戻ったら結構な会場待ちの人の列。ホールに並べられた花の写真などを撮ってから、私たちも列に加わりました。
ほとんどが片岡愛之助さんに送られたものですが、三田和代さんや益岡徹さんへのものもありました。




私たちの席はJ列の下手側。傾斜が急になっている席ですが、ヨメさんは頑張ってたどり着きました。でもその分観やすくてよかったです。

で、観劇の感想です。いつものとおり敬称は省略させてもらっています。以下の画像は当日購入したプログラム(舞台衣装バージョンです)からの抜粋です。

舞台は古材のような材木で階段状作られています。役者さんたちは大変そうです。
衣装とかも簡素で、カツラもつけず地毛のまま。でもそれが途中からまったく気にならなくなるほど内容の濃い舞台でした。
演奏は宮野弘紀浦田恵司金子飛鳥の3人。効果的な音楽演奏で舞台を盛り上げていました。音楽担当は金子飛鳥です。

時代は約1000年前。「前九年の役」と「後三年の役」が背景になっています。
当時東北を支配していた蝦夷の末裔・安倍氏と清原氏が反乱を起こし、それを源義家が平定し、その後藤原清衡が平泉を中心に100年の間平和の楽土を築くまでの話です。
ちなみに『役』とは、蒙古襲来の文永の役とか弘安の役のように異民族との争いに使う言葉とのことで、安倍氏や清原氏との戦いは朝廷にとっては異民族との戦いだったのですね。

今回の舞台での演出家の視点はあくまで大和民族ではなく蝦夷の立場に立っていて、その上で朝廷との対立とキヨヒラ(清衡)とイエヒラ(家衝)の血みどろの抗争を描いています。

冒頭の舞台では、長い戦のあと荒れ果てた東北の大地に一本の杭を打ち込むキヨヒラ(清衡)の姿が。
これはプログラムで演出担当の栗山民也が記しているように、
広場の真ん中に、花で飾った一本の杭を立てよう。そして人を集めよ、そこに祭りが始まる。」(J・J・ルソー)という言葉からきています。まず第一に東北復興への強い願いが込められていると思いますが、同時に不毛な戦いではなく平和な楽土を築きあげたいという演出家の強いメッセージが感じられました。観るものによってさまざまな解釈ができる象徴的な場面です。
余談ですが、私はこの広場祭りというフレーズで、『イーハトーボの劇列車』の中の台詞のひとつを思い出しました。

さて舞台はこの場面のあと、一挙に戦乱の時代へと遡っていきます。

芝居が始まってすぐ、コロスの使い方の巧みさが眼につきました。
まるでギリシャ悲劇に登場する巫女のような舞台衣装です。
コロスのメンバーは4人で、一倉千夏上田亜希子坂本法子山崎薫。いずれも歌い、語り、戦闘場面では立ち回りさえ演じ、さらに他の登場人物にも扮して大活躍でした。


4人のコロスを率いるのが巫女カサラ新妻聖子が見事に演じていました。
この人はこまつ座の『それからのブンとフン』ではあっけらかんとした小悪魔役でしたが、圧倒的な歌唱力で凄いインパクトでした。
今回もアラハバキの予言を伝える巫女として半ば魑魅魍魎な存在ですが、歌が絶品な出来。
歌い上げる曲はもちろん、ささやくような抑えた歌でも澄んだ透明感のある歌声で胸に沁みました。本当に大したものです。




ブンとフン」ではこんな感じ↓


主人公・キヨヒラ(藤原清衡)を演じるのは片岡愛之助です。初めて観る役者さんです。
さすがに歌舞伎役者だけあってよく通る声。役柄は三宅健演ずる弟・清原家衡のような激しい性格ではなく、過酷な運命にひたすら耐える役ですが、人間味のあるキヨヒラを抑揚の効いた演技で描き出していました。
この人は歌舞伎の名門の出ではなく、ゼロからスタートして歌舞伎役者になったとのことですが、懐の深いいい役者さんですね。


敵役の三宅健のイエヒラ(家衡)ですが、なぜか声があの『鉈切り丸』の森田剛に似ているなと思っていたら、どちらもV6のComing Centuryのメンバーとか。
芸風もよく似ています。ただどちらも私には若すぎる声がちよっとひっかかりましたが、森田剛に負けない全力投入の演技で頑張っていました。身体能力高いです。この点も森田剛と共通しています。イエヒラ役自体、鉈切り丸と似た境涯設定の人物ですね。




清衡と家衡が兄弟でも姓が違うのは異父兄弟ゆえ。そしてこの二人が朝廷の定めた新たな国割りのために相争うことになります。それを伝えるのがベテラン益岡徹のヨシイエ(源義家)。ちなみに今回の劇の台本では役名がすべてカタカナ表記。これは劇で訴えたかったことを、できるだけ純化してつたえようとする演出家の意図によるものでしょうね。

益岡徹のヨシイエは、歴史に残る勇将として有名な源義家とは違って、キヨヒラ・イエヒラに対する温かな眼差しが感じられます。とくにキヨヒラには同情的です。二人の母ユウの三田和代とともに、いい演技で舞台に厚みを与えていました。
ヨシイエの益岡徹です↓


そしてユウの三田和代↓




出番は多くなくても、圧倒的な存在感を見せたのがアラハバキの平幹二朗
アラハバキとは東北・蝦夷の荒ぶる神です。意外なことに平幹二朗は人間でない役を演じるのは初めてとのことですが、登場しただけでその大きさと迫力のある存在感が圧倒的でした。

ちょっとコミカルに怪演しています


あと、キヨヒラの父・ツネキヨ(藤原経清)役の松井工とか↓

キヨヒラの妻キリの宮菜穂子も出番の少ないのが残念ないい演技でした。

ちょっとがっかりだったのが狂言回しのイシマル役の花王おさむ
狂言回しというのはなかなか難しい役どころですね。今回のイシマルもしっくりこない演技で、終始違和感がありました。特に滑舌が悪いというわけではないのですが、不自然さが付きまといました。

それで思い出したのが、こまつ座公演の『薮原検校』で浅野和之が演じていた「盲太夫」という狂言回し。全く同じでした。はじめは同じ役者かなと思ったほど。今回の公演で唯一残念だったところです。

舞台を終えて、最後に関西での千秋楽となるので主役の片岡愛之助の挨拶がありました。
これがほとんどこまつ座公演かと思うほど(笑)現在の世相に対する危機感と、高まる戦争への危惧と平和への強い願い、東北の復興への思いが込められていていいものでした。
途中の休憩をはさんで計2時間10分の上演時間でしたが、舞台に凝縮された演出家をはじめスタッフのメッセージと、それを見事に体現して演じきった役者たちに対して、満席の観客は惜しみないスタンディングで応えていました。
いい舞台でした。
観終わっての感想は、繰り返しになりますが本当にこまつ座の秀作劇を観たような充実感。よかったです。

もう全国公演は終わってしまいましたが、未見の方は再演の機会がありましたら是非ご覧ください。おすすめです。








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大阪市立美術館で『こども展』を観てきました

2014年09月17日 | 美術館を訪ねて
ハルカスでビュフィを観て、次は万博公園や花の文化園にでも出かけようかと思っていましたが、今はどこも見ごろの花が少なく断念。と思っていたらヨメさんが『こども展』を観たいとのこと。

はじめは何で子供の描いた絵など観たいのかなと怪訝に思いましたが、子供が描いた絵ではなく、こどもを描いた絵の展覧会だったのですね。(笑)

で、会場は大阪市立美術館。天王寺公園の中にある美術館です。初めて行ったのはボストン美術館 日本美術の至宝」(大阪展)でしたが、早いものでもう一年以上前のことになります。
このときはかなりの観客で混雑したので、今回はどうかなと思ったのですが、まあとにかく行ってみようと、出かけることにしました。

朝9時すこし前に出発。阪神高速の天王寺出口を出たらすぐ駐車場の入口です。天王寺公園の地下にある駐車場内はまだガラ空きでした。
障害者スペースに停めましたが、場内の案内表示板に従うと美術館への出口はそこからかなり離れています
最初はその案内板に従ってその出口まで車椅子を押して行き、車もその付近まで移動させようと私はまた車に戻りました。そして車を移動させていると、ヨメさんの車椅子が誰かに押されてこちらに来るのが見えました。押してくれているのは清掃作業をされている女性スタッフです。
近づいたらヨメさんが「あの出口は階段しかないので、もとの障害者スペースの横にあるアベチカ入り口横のエレベーターでないと車椅子は地上に上がれないらしいよ」と。
件の女性、それを教えてくれた上に、わざわざ元の位置まで車椅子を押してくれたのです。本当に親切でした。
私もお礼を言って、再び車を戻し、アベチカ通路のエレベーターで地上に出ました。考えてみれば前回もそうしたはずなのにすっかり忘れていました。

公園の入場口で手帳を見せたら、本人と付添の私は無料にしてくれました。

公園ではもう秋バラが咲き始めていました。前回は建設途中だったハルカスが園内から見られます。

美術館に着いたら観客の長蛇の列ではなく、閑散としています。

美術館でふたたび手帳を見せて展覧会場へ。入り口で音声ガイドを借りて中へ。外の様子と違って中にはそこそこの観客が来ていました。ちなみに音声ガイドは竹内まりやの解説で聞き取りやすく、途中彼女の歌も入っていたり、解説内容も的確でお値打ちでした。

展覧会の正式名称は『こども展 名画に見るこどもと画家の絆』でした。展示は序章から第6章まで7つのエリアに分けられています。
展示作品は全部で87点。


入り口では閑散としていても中はそこそこの先客がいました。

序章』で眼に入ってきたのはクロード=マリー・デュビュッフの作品です。いずれも正統派の肖像画です。

第1章 家族』ではデュビュッフの『デュビュッフ一家の肖像、1820年』が古典的な精緻な画法でよかったです。でも解説にあったように家族の視線がバラバラなのが面白いです。


裕福そうな上記作品とは対照的なのがアルフレッド・ロールの『故郷を後に』でした。
ぐったりと元気のない子どもを心配そうに覗き込む農民のような夫婦の姿が胸を打ちます。まるでロシア・移動展派の作品みたいな絵です。

『第2章 模範的な子どもたち』ではアンリ・ルソーの『人形を抱く子ども』が異彩を放っていました。

どうみても子どもに見えなかったり。(笑)

それと全く異なるリアルな作品が、アンリ・ジュール・ジャン・ジョフロワ(長い名前です)の『教室にて、子どもたちの学習』です。子どもたちがさまざまな表情や姿で生き生きと描かれていて、資料的にも興味深い絵でした。当時の学校教育の一面がよくわかる絵です。


このコーナーで一番好きな絵はアンリ・デティエンヌの『娘、あるいはS嬢の肖像』です。

まるでメアリー・スティーンバージェンを少女時代に描いたらこうなったみたいな絵です。(笑)

第3章 印象派』ではベルト・モリゾの『庭のウジェーヌ・マネとその娘』も印象に残るいい絵でした。


でもこのコーナーの一番の目玉はやはりルノワールですね。
遊ぶクロード・ルノワール』とか


ジュリー・マネの肖像、あるいは猫を抱く子ども』をはじめ4点も展示されていました。


ただ私的にはルノワールってみんな同じ人物に見えてしまうのですが、『ジュリー・マネの肖像』についてはユニークで新鮮な人物像で気に入りました。

次は『第4章 ポスト印象派とナビ派
ポスト印象派とはセザンヌゴッホゴーギャンとその周辺の画家を指すとのことですが、この展覧会のテーマの子どもとなるとゴッホは生涯独身で子どもはなく、ゴーギャンも家族と別居状態になって子どもを描いていないということで、残るはセザンヌですが、その作品は大阪では展示されていません。なのでちょっと羊頭狗肉な感ありです。(笑)
多かったのはモーリス・ドニの作品で4点が展示されていました。
このコーナーではエドゥアール・ヴュイヤールの2作品が好みでした。とくに『ジェヌヴィエーヴ・ベルネーム・ド・ヴィレール』がなぜかインパクトがあってよかったのですか、絵葉書にはなっておらず残念でした。

第5章 フォーヴィスムとキュビスム』はマティスやドラン、ピカソと巨匠の作品が展示されていました。
まあピカソはやはりピカソなので(笑)ちょっと好みではありませんが、↓の絵はいいと思いました。『ポーランドの衣装を着たクロード』です。


あと、アンドレ・ドランの『画家の姪』もこのコーナーでは逆に普通な絵(笑)で、かえって目立っていましたね。


最後は『第6章 20世紀のレアリスト』。
キスリング、パスキン、フジタなどのエコール・ド・パリの画家たちの絵をはじめ、20世紀の具象画が展示されていました。
ここではやはりレオナール・フジタの作品が人気でしたね。↓はそのひとつで『フランスの48の富』と

機械化の時代』です。


『機械化の時代』では当時のフランスの最新の工業製品の代表として斬新なデザインで注目されていたシトロエンの乗用車や、飛行機のシュド ボートゥールがかなり正確に描かれています。
どちらの絵もユーモラスな描き方で、フジタとしては明るい楽観的な印象の絵でした。

作品を観終わって、思ったより内容の充実した展覧会だったので、観に来た甲斐があったと二人とも満足でした。観客も時間が早かったので少なくて観やすかったし。私たちが帰る頃(11半頃です)になって多くの人が詰めかけていました。
駐車場では料金が出口の受付で割引処理してもらえて感謝でした。やはり車で来られるというのは手軽でいいですね。

この展覧会、10月13日まで開かれています。19世紀から20世紀にわたる巨匠たちの描いた子どもの絵をテーマとした展覧会、ぜひご覧ください。



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クアッドコプター Phantom2 で鳥人になってみました

2014年09月12日 | DIYな日々
最近テレビ番組を見ていると、どうやって撮影しているのだろうと思われる映像がよくあります。
お寺や神社の境内を空撮している映像とか、景色を空中から撮影しているものとか。どれもへりコプターでは無理な低高度の空撮映像です。
少し前まではその手の映像はモーターパラグライダーの独壇場でした。

で、あるとき私がいろいろお世話になっている某掲示板で、クアッドコプターなるものを知りました。
プロペラが四つなのでクアッドコプター。最初の印象はアメンボみたいで少し違和感がありましたが、その飛行性能はプロ仕様です。

最初に書いたようなテレビの空撮映像のうち、このクアッドコプターで撮ったと思えるものがたくさんありますね。モーターパラグライダーよりはるかに手軽で安価に空撮できるのが強みです。

で、私もついポチっとな。(笑)

送られてきた商品は今時の小洒落たパッケージにきちんと梱包されていました。

飛ばすのに必要なものはすべてセットされています。オプションの予備バッテリーと予備プロペラもついてきました。

ただ、この製品、残念なことに日本のメーカーの製品ではありません。昔は日本といえば模型王国だったのに。
そのせいで正規の説明書は英語と中文で書かれていて、それはカラー印刷ですが、日本語の説明書はそれを訳したものでモノクロ印刷です。日本語も結構怪しかったりします。(笑)

でも製品はしっかりしています。そして機能がすごいです。


何らかのトラブルで送信電波が途切れたらルンバみたいに離陸した場所に戻ってくるとか、GPSで少々の風が吹いていてもピタリと空中停止ができるとか、機体の姿勢に関係なく三軸ジンバル(カメラの取付台ですね)で映像は安定を保つとか、GPSデータを入力したら自動飛行も可能とか等々。

実際にプロの使用に耐える品質で、各分野で急激に普及しているようです。
さらに最新版はスマホでライブ映像が確認できて、各種のコントロールも可能です。コントローラーにはスマホ固定用のクリップもついていました。私は老眼なので、7インチのASUSのタブレットを取り付けましたが、晴天の日差しの下ではさすがに液晶画面は見づらいですね。なので私は今のところせいぜいカメラのオンオフで使うぐらいです。日よけのバイザーをつければいいかも。


さて、某日、近くの公園で初フライトに挑戦しました。

この公園、急斜面を整地して作られたので、アプローチの道が急傾斜。花見と盆踊り以外は利用する人がいない公園です。でも安全のため先客がいたら中止するつもりで草をかき分けて登って行ったら、案の定、誰もいませんでした。周辺道路も朝晩は抜け道として通る車がありますが、昼間は極めて少ないです。

さて、クアッドコプターを飛ばすための準備は極めて簡単です。

完全に充電した本体用バッテリーと、コントローラーの電池の確認、Wifi用のレンジエクステンダーの充電さえ済んでいればOK。

でも初めてなので少し緊張しながらコントローラーとエクステンダーの電源オン。
次に機体の電源を入れ、コンパスキャリブレーションを完了。プロペラを回転させて、スロットルスティックを上にあげれば離陸します。ちなみに同スティックを中正位置から下に下げると降下し始めます。安全のため最大降下速度は最大上昇速度の半分に設定されています。上がるのは早く、降りるのはゆっくりです。


で、10メートルぐらい上がったところで記念撮影。何もしないでいるとその場でぴたりと静止飛行してくれるので、デジカメをケースから取り出して撮影準備するのも余裕です。




飛ばして初めてわかりましたが、このPhantom2、安定性は抜群です。少々の風でもGPSモードなら空中にピタリと停止。そこで機体を回しながら撮影したら、まるで三脚に固定しているようです。

ぐっとあげてみたらかなりの上昇速度。みるまに小さくなっていきますが、エレベーターのように上がるだけで横方向の移動はありません。風向きに気を付けながら周辺を撮影しました。
画像は動画から切り出したものです。もちろん静止画も撮れます。


見下ろした画像です。↓


この日は10分ぐらいずつ3回飛行させて終了。操縦性も素晴らしく、初めてのフライトで狭いベンチ上に着陸することに成功。


その次からはハンドキャッチで降ろしました。でも危険性もあるのでマネしないでね。

調子に乗って別の日に高高度での空撮に挑戦。

初回と違って天気が不安定で曇天でしたが、飛行の安定性は変わらず。そこで思い切りあげてみました。
(レンズのせいで丸く変形しています。)


山は信貴生駒山系の南端です。


川は大和川です。


性能的にはもっと上げられますが、小さすぎてどちらを向いているか分からなくなったので、見えるギリギリの高度でホバリング。周囲を空撮しました。

そのあとはもっと低い高度に下げて、旋回や場周飛行の練習です。
まあなんとも飛ばしやすくて、昔のラジコンヘリに比べたら隔世の感がありました。
バッテリーは一充電25分持つということですが、やはりいくら操縦が容易とはいえそれなりに神経を使っているので、10分も飛ばしたら十分です。

送信機(コントローラー)の電源をオフにしたら自動で離陸地点に戻ってきてくれますが、やはり怖いのでまだ試していません。(笑)
着陸させてから、7インチタブレットにSDカードを挿して動画を再生してみました。まあ何ともきれいな動画が取れていました。大したものです。デフォルトの画質設定で10分程度の動画で800~900メガバイト程度でした。

自宅に戻って液晶テレビで見たら、まるで自分が鳥になったかのよう。(笑) 
それと、団地内の土砂災害警戒地域に指定されている箇所の周辺の水路などもよくわかりました。地上からはなぜ地域指定されているのかわからなかったところです。

でも本当にすごい時代になったものです。こんな高性能の空撮機材が、だれでも普通に手に入り、容易に飛ばせる時代が来るとは思ってもいませんでしたね。

まあ容易な分、飛ばす側のモラルとマナーが問われると思います。それと、保険への加入は必須ですね。

でもルンバといいこのクアッドコプターといい、なぜ日本のメーカーが作れないのでしょうか。


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バイク・バッテリー、寿命はやはり10年?

2014年09月03日 | バイク
今回バッテリーが昇天したアドレス110が、我が家に来たのは2005年7月。でもアドレス110は2サイクルエンジン廃止のあおりで、その1年以上前の2004年4月に製造中止になっていました。なので、バッテリーも同時期に製造されたものかと思っていたら、突然死のバッテリーには2005年2月の製造日の刻印がありました。店頭在庫だったのでてっきりバイク本体の製造時期と同じかと思いこんでいましたが、間違いでしたね。


アドレス110が来てから定評のある優れた運動性に満足していましたが(云われているような加速のもたつきもないです)、やはり2008年ごろからバッテリーがおかしくなってきました。いくら充電してもすぐバッテリーが上がり気味になり、セルモーターがよく回らなくなってきたのです。そろそろ寿命かと交換を覚悟していた矢先に、インターネットでバッテリーパルサーの存在を知りました。


幸い近くに販売代理店があったので早速入手して、バッテリーをはずしてパルサーを装着、2日間補充電しました。
効果はてきめんで、その後はバッテリー上がりとは無縁。健康そのものになりました。

ついでにスパーダと


Dioにも付けました。


上記の画像で「充電」とあるのはパルサーの消費する電流を補うためのものです。
それとパルサーは私の使っているもの以外の商品でも同様の効果があると思います。

ただしスパーダは5年で今回のアドレスと同様の突然死となりました。まあそれでもほとんど乗る機会が少なくてほぼ動態保存状態で、使用条件としても良くなかったので5年でもいいかと。余り乗る機会のないバイクは時々フロート充電だけではなくて、14.5Vぐらいで活入れ充電してやった方がいいかもしれません。

でもDioの方は6年経過しても元気です。夏場は自動チョークの関係か、チェックバルブ装着後も長く乗らないとセルの長回しが必要なときもありますが、平気でセルボタンが押せます。アドレスと同様の寿命だとしたら、あと4年ぐらいはいけるかな。

ところでバイクのバッテリーは最長でどれくらいもつものでしょうか。
バッテリーの極板等の物理的な強度は、加えられる振動等の負荷にもよりますが、某所ではJISで10年と定められているとかの記載があったり。ただし私の調べた範囲ではJISでそんな記述は見つけられなかったのですが。

まあパルサーを使い始めるまでは3年、4年も持てば御の字というのが私の経験でしたから、パルサーの効果は明白ですね。

でもスパーダの時も今回も、突然バッテリーが昇天してしまって、そうなったらもう何をしても充電できないというのはどういうことでしょうか?
内部の電極板などが物理的に破壊されてしまったのか、原因を知りたいところです。バッテリーを解体すれば死因なども分かるかもしれませんが、硫酸を環境中に放出するのは最悪だし、手間もかかるのでこのまましかるべく処分することにします。

というわけで早速バッテリーの手配にとりかかりました。といっても国産の同等品はアホ高い値段が付いているので、台湾製をポチっとな。
元のバッテリーは古河ですが、新しいものは台湾ユアサ製。約半額と十分リーズナブルな価格でした。


私のアドレスは最終生産型ですが、そのひとつ前のUG110SK1からバッテリーが若干容量の大きい(ただし外形サイズは同じ)ものに変わっています。もともと付いていたFTZ5L-BSは少々変ったタイプですが、今でも普通に入手可能です。

2日後に配達されました。早いです。


バッテリーと電解液が箱に入っていました。電解液の入ったポリエチレンボトルをバッテリーに差し込めば6セルに一度に注入できます。


バカな私は、電解液ボトルのシール用アルミ箔をはがし始めてから気づきましたが、バッテリーの注入口がアルミ箔を突き破るような形になっているので、プラスチックのカバーを外してそのままボトルを突き立てれば電解液は注入できます。




完全に入ったら、シール用のカバーを押さえ込んで完了です。すぐブクブクと音が聞こえてきて、本体も厚くなってきます。


電圧を測ったら12.55Vありました。


そのままアドレスに搭載して、パルサーと充電用ソケットのコードと、車体の+と-のケーブルをバッテリーに接続、作業は完了です。


セルボタンを押すと、クランクシャフトが一回転したかどうかというぐらいの瞬間始動。

その日は出かける予定がなかったので、念のためそのまま補充電開始。


後日、アドレスでお出かけしましたが、バッテリー点火のためか、新品バッテリーだと始動後のアイドリングも早く安定して、充電負荷が軽減されたのかフケ上がりも良くなった気がします。ええ、気がするだけです。(笑)

しかしパルサー装着でバッテリーのサルフェーションが防止出来て寿命は確実に伸びていますが(プリウスの補機バッテリーにもつけていますが、4年たってもディーラーの検査では良好とのことです)、スパーダや今回のアドレスみたいに突然死するのはどういうことなんでしょうね。

オマケです↓。去年メットインスペースの照明をLED化しました。少しばかりの省エネです。


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車椅子であべのハルカス美術館・デュフィ展へ

2014年09月02日 | 美術館を訪ねて
先日、あべのハルカス美術館での『デュフィ』展に行ってきました。

今回はいつもと違い、車椅子で電車に乗って出かけることにしました。電車でのお出かけは彼女が10年前に倒れて以来初めてです。
といっても数年前に、一度リハビリで二人で隣の駅まで電車に往復乗ったことがありますが、これは短時間の杖歩行で、往復しただけでした。車椅子で目的を持って出かけるのは今回が初めてです。

出かけたのは8月24日でした。
もともとデュフィ展については、開催を知って以来ずっとヨメさんが行きたそうにしていました。でも私はハルカス周辺の道路事情がゴチャゴチャしているので余り気が進みませんでした。
でも本当に行きたそうなので、JRで行くことに挑戦することにしました。

でも、これがなかなか簡単ではありません。

自宅から駅まで健康な人なら7・8分で行ける距離ですが、結構急傾斜の坂道なので車椅子での往復は無理です。
なので駅までまず車でヨメさんと車椅子を運び、私が車を家に置きに帰って(駅周辺にはタイムズなどもないので)、ふたたび徒歩で駅に行くということになります。
でも炎天下の歩道でヨメさんが私を待つのも大変だし、私も坂道を走るのは老体にこたえます。(笑)

それで、究極のズボラですが(笑)、私が車を置きに帰ってから原付に乗り換えて駅まで戻り、駐輪場に預けることにしました。料金は1日250円とリーズナブル。
うまく障害者の乗り降りするスペースが駅前広場にあったので、そこで車椅子とヨメさんを降ろしてすぐ自宅のガレージに戻り、Di0で駅横の駐輪場へ。この間5分もかかりませんでした。

そして車椅子を押して駅のエレベーターで改札口まで上がって切符を買い、また下がって地上のホームへ。でもこれ、かなり無駄な動きに感じますね。
というのは、以前エレベーターができるまでは、駅のインターホンで駅員さんを呼んでホームに入れてもらい、同時に乗車証明書を受け取って、それを目的地の駅の改札で見せて精算するというやり方でした。こちらのほうがよほど合理的だと思うのですが、それでは駅員が一時不在となるので、現在のように変えたのでしょうね。

切符は、本人と付添い1名が半額となるので、駅員さんの指示で小人用を2枚購入。

スムーズに事が運んだので、予定より1便早い電車に乗れました。
それと予想していたよりホームと電車との段差が小さかったので、車椅子の前を少し上げるだけで楽に乗り込めました。降りるときはバックで。
ヨメさんは久しぶりの車窓からの景色を喜んで見入っていました。

でも今回は天王寺についてからがややこしいことになっていました。まずホームのエレベーターで跨線橋に上がり、ぐるっと9番ホームに回って中央口を出て、駅構内のエレベーターで地下鉄御堂筋線の改札口方向へ。そしてまたエレベーターで地上に上がり、ハルカス前の歩道を左に進んで、ようやく美術館専用のエレベーターに乗るという経路です。
美術館はハルカス内の施設ですが、一般のハルカスのエレベーターでは行けないので、こんなややこしい手順になります。初めてなので各エレベーターの位置が分からずウロウロしました。

ようやく16階の美術館に着いて、切符売場へ。手帳を見せたら半額にしてくれました。

美術館入り口にはすでに結構な人の列ができていました。10分ほど待って定刻となり中に。

今回の展覧会はフランス人の画家ラウル・デュフィの回顧展です。


といっても、デュフィとはどんな画家か、全く知らなかったです。名前は聞いたことがあるかな程度。(笑)
開館直後なので入口周辺はたくさんの人で混み合っていました。

画家の初期の展示作品はそれほど特色のある画風ではなく、普通の油絵です。いろんな画家の影響でコロコロ変わっています。
でもだんだん個性が出てきて、最後は独自のスタイルを作り上げていきます。

でもこの画家は、生涯を通してわかりやすい画業ですね。とくに後半になると色彩も明るく、軽快なタッチで、富豪に依頼されて描いた肖像画ですらデザイン画みたいな感じです。野獣派に分類されるということですが、やさしい野獣ですね。(笑)

余談ですが、少し以前に見たフランス映画『ル・アーブルの靴みがき』の舞台ル・アーブルの港が、今回展示されていた多くの作品に描かれていて興味深かったです。画家の生誕の地とか。

展示は4章に分かれていました。
第1章は「1900-1910年代 -造形的革新のただなかで」というテーマで、ラウル・デュフィが独自の画風を模索する過程の作品が展示されています。上に書いたように、いろいろな画家の影響が観てとれて興味深い展示でした。
初期の作品「マルティーグ」(1903年制作)です↓ 



第2章は「木版画とテキスタイル・デザイン」。
挿絵に使われた木版画や布地の柄、クロッキーが展示されていました。多才です。生活の糧を得るためでもあったのでしょうが。
木版画「ダンス」(1914年制作)です↓


第3章は「1920-1930年代-様式の確立から装飾壁画の製作へ
この時期になって画家は自分の進む道がはっきりしたのでしょうね。以降の作品に共通する明るい色彩の絵になっていきます。
でもデュフィは画家というよりイラストレーターといったほうがシックリしますね。(笑)
展示としては最も充実した見所の多いコーナーでした。

サン=タドレスの大きな浴女」(1924年制作)


風景画の建物などは軽いタッチで描かれていますが、人物デッサンが正確なことが印象的でした。
突堤ニースの散歩道」(1926年頃)


「イェールの広場」(1927年制作)


馬に乗ったケスラー一家」(1932年制作)家族の肖像画ですが、全員体格にあった馬に乗っているところがユニーク(笑)↓


パリのパノラマ」(1924-1933年制作)まるで横尾忠則です。(笑)


ゲルマ袋小路のアトリエ」(1935年制作)


アンフィトリテ(海の女神)」(1936年制作)大きな浴女と共通するモチーフです。



この時期の集大成というべき作品が、パリ電気供給会社の社長の依頼で、パリ万国博覧会電気館の装飾壁画として描かれた「電気の精」です。残念ながら画像はありません。ぜひ会場でご覧ください。電気にちなんだ歴史上の人物が描かれているので面白いです。
それと画面からあふれる楽天的な技術至上主義が、この時代の一面をあらわしていますね。
この頃に多発性関節炎を発症しています。

第4章は「1940-1950年代-評価の確立と画業の集大成」です。
暗示的な黒い貨物船シリーズなどを制作する一方で、華やかな色彩の花も描いています。

アネモネとチューリップ」(1942年頃)


アイリスとひなげしの花束」(1953年制作)


前後しますが「マキシム」(1950年制作)です


デュフィは1953年3月23日にフランス、フォルカルキエで心臓発作のため亡くなったそうです。享年75歳。墓地はニース市の郊外にあるシミエ修道院にあるとのことです。

観終わっての感想です。
繰り返しになりますが、デュフィは気楽に楽しめる画家ですね。明るい色彩と軽快な筆遣い。分かりやすく洒落た画面構成。重く余韻を引きずるようなテーマの作品はほとんどなく、観ていて気が晴れ晴れする作品ばかりでした。こういうのもアリだなと思いました。

会場のハルカス美術館ですが、巨大建築物のオマケ程度に思っていましたが、まあまあスペースはギリギリ確保されていましたね。
でもエレベーターが障がい者にとってやや分かりにくいです。

会場の混み具合は大したことなくて、特に後半の展示になると空いていて、ヨメさんは車椅子から降りて杖歩行で観まわれたほど。
中高年の観客が疲れて休憩し始めるので、ゆったりしてきます。(笑)
それとどの展覧会でもそうですが、11時頃が一番観客が減ってくる時間帯ですね。私たちは車椅子なので交通の便もあって早行き・早帰りが必要ですが、柔軟に対応できる健康な方は、生真面目に開館時間前に行くより、一時間ほどずらすのが吉です。

この展覧会、大阪では9月24日まで開かれています。あべのハルカスの建設については壮挙というより暴挙だと思っていますが(笑)、今後デュフィの作品を網羅的に見られる機会はそうないと思いますので、ぜひご覧になるようお勧めします。



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