思いつくままに書いています

間口は広くても、極めて浅い趣味の世界です。
御用とお急ぎでない方は、ごゆっくりどうぞ。

パソコンの電源が入らない‥修理篇

2011年10月29日 | パソコンあれこれ
知人のパソコン用に手持ちの電源をあげてしまったので、半ばジャンクなデスクトップパソコンが使えなくなりました。

このパソコン、グラフィック処理の関係で新しいパソコンでは動かない古いフライトシミュレータのために、わざわざ余ったパーツで組み立てた代物です。
ふだん使用しているのは、同じ自作でももう少しまともなパソコンです。(笑)

なので、別にすぐに直す必要はなかったのですが、いつまでも放置しておくとずっとこのままになりかねないので、今月はじめにヨメさんの定例のリハビリで大阪市内に出たときに、時間待ちのついでに電解コンデンサを買ってきました。

今日はそれを使っての電源修理のお話です。

電源ユニット用に買ってきたのは1500μF 6.3V 105℃品が4個、2200μF 16V 105℃品が1個で、日本橋の共立電子です。


写真では電源用以外の用途に買ってきたものも写っています。しめて650円でした。

前回は、電源ユニットのパンクした電解コンデンサをTEAPO製と書きましたが、よくよく見ると黒いのは別メーカーのようですね。
↓これがTEAPO製で、ケースが緑色です。




色は違ってもどうせ台湾製か中国製の粗悪品だろうと思って、メーカーは調べませんでした。われながらファジーです。↑

で、買ってきたのはニチコン製です。(というか、これしか売っていなかったのです。)

こういうパーツはやはり国産が一番ですね!といいたいところですが、買ってきたものと膨れた黒いコンデンサ、なにやらデザインや長円形のマーク、似ていませんか?




まさか!と思いながらも見比べてみると、なんとパンクしていたのもニチコン製!
品番がHMとHDの違いはあっても同じメーカー製でした。がっくりです。(最近日本メーカーに裏切られることが多いですね)

このまま使うのもどうかと思って、かなり焦りながら調べてみました。
すぐたくさんヒットしました。私が知らないだけで知る人ぞ知る、有名な事実みたいです。

以下は Wikipedia-不良電解コンデンサ問題-からの引用です。この記述ではHNとHMとなっていますが、私のパンクしたのはHDですから、この時期のニチコン製品はどれも要注意のようですね。

電解液の過剰注入によるもの
2004年に製造されたHP社製ワークステーションの一部に搭載されたマザーボード上の電解コンデンサがやはり膨張や液漏れ、破裂といった現象を引き起こした。こちらの電解コンデンサは、日本のメーカーであるニチコンの"HN"および"HM"シリーズと呼ばれる製品で、一時期の製造ロットにおいて電解液を過剰注入してしまうという製造上の欠陥(前述の台湾製不良電解液といった設計上の欠陥とは対照的である)があったためである。なお、2008年現在製造されているニチコン製"HN"および"HM"シリーズは、このような問題はない。

他にもDellのパソコンなどでも同様のトラブルが報告されています。
まあ一時的なものと思いたいですが、やはり日本製だからといって妄信はいけませんね。

気を取り直して、修理に着手です。
久しぶりの半田鏝工作です。まず問題のコンデンサを基板から取り除きました。



取り付け穴周辺の半田は銅の網線で吸い取ってきれいにしました。




新品のコンデンサを極性を間違えないよう注意して取り付けます。あまりしつこく鏝を当てているとコンデンサに損傷を与えるので手際よく取り付けます。




取り付け終わって、また電源ケースに基板を戻して、マザーボードに接続してみました。
コンデンサパンクで他の部品にも影響が出ていないか気がかりでしたが、無事起動しました。

久しぶりの工作タイム、ちょっとドッキリでしたが、きれいに仕上げられたので、プチ達成感ありといったところです。

一家に一本半田鏝(笑)、みなさんも同じことが起こったら、ぜひ修理にチャレンジしてみてください。


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イギリスの旅の思い出

2011年10月02日 | 旅行
イギリスに行き始めたのは1995年のツアーに参加してからです。この3カ月前の初の海外旅行となったニュージーランドでの体験と併せて、私たち夫婦は一気に「海外旅行モード」に入りました。(笑)

1996年は家族3人で鉄道+レンタカーでのイギリス縦断の欲張りな旅でした。目的の一つは娘の留学の荷物運びでしたが、それは職場への長期休暇の口実でもありました。(笑)
後になってみれば、この海外留学、その後の娘の人生を大きく変えることになったのですが、その当時は、イギリスが気に入った私たちが単純に留学を勧め、娘も奨学金が下りることになったので応じただけでした。

ロンドン・ユーストン駅から寝台列車でエジンバラに行き、駅構内でレンタカーを借りて、スコットランドの観光のあと湖水地方、ストラトフォード・アポン・エイボン、ウォーリック、イーストボーンを経てロンドンに戻るコースでした。
ウォーリックで留学のための手続きをした以外は、主に各地のナショナルトラストのプロパティを回りました。ハドリアン・ウォールファンティンズ・アビー、湖水地方のシャクナゲ園、そして白亜のセブンシスターズなど、今でも記憶が鮮やかです。

1997年は再度ニュージーランドに行き、そのあとアイルランドに行ったので、イギリスはパスしました。どちらも現地で行く先と宿泊地を決める行き当たりばったりの気ままな旅でした。

1998年はスコットランドの最北部を回りました。スコットランドの北端に行ってみたかったからです。私の人生と同様、旅行でも真ん中よりはしっこを歩きたがる習性が出ています。(笑)
道路は整備されていて気持ちのいいドライブでしたが、本当に人は少なかったのです。自然は雄大で、荘厳ささえ感じました。
旅の後半は、留学2年目でグラスゴーに移動していた娘と合流して、彼女の案内でイギリス最高峰ベン・ネビスにも登りました。

この旅の最後にたまたま訪れたニュー・ラナークは、実はこの旅最大の収穫でした。夫婦ともに現地に立ってまったく感無量でした。
たまたまと言えば、スコットランド最北のさびしい、しかしきれいな自然環境の中にあるドーンレイの再処理工場に迷い込んで、資料館を見学したのもこの旅の途中でした。
今はセラフィールドと並んで、周辺環境への深刻な放射能汚染が問題になっています。知らなかったとは言え、よくも行ったものでした。

1999年は一転してコーンウォール半島の先端にある「ミナックシアター」に行きました。やはり周辺嗜好が出ています。(笑)
ここに行くことにしたのは、当時よく見ていたNHKの「世界我が心の旅」仲代夫妻が紹介していたからです。結構ミーハーです。(笑) 

でも、素晴らしかったです。行き甲斐大有りでした。
一人の女性がその人生をかけて造り上げただけあって、全体の雰囲気、立地場所、劇場全体のレイアウト、すべてが大したものでした。シェークスピアの作品にうってつけの野外劇場です。石の観客席には上演したシェイクスピアの舞台の演目名が刻まれていました。

この旅のスタートはヒースローからで、空港で車を借り、最初の日だけ娘と彼氏の4人で宿泊しましたが、翌日からは彼らと別行動となり、コッツウォルズを皮切りに、コーニッシュ半島を一路西へと向かいました。
レンタカーが毎朝始動しなくなるというスペシャルオプションも楽しませてくれました。(笑)

いつものとおりの行き当たりばったりですが、ナショナルトラストが管理する由緒ある邸宅や景勝地は可能な限り回ることにしました。
その中でも印象的だったのはコーフ・キャッスルでした。まさに「つわものどもが夢の跡」そのもので、砲撃で破壊された城砦があちこちに様々な角度に傾きながら立ち尽くしている景観は衝撃的でした。
この旅の途中で、入場料が割引になるとの説明を受けて、夫婦でナショナルトラストの年間会員になることにしました。

2000年はまた欲張りプランで、エジンバラからマル島に行き、ベン・モア登山のあと

ヨークシャーに南下、嵐が丘ゆかりの地を訪ねました。

帰国はマンチェスターからでした。
天候もよく、ヨークシャー・デールのハイキングも楽しみました。
マル島のベン・モアではスコットランドではまれな快晴に恵まれて、アイリッシュ海を隔ててアイルランドも見えました。

2001年もまたまた欲張りプランです。ブリストル空港からバースに行き、その後ウェールズを経てスコットランドに入り、アラン島を経てエジンバラ空港から帰途にというコースでした。この旅も娘の結婚式といういい口実(笑)があり、長い休暇が取れました。
式の翌日は、相手の家族とともに親睦を兼ねた登山を楽しみました。

2002年の旅は珍しく「地域限定重点観光プラン」(笑)で、アウター・ヘブリディーズの島巡りが目的でした。
スコットランドの最西端の島々で、更に人影はまばらでした。どこまでも続く真っ白な砂浜に、大西洋の爽やかな風が吹き渡っていました。


おかげで雄大な風景を独り占めできました。ストーンサークルや古代の墳墓、先史時代の住宅遺跡や、よく保存された伝統的な住宅、海岸近くの野生の花畑などを満喫しました。





往きのカーフェリーの中では、確かに駐車したはずの車が消えるという恐怖の体験もしました。(笑)
帰りは娘夫婦の家に立ち寄ってからまたエジンバラ空港から帰国しました。

2003年が私たちの最後のイギリスの旅となりました。
リーズ・ブラッドフォード空港で車を借り、北海沿いに北上して、ノーザンバーランドのリンディスファーン城を見たあとエジンバラまで行き、市内にある娘の職場で待ち合わせ、いっしょにハイランド地方の山をハイキング、最後はセントアンドリュースで婿殿の家族とも合流して観光、最後はまたエジンバラから帰途にというコースでした。

↓リンディスファーン城です。潮の干満時間を考えて行かないと大変です。


↓有名なガートルード・ジーキル女史の庭園もきれいでした。


私たちのイギリス放浪の旅は結局8回で終わりました。でも、ヨメさんの体調とも相談しながらですが、私は出来ればまた再開したいと秘かに考えています。

それぞれの旅について、これからご紹介して行こうと思います。もう古い話になってしまいましたが、もし興味がおありでしたら、ご覧いただければ幸いです。m(__)m


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